« 千駄木庵日乗一月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月十七日 »

2013年1月17日 (木)

一神教特にキリスト教について

カトリック教会には必ずキリストの磔像がある。磔像は、芸術的美しさあるいは宗教的荘厳さはあるといえども、有り体に言えば他人に殺された人の死体である。これを礼拝の対象にするというのは日本人の感覚ではとても考えられない。日本伝統信仰が鏡を御神体として拝む清々しさとは全く異なる信仰精神である。仏教も涅槃像と言って釈尊の死体を拝む。しかしこの場合は老衰で亡くなった時の姿であって、磔という残虐な処刑方法で殺された姿ではない。キリスト教というか一神教の異質さを実感する。この像を拝む人々は、人類の罪を背負って殺されたというイエスへの崇敬の念を抱くと共に、殺した人々への怒り・恨み・報復の念を持つのではあるまいか。

 事実、イエスを死地に老いやったとされるユダに対するキリスト教徒の呪咀はすさまじい。キリスト教徒ではなくとも、「ユダ」という名前は裏切り者の代名詞として使っている。言語学的に見て、ユダ(Judaios)の名はユダヤ人全体を意味する。ユダは憎むべきユダヤ人の典型であると見られたのである。

 そして、キリスト教国で反ユダヤ感情の無いところは無いと言われている。特に社会的不満が鬱積すると反ユダヤ感情が激化する。新約聖書の『ヨハネ伝』では、イエス・キリストはユダヤ人に、「汝ら(ユダヤ人)は己(おの)が父悪魔より出(い)でて、己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初(はじめ)より人殺しなり、また眞(まこと)その中になき故に眞立たず、彼は虚偽(いつはり)を語る毎(ごと)に己より語る、彼は虚偽者(いつはりもの)にして虚偽の父なればなり」(第八章)と述べ、ユダヤ人は「悪魔の子」「人殺し」「嘘つき」であるとしている。新約聖書はユダヤ人を敵視しており、新約聖書は反ユダヤ思想の最も基礎的にして最も影響力の強い文献であったといわれている。しかし、『新約聖書』を記したのはユダヤ人自身なのである。

 ただし、一九六三年六月三日、ローマ法王・ヨハネ二十三世はキリスト教徒のユダヤ迫害の許しを乞う祈りをした。

 旧約聖書『創世記』によると、キリスト教の母体であるユダヤ教の神・エホバと、イスラエルの民の祖でありユダヤ教、キリスト教、イスラム教で模範的篤信者として崇められているアブラハムとが契約を結ぶ。これが「旧約聖書」の「旧約」である。その契約の儀式では、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩と、家鳩のひなを神の前に連れて来て、鳥以外の獣を二つに裂き、裂いたものを互いに向かい合わせて置いた。これは契約を破ると身を二つに切り裂くぞという意味が込められているという。そして、その後も長い間エルサレムのユダヤ教の神殿において祭司たちが年々動物を裂き、その血を流して民の罪を贖なった。

 キリスト教もイエス・キリストが生けにえとなりその血によって人類の罪を赦してもらうというのである。新約聖書『マタイ伝』によると、イエスは最後の晩餐の時、「…あなた方のために流す私の血で立てられる新しい契約である」と語った。『最後の晩餐』においてキリストが弟子たちにパンと葡萄酒を分け与えるというのは、アブラハムが動物の肉と血を神に捧げたことの再現であるという。聖書に『旧約』と『新約』とがあるのはここから来ている。

 だから、イエス・キリストは、「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ伝一章二九節)といわれるのである。また人類の始祖とされるアダムとイブの子であるカインはエホバに農作物を捧げたが、エホバは血のない捧げものであったので拒否した。砂漠で生まれた宗教たるユダヤ教・キリスト教の神は「血を流すことなしには罪の許しはありえない」(ヘブル人への手紙)とするのである。ともかくユダヤ教・キリスト教の罪の赦しでは、人間や動物の血が流されなければならないという信仰精神なのである。

 神と人間が契約を結ばなければならないというのは、神と人間とが絶対的他者であるということである。日本伝統信仰は、日本の神と人と自然とは相対立し隔絶した関係ではなく、一体の存在である。まして神の怒りを解き、罪を許してもらい、神の報復を防ぐために、人間や動物を生けにえとして捧げるなどということもない。今年の豊作を感謝し来年の豊饒を祈念して農作物などを神に捧げ、お祭りをし、直会においてそれを神と共に食し、神と人とが合一するというのが、日本の伝統信仰である。

 神の怒りを解き、罪を許してもらうために人や動物の肉や血を捧げるという残虐な信仰精神は日本伝統信仰にはないのである。これが、キリスト教と日本伝統信仰の決定的な違いである。『祭り』と『契約』の違いが日本神道と一神教違いと言っていいだろう。

 だから、日本民族は異質な信仰としてユダヤ教・キリスト教・回教という一神教を受け容れることはなかったのである。日本人のクリスチャンは人口一億二千万に中にわずか十五万人である。

|

« 千駄木庵日乗一月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月十七日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/56557574

この記事へのトラックバック一覧です: 一神教特にキリスト教について:

« 千駄木庵日乗一月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月十七日 »