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2013年1月31日 (木)

『日本の司法を正す会』におけ講演内容

『日本の司法を正す会』における講演内容

清武英利氏(元読売巨人軍球団代表)「二〇一一年十一月、巨人軍のコーチ人事がすでに確定した。ナベツネはそれをひっくり返した。これは『ナベツネの乱』であって『清武の乱』ではない。渡部は『分かった』と言っていたのに、突然『聞いていない』と言い出した。渡邉氏には何度も話したが聞いていただけなかった。讀賣から多くの訴訟を起こされている。『司法は信じたいが、信じられるのかなあ』という気持ちもある。巨大メディアの多くの記者の良心に訴えたい。

讀賣の社会部記者が私のネタ元捜しをしている。社会部の昔の仲間がKGBみたいなことをしているのは情けない。渡邉氏はかつて讀賣の社報で『新聞は特定の人物の私有物ではない。公私混同は許されない』と言って正力批判を行った。しかし、私と話し合った時、『俺は独裁者だ』と言った。マスコミは特権を持っているから自制が必要」。

青木理氏「清武さんが声をあげたことに感動した」。

村上正邦氏「渡邉氏は森喜朗氏にある問題で『一千万読者を持つ讀賣を敵に回すのか』と脅した。森氏は『やれるものならやってみろ』と反論した。渡邉氏は千鳥ヶ淵のマンションに住んでいる。野村克也・沙知代夫妻がそのマンションに入居しようと思って見に行った時、渡部氏も来ていた。渡部氏はマンション会社に『あれが入るのなら私は入らない』と言った。野村氏夫妻は入居を断られたという。清武氏は讀賣が作った土俵でつぶされる。渡邉氏は自動車のナンバーの事で警視庁から便宜を計ってもらった」。

          ○

私は以前から渡邉恒雄氏が嫌いである。元日本共産党員であり、左翼革命運動に挺身していたにもかかわらず、大学を出て讀賣に入ると転向し、自民党実力者や当時のフィクサーと言われた人に取り入り、その手先となって動いた。思想なんてどうでもいい、己の出世が大事ということか。どうもいかがわしい人物だ。

共産党から転向したというのだから、保守思想に目覚めたかと思っていたらそうではなく、渡邉恒雄氏は靖國神社に昭和殉難者が合祀されていることを執拗に批判している。さらに、「讀賣憲法試案」では「第一章」を「天皇条項」ではなく「国民主権」とした。これでは「第一章」を「天皇条項」にしている『現行占領憲法』の方がましである。

テレビで見る渡邉氏は、傲慢不遜を絵に描いたような人物のように見える。私は、昭和四十年代後半だったと思うが、中曽根派(当時は新政同志会と言ったと思う)の研修会を取材したことがある。その時、講師として講演したのがまだ若かった渡邉恒雄氏であった。渡邉氏が講演を終えた後、渡部ミッチーに舌を出して笑っていた。何ともおかしな人物と思った。

その研修会では、山中貞則氏の姿を見たが、この人も傲慢不遜の見本のような人物だった。他の議員が深くお辞儀しても頭を縦に振るだけだった。ずっと後の事だが、あるパーティーで当時官房長官か幹事長だった梶山静六氏が最敬礼しても山中氏は首を縦に振るだけだった。しかし山中氏には何となく好感が持てた。

「一千万読者を持つ讀賣を敵に回すのか」などと言った渡邉氏のセリフは、恐喝新聞の社長のセリフだ。前にも書いたが、讀賣というのは正力松太郎氏以来、ワンマン経営であり、しかも権力との癒着が露骨な新聞である。ある民族運動家が、渡邉恒雄氏を批判する街宣活動を行ったところ、別件逮捕されたという話もある。正力松太郎は警察官僚であったためでもあろうが、讀賣は特に警察とは近い。また渡邊氏とは盟友関係にあるという中曽根元総理も警察官僚出身である。

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千駄木庵日乗一月三十日

午前、山梨より帰京。

午後は、諸雑務。

午後六時より、永田町の衆議院第二議員会館にて、『日本再生同志の会平成二十五年度全国総会』開催。小田村四郎会長が挨拶。西村真悟衆議院議員が講演。高池勝彦氏が閉会の辞を述べた。この後、同所にて、懇親会開催。加瀬英明氏が挨拶。三宅博衆議院議員の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。拉致被害者ご家族の横田滋氏・早紀江さんご夫妻、有本明弘氏が挨拶した。

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スピーチする西村真悟氏及び拉致被害者ご家族の方々

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年1月30日 (水)

明治第二維新運動について

近代日本というか明治新政府は、「脱亜入欧」「文明開化」「富國強兵・殖産興業」の道を突き進んだ。つまり、欧米の文化・文明を取り入れて日本を近代化し、國を富ませ、軍事力を強固にし、生産を増やし産業を発展させることを目指したのである。

 明治初期に岩倉使節団に参加して欧米を視察した政府高官たちの基本的観念には、第一に、欧米の文明に対する高い評価があり、第二に、アジアに対する蔑視とは言わないまでも欧米に比較してアジアは未開であるという認識があり、第三に日本の発展は、アジアから脱して欧米に入ることによって達成されるという考え方である。そして大久保・岩倉などは、その能力がわが日本にはあると確信した。これはまた、『五箇条の御誓文』の「知識を世界に求め大に皇基を振起すべし」という大御心に沿うものであると考えたのであろう。

 

大久保利通は、明治七年に書いた『殖産興業に関する建議書』には、「必ずしも英國の事業に拘泥して、之を模倣す可きにあらずと雖も、君民一致し、其國天然の利に基き、財用を盛大にして國家の根抵を固(かと)ふするの偉績に至りては、我國今日大有為の秋に際して宜しく規範と為すべきなり、況や我邦の地形及天然の利は、英國と相類似するものにあるに於ておや、……」と記している。わが國と國柄および天然自然条件が類似する英國を規範として殖産興業につとめるべきであるという主張である。 

東洋の伝統を否定するわけではないが、西洋型の帝國としての英国を模範として大日本帝國を建設せんとしたこの大久保路線は、反対者によって『西洋覇道路線』とも名付けられる。そしてこの路線は、大久保の死後、伊藤博文・大隈重信・山県有朋らによって継承される。

さらに「脱亜入欧」「文明開化」の論理は、体制側・権力側の基本姿勢であっただけでなく、反体制運動にも踏襲されその思考の型となった。マルクス主義などの西洋革命思想による日本の変革運動がそれである。共産主義革命思想も外来輸入思想である。

こういった近代日本の体制側・反体制側に共通する「脱亜入欧」「文明開化」の論理に対抗したのが、明治初期においては西郷隆盛に象徴される伝統護持派である。明治第二維新運動では、西郷隆盛、江藤新平、島田一郎などが命を捧げたが、未完に終わった。

その精神と行動を継承する在野の國民の側即ち草莽の士の愛國維新運動である玄洋社は、明治十四年二月、福岡に創設された。「皇室を敬体戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」の三箇条を憲則に掲げた。

明治二十一年に三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛らによって結成された國粋主義文化団体・政教社(雑誌『日本人』を刊行)であり、そしてそれに続く大正維新運動・昭和維新運動なのである。    

そして、「脱亜入欧」「文明開化」の論理の克服は、大東亜戦争の敗北とその結果としての現代日本の様々な矛盾の根本的原因にも関わる今日的課題なのである。

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千駄木日乗一月二十九日

朝、小生が一泊で家を空けるため、ショートステイに赴く母を見送る。ケアマネージャー、デイサービス、へルパーなど介護に関する用語がどうして英語ばかりなのか理解に苦しむ。

午後一時より、山梨県石和のホテル甲斐路にて、「大行社幹部会」開催。顧問として小生がスピーチ。

午後六時より、同所にて「大吼出版新年総会」開催。三本菅啓二会長・丸川仁本部長が挨拶。小林節慶應大学教授、作家の大下英二氏及び小生が来賓挨拶。犬塚博英民族革新会議議長の音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。

この日は宿舎に一泊。

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2013年1月29日 (火)

この頃詠みし歌

獄より出で體弱りし日々にしてかくも美しき盌を作れり(出口王仁三郎とその一門の作品展)

墨痕淋漓の言葉のままの書を仰ぐ 出口王仁三郎の見事なる書を(同)

色彩が目には眩しく輝ける王仁三郎の盌の見事さ(同)

寒の夜に炎に包まれ焼けてゐる家に住みゐし人を思へり

二日経ても焦げ臭き匂ひ立ちこめる焼失家屋の無残なる姿

母上の書初めを壁に飾りたり九十三歳となりたる母の

束の間の眠りの中で見し夢は開かざるドアをこじ開けんとする夢

静かなる町となりたり しんしんと降り積もる雪に覆はれゆけば

真白にぞ街を染めつつ大雪はしんしんとして降り続くなり

かぶりつきて新国劇の立ち回り見し日ははるか五十年前

島田辰巳大山緒形は今や亡し 懐かしき舞台を思ひ出しをり

友どちが贈りくれたるみかんの実母と食せる雪の朝かな

母上のやさしき笑顔を見ることをわが一日の始まりとする

愚かなる元宰相は性懲りもなく国を売る言葉を吐けり

「由紀夫」といふ名であることのおぞましさ國傾けし元宰相は

通ひ慣れし酒房で今宵も酒を汲む 酒はぬるめの癇が良いとて

ベランダに残りし雪をかき分けて朝の光の下で物干す

朝の光りに屋根の白雪照らされて眼には眩しく輝きてをり

一年を経てもなほさら悲しみが深くなりゆく父逝きてより(父一周忌)

父の御霊安らかなれと祈りつつ光明眞言唱へまつれり(同)

さくさくと雪を踏みしめ墓前への道歩みたり父の一周忌(同)

可愛がられし孫たちが墓を清めゐる 父の御霊よ安らかに眠れ(同)

相寄りて鍋を囲めるうからたち皆それぞれの人生がある(同)

うら若き警察官が増えにけり団塊の世代が退職せし後

忙しなき日々なれどわが肉体が健やかなればやすらけき心

柿の実を食さんとする小鳥たち樹上に群がる寒風の中

朝の時間部屋を清めて汗をかきシャワーを浴びるひと時ぞ良し

体罰と愛の鞭の境は何なるか 憎悪の思ひがあるか無きかか

うからそろひ食事してゐる隣席にわれは一人でスパゲッティ食す

弱りたる母上と共に過ごす日々 神の助けを祈るのみなる

日出づる國の誇りを忘れ果て日没する国に媚を売る輩

臣下の如く幾度も頭を下げにつつ支那に媚態を示す政治家

合掌しみ佛をろがむ時にしも慈悲の光りは吾を包むか

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千駄木庵日乗一月二十八日

午前は、母のお世話。

午後も在宅して、母のお世話・原稿執筆・資料の整理など。

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2013年1月28日 (月)

「日本の心を学ぶ会」における瀬戸弘幸氏の講演内容及び参加者の発言内容

本日行われた「日本の心を学ぶ会」における瀬戸弘幸氏の講演内容は次の通り。

「公明党の山口代表は、『池田先生の精神を継承する』と言った。習近平と会えないと大変だというので公明党の本音が出た。彼らにとって池田は日蓮を超えている。この発言は、安倍氏の親書を携えて行った時の発言である。重要である。公明党が日中友好をやって来たのは池田の精神という事である。野党がこの山口代表の発言を追及するかどうか。創価学会第三代会長の池田大作が公明党という組織を作ったのは政治権力を握り自分の思うがままの日本をつくろうとしたから。私は『政教分離を求める会』つくって良かったと思う。

安倍氏は、拉致問題で毅然たる態度を示した。帰国した拉致被害者をいったん北朝鮮に返すなどということはすべきではないと断固として主張した。米上院は昨年十一月二十九日の本会議で、中国が領有権を主張する沖縄県・尖閣諸島について、日本の施政権下にあることを認め、『(米国の対日防衛義務を定めた)日米安保条約第五条に基づく責任を再確認する』と宣言する条項を、審議中の二〇一三会計年度(一二年十月~十三年九月)国防権限法案に追加する修正案を全会一致で可決した。米政府も、尖閣諸島が日米安保条約の対象と明言しているが、公文書を含めて国防の大枠を決める重要法案に明文化されるのは初めて。支那を膨張させないというのがアメリカの世界戦略。支那への断固として姿勢を示した。

支那はこれにびっくりしてビビった。そして棚上げ論を言い出した。アメリカはイケイケ。支那を弱体化しようとしている。

アメリカは北朝鮮の核実験に対して強硬に出る。アメリカは先制攻撃する。それをやっても中国は出て来ないと分かっている。そういう事態になった時ために安倍晋三氏が日本の総理としてふさわしい。拉致被害者を取り戻し、中国を弱体化させるためには、安倍氏が日本の総理であることがふさわしい。

原発を止めたので、天然ガスに大変なお金がかかる。何処から天然ガスを輸入するのかという道筋を示さないと、日本が無くなるという問題を解決しなければならない。エネルギー危機にどう対処するのか」。

討論会で参加者から次のような意見が出された。

「安倍再登板を歓迎しない。民主党政権が出来たのは安倍に責任があった。これから半年の間に中国との激突が起こる。安倍は戦うことはできない。必ず倒れる。南京大虐殺記念館は当時の社会党の田辺誠が総評の金で作った。それが今日銃弾になって日本に返って来ている。以前の民族運動は『日教組反対、北方領土奪還』を言っていれば良かったが、今はそういう時代ではない。愛国とは何か悩んでいる。新しい形、考え方を確立しなければならない」。

