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2012年10月30日 (火)

和歌の起源は愛である

祖國愛も戀人への愛も家族への愛も、「愛するもののために自分を無にすること」が「愛」の窮極の姿である。これを「捨身無我」といふ。「捨身無我の愛」こそが日本民族にとって「最高の美」であった。

『古事記』神代の巻の歌十一首中実に九首までが戀歌(相聞歌)である。また、「記紀歌謡」百数十首中その大部分が戀歌である。『萬葉集』も戀歌が圧倒的に多い。「やまと歌」の主流は戀歌である。自然を詠んだ歌も、死者を弔ふ歌も、自然や死者への「戀歌」と言って良いと思ふ。

萩原朔太郎は「大和民族の文明は、實に和歌と戀愛とに始まった。日本人は、和歌によってその愛欲生活を芸術化することに、最初の文化的情操を紀元させた。『和歌』と『戀愛』と『大和心』は、日本歴史に於て三位一体の関係にある。和歌を離れて大和心は解説されず、また戀愛を忘れて和歌のポエジイは成立しない」(原文のまま・『朔太郎遺稿・下』)と述べてゐる。

岡潔氏は「このくにの人たちは、自己本位の行為を善行だとは決して思わない。現にそのように生活している人たちも、内心それを肯定せず、その反対の行為を賛美することを惜しまない。だからこのくにの善行は格調が非常に高い。たとえば、弟橘媛や莵道稚郎子の最期の行為がそれなのである。……この人たちのあの行為、この行為の上に、往昔の風鈴の妙音と同じ生命のメロディー(旋律)を聞く人は、私だけではないであろう」(『春風夏雨』)と述べてゐる。

和歌が戀愛において大きな位置を占めるのは、和歌といふ言葉の芸術が、戀愛の心を伝達し交換する媒介だからである。また、戀とは「魂乞ひ」であるから、やまと歌にある言霊の力によって相手の魂と自分の魂を引き寄せ合ったのである。歌の起源は愛である。

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