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2012年11月14日 (水)

鷗外記念館を参観して

今日参観したこの十一月一日に開館した文京区立鷗外記念館で開催している『特別展・150年目の鴎外 ―観潮楼からはじまる―』は「文豪と軍医という異なる世界を強靭に保った鴎外の人生は、遺された日記や自筆原稿、書簡類などからうかがい知ることができます。鴎外の住居であった観潮楼は、鴎外にとって交流拠点でした。観潮楼歌会をはじめとする集まりや日々の訪問客には、石川啄木、齋藤茂吉、与謝野寛、永井荷風、正岡子規など、多くの文化人たちがいました。日本近代文学のサロンといえる観潮楼での交流や、観潮楼で書かれた作品を通して、文豪鴎外を紹介します。また、観潮楼には、鴎外と祖母・父・母・弟・妻、そして子どもたちとの暮らしがありました。子どもたちに『パッパ』と呼ばれたり、子どもたちに勉強を教えるために鴎外自ら教科書を手作りしたり・・・新収蔵資料から家庭人鴎外に触れます。明治という時代を日本の近代化とともに生きた鴎外のメッセージは、現代の私たちに何を語りかけているのでしょうか」(案内書)との趣旨で開催された。

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文京区立鷗外記念館

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鷗外の横顔像

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鷗外の正面像

森鷗外の著書、原稿、書簡、家族の写真、観潮楼の模型などが展示されていた。森鷗外は、夏目漱石と並ぶ文豪であり、多くの作品をのこした。この二人は共に文京区千駄木に住んでいた。千駄木の住民にとっては大きな誇りである。しかし、鷗外は漱石ほど親しまれてはいない。漱石には、「坊っちゃん」「吾輩は猫である」「心」など多くの青少年に親しまれた作品がある。ところが鷗外にはそうした青少年に親しまれた作品はない。しいて言えば『山椒大夫』であろうが、これも絵本などで讀むくらいで、原典を讀んだ人は少ないではないだろうか。しかし、文藝を本格的に好む人には、森鷗外はきわめて評価が高い。

私は、小学校時代に、森鷗外のお孫さん(鷗外の次男・森類氏のお嬢さん)と同級生だった。また、母は、森鷗外の次女の小堀杏奴さんと親しくさせていただいていた。また、鷗外が帝室博物館総長時代の部下であられた濱隆一郎先生は、二松学舎大学の教授を務められ、私の恩師である。このように多少の御縁があるのだが、恥ずかしながらまだ鷗外の作品を本格的に讀んでいない。『全集』は持っているのでこれから読みたいと決意している。

森鷗外に『沙羅(さら)の木(き)』といふ詩がある。

「褐色(かちいろ)の根府川石(ねぶかはいし)に

白き花はたと落ちたり、

ありとしも靑葉がくれに

見えざりしさらの木の花。」

沙羅の木とは夏になると白い花を咲かせる「夏椿」のこと。「根府川石」は、神奈川に産し石碑・飛び石などに用いられる石。明治二十五年以来鷗外が居住した千駄木の自宅・観潮楼の敷石であらう。

ひっそりと静まり返った庭の敷石に、青葉に隠れてゐるので、ふだんあまり見ることのなかった白い椿の花びらがぽとりと散った様を印象的に歌ってゐる詩である。「シ」といふ音を繰り返し使った「しらべ」「韻律」の美しさがある名品である。剣持武彦氏はこの詩について、「散ることによってその存在が初めて示される沙羅の白い花によって散り際の美しさを示している。美しく死にたいということは武士の願いである。『死』は美意識を伴った『かたち』のなかに常に位置づけられていた」(『比較文学のすすめ』)と論じてゐる。森鷗外のこの詩にもひっそりとしてつつましやかな「散華の美」が歌はれてゐる。

森鷗外記念館の庭には、今も沙羅の木(夏椿)があり、外壁に埋め込まれた『沙羅の木』の詩壁(森林太郎先生詩 昭和廿五年六月永井荷風書と刻まれた詩碑)がある。

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