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2012年12月31日 (月)

「天長節を祝ふ會」における池田一貴氏の講演内容

「天長節を祝ふ會」における池田一貴氏の講演内容は次の通り。

            ○

一九〇四年、小泉八雲は『神国日本』という本を出した。最後の著作であった。その著書で次のように書いている。『日本の神の力はこの国の一般庶民、百姓・漁師・労働者の精神力の中にある。英雄主義は、あっぱれな勇気。天皇の御命令には一命を捧げようという勇気。招魂社に長く名を留めたいということ。天皇と祖国のために身を捧げた人の霊を祭る所。ロシア人はこの信仰を恐れなければならない』。

小泉八雲ほど日本の神道に対して理解を示した外国人はいない。将来の大東亜戦争を思わせ予見する文章。日本人の神道に対する信頼、祖国と天皇に対する信頼は、戦時になると大きく燃え上がる。その勇気を支えているものが東京招魂社である。

東京大学哲学教授の高橋哲哉は『靖国神社は帝国主義戦争に駆り立てるための道具、国民を戦争のために死なせる道具であり、明治になってでっち上げられた』と言っている。権力が強制しても日本人の心の琴線に触れなければ定着しない。靖國神社には日本人の心の琴線に触れるものがあるのだ。それは、『共同体を守るために命を捨て者は崇敬すべき英雄であり神である』という思想である。

七七〇年、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝とも言う)で戦死した兵士を慰霊した。戦で死んだ兵士への慰霊は千数百年の歴史がある。百姓一揆は、戦後の歴史学では階級史観の見方が流布されている。しかし百姓一揆は百姓の共同体防衛への階級を超えた命懸けの貢献であった。祖国や共同体(ムラ)ために戦った者は、神としてまつられるという信仰が江戸時代にすでにあった。

全ての百姓一揆で、ムラの人々が全員平等の立場で、神水を皆で分かち合って飲む神式の儀式が行われ、起請文(きしょうもん。人が契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書)に全員が署名し血判を押した。村落共同体のために命を捧げる誓いであり、仲間を裏切らないという神前の盟約である。そして処刑される者が出たら、村全体で党の犠牲者を鎮守・祖霊神にして崇め続ける誓いであった。武士が一揆を恐れたのは、百姓たちが死ぬ覚悟・神になる覚悟をしていたからである。これこそ靖國神社の原型ではないか。公に殉じた者を神として祀る慣習は、権力者が始めたのではない。

土着神道の精神から、戦没者を祀る招魂社が建てられた。国家=悪という左翼的観念はドグマである。現代世界には国家を持たないために他民族に苦しめられている民衆が多い。百姓も戦前の国民も、村落・国家共同体の危機に身を挺したのだ。靖国神社の思想とそれを支える心情は、百姓一揆と地続きである。明治以前の土着神道とそれを心の支えとし命を賭けて共同体防衛に決起した百姓一揆の精神が、近代日本の国民に靖國神社を定着させた根源的な理由なのである」。

            ○

新しい学説であり、大変に勉強になった。

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千駄木庵日乗十二月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、年越しの準備など。

夕刻、谷中にて地元の方々と少人数の忘年会。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年12月30日 (日)

浅野和生・遠藤浩一両氏の講演内容

十一月二十九日に行われた『新しい憲法をつくる研究会』における浅野和生平成国際大学教授の講演内容。

「政治改革とは、①議員定数削減、②一院制と首相公選制、③選挙制度、④衆参両院の権能配分、⑤総理大臣の在任期間と言われている。日本の立法行為は、天皇無くして成り立ってゐない。天皇は、国会を召集し、法律を公布し、総理大臣を任命する。イギリスでは省庁の再編をしばしば行われる。日本より議員数はずっと多い。イギリスの基準だと、日本は二千六百人の議員になる。アメリカは州の力が強い。地方分権をやっているから、連邦議員の数は少ない。議員数が少ないと庶民の声が国会に届かなくなる。簡単に少なくすればいいというものではない。台湾は議員数を半減させた。委員会の重複が多くなり、専門性が薄れた。委員会も開けない。日本の四百五十議席というのは丁度いい。参議院があるからブレーキがかかる。一院制だと鳩山由紀夫内閣はもっと続いていた。首相公選制は危険」。

十二月二十二日に行われた『アジア太平洋交流学会』における遠藤浩一拓殖大学教授の「総選挙結果と第二次安倍内閣の課題」と題する講演内容。

「公示前からメティアは世論調査をした。民主党政権への怒りと失望は臨界点を超えていた。選挙予測報道は勝ち馬志向。自分の票を死に票にしないために勝ちそうな党に入れることがある。中選挙区制では判官びいきが顕著。当落線上と言われると、ニンマリする傾向あり。自民党はそこそこの勝利。大敗北した時より票数は減らした。基礎体力はある。投票率が下がったので政権が取れた。自民党の基礎体力は一千四百万票。自民党は小泉内閣当時の基礎体力を取り戻した。小選挙区制反対論が出て来た。多様な政党が良いという意見。侍講体制は未来永劫なのかは疑問。中長期的には自公体制は安定しない可能性あり。民主党三代の内閣と比較すると今度の安倍内閣は重厚。安倍氏は党内に敵を作るべきではない。安定感の演出は間違ってはいない。安倍さんらしさとは何なのか。安倍さんに親しい人ほど総裁選立候補を止めた。安倍さんは『自民党が生まれ変わるには自分が総裁になるとかない』と言った。安定性を追求するとともに、安倍でなければいけないということを示さねばならない。自民党総裁が憲法改正問題を堂々と出して選挙に臨んだのは初めて。組織化された少数者による多数者への支配が政治の原理」。

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言霊の復活が世の乱れを正す大いなる方途である

言葉のない生活は考えられない。言葉は、人と人とを結合させ人と人との間をつなぎ相互に理解を成立させるものである。言葉は、共同体において生活する人間が、お互ひに理解し合ふための表現形式である。

言葉は、人間生活そのものを体現する。人間が共に生活する共同体は基本的に言葉によって形成される。「言葉の乱れは世の乱れ」といはれる所以である。今の日本は乱れてゐる。乱世である。その原因は、言葉の乱れにあると考へる。

国家的危機に瀕してゐる今こそ、言葉を正さねばならない。やまとことばの復興、言霊の力による国の再生が図られなければならない。一切の改革・変革の基本に、言霊の復興がなければならない。

情報とは言葉である。今の日本は情報・言葉は洪水のごとく氾濫し、濫用されてゐる。森本和夫氏は、「スターリンによって、『生産用具、たとえば機会と違わない』といわれた言語が、ますますその方向を突き進んで、いまや生産用具の主座にすわろうとしている。それこそ“情報社会″と呼ばれるものの意味であろう」(『沈黙の言語』)と論じてゐる。

言葉が意志伝達の手段としか考へられなくなり、人間が言葉への畏れを無くした時、文化と道義は頽廃し、人間は堕落する。それが現代社会である。

言葉への畏れを喪失するといふことは、言葉を単なる生産手段=機械と考えることである。「言葉は意志伝達の手段、人間の扱ふ道具だ」といふ観念が、国語の軽視と破壊の原因である。言葉が単なる情報伝達の手段であるのなら、なるべく便利で簡単で負担が少ない方が良いといふことになる。漢字制限はさういふ安易な便宜主義・目先の理由によって行はれた。

それは言霊の喪失である。現代ほど言霊が軽視されてゐる時代はない。現代日本においては、文藝においてすら言霊を喪失してゐる。

日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させるために、やまとことば・言霊の復活が大切である。それは、言霊が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせる「やまとうた」の復活によって実現する。

今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。大化改新といふ大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の国風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたやうに、畏れ多いが、国難に晒されてゐる今日においても、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

日本天皇を「すめらみこと」と申し上げる。「すめらみこと」とは、天つ神の「みことのり」「神勅」を地上において実現される最高に尊いお方といふ意味である。日本の「言葉」で最も大切な言葉は、天皇の「みことのり」(詔勅)である。「詔を承りては、必ず謹む」精神即ち「承詔必謹」が日本国民の最高絶対の道義精神であり、国家永遠の隆昌の基本である。

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千駄木庵日乗十二月二十九日

朝は、母のお世話。デイサービスに赴く母を見送る。

午後からは、新年を迎える準備、資料の整理など。

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2012年12月29日 (土)

尊皇愛国の心について

「天皇に忠節を尽くす」とか「祖國に一身を捧げる」という観念は、外に向けられると憎悪と殺戮につながるという批判がある。しかし、わが國の民族主義・ナショナリズム・愛國心の根底にあるのは、天皇仰慕の心である。わが國は、天皇を中心とした神の國である。そして、日本天皇の國家統治の御精神は決して排他的ではない。憎悪でもない。君民一体・萬邦共栄・四海同胞・八紘一宇の精神である。それはわが國の歴史の寛容性・平和性・包容性を見れば明らかである。

わが國の愛国心は、「尊皇愛国」と言われると通り、道義の鏡であらせられる天皇への仰慕の思いと一体であるから、ことばの真の意味において常に健全である。民族主義・ナショナリズムの排他性を超えるものが、わが國の神話の精神・天皇の祭祀の精神である。一切を神として拝む精神である。

天皇の統治したまえるわが國は、神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば明らかなごとく、言葉の眞の意味において「平和國家」である。また、御歴代の天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。

「天皇中心の神の國」がわが國體である。この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義なのである。

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千駄木庵日乗十二月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、新年を迎える準備。

午後四時より、平河町の『月刊日本』にて忘年会。発行人の南丘喜八郎氏が挨拶。出席者の方々と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

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2012年12月28日 (金)

『村山談話』を踏襲してはならない

菅官房長官は二十七日午前の記者会見で、平成七年八月十五日に出された村山富市総理大臣の『戦後五十年目にあたっての総理談話』談話について、「歴代内閣の立場を今後とも引き継いでいきたい」と述べ、第二次安倍内閣として踏襲する考えを表明した。

支那共産政府・韓国政府によるわが国に対する軍事的圧迫、わが国領土の不当占拠・侵略策謀、様々な内政干渉に対して、わが国が毅然とした対応が出来ない原因の一つは、『村山総理談話』にある。

この『談話』を安倍内閣が否定したら、偏向マスコミと国内の反日勢力そして支那や朝鮮が猛然と反発することは明らかである。しかし、『村山談話』を踏襲するなどとあらためて表明したことは、わが国の尊厳性・誇りそして日本民族の国民的自覚を回復し、国難を打開する道をふさぐことになる。

『村山総理談話』には、次のようなことが書かれている。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からおわびの気持ちを表明いたします」。

「村山談話」には「国策を誤り」などと書かれているが、昭和三年から二十年までの十七年間に、総理は十四人、内閣は十五も成立しては倒れという状況であるから、一貫した国策など立てられるわけがない。

「植民地支配」とは、わが国の台湾及び朝鮮統治のことであるが、わが国の統治によって「多大の損害と苦痛」を与えたという事実はない。むしろその逆に、わが国の統治によって台湾及び朝鮮は近代化を遂げ発展したのである。    

当時の朝鮮が独立国家として自立していればわが国は、日清・日露両戦争をする必要もなかったし、朝鮮を併合する必要はなかった。しかし、朝鮮が支那やロシアに対して事大主義(支那・ロシアという勢力の強い国に従って言いなりになること)に陥り、支那・ロシアの属国となってしまう危険があった。朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、次は日本だ。朝鮮併合はわが国の独立と自存のための止むを得ざる選択であったし、当時の国際世論の認めるところであった。


併合後は、わが国の指導と投資により、南北縦貫鉄道の施設、多角的港湾の設定、多種多様の殖産興業、教育の普及、保健衛生施設の拡充、水利灌漑施策の充実等々、近代化建設はめざましいものがたった。これは台湾も同様である。

満洲事変は、日露戦争の結果得た満洲におけるわが国の正当な条約によるわが国の合法的権益を守り、居留民保護を主目的とし、当時混乱していた満洲の安定を図るための自衛権の範囲内の武力による解決であった。そもそも、満洲は元来が満洲民族の土地であり、漢民族の土地ではない。それは辛亥革命のスローガンが、また「滅満興漢」「反清復明」であったことによって明白である。