「TPPは弱肉強食の野蛮な世界に戻すこと。日本は戦後軍事力を取り上げられた。今度は関税自主権を取り上げられようとしている。国益を基準に判断すべし。国防は最大の福祉。支那大陸が分裂し混乱した時が日本の平和」。

討論会で小生は次のような感想を持った。

「近隣国家との関係は、近隣の家との関係と同じ。近隣の家同士で土地の境界、ゴミの出し方、騒音などで殺人事件まで起こるのと同じように、近隣国家同士でも色々紛争が起こる。相手が支那や南北朝鮮のような無法国家であれば尚更。わが国は、朝鮮や支那に対して謝罪外交を繰り返してきた。学校でも、いじめられやすい子は、いじめっ子の標的になる。支那や朝鮮は、日本が謝罪を繰り返すことに快感を覚えているのではないか。

電車の中などで支那人が大声でしゃべっているのを見ると腹が立つ。支那でも同じように日本人への反感が高まっている状況であろう。これがひどくなると、支那人による日本人襲撃事件が多発するようになる可能性あり。そうなると日支関係は決定的に悪化する。日本人保護のために日本国軍派遣という事態にすらなりかねない。

創価学会は共産支那と深い友好関係があるとされている。しかし本当に友好関係なら、共産支那は創価学会の支那における布教活動即ち会員獲得運動を公認するはずである。しかし一切認めていない。創価学会の組織は香港にはあっても、上海・北京・広東にはない」。

           ○

なお、小生の講演内容はあらためて報告します。

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千駄木庵日乗一月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が司会。司会者が挨拶。国民儀礼の後、「愛国維新運動と安倍新政権」をテーマにして、参加者全員がスピーチ、討論。瀬戸弘幸氏が講演。少憩の後、小生が講演。松本創氏が閉会の辞。

帰宅後は、母のお世話。原稿執筆。

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2013年1月27日 (日)

鈴木邦男氏のインタビュー記事を読んで思う

今日資料の整理をしていたら、私の先輩である鈴木邦男氏のインタビュー記事が出て来た。『朝日新聞』昨年十一月二十二日掲載のもので、「天敵がいなくなった右」と題されている。

その中で鈴木邦男氏は、「石原慎太郎さんの主張は四十数年前とほとんど変っていない。今のように『軸』が右に大きく動いている状況下で、石原さんが多数派になることに対して違和感を覚える。石原さんの『強さ』は少数派に身をおいてこそ光る」と語っている。

私は石原氏の考え方・姿勢が多数派にはなっていないと思う。石原氏は絶対権力者ではないから、あの程度のことを言っても危険とは思っていない人が多いのではないだろうか。むしろ爽快感を抱いている人が多いと思う。私もその一人である。また今となっては石原氏が総理大臣になる可能性も低いと思う。ご本人も「武蔵坊弁慶になる」と言っている。

私が石原氏に危惧を覚えるのは、彼の國體観・天皇観である。真の尊皇精神即ち天皇へのかしこみの心があるのか、日本伝統信仰に対する深い理解があるのか、それが疑問なのだ。日本伝統精神に対する深い理解そして真の尊皇精神が欠如したナショナリズムは危険である。石原氏の問題点は実にここにある。そういえば、慎太郎氏にとっての九郎判官義経たる橋下大阪市長は、維新を標榜しているが、國體に関する思想は全く語っていない。真の維新とは、尊皇攘夷を基本理念とする変革である。橋下氏はそのことを正しく理解してもらいたい。

鈴木氏は「右翼的な主張をしている人は天敵がいなくなった動物みたい。増殖して生態系を破壊するのではないか心配」と論じている。「右翼的」という言葉の定義がまず問題である。右翼的=反共というのは誤りだ。それは鈴木氏自身よく知っていると思う。日本の右翼とは、維新即ち日本國體の眞姿顕現を目指す勢力である。そうした右翼にとって天敵は全くなくなってはいない。むしろ天敵が増殖している。皇室を誹謗し日本の伝統を破壊せんとする勢力は強大でありしたたかに蠢いている。

鈴木氏はさらに言う。「憲法を変えればすべてが良くなる、憲法さえ変えればすべてよくなるなんてことはあるはずない」と。これは理解できる。野村秋介氏は、「一粒の薬を呑めばすべての病気が良くなるということはあり得ないし、そういう考え方は危険だ」と言っていた。これは「共産革命が起ればすべてが良くなる」という考え方への批判であった。憲法も然りだ。『現行憲法』は日本を亡国に導いているから、一刻も早く無効を確認し、『帝国憲法』を復元せしめねばならない。しかし、そうすればすべてが良くなるわけではない。しかし、今よりは良い国になることは確かだし、亡国的危機から脱することは確かである。

鈴木氏は、「結局人間にとって大きいのは、何を教えられたかよりも、誰に教えられたかです。政治も本来そういうものだと思う」と言っている。思想も政治も教育もすべて人が根本である。人が変わらなければ良い思想も、良い教育も、良い政治も生まれない。だから道義と信仰が大切なのである。わが日本は、天皇を祭祀主と仰ぐと信仰共同体であり、道義国家である。日本國體の眞姿回復が最も大切なのである。

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千駄木庵日乗一月二十六日

午前は、母のお世話。母の具合があまり良くないので、デイサービスに行くのを中止した。母は今年九十三歳になる。安らかにそして苦しまずにできるだけ長生きしていただきたいと祈っている。父が長く病院で苦しんでいたので余計にそう思う。俳句の会や神社仏閣のお参りによく出かけていた頃の母に戻ってもらいたいというのは無理か…。

午後からは、在宅して、「大吼」の原稿執筆・脱稿・送付。

この後は、資料の整理など。

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2013年1月26日 (土)

『政治文化情報』平成25年2月号(平成25年1月20日発行)の内容

『政治文化情報』平成252月号(平成25120日発行)の内容は下記の通りです。見本誌希望の方はメールにてお申込み下さい。m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

〈皇都の一隅より〉

言靈の復活が世の乱れを正す大いなる方途である

日本人は神代以来、日本は「言靈」によって護られる國であると信じて来た

『柿本人麻呂歌集』の歌の言靈信仰

「やまと」とは

山上憶良の「好去好来の歌」の言靈信仰

大伴坂上郎女の歌の言靈信仰

大伴家持の歌の言靈信仰

今こそ、魂の籠った「やまと歌」が歌ひあげられなければならない

千駄木庵日乗

ランドール・シュライバー氏(プロジェクト2049研究所所長)「オバマがアジアに軸足を移したのは賛成。しかし中東で何か起こった時も変わらないのか心配」

渡邉允宮内庁参与(前侍従長)「両陛下のなさっていることは、報道されていることと、報道されていないことがあり、報道されていないことが圧倒的に多い。それを國民が知る事が出来ないことが心配」

猪瀬直樹東京都副知事「過去の歴史は戦争の歴史。黒船以来の百五十年は太平洋の覇権を誰が握るかの歴史だった」

ケイハーン・バルゼギャール氏(イラン中東戦略研究所長)「日本は優れたテクノロジーを持つ國。イランとアメリカの仲介の役割を果たしてもらいたい」

アリー・ビニアーズ氏(イラン政治國際問題研究所國際経済エネルギー研究グループ長)「アメリカもイランも寛容な國。攻撃などしない。イランの歴史を見よ」

宮田律氏(現代イスラム研究センター理事長)「イランとアメリカとの融和が緊急の課題。イランの側が譲歩すべきではないか」

この頃詠みし歌

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日本の政治家は支那に対してみっともない劣等感を抱いてはならない

山口那津男公明党代表は、支那にわが国の総理の親書を持って行ったのだ。総理の代理と言っても良い。しかるにさんざん待たされた挙句やっと実現した習近平との会談で、習近平は一度も頭を下げないのに、何回も頭を下げていた。まるで臣下のような態度であった。情けないかぎりだ。

「支那」の権力者は国家さへ私物化した。だから国民党は、「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「支那共産党」も同じである。支那共産党の権力掌握後、毛沢東は支那といふ國を私物化し多くの同志・国民を虐殺した。

日本人は「無私」を尊ぶ。「公」の体現者であられる天皇に自己を無にして仕へることが日本の道義精神の根本である。「無私」の心をもっとも体現しておられるお方が、祭り主・日本天皇であらせられる。なぜなら「まつり」とは、神に対して私を無くしてまつろひたてまつる行事であるからである。

一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に回帰する行事が日本伝統信仰の「祭祀」である。換言すれば、「祭祀」とは自己を無にして神に奉仕する(つかへまつる)ことである。そして祭祀によって神と人とが合一する。天皇はその最高の実行者であらせられる。

天皇の「祭祀」とそれに伴ふ「天皇の無私の大御心・神聖性」が日本國民の道義の規範なのである。天皇の祭祀を国民が「神習ふ」ことによって、世俗の穢れや罪を清め続けてきたのである。まさに日本民族は「本是神州清潔之民」なのである。

支那などの外国と比較して、日本くらい政治家・官僚の権力の私物化・権力を利用した私益の追求を嫌う国はない。

「明き淨き直き誠の心」こそ、わが國の道義心の根本である。天皇は現御神として天の神の御心を地上で実現されるお方であり道義精神の最高の実践者であらせられる。

かく考へてくると、日本は、古代以来の祭祀が今も生きていることが何よりも貴いことであり、誇るべきことである。「支那」および「支那文化」に対してみっともない劣等感を抱いてはならない。わが国はこれまで、「支那」の属国となることはなかった。今後の日本もそうであらねばならない。

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千駄木庵日乗一月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時半より、平河町にて同志と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2013年1月25日 (金)

但野正弘氏の「継承された水戸の心 十五代将軍・徳川慶喜」題する講演内容・その二

慶応三年(一八六七)十月十四日、慶喜は『大政奉還の上表』を奉呈。翌十五日聴許。十一月五日付の紀伊藩主徳川茂承(もちつぐ)は『手書き』に、『近年草莽不逞之徒、…討幕之企(くわだて)相唱候ニ至リ…嗚呼、歳寒シテ松柏ノ後凋ヲ知ル。誰カ幕府ト君臣之大義ヲ明ニシ、寧、忘恩之王臣タランヨリ、全義之陪臣トナリ、…』と書いた。

水戸第十代藩主・徳川慶篤は次のように書いた。(月日不明)『近年草莽不逞之徒、恐多クモ勤王討幕之邪説相唱、…其動乱ニ乗ジ大権ヲ奪候奸謀黠計モ難計儀、…弊藩ノ儀ハ、奥羽之諸藩ヘモ地勢連接致候間、万一上國ニテ騒乱ヲ生候議有之候ハゝ、唇歯之勢ニテ相援合、幕府ヲ輔翼可致は申迄モ無之、…』。義公以来の家訓を否定。紀伊の意見を水戸十代藩主・徳川慶篤がまともに受けて行動したら水戸の心は消えてしまい、父・斉昭の精神は伝えられなくなる。徳川慶篤の教育係は諸生派であった。

将軍ではなくった徳川慶喜には旧幕府軍に対する命令権はない。鳥羽伏見には行っていない。風邪をひいて大阪城で寝ていた。松平容保・定敬兄弟を連れて大阪を脱出。容保は慶喜に騙された形になった。

慶喜は、慶應四年一月十二日、江戸城に帰着。将軍として江戸城に入らなかったのは慶喜のみ。一月某日、フランス公使ロセス(ロッシュ)は、慶喜に再挙を勧告した。それに対し慶喜は『厚意謝するに余りあれども、日本の國體は他国に異なり、たとえいかなる事情ありとも、天子に向いて弓ひくことあるべからず、祖先に対しては申し訳なき次第に似たれども、予は死すとも天子には反抗せず』(『昔夢会筆記―仏國公使再挙を進め申せし事』)と断言した。

慶喜は同年二月十二日、東叡山寛永寺大慈院に謹慎した。その時の心情は、『若し戦結びて解けざらば、支那・インドの覆轍を踏みて、皇国は瓦解し、万民は塗炭に陥らん、これ実に忍びざる所なり』(『徳川慶喜公伝』)であった。国内において英仏代理戦争が起こり、どちらが勝っても日本は植民地になっていたであろう。同年四月十一日、慶喜は水戸に向う。新門辰五郎がお供した。

徳富蘇峰は、『徳川慶喜に百の欠点があったとするも、この一点(注・大政奉還及び再挙しなかったこと)に於て、特筆大書せらるべき一人であったと云はねばならぬ。彼は家康の血統を傳ふるも、寧ろ義公の遠孫、烈公の子として、永く記憶せらる可き一人と云はねばならぬ。惟ふに何人が出で来るも、徳川慶喜の大政返上以外の決断は出で来る可きものでは無い』と論じた。

明治三十四年頃、有栖川宮邸でスペイン国王族の饗応が行われた際、伊藤博文が徳川慶喜に『維新の初に公が尊王の大義を重んぜられしは、如何なる動機に出で給ひしか』と質問したら、慶喜は『唯庭訓を守りしに過ぎず、御承知の如く、水戸は義公以来尊王の大義に心を留めたれば、父なる人も同様の志にて、常々諭(さと)さるるやう…』と述べた(『徳川慶喜公伝』)。

