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2012年11月12日 (月)

『占領憲法』と『禁中並びに公家衆諸法度』

『現行占領憲法』が無効であることは、法理論上明白である。また、実際に憲法あるいはそれに類する法令が無効とされた前例がある。『禁中並びに公家衆諸法度』がそれである。『禁中並びに公家衆諸法度』は、慶長二十年(一六一五年)七月十七日、二条城において、徳川家康、徳川秀忠、二条昭実の三名の連署をもって公布された。これは徳川幕府が政権を奪取した後、皇室に対する圧迫策として制定したものである。

第一条に「天子諸藝能の事。第一御學問なり」と規定され、「政治は徳川氏が行い、天皇は学問をしていればいい」という國體を隠蔽し、天皇を京都御所に拘束し奉ったところの悪逆非道な『法度』である。

徳富蘇峰氏は、「(『禁中並びに公家衆諸法度』は・註)皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において、確定したものだ。」「天皇を、もっぱら和歌、および綺語の方面における學問にのみ、誘導するを勖(つと)めたのは、幕政の始終を一貫した政策であった。…天皇は治國平天下の學問を為さず、ただ花鳥風月の學問を為し給うべしとの、意味において受け取るのを、正しき解釈とせねばならぬ。」(『近世日本國民史・徳川家康』)と論じてゐる。

江戸時代を通じて、一切改訂されなかったとされるが、実際には幕末に至って効力を失ってゐた。つまり無効になったのである。幕末になって、外患が激しくなり、幕府だけの力では打開できなくなった。そして朝廷には政治に一切関わらせないとしていた幕府が、朝廷に対してどうしたら良いかお伺いを立てる事態となった。特に対米外交において、『日米条約』締結の勅許を奏請する事態にまで発展した。この時点で、『禁中並びに公家衆諸法度』は空文化し、さらに明治維新によって完全に無効となったのである。

考えてみれば、『禁中並びに公家衆諸法度』と『現行占領憲法』はその性格がよく似ている。両方とも、天皇を日本国の統治者・君主と仰ぐ日本國體を隠蔽したものであるし、『禁中並びに公家衆諸法度』は徳川氏の武力によって押し付けられたものであり、『占領憲法』は、アメリカ占領軍の武力によって押し付けられたものであるからである。

従って、『占領憲法』も『禁中並びに公家衆諸法度』と同じように、アメリカが占領を終わった時点ですでに無効なのである。日本国民はそれを正しく確認すればいいだけのことである。

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