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2012年11月30日 (金)

小沢一郎は光輝ある日本の歴史を貶め、皇室を冒瀆する政治家

江上波夫氏の「騎馬民族征服説」なるものは、「大陸北方系の騎馬民族の一派が四世紀前半に朝鮮半島からわが国の北九州に侵入し、さらに畿内に進攻して四世紀末から五世紀前半に大和朝廷の政権を樹立したという説である。

この「学説」が成り立つためには、古墳時代の西日本に騎馬民族の痕跡が残っていなければならないはずだが、その実例はない。大陸の騎馬民族は馬を飼いならす為に去勢したが,日本で出土した馬にはこのような痕跡がない。

朝鮮の騎馬集団の古墳には、轡と鐙が集中的に副葬されているが、同じ時期の日本の古墳は古墳群内の一基のみに馬具が副葬されている程度であり、当時、武装した重装備の騎馬軍団は日本には存在していなかったのである。前期古墳文化には、大陸的色彩が希薄であるという考古学的事実によって、騎馬軍団が日本を征服したという説は成り立ち得ない。

そもそも日本を征服するほど多くの騎馬軍団が、どうやって日本海を越えてきたのか。ずっと後の時代の「元寇」でさえ失敗したのに、古代においてそのようなことは不可能であったろう。

江上波夫氏は、北九州に侵入して来た騎馬民族の一派の王が崇神天皇であるとする。崇神天皇の和風諡号である「ミマキイリヒコ」について、江上氏は「ミマキ」を「ミマ+キ」にわけ、「キ」は都城を意味し、「ミマ」は、任那(みまな)の「ミマ」、「ナ」は土地であるから、「ミマキイリヒコ」とは、「任那の王城にいた王」という意味だとする。しかし、「み(美称)+真木(樹木の美称)」で、「ミマキ」とは神木・聖樹・呪木を意味するといふのが定説である。語義上も、「騎馬民族征服説」は受け入れられてはいない。つまり、崇神天皇を任那の王とすることは短絡的である。

太古より、朝鮮半島南部と北部九州との間で、交流があったであろう。お互いに影響し合ったであろう。馬の一頭や二頭は朝鮮半島から日本に持ち込まれたであろう。しかし、「古事記」「日本書紀」に一行の記述もない騎馬軍団の日本来襲などというのは全くあり得ないことである。

古代において日本列島に、海を越えて他の民族が渡って来たことはあるであろう。しかしそれは日本民族に融合し、同化したのであって、日本民族を征服したのではない。もしも日本民族が他の民族に征服されたのなら、日本民族は滅亡し、日本語もなくなり、日本文化の消滅したはずである。

さらに、当時の北東アジアのことを克明に記録した支那の史書に、「大和朝廷の始祖が騎馬民族国家であり、朝鮮半島から九州に渡来し、そして近畿に来た」ということは一切記されてない。

また、古代日本の大和朝廷の「始祖」が、朝鮮半島からの侵入者であったとすると、日本語は滅ぼされ、朝鮮語が通用するようにならなければならない。しかしそのような事実は微塵もない。『古事記』『日本書紀』『萬葉集』はまぎれもなく日本語で書かれている。朝鮮語で記されて古文献は一つもない。このことを見ても、古代日本が朝鮮から侵入してきた騎馬民族によって征服されたという説は成り立たない。つまり、騎馬民族の王が組織的に多数の騎馬軍団を率いて日本にやってきて征服王朝を立てるということはなかったのである。

太古及び古代の歴史は、資料が乏しいために、色々な空想や推測を行って自説を展開する人がいる。小沢一郎氏は、自ら言っているように学術書は読まないで、そうした空想的な歴史に関する書物を読んで、「日本は騎馬民族に征服された、日本皇室の祖先は韓半島から来た」など言っているのだ。しかも、韓国に出かけて行って、それを吹聴するというというのは、文字通り売国的所業である。

考古学的に何ら証明されず、定説にもなっていない空想とも言って良い「説」を、滔々と韓国で論じた小沢一郎という人の常識を疑う。韓国に媚び諂ったとしか言いようがない。
 一つの民族が他の民族を征服するということは、征服された民族の文化とりわけ言葉を奪うということである。「騎馬民族が日本を征服した」ということは、日本民族は、騎馬民族に言葉を奪われたということになる。しかし、そういう事実はない。つまり、騎馬民族が日本を征服したというのは嘘出鱈目なのである。

こういう「説」を持ち出して、韓国に対してリップサービスを行った小沢氏の姿勢は売国的と言われても仕方がない。まして、天皇御陵の発掘を宮内庁が許さないから謎が解明できないなどというのは、皇室の尊厳性を侵害する発言である。

こういう政治家が権力を握ることは断じて許せない。

光輝ある日本の歴史を貶め、皇室を冒瀆する政治家=小沢一郎が主導する勢力を殲滅しなければならない。

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『現行憲法』の無効確認なくして真の主権回復はあり得ない

わが國がまともな外交すなわち主権を正しく守りきる対外政策が出来ない根本原因は,『過去の歴史問題』にある。日本の土下座外交・軟弱外交の責任を外交官だけに押し付けるわけには行かない。総理はじめ与野党の政治家そしてマスコミが『大東亜戦争は日本の侵略であり近隣諸國に惨禍を及ぼした』と謝罪しているのだから、支那や韓國からいかなる無理難題を吹きかけられても、主権を侵害されても、内政干渉されても、わが國は毅然とした対処が出来ないのだ。

閣議決定した『終戦五十村山年総理謝罪談話』は早急に撤回されるべきである。そうしない限り、共産支那や韓国の主権侵害・内政干渉・侵略行為を跳ね除ける事は出来ない。

わが國は侵略をした悪い國であり、支那や南北朝鮮からどんなに主権を侵害されても、内政干渉をされても、文句を言ったり反撃してはならない」という観念が蔓延しているが、これはまさに『現行占領憲法』の基本精神なのである。『現行憲法』前文には「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様、ソ連様、中國様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という『詫び証文』である。

この『わび証文』の精神を実践しているのが日本の外交である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真実である。『現行憲法』の無効確認なくして真の主権回復はあり得ない。

祖国の歴史への正しい認識と國を守る心を常日頃持っていなければ道徳心は起ってこない。大東亜戦争は誇りある戦いである事を正しく認識し、子々孫々に語り伝え、負け犬根性から脱却しなければならない。

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『政治文化情報』平成24年12月号のお知らせ

『政治文化情報』平成2412月号(平成241125日発行)の内容は下記の通りです。見本誌希望の方はメールにてお申込み下さい。

m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

〈皇都の一隅より〉

日本人の死生観

日本人は、肉體は滅びても、生命は永遠といふ信仰を持ってゐる

古代から傳はってゐる日本人の他界観を詠んだ在原業平の歌

日本人はなぜ桜の花を好むのか

紀友則・本居宣長・森鷗外の「花」を主題にした詩歌

「七生報國」の精神と「よみがへり」の信仰

佐藤一斎・西郷隆盛に継承された傳統的死生観

牛島満司令官の辞世歌

千駄木庵日乗

武田修三郎氏(日本産學フォーラム・ファウンディングディレクター)「量子力學的知性とはマネージメントする人や組織の骨格や関係やプロセスを大事にし、情報を共有し、組織の透明性を最善とするキチンとした責任を果たす人々である」

宮家邦彦キャノングローバル戦略研究所研究主幹「アメリカが中東で余計な戦争をしている間にアジアで中國が台頭した。アメリカはアジアと中東で二正面作戦が出来るから日本は安全でいられたが、そういう時代は終わるのではないか」

『日本刀─悠久の美を見つめて』展参観「刀剣といふ武器は「忠義と名誉、克己心」といふ倫理精神の象徴であるばかりでなく、神社の御神體即ち祭祀と礼拝と祈りの対象となってゐる。「刀は」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある」

但野正弘水戸史學會理事「日本は建國以来、歴史の栄枯盛衰、國家的危機はあったが、一貫して天皇が國の中心。一度も革命は起らず、異民族による國家の滅亡や交替もなかった」

渋澤史料館参観「渋澤の一生は、明治維新という大変革と近代日本建設の歴史の歩み特に明治大正昭和のわが國産業経済の発展そのものと言っても過言ではない」

この頃詠みし歌

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千駄木庵日乗十一月二十九日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、永田町の衆議院第一議員会館にて、『新しい憲法をつくる研究会』開催。清原淳平会長が司会。山崎拓元自民党副総裁及び浅野和生平成国際大学教授が講演。質疑応答。内容は後日報告します。

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講演する山崎拓氏

赤坂にて、知人と懇談。人形浄瑠璃・落語など古典芸能について語り合う。

帰宅後は、土曜日の行われる『憲法懇話会』における発表の準備など。

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2012年11月29日 (木)

北朝鮮の本質

北朝鮮問題を論ずる時、北朝鮮の本質について正しい認識を持つことが大前提である。そもそも北朝鮮は「国家」と言えるかどうかさえ怪しい。「国家」とは、民主的な手続きによって選出された国民の代表者によって法律に基いて統治されているのが「あるべき姿」である。

ところが北朝鮮は、金日成が死んだ後、どういう民主的法律的手続きを経て金正日が国家の最高権力者に選ばれたのかさえまったく不明である。金正日は、ただ金日成の息子だから後継者になったのである。そして、その金正日が死去したら、今度はその息子が最高権力者になったのである。三代にわたる独裁専制国家なのだ。こんな国は世界を見渡しても何処にも存在しない。

金日成はソ連軍とともに朝鮮半島北部にやって来て、その地域の支配者になった。当時はまさにソ連の傀儡であった。金日成は民主的手続きを経て、国家の指導者になったのではない。そして、一九四八年(昭和二十三年)、朝鮮半島全体で民主的な選挙を実施しようとしても金日成はそれに応じなかった。そして南だけで選挙が行なわれ、李承晩が初代大統領に選ばれた。だから本来的には、朝鮮半島における唯一の正統政府は大韓民国のみなのであって、金日成政権は北朝鮮を軍事占領している集団に過ぎないのだ。

そればかりではない。一九五〇年(昭和二十五年)六月二十五日午前四時過ぎ、金日成軍は、突如三十八度線を突破して侵略を開始し、ソウルを火の海にして、二十八日にソウルを占領した。この金日成軍による韓国侵略によって三百万人が犠牲になった。

この戦争で、金日成軍及びそれを支援する共産支那軍と戦ったのは国連軍である。そして、一九五一年二月一日、国連総会は共産支那を侵略者と決議した。

しかも、この戦争はまだ終わってはいないのだ。一九五三年(昭和二十八年)に「休戦協定」が結ばれているだけである。つまり、北朝鮮の盤距する政権は今日でも侵略者であり正統性がないのである。

朝鮮戦争の時、わが国内において、侵略者=北朝鮮・共産支那を支援し、北朝鮮・共産支軍が勝利し朝鮮全土を支配下に置くと同時にわが国をも共産化しようとするために武装闘争・火焔ビン闘争を展開したのが日本共産党である。日共こそわが国における最初にして最大の北朝鮮支援組織だったのであり侵略者の手先だったのである。私の学生時代「民青」の連中は、「イムジン川水清く」などという歌を歌い、北朝鮮を天国のように宣伝していた。

北朝鮮問題を論ずる時は、国際テロ国家であり、人さらい国家であり、ならず者国家であり、無法国家であり、独裁専制国家であるという北朝鮮の本質をよくよく見極めなければならない。あの国はまともな国ではないのである。この事が最近忘れられようとしているの危険な兆候である。そしてこの北朝鮮と同じ体質を持つわが国の政党が社民・共産なのだ。

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千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して資料の整理、原稿執筆の準備など。

夜は、地元の方々と懇談会。総選挙に関して甲論乙駁、侃侃諤諤の議論が行われた。

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2012年11月28日 (水)

但野正弘氏(水戸史学会理事)の講演内容

日本学協会主催『先哲に学ぶ会』における但野正弘氏(水戸史学会理事)の講演内容。

「九代藩主徳川斉昭(烈公)は、十一人の藩主の中では義公と共に重要視されている。幕末の歴史に大きく関わった。西郷隆盛は、藤田東湖を『東湖先生は山賊の親分のようでごわすなあ』と言った。志士たちから慕われた。

斉昭は、幼名・敬三郎。諱は紀教、後に斉昭。諡は烈公。七代藩主・武公治紀の三男。三十歳まで部屋住み。養子にも行かなかった。武公が、長男で八代藩主斉脩(なりのぶ)がひ弱なので斉昭をその後に据えることが出来るようにした。

烈公はあらゆる武道・芸術に秀で和歌を詠んだ。鉄砲が大好きで、一日一千発撃った。琴・琵琶・簫の楽器をこなし、書画に優れていた。特に隷書・篆書も書いた。安陣車(あんじんしゃ)という荷車の上に鋼鉄を張った部屋に一人が入り、外部からの攻撃を防ぎつつ中から六角形と円形の窓から小銃が発射できるようになっている戦車の原型を作った。今も東照宮置かれている。潜水艦の設計図も作っている。数学も得意。六連発の短筒も持っていた。

性格的に激しいところがあり、根回しを得意とせず、反対派の強くなった。農民に対する細やかな心があった。『朝な夕な 飯食ふごとに 忘れじな めぐまぬ民に めぐまるゝ身は』という歌を詠んだ。この歌に感動したのが新渡戸稲造。『農人形』を作って農民たちに感謝した。そういう意識を持って藩政にあたった。

数え年三十一歳で藩主に就任。従三位権中納言になった。引退後は水戸黄門と呼ばれた。義烈両公が黄門と呼ばれた。人事一新、戸田忠敞・藤田東湖・会沢正志斎ら新進気鋭の藩士を登用。天下の魁を目指した大改革を構想した。

水戸藩主は御三家の中でも唯一江戸常府を定められ、年一回の参勤交代は無かった。藩主は常に江戸に居て、用事がある時だけ水戸に行った。八代目藩主は一度も水戸に帰らず、十代目藩主は明治なって帰った。江戸の藩主と藩士、水戸の城代と藩士という二重生活が財政窮乏の原因。烈公は水戸領内に土着した。