徳川慶喜は、引退した後外国に行って余計なことを喋り捲っている元総理とは全く違う。水戸の『尊皇の大義』は、義公によって確立され、會澤正志斎・藤田幽谷・藤田東湖によって学問的に高められ大系化された。藤田東湖は『回天詩』において「苟(いやし)くも大義を明らかにし人心を正さば、皇道奚(なん)ぞ興起せざるを患(うれ)へん。斯(こ)の心奮發して神明に誓ふ、古人云ふ、斃れて後已むと」詠んだ。徳川慶喜は、水戸の心を根本に据えて外国勢力の介入を排除して日本の危機を救った」。

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但野正弘氏の「継承された水戸の心 十五代将軍・徳川慶喜」題する講演内容・その一

一月十九日に行われた『第五回先哲に学ぶ会』における但野正弘氏(水戸学会理事)の「継承された水戸の心 十五代将軍・徳川慶喜」題する講演の内容は次の通り。

「本日付で、靖國神社第十一代宮司に徳川康久氏が就任した。徳川氏の祖父・德川誠氏は徳川慶喜の九男であり、德川康久氏は慶喜の曾孫。徳川慶喜は、天保八年(一八三七)に徳川斉昭の七男として小石川の水戸藩邸に生まれた。母は、斉昭の正夫人・登美宮吉子(有栖川宮家)。諡(おくりな)は贈られていない。水戸の人は慶喜公(けいきこう)と呼ぶことによって敬意を表した。斉昭の長男・鶴千代は十代藩主。

慶喜は質実剛健に育つように数え二歳の時に江戸水戸藩邸から水戸城内に送られて育つ。父・斉昭は慶喜を評して、『天晴名将とならん。されどよくせずば手に余るべし』と言った。幼少の頃より一般の武家の子と同じような着物を着て、素足で、ひび・あかぎれが大変だった。五歳になり、他の兄弟と一緒に三の丸に作られた弘道館に通う。

弘化四年(一八四七)御三卿一橋家の八代・昌丸が二歳で死去したので、阿部正弘から斉昭に対し、慶喜を一橋家の養子にと懇望された。同年八月に慶喜は十一歳で一橋家を相続。江戸へ出た。安政三年(一八五六)父・斉昭より『我等は三家・三卿の一つとして、幕府を輔翼すべきは今さらいうにも及ばざることながら、もし一朝事起りて、朝廷と幕府と弓矢に及ばるるがごときことあらんか。我等はたとえ幕府には反(そむ)くとも、朝廷に向かいて弓を引くことあるべからず。これ義公(水戸光圀卿)以来の家訓なり』と訓育された。

文久時代に世の中が少し変わる。島津久光が大きな力を持つ。久光は、大原重徳(しげとみ)に従って江戸に来て幕政改革を要求。慶喜は、文久二年(一八六二)七月、将軍後見職に就任。元治元年(一八六四)三月、朝廷から禁裏御守衛総督・摂海防禦指揮に任じられた。

その二日後に筑波山挙兵が起った。これは諸生党と天狗党との水戸藩内部紛争。天狗党は水戸藩領北部の大子村(茨城県大子町)に集結、京都に向かって行軍する。天狗党が京都に向っているという風聞から、禁裏御守衛総督の任にある慶喜はこれを抑えるために出陣。慶喜から天狗党に降伏命令が出された。天狗党は、加賀藩の人を仲介として降伏した。田沼意尊は天狗党の人を越前敦賀の鰊倉(鰊粕の貯蔵施設)放り込み、三百五十二名の首をはねた。徳川慶喜は、天狗党を見殺しにしたとの批難を浴びた。しかし、慶喜は天狗党が降伏した後の処分は任されていなかった。立場上の難しさがある。

慶應二年(一八六六)七月、十四代将軍・家茂(いえもち)が逝去。同年八月、慶喜は德川宗家を相続、十二月に第十五代将軍に就任。慶喜は後に『余が政権奉還の志を有せしは、実にこの頃(注・将軍就任の頃)にて、東照公は日本国のために幕府を開きて将軍職に就かれたるが、予は日本国のために幕府を葬るの任に当るべしと覚悟を定めたるなり』と言った。(『昔夢会筆記』―「将軍職を襲ぎ給いし事」)

慶喜は慶應二年十二月から同三年五、六月にかけて各種改革を実行。この改革を見た木戸孝允は、『今や関東の政令は一新し、兵馬の制亦頗る見るべきものあり。一橋の胆略決して侮るべからず、若し今にして朝政挽回の気を失ひ、幕府に先を制せらるゝことあらば、実に家康の再来を見るが如けん』と評した。慶喜は大政奉還の覚悟の上であったが、やれるところまではやってみたいと思った。

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千駄木庵日乗一月二十四日

午前は、母のお世話。

午後三時より、永田町の村上正邦事務所にて、『日本の司法を正す会』開催。青木理氏が挨拶。村上正邦氏がスピーチ。清武英利氏(元読売巨人軍球団代表)、中根英章氏(七つ森書館代表)が講演。質疑応答。大変興味深いお話であった。講演者からも出席者からも渡邉恒雄氏への厳しい批判が展開された。読売というのは正力松太郎氏以来、ワンマン経営であり、しかも権力との癒着が露骨な新聞である。読売は自民党機関紙、朝日は民主党左派・社共機関紙、産経は自民党右派機関紙、日経は財界機関紙という色分けが可能である。

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講演する清武・中根両氏と司会の青木氏(右端)。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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2013年1月24日 (木)

国会議員会館について

平成二十二年七月十六日に書いた拙文です。昨日議員会館に行ってあらめて実感しましたので再掲載します。

国会議員会館の新築について

議員会館には、比較的よく行く方なのであるが、たしかにこれまでの会館の議員の部屋は狭かった。来客の多い議員の場合、お客が立て込んでくると、部屋があふれかえって廊下で待つような状態になることもあった。また建物も古くなっていた。

ということで建て替えたのだが、今度は豪華絢爛たる建物になっている。マスコミは『贅沢過ぎる』という批判をしていたが、出来あがってからそんなことを言っても遅い。もっと早くからどういう建物を建てるのか報道すべきであった。

議員会館は、議員たちがお金を出し合って建てるのではない。国家予算で建てるのである。建てる前に国民に対して詳しい説明をすべきである。それこそ適切な『情報開示』を行って、国民の了解を得るのが筋であろう。ところがそういうとは一切しない。衆参両院の議院運営委員会などで、決めてさっさと建ててしまった。

こういうことには、庶民の味方を標榜し何でも文句をつける公明党・社民党・共産党も反対しない。まことにおかしい。民主党は、どれほど有効なのかは知らないが、「仕分け」とか言って国家予算の無駄遣いとかを追及し削減させている。衆参両院及び議員自身の無駄遣いというか、支出についても厳しい仕分けをすべきではないのか。

今度議員会館に行ったときに、隅々まで調べようかとも思うが、『訪問する議員の部屋以外には行くな』というような張り紙があるのでそれもできないかもしれない。以前、自民党本部に何かの問題で抗議に行った帰りに、知り合いの議員の事務所を訪問したら、私が訪問を終えて出て来るまで、外で警備関係者が待っていた。

議員宿舎とか公務員宿舎とか言っているが、赤坂・麹町・番町・隼町など都心の一等地の豪華マンションである。とても『宿舎』などという代物ではない。三上卓先生の『昭和維新の歌』の一節「栄華を誇る塵の世に 誰が高楼の眺めぞや」を想起する。こんなことを書くと貧乏人のひがみ根性といわれるかもしれないが、敢えて書いた。

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自然の中に神の命を観るという信仰精神の回復を 

混迷する現代日本は、文字通り内憂外患交々来り崩壊の危機にある。麗しき日本の自然は破壊されつつあり、人間の命すら科学技術文明・機械文明によって蝕まれつつある。

こうした文字通り「亡國的状況」を打開するには、日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復しなければならない。 

日本国土の自然も實に美しい。山・川・海の景色は實にすばらしい。四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。しかし自然は、時に、一昨年の大地震のように、ものすごい猛威をふるい、人間に襲いかかって来る。そして人間の命を奪い、生活を破壊する。

日本における科学技術の進歩とその利用は目を見張るものがある。現代社会の快適な生活は、その科学技術によるものである。しかし大自然は、時としてその科学技術によって成り立つ人間の快適な生活をも一瞬にして破壊する。そして人間は、悲惨に状況に追い込まれる。

これだけ文明が発達し、科学技術が進歩した、その恩恵によって成り立っている現代人の生活は、自然の猛威によってもろくも破壊され、多くの人々が惨禍に喘ぐこととなる。科学技術が進歩しているが故になおさら惨禍がひどくなる。

われわれは、自然および科学技術文明との付き合い方を今一度深く考えなおすべきである。麗しき自然に恵まれつつも自然の脅威にさらされる日本民族、科学技術を巧みに使いこなして来た日本民族は、そういう使命を帯びていると思う。

戦後半世紀以上にわたって、物質至上主義・営利至上主義・快楽主義に汚染され続けてきた日本及び日本國民の頽廃を救うには、日本の傳統精神・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

我々國民が愛するべき國、尽くすべき國とは、単なる権力機構でもないし利益共同社会でもない。信仰と信頼と正義と愛と真心によって結ばれた精神的道義的共同體なのである。我々は正しき國家観に回帰し、日本國を道義國家として新生せしめねばならない。

そのためには、「現代に生きる神話」たる<天皇の祭祀>を根幹とした瑞穂の國日本の回復しかないのである。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあったのである。具體的に言えば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心、そして、農を大切にされる御心を、道義的倫理的規範として習い奉るということである。それが理想的な國家實現の基礎である。

権力國家としての側面のみになってしまっている國家の現状を改革し、天皇中心の信仰共同體としての「瑞穂の國日本」を回復せしめることが今日における國家変革即ち維新なのである。永遠の維新を繰り返す日本國は永遠に不滅である。上に祭祀主日本天皇がいますかぎりは、現代の危機を見事に乗り切ることができると確信する。

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千駄木庵日乗一月二十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、永田町の衆議院第二議員会館にて、西村真悟氏にインタビュー。『伝統と革新』誌次号掲載のためなり。

午後五時より、衆議院第二議員会館にて、『日本再生同志の会役員会』開催。中村信一郎氏が司会。小田村四郎会長が挨拶し、「衆院選の結果は良かった。西村先生の国会復帰は嬉しい。三宅博氏の当選も嬉しい。国会での鋭い質問を期待する」と語った。西村真悟衆院議員がスピーチし「国難対処のために頂いた議席をと思い、頑張る」と語った。全員で今後の活動・内外の諸情勢について討論。終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、原稿執筆・『伝統と革新』編集の仕事。

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2013年1月23日 (水)

明治第二維新運動とそれを継承した昭和維新運動について

わが國の近代は、ペリーの武力的恫喝によって始まった。それを考へずして、日本近代の戦ひと発展と祖国防衛・独立維持の歴史を弾劾するのは一方的であり自虐的である。

攘夷即ち西欧列強の武力侵略から祖国を守るためには、日本自らも武力を強化しなければならなかった。これを「攘夷のための開国」といふ。そして武力の強化とは、西欧列強の軍事力と西洋文明そのものをわが國に輸入せざるを得なかった。この大きな矛盾がその後のわが国史に光と影を与へた。

日本の西洋覇道精神・欧化路線即ち近代日本の「負の部分」に対する反省が、明治第二維新運動とそれを継承した昭和維新運動である。昭和維新運動とは日本傳統精神の復興による「近代の超克」を目指す運動であった。近代とは欧米的近代主義である。近代日本が猛烈に勢いで輸入した「欧米近代」なるものへの痛烈な反省である。それは、明治維新の真精神即ち神武創業の精神・日本の傳統信仰の復興であった。しかし、昭和維新は未完に終わった。

神への回帰こそが、近代日本において必要だったのである。近代の超克・西欧模倣からの脱却は、日本に神々への回帰、日本傳統信仰の復興によって行はれなければならなかった。大正末期から昭和初期にかけての皇道大本や昭和十年代の生長の家が、日本国民の神への回帰を促す運動であったと小生は理解してゐる。

大東亜戦争はアメリカの科学技術と物量に負けたといふ面は勿論ある。しかしそれと共に、日本自身の精神的頽廃=神の喪失・傳統精神隠蔽が大東亜戦争だけでなく近代日本の歴史に大きな影響を与へたことは事実である。

近代日本の矛盾の克服は、現代においても喫緊の課題である。近代の超克・西欧模倣からの脱却は今日においてこそ行はれなければならない。わが日本は、西洋覇道精神を清算し日本傳統精神を復興し日本の神々に回帰しなければならない。

西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神がある。天皇がその祭祀主であられ体現者であられる日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得ると信ずる。

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千駄木庵日乗一月二十二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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2013年1月22日 (火)

「平和」と「国民生活」を守るためには、戦う姿勢、戦える実力を持つことが大切だ

アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きた人質事件で、プラント大手「日揮」の日本人社員七人の方々の死亡を確認した。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げる。安倍総理は対策本部会議で、「何の罪もない人々が犠牲となり痛恨の極みだ。むこの市民を巻き込んだ卑劣なテロ行為は決して許されるものではなく、断固として非難する」と述べた。

