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2012年12月31日 (月)

「天長節を祝ふ會」における池田一貴氏の講演内容

「天長節を祝ふ會」における池田一貴氏の講演内容は次の通り。

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一九〇四年、小泉八雲は『神国日本』という本を出した。最後の著作であった。その著書で次のように書いている。『日本の神の力はこの国の一般庶民、百姓・漁師・労働者の精神力の中にある。英雄主義は、あっぱれな勇気。天皇の御命令には一命を捧げようという勇気。招魂社に長く名を留めたいということ。天皇と祖国のために身を捧げた人の霊を祭る所。ロシア人はこの信仰を恐れなければならない』。

小泉八雲ほど日本の神道に対して理解を示した外国人はいない。将来の大東亜戦争を思わせ予見する文章。日本人の神道に対する信頼、祖国と天皇に対する信頼は、戦時になると大きく燃え上がる。その勇気を支えているものが東京招魂社である。

東京大学哲学教授の高橋哲哉は『靖国神社は帝国主義戦争に駆り立てるための道具、国民を戦争のために死なせる道具であり、明治になってでっち上げられた』と言っている。権力が強制しても日本人の心の琴線に触れなければ定着しない。靖國神社には日本人の心の琴線に触れるものがあるのだ。それは、『共同体を守るために命を捨て者は崇敬すべき英雄であり神である』という思想である。

七七〇年、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝とも言う)で戦死した兵士を慰霊した。戦で死んだ兵士への慰霊は千数百年の歴史がある。百姓一揆は、戦後の歴史学では階級史観の見方が流布されている。しかし百姓一揆は百姓の共同体防衛への階級を超えた命懸けの貢献であった。祖国や共同体(ムラ)ために戦った者は、神としてまつられるという信仰が江戸時代にすでにあった。

全ての百姓一揆で、ムラの人々が全員平等の立場で、神水を皆で分かち合って飲む神式の儀式が行われ、起請文(きしょうもん。人が契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書)に全員が署名し血判を押した。村落共同体のために命を捧げる誓いであり、仲間を裏切らないという神前の盟約である。そして処刑される者が出たら、村全体で党の犠牲者を鎮守・祖霊神にして崇め続ける誓いであった。武士が一揆を恐れたのは、百姓たちが死ぬ覚悟・神になる覚悟をしていたからである。これこそ靖國神社の原型ではないか。公に殉じた者を神として祀る慣習は、権力者が始めたのではない。

土着神道の精神から、戦没者を祀る招魂社が建てられた。国家=悪という左翼的観念はドグマである。現代世界には国家を持たないために他民族に苦しめられている民衆が多い。百姓も戦前の国民も、村落・国家共同体の危機に身を挺したのだ。靖国神社の思想とそれを支える心情は、百姓一揆と地続きである。明治以前の土着神道とそれを心の支えとし命を賭けて共同体防衛に決起した百姓一揆の精神が、近代日本の国民に靖國神社を定着させた根源的な理由なのである」。

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新しい学説であり、大変に勉強になった。

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