ペリー来航以来、四回の建白書を提出したが、老中によって潰された。幕府の大きな誤算。藩校・弘道館を建設。『弘道館記』は全国に影響を与えた。天保十五年(一八四四)五月六日、幕府から隠居を命ぜられ、四十五歳で十三歳の長男に藩主を譲り、駒込の別邸に幽閉状態になった。斉昭の多くの子女たちは、各地の藩主・藩主夫人などになった。

井伊直弼を暗殺されたのではない。正々堂々と討ち取ったのだから明殺である。桜田門外の変から明治元年までは八年。桜田門外の変は歴史を躍進せしめたが、武力による要人襲撃が相次いで起こるようになったのも事実」。

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千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。戊辰戦争のことなどを語り合う。

この後、谷中天王寺に参拝。

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谷中天王寺

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谷中霊園の黄葉

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天王寺の釈迦牟尼仏像(谷中大仏)

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年11月27日 (火)

村井友秀防衛大学教授の講演内容

『昭和経済研究所・日台文化協会共催セミナー』における村井友秀防衛大学教授の講演内容は次の通り。

「国家成立の基本三要素たる国民・領土・主権を害する国が一番の敵。国民・領土・主権を侵害するにはそれなりの大きな軍事力を持っていないと出来ない。戦争とは隣国とする。遠い国とはしない。日本の隣国は、東がアメリカ、北がロシア、西は中国、南は台湾。日本の国家三要素を侵害する能力があるかどうかが問題。ブルネイには無い。

能力×意志=脅威。アメリカ・ロシア・中国には日本の息の根を止めるほどの破壊力・能力がある。二百から四百発の核兵器がある。宅急便で核兵器をホワイトハウスに送られるのが一番困る。アメリカに送られて来るコンテナは全品チェックされる。

韓国の軍事態勢は北との戦争に備えている。アメリカ製のミサイルを持っている。射程は三百キロに制限されていたが、今は八百キロになっている。東京には届かない。北京・上海には届く。台湾には日本を攻撃する能力なし。アメリカが日本を核攻撃する意志はゼロ。ロシアが日本を攻撃すると明言したことはない。中国が日本にとって一番の脅威。敵として存在する。

政府より国民の力が強いのが民主主義。文民統制とは、軍より政府の力が大きいこと。民主主義国家は奇襲攻撃が出来ない。

平和を愛する者は戦争を準備しなければならない。自衛隊が前面に出て戦うことがアメリカを呼び込むことになる。集団的自衛権は正当防衛で考えるべし。他人が急迫不正な攻撃をされた時に助けることが集団的自衛権。権利ではなく義務。

中国とアメリカの軍事力は天と地ほど違う。中国が勝つことはあり得ない。戦争に勝つとは、損害が許容限度に達する前に戦争目的を達成すること。

国内指導者の交代は国内問題。国益の関係には影響なし。国として行動する時誰が指導者になろうと変わらない。変わるのは共産党政権ではなくなった時。

アメリカはその地域のナンバーワンを叩く。日本の軍事力拡大は、日本の評価を高める。防衛大生が東大生よりも頭が良いと世間の人が思うようになったら、クーデターが起こる可能性あり。しかし、その可能性は非常に低い。ケネディが言ったように、自分が国に何が出来るかを考えるべし。今これが求められている」。

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千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、資料の整理・原稿執筆など。

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2012年11月26日 (月)

ますらをぶりと剣

「三種の神器」は、皇霊が憑依(のりうつること)すると信じられ、日本天皇の国家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。玉は「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」、「剣」は「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神、「鏡」は「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神という。知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。これは別々の観念として伝えられているのではなく、三位一体(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合わせて)一体になること)の観念である。

ますらをぶりと剣とは関係が深い。剣は殺傷(人斬り包丁)の武器ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒(神仏に祈ったり、神事、仏事の際に身を清めること。(神仏に祈ったり、神聖な仕事に従ったりする場合に)飲食や行動を慎んで、心身を清めること。)沐浴(神仏に祈願するとき、冷水を浴びて心身を清浄にすること。髪・体を洗い清めること。水浴。ゆあみ)して仕事(これも仕えまつるということ)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。

剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事であるのは当然である。武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となっているのである。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はこうした信仰にある。

日本武尊御歌

「孃女(おとめ)の 床の辺(へ)に 吾置きし つるぎの大刀 その大刀はや」(乙女の床のそばに私の置いてきた太刀、あの太刀よ)

 日本武尊は、景行天皇のご命令により九州の熊襲建を平定して大和に帰るが、さらに東国平定を命令され、それを終えた帰りに、尾張で結ばれた美夜受姫(みやずひめ)に、叔母君であった倭姫命から授けられた草薙の劔を預け出発した。熊煩野(三重県亀山市という)というところで急病になった時の辞世の御歌である。

愛する美夜受姫に預けた守護霊たる神剣から離れていく自分の命を見つめながら歌った哀切極まりない絶唱。慎みの欠如・傲慢さから剣を置いて素手でも勝てるといって出発したのが間違いのもとという神話伝説である。乙女への愛と武の心が渾然一体となっている。そしてその奥に天皇のへの戀闕の心がある。日本武尊の悲劇の根本にあるのは、武人の悲劇である。神との同居を失い、神を畏れなくなった日、神を失って行く一時期の悲劇である。

この歌には、恋愛詩と英雄詩が一つに結合融和して現れている。この精神こそ「戦いにも強く、恋にも強い」大和民族の原質的民族性で、大和奈良時代以降における日本武士道の本源となっている。これを「剣魂歌心」という。日本武尊は、上代日本の武人の典型であると共に詩人の典型であらせられた。日本の英雄は歌を愛した。ますらをぶりは優美さといったいである。

 

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『東京国立近代美術館 60周年記念特別展』を参観して

今日参観した『東京国立近代美術館 60周年記念特別展

美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年』

展は、「美術にふるえたことがありますか?美術を体感すること。深く感動すること。知的に考えること。それらすべての出発点である衝撃を『ぶるっ!』という言葉で表しました。あらためて大切にしたいと思う美術鑑賞の原点です。…日本近代美術の100年を回顧する大展覧会を開催します。」との趣旨(案内書)で開催された。

この美術館の六十年間の活動の成果であるコレクションの中から美術史上重要なものが展示したと言う。横山大観「生々流転」、鏑木清方「三遊亭円朝像」、上村松園「母子」、安田靫彦「黄瀬川陣」、原田直次郎「騎龍観音」、岸田劉生「道路と土手と塀」「麗子肖像」、和田三造「南風」、高村光太郎「手」、佐伯祐三「ガス灯と広告」、梅原龍三郎「北京秋天」、宮本三郎「山下、パーシバル両司令官会見図」、藤田嗣治「アッツ島玉砕図」「サイパン島同胞臣節を全うす」、鶴田五郎「神兵パレンバンに降下す」、岡本太郎「夜明け」、松本竣介「建物」、木村荘八「永井荷風『濹東綺譚』挿絵」など数多くの名品を見る。久しぶりに見ごたえのある展覧会であった。

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上村松園「母子」

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佐伯祐三「ガス灯と広告」

横山大観の「生々流転」を見るのは二度目だが、スケールの大きさに驚かされる。まさに大観の名の通り大自然を大きく観て描いた画である。

岸田劉生の「麗子肖像」を間近にゆっくりと見たのは初めでである。写真で見るのとは違って、迫力がある。特に目の光りが凄かった。劉生の子供の対する愛情がひしひしと感じられた。

松本竣介の「建物」は、キリスト教の聖堂を描いた絵であるが、写実ではなく清らかな絵である。松本竣介は初期の生長の家を支えた幹部の息子さんであり、本人も機関誌に原稿を書いたことがある。しかし、何があったようでその一族は一斉に本部の役職を辞した。戦前の話である。

宮本三郎の「山下、パーシバル両司令官会見図」昭和十七年二月十五日にシンガポールが陥落した際、第二五軍司令官としてマレー作戦を指揮した山下奉文(ともゆき)陸軍大将とイギリス司令官のパーシバル中将との会見が描かれている。山下将軍がパーシバルに「イエスかノーか」と高圧的に降伏を迫ったとされ、乃木希典大将と将軍ステッセル将軍との会見と比較して、日本軍人の質は低下したなどと非難されている。しかし、決してそのような事実はなく、実際にはより落ち着いた紳士的な文言・口調の会話だったという。「降伏する意思があるかどうかをまず伝えて欲しい」という趣旨を、日本語が拙劣な台湾人通訳に対して苛立って放った言葉であり、これが新聞等で脚色されたというのが真相であるといわれる。話が一人歩きしていることに対し山下大将本人は気にして、「敗戦の将を恫喝するようなことができるか」と否定したという。また、情報参謀として同席していた杉田一次も含めて全員この出来事を否定している。私は絵画の中に描かれている杉田一次・藤原岩市両先生の謦咳に接する機会があった。両氏は共に参謀であられた。両氏とも明確のその事を否定されていた。杉田氏が、「東條さんは、満洲で憲兵司令官として馬賊の討伐くらいは経験しただろうが、実戦の経験はあまりなかった」と語っておられたのを思い出す。

藤田嗣治の「アッツ島玉砕図」「サイパン島同胞臣節を全うす」は、わが日本軍民が玉砕する凄惨な場面がリアルに描かれている。思わず涙がこぼれた。美術展に展示されている作品を見て涙を流したのは今回が初めてであった。戦争特に近代戦を描いた絵画で名品と言われるものは稀少である。実際の戦闘は、画筆では描き得ない凄まじさがあるからであろう。しかし、藤田の作品は見事である。藤田嗣治は、戦死した軍民の御霊を慰霊するために描いたと言う。凄惨な自決の場面や戦闘の場面が極めてリアルに描かれている。「アッツ島玉砕図」は、昭和十八年九月の「国民総力戦美術展」に出品されたが、参観者は、斃れ行く画中の人の御霊に供養の誠を捧げるべく「お賽銭」を画前に捧げた。藤田嗣治は、こうしたいわゆる「戦争画」を描いたことにより、戦後になって、「戦争協力者」として非難された。他にも戦争画を描いた画家はいたのだが、藤田氏の絵画の評価が高かったので、スケープゴートにされたのである。文壇においては、中河與一・保田與重郎両氏が同じような運命にあった。

ともかく、今日は素晴らしい展覧会を参観することが出来た。

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千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、竹橋の東京近代美術館で開催中の『美術にぶるっる!』展参観。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2012年11月25日 (日)

大日本は神國なり

古代以来今日に至るまで、日本は天皇を祭祀主と仰ぐ君主国である。

 

『終戦の御詔勅』に「茲に國體を護持し得て」と示されているように、わが国は大東亜戦争の敗れた後も、天皇中心の國體は護持された。また『現行憲法』にもきわめて不十分・不完全ではあるが國體規定が書かれている。

 

戦前の國體論の代表的なものは、文部省思想局で編まれ、昭和十二年三月三十日に文部省から発行された『國體の本義』であろう。編纂委員は、山田孝雄・久松潜一・佐久知荘一・山本勝市・井上孚麿の各氏ら当時の国文学・国史学・憲法学などの権威であり、学問的価値のある文献である。


その冒頭に「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の國體である」とある。これは『記紀・萬葉』以来のわが國體の道統を端的に表現している。そしてそれは今日においても全く変わっていないのである。

日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の信仰的・精神的共同體である。農耕生産の共同生活を営む人々の祭祀がその中核である。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生成された國である。これを『日本神話』は「神が日本國を生みたもうた」と表現した。

 したがって、日本といふ國家の本質は権力者が國民を支配するための機関すなはち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國ではない。さらに、征服や革命によって人為的に成立した國家でもない。だから我が國の國體を「萬邦無比」といふのである。

『神皇正統記』(南北朝時代の史論。北畠親房著。延元四年成立)の冒頭には、「大日本者神國(おほやまとはかみのくに)也、天祖(あまつみおや)ハジメテ基(もとゐ)ヲヒラキ、日神(ひのかみ)ナガク統ヲ傳給フ。我國ノミ此事アリ。異朝(いてう)ニハ其タグヒナシ。此故ニ神國ト云(いふ)也。」とある。

この文章に「わが國は、神が護り給ふ國であるだけでなく、天照大御神の生みの御子が統治し給ふ國である」といふわが國の傳統的國家観・天皇観が端的に示されてゐる。國體の危機の時にこそ尊皇思想が興起し、國難の時にこそ神國思想が勃興するのである。今日のおいてもそうであるし、そうであらねばならない。

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千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送作業・発送完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

午後五時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼祭・野分祭』執行。島田康夫氏が祭主となり祭詞奏上、伊藤好雄実行委員長が祭文奏上、笹井宏次朗氏が『檄文』朗読、玉串奉奠などが行われた。

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『檄文』朗読

この後、伊藤祐靖氏が「尖閣に上陸して見えたもの」と題して追悼講演を行った。

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記念講演

帰宅後は、諸雑務。

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2012年11月24日 (土)

愛国尊皇の心とやまと歌

幕末の動乱期に「尊皇攘夷」の戦いに挺身した人々の述志の歌はそれぞれに憂国の至情が表白され、「魂の訴え」という和歌の本質そのものの歌ばかりである。特に「君が代」「国」を思う心を直截に歌った歌を挙げさせていただく。

藤田東湖(水戸藩主徳川斉昭と肝胆相照らし熱烈な尊皇攘夷論を主張し尊攘運動に大きな影響を与えた)の歌。

かきくらすあめりかひとに天つ日のかがやく邦のてぶり見せばや

(心をかき乱すようなアメリカ人がやって来たが、天日が照り輝く日本の國風を見せてやればよい、という意)

 伴林光平(文久三年(一八六三)攘夷断行・天皇親政実現のために挙兵した天忠組に参加し敗れて刑死した)の歌。

君が代はいはほと共に動かねばくだけてか へれ沖つ白浪

 (天皇国日本は巌のように不動であるから  日本を侵略しようとする国々は沖の白波  のように砕けて帰ってしまえ、という意)