「人の命は地球より重い」というのが日本国の考え方であるとされている。これはかつて福田赳夫総理(同時)が昭和五十二年に、「日本赤軍」によるダッカでの日航機ハイジャック事件の時に、「超法規的措置」と称して身代金600万ドルの支払い及び、日本で服役及び勾留中のテロリストなどの引き渡しを決断した時に述べた言葉である。

「人の命は地球より重い」と「超法規的措置」という二つの言葉は、その後色々な人が色々な場面で使うようになり、それは今日に及んでいる。いかにもいわゆる「平和憲法」を押し戴く「平和国家日本」ならではの「言葉」である。しかし、実際にテロ集団を攻撃にさらされている國では、「超法規的」にテロリストや侵略者を攻撃し殲滅することはあっても、「人の命は地球より重い」という言葉を使ってテロに屈服することはほとんどない。

この二つの言葉が通用する日本はそれだけ実際に平和な国なのだろう。私は、それを否定するつもりはさらさらない。しかし、「人の命は地球より重い」と言って、侵略やテロの屈服することが絶対的に正しいとは決して思わない。むしろ、そうしたことがより多くの「人の命」を失う原因となる。

今回のアルジェリア政府及び軍のやり方が正しかったかどうかは、私には分からない。しかし、日本国内の常識や感覚でアルジェリアを批判することはできないと思う。

「言葉」というのは実に大きな力を持っている。それだけに悪用されると大変なことになる。「友愛」などと言って、敵国を利する発言をした馬鹿政治家・鳩山由紀夫もいる。また、「国民の生活が第一」「コンクリートから人へ」などと言って国民を騙くらかして政権を取り、国家及び国民生活を危機に陥れた政党が民主党である。

今日、我が国は、北朝鮮と共産支那の侵略の危機にさらされている。何時までも「平和国家」「友愛」「人命尊重」などという甘い言葉の呪縛から脱することが出来ないでいると、「国家の独立と安全と平和」「国民の命と自由と繁栄」を侵略国家・テロリストに奪われることになる。「平和」と「国民生活」を守るためには、戦う姿勢、戦える実力を持つことが絶対に必要であると考える。

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千駄木庵日乗一月二十一日

午前は、母のお世話。

ある官庁からある重大な問題について一応の回答があった。納得できる回答ではなかったので、今後どう対処するか慎重に考えたいと思っている。重大な決意で臨まねばならない。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。執筆依頼など。

午後四時より、母の介護についてケアマネージャーなど関係者の方たちと打ち合わせ。介護に関し提出しなければならない書類が非常に多い。

この後も、『伝統と革新』編集の仕事。

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2013年1月21日 (月)

長谷川煕氏(ジャーナリスト)の講演内容

一月十五日に行われた『一水会フォーラム』における長谷川煕氏(「アエラ」スタッフライター。ジャーナリスト)による「安倍政権と我が国の戦略的方向を問う」と題する講演内容

「従軍慰安婦の強制連行は真実なのか、真実ではないのか。真実だと証拠づける文書はない。『朝日新聞』の捏造、でっち上げという事ではなく、嘘を言うことを商売にしている戦争体験者の話に乗せられ記者が書いたことから、この問題が発生した。

一九三六年に学校を出て、朝日に入社。一九八八年に定年後も『アエラ』に執筆している。従軍慰安婦強制連行問題の真偽について取材して、私も徹底的に調べて書こうと提案してきている。しかし現在まで書いていない。弁解しようとは思わない。私は重大なこととして根本的にこの問題を解決しなければならないと思っている。

十五世紀にコロンブスが新大陸に到達してから後六百年は、白人・西洋人による世界支配の歴史。多数の地域と民族が、西洋の支配によって苦しめられてきた。オーストラリアにおいては、メラネシア系原住民アポリジニは狩猟の対象にされた。イギリスという島でキツネ狩りをして楽しんだように、キツネのいないオーストラリア・ニュージーランドでは先住民狩りの遊びをした。

日本は孤独な国である。国内で外国崇拝の再生産を永久回転のようにやっている。安倍政権の誕生は重大。その事を安倍氏は認識しているのか。西洋から相手にされず、嫌われ、警戒されている孤独を克服する新しい日本を作りたいという気持ちがあるようには思えない。

日米同盟を強化しようとしている。それが方便であるとしたら、安倍氏はいい意味で良い意味でとんでもない人。そうでないとしたら茶番。安倍氏の『新しい日本を作り出したい』という言葉は疑いたくない。安倍政権を警戒しているのは中国ではない。アメリカである。子飼いの犬に魂が出来たという分析。安倍政権の誕生は世界史的事件。

私事にわたり恐縮だが、私の父は頭山満と親しくしていた。頭山満は包容力と深さのある人だったと思う。私は頭山氏の書いた額を見て育った。北一輝と頭山満とは全く違うと思う。西洋の学問で身を立てようと思わない人がいて、政界に影響力を持っていたことは事実。そういう人はあの戦争を境に否定的に目で見られるようになった。『西洋化=日本の発展なのか。西洋の科学技術・学問を学ぶのは大事だが猿真似は良くない』という自問自答があり、夏目漱石はずっとその事を考えていた。それが日本の近代の底流にずっと続いてきたが、戦後はそれが消えてしまった。終戦によって悪い意味の完璧な明治維新が行われた。頭山さんのような方々は再生産されなくなった。

今、凄く流行っているTTPは、諸外国の外圧に屈服するのではなく、日本が積極的に率先して主張して、日本が積極的に主張すべし。私はTTPに賛成。金融政策・日銀問題・アベノミックス。軽いデフレの方が日本の社会を強くしていくと思っている。日本経済が委縮しているのは事実。日本経済はこのままだとドンドンしぼんでいく。それを突破していくためにTTPは無くてはならないもの。TTPに参加することによって日本は二回りくらい大きな国になる。

終戦直後、米軍のジープを見てこんなにかっこいい車があるのかと思った。銀座で、一台に十個ものタイヤがついている米軍のトラックが疾走しているのを見て凄い国だと思った。廃墟になっていた東京駅の前で米兵がサンドウィッチを食べながら立ち話をしていた。パンの大きさと具の多さを見て呆然とした。私の家からそう遠くないところに巣鴨プリズンがあった。その周りを私はしょっちゅうグルグル回っていた。母と姉と一緒に東京裁判の法廷を見た。

学校の教員が、民主主義がどうだとか、英語で妙な事を言い出した。そして教員が生き生きとしているのを変に思った。中学の校長がその頃無かった自動車に乗って出かけて行くのを全校生徒が見送った。選ばれてアメリカに行ったのだった。その校長は、戦中は『米英撃滅』と言っていたという。帰国後、『アメリカはテープレコーダーを作ることができる素晴らしい国だ』と言った。しかしすでにその頃、ソニーの前身の会社がテープレコーダーを作っていた。私は感覚的に変だと思い校長のアメリカ礼賛を批判した。卒業の時の『校長面談』で、校長は『君は僕のお土産にケチをつけたそうだな』と言った。私は、『テープレコーダーは日本でも既に出来ていますよ。何で見送らなければならなかったのですか』と言った。大いに怒られた。

グローバリゼーションとローカリゼーションは矛盾しない。私は道州制には反対。ローカリゼーションは昔の三百藩。長い年月の経緯の中で、国境は無くなっていく。少なくとも経済国境は無くなっていく。TPPはそれに向けての大きな動き。色々に利害が衝突しているのは事実。利害を譲ったり認めたりしながら、TPPを実現しようとしている。農協の金融と保険にメスが入る可能性あり、革製品・食肉産業に関税ゼロを要求してきた場合、日本は困ると思う。この事の解決が見えなかったらTPPはパーになる。関税がゼロになり、安い革製品が入ってきたら日本の製造現場はやっていけなくなる。ただの騒ぎではないと思う。

『朝顔につるべとられてもらい水』という加賀千代女(かがのちよじょ)の有名な俳句がある。これは外国にはない素晴らしい倫理観。こういうそういう生き物を憐れむ心、慈しむ心、感覚が日本では続いてきた。日本は極端に暑くも寒くもなく、四季がきちんと巡って来る。水に洗われている。独特の自然条件の中で育まれている価値観がある。私の小さなころには『月見』の習慣があった。月を愛でつつ食べたり話したりして宇宙と一体になっている。自然を壊さない。生き物をいじめない感覚。キツネ狩りをする伝統の国とは基本が違うと思う。

安倍晋三はエイリアンでも変人でもない。奇矯な振る舞いは無い。正常な人物。日本の比較的多数に支持されている。日本の精神が自立に向けて歩き出している。マイケルグリーン(アメリカの政治学者)はついこの間『自分が日本語を学んで失敗した。中国語をやっていれば良かった』と平然と日本人に対して言った。それが彼の浅はかさ。マイケルグリーンは今現在態度を変えたのではないか。自分が日本語の使い手であることを肯定しているのではないか。

北朝鮮が生きていられるのは、中国が食糧やエネルギーを与えているから。そうでなければとっくに崩壊している。

拉致は反日日本人が拉致に協力したと思う。不法侵入した朝鮮人、在日朝鮮人だけでは拉致は実行できないと思う。私は新聞記者の駆け出し時代に新潟にいた。新潟市内を相当取材した。どういう形で拉致被害者が船に詰め込まれたのか分からない。歴史の闇」。

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千駄木庵日乗一月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、親族と北区にある四宮家の菩提寺に赴き、ご先祖の墓所を掃苔。午後二時より、本堂にて亡き父の一周忌法要執行。ご住職が導師となり、読経・焼香・光明真言奉唱を行い、冥福を祈った。

夕刻、千駄木に戻り、親族と会食。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年1月20日 (日)

仏教の受容と日本民族の強靭性

 『日本書紀』によると、わが国への仏教公式的の伝来は、欽明天皇十三年(五五二)とされ、百済の聖明王が、欽明天皇に釈迦仏像や経典を献じたと記されている。しかし、別の資料ではそれは欽明天皇七年(西暦五三八)のことだったとされている。

 『日本書紀』によると、この時欽明天皇は、仏像の美しさに驚嘆され次のように仰せになったと伝えられる。「西蕃(にしのくに)の献((たてまつ)れる仏の相貌瑞厳(みかおきらきら)し、全(もは)ら未だ曾て看ず」。

 ここで注意すべきことは、『日本書紀』において日本の仏教を伝えた支那や朝鮮を「西蕃」と表現していることである。欽明天皇が仏教を採用するかどうかを郡臣に諮問した際に、仏教受容を支持した蘇我稲目(蘇我氏は、仏教を日本に伝えた百済系の渡来人といわれている)は、「西蕃諸国、一に皆之を礼(いやま)ふ。豊秋日本(とよあきつやまと)、豈に独り背かむや」と答えた。

 先進文明や文物を伝えてくれた相手の国を、「西の蕃人(西方の未開人というほどの意)の国」などと書いているのである。日本が支那の中華思想を受け容れさらに自己のものとして、中華思想の本家本元(支那・朝鮮)を「蕃人」と見なしているのである。日本の独立性・自主性の高らかな誇示であり、支那から多くの文化・文明を輸入していた『日本書紀』編纂当時にあっても、日本人は支那への属国意識を持ってなかったことの証拠である。ここが支那と朝鮮の関係との大きな違いである。

 外国文明の輸入に熱心であり、渡来諸氏族を背景にしたいわゆる国際派の蘇我氏ですら支那・朝鮮を「西蕃」と言っている。そして仏教に対しても蘇我稲目は、「外国も拝んでいるから日本も拝んだらよいだろう」と言った程度で、深い宗教的自覚に基づいて仏教を受け容れるべきだと主張しているわけではない。宗教を何か流行物と同じように考えている。

 また仏教輸入に反対した物部尾輿と中臣鎌子にしても、「わが国家(みかど)、天の下に王(きみ)とましますは、恒(つね)に天地社稷の百八十神を以て、春夏秋冬に祭り拝(いわいおが)むことを、事(わざ)と為す。方(まさ)に今、改めて、蕃神(となりのくにのかみ)を拝むこと、恐らくは国神(くにつかみ)の怒を致したまはむことを」(日本書紀)と主張して反対した。

 この奉答も、日本国の自主性と純粋性を保たんとする国粋的立場から、「外国の神を拝むと日本の国土の神が怒る」と言っているのみである。

 本居宣長は日本人が崇める「神」を、「尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳がありて、可畏(かしこ)きもの」と定義している。欽明天皇の御代に外国から到来した仏像こそ、まさにそうした外来の「神」であった。だからこそ、『日本書紀』は「仏」とは書かず「蕃神」と書いたのである。

 「蕃神」と名付けられた「仏」も、日本人にとっては「神」なのだから固有信仰の「神」とそう矛盾するものではなかった。『日本書紀』に言うところの「異国の蕃神」も、世の常にない徳と力があるのだから崇拝してもいいではないかというのが日本人の基本的な態度であった。日本人にとって仏とは八百万の神が一神増えたという感覚であったと思われる。

 こうした日本人の態度をいい加減でルーズな態度と批判する意見もある。しかし、日本人は決してルーズではない。むしろ潔癖な民族である。ただ日本人は実生活の中に実に強靱な同一の信仰精神を持っていたので、それが外来の宗教を包容し摂取してしまったということなのである。

 こうした排他性が希薄で、融通無礙・包容力旺盛な態度が、宗教のみならず多くの外来文化文明を自由に受け容れ、自己のものとし、さらに発展させるという、強靱な日本文化の基盤なのである。