昭和十二年七月七日の支那事変の原因は、西安事件後、蒋介石政権が共産主義勢力と提携し反日運動を開始したことにある。この背景には、ソ連・中共による謀略があったことはいうまでもない。支那事変の発端は、蘆溝橋における共産主義者の挑発と謀略によるわが軍への攻撃である。わが国には、戦争計画など全くなかった。わが国は支那事変解決に努力したが、米英そしてソ連・中国共産党の策謀によって泥沼の戦いに陥ってしまった。満州事変・支那事変はわが国の一方的侵略ではない。

ともかく日本は、「痛切な反省の意を表し、心からおわびの気持ちを表明」しなければならないような「多大の損害と苦痛を与え」た「戦争犯罪」をしでかした国ではない。『村山談話』の歴史認識は全く間違っている。このような『談話』は一刻も早く廃棄されるべきである。

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千駄木庵日乗十二月二十七日

午前は、母のお世話。某官庁にあることについて問い合せ。重大な問題なので、新年なったら本格的に事情説明を受けたいと思う。

午後は、知人と懇談。

この後、資料の整理・新年を迎える準備など。

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2012年12月27日 (木)

千駄木から国務大臣の家がなくなった

小生が住む千駄木には、野田内閣の重要閣僚が二人住んでいた。そのお二人の家の近隣の人や同じマンションに住んでいる人たちは、ポリスボックスがあることを「安心感がある」と言って喜んでいた。明日からはもうなくなるのであろう。

千駄木には、はるか昔、大平正芳氏が住んでいた。私は、大給坂という坂の下にある家で成長したのであるが、その大給坂の上の、江戸時代からある大きな屋敷に大平氏は住んでいた。その屋敷は、大平家が住むも前は、徳川氏と母体と言われる大給松平家の屋敷であった。大給氏は譜代大名であったので、当主は代々幕府の要職を務めた。大きな銀杏がある大名屋敷である。銀杏の木は今も残っている。

小中学校に登校する時、その屋敷の前を毎日通った。大平氏が官房長官をしておられた時には、政治家などがその屋敷に入って行くのをよく見た。やがて大平氏は世田谷に引っ越していき、屋敷も取り壊され、跡地に多くの建売住宅が建てられた。

千駄木には、文部大臣を務めた内藤誉三郎氏の屋敷もあった。近くの湯島には、愛知揆一氏や小沢佐重喜氏(一郎氏の父上)の屋敷もあった。このお二人の家も豪邸と言ってよかった。

昔の国務大臣の家に比べると、野田内閣の閣僚二人は普通の家やマンションに住んでおられた。今は資産家でなくても閣僚になれるということなのだろう。日本はそれほどの格差社会ではないであろう。いずれにしても、わが町に国務大臣の家が無くなったことは何となくさみしい気がする。

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千駄木庵日乗十二月二十六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、新年を迎える準備・原稿執筆の準備など。

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2012年12月26日 (水)

愛国心・ナショナリズムと尊皇精神・國體観念

維新運動・愛国運動・民族運動・真正保守運動と言われてゐる運動の基本は何か。何を目的としてゐるのか。排外主義と国粋主義とは同じなのか。ナショナリズムと日本伝統精神の関係はどうか。日本主義とは何か。具体的にどういふことを為すべきか。これは重大な問題である。

日本精神・日本主義・民族主義・国粋主義・愛国主義・民族精神・日本伝統精神といふやうに維新運動の基本に置く思想の名称も色々ある。それぞれ微妙な違ひがあるやうに思へる。私は、基本にあるべき思想精神は「尊皇愛国」「敬神崇祖」といふ日本伝統精神であると思ふ。

「愛国心」とは個人が運命共同体として結集し拡大された鞏固なる歴史的存在意識であるといはれてゐる。「愛国心」といふ言葉が使はれ出したのはおそらく明治以降であらう。「愛国心」「ナショナリズム」といふ言葉は、明治以後外国との交渉や競争が激しくなってきてから顕在化したと言へる。

日本民族の国を愛する心の特質は、「尊皇愛国」といふ言葉もあるやうに、萬邦無比といはれる日本國體精神即ち天皇尊崇の心と一体であるところにある。日本人における愛国心は、日本人一人一人が静かに抱き継承してきた天皇を尊崇しさらに麗しい日本の自然を愛するごく自然な心である。

日本人にとって愛する祖国とは本来的には『君が代』なのである。これが日本の愛国心の特質である。ゆえに『国歌・君が代』こそ最大の愛国歌といふことができる。日本における愛国心とは「恋闕心」(「みかどべ」を恋ふる心であり「麗しき山河即ち自然を慈しむ心」である。どちらも「愛」の極致である。

そして、防人が「大君の命かしこみ」と歌って以来、蒙古襲来の時は日本神国思想が勃興し、幕末において欧米諸国のアジア侵略を脅威と感じた時も『尊皇攘夷』が叫ばれ、明治以来大東亜戦争に至るまでの内外の危機に際して勃興したのも国体精神である。日本における愛国心・ナショナリズムは尊皇精神・國體観念と一体である。

大化改新・明治維新・大東亜戦争を見ても明らかなやうに、日本における変革や国難の打開は、必ず愛国心・尊皇心の興起と一体であった。最近の日本も、愛国心・ナショナリズムが勃興しつつある。そしてそれは尊皇精神。日本伝統精神と一体のものでなければならない。

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千駄木庵日乗十二月二十五日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後からは、諸雑務、原稿執筆の準備など。

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2012年12月25日 (火)

オピニオン雑誌『傳統と革新』第十号のお知らせ

オピニオン雑誌『傳統と革新』第十号

(四宮正貴責任編集) たちばな出版発行


... 特集 領土・國防・安保─日本は侵されている

巻頭言 國難を契機として変革を断行し國防に関して萬全の態勢を確立すべし

                                 四宮正貴             

インタビュー  

自分の國を自分で守る氣概                     奥野誠亮

ラディカルな改革で新生日本の國作りを               平澤勝栄

國家指導者は國を守る意識を持て!                 田母神俊雄



論文

尖閣諸島、北方領土をめぐる孫崎享氏の奇妙な見解          佐藤優

我が國が立憲君主國ならば、立憲主義の原点に戻るべき     西村眞悟

日米同盟を考える   孫崎享

竹島問題の基本は歴史認識から     濱口和久

武道の視点から領土問題を考える     荒谷卓

日本の國防體制は國境警備隊創設と國軍再建にあり 家村和幸

連載

石垣島便り4 尖閣諸島を北方領土や竹島のようにしてはならない   中尾秀一

戦後「平和ボケ」の脱却からすべてが始まる             木村三浩

「民族派學生運動」「新右翼」から「真右翼」への変遷ー我が體験的維新運動史 

                                 犬塚博英



『やまと歌の心』 ―崇徳上皇の御製               千駄木庵主人





〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル

      代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 版型 A5判並製 一五〇頁 定価 一〇五〇円 全國大型書店にて十二月下旬発売
オピニオン雑誌『傳統と革新』第十号

(四宮正貴責任編集) たちばな出版発行


特集 領土・國防・安保─日本は侵されている

巻頭言 國難を契機として変革を断行し國防に関して萬全の態勢を確立すべし

                                 四宮正貴             

インタビュー  

自分の國を自分で守る氣概                     奥野誠亮

ラディカルな改革で新生日本の國作りを               平澤勝栄

國家指導者は國を守る意識を持て!                 田母神俊雄



論文

尖閣諸島、北方領土をめぐる孫崎享氏の奇妙な見解          佐藤優

我が國が立憲君主國ならば、立憲主義の原点に戻るべき           西村眞悟

日米同盟を考える                                                孫崎享 

竹島問題の基本は歴史認識から                                 濱口和久 

武道の視点から領土問題を考える                               荒谷卓 

日本の國防體制は國境警備隊創設と國軍再建にあり                   家村和幸

連載

石垣島便り4 尖閣諸島を北方領土や竹島のようにしてはならない   中尾秀一 

戦後「平和ボケ」の脱却からすべてが始まる             木村三浩

「民族派學生運動」「新右翼」から「真右翼」への変遷ー我が體験的維新運動史 

                                 犬塚博英 



『やまと歌の心』 ―崇徳上皇の御製               千駄木庵主人

 



〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル

      代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 版型 A5判並製 一五〇頁 定価 一〇五〇円 全國大型書店にて十二月下旬発売

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千駄木庵日乗十二月二十四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して諸雑務、原稿執筆など。

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『政治文化情報』平成25年1月号のお知らせ

『政治文化情報』平成251月号(平成241220日発行)の内容は下記の通りです。見本誌希望の方はメールにてお申込み下さい。m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

〈皇都の一隅より〉

神聖君主日本天皇論

乃木大将御夫妻の辞世

草壁皇子に捧げた柿本人麻呂の挽歌

「國歌君が代」と「天の石戸開き神話」の意義

天智天皇の無窮の御命を祝福した倭太后の御歌

會津八一が奈良の大佛を詠んだ歌

奈良の大仏造営は天照大神信仰の佛教的表現

千駄木庵日乗

高野孟氏「日本人にとっての根源的な自然観・人間観・宗教観に戻らなければこれから生き残るすべはない。二十一世紀は、土に根ざした可能な限り自給的な生活をしていかなければならない」

カール・マーラーズNATO議員會議議長「アフガン復興支援およびNATOにとって日本は非常に重要。共通の価値観を持つパートナーシップが不可欠」

ミヒャエル・リューレNATO新規安全保障課題局エネルギー安全保障課長「NATOは情報共有システムを持っている。これを利用して大量破壊兵器のディフェンスが出来る」

金子宗徳氏(里見日本文化學研究所主任研究員)「女系継承即國體破壊とはならいないと思う。男系男子主義を尊重する見地から旧皇族系一般國民男子の皇籍復帰可能性についても検討することは必要だと思う」

日暮高則氏「習近平は胡耀邦を見直さざるを得ない。それが政治體制の変革になる可能性あり。それによって共産党が対内的に國民の支持を得る事は、日本にとっては危険」

半田晴久氏「『金閣寺はオペラ、銀閣寺は能』と言われる。日本人の文化意識が表れている。『無為にして為さざるは無し』が一番大事」

永江太郎氏(元防衛研究所戦史部主任研究官)「『ハルノート』の『日本軍の支那大陸からの撤退』に満州が含まれるのかどうか確認すべきだった」

この頃詠みし歌

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2012年12月24日 (月)

靖国神社に参拝して思ったこと

本日も、靖国神社に参拝させていただいた。若き人々が数多く参拝に来ていたのがうれしかった。しかも若者が非常に真摯に作法をわきまえた参拝をしている姿に感激した。社頭に掲げられている英霊の遺書を拝読すると、涙を禁じ得ない。今日は二十一歳で國に命を捧げた英霊のご両親に宛てた遺書であった。

わが國の國民道徳の基本は<敬神崇祖>である。そしてそれは、神學・教義という<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下万民に至る日本民族の生活の中の<神祭り><祭祀>という行事によって、古代より今日まで傳えられて来た。靖國神社の戦没者への祭祀は、そうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。

「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行われている信仰行事である。國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。

世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる宗教の儀式に依っている。

祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祭りを行うことは、わが國の神話時代からの傳統に基づく慰靈・鎮魂である。靖國神社及び全国の護国神社で行われている英霊への祭祀は、一宗教法人・宗教団體による宗教行事とは性格を異にする。

『読売新聞』の報道によると、安倍晋三自民党総裁は、総裁就任直後の十月、秋季例大祭に合わせて靖國神社に参拝したが、来年の春季例大祭での参拝は見送る意向だという。これが事実とすればまことに残念なことである。一体どういう理由によるのであろうか。共産支那や韓国に内政干渉を恐れての事であろうか。『読売』の報道が、間違った報道であることを祈るばかりである。

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千駄木庵日乗十二月二十三日

午前は、母のお世話。

正午より、靖國神社境内の靖國会館にて、『天長節を祝ふ会』(小田村四郎会長・森田忠明実行委員長)開催。皇居遥拝・国歌斉唱の後、教育勅語奉読・「教育勅語」奉読・奉答歌奉唱・「天長節の歌」奉唱・聖壽萬歳三唱が行われた。そして、小田村四郎氏が会長式辞を述べた。続いて鈴木信之維新政党新風代表及び小生が祝辞を述べた。

