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2012年12月11日 (火)

天皇陛下と『皇室典範』

「『皇室典範』が、天皇の意志や恣意で改変されることの無いようにするために、その改正権をもつ皇族會議を主宰する天皇は、『皇室典範』は天皇に対して〝上位の法〟であり、天皇は『皇室典範』に対して〝下位の機関〟といふ法思想を遵守すべきだ」といふ議論がある。

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であるといふ。かかる法思想は、「王の権威と権力は神によって与へられた」とする西洋の「王権神授説」の考へ方であって、わが國には通用しないし、通用させてはならない。

わが國は権力国家ではなく祭祀国家であり、天皇は権力者ではなく祭り主である。わが國の國體は祭政一致である。天皇は法の上におられるとか下におられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」(のり)なのである。日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を民に告げることを『ノル(告る・宣る)』といふ。現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を民に傳へる『のりごと』である。法(のり)は宣(のり)である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が「法」なのである。わが國の法の尊厳性はそこから生まれる。

古来、我が國では、宮廷其他の法律・命令はすべて「のり」といふ語で表されてゐて、「のりと」と法律・命令とは根本は同じものである。

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。

三潴信吾氏は、「我が御歴代の天皇の下における一切の認定法は、天照大御神と一體たり給ふ 天皇の大御心の発現であって、神定即人定と云ふべきもので、ここにわが國法の神聖性の根拠があり、従って又、そこに日本民族の尊皇遵法の根拠があるのである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

「天皇は『憲法』『皇室典範』よりも下位にある機関」などといふ説はまったくわが國體と相容れない。第一、現御神日本天皇断じて「機関」ではあらせられない。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威による。なぜなら天皇は現御神であらせられるからである。天皇の正統性は憲法によるのではない。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承など皇室に関することは、國家の権力機関である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の大御心に遵ふべきである。

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