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千駄木庵日乗一月十九日

朝は、母のお世話。デイサービスに赴く母を見送る。

午後二時より、靖国神社境内の啓照館にて、『第五回先哲に学ぶ会』開催。但野正弘氏(水戸学会理事)が。「継承された水戸の心」と題する連続講義の最終回として「十五代将軍・徳川慶喜」と対して講演。質疑応答。連続講義の総括のお話もあり大変勉強になった。

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講演する但野正弘氏

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会場前にある「國技」と刻まれた石碑。頭山満氏書。

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雪が消え残る靖国神社の庭園

帰宅後は、書状執筆・原稿執筆など。

今日は重要な会合が三つ重なってしまいました。二つの会合には行くことができず、誠に残念でした。

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2013年1月19日 (土)

鳩山由紀夫を糾弾する

鳩山由紀夫は、「友愛」の精神を強調し、外交においても生かしていきたいとしている。「友愛精神」は表面的には美しい言葉であり甘い言葉である。しかし、鳩山由紀夫は、祖國日本の尊厳性と独立と平和と國益に関はる外交問題において、共産支那や南北朝鮮などに対して理不尽な譲歩、土下座外交・売國外交を行う口實に「友愛」という言葉を用いている。今回の支那訪問においてそれが立証された。

鳩山総理は「日米対等外交」「対米自立」を主張している。これも表面的には美しい言葉である。しかし、「外交とは華麗に礼装した軍事である」という言葉がある。二國間の「対等な関係」を確立するには、まず以て、軍事的に対等な関係を確立されなければならない。それが冷厳な現實である。軍事面で「対米自立」「日米対等」を實現するには、日本は核武装するしかない。鳩山はその覚悟はあるのか。その覚悟がなくして、「対米自立」「日米対等」などと言うのは無責任である。共産支那や北朝鮮からの侵略や軍事的恫喝を防ぐためにも、日本は自主国防体制を確立すべきである。

鳩山由紀夫は「東アジア共同體」なるものを目指すと言っている。共産支那は、一党独裁の専制國家であり、アジア最大の軍事大國であり、侵略國家である。そのような國と、同じ通貨を使ひ、集団安全保障體制を構築する「共同體」を形成するなどというのは、わが國を支那の支配下に組み入れてしまうばかりでなく、支那のアジアにおける軍事的政治的覇権確立に協力することとなる。「東アジア共同體」云々する前に、共産支那に核兵器廃絶を強く要求すべきである。日本に対して核兵器を向け、わが国固有の領土を侵略せんとしているて國と共同體を形成できるわけがない。

鳩山由紀夫は最早過去の人である。政治生命を失っている。今更、鳩山の主張を批判する必要はないと思っていた。ところが、鳩山は何をとち狂ったか、支那を訪問して、「友愛」を口にして売国的言動を行った。そこで敢て以上のことを書いた次第である。

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千駄木庵日乗一月十八日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の発送準備、資料の整理など。

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2013年1月18日 (金)

鳩山由紀夫はどうしようもない馬鹿であり売国奴である

鳩山由紀夫という男はどうしようもない馬鹿だ。共産支那に行った鳩山由紀夫は、賈慶林との会談で、尖閣諸島に関し、「係争地である」との認識を示し、我が国政府が支那側の主張通り主権問題を「棚上げ」した上で、両国の協力関係を発展すべきだと主張した。

さらに鳩山は南京大虐殺記念館を視察し、「被害者像」なる物に手を触れ、「かわいそうなことをしてしまった」と語りかけて黙祷したうえ、記者団に「多くの南京の人々を苦しめた事実は素直に受け入れなければならない。大虐殺はなかったと言う方は、ここに来られてから話をされたらいい」と述べた。

尖閣はわが国固有の領土であり、支那との間に「棚上げ」しなければならない一切の領土問題は存在しない。係争地でもない。わが国の元総理が支那に行ってわが国領土を侵略せんとしている国を利する発言をしたのは許されない。

「南京大虐殺」などというのは、嘘八百であり支那の捏造である。その「記念館なるもの」に展示されている資料も捏造である。その「記念館なるもの」を元総理が訪問し、「大虐殺」を肯定する発言をすることは文字通り「利敵行為」だ。

鳩山は、「日本列島は日本人だけのものではない」などと言った男である。鳩山はかつて自分のことを「愚かかもしれない」と言った。「かもしれない」どころではない。正真正銘の愚者即ち馬鹿なのである。否、「馬鹿」などという言葉では済まされない。祖国の領土と主権と尊厳性を敵性国家に売り渡さんとする国賊であり売国政治家である。

鳩山由紀夫が何時帰って来るのか知らないが、入国禁止にできないものだろうか。「在日宇宙人」は国外追放にすべきだ。

鳩山はかつて、「東支那海を友愛の海にしたい」と言った。そして今回の支那訪問でも「和平友愛」とかいう文句を揮毫した。鳩山が本当の東支那海を「友愛の海」とやらにしたいのなら、そして尖閣諸島を「係争地」と思っているのなら、鳩山は尖閣に住み、東支那海を「友愛の海」にし、尖閣を「係争地」でなくするべきだ。

しかし、鳩山が尖閣に住めば、支那は侵略して来ないのか?そんなことはあり得ない。侵略して来る。鳩山の事だから、「尖閣は日本人だけものではない」とか言って。五星紅旗を振って支那侵略軍を歓迎するであろう。ともかく、売国政治家とは鳩山由紀夫の事である。否、彼に「政治家」などという言葉を使いたくない。鳩山由紀夫は売国奴である。

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2013年1月17日 (木)

千駄木庵日乗一月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時より、西荻のたちばな出版にて、『伝統と革新』誌次号の編集会議。終了後出席者と懇談。談論風発。

帰宅後は、書状作成など。

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一神教特にキリスト教について

カトリック教会には必ずキリストの磔像がある。磔像は、芸術的美しさあるいは宗教的荘厳さはあるといえども、有り体に言えば他人に殺された人の死体である。これを礼拝の対象にするというのは日本人の感覚ではとても考えられない。日本伝統信仰が鏡を御神体として拝む清々しさとは全く異なる信仰精神である。仏教も涅槃像と言って釈尊の死体を拝む。しかしこの場合は老衰で亡くなった時の姿であって、磔という残虐な処刑方法で殺された姿ではない。キリスト教というか一神教の異質さを実感する。この像を拝む人々は、人類の罪を背負って殺されたというイエスへの崇敬の念を抱くと共に、殺した人々への怒り・恨み・報復の念を持つのではあるまいか。

 事実、イエスを死地に老いやったとされるユダに対するキリスト教徒の呪咀はすさまじい。キリスト教徒ではなくとも、「ユダ」という名前は裏切り者の代名詞として使っている。言語学的に見て、ユダ(Judaios)の名はユダヤ人全体を意味する。ユダは憎むべきユダヤ人の典型であると見られたのである。

 そして、キリスト教国で反ユダヤ感情の無いところは無いと言われている。特に社会的不満が鬱積すると反ユダヤ感情が激化する。新約聖書の『ヨハネ伝』では、イエス・キリストはユダヤ人に、「汝ら(ユダヤ人)は己(おの)が父悪魔より出(い)でて、己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初(はじめ)より人殺しなり、また眞(まこと)その中になき故に眞立たず、彼は虚偽(いつはり)を語る毎(ごと)に己より語る、彼は虚偽者(いつはりもの)にして虚偽の父なればなり」(第八章)と述べ、ユダヤ人は「悪魔の子」「人殺し」「嘘つき」であるとしている。新約聖書はユダヤ人を敵視しており、新約聖書は反ユダヤ思想の最も基礎的にして最も影響力の強い文献であったといわれている。しかし、『新約聖書』を記したのはユダヤ人自身なのである。

 ただし、一九六三年六月三日、ローマ法王・ヨハネ二十三世はキリスト教徒のユダヤ迫害の許しを乞う祈りをした。

 旧約聖書『創世記』によると、キリスト教の母体であるユダヤ教の神・エホバと、イスラエルの民の祖でありユダヤ教、キリスト教、イスラム教で模範的篤信者として崇められているアブラハムとが契約を結ぶ。これが「旧約聖書」の「旧約」である。その契約の儀式では、三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山鳩と、家鳩のひなを神の前に連れて来て、鳥以外の獣を二つに裂き、裂いたものを互いに向かい合わせて置いた。これは契約を破ると身を二つに切り裂くぞという意味が込められているという。そして、その後も長い間エルサレムのユダヤ教の神殿において祭司たちが年々動物を裂き、その血を流して民の罪を贖なった。

 キリスト教もイエス・キリストが生けにえとなりその血によって人類の罪を赦してもらうというのである。新約聖書『マタイ伝』によると、イエスは最後の晩餐の時、「…あなた方のために流す私の血で立てられる新しい契約である」と語った。『最後の晩餐』においてキリストが弟子たちにパンと葡萄酒を分け与えるというのは、アブラハムが動物の肉と血を神に捧げたことの再現であるという。聖書に『旧約』と『新約』とがあるのはここから来ている。

 だから、イエス・キリストは、「世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ伝一章二九節)といわれるのである。また人類の始祖とされるアダムとイブの子であるカインはエホバに農作物を捧げたが、エホバは血のない捧げものであったので拒否した。砂漠で生まれた宗教たるユダヤ教・キリスト教の神は「血を流すことなしには罪の許しはありえない」(ヘブル人への手紙)とするのである。ともかくユダヤ教・キリスト教の罪の赦しでは、人間や動物の血が流されなければならないという信仰精神なのである。

 神と人間が契約を結ばなければならないというのは、神と人間とが絶対的他者であるということである。日本伝統信仰は、日本の神と人と自然とは相対立し隔絶した関係ではなく、一体の存在である。まして神の怒りを解き、罪を許してもらい、神の報復を防ぐために、人間や動物を生けにえとして捧げるなどということもない。今年の豊作を感謝し来年の豊饒を祈念して農作物などを神に捧げ、お祭りをし、直会においてそれを神と共に食し、神と人とが合一するというのが、日本の伝統信仰である。

 神の怒りを解き、罪を許してもらうために人や動物の肉や血を捧げるという残虐な信仰精神は日本伝統信仰にはないのである。これが、キリスト教と日本伝統信仰の決定的な違いである。『祭り』と『契約』の違いが日本神道と一神教違いと言っていいだろう。

 だから、日本民族は異質な信仰としてユダヤ教・キリスト教・回教という一神教を受け容れることはなかったのである。日本人のクリスチャンは人口一億二千万に中にわずか十五万人である。

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千駄木庵日乗一月十六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の発送準備など。

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2013年1月16日 (水)

千駄木庵日乗一月十五日

午前は、ある官庁にある問題について問い合わせ。この後、母のお世話。訪問介護の方と共なり。 

午後は、『政治文化情報』発送準備。 

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。長谷川煕氏(「アエラ」スタッフライター。ジャーナリスト)が、「安倍政権と我が国の戦略的方向を問う」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。内容は後日報告します。

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帰宅後は、明日のスピーチの準備そして『伝統と革新』編集会議の準備。 

長谷川煕氏

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「人生意気に感じては 成否を誰かあげつらふ」

「言挙(ことあげ)せぬ国」という言葉があるように、日本にはあまりべらべら喋りまくって自己主張をすることを良しとしない考え方がある。「言挙げ」とは、「ことわり(理論・理屈)をあげつらう」という事であり、「言挙せぬ」とは「理屈」「論理」を弄んだり振り回したりしないということである。だから日本人は、理論体系を作り出すことはしなかった。日本伝統信仰においては、一神教そして仏教の一部のように、特定の教義を絶対のものとしてこれを信奉し、これに反するものを排撃するということをしない。

日本人は、人としての自然な情感・感性・驚きというものは大切にするが、そうしたものから遊離した超越的な『論理』『原理』と称するものを設定しない。なぜなら超越的な『論理』『原理』と称するものは、人が造ったものであり、嘘や独善と隣合わせであると直感するからである。 

土井晩翆氏作詩の『星落秋風五丈原』に「嗚呼鳳遂に衰へて/今に楚狂の歌もあれ/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあり、三上卓氏作詩の『昭和維新青年日本の歌』には「功名何ぞ夢の跡/消えざるものはただ誠/人生意気に感じては/成否を誰かあげつらふ」とあるように、日本人は物事を「あげつらふ」ことを嫌った。

「あげつらふ」とは、物事の善し悪しについて意見を言い合うことであり、欠点・短所などを殊更に言い立てることである。それは人生や宇宙そして自然そのものを歪曲する危険がある。論理とか教義(イデオロギー)というものは宇宙や人生や世界や歴史に対する一つの解釈であり絶対のものではないのである。

私もこうしていろいろ書いていますが悪い意味の「言挙げ」即ち「あげつらひ」になっているのではないかと反省しなれければなりません。

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2013年1月15日 (火)

『東京財団フォーラム・新政権への期待』における登壇者の発言

『東京財団フォーラム・新政権への期待』における登壇者の印象に残った発言は次の通り。登壇者多数のため、氏名はメモ出来ませんでした.