 梅田雲濱(若狭国小浜藩士。尊皇攘夷運動を行い安政の大獄で捕えられ獄死した)の獄中で病気になった時に詠んだ歌。

君が代を思ふ心のひとすぢに吾が身ありと はおもはざりけり

 吉田松陰は

討たれたるわれをあはれと見む人は君を崇めて夷攘へよ

と詠み、平野國臣は

君が代の安けかりせばかねてより身は花守となりけむものを

という歌をのこしている。

愛国尊皇の心を張りつめた精神で歌う時、やはり日本伝統の文学形式即ち和歌で表現されることが多かった。(漢詩にもすぐれたものもあるが)和歌が日本人の真心を表現するのに最も適した文芸であるからである。

今日の日本はまさしく亡国の危機に瀕している。今こそその危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が祖国への愛・至尊への恋闕の思い歌いあげる和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、資料の整理、『政治文化情報』発送準備など。

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2012年11月23日 (金)

新嘗祭を歌はれた今上天皇御製

天皇は祭り主であらせられる。天皇は『私』をお持ちにならない。ひたすら民やすかれ、国安かれと祈られる。今上天皇様の宮中祭祀への情熱は御歴代を超えられるものがある。新嘗祭は衣冠束帯で二時間正座される。

今上天皇が「祭」について詠ませられた御製を掲げさせていただく。

昭和三十二年

歌会始御題 ともしび

ともしびの静かにもゆる神(しん)()殿(でん)琴はじきうたふ声ひくくひびく

昭和四十五年

新嘗祭

松明(たいまつ)の火に照らされてすのこの上歩を進め行く古(いにしへ)思ひて

新嘗(にいなめ)の祭始まりぬ神(しん)()殿(でん)ひちきりの音静かに流るととあわ

ひちきりの音と合せて歌ふ声しじまの中に低くたゆたふ

歌ふ声静まりて聞ゆこの時に告(つげ)(ぶみ)読ますおほどかなる御声(みこえ)

平成二年

大嘗祭

父君のにひなめまつりしのびつつ我がおほにへのまつり行なふ 

いかなる時代にあっても日本の傳統文化は、天皇・皇室によって正しく継承されることを証ししてゐる。皇室におかせられては、今日も、祭祀と和歌といふ日本伝統の核となるものを正しく継承されてゐる。

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。

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『萬葉集』防人の歌について

わが国最古にして最大の和歌集である『萬葉集』は、上は天皇から下は一般庶民の歌(遊女の歌もある)まで収録さている。萬葉歌の一首一首にわが国の古代人の信仰・思想・生活感情・美感覚があますところなく表現されている。『萬葉集』は、わが国の伝統精神・日本民族の中核精神を和歌という定型文学で表現した一大アンソロジーであり、わが国の伝統的な民族精神を知る上で、記紀と並んで、まことに大切な文献である。『記紀』はわが国民族精神が語られている文献であり、『萬葉集』はわが国民族精神が歌われている文献である。

 『萬葉集』巻二十には、防人の歌が収められている。防人とは、唐・新羅のわが国への侵攻に備えるために、筑紫・壱岐・対馬に配置された兵士のことである。大陸及び朝鮮半島との緊張関係は、約千三百年前から今日まで変わらずに続いているということである。

 防人の歌は、防人の率直な心境や東国庶民の生活感情を知り得る貴重な歌である。天皇国日本の永遠を願いながら遠く旅立つもののふの決意を表明した歌であり、生きて故郷へ帰ることができない覚悟した者たちの歌である。日本文化・文学の基本である宮廷文化(みやび)への憧れの心があり、君への忠、親への孝、人への恋心が表白されている。

 一人一人がそれぞれの立場で個性的表現をしているが、全体として国のため大君のためにわが身を捧げるという共通の決意が歌われている。天皇への無限の尊崇の念と敬神の心、そして愛する父母や妻子への思いが生々しい情感として歌われている。つまり、日本人の最も基本的にして永遠に変わることなき道義精神・倫理観を切々と歌っているのである。東国の庶民である防人の歌には、古代日本の豊かな精神・純粋な感性がある。

「今日よりは顧(かへり)みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」(防人の任を仰せつかった今日よりは、一切を顧みる事なく、不束ながら大君の尊い御  楯として出発致します。私は)

下野の(今日の栃木県)火長今奉部與曾布(かちょういままつりべのよそふ)の歌。火長とは十人の兵士を統率する長。

 もっとも代表的な防人の歌である。「醜」とは醜いという意ではなく、大君に対し奉り自分を謙遜して言った言葉で、「不束ながら」或いは「数ならぬ」という意。葦原醜男神(あしはらのしこおのかみ・大己貴神の別名)の「醜」と同じ用法で、「力の籠った、荒々しい強さを持ったものの意」とする説もある。

 

「御楯」は楯は矢・矛・槍から身を守る武具であるが、大君及び大君が統治あそばされる日本国土を守る兵士のこと。大君にお仕えする兵士であるから「御」という尊称をつけた。

 出征する時の凜然とした固い決意を格調高く歌っている。この歌の心は一言で言えば上御一人に対する「捨身無我」である。そうしたきわめて清らかにして篤い尊皇の心がふつふつと伝わってくる。しかも、押し付けがましいところがない、さわやかな堂々たる歌いぶりの重厚な歌である。

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千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は、母のお世話。

昼は、知人お二人と懇談。内外の諸情勢にいて意見交換。

午後からは、在宅して、諸雑務・書状執筆など。

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2012年11月22日 (木)

やまと歌と愛國心

今日の混迷状況を打開し変革するためには、長い歴史を有する日本民族が育み継承してきた伝統精神への回帰とそれを基盤とした愛国心(日本民族としての帰属意識)の昂揚が必要である。

 大化改新・明治維新・大東亜戦争を見ても明らかなように、日本における変革や国難の打開は、必ず愛国心・尊皇心の興起と一体であった。

そもそも愛国心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言えば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛国心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を学ぶべきである。日本人として自然な心で天皇を仰慕し、国を思い、国土を讃美する歌は萬葉時代から現代まで数限り無くある。

『萬葉集』において国家意識を明確に歌った歌としては次のような歌がある。

「いざ子どもはやく日本(やまと)へ大伴の御津(みつ)の濱松待ち戀ひぬらむ」

 「さあ、人々よ。早く日本へ帰ろう。あの難波の大伴の郷の御津の濱松ではないが、残してきた家族が待ち焦がれているだろう」という意。山上憶良が遣唐使として唐にいた時、祖国を偲んで歌った歌。日本回帰の心が見事に美しく歌われている。憶良は唐との文化の対比において日本を自覚し祖国愛に目覚めたのである。

仁和三年(八八七)、宇多天皇が即位されると、天皇親政の復活と摂関藤原氏の抑制に力を尽くされると共に、遣唐使を廃止し、平安初期百年の間支那模倣の科挙の制度のための漢詩文全盛の陰になっていた伝統的な和歌を復興するなど、支那崇拝を排して国民的自覚を明確にし、国体意識興起の復古維新を断行された。そして、延喜五年(九0五)醍醐天皇の命により紀貫之などによって、日本の伝統美・風雅を見事に結晶させた『古今和歌集』が撰進された。

平安時代の人々の心の中核には天皇仰慕の心と神代への回帰の心とがあった。在原業平は

「大原や小塩の山も今日こそは神代のことも思ひいづらめ」

「ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」

と詠んでいる。

さらに国歌『君が代』の典拠である

「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」

も『古今和歌集』の「賀歌」である。

 

武士の勃興によって王朝文化が滅びゆかんとする乱世変革の時代に、後鳥羽上皇の命により元久二年(一二〇五)に撰進されたのが『新古今和歌集』である。

もろこしも天の下にぞありときく照る日の本を忘れざらなむ

 成尋法師という人が延久四年(一〇七二)支那に渡った時に、その母が詠んだ歌。「唐土も同じ天の下にあると聞いています。天に照る日の本である日本を忘れないで下さい」という意。息子が仏道修行に行く支那も日の本の国たるわが天日の光が照らしているのだから、日本人としての誇りを忘れるなと呼びかけているのである。聖徳太子の御精神に相通ずる誇らかな愛国精神の歌である。

このようにわが国の愛国精神は、いかなる時代にあっても、脈々と和歌といふ文藝によって継承されて来たのである。

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千駄木庵日乗十一月二十一日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

いったん帰宅。

午後六時半より、新宿の三平酒寮にて、『笹井宏次朗さん壮行会』開催。多くの同志友人が集い、高歌放吟、談論風発。小生も「元禄名槍譜・俵星玄蕃」を熱唱。ブラジルに赴く笹井氏を激励した。笹井氏は惜別の辞を述べると共に、特別の舞踊も披露した。

帰宅後、『伝統と革新』誌の最終的な校正。

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2012年11月21日 (水)

小沢一郎に期待し、支持するのは間違っているし、危険である。

今日の混迷する政治状況のなかで、小沢一郎氏に期待し、支持する人がまだいる。しかしこれは間違っているし危険である。

小沢一郎氏は、「私の基本理念」と題する論文で、「私たちは、『共生』を新しい國づくりの理念として、あらゆる面で筋の通った『公正な國・日本』をつくる。そのために、國民一人一人が自立し、國家としても自立することを目指す。」と主張してゐる。そして、『朝日新聞』平成二十年六月二十二日号において小沢氏は、「僕の主張はある意味で革命である。明治維新をもう一度やろうということ」「世の中を根っこから変える」と語った。

大変勇ましい発言なのだが、一体、小沢一郎氏の目指す「革命後の日本」「根っこから変った日本」とはどういふ日本なのか。現代日本に変革が必要なのは言ふまでもない。現代における真の変革とは「戦勝国支配体制」の解体である。それこそが「明治維新をもう一度やらう」といふことだ。

明治維新の基本精神たる「尊皇攘夷」は、萬世一系の日本天皇を中心として國民的団結と統一を図り、祖國の自主独立を達成するといふ精神である。今日の日本においては、『占領憲法』をはじめとした戦勝國から押し付けられた様々な事象を祓ひ清め、天皇中心の國體を明らかにして、日本の自主独立を回復するといふことである。

ところが小沢氏は、その『ウェブサイト』で「日本國憲法の基本理念は不都合はない。時代が変わっても普遍の原理、理想として掲げていてなにもおかしくない」と語ってゐる。

しかし、『現行占領憲法』は、成立過程は言ふまでもなく、その「基本理念」にも祖國日本の独自性は全くなく、わが國を戦勝國の従属下に置くところの「國民と國家の自立」とは正反対の「戦勝國」の押し付け思想である。

「日本國憲法の基本理念」とは、「平和主義」「國民主権」「基本的人権の尊重」の三つである。「平和主義」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、国防戦争もしない」といふ敗北思想である。「国民主権論」とは、西洋や支那大陸のやうな君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪ひ合った歴史は全くない君民一体の信仰共同体たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。「基本的人権の尊重」とは、「人権尊重・個の尊重」を全てに優先させることがかへって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪ふことになった今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。

わが国を根っこから変わらせるという表現も危険である。わが國の「天皇を祭祀主と仰ぐ國體」は絶対に護持しなければならない。

日本の自立を妨げてゐる元凶である『現行占領憲法』の基本理念を墨守する思想の持ち主に、「國家としての自立を目指す」とか「明治維新をもう一度やる」などと言ふ資格は毛筋の横幅ほどもない。

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千駄木庵日乗十一月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

夕刻、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と次号の最終打ち合わせ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2012年11月20日 (火)

日本天皇の「統治」「しろしめす」の意義

 天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されるということではない。三潴信吾氏は「帝国憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、国家・国民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ『統治』は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の伝統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(日本憲法要論)と論じておられる。

 「やまとことば」の「しろしめす」は、「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代』と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 文武天皇の宣命にはさらに「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

 

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 先帝昭和天皇陛下が、よく「あっそう」というお言葉をお発しになられたのは、まさに無私と慈愛の心で相手の言う事をお聞きになられお知りになったということである。有難き限りである。

 

『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。

明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

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千駄木庵日乗十一月十九日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』発送の準備など。

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2012年11月19日 (月)

民主党に、自民党の世襲政治家を批判する資格は全くない。

民主党による自民党議員の世襲批判は言いがかりであり難癖だ。世襲議員が比較的少なかった民主党政治が良い政治だったのか!全くそうではない。全員が世襲議員であっても、自民党の方が民主党よりはましだ。民主党政権打倒こそ日本再生の第一歩である。

民主党のかつての代表小沢一郎も鳩山由紀夫も世襲議員ではないが!松本龍・羽田雄一郎が参院議員になったのも先代のお蔭だ。

特に、岩手県知事への差別発言、暴言で大臣を辞任した松本龍は、祖父の代からの世襲議員である。羽田氏の公認をしないのなら、松本の公認もするべきではない。とにかく民主党に自民党を批判する資格はないのだ。口を慎みなさい。

部落解放同盟は「天皇制反対」を公言している団体である。その団体の創始者の孫が国務大臣になったのである。そして自分は権力を乱用し、岩手県知事を侮辱し、差別発言をしたのである。さらに議員という公職を世襲しているのだ。こんなことは許している民主党に、自民党の世襲政治家を批判する資格は全くない。

世襲批判をしている安住の馬鹿野郎は、テレビで、民主党の言う「中道」とは、自民党の宮沢喜一・河野洋平から旧社会党の石橋正嗣までの考え方だなどいう意味のこと言っていた。この連中は、共産支那に媚を売り、自主防衛体制構築を妨害し、何よりも皇室の政治利用をしてきた勢力であり、社民・共産という公然たる左翼・反日勢力よりも悪質な反日・亡国勢力である。しかもこの勢力は社民共産と違って実際に権力の中枢に入り込んでいるのだ。このような考え方を持つ安住のような男が政権の中枢にいる国には、国民は「安住」できない。

民主党は、「自民党政治に戻ってはならない」などと言っているが、民主党政治にこそ戻ってはならないのだ。民主党政権を徹底粉砕すべし。

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日本伝統信仰こそが、人類滅亡の危機を救う原基となる

日本神話を拝すれば明らかなように、天照大神は、唯一絶対・全知全能を誇る神ではない。八百万の神といわれる日本の神々の使命・性格を生かし高める神である。一神教の神のような裁きの神、妬みの神、復讐の神ではない。

