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2012年12月22日 (土)

八幡宮信仰について

今日参拝させていただいた鶴岡八幡宮は、「御由諸書」によると、康平6年(一〇六三)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが起源であるといふ。源氏再興の旗上げをした源頼朝は、治承四年(一一八〇)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、建久二年(一一九一)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としたという。武家の精神の拠り所となり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まり、当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となったという。現在の本殿は、文政十一年(一八二八)、江戸幕府十一代将軍徳川家斉の造営による。

御祭神は、第十五代応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)、比売神(ひめがみ)、神功皇后(息長帯比賣命・おきながたらしひめのみこと)の三神。この三神を八幡神と総称すると承る。

応神天皇は、御母君・神功皇后の胎内にあられて新羅へと往還されたが、ご帰国直後の仲哀天皇九年(三二〇)に筑紫において生誕された。国難打開・武の神たる八幡神として崇められた。水田開発など農業生産拡大を行はれつつ、文化発展、殖産興業も図られた。応神天皇の御代は、鉄の文化が普及し、日本国が大いに発展した時代で、大陸・朝鮮半島との交流を深められた。

八幡神がわが国最初の神仏習合神として早くから信仰された。聖武天皇は、東大寺大仏(盧舎那大仏)造立に際して、豊前国の宇佐宮に勅使として橘諸兄(従三位左大臣)を遣はし、「国家鎮護」と「大仏造立」の祈願を行はせられた。天平十九年(七四七)に八幡神の「天神地祇を率いて大仏建立に協力しよう」といふ意の神託が下された。

天平二一年(七四九)陸奥の国から大仏像に使ふ黄金が献上され大仏造立が完成した。聖武天皇は大変お喜びになり、この年の七月二日天平勝宝と元号を改められた。黄金の発見といふ瑞祥は八幡神の神徳のよるものとされたのであらう。天平勝宝元年(七四九)十二月に、宇佐八幡の神霊が、紫錦の輦輿(れんよ・鳳輦のこと)に乗って入京し、東大寺の地主神として迎へられたといふ。紫錦の輦輿は、天皇のお乗り物であり、八幡神がすでにこの頃、応神天皇の御神霊であると信仰されていたと思はれる。

天応元年(七八一)に、八幡神に「八幡大菩薩」の神号が与へられた。延暦二年(七八三)には、「護国霊験威力神通大自在菩薩」といふ号も加へられてゐる。

本日実に久しぶりに参拝させていただいたが、神域は清々しく、本殿前からの眺望も素晴らしかった。日本国と皇室の御安泰・国難打開をご祈念申し上げた。

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