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2012年11月 9日 (金)

再び『皇室典範』改正について

日本國體は、地上における天照大御神のご代理といふ神聖なるご本質そして邇邇藝命以来の血統を、併せ有される天皇を、信仰共同體の核たる祭祀主として仰いでゐる。

わが國の傳統の體現者は天皇であらせられる。故に皇位繼承について臣下國民が真摯に論議させていただくことは許されるとしても、最終的に決定されるのは、上御一人・天皇陛下であるべきである。衆参両院で侃侃諤諤の論議をして決定すべきではない。要するに、『皇室典範』改正については、天皇陛下の大御心に俟つべきなのである。

天皇國日本においては『憲法』を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威に依拠する。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。とりわけ皇室の家法である『皇室典範』の改定、皇位繼承など皇室に関することは、國家の権力機関である立法府・行政府が容喙すべきではない。最終的には、日本の傳統の體現者であらせられる天皇陛下の大御心を體して決められるべきである。天皇陛下の大御心に遵ひ奉るべきである。それが日本の道統である。

伊藤博文は、「将来已むを得ざるの必要に由り其の条章を更定することあるも、また帝國議會の協賛を経るを要せざるなり。蓋し皇室の家法は祖宗に承け子孫に傳ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。また臣民の敢て干渉する所に非らざるなり。」(『皇室典範義解』)と論じてゐる。

この「君主の任意」とはいかなることを言ってゐるのか明確ではない。天皇の御意志・大御心・勅命は全て絶対であり、これに従ひ奉るのが臣下の道である。國體の根本である。

伊藤博文の言ふ「君主の任意」と「天皇の御意志・大御心・勅命」とはどう違ふのか。これは國體を論ずる上の大問題である。絶対尊皇の楠公精神が日本国の臣下のあるべき姿と私は信じます。

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