日本神話では天地自然や人間は唯一絶対神によって造られた存在ではない。人も国土も君主も伊耶那岐命・伊耶那美命二神から生まれ出た存在である。

さらに神の御命令によって地上に天降られた邇邇藝命の最大の御使命は、地上を瑞穂の国すなわちみずみずしい稲の穂が稔る国にするというきわめて平和的な信仰である。邇邇藝命という御名には、稲穂のにぎにぎしさを讃え稲穂に籠る霊への信仰が内包されている。

生命の永遠の循環と共同体の相互扶助を、身を以て体験する稲作生活から生まれた規範を大切にする日本民族の祭祀に、言葉の真の意味における平和の姿を見出すことができる。

それは日本神話の言葉を以て言えば、「高天原を地上に実現する」ということである。この精神を発展させて、全世界を稲作などの農業の栄える国とするという使命を日本が果たすべきである。

お互いの神を排斥合うのではなく、同じ天地の神として尊重し合う精神を持たなければ宗教戦争は終焉を迎えない。否、終焉を迎えないどころか人類を滅亡に追いやる危険さえ含んでいる。日本伝統信仰の自然崇拝の精神こそが、一神教同士の闘争による滅亡の危機を救う原基となると信ずる。

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高乗正臣平成国際大学副学長(憲法学会理事長)の講演内容

高乗正臣平成国際大学副学長(憲法学会理事長)の講演内容は次の通り。

「憲法改正のあり方を明確にすべし。①一部文言の改正②帝国憲法復元③現憲法無効・破棄④自主憲法制定、の四つがある。GHQによってリンカーン誕生日の二月十二日までに民政局員によって改正案が作られ。形の上では『帝国憲法』の改正手続きによって改正したことになっている。

『現行憲法』が有効か無効かについて議論が分かれている。宮沢俊義によって『八月革命説』が唱えられた。これがいまだに生きていて学界の多数説になっている。『ポツダム宣言』受諾におけるわが国の申し入れに対する昭和二十年八月十一日の『連合国回答(バーンズ回答)』は、『最終的の日本国の政治形態は『ポツダム宣言』に遵い、日本国民の自由に表明する意思により決定せらるべきものとする』というものであった。宮沢氏は、『これは、日本の政治についての最終的な権威が国民の意思にあるという事即ち国民が主権者であるべきだ、という事を意味しているから、この回答を前提に「ポツダム宣言」を受諾したと同時に我が国に「革命」が起った。「日本国憲法」は革命によって新たに主権者となった日本国民により有効に制定された憲法である』と論じた。

しかしこの宮沢氏の議論には根本的な疑問がある。『バーンズ回答』にある『日本国民の自由に表明する意思』による政府の樹立とは、『大西洋憲章』や『国連憲章』にある『外国の干渉を受けることなく自国の事は自国で決める』という民族自決原則の表明であり、『国民主権』を要求すると解釈するのは無理。また『日本国民の自由に表明する意思』の『国民』(Japanese people)とは、天皇に対立する国民ではなく、日本国を構成する日本の人即ち日本國人と解すべきである。天皇以外の日本国民と解するのは無理。主権(政治の最終決定権)が、天皇から国民へ移行したということは事実ではない。主権は連合国最高司令官に移行した。『八月革命説』は完全に破綻した。『八月革命説』による日本国憲法有効説は根拠に欠ける。

佐々木惣一氏は改正無限界説。『「現行憲法」は、「帝国憲法」七三条の手続きによって成立したものであるから、革命によって成立したのではない。「日本国憲法」は欽定憲法である』と言う。

しかし、『ポツダム宣言』受諾後も『帝国憲法』が有効だとする説は疑問。『現行憲法』は『天皇及び日本国政府の国家統治の権限』が『連合国最高司令官の制限の下に置かれ』た状況で成立したのだから、『帝国憲法』はその機能を停止していたと解さざるを得ない。『現行憲法』が有効に成立したとの前提に立つ『改正論』は法理の上で無理がある。

井上孚麿・相原良一両氏の『現行憲法無効論』は、①わが国の国家統治の権限が連合国最高司令官に従属していた時期に行われた②現行憲法成立過程で占領軍の不当な威迫・脅迫・強要が行われた。③占領者は絶対的な支障が無い限り占領地の現行法を尊重すべしと明記された『ハーグ陸戦法規』(一九〇七年)に違反しているから、占領下の『帝国憲法改正』は無効であるという主張である。

竹花光範氏は、「憲法は憲法制定権力を行使して作られ改められるべきものである。したがって、占領下には憲法制定・改正はあり得ない。とすれば『日本国憲法』は、名称は憲法であっても、実態はわが国を占領統治するための『基本法』『占領管理法』である」という主張である。

ポツダム緊急勅令など一般の占領管理法は、占領終了時に廃止されたが、『日本国憲法』は廃止されなかった。天皇を含む日本国民が『日本国憲法』に対して憲法として黙示の承認を与えたと見れば、昭和二七年四月の独立回復時に、『日本国憲法』は主権国家日本の正式の『憲法』になったと言えよう。この立場からすれば、改正は九六条の規定に基づいて行うのが筋という事になる。

『国民主権』という言葉は多義的。統治権という意味もあり、国家権力の独立性という意味もある。『帝国憲法』に『主権』という言葉を使わなかったのは英知。『地域主権』という言葉があるが、大阪市に国の政治を決定する最高権力があるという事になる。今生きている国民に最終決定権があり、なんでもオールマイティに決定して良いとは思わない。過去・未来の人々を含めた歴史的国民共同体に主権があるという意味なら肯定できる。主権は広いスパンで考えるべし」。

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中谷元衆院議員(自民党憲法改正推進本部事務局長)の講演内容

『新たしい憲法をつくる研究会』における中谷元衆院議員(自民党憲法改正推進本部事務局長)の講演内容

「これまでの『自民党憲法改正案』は自公連立だったので抑制された内容だった。中曽根先生が力を込めた格調高い文章の前文が一夜にして簡素でうすっぺらになって発表された。野党になってしっかりやり直さねばならぬという思いで憲法改正推進本部で作った。日本の病状悪化の原因は〇〇依存症。その一つ目は、借金依存症。今は、一年間四十兆円の税収だが、バブルの時は六十兆円だった。自民党政権では年間予算は七十兆円だったが、民主党政権九十兆円。足りない分は国債を発行。二つ目は、日米安保依存症。日本の安全は在日米軍に依存している。スクランブルで自衛隊機が緊急発進しても、向こうが撃たなければこちらからは撃てない。法律の不備。自衛隊稼PKOに参加しても安全なところに行って民間でも出来ることしか許されない。軍事同盟が大事なのにいまだに集団的自衛権が認められていない。専守防衛では駄目。三つ目は、グローバル主義依存症。四つ目は、生活保護依存症。『ポツダム宣言』が今の憲法の素地。日本の弱体化を目的とした憲法。国家としての気概を喪失している。尖閣を防衛するための船が足りない。官邸の意志判断をしっかりとしなければならない。来栖さんの発言は正しかった。早く憲法を改正しなければならない。中国は第七艦隊を防ぐために海軍力を増強している」。

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千駄木庵日乗十一月十八日

午前は、母のお世話。

靖国神社に参拝。

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午後二時より、靖国神社境内の靖国会館にて、日本学協会主催『先哲に学ぶ会』開催。永江太郎氏(元防衛研究所戦史部主任研究官)が司会。但野正弘氏(水戸史学会理事)が「継承された水戸の心」と題して講演。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2012年11月18日 (日)

「もののふ」とは

 「もののふ」とは、武人・武士のことを、「やまとことば」(和語すなわち漢語や西洋などからの外来語に対し、日本固有の語)で言った言葉である。

 「宮廷を守護する者」即ち「物部」の音韻が変化した語が「もののふ」である。「もの」とは「もののけ」の「もの」と同じで、不思議な霊力がある存在のことである。物部氏という氏族は、もっとも有力な「もののふ」だったという。

 「物部」の原義は、宮廷の妨げをするものを平らげ鎮める働きをする部(群れ・組。世襲的に一定の職業に従事した団体)のことである。物部氏は、古代の氏族の一つで、朝廷の軍事・刑獄のことを司った。古代日本では、霊的力即ち巫術(呪術(じゅじゅつ) の一つ。超自然的存在が人にのりうつり、その人を通して話し、行動するもの)を以て戦場に臨み、敵軍を守る精霊を抑圧するものが「もののふ」(物部)であった。

 「もののふのみち(武士道)」は、物部、大伴の二氏によって明確なる史実として表現せられた。

 

物部氏は饒速日命の後裔。武勇を以て聞こえた家柄で、神武天皇に奉仕し、御東征の折に大和で長髄彦を討つという勲功があった。大伴氏と共に宮門を護衛し、軍事を担当した。これが後世の「武士」の濫觴とされている。

用命天皇の崩御直後、仏教受容を唱えた蘇我氏の馬子と物部守屋が争い破れて物部氏は滅びた。

 なお、「もののふ」を「武士」(ぶし)というのは、折口信夫の説では、野に伏し山に伏して主君のために仕える者であるからという。

 もののふの道(武士道)とは、古代日本(古事記・萬葉)においては、宮廷を守護すること即ち皇室に忠誠を尽くすという精神である。それが原義である。日本武尊の御生涯、そして笠金村の次の歌にそれは明らかである。(笠金村は伝未詳)

「もののふの 臣(おみ)の壮士(をとこ)は 大君の 任(まけ)のまにまに 聞くといふものぞ」

(『萬葉集』三六九番・軍人として朝廷に仕える男は、大君の仰せの通りに御命令の通りに聞き従うものであるぞ、という意)。

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千駄木庵日乗十一月十七日

午前は、母のお世話。

午後二時より、早稲田の東京国際大学早稲田キャンパスにて、『昭和経済研究所・日台文化協会共催セミナー』開催。村井友秀防衛大学教授が「日米同盟とアジア」と題して講演。

会場を出ると土砂降りで身動きとれず、近くの茶房で読書。

午後六時半より、春日の文京シビックセンターにて、『故黄昭堂主席を偲ぶ会』開催。王明理台湾独立建国同盟日本本部委員長、ご遺族の黄正澄氏、宗像隆幸氏、陳南天台湾独立建国連盟主席、中津川博郷前衆院議員、住田良能産経新聞相談役などが挨拶。清宴に移った。黄文雄拓殖大学客員教授が閉会の辞を述べ、終了した。しばらくお会いしなかった同志友人の方々にも多くお会いし、懇談した。

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帰宅後は、原稿執筆。

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2012年11月17日 (土)

天皇陛下のご権能と衆議院の解散

『現行憲法』の第七条には、「天皇の国事行為」として「衆議院を解散すること」と明記されている。

しかるに、今日のテレビ報道で「野田総理大臣は今日衆議院を解散しました」などと報道していた。そして、テレビ中継では、衆議院議長が議長席で「日本国憲法第七条により衆議院を解散する」と語っている場面を繰り返し流していた。これでは、まるで衆議院議長が衆議院を解散したように見える。

しかし、実際には衆議院議長は「唯今詔書が発せられた旨通達がありました。それを朗読いたします」と言ってから、「日本国憲法第七条により衆議院を解散する」と示された詔書を奉読したのである。解散を宣せられたのは、天皇陛下である。議長は詔書を奉読しただけである。この事を正しく報道しないのはまことにおかしい。と言うよりも全く間違っている。

『現行占領憲法』においても、天皇が日本國の君主であらせられる。憲法学では、「君主とは統治権の重要部分を掌握し、國家の象徴的性格を持つ、世襲の独任機関」であるというのが最も一般的な定義とされている。内閣総理大臣の任命、最高裁判所長官の任命、國會の召集および解散という國家統治権の中枢的なことがらが天皇の権能とされており、さらに、皇位が象徴的性格をもつ世襲制の独任機関であるというところからして、『現行憲法』においても、天皇陛下が日本國の君主であらせられることはあまりにも明白である。

内閣総理大臣や最高裁判所長官は、天皇の任命を得てはじめてその地位につくのであり、天皇によらない任命は無効である。また、天皇によらない國會の召集や衆議院の解散も無効である。

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千駄木庵日乗十一月十六日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、丸の内の出光美術館にて開催中の「琳派芸術展」参観。会場内で防衛庁長官・農水大臣などを歴任された元衆院議員ご夫妻と懇談。明治維新・西南戦争・大東亜戦争・尖閣問題などについて貴重なお話を伺う。石垣島に自衛隊の基地をつくらねばならないと語られたのが印象に残った。「解散当日に美術展を参観するということは現役時代にはあり得ない事だ」としみじみ語っておられた。

帰宅後は、テレビニュースを見ながら、資料の整理。

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2012年11月16日 (金)

やまと歌について

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋な最も固有な文藝である。『うた』の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。

和歌には、五・七・五・七・七といふ音数律(音節の数によってつくられる詩歌のしらべ。五七調・七五調など五音と七音の組み合せによる場合が多い)以外には、決まりごとは無い。音数にしても許容範囲は広く、字余りはごく普通に見られる。連歌俳諧のやうな季語の制約もない。音数律といふ型をおおよそ踏まへてさへいれば、自由に詠んで良い。

「五・七・五・七・七」といふ定型は、まつりごと=祭祀に於いて自然に神ながらに整へられた。「五・七調」に日本人の魂をゆさぶる何ものかがある。

和歌は、人知のさかしらを超えて自然に生まれてくる『素直な心』(まごころ・もののあはれを感ずる心)の表白であるから、規則正しい生活の中から、自然にある声調を生み、「五・七・五・七・七」の定型を生み出した。

