« 千駄木庵日乗十一月八日 | トップページ | 再び『皇室典範』改正について »

2012年11月 9日 (金)

『没後七〇年・竹内栖鳳ー京都画壇の画家たち』を参観して

本日参観した『没後七〇年・竹内栖鳳ー京都画壇の画家たち』は、「二〇一二年は、『東の大観(たいかん)、西の栖鳳(せいほう)」と並び称された日本画家・竹内栖鳳(1864-1942)の没後70年にあたります。…栖鳳が描き出す、いきものや自然がみせる一瞬の姿を軽やかに捉えた作品は、今なお精彩に富み、新鮮な魅力を放っています。パリ万博が開催された一九〇〇(明治三三)年、ヨーロッパ遊学を果たした栖鳳は、渡欧先で西洋美術にじかに触れることで大きな刺激を受けました。帰国後、円山四条派の写生を軸にした画風に、西洋美術の要素をとり入れた新しい表現を生み出していきます。洗練された感性と優れた筆技によって動物、風景、人物と様々な主題を手掛け、日本画の近代化に積極的に取り組みました。本展では、初期から最晩年までの傑作を通してたどります』(案内書)との趣旨で開催された。

「虎獅子図」「絵になる最初」「蹴合」「班猫」(重要文化財)
「百騒ぎ一睡」「干柿」「旭日老松」などの作品を観る。

栖鳳の美人画「絵になる最初」が、栖鳳の指導を受けて活躍した女流画家・上村松園「新蛍」という美人画と並んで展示されていたが、男性画家の描く美人画と女性画家の描く美人画との違いがよくわかった。栖鳳の描いた美人画は、着替えをしているところが描かれモデルの女性の恥じらいの表情が描かれてゐた。松園の描いた美人画は、女性の表情と着物の美しさが描かれてゐた。

栖鳳はライオン・虎・小鳥・犬など生き物を多く描いているが、どれも動きがあり、迫力がある。小鳥は実際に富んでいるように見えるし、鳴き声が聞こえてくるようであった。

栖鳳はヨーロッパと支那大陸を旅して、西洋と支那の画法を学びそれを取り入れているが、ただ取り入れているだけではなく、さらにすぐれたものにしている。日本文化は、外来文化を自由に大らかに取り入れ更にそれを昇華させ日本独自の文化を形成しているのであるが、栖鳳は絵画の面でそれを実践していると思う。

|

« 千駄木庵日乗十一月八日 | トップページ | 再び『皇室典範』改正について »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/56072661

この記事へのトラックバック一覧です: 『没後七〇年・竹内栖鳳ー京都画壇の画家たち』を参観して:

« 千駄木庵日乗十一月八日 | トップページ | 再び『皇室典範』改正について »