この後、池田一貴氏が「靖国神社と百姓一揆」と題して記念講話を行った。そして、奉祝宴が営まれた。

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式辞を述べる小田村四郎氏

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記念講演を行う池田一貴氏

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年12月23日 (日)

日本傳統信仰の回復が人間と自然の荒廃を根源的に解決する

近代科学技術文明が人間生活を便利にしたことは事実である。しかし、近代科学技術文明は自然を破壊し、人間生命をむしばみ、地球を危機に陥れてゐる。

生命尊重、自然保護、公害追放と言っても、政治・経済・科学技術によってそれを全面的に解決することはできない。自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる今日、わが民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た生活そのものが大きな意義を持つ。わが國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。

日本の伝統信仰は自然神秘思想であることは間違ひないが、全てを神や仏といふ絶対者の支配に任せ、科学的思考・合理的思考を拒絶するといふ考へ方ではない。むしろ日本民族は実際生活においては、きはめて合理的・科学的な生活を営んできた。

近代科学技術文明による自然破壊・人間破壊の危機を救済するには、稲作生活を基本とした神代以来の天皇中心の祭祀国家・信仰共同体を今日まで保持しつつ、西洋文化・文明を受容し、それを発展せしめ、もっとも発達した工業国なった日本の精神伝統が大きな役目を果たすと考へる。科学技術国家でありながら、太古からの信仰が今日においても生き続けている日本が、現代の混迷を打開する役割を果たすべきである。

情報科学の驚異的な進歩発達を見ても明らかなように、多様性の社会となり、これからの世界は様々な情報や考へ方が氾濫し錯綜する時代となってゐる。様々な情報の中から自分に適したもの必要なものを選択する時代となってゐる。それは、一神教の世界ではなく、多神教の世界という事が出来る。

「生きとしけ生けるもの・ありとしあらゆるものは、神の命のあらはれである」といふ日本傳統信仰を回復することが人間と自然の荒廃を根源的にそして自然に解決すると思ふ。

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千駄木庵日乗十二月二十二日

午前は、母のお世話。デイサービスに赴く母を見送る。

午後一時半より、本郷の東京大学構内にある山上会館にて、『アジア太平洋交流学会』開催。遠藤浩一拓殖大学教授が「総選挙結果と第二次安倍内閣の課題」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』発送作業、完了。購読者の方々には週明けにお届けできると思います。

この後、諸雑務。

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2012年12月22日 (土)

八幡宮信仰について

今日参拝させていただいた鶴岡八幡宮は、「御由諸書」によると、康平6年(一〇六三)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが起源であるといふ。源氏再興の旗上げをした源頼朝は、治承四年(一一八〇)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、建久二年(一一九一)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としたという。武家の精神の拠り所となり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まり、当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となったという。現在の本殿は、文政十一年(一八二八)、江戸幕府十一代将軍徳川家斉の造営による。

御祭神は、第十五代応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)、比売神(ひめがみ)、神功皇后(息長帯比賣命・おきながたらしひめのみこと)の三神。この三神を八幡神と総称すると承る。

応神天皇は、御母君・神功皇后の胎内にあられて新羅へと往還されたが、ご帰国直後の仲哀天皇九年(三二〇)に筑紫において生誕された。国難打開・武の神たる八幡神として崇められた。水田開発など農業生産拡大を行はれつつ、文化発展、殖産興業も図られた。応神天皇の御代は、鉄の文化が普及し、日本国が大いに発展した時代で、大陸・朝鮮半島との交流を深められた。

八幡神がわが国最初の神仏習合神として早くから信仰された。聖武天皇は、東大寺大仏(盧舎那大仏)造立に際して、豊前国の宇佐宮に勅使として橘諸兄(従三位左大臣)を遣はし、「国家鎮護」と「大仏造立」の祈願を行はせられた。天平十九年(七四七)に八幡神の「天神地祇を率いて大仏建立に協力しよう」といふ意の神託が下された。

天平二一年(七四九)陸奥の国から大仏像に使ふ黄金が献上され大仏造立が完成した。聖武天皇は大変お喜びになり、この年の七月二日天平勝宝と元号を改められた。黄金の発見といふ瑞祥は八幡神の神徳のよるものとされたのであらう。天平勝宝元年(七四九)十二月に、宇佐八幡の神霊が、紫錦の輦輿(れんよ・鳳輦のこと)に乗って入京し、東大寺の地主神として迎へられたといふ。紫錦の輦輿は、天皇のお乗り物であり、八幡神がすでにこの頃、応神天皇の御神霊であると信仰されていたと思はれる。

天応元年(七八一)に、八幡神に「八幡大菩薩」の神号が与へられた。延暦二年(七八三)には、「護国霊験威力神通大自在菩薩」といふ号も加へられてゐる。

本日実に久しぶりに参拝させていただいたが、神域は清々しく、本殿前からの眺望も素晴らしかった。日本国と皇室の御安泰・国難打開をご祈念申し上げた。

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千駄木庵日乗十二月二十一日

朝、母のお世話。医師の往診あり。

午後十二時、鎌倉駅に集合。葦津泰國氏のご案内を忝くし、木村三浩・伊波新之助両氏と共に、鎌倉市佐助の葦津珍彦先生の墓所に拝礼。蕎麦屋で会食・懇談。葦津泰國氏より貴重なお話を伺う。

この後、鶴岡八幡宮に参拝。

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  • 葦津先生の墓所前にて

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  • 鶴岡八幡宮

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  • 御神木の大銀杏の幹の下部分

東京に帰り、谷中にて友人と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年12月21日 (金)

維新の原義と『日本維新の会』

今回の選挙で「日本維新の会」が、五十四議席を獲得した。「維新」という名称を付けた政党が国政の場に登場したの初めてのことだと思う。「維新」とは一体どういうことなのかを改めて考えなければならないと思う。

「維新」という言葉の出典は、『詩経』(支那最古の詩篇)の「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦 其命維新(周は旧邦なりと雖も、その命これ新たなり)」である。わが国において「維新」という言葉が用いられたのは、天保元年(1830)、水戸藩藤田東湖藩政改革への決意を述べる際に、『詩経』の「維新」という言葉を引用して用いたのが最古とされている。この文章が何と言う名前なのかまだ小生には分からない。

支那は易姓革命を繰り返して来た國であり、「命を新たにする」とは、それまでの王朝を打倒し、新たなる王朝を立てる意味である。しかし、わが国の維新変革は、大化改新・明治維新の歴史を見て明らかな如く、日本天皇を祭祀父主・君主と仰ぐ國體の眞姿を開顕し回復すること現状変革であった。支那の「維新」「革命」と日本の「維新」とは全く異なる。「日本には維新はあっても、革命の歴史は無い」とよくいわれる。この場合の「維新」とは「天命を新たにする」という思想は排除する。

藤田東湖先生の原典を讀んでいないので、私の推測なのであるが、藤田東湖は、「周は旧邦なりといへども」という言葉を重んじたのではないだろうか。即ち、藤田東湖は、わが日本は、萬世一系の天皇が統治したまえる無窮の歴史を有する国であり、その眞姿・本姿を開顕することが現状の革命になると考えられたのではなかろうか。

ともかく、わが国における「維新」とは「尊皇精神「國體明徴」がその基本になければならない。ところが残念なことに「日本維新の会」の「維新八策」にも、その他の政策にも、「天皇皇室」「日本の伝統」について全く触れられていない。これでは困る。

しかし、国会議員団代表の平沼赳夫氏、そして今回当選された西村眞悟・三宅博・中山成彬の各氏ら、そして参院議員の中山恭子氏は、間違いなく尊皇愛国の政治家である。こうした方々が「日本維新の会」で大いに力を発揮され、「日本維新の会」が、尊皇愛国・尊皇攘夷を基本理念する真の維新政党となるようにることを強く希望する。

現状(戦後体制と言ってもいい)を保守するのではなく、國體を護持し眞姿を開顕するという意味の「真正保守」という言葉があるのと同じように、これからは、ただ今日の政治体制・社会体制を変革するのではなく、天皇中心の國體を明らかにすることによって戦後体制を打倒し現状を変革するという「真正維新」という言葉が使われるようになるのではなかろうか。

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千駄木庵日乗十二月二十日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、書状執筆、原稿執筆など。

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2012年12月20日 (木)

天皇・皇室と和歌

天皇・皇室と和歌

和歌においては、傳統の継承と創造とが一體である。歌を詠む人は、先人の和歌を手本として學ぶ。和歌の原点を常に顧みながら新しい創造を行なってきた。即ち傳統と創造が一體になってゐる。ここに和歌文學の特質がある。日本人は傳統の継承から創造を學んだ。和歌はその典型である。傳統と創造が渾然一體となっているのが和歌である。

これは、皇位継承・伊勢の神宮の御遷宮と相似である。日本天皇の肉身はやがてお隠れになられるが、皇位は不滅であり皇統連綿であり萬世一系である。先帝がお隠れになると新帝が即位の大典を執行され大嘗祭を行はれることによって、新しき肉體であらせられながら邇邇藝命以来の靈統を継承される。伊勢の皇大神宮は、御祭神の天照大御神の御神靈は永遠であるが、神殿は二十年ごとに造り替へられる。

傳統を継承しながら、常に新たなる生命が甦るといふのが、わが國の皇位であり、伊勢の神宮であり、和歌なのである。これは他國には見られないわが日本の特質である。まさにわが國體は萬邦無比なのである。

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。

天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

和歌においては、傳統の継承と創造とが一體である。歌を詠む人は、先人の和歌を手本として學ぶ。和歌の原点を常に顧みながら新しい創造を行なってきた。即ち傳統と創造が一體になってゐる。ここに和歌文學の特質がある。日本人は傳統の継承から創造を學んだ。和歌はその典型である。傳統と創造が渾然一體となっているのが和歌である。

これは、皇位継承・伊勢の神宮の御遷宮と相似である。日本天皇の肉身はやがてお隠れになられるが、皇位は不滅であり皇統連綿であり萬世一系である。先帝がお隠れになると新帝が即位の大典を執行され大嘗祭を行はれることによって、新しき肉體であらせられながら邇邇藝命以来の靈統を継承される。伊勢の皇大神宮は、御祭神の天照大御神の御神靈は永遠であるが、神殿は二十年ごとに造り替へられる。

傳統を継承しながら、常に新たなる生命が甦るといふのが、わが國の皇位であり、伊勢の神宮であり、和歌なのである。これは他國には見られないわが日本の特質である。まさにわが國體は萬邦無比なのである。

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。

天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

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千駄木庵日乗十二月十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。この後、忘年懇親会開催。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2012年12月19日 (水)

国難が迫る状況の今日こそ、祖国日本がさらなる発展を実現する機会である

共産支那の日本に対する圧迫が熾烈になっている。沖縄近海における支那海軍の示威行動があっても、さして危機感をつのらせないのが今の日本人である。これは平和ボケなどという甘い言葉では片付けられない。

無法国家共産支那と国際テロ国家北朝鮮に対峙し、祖国日本の平和・独立を守り抜かねばならない。日本に自主防衛体制が確立していない以上、アメリカとの同盟と協力は不可欠である。しかし、「何があっても、アメリカに守ってもらえばいいという植民地根性」は捨てなければならない。

日米対等とか、東アジア共同体という言葉が踊っている。しかしその根本に、まず以て日本の敗戦国意識の払拭そして日本の真の自立が確立されなければならない。北朝鮮ではないが日本こそ『強盛国家』にならねばならない。

ベトナム・イスラエル・北朝鮮は大国ではないが、それなりの力を持ち、支那やロシアやアメリカの言いなりにならない。日本はこの点は見習わねばならない。支那・ロシア・アメリカの言いなりにならない国にならねばならない。

幕末期の『黒船来航』は、グローバリズムの威力だったと言はれている。確かにさうであったらう。その時、日本国民は朝野を上げて「国家意識」に目覚め、「尊皇攘夷」の精神で国家を確信し、その後、「尊皇開国」の精神で近代化を遂げ、危機を乗り切った。今の日本人も、明治維新そして遠くは大化改新に学ばねばならない。