『古今和歌集』の「仮名序」に「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)とある。

明治天皇は次のやうに詠ませられてゐる。

「天地もうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」

「世の中にことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」

「ことのはのまことのみちを月花のもてあそびとは思はざらなむ」

「鬼神も泣かするものは世の中の人のこころのまことなりけり」

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけば忘れざりけり」

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この頃詠みし歌

三日月が夜空に浮かぶゆかしさを愛でつつ歩む千駄木の街

屋根の向かふに沈みゆくなる三日月を眺めつつ酔ひをさまさむとする

氣が付かぬふりして行きし知り人を遠く見送りさみしむ心

人工の灯りといへど青く光るスカイツリーは美しきかな

フランスよりの友の電話の声楽し 遥かなる國も隣室の如し

若き店主が明るき笑顔でものを作る様を見てゐれば心和むも

久しぶりに来たりし店のもつ焼きを頬張りにつつホッピーを呑む

政治家の責を問ふより國民として何を為すかを思はねばならず

政治的スローガンの如き歌詠むはあまり好まねど致し方なし

母のゐる部屋に生け花飾りたり一日を明るく過ごしたまへと(母は退院せり)

エレベーターを降りれば逢ひたき人と逢ふああこの偶然は神の恵みか

チャルメラの音聴こえ来ることなくなりて幾年経しかと思ふ秋の夜

朱色なる満月昇り来たりなば いにしへ人に心かよはす

静かなる夜の公園 黒々と木々立ちをりぬ幽り世の如く

目覚めればまだ夜は明けず夢の中の戦ひにわれは打ち勝ちたれど

降りそそぐ神の光りが我の身を包み清めることのうれしさ

日の光燦然として輝けば麗しきかな日の本の國

輝ける道にあらねどひたすらに生き来しといふ自負はありけり

酷使せしゆゑとぞ思ふわが眼 充血しゐるを鏡にて見る

鳩も鴉も少なくなりしわが街に秋の風吹き静かなるかな

秋深き夜にパソコンを操作して喪中の葉書をつくる悲しさ

栖鳳の描きし雀鳴き声が聞こえ来る如しその愛らしさ(『竹内栖鳳展』)

栖鳳が描きし湯上りの若き女(をみな) 恥じらひの表情を見せるゆかしさ()

一人身の人多く住むマンションに我も一人でもの書きてゐる

孤独死を恐れる心ややありて一人でシャワーを浴びてゐるなり

ますますに驕り高ぶる隣國を厭ひ嫌ひて日々過ごすなり

色づきし丘の林を眺めつつ四季のうつろひをしみじみ思ふ

夏の日に緑輝きし銀杏の葉色づきければ秋深みたり

何時も歩く街をデモ行進する時に旅人の如き心となりぬ

久しぶりにデモ行進に参加して道歩み行く秋の夕暮

秋雨が降り出でしたる夕つ方友らと叫ぶシュプレヒコール

その昔宮本顕治が住まひたる大き屋敷は跡形もなし

荷風筆の鷗外の詩碑を仰ぎたり夕闇せまる観潮楼址(森鷗外記念館)

藪下通り少し歩みてこの道を愛でし荷風散人を偲ぶ()

千駄木より馬に乗り陸軍省に通ひたる森鷗外の姿を偲ぶ()        

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千駄木庵日乗十一月十五日

午前は、母のお世話。

『政治文化情報』の原稿脱稿、印刷所に送付。

午後からは、在宅して資料の整理など。

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2012年11月15日 (木)

捨身無我の絶対尊皇精神

本居宣長は、「から國にて、臣君を三度諌めて聽ざる時は去といひ、子父を三たびいさめて聽ざるときは泣てしたがふといへり、これは父のみに厚くして、君に薄き悪風俗也。…皇國の君は、神代より天地と共に動き給はぬ君にましまして、臣下たる者去べき道理もなく、まして背くべき道理もなければ、したがひ奉るより外なし。なほその君の御しわざ悪くましまして、従ふに忍びず思はば、楠主の如く、夜見の國へまかるより外はなきことと知べし、たとひ天地はくつがへるといふとも、君臣の義は違ふまじき道なり…然れば君あししといへ共、ひたふるに畏こみ敬ひて、従ひ奉るは一わたりは婦人の道に近きに似たれ共、永く君臣の義の敗るまじき正道にして、つひには其益広大なり。」(『葛花』)と論じてゐる。

天皇は現御神であらせられ絶對的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考へや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下を批判する事は絶對にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。天皇陛下が間違った御命令を下されたり行動をされてゐるとたとへ思ったとしても、國民は勅命に反してはならずまして反對したり御退位を願ったりしてはならない、如何にしても従へない場合は楠正成の如く自ら死を選ぶべきであるといふのが、わが國の尊皇の道であり、勤皇の道であることを、本居宣長先生は教へられてゐる。

ただし、諌め奉る事を一切否定してゐるのではないと思ふ。三度までは諌め奉り、どうしてもご翻意なき場合は、勅命に従ひ奉るのが日本天皇に対する臣下国民の道である。

捨身無我の絶対尊皇精神がここに説かれてゐる。これが日本人の道義精神の極地である。これを「恋闕心」と言ふ。恋闕心とは、宮闕(きゅうけつ・宮殿・宮城・宮門・)を恋ひ慕う心のことである。ただひたすらなる尊皇の思ひである。

日本國の生命・歴史・傳統・文化・道義の体現者たる天皇の大御心・御意志にまつらふひ奉ることが日本國民の道義心の根幹である。そして天皇の大御心・天皇の國家統治の基本は、天照大神の御命令である「高天原の理想を地上に実現する」といふことである。

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千駄木庵日乗十一月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が額田王・高市皇子の御歌を講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2012年11月14日 (水)

絶対尊皇精神について

我が国の歴史書において、大楠公を賛美しても、後醍醐天皇を失徳の天子として批判することがある。

村岡典嗣氏は「まごゝろといひ、大和心といふものには、一味もののはれと通ずるところがある。而してこれまた、現人神にます天皇を對象とすることに於いて、重なる存在をはじめに有した丹き心本来の性格であった。……正統記に、儒教的の有徳王君主の思想を少なくとも絶對的に否定しつべき積極的主張の十分でなかったことを、感ぜざるを得ざらしめる。これは國學者の立場からせば、所謂漢意を去りえなかったのである。天皇は天皇にまします故に貴く、善悪の論を離れて絶對に尊びまつるべしといふのは、合理主義以上のまた以外の至情である。丹き心の根柢にはこの情味がある。この事は、國學をまって、始めて明瞭なる自覺を以て發揮せられたところである。されば親房以後近世の日本的儒學者の間に於いては、就中、山鹿素行の如き、頗る日本精神の主張に於いて、一層の進歩を示したとはいへども、未だこの點國學ほど純粋ではなかった憾みがある。而してこは、國學の古典學を有しなかった爲である。」(『日本思想氏研究第四』)と論じてゐる。

わが國における「尊皇精神」「忠義」とは、現御神日本天皇に對する絶對的な仰慕の心・戀闕の心をいふのである。一切の私心なく天皇にまつろひ奉ることが最高の道義なのである。それを「清明心」といふのである。

「丹(あか)き心」とは、「赤心(せきしん)」であり、誠實、偽りのない心、まごころ、美しい心、きれいな心、清い心、まことの心である。すなはち日本精神の骨髄たる「清明心」である。

天照大神は、高天原に上ってきた須佐之男命に「然(しか)あらば、汝(みまし)が心の清く明きは何を以ちて知らむ」と仰せられた。須佐之男命は、ご自分の「清明」を証明するために「うけひ」をされた。

「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。日本武尊の御事績を拝すればそれは明らかである。

支那の有徳王君主思想は、「君主に徳がなくなり間違ったことするやうになればその君主を廃する」といふ思想である。日本の尊皇精神は、「天皇は現御神であらせられ、善悪の論を離れて絶対に尊びたてまつるべし」といふ至情である。これを「あかき心」(赤誠心)といふのである。「あかき心」とは「無私の心」である。

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鷗外記念館を参観して

今日参観したこの十一月一日に開館した文京区立鷗外記念館で開催している『特別展・150年目の鴎外 ―観潮楼からはじまる―』は「文豪と軍医という異なる世界を強靭に保った鴎外の人生は、遺された日記や自筆原稿、書簡類などからうかがい知ることができます。鴎外の住居であった観潮楼は、鴎外にとって交流拠点でした。観潮楼歌会をはじめとする集まりや日々の訪問客には、石川啄木、齋藤茂吉、与謝野寛、永井荷風、正岡子規など、多くの文化人たちがいました。日本近代文学のサロンといえる観潮楼での交流や、観潮楼で書かれた作品を通して、文豪鴎外を紹介します。また、観潮楼には、鴎外と祖母・父・母・弟・妻、そして子どもたちとの暮らしがありました。子どもたちに『パッパ』と呼ばれたり、子どもたちに勉強を教えるために鴎外自ら教科書を手作りしたり・・・新収蔵資料から家庭人鴎外に触れます。明治という時代を日本の近代化とともに生きた鴎外のメッセージは、現代の私たちに何を語りかけているのでしょうか」(案内書)との趣旨で開催された。

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文京区立鷗外記念館

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鷗外の横顔像

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鷗外の正面像

森鷗外の著書、原稿、書簡、家族の写真、観潮楼の模型などが展示されていた。森鷗外は、夏目漱石と並ぶ文豪であり、多くの作品をのこした。この二人は共に文京区千駄木に住んでいた。千駄木の住民にとっては大きな誇りである。しかし、鷗外は漱石ほど親しまれてはいない。漱石には、「坊っちゃん」「吾輩は猫である」「心」など多くの青少年に親しまれた作品がある。ところが鷗外にはそうした青少年に親しまれた作品はない。しいて言えば『山椒大夫』であろうが、これも絵本などで讀むくらいで、原典を讀んだ人は少ないではないだろうか。しかし、文藝を本格的に好む人には、森鷗外はきわめて評価が高い。

私は、小学校時代に、森鷗外のお孫さん(鷗外の次男・森類氏のお嬢さん)と同級生だった。また、母は、森鷗外の次女の小堀杏奴さんと親しくさせていただいていた。また、鷗外が帝室博物館総長時代の部下であられた濱隆一郎先生は、二松学舎大学の教授を務められ、私の恩師である。このように多少の御縁があるのだが、恥ずかしながらまだ鷗外の作品を本格的に讀んでいない。『全集』は持っているのでこれから読みたいと決意している。

森鷗外に『沙羅(さら)の木(き)』といふ詩がある。

「褐色(かちいろ)の根府川石(ねぶかはいし)に

白き花はたと落ちたり、

ありとしも靑葉がくれに

見えざりしさらの木の花。」

沙羅の木とは夏になると白い花を咲かせる「夏椿」のこと。「根府川石」は、神奈川に産し石碑・飛び石などに用いられる石。明治二十五年以来鷗外が居住した千駄木の自宅・観潮楼の敷石であらう。

ひっそりと静まり返った庭の敷石に、青葉に隠れてゐるので、ふだんあまり見ることのなかった白い椿の花びらがぽとりと散った様を印象的に歌ってゐる詩である。「シ」といふ音を繰り返し使った「しらべ」「韻律」の美しさがある名品である。剣持武彦氏はこの詩について、「散ることによってその存在が初めて示される沙羅の白い花によって散り際の美しさを示している。美しく死にたいということは武士の願いである。『死』は美意識を伴った『かたち』のなかに常に位置づけられていた」(『比較文学のすすめ』)と論じてゐる。森鷗外のこの詩にもひっそりとしてつつましやかな「散華の美」が歌はれてゐる。

森鷗外記念館の庭には、今も沙羅の木(夏椿)があり、外壁に埋め込まれた『沙羅の木』の詩壁(森林太郎先生詩 昭和廿五年六月永井荷風書と刻まれた詩碑)がある。

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千駄木庵日乗十一月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

この後、最近開館した千駄木の森鷗外記念館にて開催中の「特別展・一五〇年目の鷗外ー観潮楼からはじまる』展参観。

帰途、谷中三崎坂にて、友人と懇談。

帰宅後も、明日の準備及び原稿執筆。

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2012年11月13日 (火)

『現行憲法』の思想的・精神的欠陥

日本人は、「無私の精神」「無我」と言ふことを大切にしてきた。小林秀雄氏に『無私の精神』といふ著書があった。生長の家の谷口雅春先生に「真の『愛』とは無私、無我になって相手に尽くすことだ」と教へられた。

愛の極致は「捨身無我」である。日本武尊と弟橘姫の物語などを見ると、本当にさう思ふ。国に対しても、上御一人に対しても、そして父母・子供と言った家族に対しても「捨身無我」になって尽くすことが「愛」である。「すめらみくにのもののふはいかなることをかつとむべき、ただ身に持てるまごころを君と親とに尽くすまで」という歌がある。「まことをつくす」ことが捨身無我なのであらう。これが日本精神である。

大野健雄氏(元宮内庁総務課長)はその著書『天皇のまつり』において、「本来日本語は美しいもので、『私は』『私に』などギスギスした一人称の字句を、いちいち用いなくとも自然に意の通ずるところに特徴がある。この憲法(註・現行憲法)の前文を見ると、『われらとわれらの子孫』から始まって『われら』だけでもこの短い文の中に七つもある。これが翻訳臭である」と論じてゐる。

西欧において理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本と考へるのとは対照的に、わが國では『私』を去り『我』を無にすることを大切にしてゐる。天皇陛下は、日本民族の長い歴史の中で、清明心の根源、無我の体現者、日本人の『道』の中心者として君臨されてきた。これは、日本人だけでなく、全人類のかけがへのない宝である。

外国流・西洋流の個人主義・自我思想に満ちてゐる『現行憲法』は、闘争と破壊と分裂を招き、精神的・思想的に日本を劣化させ、堕落させてきた「悪の根源」なのである。

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千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、諸雑務、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2012年11月12日 (月)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會のお知らせ

四宮政治文化研究所代表の四宮正貴が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでをります。多くの方々の御出席をお待ちしてをります。

日時 十一月十四日(第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館 東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

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『占領憲法』と『禁中並びに公家衆諸法度』

『現行占領憲法』が無効であることは、法理論上明白である。また、実際に憲法あるいはそれに類する法令が無効とされた前例がある。『禁中並びに公家衆諸法度』がそれである。『禁中並びに公家衆諸法度』は、慶長二十年(一六一五年)七月十七日、二条城において、徳川家康、徳川秀忠、二条昭実の三名の連署をもって公布された。これは徳川幕府が政権を奪取した後、皇室に対する圧迫策として制定したものである。