「日本は囲碁をやっていないのではないか。将棋だけをやっているのではないか。経済力が強くないと米韓中は日本を大切にしない。一級国家とは、軍事力・経済力が強く、明確なビジョンを持っている國。アメリカはオバマ政権がアジア回帰政策を打ち出した。中国封じ込めではない。中国との経済関係は重要。中国は地域のルールを守ってもらいたい。それを中国に言うべし。アメリカのマイノリティに韓国系、中国系が多い。歴史問題でアメリカのそういう人々の反発を受ける可能性あり。東京財団はインドとの対話を去年から始めている。囲碁をやるようなグローバルな視点が大切。防衛力が大事。『防衛計画大綱』の見直しも課題」。

「アメリカの人口増加率は、白人は一%、非白人は三〇%。総人口増加分に占める割合は、非白人が九二%、ヒスパニックが五六%。マイノリティ人口の中でもヒスパニックの人口増加が著しい。二〇六〇年には白人は一億七九〇〇人、非白人は二億四一〇〇人になる。ロムニーは、不法移民の子供に市民権を与える法案に反対し、同棲婚を認めないと言うと、共和党に不利な状況を生んだ」。

「日本は、対外軍事援助を有機的にとらえていない。日本の国際援助は、二〇一二年に大きな節目を迎える。国連PKOへの自衛隊派遣は、国民の八〇%が支持しているのに出せない。二〇年前に作られたPKO法にどう対処するのか。日本は金ズルと思われてきたが、日本にはお金が無くなってきている」。

「昨年は日中国交回復四十年だったが、九月の反日デモで潮目が変わって、四十周年の雰囲気ではなくなった。今回は長期化する。尖閣は主権に関わる本質的な問題。今年三月、全人代がある。その後色々話が出来る。日中韓サミットで話ができるかもしれない。しかし、七月の参院選後に中国は動く。政治と経済をどう分けるかが問題。日本は中国と対峙するという勇ましい論議だけでは危険。中国の指導者・一般庶民、そして第三者が日本をどう見といるのかを知らねばならない」。

「再生エネルギーの開発、火力発電拡充が、各党政策の共通点。エネルギーの多元化はできない。電力の発送電体制が多元化に即していない。東西分離、九社体制では出来ない。日本の発送電体制をどう変えて行くかが問題」。

「開かれた経済活動において土地問題を考えたい。外資による森林買収や時代の変化に日本の土地制度が対応できていない。実態が分からないことへの不安が大きい。水資源の土地の売買は事前の届け出制にしたが、土地所有者への郵便物が四六%宛先不明で戻って来た。土地所有者の情報が不正確になっている。農地集約、災害復旧の足枷になってしまう。国土の保全のために制度改革が必要。道州制は参院選後から議論になる。地方分権とは自己決定するための財源を与えること。教育委員会の形骸化を問うべし」。

「安倍氏の二月訪米でTPPに入ると発言しても、アメリカ国内の手続きなどで日本が実際に入ることが出来るのは十月。『バスに乗り遅れるな』ではどうか。国際的枠組みに後から入るのは大変。日本はかつて国連加盟、ガット加入で嫌がらせを受けた」。

秋山昌廣東京財団理事長「インドはあと十年すると現在の中国の経済規模になる。軍事力の増強も目覚ましい。日本はインドを意識することは重要。イギリス、フランスとEUは実行部隊を備えている。日本との協力を打診してきている。安倍氏は財政・金融・マーケットが分かっていない。日銀に国債を任せると言ったのは心配。麻生は分かっている。財政の破綻を回避するプロセスを議論しなければならない時期に来ている。中国の知日派がいなくなっている。日本の大学に留学して勉強していた人々が退職し、欧米留学組が増え、コミュニケーションがとりにくくなっている。世界をもっと幅広く見て、影響力を強めるべし。平成検地を実行すべし。地籍調査は五十%しか確定していない。財政再建は大きな問題。民間にお金が余っている。個人がお金を使わないでじっとしている。これをどうやって使う方に持って行くかが問題。社会保障の合理化、お金をどう抑えるかを考えないと、二十年後の日本はもたない。ロシア問題をウォッチすべし。海洋安保から見た『防衛大綱』の見直しが必要。尖閣は重要。百年戦争。持久戦。解決にはかなり時間がかかり深刻。中国の内政との関係、国家統治機構との関係がある。農村の振興、・地域における公共投資の面で、国土の再構築への地域の取り組みが必要」。

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千駄木庵日乗一月十四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、資料整理、原稿執筆。

久しぶりに雪が降りました。次のような句を詠みました。

「純白の雪続く朝の街」

「白雪が窓にはりつき見えぬ街」

「買い物に行かねばならねど雪激し」

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2013年1月14日 (月)

大和心・大和魂の回復

 『萬葉集』に収められている大伴家持の長歌に、「海ゆかば 水づく屍 山ゆかば 草むす屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ」という句がある。

 大君の御為に自らの命を捧げることを最高の名誉とするというのが日本武士道精神なのである。この精神こそが大和魂であり、「朝日ににほふやまざくら」が潔く散っていく姿そのものなのである。

武士道精神は禅や儒教から生まれたのではないし、近世の武家社会から発したのでもない。いわんや近代日本において強制された観念でもない。古事記・萬葉の昔から継承されてきた精神である。大和魂・大和心は戦闘者の精神・武士の心・軍人精神・維新者の根幹となる心なのである。

内憂外患交々来たるといった状況にある今日こそ、大和心・大和魂を回復することが求められている。日本は今日、中華帝國主義、南北朝鮮の圧迫・攻撃に危機にさらされている。ロシアには領土を奪取され資源を奪われ漁民を殺されている。

今こそ日本國民全体がナショナリズム・愛國心・大和魂を発揮して國難に当たるべき時である。日本民族の真のナショナリズムは日本民族の本来的な清明心・尊皇精神に立脚した大和魂でなければならない。

「個の確立」という言葉があるがそれは有り体に言えば、「自分さえ良ければいい」という考え方である。これは、<滅公奉私>の心といってよい。戦後日本では、こういう考え方が正しいとされて来た。

 

戦後日本で言われ続けて来た「個の確立」「主体性の確立」は<戦後民主主義>の精神的支柱であるが、「個」や「自我」というものを如何にとらえるかが大事である。正しき人間観・國家観の確立なくして、正しき「個の確立」も「主体性の確立」もあり得ない。道義精神なき「個の確立」は欲望民主主義に陥り、正しき國家観なき「個の確立」は利己主義となる。それが今日の日本の姿である。

 戦後日本は「愛國心」とか「國家への忠誠」ということを「悪」として否定して来た。「みんなのため」とか「國のため」という意識が希薄になっている。ここに今日の混迷の根本原因がある。

 戦前の日本には、『教育勅語』に集約される正しき道義観があったし、「忠君愛國」「敬神崇祖」という正しき信仰精神があった。神風特別攻撃隊の『散華の美』、楠正成の『七生報国の精神』、萬葉人の「大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」という決意を、今日において回復することが求められている。

 

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千駄木庵日乗一月十三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、原稿執筆、資料の整理など。

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2013年1月13日 (日)

「週刊新潮」「週刊文春」の皇室報道について

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず國家の危機である。

大東亜戦争の敗北後、占領軍によって行われたいわゆる「民主化」そしてその後続けられた左翼革命勢力による國家破壊策謀は、今日の日本の國を亡國への道を歩ましめている。その最大のものが、「天皇の尊厳性の破壊」という策謀である。 

天皇を中心とした日本國の國柄を破壊せんとする勢力は、天皇及び皇室への國民の篤い尊崇の心を破壊し、皇室の尊厳性・神聖性を失わしめるために巧妙にして陰湿な画策を益々活発化させている。

「週刊新潮」「週刊文春」などの週刊誌が、皇室の御事について色々書いている。こうした記事は、いかなる意図によって書かれるのであろうか。真に皇室のご安泰とご隆昌を願って書いているのであろうか。私にはそうは思えない。やはり購読部数の増加を目的としていると思う。つまり営利のためにご皇室についてあることないこと書き立てているのだと思う。

文藝春秋社、新潮社は、わが国を代表する出版社である。この二社は全体として、その論調というか、編集方針・出版方針は、わが国の出版社の中では、良識的でありまともであると思う。しかるに、近年の『週刊新潮』『週刊文春』の記事の質の低下を実感する。特に皇室に関する記事は許し難いものがある。

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千駄木庵日乗一月十二日

朝、母のお世話。デイサービスに赴く母を見送る。

午後からは、在宅して、資料の整理、書状執筆など。

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2013年1月12日 (土)

日本伝統精神の英知を取り戻さねばならない

現代社会は、思想とか信仰というものが、人間の心性の中に深く根ざしたものとして把握されるのではなく、洗脳という形で個人の中に注入される<イデオロギー>と化している。それは人格破壊を招く機械的な洗脳と言う恐ろしさを持っている。<狐憑き>ならぬ<イデオロギー憑き>なのである。

教義・教条とかイデオロギーが人格から分断され洗脳という形で多くの人々を支配した時の恐ろしさは、共産国家や共産主義集団そしてカルト教団などの歴史を見れば明白である。

日本民族の生活態度の基本的特質、言い換えれば日本人の文化感覚を回復することが、こうした危険な状態を是正する唯一の道である。日本伝統精神が今後の世界においても実に大きな価値を持つのである。

近代科学技術文明は、自然を恐れず、自然を征服し作り替え破壊することによって、人類の進歩と発展を図ってきた。しかしその結果、公害問題が深刻化するとともに核戦争の危機にさらされ、今日人間生活そのものが荒廃し、人類は破滅に向かって歩み始めている。

これを打開するためには、自然に調和し大らかにして柔軟な日本伝統精神に回帰することだ大切なのである。

日本人は、一般的傾向として、経験的な知恵や合理的知識をを分析や説明をこえた先験的・信仰的なとらえ方で身につける。このため近代分析科学的な理解方法しか身につけていない人からは、前近代的な迷信だと誤解されることもある。しかし分析に対する総合、対立に対する調和という伝統的な思考の中に、先人の生きざまの英知を各所で発見するのである。

今日の世界は、これまでの組織された体系を持つイデオロギーや教義では救い得ない末期的状況にあると言っていい。古い体系は次々に崩壊しつつある。我々の目標は、まともな日本を回復するために、日本の伝統精神の英知を取り戻さねばならないのである。日本の伝統精神とは、イデオロギー・教条ではない。日本の自然と風土と生活の中から生まれた日本民族の自ずからなる歴史の精神即ち神ながらの道である。

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千駄木庵日乗一月十一日

午前は、母のお世話。

午後二時半より、神田学士会館にて、出版関係の方二人と来月行われる小生の講演会などの打ち合わせ。

午後六時より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団フォーラム・新政権への期待』開催。秋山昌廣東京財団理事長などが討論。内容は後日報告します。

帰途、赤坂にて知人ご夫妻と懇談。

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2013年1月11日 (金)

『古今独歩・出口王仁三郎とその一門の作品展』

本日参観した『古今独歩・出口王仁三郎とその一門の作品展』は、大本教の教祖・出口王仁三郎氏とその家族の陶芸、書、絵画など芸術作品の展覧会である。数年前西新宿で開催された王仁三郎氏の作品展を参観したことがある。私が王仁三郎氏の作品を参観するのは今回が二度目である。今回この展覧会が開かれていること知らなかったが、友人の荒岩宏奨氏のフェイスブックによって知ることができた。荒岩氏に感謝する。

出口王仁三郎氏は、「芸術は宗教の母なり」と言って、終生、盛んに創作活動を行った。出口氏は、「天地間の森羅万象は、いずれも皆、神の芸術的産物である。この大芸術者、すなわち造物主の内面的真態に触れ、神と共に悦楽し、神と共に生き、神と共に動かんとするのが、真の宗教でなければならぬ」(『霊界物語』)と説いた。

最初に出口なお刀自(大本教開祖)のいわゆる「お筆先」を見た。実物を見るのは初めてである。文字が書けなかった女性が、明治時代に神がかりして自動書記的に書いたものである。その量は半紙二十万枚に及ぶという。その最初の文句は「三千世界一度に開く梅の花。艮の金神の世になりたぞよ」である。

王仁三郎氏の陶芸作品は、出獄後の昭和十九年から逝去する昭和二十三年まで、約三千点造られたという。楽焼と言われるものである。私はこれまで色々な美術展で、陶芸作品を鑑賞したが、茶道に用いられる茶碗は、「わび・さび」と言われるように、色彩はあまり施されず、地味なものばかりであった。しかし、王仁三郎氏の作品は、えんじ色・黄色・赤・緑などの明るい色彩がほどこされ、まことに明るいものである。光り輝いて見えた。

作品がつくられたのは終戦直後の混乱期であり、王仁三郎氏の人生においても、永い拘禁生活は終えたが、自身は獄中で拷問を受け、また年齢も七十歳を超えていたので、身体が衰えていた時期である。大本教団も徹底した弾圧のために疲弊していた時期である。そうした時期なのにこのような明るく輝くような作品を創作したということに驚くほかはない。陶芸評論家の加藤木義一郎氏によって「耀盌」と名付けられたのも納得できる。私には、「如意」「笑い梅」「瑞垣」「みろく」という作品が見事に思えた。

墨書・水墨画も、言うに言えない力強さと共に、ゆかしさを感じさせる作品であった。

出口王仁三郎氏夫人の出口澄子さん、息女の出口直日さん、娘婿の出口日出麿氏、お孫さんの出口聖子、曾孫さんの出口紅さんの作品も展示されていた。日出麿氏の「天祥地瑞」という書がとりわけ印象に残った。