今日わが祖国日本及び日本国民は、グローバル化の潮流に押し流されないために、そして共産支那・ロシア・南北朝鮮の圧迫に押し潰されないために、確固たる祖国愛・国家意識を回復しなければならない。

日本は外圧を克服するための変革を実現することによって発展してきた国である。明治維新・大化改新と同じやうに、国家的危機が迫る状況の今日こそ、祖国日本が飛躍しさらなる発展を実現する機会なのである。

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千駄木庵日乗十二月十八日

午前は、母のお世話。

午後二時、千代田区にある先輩の事務所訪問。選挙後の情勢などについて意見交換。

帰途、大手町で、知人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2012年12月18日 (火)

地団太踏んでいるだけではしょうがない

『現行占領憲法』第九条の「国の交戦権は、これを認めない」という規定は、日本が独立国家であるという事を否定している。自衛権とは交戦権である。交戦権が無いのに自衛隊があるのがそもそもおかしい。こんな憲法を持っているから、北朝鮮・韓国・共産支那・ロシアからなめられるのだ。

日米同盟は大切だ。しかしそれはあくまでも対等であらねばならない。日米関係が対等になるには、わが国が自主防衛体制を構築しなければならない。アメリカから押し付けられた『現行占領憲法』を後生大事にしていて、真の日米同盟関係が構築できるはずがない。

いつまでもアメリカの従属国のままでいいはずがないし、国際情勢はそれを許さなくなっている。その上、共産支那による軍事的脅威が高まってゐる。

① ロシアによる北方領土不当占拠の強化及び我が国に対する軍事挑発行為。

② 韓国による竹島不当占拠。

③ 北朝鮮によるミサイル攻撃の危機及び我が国国民の拉致。

④ 共産支那による尖閣侵略策謀、軍事的恫喝。

この四つが、今わが国が置かれている状況である。「四面楚歌」とはこのことであろうか。

こうしたことに対して、わが國は有効な対抗策を講じることができなかった。民主党政権になってさらに外交姿勢が悪化した。「日本列島は日本人だけのものではない」などという総理大臣が出現し、国を守る組織を「暴力装置」などという官房長官が出現したのだから、侵略国家が攻勢をかけて来るのは当然だ。

地団太踏んでいるだけではしょうがない。何とかしなければならない。今こそ、国家革新を断行しなければならない。「天は自ら助けるものを助ける」といふ言葉がある。今日の国難を克服し乗り切るためには、祖国日本の回復、日本の道統の回復、日本国家・日本民族の総合的力量の回復が断行されねばならない。

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千駄木庵日乗十二月十七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後四時過ぎ、信濃町にて、『伝統と革新』編集実務担当者の方と懇談。

午後五時より、明治記念館にて『春風の会』開催。村上正邦氏が挨拶。山口敏夫氏などが講演。この後、懇親会。小生「大利根月夜」を歌う。

終了後、新宿にて、同志友人と懇親会。

帰宅後は、諸雑務。

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2012年12月17日 (月)

民主党政権の崩壊、社民の衰退は良かった。しかし国難は去っていない。

民主党政権の崩壊、社民の衰退は良かった。しかし国難は去っていない 民主党政権の崩壊は当然である。しかし、国難が去ったわけではない。経済・原発・TTP・農業・福祉ももちろん大切であるが、最大の国難は、支那と北朝鮮のわが国に対する軍事的圧迫・侵略である。これをどう撥ね返すかが最大の問題である。 自民党・維新の躍進は良いが、自公連立政権になることが問題である。公明党は、改憲には反対、国軍化にも反対である。公明党への監視と批判を強めねばならない。 社民・共産・公明党は、『日中友好』を叫んできた。共産支那とのそれなりのパイプもあるのだろう。そして社共は「軍事よりも外交で解決すべし」と言っていた。であるならば、尖閣問題などで、共産支那に乗り込んで行って、日本の立場を正しく表明し、領土侵犯をするなと申し入れるべきである。ところが全くそういう動きはしない。彼らの言って来たそしてやって来た『日中友好』が共産支那を増長させ、日本の立場を弱くしたのである。創価学会・公明党は、「池田先生が日中の金の橋を築いた」と言っているのだが、共産支那に対して堂々と言うべきことを言って侵略策謀を止めさせるべきである。 社民・共産は北朝鮮と友好関係にあったし、イデオロギー的には基本的に同根の政党だ。朝鮮戦争の時は、北朝鮮の韓国侵略に合わせて、わが国内で軍事闘争をしたのが共産党である。社民・共産が日本の政党であるのなら、政府に要求する前に、彼ら自身が北朝鮮に対して核兵器問題や拉致問題を「外交で解決」すべきである。それをしないというのは、社民両党は、北朝鮮に何の影響力がないか、あるいは北朝鮮の手先だということだ。この二つの政党が議席を減らした国民の選択は正しかった。 ともかく、民主党政権の崩壊、小沢一派・社民・共産の衰退は良かった。しかし国難は去っていない。

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千駄木庵日乗十二月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

夕刻、母校の千駄木小学校に赴き、投票。

帰宅後は、資料の整理、書状執筆など。

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2012年12月16日 (日)

日本は歴史に学び、真の維新を断行するべき時だ

共産支那・北朝鮮から日本を護るためには、このままアメリカの保護下でやっていくのが無難であり利巧な生き方なのか。米軍基地問題、TPPなどで、反米感情が噴き出しつつある。

反米ナショナリズムは否定しないが、支那による我が国侵略に利用されないようにしなければならない。戦前戦中のコミンテルンの謀略を想起する。反米英の世論を煽り、日本を対米戦争に追い込んだのが尾崎秀実や朝日新聞そしてゾルゲを日本に送り込んだコミンテルンだった。

アメリカは支那による我が国領空侵犯に懸念を表明しアメリカの尖閣防衛義務が不変であることを支那に伝えたという。自主防衛体制が確立していない以上、アメリカを敵にすることはできない。

日本がアメリカの隷属下にいるということは、現状のままということだ。しかし、共産支那の隷属下に入るということは、今の日本の繁栄・自由を喪失するということだ。そして何よりも、國體と伝統の破壊に直結する。支那とアメリカの日本皇室に対する態度は、オバマと習近平の、天皇陛下に対する態度を見れば明らかだ。

日本が自主独立の体制が確立していない今日唯今の時点において、私は支那かアメリカかの二者択一を迫られたら、躊躇なくアメリカを選択する。

しかし、日本は支那かアメリカかの二者択一しか道がないということはない。日本が主体性を確立し、主導権を握ればいいのだ。それにはどうするかが一番大切だと思う。

アメリカからの自立と共産支那による日本侵略の排撃の前提は、戦後体制の打倒である。対米自立・対共産支那の圧迫の排除とは軍事的には「日本の核武装」だと思う。しかし、それは可能か。アメリカが容認するか。民主党政権だろうと自民党政権だろうと、それが実行できるのか。

西欧列強によって国家を滅ぼされ、西欧列強の植民地と化したアジアの国々の中で、わが国は、明治維新を断行したことにより、唯一独立を保ち続けた国であった。わが日本は、歴史に学び、真の維新を断行するべき時なのである。

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千駄木庵日乗十二月十五日

午前は、母のお世話。デイサービスに行く母を見送る。

午後からは、在宅して書状の執筆・資料の整理など。

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2012年12月15日 (土)

山崎拓氏の講演内容

『新しい憲法をつくる研究会』における山崎拓元自民党副総裁の講演内容は次の通り。

「第三十二回総選挙で初挑戦。落選した。昭和四十七年の第三十三回総選挙で初当選。同期当選は三十六人。YKKがいた。今回初めて立候補しなかった。いささかさみしさを感じている。同期で今回も立ったのは加藤紘一と野田毅。心から勝利を祈る。彼らが現役として残るのは大切。充分な政治経験を踏まえた判断が必要。それがないために未熟な国政運営になっている。福田・中川・渡部・大野という大ベテランが一斉に政界を去ることになった。自民党は、百議席回復が確実。新人が多くなる。自民党も小泉チルドレン時代今の民主党みたいに政治家として未熟な人が入って来て判断の的確さが欠けるようになった。世襲姿勢を民主党から出されているのはあながち間違いではない。鍛え直すことが必要。

自由党と民主党が合併した立役者の裏の顔は三木武吉。表の顔は鳩山一郎と緒方竹虎先生。緒方先生は小中学校と大学の先輩。昭和三十年、緒方先生が福岡県立修猷館高校の同窓会に来られて講演された。私は昭和三十年三月に卒業していたので記録したものを入手して拝読した。自主憲法制定を強く訴えられた。借り物の憲法では真の独立は得られないと力説された。自民党総裁代行委員になられた。品川の御殿山に私の父が家を借りていた。私は高校時代から柔道部。大学でも柔道部。三十一年一月二十八日に緒方竹虎先生は亡くなられた。父と一緒に御殿山から五反田の緒方先生の自宅に坂道を下って行った。緒方先生は箱根で亡くなられたので、まだご遺体は五反田に戻って来ていなかった。到着を待って焼香させていただいた。

私の父親も緒方先生も玄洋社という政治結社に関係していた。頭山満氏が指導者。黒田藩旧藩士によって構成。明治十三年に結成。私の祖父が玄洋社に入っていた。父も、中野正剛・緒方竹虎・広田弘毅という玄洋社関係の人々の驥尾に付すようにしていた。緒方先生と知己を得ていた。私の父母両方の家系は炭鉱屋。祖父は玄洋社でテロリスト的なことをした。未成年だった。皇居から三里外追放になった。故郷で柔道の先生をした。頭山満先生から炭鉱をやれと言われ玄洋社の資金を作った。

エネルギー革命で石炭は石油によって追放された。私は炭鉱の後始末をやらなければならなくなった。ブリヂストンを退社し、祖父の炭鉱の閉山の後始末に従事した。そして石油問題に関心を持ち、政治家になってからエネルギー問題をライフワークにして取り組んだ。初当選したら、私が当時支持していた中曽根康弘先生が田中内閣で通産大臣になった。当時日本は、中東からの石油に八割依存していた。中曽根先生は、一年生代議士だった私を呼んで、『サウジアラビア・アラブ首長国連邦・イラン・クウェートと政治的パイプを通せ』と指令された。そして日本アラブ友好議員連盟をつくった。木部佳昭氏が幹事長になり、私が事務局長になった。安倍晋太郎・竹下登両氏も参加した。木部氏を団長にしてアラブに行った。アラブには議会らしい議会が無いから友好議員連盟をつくること自体無理だった。アラビア語も通じない。相手は眼だけが出た服装なのでやりにくかった。親しくなるように努力した。アラブは禁酒禁煙。リヤドに滞在した。日本大使公邸は治外法権なので酒が呑めた。一九七三年六月七日、石油産油国連盟は七〇%の石油値上げを決めたというニュースが流れた。原油は戦略商品として操られた。第四次中東戦争が始まった。イスラエルが勝利した。アラブ側はイスラエルの味方する国には石油を売らないと決めた。

私は通産政務次官になりたいと手を挙げた。中曽根氏の裁定で野田毅氏が通産政務次官になり、私は防衛政務次官になった。私は猛烈にごねたが、中曽根氏から『外交安保が分からない総理は駄目。防衛政務次官になれ』と言われた。泣く泣く防衛政務次官になったが、やっているうちに面白くなった。各地の自衛隊基地で大将の礼遇をされていい気持ちになった。大村襄治先生が大臣だった。大村先生は胃潰瘍で手術されたので、私が代理で国会答弁をした。訓練になった。中曽根内閣で官房副長官になった。私の主たる経歴は党務。党の主要役職は殆どやった。勲章授与で党務は評価されない。官尊民卑。

今、第二の冷戦構造なっている。中国は海洋郷国を唱えている。南沙・西沙の第一列島線を越えて第二列島線まで出て来ている。グァム・フィリッピンに抜ける線まで中国海軍が進出。その途中に尖閣がある。尖閣問題は海保でやるべきであり、自衛隊を出すべきではない。中国も軍は出ていない。軍事衝突は戦争になる。侵略は断固として阻止する。中国には二万社の日本企業があり、十三万人の日本人がいる。これを守ることを考えるべし。内政は大混乱に陥っている。安定のために英知を働かせるべし。外交と安保は一体である」。

