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2013年1月26日 (土)

日本の政治家は支那に対してみっともない劣等感を抱いてはならない

山口那津男公明党代表は、支那にわが国の総理の親書を持って行ったのだ。総理の代理と言っても良い。しかるにさんざん待たされた挙句やっと実現した習近平との会談で、習近平は一度も頭を下げないのに、何回も頭を下げていた。まるで臣下のような態度であった。情けないかぎりだ。

「支那」の権力者は国家さへ私物化した。だから国民党は、「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「支那共産党」も同じである。支那共産党の権力掌握後、毛沢東は支那といふ國を私物化し多くの同志・国民を虐殺した。

日本人は「無私」を尊ぶ。「公」の体現者であられる天皇に自己を無にして仕へることが日本の道義精神の根本である。「無私」の心をもっとも体現しておられるお方が、祭り主・日本天皇であらせられる。なぜなら「まつり」とは、神に対して私を無くしてまつろひたてまつる行事であるからである。

一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に回帰する行事が日本伝統信仰の「祭祀」である。換言すれば、「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ことである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇はその最高の実行者であらせられる。

天皇の「祭祀」とそれに伴ふ「天皇の無私の大御心・神聖性」が日本國民の道義の規範なのである。天皇の祭祀を国民が「神習ふ」ことによって、世俗の穢れや罪を清め続けてきたのである。まさに日本民族は「本是神州清潔之民」なのである。

支那などの外国と比較して、日本くらい政治家・官僚の権力の私物化・権力を利用した私益の追求を嫌う国はない。

「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられる。

かく考へてくると、日本は、古代以来の祭祀が今も生きていることが何よりも貴いことであり、誇るべきことである。「支那」および「支那文化」に対してみっともない劣等感を抱いてはならない。わが国はこれまで、「支那」の属国となることはなかった。今後の日本もそうであらねばならない。

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