大本教は、昭和以後の新宗教に大きな影響を与えた教団である。生長の家、世界救世教など、大本教出身者が教祖となった教団は数多い。現代日本における新宗教、新新宗教は、日蓮系か大本系の二つが大きな流れになっていると言っても過言ではない。また昭和維新運動においても大きな位置を占めた。先日も書いたが、大本について、これからもっと勉強したいと思っている。

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千駄木庵日乗一月十日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

その後、北区王子の「北とぴあ」で開催中の『古今独歩・出口王仁三郎とその一門の作品展』参観。「北とぴあ」には初めて行った。

帰宅すると、小生の住むマンションの裏通りの住宅で火災発生していた。三軒の家が焼けたようである。古い木造建築の家が火元で、両隣の比較的新しい家も被害にあった。多くの消防車が来て消火活動を行った。地元消防団の方々も消火活動を手伝っていた。この寒空に焼き出された方々はまことに気の毒である。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2013年1月10日 (木)

この頃詠みし歌

寒の雨に濡れつつ歩む夜の街わが街ながらさみしかりけり

ひ孫の手握りて喜ぶわが母は今年九十三となりたまひたり

現御神わが大君は清らけき御声でみことば宣らしたまへり(皇居新春参賀)

雲一つなき大空の下にして聖壽萬歳高らかに唱ふ(同)

大君は歓呼の声に御手振りてこたへたまへり天つ日の下(同)

日の神の御子としてこの国に天降り今民草に御手振りたまふ(同)

月照りて心のどかになりにけり新しき年を迎へたる夜

家出でて街を歩めば風寒く正月三日の夜静かなり

朝毎に餅を食すを楽しみて新春の日々過ぎてゆくなり

われを見て道をそらせし人のゐてああ切なくも悲しかりけり

真心を込めし手紙を無視されてああ切なくも悲しかりけり

ロシアとの戦ひ長く続きたるフィンランドの民を思へり(『森と湖の国―フィンランド・デザイン』展)

クリスタルガラスの光り清らかにフィンランドの民の心か(同)

言霊のさきはふ國のおほやまと強き力に栄ゆくべし

放火犯を政治犯とて日本に引き渡さざる隣国を厭ふ

春を待つ心に仰ぐ日輪は朝の大空に照り輝けり

昇り来し大日輪に真向かひて祝詞唱へる朝(あした)すがしき

鳥鍋を食してうれしきこの夕べ動坂下の古き店にて

大きな荷物引きずりながら寒き夜を道歩み行く老いし人ひとり

宴終へ酔ひたるままに坂道を下りゆきつつ歌うたひたり

空を覆ひし雲何処へか消え果てて日輪眩しく輝きにけり

洗濯物干しつつあれば雲晴れて日輪輝く初春の空

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千駄木庵日乗一月九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、柿本人麻呂の歌を講義。

帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年1月 9日 (水)

萬葉古代史研究會のお知らせ

四宮正貴が講師となり、『萬葉集』を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 一月九日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

四宮政治文化研究所代表 四宮正貴

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

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天の岩戸神話について

 日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。「見直し聞き直し詔り直し」の思想もここから発する。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

 そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が死ぬ日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

 この天の岩戸神話には日本の踊りの起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。 桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。

 祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっもとも大切なものである。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現するのである。

 祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再び再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

 そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われるのである。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話であると考える。  

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千駄木庵日乗一月八日

午前は、母のお世話。

午後は、明日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

午後六時、お茶の水にて知人と懇談。支那・南北朝鮮、ロシアとの関係、そして日本の危機的状況について貴重なお話を伺う。

帰宅後は、講義準備、原稿執筆。

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2013年1月 8日 (火)

『日本は何を考えて来たのか―第九回・大本教』を見て思う

昨日午後十時からNHKEテレで放送された『日本は何を考えて来たのか―第九回・大本教』を見た。

大本教が民衆の宗教であり、近代化の過程で、文明開化・近代合理主義から取り残され、貧困などの苦悩に喘いでいた民衆の心をとらえたということを強調していた。そしてこの世の内の建て替え・立て直しを叫ぶ教祖・出口ナオの『お筆先』を紹介していた。

大本は、資本家と権力者が利益を得る「強い者勝ち」の世の中を変革し、明治維新が理想として掲げた「一君万民の世の実現」する大正維新・昭和維新を目指したとし、維新運動の指導者と協力して「昭和神聖会」を結成して超国家主義の政治運動を展開した事が描かれていた。

昭和十年に大本は、「地上から大本を抹殺する」との権力側の方針の下、『治安維持法違反』『不敬罪』の容疑で、大弾圧を受け、幹部多数が拘禁され、その多くが凄惨な拷問にかけられ、獄死者や精神に異常をきたす人が続出した。

大本弾圧はどうして行われたのかは、近代史においても十分に正しく解明されていない。今回の放送でも残念ながらその原因については、はっきりとした見解を示されなかった。

「昭和維新」「ワシントン軍縮条約破棄」「天皇機関説排撃」を唱え、「皇道大本」を自称し、内田良平・頭山満両氏など維新運動指導者と深い協力関係を結んだ大本教が、何故弾圧されたのか。二つの見方がある。

一つは、大本は表面上「皇道」「天皇親政」「日本天皇を中心とする世界統一」を唱えているが、実は、「須佐之男命の神霊を受け継ぐと大本が主張する出口王仁三郎が、日本のみならず世界の君主なる」という國體転覆思想を持っていたから弾圧された、という説である。

もう一つは、大本教が当時の愛国団体・維新運動団体と結託し、動員面・資金面で協力していたことが、「体制維持」を目指す権力側にとって脅威になったので弾圧した、と言う説である。そして愛国団体との離間を図るために、「不敬罪」をその罪名としてでっち上げたというのである。

私はこれまで色々大本に関する資料を讀んできたし、色々な人の話を聞いてきたが、どちらの説が正しいか、はっきりとは分からない。

NHKが大本のことを取り上げたのは初めてである。これをきっかけとして、大本の真実の姿が解明されることを期待したい。それは維新運動史・近代神道史・近代精神史を考える上で非常に重要な事柄である。

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千駄木庵日乗一月七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、書状執筆など。

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2013年1月 7日 (月)

神話と祭祀は分かち難く一體である

 「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。言ひ換へると、一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に回帰するといふことである。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。

神話とは太古の「神聖な歴史の物語」といふ定義がある。日本民族の「始まりの時」における神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事をつづった物語である。言ひ換へると、神話とは、日本民族の「始まりの時」を説明し、生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが、どのようにして生まれ存在し始めたかを語る。わが國においては、神話と祭祀は分かち難く一體である。

 神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事など日本民族の始まりの時の出来事は、日本人一人一人およびその共同體としての國家の生き方・在り方(文化・信仰・文學・政治・教育・芸術など一切)の模範を示す。つまり、神話は日本民族そして日本國家を根源的なものを表現するものであり、日本民族の在り方・生き方に決定的な役割を持ってゐる。

 「始まりの時」に帰ることによって現状を変革するといふ希望はあらゆる生命體が持っている。一人の人間として、新年を迎へた時や、春四月を迎へた時には、心機一転「初心」(始まりの時の心)に帰り新たなる気分になって仕事や勉學などに励もうとする。それと同じやうに、日本人一人一人およびその共同體としての國家は、つねに「始まりの時」=「神話の世界」への回帰によって現状を革新しやうといふ希望を持つ。明治維新といふ國家的大変革も、「神武創業への回帰」(神武天皇が即位された時への回帰)がそのスローガンであった。

 大林太良氏は「(神話と儀礼は)分かちがたくたがいに結びついている。儀礼は神話によってその意味が明らかにされねば効力を失い、神話は儀礼によって描きだされねば不毛である」(神話學入門)と述べておられる。

 そして神話の世界は、『古事記』『日本書紀』といった記録・文献として語り傳へられると共に、儀礼・祭祀といふ生きた現實として継承される。太古の神聖な物語を「文献」と「行事」によって今日まで傳へてゐるといふ意味で、神話といふ「文献」と祭祀といふ「現實に生きた儀礼」は一體である。

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千駄木庵日乗一月六日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年1月 6日 (日)

「式年遷宮」の精神は復古即革新=維新

式年遷宮は、「今即神代」「天地初発之時への回帰」「復古即革新」といふ日本伝統の維新精神そのものである。そして三島由紀夫氏のいふ「オリジナルとコピーの弁別」がない日本独自の文化感覚の精粋である。

松尾芭蕉は、元禄二年(一六八九)九月十三日に外宮遷宮を奉拝した感激を『奥の細道』で、

「尊さに 皆押しあひぬ 御遷宮」

と吟じてゐる。式年遷宮には、陸から海から神都伊勢を目指して多くの人々が集ひ、神と万物万生の再生・甦り・新生を祝した。

本居宣長は、寛政度の御遷宮に際して、寛政元年(一七八九)に

「ものいはゞ 神路の山の 神杉に 過ぎし神世の 事ぞとはまし」

と詠んでゐる。

大化改新・建武中興・明治維新などわが国の変革の基本理念は〈復古即革新〉である。現状を一新し変革することと〈元初のあるべき姿への回帰〉が相互に作用し一体となる。明治維新においては、近代的諸制度の形成といふ「御一新」と神武創業への回帰といふ「復古」は一体であった。復古即革新である。具体的にいへば、徳川幕藩体制打倒は天皇中心の國體明徴化であった。

明治維新後初めての御遷宮は、明治二年度の御遷宮である。その前段階として幕末の御蔭参りの国民的盛行があった。

御蔭参りとは、御蔭年に伊勢神宮に参拝することで、特に、江戸時代以降、間欠的におこった大群衆の伊勢参りをいふ。御蔭(恩恵)のいただけるありがたい年としてのお蔭年の観念が発生し、約六十年を周期として顕著にあらはれた。季節は三月ごろが多かった。御蔭年とは、伊勢神宮の御遷宮のあった翌年のことである。

明治二年三月の御遷宮は、まさに明治維新と呼応するものとなった。そしてこの年、明治天皇は、神宮を御親拝された。天皇の神宮御親拝は史上例のないことであり、旧来の陋習を改めて、皇祖神への御崇敬のまことを御自ら捧げられることとなった。

そしてこの年の六月に、諸侯の土地人民を天皇に奉還する「版籍奉還」が行はれ、各藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に奉還し、改めて知藩事に任命され、廃藩置県の前提となった。七月二は、「職員令」による新国家体制が発足した。

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」(『風土』)と論じてゐる。

古代ギリシアやローマは、恒久的な神殿を建設しやうと考へたが、結局は廃墟をのこすのみとなった。日本民族は、神殿を定期的に作りかへることによって、神及び神殿を再生し続けて来た。日本の神と神殿は、永久不変であると共に永遠に新しいのである。

天皇の皇位継承にもまったく同じ原理がある。天皇の玉体・肉身の更新は、そのまま神の御霊が新たに天降られるといふ信仰である。和歌は、五七五七七といふ定型は永久に不変であるが、その定型を護りつつ常に新たなる魂の訴へがその定型を維持しながら行はれる。

皇位継承・大嘗祭・式年遷宮・維新変革・和歌には、元初に回帰することが今新しきものを生み出すことであるといふ、同一の「復古即革新の原理・理念」がある。

「祭り」とは、神人合一の行事であり、罪穢れを祓ひ清め元初の姿へ回帰する行事である。天地宇宙の更新再生が、祭りである。元初伊勢の神宮はに回帰しつつ常に新たに生まれるといふ理念・原理=復古即革新が、日本文化の精粋である。それが現実の姿として顕現してゐるお宮が伊勢の神宮はなのである。

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千駄木庵日乗一月五日

朝は、母のお世話。デイサービスに赴く母を見送る。

この後、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。今月は会合などが多いので、早めに書き始めた。

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2013年1月 5日 (土)

『森と湖の国―フィンランド・デザイン』展を参観して

今日参観した『森と湖の国―フィンランド・デザイン』展は、「フィンランドのガラスや陶磁器、家具の数々は、機能性を重視しつつ、美しさも兼ね備えています。なかでも“timeless design product(時代を超えた製品)”をコンセプトに作られてきた生活用品は、私たちの暮らしに洗練されたデザイン性をもたらし、まさに『生活の中の美』といえるでしょう。

…彼らを取り巻く美しい自然と風土は、時に創作のインスピレーションとなり、作品や製品の色となり形となって溶け込んでいきました。…その姿勢は常に地球にやさしく、自然とともにあり続けています。…森と湖の国のデザインが繰り広げる世界を、クリスマスの到来とともにお楽しみください』(案内書)との趣旨で開催された。

私はガラス工芸品が好きである。何となく清潔な感じがする。日本にも薩摩切子というものがあるが、なかなか美しい。クリスタルという言葉の響きも良い。クリスタルとは水晶の事である。美術品に使われるガラスのことをクリスタルガラスと言うそうである。

フィンランドは行ったことのない国であるが、推測するに、氷と雪の多い国であろう。湖もあるという。氷・雪・湖というのはガラスとイメージが似ている。

フィンランドは、ロシア帝国とソ連の侵略・併合が繰り返された国である。それだけに、自国の独立と文化を守る意識が強い。今日展示されていた作品にも、独自の文化と伝承を強調する作品があった。

わが国もロシアそしてソ連の侵略と戦い続けて来ている国である。そして今日唯今も南樺太・全千島を奪われたままである。フィンランドは親日の国である。フィンランドでは、ロシアのバルチック艦隊を日露戦争時に日本海海戦で撃ち破った東郷平八郎元帥の顔をラベルしたビール」も製造された。山本五十六提督の顔をラベルにしたビールもあったという。