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千駄木庵日乗十二月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、青山の根津美術館で開催されている『特別展・柴田是真の漆工・漆絵・絵画』参観。この展覧会は、「柴田是真(18071891)は、幕末から明治時代に活躍した蒔絵師であり、絵師です。従来の蒔絵師とは異なり、下絵から蒔絵までの全工程を手がけることで、「五節句蒔絵手箱」(サントリー美術館蔵)や「烏鷺蒔絵菓子器」(東京国立博物館蔵)に代表される洒脱な作品を生みだす一方、絵画、さらには紙に漆で絵を描く「漆絵」を手がけ、絵画・工芸の枠組みを超えた活動を展開しました。…本展覧会は、約30年ぶりに、国内の優れた作品約120点を一堂に展示いたします」(案内書)との趣旨で開催された。

また常設されている仏像なども鑑賞。

参観後、庭園を散策。

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夕刻、日本橋にて台湾研究家の友人と懇談。色々貴重なお話しをうかがう。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年12月14日 (金)

この頃詠みし歌

夕空に浮かぶ満月刻々と光増し来るあざやかさかな

母が待つ千駄木の空に満月が皓々として冴へ返るなり

十二月となりたる今日はベートーベン第九を聞きつつ朝の掃除す

便りなき友を思へばうら悲し縁(えにし)はかくて薄れゆくかな

朝明けて窓開きなば子供らの声が聞こゆることのうれしさ

朝な朝な天津祝詞を唱へればふつふつとわく我が力かな

久しぶりに来たりし殿堂人気無く森閑としてさみしかりけり(生長の家本部)

抜け殻の如き殿堂の中に入り本を買ひたり懐かしき本を()

垂乳根の母といふ言葉胸を打つ斉藤茂吉の歌集讀みつつ

幾千歳生きたまへとぞ祈るなりわが母と共にパン食しつつ

夕暮に靖國神社に参り来てライトに浮かぶ大村像を仰ぐ

夕暮の街を駅へと急ぐ時 行き交ふ人も忙しげに見ゆ

五十年ぶりに逢ひたる人は健やかにそれその夫と寿司食しゐる

日の本の國に生き来て今日仰ぐ天つ日の光にわが命燃ゆ

身に浴びる朝の光はすがしくて今日生きて行く力みなぎる

黒龍といふ酒うまし今宵またちびりちびりと呑みて楽しむ

時の移り止めるすべなし散り敷ける落ち葉踏みつつ道歩み行く

寝不足の身を横たへてゐる時に携帯電話が鳴り響きたり

アメリカに囚はれし同胞の作りたる工藝品を見つつ涙す(『尊厳の美術展』参観)

民族の誇り忘れずといふ言葉 書かれし俳画に涙さしぐむ()

贈られし讃岐うどんを食しつつ父の故郷の四國を思ふ

阿波の國より都に来たり我を育てこの世を去りし父を思へり

みいくさを戦ひ戦後を生き抜きて九十二歳で世を去りし父

苦しみて逝きし父上を思ひ出し年の暮れにも悔しみてをり

一仕事終へたる後の夜の更けに一人くゆらすタバコの煙   

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千駄木庵日乗十二月十三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年12月13日 (木)

國家を守る精神は道義の要である

戦後日本は、「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値として押し戴いた。「平和と民主主義」は、國のために戦うという強者の思想を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たない、國家の独立・主権・領土・平和・歴史・傳統が侵略的意図を持った外國から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する弱者の思想である。

 國家を守ることは、國民の道義精神の要である。國防と道義は不離一體の関係にある。國を守る使命、言い換えれば、国を守る意志が無い國民は、真の國民とはいえない。運命共同體であるところの國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念があってこそ、真の國民である。

 現代日本人の中には、崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考え方に陥ってい人がいる。

 外國人参政権付与も、國民としての義務に「兵役の義務」がきちんと憲法に書かれていないから起こる問題である。税金さえ納めていれば國民であるというまさに利益至上主義的考え方が、「定住外國人も税金を納めているから参政権を付与すべきだ」という考えを生むのである。

      

 われわれ神洲清潔の民は、強者の立場をとらなければならない。「一人立つ」の精神がなければならない。眞の独立自尊の精神がなければならない。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、もののふの心・大和魂=日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。須佐之男命・日本武尊そして防人以来の武士道精神・もののふの心に回帰しなければならない。

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千駄木庵日乗十二月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、大來皇女の御歌などを講義。

帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2012年12月12日 (水)

日本傳統精神の本質

日本傳統精神の本質は、自然の中に神の命を拝む心・祖先を尊ぶ心である。きわめて自然で自由で大らかな精神である。日本人は、あるがままの自然に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考えないで、人間が自然の中に入り、人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

再生と循環は自然の思想である。古代日本人は自然の再生と循環の中に共に生きて来た。日本人は、人の命も自然の命も永遠に共生し循環し続ける事を実感してきた。しかるに今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になっている。自然破壊は何としても是正されなければならない。

日本傳統信仰は、人の命と自然の命を神聖なるものとして拝ろがむ精神である。祭祀という神人合一の行事はその實践である。その最高の祭り主・日本傳統信仰の體現者が日本天皇であらせられる。

わが國の神は天津神、國津神、八百万の神と言われるように、天地自然の尊い命であり、先祖の御霊である。日本傳統精神すなわち「日本人が歩むべき道」とは「日本の神々の道」である。したがって、伊耶那岐命・伊耶那美命・天照大神をはじめとする日本の神々を祭られる日本天皇が、日本の道を体現されている方である。

つまり「日本の道」は抽象的な教義として継承されてきたのではなく、<天皇の祭祀>という現実に生きた行事によって継承されてきているのである。

わが國の傳統精神における最も大切な行事は祭祀である。「祭祀」とは神に奉仕し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。さらに、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の実践である。つまり人と自然の本来の姿を回復する行事が祭りである。そしてそれは、明るく平和的な行事である。動物や人間を生贄として神に捧げる事はしない。

わが國民が祭りが好きであるということは、日本人が本来明るい平和的精神を持っているということである。日本民族は本来的に残虐でもないし、厭世的でもなければ逃避的でもない。また排他的でもない。それがわが國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓い清めることができると信じ続けてきている。この「祭祀」の精神が、戦争・闘争テロが繰り返され、自然は破壊され、人の命は軽視される現代を救済し打開する原理となると確信する。

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千駄木庵日乗十二月十一日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、明日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

夕刻、根津にて久しぶりにお会いした友人と懇談。内外の諸情勢について語り合う。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年12月11日 (火)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會のお知らせ

四宮政治文化研究所代表の四宮正貴が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでをります。多くの方々の御出席をお待ちしてをります。

日時 十二月十二日(第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館 東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

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天皇陛下と『皇室典範』

「『皇室典範』が、天皇の意志や恣意で改変されることの無いようにするために、その改正権をもつ皇族會議を主宰する天皇は、『皇室典範』は天皇に対して〝上位の法〟であり、天皇は『皇室典範』に対して〝下位の機関〟といふ法思想を遵守すべきだ」といふ議論がある。

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方がある。これは、イギリスの法思想であるといふ。かかる法思想は、「王の権威と権力は神によって与へられた」とする西洋の「王権神授説」の考へ方であって、わが國には通用しないし、通用させてはならない。

わが國は権力国家ではなく祭祀国家であり、天皇は権力者ではなく祭り主である。わが國の國體は祭政一致である。天皇は法の上におられるとか下におられるとかではなく、天皇の「おほみことのり」そのものが「法」(のり)なのである。日本天皇が、神を祭る時にうかがった神の意志を民に告げることを『ノル(告る・宣る)』といふ。現御神日本天皇の「大御心」「勅」(みことのり)が絶対にして最高の「法」である。わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を民に傳へる『のりごと』である。法(のり)は宣(のり)である。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が「法」なのである。わが國の法の尊厳性はそこから生まれる。

古来、我が國では、宮廷其他の法律・命令はすべて「のり」といふ語で表されてゐて、「のりと」と法律・命令とは根本は同じものである。

祭政一致のわが國の傳統においては、天皇の仰せごとは即ち神のご意志であり、民が守らなければならない「法」なのである。天皇の上に「法」があるなどといふことは絶対にあり得ないしあってはならない。

三潴信吾氏は、「我が御歴代の天皇の下における一切の認定法は、天照大御神と一體たり給ふ 天皇の大御心の発現であって、神定即人定と云ふべきもので、ここにわが國法の神聖性の根拠があり、従って又、そこに日本民族の尊皇遵法の根拠があるのである。」(『日本憲法要論』)と論じてゐる。

「天皇は『憲法』『皇室典範』よりも下位にある機関」などといふ説はまったくわが國體と相容れない。第一、現御神日本天皇断じて「機関」ではあらせられない。天皇國日本においては憲法を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威による。なぜなら天皇は現御神であらせられるからである。天皇の正統性は憲法によるのではない。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。皇位継承など皇室に関することは、國家の権力機関である立法府・行政府で決めるべきではなく、最終的には、天皇陛下の大御心に遵ふべきである。

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千駄木庵日乗十二月十日

午前は、母のお世話。ケアマネージャーの方が来宅し、今後の介護について相談。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2012年12月10日 (月)

『尊厳の美術展―The Art of Gaman―』を参観して

今日参観した『尊厳の美術展―The Art of Gaman―』は、「太平洋戦争(四宮註・正しくは大東亜戦争)の開戦後、アメリカ西部では日系人が強制収容されました。彼らは厳しい収容所生活の中でも人間の尊厳を失わず、日用品や小木等を材料に美術工芸品を制作しながら不安や苦悩をのりこえ未来へと希望をつなぎました。平成22年、スミソニアンアメリカ美術館レンウィックギャラリーで開催された展覧会『The Art of Gaman』は、NHKの番組『クローズアップ現代』で紹介され大きな反響を呼びました。その中には日本での展覧会の開催を望む声も数多くありました。平成24年は日系人の強制収容から70年の節目を迎えます。この機会に展覧会を日本で開催し、困難の中でも人間の尊厳を失わなかった日系人の作品を紹介することを通じて震災から復興する日本と日本人を見つめる機会としたいと考えます」(案内書)との趣旨で開催された。

天皇、皇后両陛下におかせられては、十二月六日、東京藝術大学大学美術館で行幸あらせられ、この美術展をご鑑賞あそばされた。その事をニュースで知り、小生も本日参観した次第である。

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三段引出、椅子、そろばん、紙製の籠、二宮金次郎像・鶴・蛇・ライオン・だるま等の木彫作品、風景画・肖像画、日本人形、仏壇、硯などの作品が展示されていた。

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それぞれ苦心して作られたものばかりで、精緻で心の籠った作品であった。収容所という厳しい環境の中で、乏しい材料を使って創意工夫を凝らし精魂込めてこれだけ見事な作品を創作したことに本当に驚嘆する。日本民族は本質的に素晴らしい技術と藝術に対する情熱を持っていることを実感した。日本人はいかなる困難に遭遇しても逞しく生き抜く精神と力を持っているのである。

大東亜戦争開戦後、約十二万人の日系アメリカ人が、アメリカ政府によって強制収容所に送られた。手荷物以外の持ち込みは許されず、住んでいた家などの財産を手放して連行されたという。有刺鉄線が張られた収容所は砂漠などに作られたので風雨や砂塵が吹き込む過酷な環境であった。収容所は十四カ所つくられたという。

アメリカ政府は、一九八八年に公式謝罪を行い、収容されていた人々に対し補償を行った。しかし、収容されていた人々は、日系アメリカ人に対する敵意と差別が助長されることを恐れ、収容所生活の実態を子供たちにすら語ることはなかったという。

展示されていた俳画(作者未詳)に、

「血の誇り しかと抱いて 待つ明日」

という句が記されていた。涙を禁じ得なかった。日本民族の誇りと矜持を固く保持して苦難の生活を耐えていた同胞の方々に衷心より敬意を表する。美術館参観で涙を流すことはこれまでなかったが、先日参観した『東京国立近代美術館 60周年記念特別展・日本近代美術の100年』で、藤田嗣治「アッツ島玉砕図」「サイパン島同胞臣節を全うす」、鶴田五郎「神兵パレンバンに降下す」という戦争画を見た時も涙をこらえることが出来なかった。