第一条に「天子諸藝能の事。第一御學問なり」と規定され、「政治は徳川氏が行い、天皇は学問をしていればいい」という國體を隠蔽し、天皇を京都御所に拘束し奉ったところの悪逆非道な『法度』である。

徳富蘇峰氏は、「(『禁中並びに公家衆諸法度』は・註)皇室にまで、その制裁を及ぼしたるもので、いわば公家はもとより、皇室さえも、徳川幕府の監督・命令を仰がねばならぬ立場となったことを、法文上において、確定したものだ。」「天皇を、もっぱら和歌、および綺語の方面における學問にのみ、誘導するを勖(つと)めたのは、幕政の始終を一貫した政策であった。…天皇は治國平天下の學問を為さず、ただ花鳥風月の學問を為し給うべしとの、意味において受け取るのを、正しき解釈とせねばならぬ。」(『近世日本國民史・徳川家康』)と論じてゐる。

江戸時代を通じて、一切改訂されなかったとされるが、実際には幕末に至って効力を失ってゐた。つまり無効になったのである。幕末になって、外患が激しくなり、幕府だけの力では打開できなくなった。そして朝廷には政治に一切関わらせないとしていた幕府が、朝廷に対してどうしたら良いかお伺いを立てる事態となった。特に対米外交において、『日米条約』締結の勅許を奏請する事態にまで発展した。この時点で、『禁中並びに公家衆諸法度』は空文化し、さらに明治維新によって完全に無効となったのである。

考えてみれば、『禁中並びに公家衆諸法度』と『現行占領憲法』はその性格がよく似ている。両方とも、天皇を日本国の統治者・君主と仰ぐ日本國體を隠蔽したものであるし、『禁中並びに公家衆諸法度』は徳川氏の武力によって押し付けられたものであり、『占領憲法』は、アメリカ占領軍の武力によって押し付けられたものであるからである。

従って、『占領憲法』も『禁中並びに公家衆諸法度』と同じように、アメリカが占領を終わった時点ですでに無効なのである。日本国民はそれを正しく確認すればいいだけのことである。

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千駄木庵日乗十一月十一日

午前は、母のお世話。

午後一時より、日比谷公園野外音楽堂にて、『領土を守れ!拉致被害者全員の奪還 占領憲法無効「日本国憲法無効請願」決起総大会』開催。国民儀礼の後、佐藤一彦会長が挨拶。南出喜久治氏が基調講演。そして西村真悟、土屋たかゆき、中松義郎の各氏らそして小生が演説。続いて請願・決議文の採択が行われた。

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午後三時半より、「衆議院への占領典憲無効確認決議請願デモ行進」が行われた。

帰途、同志と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年11月11日 (日)

憲法破棄・国軍建設を一日も早く実現すべし

日本の経済援助によって軍事的・経済的に強くなった共産支那によって、わが國が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。事実はその逆で、日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

「棍棒片手に猫なで声で外交 をすれば、大体成功する」という言葉がある。日米開戦時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの言葉であるという。脅しと猫なで声が外交の基本ということである。わが国を開戦に追い込んだ人物らしい言葉である。ただし日米開戦直前のアメリカは、「猫なで声」どころではなく、日本を恫喝し挑発する行動を露骨にとっていた。さらに、「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉もある。

やはり国家というものは、国軍を持たなければ駄目である。わが国には、自衛隊は存在するし、その能力は精強だと言われている。しかし、憲法上「国軍」と正しく規定されていない。領土問題・資源問題・拉致問題など色々なことで周辺諸国から馬鹿にされ、なめられ、主権を侵害されっぱなしなのは、「日本は何をやっても報復できない、反撃して来ない」と思われているからである。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄」し、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という憲法を持っていては、何処の国とも対等な外交はできない。まして、共産支那や北朝鮮や韓国という無法国家とわたりあう事はできない。

共産支那は敵性国家である。このような国との友好関係はあり得ない。南北朝鮮、共産支那のわが国に対する軍事的圧迫・恫喝・内政干渉・主権侵害を跳ね除けるために、わが国は相当の覚悟を決めねばならない。憲法破棄・国軍建設を一日も早く実現すべし。

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千駄木庵日乗十一月十日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは在宅して、書状執筆・原稿執筆など。

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2012年11月10日 (土)

永井荷風の皇室論

永井荷風は次のやうに書いてゐる。

「夜銀座に徃くに號外賣頻に街上を走るを見る。聖上崩御の時近きを報ずるものなるべし。頃日新聞紙朝夕陛下の病况を報道すること精細を極む。日々飲食物の分量及排泄物の如何を記述して毫も憚る所なし。是明治天皇崩御の時より始まりし事なり。當時國内の新聞紙は其筋の許可を得て、明治帝は尿毒症に冒されたまひ、龍顔變して紫黒色となれりといひ、又シャイネストック云々の如き醫學上の專門語を交へて絶命の狀を記したりき。世人は此等の記事を讀みて徒に其の報道の精細なるを喜びしものゝ如し。然れども余をして言はしむれば、是國家の一大事にして、我國古來の傳説は此時全く破棄せられしものなり。我國の天子は生ける時より神の如く尊崇せられしものなりしに、尿毒に冒されて死するか如き事實を公表するは、君主に對する詩的妄想の美感を傷ること甚しきものと謂ふべし。古來支那人が偉人英雄の死を記録するや、仙人と化して其の行く處を知らずとなせしもの寔に故ありと謂ふべきなり。今の世に於て我國天子の崩御を國民に知らしむるに當つて、飲食糞尿の如何を公表するの必要ありや。車夫下女の輩號外を購ひ來って喋喋喃喃、天子の病狀を口にするに至っては冒瀆の罪之より大なるはなし。」(『断腸亭日乗』大正十五年・十二月十三日)

神代以来のわが國の現御神信仰は「君主に對する詩的妄想」では断じてない。わが国肇国以来の伝統信仰である。しかし、永井荷風の言ってゐることに共感するところが多い。

昭和聖帝陛下御不例の時も、医事法違反とも思はれる「御病状報道」をマスコミが繰り返した。マスコミが「知る権利」などと称して、聖上陛下の御病状を事細かに毎日毎日報道したことは、天皇の尊厳性に対する重大なる冒瀆であり、神聖性破壊の策謀であったとさへ思へるのである。マスコミは、皇太子殿下をはじめ皇子・皇族方のお住まひの間取りまでも事細かに報道する。一般庶民であれば当然プライバシーの侵害である。皇族方のお住まひの間取りまでも公にする宮内庁の姿勢も全くおかしい。また「皇位継承」といふ神聖にして侵すべからざることについて、西洋伝来の生物学の「染色体論」や「種・畑論」で喋喋喃喃することはまさに「天皇の神聖性への冒瀆であらう。

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千駄木庵日乗十一月九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、書状執筆。

夕刻、千駄木にて、『伝統と革新』編集執務担当者の方と打ち合わせ。

夜は、『伝統と革新』編集の仕事(インタビュー記事の整理厚校正、編集後記執筆など)。

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2012年11月 9日 (金)

再び『皇室典範』改正について

日本國體は、地上における天照大御神のご代理といふ神聖なるご本質そして邇邇藝命以来の血統を、併せ有される天皇を、信仰共同體の核たる祭祀主として仰いでゐる。

わが國の傳統の體現者は天皇であらせられる。故に皇位繼承について臣下國民が真摯に論議させていただくことは許されるとしても、最終的に決定されるのは、上御一人・天皇陛下であるべきである。衆参両院で侃侃諤諤の論議をして決定すべきではない。要するに、『皇室典範』改正については、天皇陛下の大御心に俟つべきなのである。

天皇國日本においては『憲法』を含め全ての「法」の正統性は、天皇の神聖権威に依拠する。現御神日本天皇以上の権威は日本には存在しない。とりわけ皇室の家法である『皇室典範』の改定、皇位繼承など皇室に関することは、國家の権力機関である立法府・行政府が容喙すべきではない。最終的には、日本の傳統の體現者であらせられる天皇陛下の大御心を體して決められるべきである。天皇陛下の大御心に遵ひ奉るべきである。それが日本の道統である。

伊藤博文は、「将来已むを得ざるの必要に由り其の条章を更定することあるも、また帝國議會の協賛を経るを要せざるなり。蓋し皇室の家法は祖宗に承け子孫に傳ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。また臣民の敢て干渉する所に非らざるなり。」(『皇室典範義解』)と論じてゐる。

この「君主の任意」とはいかなることを言ってゐるのか明確ではない。天皇の御意志・大御心・勅命は全て絶対であり、これに従ひ奉るのが臣下の道である。國體の根本である。

伊藤博文の言ふ「君主の任意」と「天皇の御意志・大御心・勅命」とはどう違ふのか。これは國體を論ずる上の大問題である。絶対尊皇の楠公精神が日本国の臣下のあるべき姿と私は信じます。

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『没後七〇年・竹内栖鳳ー京都画壇の画家たち』を参観して

本日参観した『没後七〇年・竹内栖鳳ー京都画壇の画家たち』は、「二〇一二年は、『東の大観(たいかん)、西の栖鳳(せいほう)」と並び称された日本画家・竹内栖鳳(1864-1942)の没後70年にあたります。…栖鳳が描き出す、いきものや自然がみせる一瞬の姿を軽やかに捉えた作品は、今なお精彩に富み、新鮮な魅力を放っています。パリ万博が開催された一九〇〇(明治三三)年、ヨーロッパ遊学を果たした栖鳳は、渡欧先で西洋美術にじかに触れることで大きな刺激を受けました。帰国後、円山四条派の写生を軸にした画風に、西洋美術の要素をとり入れた新しい表現を生み出していきます。洗練された感性と優れた筆技によって動物、風景、人物と様々な主題を手掛け、日本画の近代化に積極的に取り組みました。本展では、初期から最晩年までの傑作を通してたどります』(案内書)との趣旨で開催された。

「虎獅子図」「絵になる最初」「蹴合」「班猫」(重要文化財)
「百騒ぎ一睡」「干柿」「旭日老松」などの作品を観る。

栖鳳の美人画「絵になる最初」が、栖鳳の指導を受けて活躍した女流画家・上村松園「新蛍」という美人画と並んで展示されていたが、男性画家の描く美人画と女性画家の描く美人画との違いがよくわかった。栖鳳の描いた美人画は、着替えをしているところが描かれモデルの女性の恥じらいの表情が描かれてゐた。松園の描いた美人画は、女性の表情と着物の美しさが描かれてゐた。

栖鳳はライオン・虎・小鳥・犬など生き物を多く描いているが、どれも動きがあり、迫力がある。小鳥は実際に富んでいるように見えるし、鳴き声が聞こえてくるようであった。

栖鳳はヨーロッパと支那大陸を旅して、西洋と支那の画法を学びそれを取り入れているが、ただ取り入れているだけではなく、さらにすぐれたものにしている。日本文化は、外来文化を自由に大らかに取り入れ更にそれを昇華させ日本独自の文化を形成しているのであるが、栖鳳は絵画の面でそれを実践していると思う。

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千駄木庵日乗十一月八日

午前は、母のお世話。

午後は、広尾の山種美術館にて開催中の『没後七〇年・竹内栖鳳ー京都画壇の画家たち』展参観。

帰宅後は、書状執筆・諸雑務。

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2012年11月 8日 (木)

『皇室典範』『憲法』についての重大問題

『大日本帝国憲法』第七十四条には「皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス」とある。また明治天皇が明治二十二年二月十一日に勅定された『皇室典範』六十二条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族會議及枢密顧問ニ諮詢シテ勅定スヘシ」と書かれてゐる。

今日、『皇室典範』改正論議が喧しいが、本来、『皇室典範』は勅定であり、決して議会や政府が容喙してはならないのである。井上毅は、「皇室典範を以て國會の議に附するときは、人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」と述べてゐる。

今日の状況はまさに井上毅の言った通り「人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」ではないだらうか。戦後、『皇室典範』が『憲法』の下位法になり、皇位繼承といふ皇室の重大事が権力機構である衆参両院で多数決によって決められてしまふようになったのは、重大なる傳統破壊・國體隠蔽であり、厳密・厳格に言へば「國體破壊」への道を切り開くものである。 

         

『現行占領憲法』は『大日本帝国憲法』を改正したとされる。しかし、『大日本帝国憲法』第七十五条には「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」とある。

『現行憲法』制定当時、戦勝国アメリカにより「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」(「ポツダム受諾に関する八月十日付日本国政府申入」に対する米英ソ支の政府を代表したバーンズ国務長官の回答)とされてゐた。

英語の原文は、「The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander for the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate these terms of surrender.」である。「subject to」をわが國外務省は「制限の下」と訳したが、正しくは「隷属下」である。

つまり、「摂政」が置かれるどころか、天皇陛下の統治の大権が外国の軍人・マッカーサーの隷属下に置かれていたのである。このような状況下において行われた『憲法改正』は、違法であり、無効である。つまり、『現行占領憲法』は法的に全く正統性が無いのである。ゆえに、無効が確認され、『大日本帝国憲法』が復元するというのが法理論的に全く正しいと考える。

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千駄木庵日乗十一月七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、区役所職員来宅。母の今後の介護について相談。

この後、諸雑務・原稿執筆・『伝統と革新』編集の仕事など。

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2012年11月 7日 (水)

明治天皇の大御心と『大日本帝国憲法』

『大日本帝国憲法』の明治天皇の「告文」には、「皇祖

皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ」(皇祖天照大御神、皇宗歴代天皇の遺訓を明らかにして、『皇室典範』と『大日本帝国憲法』を成立し、条章を明らかに示し、皇室においては子孫が前例からはずれないようにし、臣民が天皇の統治を補佐する道を広め、永遠にこの憲法を守り、ますます国家統治の基を強固にして、日本国の民の生活の慶福を増進するべきである)と示されている。

『大日本帝国憲法』は、歴代天皇の国家統治の精神を成文化したものであり、天皇の国家統治の目的は国民の幸福を実現し増進するために制定されたといふことをお示しになっているのである。そして天皇国家統治の理想を実現するために国民すべてが、ご協力申し上げることか大切であると示されているのである。