私は、フィンランドの作曲家シベリウスの交響詩『フィンランディア』という曲が好きである。この曲は一九〇〇年に作曲され、愛国的な感情を呼び覚ますとされて、当時支配を受けていたロシアの弾圧を受けた。

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千駄木庵日乗一月四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。この後、六本木のサントリー美術館で開催中の『森と湖の国―フィンランド・デザイン』展参観。

帰宅後は、書状執筆・『政治文化情報』原稿執筆の準備。

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2013年1月 4日 (金)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會のお知らせ

四宮正貴が講師となり、『萬葉集』を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 一月九日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

四宮政治文化研究所代表 四宮正貴

メールアドレス m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

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和歌及び『萬葉集』について

『萬葉集』の歌を讀むことによりを、今から二千年近く昔の日本人のまごころの表白に今日のわれわれが共感し感動することができる。とくに『萬葉集』は貴族や武士や僧侶の歌だけではなく、上御一人から一般庶民・遊女の歌まで収められてゐる。

『萬葉集』の相聞歌を讀めば古代日本人の戀心を知ることができ、防人の歌を讀めば戦争に赴く時の古代日本の若者たちの心を知ることができる。東歌を讀めば当時の東國庶民の天真の心を知ることができる。もちろん、天皇御製を拝承すれば、萬葉時代の天皇様の大御心を知ることができる。古代と現代の心の交通が和歌によって為される。このやうに和歌は、時間的に縦に貫く役割を果たす。時間を超越して神代と古代とを直結する文藝が和歌である。

一方、地位や貧富の差・老若男女の違ひ・地域や身分を超えた人と人との心の交通が和歌によって為される。和歌は、空間的に横に貫く役割を果たす。和歌は、地位や身分の上下や違ひも超越して日本人を結んでしまふのである。上御一人から下萬民を直結するものである。

つまり、時間と空間の中心点に和歌といふものが立ってゐるのである。時空を超越して、今と神代と直結する文藝、そして身分や貧富の差を超越して日本人を結びつける文藝、それが和歌である。永遠の時間と無限の空間を充たす文藝が和歌である。言ひ換へると日本民族を時間といふ縦軸と空間といふ横軸で一つに結び付ける文藝が和歌である。

上天皇から下民衆に至るまで創作し、神代より現代に至るまで創作し続けられてきた文藝が和歌である。すなはちわが日本の時間と空間を無限に充たす文藝である。

和歌が、記紀・萬葉集時代から現代にいたるまで滅亡することなく継承され創造されてきたといふこと自體が、日本文藝における和歌の大きさを証明する。

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千駄木庵日乗一月三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『月刊日本』連載原稿執筆・脱稿・送付。この後、『政治文化情報』原稿執筆の準備など。

一月は極めて忙しくなりそうである。

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2013年1月 3日 (木)

新年参賀をさせていただいて思ふ

十代の頃から新年皇居参賀をさせて頂いている。五十年以上一回も欠かしたことはない。私の記憶に間違ひがなければ、ただの一回も本格的な雨が降ったことはない。曇り空や小雨がぱらついたことはあったが、傘をさして参賀させていただいたことはない。今日も晴れわたる大空の太陽が燦々と照り輝いてゐた。そして日の御子であらせられる天皇陛下がお出ましになり、有難いお言葉を賜った。

『萬葉集』の代表歌人・柿本人麻呂の次の歌をのこしてゐる。

大君は 神にしませば 天雲の雷の上に いほらせるかも

 「大君は神であられるので、天雲の雷の上に仮の廬を結んでおられることだ」というほどの意である。持統天皇が雷の丘にお出ましになった時に、人麻呂が現御神信仰を高らかにうたいあげた歌である。

 「いほらせるかも」とは、直訳すれば「仮の庵を結ぶ」意であるが、この歌の場合は、天皇が祭り主として聖なる神の山・雷の丘で國見をされ祭事を齋行されることを言ふ。つまり、「いほり」とは「齋」(いつき・斎戒<心身を清めて言行・飲食などの行為をつつしむこと>して神をまつること)の意味である。

「國見」とは、天皇が國土を眺望され國土の繁栄と五穀の豊饒を祈る祭祀儀礼であり、天皇が國見をされることにより國土は新生する。古代人にとって「見る」とは魂の結合を意味した。

この歌は、「聖なる山の上でまつりごとをされる天皇は、この世における神であられ、あらゆる神霊を従へたまふ御稜威(神聖なる霊的威力)輝く御存在である」といふ現御神信仰即ち天皇信仰を歌ってゐる。この信仰は人麻呂個人のものではなく、萬葉人即ち古代日本人に共通する信仰であった。

 

天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるといふことである。天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するのであるが、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

神々の中で最尊・最貴の神と仰がれる天照大神の御子であられる日本天皇は、雨の神・雷神などの自然神を従へられる御存在であるといふのが萬葉人以来の日本人の信仰である。

昭和天皇は、昭和三十五年に、

さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさ むぞ わがねがひなる

と歌はれ、同三十四年には

 

あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契 り 結ぶこの朝

と詠ませられてゐる。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるといふ御自覚を歌はれてゐるのである。

これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていはゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどといふ説が大きな誤りであることが分かる。

天長節・新年の皇居参賀など様々な行事の時も、そして地方行幸にお出ましの時にも、外國御訪問の時にも必ずと言っていいほど、好天に恵まれる。これは人麻呂が歌った通り、天皇が自然神を支配し且つ自然神が天皇に奉仕している証拠である。天皇が現御神であらせられるといふことは古代日本人がつくりあげた「虚構」ではなく、今日唯今においても「生きた真実」なのである。

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千駄木庵日乗一月二日

午前は、母のお世話。

この後、氏神である東都北鎮・根津神社に参拝。

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そして皇居に赴き、参賀。聖上のお言葉を拝聴す。聖壽萬歳を奉唱。

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いったん帰宅。

夕刻、団子坂下にて、知人と懇談。

帰宅後は、『月刊日本』原稿執筆・資料の整理。

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2013年1月 2日 (水)

大伴家持の新年を寿ぐ歌

新年を寿ぐ代表的な「やまと歌」は大伴家持の次の歌である。

 三年春正月、因幡國の廳(まつりごとどころ)に、国郡の司等に饗(あ へ)を賜へる宴の歌一首

                     

新しき 年の始の 初春の 今日ふる雪の いや重()け吉事(よごと)                    

                    

 大伴家持が四十二歳の時の賀歌(お祝いの歌)で、『萬葉集』最後の歌である。天平宝字三年(七五九)の正月(太陽暦では二月二日)、因幡の國(鳥取県東部)の國廳(行政を扱う役所)で、因幡守(今日の県知事)であった家持が、恒例により郡長などの部下に正月の宴を与へた時に詠んだ歌。

 「いや重け吉事」の「重け」はあとからあとから絶える事なく続くこと。「新しい年のはじめの初春の今日降る雪の積もるやうに良きことが積もれよ」といふほどの意。

 元旦に雪が降るのは瑞兆で、その年は豊作であるといはれてゐた。しんしんと雪が降り積もるやうにめでたきことも重なれよといふ願望を歌った。雪の降る眼前の光景を見て歌った平明で清潔で堂々たる『萬葉集』の掉尾を飾るに最も相応しい名歌である。

 家持と同族であった大伴古慈悲とか大伴古麻呂という人たちは、称徳天皇の寵を得て専横をきはめてゐた藤原仲麻呂打倒の動きに関ってみんな粛清されてしまった。そして直接クーデター計画に関はらなかった家持も因幡國に左遷されたのである。

 さういふ状況下にあっても、家持は、年の初めにかういふめでたい歌を詠んだ。「言事不二」といふ言葉がある。「言葉と事実と一致する、言葉と事実は二つではない一つである」「言葉に出したことは実現する」といふ意味である。聖書にも「言葉は神なりき。よろずものこれによりて成る」と書かれてゐる。家持が、「いや重け吉事」と歌ったのは、めでたい言葉を発することによって吉事が本当に事実として実現すると信じたのである。

 そして、『萬葉集』の最後の歌にこれを収め、一大歌集の締めくくりにした。国が混乱し、世の有様は悲痛であり慟哭すべきものであっても、また自分の一族が危機に瀕してゐても、否、だからこそ、天皇国日本の国の伝統を愛し讃へ、日本の国の永遠の栄えと安泰を祈る心の表白である。

 また、『萬葉集』編者(家持自身かもしれない)は、祝言性豊かなこの歌を全巻の最後に置き、『萬葉集』を萬世の後まで伝へやうとする志を込めたと思はれる。我々は『萬葉集』という名称に、無限の力と祈りとを実感するのである。

 ともかくこの歌は、わが国の数多い和歌の中でもとりわけて尊くも意義深い歌である。

 家持は後に、都に戻り、参議兼東宮大夫、東北鎮撫の総帥持節征東将軍などを歴任し、延暦四年(七八五)、六十四歳でこの世を去ってゐる。

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千駄木庵日乗一月一日

午前は、母のお世話。

午後は、親族来宅。歓談。

この後、資料の整理。原稿執筆の準備など。

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2013年1月 1日 (火)

新年のご挨拶

皆様には、佳き新年をお迎えのことと存じます。

小生は、昨年一月に父を亡くしましたので、新年の賀詞は遠慮させていただきます。

扨、祖国日本は相変わらず危機的状況にあります。危機打開・国難克服こそが今年の最大課題であると存じます。

元日の晴れ渡った空を見渡しますと、その国難が嘘のように思われます。明日、初詣と皇居参賀に行かせていただきますが、その時もそう思うと存じます。

しかし、周辺諸国よりの圧迫、政治の貧困、経済の低迷、教育の荒廃など、一刻も早く打開しなければならない問題が山積致していることは紛れもない事実であります。

そうした状況下にあって、私の役割は言論活動に邁進して行くことである存じます。毎月刊行しております『政治文化情報』そして年四回発行の『伝統と革新』の編集および原稿執筆により一層努力していきたいと思います。

私の言論活動は、多くの方々と篤いご支援とご協力によって成り立っているのであります。『政治文化情報』『伝統と革新』購読者の方々そして『伝統と革新』発行元の「たちばな出版」の方々に、新年に際しましたあらためて感謝申し上げます。

さらに、毎月行っております『萬葉古代史研究会』における講義と『月刊日本』季刊『大吼』に連載させていただいております『萬葉集』解釈の執筆も今年も続けて行きたいと思っております。『萬葉集』は、純粋なる日本伝統精神が余すところなく歌われております。

以上、年頭のご挨拶に代えさせて頂きます。

本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

四宮正貴 頓首合掌

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この頃詠みし歌

手の平にひび割れ出来て冬となるを体で感ずるが毎年の習ひ

この一票投ずれば日本は良くなるか 心許なき思ひなりけり

夕暮の母校体育館で投票を済ませて口ずさむ懐かしき校歌

赤き雲彼方の空に棚引きて日暮里の丘に夕暮迫る

日暮里のみ寺の紅葉かがよへり弘法大師の御像の上に

朝毎にシャワーを浴びて身を清め祝詞唱へればすがしかりけり

湯を浴びて体清むる朝にしも沸々とたぎるわが命かな

計画停電の不安の中に父のゐる病院に通ひし日々思ひ出す

老いし母を叱咤する息子の姿見て ああはなりたくないと思へり

清々しき神の宮居に友と立ち鎌倉の街を眺めけるかな(鶴岡八幡宮参拝)

国難を救はせたまへと祈りたり八幡神を祀れる宮に()

日の本を護ります神拝まむと石段のぼる息切らしつつ()

若宮大路久方ぶりに歩み行き心すがしくなりにけるかも()

美味きそば食しつつ友と語らへり 師走半ばの鎌倉の街()

火炎瓶催涙ガスが飛び交ひし安田講堂は今静かなり

三四郎池に雨降りてをり 百萬石の藩邸跡の面影残し

本郷通りに立ち並びゐし古書店の多くは姿を消しにけるかな

母上との二人の会話楽しみて今日のひと日も過ぎゆかむとす

作法正しく参拝をするをとめごの 姿うれしき靖國の宮

妖怪変化我の周りに蠢けば一刀両断清め祓はむ

さやかなる月は中天に輝きて師走の街をあまねく照らす

この年も暮れ行かむとする夜の空に永久の光の月輝けり

中天に冴えわたる月を仰ぎつつ東海林太郎の歌思ひ出す

朝明よりサイレンの音が鳴り響き 東京の町は騒がしきかな

贈られしカレーを母と食しをり 父のゐまさぬさみしき部屋で

鏡にぞ己が姿を写しなば年より若く見ゆるうれしさ

降りしきる雨に濡れつつバスを待つ団子坂下の師走三十日

遠き日に無人駅で列車を待ちし思ひ出の中に風吹き荒ぶ

この年は暮れてゆくなりわが父がこの世を去りし悲しき年は

父上が逝きませし年は暮れゆけどわが悲しみと悔しさは消えず

大晦日 祓戸大神の御名唱へ玄関に塩を撒きて清める

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千駄木庵日乗十二月三十一日

午前は、母のお世話。

午後は、新年を迎える準備。

夕つ方、東都北鎮・根津神社に参拝。お札納め。夜の神域はまことに清浄にして神秘的である。

帰途、年越しそばを食す。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理。

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