戦争を耐え忍び、強く生き抜いた日本同胞に対して、深い仁慈の御心を寄せられる天皇皇后両陛下に、感謝合掌するのみである。

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千駄木庵日乗十二月九日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京芸術大学美術館にて開催中の『尊厳の芸術展』『藝大アートプラザ大賞展』『平櫛田中コレクション2012』鑑賞。

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藝大美術館楼上からの眺め

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夕暮の藝大

帰宅後は、資料の整理、『政治文化情報』原稿執筆。

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2012年12月 9日 (日)

『現行占領憲法』の亡国性

国家の基本法たる『憲法』は、その国の歴史と伝統を踏まえていなければならない。憲法の基軸に伝統性・歴史性が無ければならない。特にわが国のように建国以来三千年の歴史と伝統を有する国は然りである。

『大日本帝国憲法』は、日本の歴史と伝統を基軸にして制定された。明治天皇が発せられた「告文」に「皇祖皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ、典憲ヲ成立シ、条章ヲ昭示シ、内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ、外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ、益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ。茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス。惟フニ此レ皆 皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス」と示されている。そして第一章第一条には、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定められている。

しかるに、『現行占領憲法』には、祖国日本の伝統性・歴史性が全くと言っていいほど欠如している。「前文」には、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と書かれている。これは「東條内閣によって開始された侵略戦争は二度と再び行いません」という詫び証文である。過去の歴史についてはわずかにこれだけしか触れられていない。しかも、日本国を侵略国家とする「自虐史観」なのである。

『現行占領憲法』第一章第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれている。肇国以来連綿として続いている天皇を君主と仰ぐ日本國體の歴史的伝統性は全く書かれていない。「主権の存する日本国民の総意に基づく」というのは、西洋の「国民主権論」を基軸とし、日本國體の時間的連続性、歴史的伝統性を全く無視している。

歴史を忘却した国家・民族は亡国の道を辿ると言われている。『現行憲法』はまさに亡国憲法である。一日も早く無効を確認し、正統憲法を復元しなければならない。

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『故黄昭堂主席を偲ぶ会』における登壇者の発言

『故黄昭堂主席を偲ぶ会』における登壇者の発言。

王明理台湾独立建国同盟日本本部委員長「いまだに信じられない。昨年の今頃、父の墓参(王明理さんの父君は台湾独立運動指導者で、黄昭堂氏の恩師である王育徳氏)をして、私が台湾独立聯盟日本本部の委員長になったことを報告すると、父の『黄昭堂氏など先輩の話を聞いて職務を果たせ』という言葉が聞こえて来た。その時、宗像隆幸さんから『黄昭堂氏が亡くなった』という電話があった。信じられなかった。あのときのショックが今も続いているように思う。私や母は黄昭堂さんに頼ってやって来たことを知った。蔡英文さんが総統選で敗れた。陳南天先生が新しく台湾独立建国聯盟主席になった。馬英九は習近平の中国共産党総書記就任に祝電を送った。習近平は返電で『中華民族のすばらしい未来を共に創造することを希望する』と述べた。中共と国民党がここまでの言葉を交わしたことはなかった。しかし台湾の人々は大問題だとは思っていない。『中共から攻められなくて済む』という安易な考えがある。平和のうちに国共が手を結べば、日米は手が出せない。台湾国家誕生まで努力していきたい」。

黄正澄氏(ご遺族)「皆さんとの会合が父は好きでした。本日の会合を父は喜んでいると思う。先週台北での音楽会が開かれ、父の気持を分かっていた方々に多く集まっていただいた。

父は幸せだった。皆様の支援と友情で父は頑張って来ることができたと思う」。

宗像隆幸氏「一九六〇年に『台湾青年』が発刊した。数年以内に国民党を追い出して台独が出来ると信じていた。私は六一年から『台湾青年』の編集に携わった。新しいメンバーがどんどん入って来た。組織化が行われ、中央委員長の黄昭堂が就任。連盟本部を南元町に作った。留守番兼仕事の監督、秘書役が必要という事で私が引き受けた。数えきれないほど生死を共にした。予期しない危険が迫った。陳純真スパイ事件で七人の同志が二十六日間ぶち込まれた。黄昭堂氏は五十年間、医大で政治学を教えた。大学には一週間に一度行けばいいので活動ができた。陳南天台湾独立建国連盟主席は、一九四五年生まれ。早稲田大学に学び、コロンビア大学に留学。台湾独立聯盟アメリカ本部副主席に就任。運動の専従になった。博士課程で学問をしていたのに台独運動に飛び込んだ。信頼できる。蒋経国が帰国禁止にした。日本人のパスポートで堂々と台湾に帰った」。

陳南天台湾独立建国連盟主席「『自分は幸せだ。素晴らしい人生だ』と黄昭堂主席は言っていた。台・日・米の安全保障について深く議論した。台湾の安全はアメリカと日本にとって重要。『台中平和条約』が締結されれば、中国は何もしないで台湾を呑みこむことになる。台湾の若い人には台湾人意識が強い。十八歳から二十九歳の若い人は八十五%が『自分は台湾人であって中国人ではない』という意識。しかるにどうして選挙で負けるのか。馬英九政権は若者に投票させないために投票時間を短縮している。台湾人は、自分の国をつくる自信を持たねばならない。日米台は一緒に台湾を守る。台湾を守ることは日本とアメリカを守ることになる」。

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挨拶する陳南天台湾独立建国連盟主席

中津川博郷前衆院議員「台湾は立派な独立国家らなってもらいたい。台湾建国の原点が台湾独立建国聯盟」。

住田良能産経新聞相談役「一九七〇年代初め、産経と台湾との交流の中で、黄先生との交流が始まった。先生が亡くなって私の心の中に大きな穴が開いた。慈愛に満ちた巨大な存在であった」。

郭孫雪娥さん「主人も『二・二八』で殺されかけた。バナナ船の船底に隠れて日本に来た。五年後、私も娘を連れて日本に来た。火焼島(政治犯収容所があった台湾の島嶼)に慰問袋を送った。黄昭堂さんが亡くなったと信じられない。台湾に行っていると思っている」。

黄文雄拓殖大学客員教授「黄昭堂氏はみんなが嫌がることを自らすすんでやった。尖閣問題に詳しい黄昭堂氏が亡くなったのは残念。陳南天新主席は、情熱は誰にも負けない。学問の面でも数学の天才。自分の全てを台湾に捧げている。七〇年代にアメリカに行った時、彼の家に泊まり世話になった。台湾人の情熱と決意で台湾独立を達成させる」。

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千駄木庵日乗十二月八日

朝は、母のお世話。母は今日から週一回のデイサービスに行くことになった。見送る。

午後は、原稿執筆。

午後五時より、歌舞伎町の「花の舞」にて、『民族革新会議憶年の集い』開催。犬塚博英議長が挨拶。阿形充規氏の音頭で杯をあげた。多くの同志が参集し、有意義にして楽しい宴となった。蜷川正大氏の音頭で手締めを行い、散会した。久しぶりに歌舞伎町を歩いたが、若者が数多くたむろしていた。街の雰囲気はだいぶ変わったようだ。大久保病院も、歌舞伎町交番も新しくなっていた。昔よく新国劇を見に来たコマ劇場は姿を消していた。客引きが多かったが、何故か私には声をかけなかった。昭和四十年代は、歌舞伎町二丁目は、大久保という町名で、まだ住宅が多く残っていた。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理。母が、無事帰宅し、元気だったので安心する。お世話になってた介護担当者の方、そしてデイサービス担当者の方に感謝する。

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2012年12月 8日 (土)

大東亜戦争について

 わが國による朝鮮統治そして満洲建國そしてそれに続く支那事変をわが國による侵略であり植民地支配であるという批判がある。しかし、アジアの一角にある日本が、欧米列強の侵略から自らを守り、独立を維持していくために、朝鮮半島や満洲や支那に進出することは当然のことであった。

 日本には新しい領土はあったが植民地は無かった。明治二十八年、『下関条約』で台湾は日本に帰属し、明治四十三年、『日韓併合条約』で韓國は日本の領土になったのである。侵略し奪い取ったのではない。

 また、当時の支那や満洲や朝鮮は、今日的意味における独立主権國家ではなかった。支那や満洲やそれぞれロシア・イギリス・フランスなどの半植民地的状況にあった。朝鮮半島は支那の半植民地・属國であったし、ロシアの南下侵略の危険に晒されていた。

 日本が、支那・満洲・朝鮮のそうした状況をそのままにしておいたら、遠からず日本の独立が奪われる危険性あった。だからそれらの地域に日本は進出したのである。また。それらの地域が独立主権國家として正常に機能していればわが國が進出する必要もなかったのである。

 日本が朝鮮半島・満洲・支那大陸に進出したのは、奪い尽くし、侵し尽くし、焼き尽くすためではなかった。日本統治下にあった朝鮮・台湾そして日本の強力な指導の下に國造りを行った旧満洲國は、急速に近代化を遂げ、社会資本を充実させ発展した。

 日本は、満洲國に五族が協和する王道樂土を建設し、そこに理想國の見本をつくって、王道樂土を支那全土に及ぼそうとしたのである。日本國は決して満洲をを奪うためではなく、ただ、隣接大陸に理想の國をつくることに協力したのである。そして、その資源開發に技術を提供したのである。

 

また、「支那事変は日本による『中國侵略』である」という意見が根強い。しかし、蘆溝橋事件は支那側の発砲であったというのは通説であるし、事件勃発後の日本は隠忍自重し不拡大方針をとった。ところが、米英ソの支援を受ける蒋介石政権はソ連および毛沢東軍の謀略に乗せられて、共産勢力と手を組み和平の道を閉ざした。アジア諸地域における植民地支配体制を存続させ、日本を滅ぼそうとする米英ソの軍事的経済的支援を受けた國民党軍および毛沢東軍と日本が戦ったのは当然である。

 わが國は支那事変早期解決に努力を傾注したが、米英の援蒋行為と対日経済制裁で窮地である。何もわが國のみが加害者意識に苛まれる必要はないのである。日本はアジアの解放者だったのであって、加害者ではなかったのである。

戦争については國家意思が何処にあったかで判断すべきである。『開戦の詔書』には『自存自衛』『東亜の安定の確保』『世界の平和に寄与』『萬邦共栄の楽を偕にする』と示されている。白色人種の植民地だった東亜の解放が戦争目的だったのである。我ら日本人は、日本が白人優位の世界秩序を変えたことを誇りに思わなければならない。

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「神道指令」について

 占領軍の日本弱體化のための重要な策謀の一つである「神道指令」(昭和二十年十二月十五日)で、はじめて「國家神道」という言葉が使われた。國家權力と神社神道とが一體となって他の宗教を圧迫し日本を戦争の駆り立てたというのがこの「國家神道」という言葉の根底にある。このような言葉と概念に基づいて有史以来のわが國傳統信仰の祭式による英靈への慰靈を「憲法違反」だとか「軍國主義的行為だ」とか「政教一致だ」とか言って非難している。これは大きな誤りである。

 神道祭式・神社は、わが國の稲作を基本とする共同體の生成と共に生まれた。神道祭式は、國家という共同體の不離一體の関係にある。五穀の豊饒を祈り収穫に感謝する祭りは個人の宗教行為というよりも共同體(村)全體の行事である。神社神道が共同體(小さくは家大きくは國家)と一體なのである。日本傳統信仰たる神道そしてその祭りの場である神社は、國・町・村・家という共同體と共に生まれ守られ続けてきたのである。

 「神道指令」は日本を弱体化するために、共同體國家日本と一體である神社神道を、普通一般の教団宗教と同一視して、強制的に國家と分離し解體しようとしたのである。そして「神道指令」は、わが國の歴史と傳統を否定し、道義の根幹を破壊しようとしたのである。その結果が、靖國神社問題であるし、今日の日本の道義の頽廃である。

 大東亜戦争後の「神道指令」に始まる靖國神社をはじめとした「神社神道」への圧迫は、自然信仰・祖靈崇拝を基幹とするわが國傳統的民族信仰の破壊である。

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千駄木庵日乗十二月七日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後二時より、母の介護関係の方々来宅。今後の介護について相談。

