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2012年10月31日 (水)

明治維新の基本精神について

明治維新の基本精神は、慶應三年十二月九日、明治天皇『王政復古の大号令』に示されているように「諸事、神武創業の始に原(もと)づき、……至當(しとう)の公議を竭(つく)し、天下と休戚(きゅうせき)を同く遊ばさる可(べき)き叡念」ということである。

 

「休戚」とは「喜びも悲しみも」という意である。「万事、神武天皇御創業の根本精神にたちかえり、……積極的に筋の通った公正な論議を尽くして、天下の民と喜びも悲しみも共にされるという御心……」というほどの意であると拝する。

慶應四年八月二十七日に京都御所紫宸殿で行われた明治天皇即位式の『宣命』には、「方今(いま)天下(あめのした)の大政(おほまつりごと)古(いにしへ)に復(かへ)し賜ひて、橿原の宮に御宇(あめのしたしろしめし)し天皇(すめらみこと)御創業(おんことはじめ)の古(いにしへ)に基き……」と示されている。

明治天皇は、さらに、

「橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより國はうごかず」

「橿原の宮のおきてにもとづきてわが日本(ひのもと)の國をたもたむ」

と詠ませられている。    

明治維新の基本精神は、「神武創業への回帰」すなわち、神武天皇が大和橿原の地に都を定められた精神に帰ろうということである。この精神に基づいて大変革を断行したのである。明治維新そして明治期の日本近代化は、実に神武創業への回帰の精神がその根底にあったのである。

明治維新は、「神武創業の精神」に基づいて旧体制(幕藩体制)を根本的に変革し、封建体制を解体し、廃藩置県を断行し、身分差別をなくし、さらには憲法を制定し、議会を開設するなどの大変革を行ったのである。

「神武創業への回帰」という明治維新の根本精神は、危機的状況にあった祖國日本を再生せしめるための精神的基盤確立であったのである。近代日本の発展はまさに神武創業への回帰がその基礎となったのである。これを「復古即革新」(=いにしえに回帰することが現在の革新であるという理念)という。

今日の日本も、幕末期・明治初頭と同じような否それ以上の危機に直面している。今日においてこそ神武創業の精神に回帰した國家革新を断行しなければならない。

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千駄木庵日乗十月三十日

午前は、諸雑務。

午後一時半より、永田町の衆議院第一議員会館にて、自主憲法制定国民会議主催『新しい憲法をつくる研究会』開催。清原淳平会長が挨拶。中谷元衆院議員(自民党憲法改正推進本部事務局長)及び高乗正臣平成国際大学副学長(憲法学会理事長)が講演。活発な質疑応答・意見発表が行われた。後日報告します。

この後、病院に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。原稿執筆の準備など。

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2012年10月30日 (火)

和歌の起源は愛である

祖國愛も戀人への愛も家族への愛も、「愛するもののために自分を無にすること」が「愛」の窮極の姿である。これを「捨身無我」といふ。「捨身無我の愛」こそが日本民族にとって「最高の美」であった。

『古事記』神代の巻の歌十一首中実に九首までが戀歌(相聞歌)である。また、「記紀歌謡」百数十首中その大部分が戀歌である。『萬葉集』も戀歌が圧倒的に多い。「やまと歌」の主流は戀歌である。自然を詠んだ歌も、死者を弔ふ歌も、自然や死者への「戀歌」と言って良いと思ふ。

萩原朔太郎は「大和民族の文明は、實に和歌と戀愛とに始まった。日本人は、和歌によってその愛欲生活を芸術化することに、最初の文化的情操を紀元させた。『和歌』と『戀愛』と『大和心』は、日本歴史に於て三位一体の関係にある。和歌を離れて大和心は解説されず、また戀愛を忘れて和歌のポエジイは成立しない」(原文のまま・『朔太郎遺稿・下』)と述べてゐる。

岡潔氏は「このくにの人たちは、自己本位の行為を善行だとは決して思わない。現にそのように生活している人たちも、内心それを肯定せず、その反対の行為を賛美することを惜しまない。だからこのくにの善行は格調が非常に高い。たとえば、弟橘媛や莵道稚郎子の最期の行為がそれなのである。……この人たちのあの行為、この行為の上に、往昔の風鈴の妙音と同じ生命のメロディー(旋律)を聞く人は、私だけではないであろう」(『春風夏雨』)と述べてゐる。

和歌が戀愛において大きな位置を占めるのは、和歌といふ言葉の芸術が、戀愛の心を伝達し交換する媒介だからである。また、戀とは「魂乞ひ」であるから、やまと歌にある言霊の力によって相手の魂と自分の魂を引き寄せ合ったのである。歌の起源は愛である。

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千駄木庵日乗十月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、病院に赴き、母に付き添う。担当の主任看護師さんと今後のことなどを相談。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルにて、『笹川平和財団主催・ダニエル・I・オキモト氏講演会』開催。スタンフォード大学名誉教授・・ダニエル・I・オキモト氏が「日本経済・安定的持続的成長への道筋」と題して講演。質疑応答。経済は全く素人の私にもよくわかる講演で、大変勉強になった。後日報告します。

帰途、銀座にて、古くからの友人と懇談。

帰宅後も、原稿執筆の準備。

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2012年10月29日 (月)

