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2012年12月27日 (木)

千駄木から国務大臣の家がなくなった

小生が住む千駄木には、野田内閣の重要閣僚が二人住んでいた。そのお二人の家の近隣の人や同じマンションに住んでいる人たちは、ポリスボックスがあることを「安心感がある」と言って喜んでいた。明日からはもうなくなるのであろう。

千駄木には、はるか昔、大平正芳氏が住んでいた。私は、大給坂という坂の下にある家で成長したのであるが、その大給坂の上の、江戸時代からある大きな屋敷に大平氏は住んでいた。その屋敷は、大平家が住むも前は、徳川氏と母体と言われる大給松平家の屋敷であった。大給氏は譜代大名であったので、当主は代々幕府の要職を務めた。大きな銀杏がある大名屋敷である。銀杏の木は今も残っている。

小中学校に登校する時、その屋敷の前を毎日通った。大平氏が官房長官をしておられた時には、政治家などがその屋敷に入って行くのをよく見た。やがて大平氏は世田谷に引っ越していき、屋敷も取り壊され、跡地に多くの建売住宅が建てられた。

千駄木には、文部大臣を務めた内藤誉三郎氏の屋敷もあった。近くの湯島には、愛知揆一氏や小沢佐重喜氏(一郎氏の父上)の屋敷もあった。このお二人の家も豪邸と言ってよかった。

昔の国務大臣の家に比べると、野田内閣の閣僚二人は普通の家やマンションに住んでおられた。今は資産家でなくても閣僚になれるということなのだろう。日本はそれほどの格差社会ではないであろう。いずれにしても、わが町に国務大臣の家が無くなったことは何となくさみしい気がする。

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