さらに、『憲法発布の勅語』において明治天皇は、「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」(皇祖皇宗は、我が臣民の協力と補佐によりわが帝国を初め、造り、そして永遠に続いてきた。これはわが神聖なる皇祖皇宗の威徳と、臣民が忠実勇武にして国を愛し公に殉じたことにより、この光輝あるこの国の歴史の実績をのこしたのである)

国家統治ノ大権ハ朕ガ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝ウル所ナリ。朕及ビ朕ガ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ、之ヲ行フコトヲ愆(あやま)ラザルベシ」(国家統治の大権は朕がこれを皇祖皇宗より継承し、これを子孫に伝へるのである。陳及び朕の子孫は将来この憲法の条章に従日、日本国を統治することに誤りのないやうにすべきである)と示されている。

わが大日本国は君民一体であり、日本国は、天皇の神聖権威と国民の忠誠心および勇武によって成り立ってゐるとお示しになってゐる。天皇は専制君主ではなく、また、独裁者でもなく、憲法の条章に従って国家統治されるといふことを明らかにお示しになっているのである。

『大日本帝国憲法』は実に日本の伝統に則った世界の誇るべき素晴らしい成文憲法である。本日の勉強会であらためてこのことを実感した。『現行占領憲法』とは比較にならない。私は、『現行占領憲法』を改正するのではなく、『大日本帝国憲法』を復元することが正しい道であると信じる。

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千駄木庵日乗十一月六日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆の準備など。

午後七時より、九段下沙龍にて『憲法勉強会』開催。横山孝平氏が座長。『大日本帝国憲法』の「告文」「憲法発布勅語」について学習。君民一体の日本國體などについて話させていただいた。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年11月 6日 (火)

正しき道義精神なき「個の確立」は利己主義となる

「個の確立」という美辞麗句があるがそれは有り体に言えば、「自分さえ良ければいい」という考え方である。これは、<滅公奉私>の心といってよい。戦後日本では、こういう考え方が正しいとされて来た。

 戦後日本で言われ続けて来た「個の確立」「主体性の確立」は<戦後民主主義>の精神的支柱であるが、「個」や「自我」というものを如何にとらえるかが大事である。正しき人間観・國家観の確立なくして、正しき「個の確立」も「主体性の確立」もあり得ない。道義精神なき「個の確立」は欲望民主主義に陥り、正しき國家観なき「個の確立」は利己主義となる。それが今日の日本の姿である。

 戦後日本は「愛國心」とか「國家への忠誠」ということを「悪」として否定して来た。「みんなのため」とか「國のため」という意識が希薄になっている。ここに今日の混迷の根本原因がある。

 戦前の日本には、『教育勅語』に集約される正しき道義観があったし、「忠君愛國」「敬神崇祖」という正しき信仰精神があった。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

神風特別攻撃隊の『散華の美』、楠正成の『七生報国の精神』、萬葉人の「大君の辺にこそ死なめ顧みはせじ」という決意を、今日において回復することが求められている。

権力國家を統制するのは成文法と権力であるが、信仰共同体國家は信仰と道義が基本である。そしてその中心者が天皇であらせられる。天壤無窮の皇運を扶翼することによって正しき道義が確立するのである。わが國の道義精神の中核は天皇にまつろひ奉るか否かにある。

 西欧において理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本と考えるのとは対照的に、わが國では『私』を去り『我』を無にすることを大切にしている。天皇は、日本民族の長い歴史の中で、清明心の根源、無我の体現者、日本人の『道』の中心者として君臨されてきた。これは、日本人だけでなく、全人類のかけがえのない宝である。

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千駄木庵日乗十一月五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事(インタビュー記事の整理)、原稿執筆の準備など。

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2012年11月 5日 (月)

天皇の「國見」の意義

日本人は「見る」といふ言葉を大事にした。「見る」といふ視覚が、人間が外界や環境を捉へるのに最大の感覚なのである。見ることによって環境を正しく捉へ対応することが出来る。「存在」は本質的に「見る」ことを前提にする。見えないものは存在しない。霊魂や魂は見えないが、肉眼では見えないだけであって、霊眼では見えると信じられた。

「見る」といふ言葉と感覚がいかに重要に考へられているかは、「味を見る」「触って見る」「やって見る」「話して見る」「嗅いで見る」といふやうに視覚以外の感覚を表現する場合にも「見る」といふ言葉が使はれることによっても明らかである。

従って、「見る」とは単に視覚の事だけではなく、対象物と一体になる、支配する、といふ意味も含まれる。上御一人の行はれる「國見」とはまさにそれである。

「國見」とは単に天皇が日本國の景色を眺められるといふのではなく、國土と一体となられ、國土を祝福し、そこに住む國民をの幸福を祈られる行事なのである。「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

 「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは、対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(『日本人の心情論理』)と解した。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」と論じてゐる。(『現御神考試論』)

 天皇が神聖なる天香具山に登られて「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。新しい年の始まりを知らせる「春のことぶれ」(春が来たことを広く知らせること)・天地一新の行事である。

祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が國が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔が約束されるのである。天皇が「國見」をされることによって國土の新生と五穀豊饒が實現する。

 つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。    

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千駄木庵日乗十一月四日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『大吼』連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。そして諸雑務。

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2012年11月 4日 (日)

孟子の「湯武放伐論」を日本的に昇華させ適用した吉田松陰

吉田松陰は、『講孟箚記巻の一』「梁恵王下篇第八章」において、「(注・漢は)天の命ずる所を以て天の廃する所を討つ。何ぞ放伐を疑はんや。本邦は則ち然らず。天日の嗣、永く天壌無窮なる者にて、この大八洲は、天日の開き給へる所にして、日嗣の永く守り給へる者なり。故に億兆の人、宜しく日嗣と休戚(注・喜びと悲しみ)を同じうして、復た他念あるべからず。若し夫征夷大将軍の類は、天朝の命ずる所にして、其の職に称(かな)ふ者のみ是に居ることを得。故に征夷をして足利氏の曠職の如くならしめば。直ちに是を廃するも可なり。」

(支那に於いては、天の命ずる所に従って天が排する者を討つといふ放伐思想を疑はない。わが國はさうではない。天照大御神の継嗣は天地と共に極まりなく永遠の存在であるので、この日本は天照大御神が開き給へる国で、天照大御神の継嗣が永く護り給へるものである。故に多くの人々は、良く天照大御神の継嗣と喜びも悲しみも共にして、他の思ひを持ってはならない。征夷大将軍の地位は、天朝の命ずるところに従って就任するのであるから、その職責にかなふ者のみその地位にゐることができる。だから、征夷大将軍が足利氏のやうに職務をおろそかにすることがあったならば、ただちにこれを廃しても構はないのである、といふ意)

吉田松陰は、征夷大将軍がその職責を全うし得ず、夷狄を平らげることができなくなり、天皇のご信頼を失った場合はこれを打倒すべきであると論じたのである。この思想が徳川幕府打倒運動の正統性の根拠になる。

「天命が去った暴君を討ち倒すのは正義である」といふ支那孟子の「湯武放伐論」を日本的に昇華させ適用したのが松陰である。即ち、天照大御神の子孫(生みの子)であらせられる日本天皇は、神聖なるご存在であり、天そのものであり給ひ、日本の永遠の君主であらせられる。しかし、徳川将軍は覇者であり、征夷の職責を果たせなくなったらこれを討伐してよいといふ思想である。

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中前忠氏(中前国際経済研究所代表)の講演内容

十月二十九日に行われた『笹川平和財団主催講演会』における中前忠氏(中前国際経済研究所代表)の講演内容は次の通り。

「金融産業政策には政治のリーダーシップが必要。消費税を上げる。消費税があがる前に駆け込み需要が起こる。需要を刺激する政策が必要。財政金融政策が必要。しかしあまり方策が無い。日本のインフラの投資を促したい。輸出の経験が無い日本の企業を支援すべし。アメリカに留学する日本の学生がどんどん減ってきている。人材育成のために高等教育の制度を向上させるべし。ガバナンスは世界的問題。不況に陥ると与党は弱くなる。そして野党はつけこむ。共和党は法案に協力しない。雇用促進・経済成長のための法案にも協力しない。国益を損ねる。民主主義国でそういう状況が生まれている。国民はサービスを欲しがるが、それを維持するための税金を払いたがらない。ギリシアはねずみ講のような状態。日本には政治的リーダーシップとビジョン戦略無し。首相公選制によって権力が信託される。日本は権力が分散されている。核となる権力無し。活気あるリーダーシップを生むシステムが無い。日本の政党は草の根市民に根ざしていない。市民の動員が出来ない。有権者・ボランティアの動員がアメリカ大統領選挙の特徴。市民は政治家の説明責任をもっと追及すべし。才能のある穏健派の政治指導者がシステムによって追い出されてしまった。政治家は真実を国民に語らねばならない。この二十年間日本は資本を効率的に分配して来なかった。インフラ投資が必要。日本の政府が中小企業に補助金を与えるシステムが十分ではない。市場の力を生かさねばならない。中小企業をグローバライズすべし。インフラ構築・整備において日本は非常に大きなチャンスがある。日銀と政府は効果的な為替操作をすることが出来ない。私は基本的に民間セクターが調整して行くと思う。人民元、ドル、ユーロが弱くなるので、結果的に円高になる」。

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ダニエル・I・オキモト氏(スタンフォード大学名誉教授)の講演内容

「私の中学高校大学時代は日本の経済成長が目覚ましかった。日本は大戦後の廃墟から立ち上がって九十年代まで羨望を集めた。今日の中国の経済成長を思わせる。石油危機で経済成長が鈍化。バブルが崩壊。その後二十年間は経済の劣等生になった。ジャパンパッシングが米国で起こった。スローモーションで破綻に向っている。GDPの二三〇%の負債を抱えている。二〇年間デフレを止めることが出来なかった。立ち泳ぎをしている状況。二一〇〇年には日本の人口は六千四百万人になる。毎年人口が八十万人減っている。

しかし日本人は失われた二十年が続いても、大震災があっても、IМF債務残高が持続可能ではないと報告しても危機意識が欠如無し。新しいエレクトニクスの世界でソニーは競争できなくなっている。電気技術の分野で後れを取っている。製造業の分野で未来が不確実になっている。女性は四十八%しか労働に参加していない。女性の給与は男性の六〇%にとどまっている。外国人の比率は全人口の二%にとどまっている。熟練した労働者が外国から入って来ていない。世界から人材を集めずしてイノベーションを実現できるのか。

全電力の〇%まで原発を削減するのか。エネルギー価格高騰で製造業が海外に移る。日本においてグローバルガバナンスの問題あり。アメリカでもその問題が浮上している。アメリカは日本よりも悪い状況。狭量な自己利益を優先して国益を無視している。多くの資本主義国がそうした状況になっている。

中国で景気の鈍化が起っている。中国において深刻な縁故主義、政治腐敗あり。環境汚染は限界に達している。シリアは全面内戦。トルコ・ヨルダンに影響する。中東の不安定は深刻。予測できない。石油危機が起こる可能性あり。日中は尖閣問題あり。世界でナショナリズムが台頭。

革命的技術が生まれている。高速なIT処理能力が金融・製造業界を変革させている。ここに成長の機会を見ることが出来る。医学における飛躍的進展もある。イノベーションの分野で日本はインフラ投資ブームを迎えている。欧米も然り。インフラ革新を行っている。この分野で好景気に沸くような状況にある。

インフラ市場に参入出来た国が業界標準をつくり、三十年から四十年事業を維持できる。JRの高速鉄道などで日本は優位に立っている。五十年間にわたって日本は高速鉄道技術を開発してきた。五十年間死者は出ていない。これは素晴らしい。日本の技術的宝。その技術は世界に出て来ていない。鉄道インフラは大きな需要が生まれる。再生可能エネルギーの日本の技術に機会が生まれる。JR研究所は送電ケーブルを開発した。これを海外に売る。チャンスは大きい。日本には十五兆円の企業と家庭の貯蓄がある。インフラの投資に使うことが出来る。ヘルスケアを開発する。部品を造っている中小企業をグローバル化すべし。金融を活用してインフラ投資をするべし。そのために半官半民のインフラ投資銀行をつくるべし。低利で融資を行う。産業基準を作るべし。

シリコンバレーは世界における革新のセンター。一九三〇年代以来、グーグル、ヤフーなど三万九千以上の最先端の企業を作った。日本は女性を労働市場に完全に取り込み活用すべし。八二〇万人の女性が働き始めるであろう。海外から優れた人々を呼んで市民権を与えるべし。自己満足から目覚め、危機意識を持って再建していかなければいけない。歴史的なチャンスをつかみ、繁栄し成功する今後の日本を見たい」。

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千駄木庵日乗十一月三日

午前は、母のお世話。

午後は、千代田区三番町の二松学舎大学にて開催中の「創縁祭』(学園祭)見学。書道展などを見る。

午後二時半より、「ホームカミングデー」(卒業生懇親会)開催。神津賢一郎二松学舎松苓会会長、渡辺和則二松学舎大学学長が挨拶。懇談。国文学・漢文学の学校の行事なのになぜ、「ホームカミングデー」などと英語を使うのか見識を疑う。学園祭の名称も以前は「学舎祭」と言っていたのに、「創縁祭」になっている。縁を創るという意味だろうが、縁は創るものではない。生まれるもの、生むものであろう。小生が二松学舎大学付属図書館を退職したのは昭和五十一年であるから三十数年ぶりに再会した旧友が何人かいた。それなりに年老いていた。

この後、九段下のホテルグランドパレスにて、同期生と懇談。何しろ私が在学していたころの二松学舎は文学部のみの単科大学なので、全学で学生数が二千人もいなかったと思う。母校は学部も増え、付属中学校まで新設され、発展しているようであった。

帰宅後は、母のお世話及び原稿執筆。

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2012年11月 3日 (土)

日本人の桜の花を好む心と七生報國の精神

 日本人は穢れを嫌うということは、清らかさを好むということであり、美しさを好むということである。しかし、日本人はただ単に感覚的に美しいものを好むのではない。日本人の「美を好む心」は一種の厳粛さ・神々しさを伴う。古代日本人にとって、桜の花に限らずすべての花や草木は宗教的・神秘的存在であった。

