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2012年10月13日 (土)

渡辺淳一の「君が代」論批判

資料の整理をしていたら、『週刊新潮』本年八月十六日号で、作家の渡辺淳一氏が「国家・君が代」について次のように論じている記事を見つけた。

「天皇が統治する時代など、とうに、第二次世界大戦で終わったはず、それから七十年近くたっているのに、いまだに『君が代』などと歌わせること自体、疑問である」。

言い古された議論である。

天皇が日本国の統治者であらせられるという日本國體は、今日においても全く変わっていない。天皇の国家統治とは、天皇が日本国を統べ治めたまふといふことである。天皇のご使命・ご資格は日本建国以来、統治者であり、君主であられる。

戦後=『占領憲法』下においては、天皇は統治者・君主ではないとすることは全く誤りだ。『占領憲法』において「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴」と規定されている。過去から現在そして将来へと永遠に続く日本國と日本國民の生きた姿が、日本國の君主であられる天皇御一身によって体現されるといふ事である。天皇が日本國の統治者・君主であらせられるからこそ「日本國及び日本國民統合の象徴」といふお役目を果たされるのである。

天皇は日本国民を統合される統治者・君主であらせられるから、「天皇の御代が永遠であれ」と祈る歌は即ち「日本国民が永遠であれ」と祈る歌なのである。それが国歌『君が代』である。

さらに渡辺淳一氏は、「『さざれ石の巌となりて』とあるが、大きな巌が長い年月で、波に触れるうちに細かい石つぶになるので、科学的には逆だとも言われてゐる」などと言っている。

日本伝統信仰を全く知らない自分の無知をさらけ出した妄論である。石が成長して大きくなり巌となるというのは日本人の古来からの信仰的真実である。古代日本人は、石が成長すると信じた。『君が代』の歌の根底にはこの信仰がある。単なる比喩ではない。これは石や岩という自然物が生きているという自然神秘思想から来ている。 

石と岩の違いは、石が成長した岩には魂が籠っているということである。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないして霊力を賦活させ神聖化することである。全てを命あるものとして見る自然信仰は、祖霊信仰とともに日本伝統信仰の大きな柱である。

日本をおかしくしてきた「戦後日本」を肯定し、科学万能の自然破壊思想を正しいとする人物が、渡部淳一氏なのである。

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