夕刻、谷中にて、小学校・中学校時代の友人と懇談。半世紀ぶりに再会した友人もいた。

帰宅後は、書状執筆。

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2012年12月 7日 (金)

木造建築・煙草・コーヒーの効能について

『日経』のコラム欄に、佐伯一麦という作家の方が。大要次のようなことを書いている。

「鉄筋コンクリートの床があらわになった空間は、人の声を硬く撥ね返し刺々しくする。木造家屋で話をすると自分の声が天井などに柔らかく吸収され、自然な口調になる。学校でのいじめ問題も、校舎が鉄筋コンクリートになったため、声が硬く反響する空間で、苛立ちや拒絶が倍加するのではないか」。

小生の小学校時代は、戦後建てられた木造モルタル造りの校舎で、冬は石炭やコークスを使ったストーブで暖をとった。窓などから隙間風が入って来た。子供たちの殆どは手の平や耳たぶにしもやけが出来ていた。給食も不味かった。一クラス五十人以上のすし詰め学級だった。

勿論、いじめっ子は致し、いじめもあった。しかし今のような陰惨ないじめはなかった。自殺に追い込むというような歯止めのきかないいじめはなかった。

校舎が立派になり鉄筋コンクリート、冷暖房付きなり、給食がうまくなり、「教育施設」が充実しても、決して子供たちが伸び伸びと明るく健全に育っているというわけではないようである。これは、学校に限ったことではない。人類全体が、科学技術が進歩発展し、生活が快適になっても、人と人との争い、国家民族同士の戦争は、ますます激化しとどまるところを知らない。むしろ科学技術が進歩発展しているだけに、戦争の惨禍がよりひどくなっている。

日本の建物を全部木造に戻すということは不可能だが、内部だけでも出来るだけ木と紙を使った建物にしてほしい。子供だけでなく、大人も、コンクリートに囲まれた空間で、煙草も吸えないでイライラしていると、やはり争い事を起こすことが多くなるのではなかろうか。

先日、神田学士会館の喫煙コーナーに煙草を吸いに入ると、お年を召した男性の方が煙草を吸っておられた。その方曰く「煙草を吸う民族や地域はあまり争い事や戦争は起らない。アメリカは禁煙大国だが戦闘的だ。コーヒーは心を落ち着かせる効能持つ。煙草とコーヒーはむやみに抑制すべきではない」という意味のことを言っていた。ご職業を聞くと、ある有名なコーヒーメーカーの元社長・現顧問とのことであった。

のみ過ぎは良くないに決まっているが、煙草は決して百害あって一利なしとは言えない。精神を落ち着かせる効能がある。ただし、煙草を吸う人は戦闘的ではないというのには少し疑問がある。かの共産支那の初代皇帝・毛沢東も、北朝鮮の初代皇帝・金日成も愛煙家であったが、残虐さ・戦闘的という面では比類がない人物であった。

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千駄木庵日乗十二月六日

午前は、母と共に、デイサービスが行われる施設を見学。

午後からは、在宅して、「大吼」連載原稿の校正、原稿執筆、資料の整理など。

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2012年12月 6日 (木)

皇宮警察・警視庁・東京消防庁などの殉職者慰霊施設・弥生慰霊堂について

 国のために命を捧げた人々に対して、神社祭式での慰霊をやめて無宗教の慰霊施設となってしまった先例がある。それは、千代田区の北の丸公園にある皇宮警察・警視庁・東京消防庁などの殉職者慰霊施設・弥生慰霊堂である。

 この施設は、明治十八年に『彌生神社』として創建された。以来、毎年、神式による合祀・慰霊祭を行ってきた。終戦後、神道指令の影響で名称が『彌生廟』と改められ、奉賛會主催の慰霊祭という形に変化した。しかし戦前・戦後を通じて神道祭式には変化はなかった。昭和四十七年、連合赤軍の浅間山荘事件で殉職した警察官の合祀祭も神道祭式で行われた。

 

ところが、昭和五十八年、神道祭式からいわゆる無宗教方式に変更された。この変更について警視庁は「法律を守る立場にある警察としては、政教問題が取りざたされているときでもあり、どこからも文句のでない無宗教方式へ変更した」と説明した。小生も何回か参拝しているが、本殿は神社形式の建物である。しかし鳥居などは取り外されている。

 

東京都慰霊堂は、仏教施設であり、そこで行われる春秋の慰霊大法要には、都庁・都議會の幹部が公式に参列している。殉職警察官を神道祭式で慰霊しても何ら問題はない。殉職者への慰霊というきわめて重要な行事を、わが國伝統信仰たる神道祭式で行わないというのは、敬神崇祖というわが國の倫理精神の基本そして日本伝統信仰たる神道祭式を、警視庁が否定したということである。

 小生は何度か、警察庁長官及び警視総監に対し、殉職警察官慰霊施設は日本伝統信仰に基づく慰霊すなわち神道祭祀に戻すべきであると要望しているが、いまだに実現していない。殉職警察官慰霊施設の無宗教化が、最近の警察官の道義精神希薄化・不祥事続発の原因の一つがあると考える。「無宗教」とは霊魂の否定であり道義の否定である。

信教の自由が保障され政教分離が行われている国においても、国家的な追悼行事はその国の伝統的な宗教の祭式によって行われている。わが國に対して、政教分離を規定した現行憲法を國際法に違反してまで押しつけたアメリカも、ニューヨークにおける同時テロの犠牲者の追悼式を、ブッシュ大統領及び歴代大統領が参列して、堂々とワシントンのナショナル大聖堂というキリスト教会で行っている。この式典でブッシュ大統領は「我々は悲しみと敵に打ち勝つ固い決意で結束している。あらゆる手段を尽くしてこの悪を追及する」と戦勝を誓った。英国ではロンドンのセントポール寺院でエリザベス女王・ブレア首相参列のもとに追悼式典が行われ、ドイツではデュッセルドルフのヨハニス教会で中央追悼ミサが行われた。

 また、アメリカでは、大統領就任式もキリスト教の牧師・神父の祈祷が行われ。大統領は聖書に手を置いて宣誓を行っている。つまりキリスト教は、アメリカの事実上の國教なのである。しかし、アメリカにおいてキリスト教以外の宗教が弾圧され、信教の自由が侵されるということはない。

 「政教分離」とは一神教國家における特定の教団宗教と政治権力の結合による信教の自由の侵害を防ぐための<原則>であって、「國家及び自治体」と「宗教」とを全く無関係にするという<原則>ではない。

 さらにいえば、わが國は建國以来天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同体である。共同体としての日本國家と神社神道の本来一体なのである。そしてそれは決して教団宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れは明々白々である。

 國家民族のために一身を捧げた護國の英霊を、わが國伝統祭式によって靖國神社に公的にお祭りし慰霊し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどという批判は全く誤りである。

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『野分祭』における伊藤祐靖氏の講演内容

『野分祭』における伊藤祐靖氏の講演内容は次の通り。

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「昭和四十五年十一月二十五日は、小学校一年生。今でも鮮明に覚えている。私は、今年四十八歳。私の父は、中野学校七期。小野田さんと同期。小野田さんが生還後、昼のワイドショーに小野田さんが出ていたのを父と一緒に見た。野坂昭如氏らと討論していた。野坂氏は小野田氏に対して否定的意見だった。小野田さんは討論に最後に『この国を恋い焦がれて三十数年間戦ってきた。しかし今の日本は恋い焦がれてきた日本ではなくなっている。野坂、お前を必ず殺す』と言った。実際にフィリッピンで三十数人殺してきた人が言った言葉なので、私は凍りついた。私は一緒にテレビを見ていた父に『人を殺したら死刑になったちゃうよね』と言ったら、父は『死刑になってねやらねばならないことがある』と言った。それから私は規則なんてどうでもいいんだと思うようになった。『罪になってもやらねばならぬことがある。褒められてもやってはならぬことがある』という父の真意が分かるの二十年かかった。

特待生で日体大に入った。そして海上自衛隊に入った。能登半島事案の時、イージス艦の航海長をしていたので緊急出航がかかった。警告射撃によって北朝鮮の船が停まった。相手の船に乗り込んで立ち入り検査をするという発想はなかった。相手の船を沈めるしかない。相手は自爆すると分かっていた。自衛隊員は行けば殺される。防弾チョッキもない。拳銃を持ったことのない者に拳銃を持たせた。『十分間で遺書を書け』と命じた。しかし十分間で隊員の表情が豹変した。その時の隊員の顔は特攻隊員の顔と同じだと思った。すっきりと美しいという表現が一番正しい。清々しい。自身満々の顔。『ジャンボ宝くじが当たらないか』と言っていた若者がたった十分間で変わった。特攻隊員も絶対にこの顔で行ったと思った。『あとは宜しくお願いします』と一人の者が言った。小渕総理が命令権者では嫌だと思った。真っ先に浮かんだのは、天皇陛下だった。陛下のご命令で彼らを出してやりたいと思った。天皇陛下が公のために私を捨てようとしておられることは分かる。そういう人のために死にたいと思った。工作船は走り出したので、結局隊員たちの出撃は無かった。

特別警備の必要性を感じた。これを転機にして日本初の特殊部隊『特別警備隊』ができた。私は特殊部隊の創設から関わった。八年間いた。

退職後は、技術や経験を身に付けるために、ミンダナオ島に四年間いた。二十一歳の女性の弟子がいた。射撃も刃物もうまい。海洋民族の戦い方、身の守り方を勉強した。技術の交換をした。

その女性の弟子は私に『あなたの國はおかしい。私の部落は三回敵に占領されたが、隙があったら相手の首を取る。占領されていても自分たちの習慣を守る。掟は長老が作る。あなたの國は太平洋の向こうの人が作った掟。おかしい。あなたの國の先祖はアメリカより駄目な掟しか作らなかったのか。何故掟を戻さないのか』と言った。真実痛いところを衝かれた。日本は掟を元に戻さねばならない。憲法を変えなければ駄目。合わない掟を守っているから駄目。

尖閣衝突事件が起こった。あんなぶつかり方をされたのに無罪放免にして帰したのは誰か。海保や自衛隊や警察の制服組の方々に『国民はみんな応援しているよ』という思いを伝えたいために、魚釣島に国旗を立てた。憲法を変えなければこの国は駄目になる。このまま駄目になったら英霊に会わす顔が無い。何とかしなければならない」。

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千駄木庵日乗十二月五日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆など。

午後七時より、高田馬場の酒房にて、八日にブラジルに赴く笹井宏次郎氏を囲んで一献。鈴木邦男・木村三浩氏と共なり。笹井氏は一水会草創期以来の同志。六年前、祖国日本に帰国し運動に挺身していたが、このほど家族の待つブラジルに赴くことになった。思い出話に花が咲く。今日は笹井氏の踊りの披露はなかったが、思い出に残る宴となった。一路平安と今後の活躍を祈ります。

帰宅後は、諸雑務。

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2012年12月 5日 (水)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會のお知らせ

四宮正貴が講師となり、「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 十二月十二日(第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

講師 四宮正貴

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

連絡先 四宮政治文化研究所 m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

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対米自立とは核武装と同義語である

本日の『憲法勉強会』は、国防問題と憲法がテーマになった。「憲法」に自衛権を明記するのは当然のことである。自分の國は自分で守るというのはまさに国家・国民の権利であり義務である。よその国に守ってもらうというのは本来間違っている。

「対米自立」というのは基本的に正しい。「対米自立」とは、防衛・安保の面では、アメリカの核の傘に入っている状況を正すということだ。共産支那のわが国への侵略策謀そしてアジアにおける軍事的覇権確立が益々活発化してきている今日、日本の安全と独立をアメリカの助けを借りないで守るためには、日本は核武装しなければならない。わが国が中華帝国主義・アメリカ覇権主義と対峙するには、軍事面では、核武装が不可欠である。

いつまでもアメリカの従属国のままでいいはずがないし、国際情勢はそれを許さなくなっている。その上、共産支那による軍事的脅威が高まってゐる。「天は自ら助くる者を助く」という言葉がある。祖国日本の回復、日本の道統の回復、日本国家・日本民族の総合的力量の回復が断行されねばならない。軍事面で、わが国の核武装なくしてそれは実現しない。