「花」(ハナ)の語源は、端(ハナ)即ち、物の突き出した所、はし(端)であると共に、幣(ハタ)・旗(ハタ)であったという。「幣」とは、神に祈る時に捧げ、また祓いに使う、紙・麻などを切って垂らしたもので、幣帛(へいはく)・御幣(ごへい) とも言う。日本人は、桜の花を素直に美しく感ずる思いと共に、桜の花にある神秘性・神々しさというものに畏敬の念を持った。

日本の伝統的な行事である「お花見」の起源は、生命の盛りである花の下に人間が入ることによって、花の精気が人間に移り、自分自身の生命を豊かにするという信仰である。

日本人は、桜に滅びの美しさ・潔さを見た。桜はすぐに散ってしまうから、人はなおさらその美しさを感ずるのである。桜が咲いている姿にすぐに散ってしまう影を感じる。桜は、「三日見ぬ間の桜かな」という言葉があるように他の花々よりも咲いている時間が非常に短い。また、雨や風に当たればすぐに散ってしまう。日本人はそういう桜花の「潔さ」をとりわけ好む。これを「散華の美」という。日本人は桜花の「潔さ」「散華の美」を好んだ。

日本人は、未練がましく現世の命に恋々としないという精神を抱いている。こうした心は、「七生報國」の楠公精神そして大東亜戦争における「散華の精神」に継承されてゆく。

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千駄木庵日乗十一月二日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、「大吼」誌に掲載する原稿執筆・脱稿・送付。

この後、原稿執筆の準備、諸雑務。

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2012年11月 2日 (金)

真正保守・維新勢力が日本再生への動きを示すべきである

以下の文章は、平成二十一年七月十日に小生がブログに書いたものです。

「今日お会いした先輩と、平沼赳夫氏が、自民党を脱党しなかったならば、今頃は総理総裁になっていたであろうということを話し合った。本当にそう思うし残念である。親しく接したことはないが、今の政治家で、平沼氏が最も信頼できる国家観・歴史観を持っていると思う。また人格・人柄も尊敬できる人物であろうと思う。郵政問題で、姿勢を貫いたため、自民党を出なければならなくなったが、そういうところも一本筋が通っている証拠である。

総選挙で民主党が勝つことが既成事実のように語られているが、そうなった場合、相当日本の政治は混乱すると思う。民主党は、国防・安保・外交・教育・歴史問題という国家基本問題で正しい理念を示していないからである。政権交代を叫ぶだけで、このことには全く触れない。旧社会党系の勢力が根強く残っていることが問題である。

民主が政権を取ったら、メディアは鳩山由紀夫代表の政治資金問題や山岡荘八の娘婿のマルチ商法団体との関係などの問題を追及する可能性がある。メディアというのはそういうものである。持ち上げておいて後でこき下ろすのである。また、たとえ自公が勝ったとしても三分の二は獲れるはずがないから、政治が安定するということはあり得ない。

ともかく、総選挙後、政治が今以上に混乱することは目に見えている。ヘンテコな宗教が危機感を煽っているが、日本は危機にさらされていることは事実である。真正保守・維新勢力がここで日本再生への動きを示すべきである。」

             〇

多少先見の明を誇らせていただいてもいい文章かと思います。このぐらいのことは誰でもわかっていたと言われればそれまでですが、この後、当時の国民の選択だったのだからやむを得ませんが、民主党が政権を掌握し、日本国が混乱したことは事実です。「ヘンテコな宗教」とは「○○の科学」のことです。

この後、平沼赳夫氏とは二回ほど親しくお話しさせていただく機会がありました。この文章に書いたとおり、清々しい人物でした。清潔さを感じさせる方です。政治家には珍しい人だと思います。

民主党政権の誕生を扇動したメディアの責任も大きいと思います。これから総選挙・参院選・都知事選と重要な選挙が続きますが、我々国民は選択を誤らないようにすべきです。第三極などと言われていますが、よほど注意しないととんでもないことになります。石原・安倍・平沼という保守政治家が手を結ぶことがよりましな選択かと思います。

「言葉の力」というのは恐ろしいもので、かつて小泉純一郎氏は「自民党をぶっ壊す」と言いましたが、本当に自民党政権はぶっ壊れてしまいました。しかし、その後の民主党政権があまりにもひどかったので、息を吹き返したという事でしょう。

「真正保守・維新勢力がここで日本再生への動きを示すべきである」という事は今も変わりはないと思います。

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千駄木庵日乗十一月一日

午前は、母のお世話。諸雑務。

午後二時より、医師・訪問介護のケアマネージャーの方々が来宅。今後の母の介護などについて相談。

この後、『月刊日本』連載中の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。『伝統と革新』編集の仕事。インタビューの整理、校正など。

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2012年11月 1日 (木)

明治天皇御製とやまと歌

明治天皇は、『歌』と題されて、

「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」

「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」

「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」

と詠ませられてゐる。

これらの御製は、やまと歌の本質について歌はれてゐる。和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。

『古今和歌集・仮名序』(紀貫之)に「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)とある。

歌の語源は「訴へる」である。物事に感動して何事かを訴へた声調・調べ(音律の調子を合わせ整へること)のある言葉を歌といふ。そして、五七五七七といふ一定の形式と調べが自然に生まれた。

日本國民の心・思想・精神は、和歌によって表白せられ傳承されて来た。幕末維新期の志士の歌などを見てもそれは明白である。 

わが國は元寇・明治維新・大東亜戦争など國家的危機の時に尊皇愛國の精神が燃え上がった。そしてやまと歌が勃興した。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。

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池田維氏(交流協会顧問・元交流協会台北事務所長)その(二)

今回、国有化したので中国が反発したと報道されているが、東京都が買うよりは国有化する方が良い。日本の中でどこに所有権があるかは国内問題。胡錦濤の面子をつぶしたと言うが、事前にこの話を中国にしても、中国は納得しなかっただろう。管内閣の時に処置をしておけば良かった。

馬英九は中国への融和政策をとってきた。『不統、不独、不武』とは現状維持という事。中国の台湾向けミサイルは増えている。軍事的対立に変化なし。ECFA(両岸経済協力枠組み取決め)締結で中退の経済関係は緊密になった。しかし台湾経済は良くなっていない。経済成長の貢献していないという議論もある。台湾経済が中国経済に依存しているので、中国経済が失速すると痛手を蒙るという意見もある。中國からの観光客が増えて年間四百万人。台湾経済に裨益している。学者・研究者の往来も増加。

馬英九は、中国と台湾は終局的に統一されるべしと考えていた。しかし総統になる一年前に来日した時、現状維持を唱えた。『自分が総統の間に中国と和平協定を結びたい』と言って来た。去年十月の総統戦直前にも言った。すると支持率が十数%下がった。中国との和平協定は、台湾人は望んでいない。馬英九はそれ以降和平協定のことを言わなくなった。総統就任演説でも言わなかった。台湾がアメリカから兵器を購入しないこと、中国の台湾向けミサイルを撤去することが大前提。しかし第三者が入ってどうやって検証できるのか。中台和平条約は非現実的。

中国は民進党の人を招待し始めた。一般の台湾人は現状維持が圧倒的に多い。八五%が現状維持を望んでいる。独立支持は統一支持より多い。国内法に基づいて中国が武力行使をすることを恐れている。台湾は国際的には孤立しているが、中国の支配下にはない。

台湾人は日本に非常に親近感を持っている。馬英九は中国人意識が強い。彼の父親は蒋介石の側近の一人。日本への悪い印象を持っている。しかし馬英九は反日政策をとっていない。『日台は特別なパートナーシップの時代にある』と言ったり、八田与一記念公園を作らせたりした。私は馬英九が台北市長時代に食事をした。その時彼は『私は反日ではない。知日か友日になりたいと思っている』と二回言った。しかし『親日』と言ったことはない。

日台がFTA(自由貿易協定)を結んでも中国は文句を言う筋合いは無い。結ぶべし。台湾の法的地位が未定かどうかは、日本と中国が一九七二年の国交正常化の『共同声明』に明白。日本は『台湾が中国の一部であるという中国の主張を理解し尊重する』と言ったが、法的に中国の主張を承認していない。アメリカは一九七九年の米中共同声明で『中国の主張についてまあ聞いておく』と言った。少なくとも中身について合意したというのではない。

日本政府は、『放棄した以上台湾が何処に所属するかは言いません』という事を国会で答弁している。北京は、『台湾は中国の一部』、国民党は『日本は日華平和条約に基づいて台湾を中華民国に返還した』、台湾独立派は『台湾の地位は未定。戦後蒋介石が来たのは法的根拠なし』という主張。私の後任の交流協会の齋藤正樹代表の発言は独立派の立場。彼の発言に民進党支持者が喜び。交流協会に花束を持って来た。

アメリカの頭越し外交への反発が強かったことが日中復交を急ぎ過ぎた原因。アメリカはもう少し日本に丁寧に話をすべきだった」。

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池田維氏(交流協会顧問・元交流協会台北事務所長)その(一)

十月二十七日に開催された『アジア問題懇話会』における池田維氏(交流協会顧問・元交流協会台北事務所長)の「日台断交四〇周年と今後の展望」と題する講演内容は次の通り。

「日本はこれまで尖閣について領土問題は存在せずと一貫して言ってきた。中国と台湾は一九七一年に自分たちの領土と主張し始めた。一九六八年頃、バンコックにある国連のエカフェ(アジア極東経済委員会)が海底調査の結果この地域に石油が豊富に埋蔵されていると報告すると、中国と台湾が領土権を主張し始めた。

わが国は一八八五年以降、十年間にわたる調査により、人は住んでいない事、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認の上、一八九五年一月に閣議決定して尖閣を我が国の領土に編入した。島に標識を立てた。『下関条約』による台湾・澎湖の割譲とは無関係。当時の国際ルールに基づいて先取した。『戦争で盗んだ』との中国の主張は全く嘘。

わが国による実効支配は一一七年前から行われている。鰹節工場が作られ二百人の人々が尖閣に住んだ。一九二〇年、尖閣の住民が遭難した中華民国漁民を助けたことへの中華民国長崎総領事の感謝状に『八重山郡尖閣』と明記されている。アメリカは一九七二年に沖縄をわが国に返還した時、尖閣を沖縄に一部として日本に返還した。

棚上げ論は日中間には無かった。田中角栄と周恩来が話し合った外交文書が公開された。田中の方から尖閣について水を向けたら、周恩来は『その事は話したくない。石油が出るから問題になった。話さないことにしよう』と言った。解決できないから将来に先送りしようという棚上げではない。一九七八年の『日中平和条約』の批准書交換の時、鄧小平はプレスクラブで、『尖閣問題は次の世代に任せたい』と発言。これに対して福田赳夫は答えなかった。棚上げで合意したことは一切ない。一九九二年、中国は国内法の『領海法』を一方的に作った。日本は抗議した。棚上げで日中が合意していたのなら、国内法で尖閣を中国領にしたのは論理矛盾。鄧小平来日の時は、米ソ対立の時代。中国はソ連と敵対関係にあった。

中国の学者は、明・清の時代に尖閣は中国のものと認識していたと言うが、冊封時代の考え方。力をつけると中華思想が出てきて、尖閣のそばを中国の船が通ったから、中国人が島の名前を付けたから、台風の時に一時避難としたから自分の領土と言い出す。台湾はフォルモサと言われるが、ポルトガル語である。名前を付けたから自国領という中国の主張が正しいのなら、台湾はポルトガル領になる。

一九五三年の『人民日報』、一九六〇年の中国の『世界地図』には、尖閣は日本領とはっきり書いてある。一九二〇年の長崎駐在の中華民国総領事が出した公文書が当時の中国の尖閣についての認識を示している。台湾総督府は尖閣を管轄下にせず、南西諸島と尖閣は沖縄県の管轄下に置いた。『日華平和条約』締結の時、尖閣問題は一切出ていない。

中国は台湾に共闘を呼び掛けている。台湾は今のところは中国とは連携しないと言っている。しかし、漁民のレベルでは違った反応がある。台湾にとって尖閣問題は漁業問題。台湾の東海岸の漁民が何処で漁をするかのもの問題。しかしここに中国が介入している。中国と大きな商売をしている台湾企業旺旺集団が台湾漁民を支援する。ガソリン代一千数百万円出した。台湾の与野党とも尖閣は台湾領と主張。馬英九はハーバード大学にいた時、尖閣問題について論文を書いた。

台湾船が日本の海保船と接触して沈没。台湾の一部メディアと一部の国会議員が感情的反応をした。私の三年半の台湾勤務で最も緊張した。賠償金を支払って円満に解決した。尖閣問題はかなり感情的問題として台湾に存在している。

日本の尖閣領有は明白。譲歩すべきところは無い。領土問題は足して二で割ることはできない。台湾には直接利害を持つ漁民の漁業問題あり。漁業問題としてうまく解決できれば、日台関係もうまくいく。中国の介入にも対処できる。十六回協議しても合意に達していない。日台双方が柔軟で妥協的精神でやらないと解決しない。中国では尖閣と絡めて経済文化交流に支障が出ているが、台湾では出ていない。

馬英九は『東シナ海平和イニシアチブ』を提唱し、資源の共同開発を提案し、緊張がエスカレートしない地域にしようと言ったのは評価できる。玄葉外相は,受け入れることが出来る点はあるという事を表明し、漁業交渉を呼びかけた。その翌日、台湾は『交渉をしよう』と回答して来た。尖閣海域では日本が台湾を統治していた時代にも台湾漁民が漁をしていた。どういう形で合意に持ち込むか難しいが、台湾と中国とは違っている。

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千駄木庵日乗十月三十一日

朝は、諸雑務。

午前十一時、病院に赴き、医師・看護師・栄養士の方々と退院後の母のことについて相談。そして母と共に帰宅。母が病院で一人さみしく過ごすことがなくなったことがうれしい。しかし心身ともに老化が進んでいるので、今後が心配である。

この後、母のお世話。

そして『伝統と革新』編集の仕事。ほぼ原稿は集まった。

夜は、原稿執筆。

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