支那の覇権拡大を防ぎアジアの平和を守るためにも、そして対米自立を実現するためにも、日本は核武装すべきと思う。そのためには日本国民の意識変革が必要である。対米自立とは核武装と同義語である。

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千駄木庵日乗十二月四日

午前は、母のお世話。

『月刊日本』連載原稿脱稿・送付。

午後は、諸雑務。

午後七時より、新九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。終了後、九段上の酒房にて、忘年会。「現行憲法第九条」について討論。

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靖国神社参道 ライトアップされた銀杏並木が美しい。

帰宅後は、資料の整理。

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2012年12月 4日 (火)

日本精神及び日本主義について

日本精神とは、実際生活の中で、天皇仰慕・天神地祇崇拝(祖先と自然の霊を尊ぶ心)・父母兄弟を尊ぶ心である。そこから明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一(すべてに神を観る心)・天皇仰慕の心・まつりの心などの倫理精神が生まれる。それは弥生時代の稲作生活から生まれた。

日本精神は「記紀」と「萬葉集」に示されている。それを常に実践されているお方が祭祀主・日本天皇である。日本の伝統精神・生活・文化の基本・核は天皇の祭祀である。

日本精神の淵源は、わが建国の事実と理想である。日本精神・民族精神とは天皇を中心とする國體より発生し継承されてきた国民精神ということが出来る。天地生成・神武建国・八紘為宇の精神がその根底にある。

日本精神を根幹として日本国をそして世界を変革しようとする行動的な主義が日本主義である。日本精神を実践し行動し実現する「主義」を日本主義という。一貫不変不動の日本精神を覚醒し、日本精神をその時代において実現せんとする主張であり政策であり主義である。日本主義とは、日本精神から噴出してきたところの現代日本を政治・経済・社会的に変革しようとする一つの行動原理と言い得る。

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千駄木庵日乗十二月三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、書状執筆。『月刊日本』連載原稿(萬葉歌解釈)執筆など。

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2012年12月 3日 (月)

戸矢学氏の著書を紹介しします。

戸矢学氏より、本日寄贈していただいた「三種の神器」というご本です。河出書房発行です。日本國體精神。日本天皇の国家統治の基本精神はは「三種の神器」に示されています。戸矢氏はご本でこのことを深く論じておられます、学ばせていただきたいと思います。
写真: 戸矢学氏より、本日寄贈していただいた「三種の神器」というご本です。河出書房発行です。日本國體精神。日本天皇の国家統治の基本精神はは「三種の神器」に示されています。戸矢氏はご本でこのことを深く論じておられます、学ばせていただきたいと思います。

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生長の家について

今日米寿の祝賀を受けられた仙頭泰先生は、海軍兵学校の出身。生長の家の創始者谷口雅春先生の高弟で、生長の家の本部講師、本部理事、青年会長、ハワイ教化総長(確かこういう名称だったと思う)などを歴任された。仙頭先生には、小生の高校時代、大学時代にご指導を頂いた。何時も姿勢正しく、明瞭な言葉で講演・講義をされる方であった。

本日、谷口雅春先生作詞「生長の家高校生連盟の歌」全員で合唱した。歌詞は次の通りである。 

(一)日出ずるくに たぐいなき

六合を兼ね 連邦の

みやこをひらき 八紘(はっこう)は

兄弟なりと 宣言し

神武建国 三千年

(二)この国日本 高ひかる

やまとの国に 生を享け

大和の理想の 実現に

精進せんと 溌溂(はつらつ)の

わかきいのちの 高校生

(三)正大の気を 神に享け(うけ)

大和の理想 国に享け

愛国の情 父に享け

人類愛を 母に享け

光明思想を 師に学び

(四)われら青年 けがれざる

わかきいのちを 純粋に

民族の使命 実現に

邁進(まいしん)せんと 集まれる

聖愛の使徒 高校生

(五)われら日本に うまれたる

民族の使命 わすれずに

正をやしない 皇国(すめくに)に

身を献(ささ)げんと ちかいたる

愛国の使徒 高校生

(六)おお日のもとに 生を享け

みことの自覚を 祖神(みおや)より

承け嗣ぎ(うけつぎ)来たりし 悦びを

宣べ伝う(のべつとう)べき 選士たち

真理の御子われ 高校生

(七)こころあかるく 身を清く

悦びを宣べ 世を照らし

光輪卍字 十字架の

万教帰一の旗のもと

平和の真理を 宣べんかな

平和の真理を 宣べんかな」

まことに素晴らしい歌である。まさに生長の家は愛国宗教であり、日本精神を説く宗教であることがこの歌に明白に示されている。

 生長の家本部は、軍神・東郷元帥をお祀りする東郷神社の前にあり、生長の家の出版部である日本教文社は、軍神・乃木大将をお祀りする乃木神社の前にある。生長の家が愛国宗教であることを示す不思議な事実である。

しかし、誠に残念なことに、谷口雅春先生のお孫さんである谷口雅宣氏は、祖父の愛国思想を正しく継承せず、むしろ隠蔽してしまっている。しかも、雅宣氏は生長の家の根本教義である「汝ら天地一切のものと和解せよ、汝の兄弟と和解せよ」を全く実践できず、自分の兄弟姉妹そしてその配偶者を教団から追放した。そして裁判沙汰にまでなった。

祝賀会場の隣にある生長の家本部に久しぶりに行ったが、竹下通りと原宿駅周辺は、若者たちがごった返しているのに、日曜日の午後三時頃であるにもかかわらず、生長の家本部は閑散としていた。書籍の売店にもお客は私一人、ロビーで信徒らしき人が二人話し合っているだけだった。全く活気が無いのである。何ともさみしい話である。

近々本部も、長野だか山梨だかの山奥に移転すると言う。『千駄木庵日乗』に本部正面玄関上にある「生長の家の大神」の神像の写真を掲載したが、これもやがては無くなるのであろうか。

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千駄木庵日乗十二月二日

午前は、母のお世話。

正午より、原宿の東郷神社境内水交会にて、『仙頭泰先生米寿お祝いの会』開催。多くの懐かしい先輩・同志・友人に会う。高校生時代以来、四十年ぶりにお会いした方もいた。

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仙頭泰先生ご夫妻

この後、東郷神社に参拝。そして、生長の家本部に赴き、谷口雅春先生の著書を購入。

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生長の家本部神像

夕刻は、千駄木にて、地元の友人夫妻と懇談。

帰宅後は、書状執筆など。

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2012年12月 2日 (日)

「祭祀」が日本民族の精神傳統・日本文化の原点

 祖靈崇拝と自然崇拝が天皇を中心とする信仰共同體國家日本の土台である。

 日本民族は古来、祖靈と自然を神と崇め、祭って来た。わが國の傳統信仰の祖靈崇拝と自然崇拝が、天皇を中心とする信仰共同體國家日本の土台、言い換えれば日本國體の根幹を成している。そしてそれは、國民道徳・道義精神の根幹でもある。

 わが國の神々の中で、最尊最貴の神として信仰され崇められている神であらせられる天照大神は、御皇室の祖先神であると共に、自然神である太陽神である。

 稲作生活を営んで来た日本人は、太陽・山・海・川など大自然の恵みの中に生きて来たので、自然を神と崇めた。また、祖先から稲の種と水田と農耕技術という恵み祖先から傳えられたので、祖先に感謝する思いが強かった。      

 『日本書紀』に、天照大神は、邇邇藝命の天孫降臨に際し、「吾が高天原に所御(きこしめ)す齋庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」と命令されたと記されている。これは、わが國の稲作(稲の種・水田・農耕技術)が天来のものであることを示している。と共に、日本民族の生活の基本である稲作が、太陽の恵みと祖先から傳えられた農耕技術によって支えられていることを示している。

 皇祖神と太陽神が一體であるということは、わが民族の傳統信仰が祖靈崇拝と自然崇拝であることを端的に示している。これを<敬神崇祖>という。

 日本民族は、神に対して常に祭りを行ってきた。「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。「まつる」という言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行う」「ものを献上する」「ものを奉る」というほどの意であるという。

 何のために、神のお側で奉仕し、神にものを献上するのかと言うと、神に靈力を発揮して頂くためであるという。神の御前に献上する「もの」は単なる「物質」ではなく、祭りを行う者たちの<まごころの結晶>であり<象徴>である。これを「神饌」という。

 天照大神が邇邇藝命に御命令になった米作りの成果とてし献上される米は、「神饌」の代表的存在である。神饌を神に献上することが「まつろう」ということである。天つ神の命令をそのまま命令通りに行っていることを「まつる」という。

 天皇が行われる祭祀はまさに天つ神の命令をそのまま命令通りに行っていることを御報告申し上げる重要なみ祭りなのである。

 このように、<敬神崇祖>というわが國の國民道徳の基本は、神學・教義という<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下万民に至る日本民族の生活の中の<神祭り><祭祀>という行事によって、古代より今日まで傳えられて来た。靖國神社の戦没者への祭祀は、そうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。

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千駄木庵日乗十二月一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学副学長が座長。慶野義雄平成国際大学教授及び小生などが、『憲法』『皇室典範』について意見発表。討論。

帰宅後も、諸雑務。

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2012年12月 1日 (土)

この頃詠みし歌

うら若き乙女が運び来しラーメンを食してうれしき今日の昼餉は

爽やかな朝を迎へて昇り来し日輪仰ぎ柏手を打つ

愚かなる元宰相はわが国を傾けし罪謝し政界を去れ

三年間の混迷を詫びる心なく「時間を戻すな」とは笑止千万

若き医師に元気づけられわが母は笑顔で明るく語りたまへり

土砂降りの雨に降られて歩み行く早稲田の街は若者多し

第二次安保の危機迫りたる頃にしてジュリアンといふ茶房に友ら集ひし

色づきし靖國神社の銀杏の葉 やがて今年も過ぎゆかむとす

人ら多く参り来たれる靖國の宮居に我も祈り捧げる

わが母の力よみがへり明るくも日々過ごしたまふことのうれしさ

何時も明るき友なればこそ遥かなる国に旅立つことの悲しさ(笹井宏次朗氏送別会)

こらへゐし我の眼(まなこ)に溢れ出る涙は友との別れ惜しみて()

半輪の月煌々と輝きて我の心を見透かすごとし

何時も買ふ飴屋の主人は元気にて挨拶交はす谷中寺町

飴屋なれど舐められてたまるかと洒落を言ふ飴屋の主人はおかしかりけり

杖つきて訪ね来たりし老婦人母と語らふ秋の夕暮

晩秋の今日も暮れたり 母上は一人静かに眠りたまへり

朗々と祝詞奏上の聲響くみ祭りに座すことのかしこさ(野分祭)

一年に一度の祭りそれぞれの思ひに集ふ友ら老いゆく()

青年の日の衝撃は幾春秋経ても新たによみがへり来る()

藤田嗣治描きしいくさの絵を見つつ涙さしぐむ秋の展覧会

いささかの仕事なし終へ今日の日は展覧会で美を楽しまむ

東御苑の紅葉眺め憩ひをり竹橋たもとの美術館にて

面影は常に美し 今ひとたび逢ふこともがなと思ひゐる我に

幼児とそれその母が語り合ふ姿を見ては心やすらふ

墓地に来て夕日耀ふ黄葉を仰げば心ややにやすらふ

み佛の姿尊き天王寺秋深き日に訪ね来たれり

日の暮れる里といふ名の町歩む 秋深き日の日の暮れる頃

歩み行く墓原の中にそそり立つ大き樹木の黄葉(もみぢ) 耀ふ

為すべきこと為し終へし夜 贈られし柿の実一つ頬張りにけり

新聞の切り抜き終り一人居の部屋に柿食ふ秋の夜かな

理屈をば並べるのみの人の話聞きつつうんざりとするわが心

光明の照り輝ける下にして大いなる道を歩み行かんか

過ぎ去りし日々思ふよりこれからのわが行く道に光あらしめん

夕空に浮かぶ満月刻々と光増し来るあざやかさかな

母が待つ千駄木の空に満月が皓々として冴へ返るなり

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千駄木庵日乗十一月三十日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して書状執筆・明日の『憲法懇話会』における発表の準備など。

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