この頃詠みし歌

病室に一人苦しむわが母に 為すすべもなき我は悔しき

拘束されし母の手握り慰める夕べの病室に涙来湧くも

あはれなり母は一人で呻吟す 九十二年を生き来し果てに

わが母と上野寛永寺に参りたる日を思ひ出す母の病室

我を産み我を育てしわが母が衰へたまふ事の悲しさ

弱りたまふ母をいとしみ手を握り励ましの言葉かけるのみなる

母の頬撫でさすりつつ体力の回復をこそ篤く祈れり

祈り言唱へつつ母の手を握り神の癒しを強く祈れり

わが母が俳句をつくるを喜びとせし昔日に帰るすべなし

母のゐまさぬ朝の食卓に一人してパンにバターを塗りて食せり

母のゐまさぬ部屋の花瓶の水を替へ先祖の位牌に手を合はせたり

母の不在続ける部屋に朝行きて窓開き空気を入れ替へにけり

医師と看護師信ずるほかにすべはなし 母は病室に伏せりたまへば

病室に入れば母はベッドにて笑顔で我を迎へくれたり

身体を拘束されし母上は 我をし見れば安堵の顔す

帰りますと言へばさみしさうな顔をする母を見るのは切なかりけり

秋雨に濡れつつ駅への道を歩む母のゐませる病院を後に

母上よ明日まで待ってゐてくれと思ひつつ歩む病院よりの帰路

西空に太陽が沈み行く時にビルの窓ガラス朱色に燃ゆる

秋雨に濡れつつ歩む霊園に鳥が群れ飛ぶ静けさぞ良し(谷中霊園来島恒喜氏墓所参拝)

秋雨に濡れる墓標に来島恒喜と太く刻まれし文字を仰げり()

わが国の近代の歴史を刻みたる多くの人々谷中に眠る()

八雲立つ出雲の國の神やしろ日の本の国を太しく護りますなり(『古事記一三〇〇年出雲大社大遷宮特別展・出雲ー聖地の至宝ー』展)

上野山秋晴れの日にのぼり来て出雲の神々に出会ふうれしさ()

三日月が夜空に浮かぶゆかしさを愛でつつ歩む千駄木の街

屋根の向かふに沈みゆくなる三日月を眺めつつ酔ひをさまさむとする

気が付かぬふりして行きし知り人を遠く見送りさみしむ心

人工の灯りといへど青く光るスカイツリーは美しきかな

フランスよりの友の電話の声楽し 遥かなる国も隣室の如し

若き店主が明るき笑顔でものを作る様を見てゐれば心和むも

久しぶりに来たりし店のもつ焼きを頬張りにつつホッビーを呑む

神ながら大いなる力天降りこの国難を救はせたまへ

天地と共に栄える神の国 大日の本に生きるうれしさ

先帝をお偲びしつつ経巡れる東御苑の樹木美し(皇居東御苑にて)

やすみししわが大君が愛でたまひつくりたまひし森を歩みぬ()

松の緑秋の光りにかがよひて御稜威満ち満つる皇居の広庭()

空高く飛行機が飛ぶを仰ぎ見る皇居の庭の秋晴れの午後()

晴れわたる秋の青空仰ぎたり東御苑のベンチに座して()

外つ國の人々も皆連れ立ちて東御苑に憩ふ秋の日()

あなさやけ光あまねき秋の日に皇居の庭を巡るうれしさ()

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千駄木庵日乗十月二十八日

帰宅後は、原稿執筆。

午後五時四十分より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏司会。国民儀礼。「愛国運動と日本伝統精神」をテーマにして、全員で自由討論。そして小生が講義。瀬戸弘幸氏が結語。

この後、病院に赴き、母に付き添う。

午後は、本日の講演の準備など。

午前は、母のお世話。

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2012年10月28日 (日)

『政治文化情報』平成24年11月号のお知らせ

『政治文化情報』平成2411月号(平成241020日発行)の内容は下記の通りです。見本誌希望の方はメールにてお申込み下さい。

m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

〈皇都の一隅より〉

現御神信仰と皇位継承

柿本人麻呂が「現御神信仰」を高らかに歌ひあげた歌

歴代天皇お一方お一方が、天照大神の「生みの御子」であらせられる

柿本人麻呂は日本民族の共通の傳統的天皇信仰を歌った

現御神信仰は今日唯今においても「生きた真實」である

歴代天皇は全て高天原から天降って来られた神聖なる御存在

天皇は天照大神の御神威を継承し体現して日本國を統治される

「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない

千駄木庵日乗

クレイトン・ヤイター元米國商務長官「日本はTPPに入るべし。経済便益は大きい。日本にとってアドバンテージ(前進や優位性という意味の英語)になる。TPPは、日本にとって改革の機會を与える」。

富岡幸一郎関東学院教授「三島の天皇観は、多神教・汎神論的風土の日本で極めて一神教的天皇観である。日本の神観は一神教的な超越者としての神ではない」。

ルクマン・フェーリ駐日イラク共和國特命全権大使「ヨーロッパで勉強した人を選んでも解決しない。政治体制が機能していない。國家の機能が機能していない。大統領や首相を変えれば物事が解決するわけではない」。

 

この頃詠みし歌

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「第二十七回日本の心を学ぶ会」のお知らせ

「第二十七回日本の心を学ぶ会」のお知らせ

演題 愛国運動と日本伝統精神

 我々は日本国民として草莽の民として様々な活動を展開してきました。そして先人の歩んできた道を学びつつ、現代の危機的状況をいかに打開するかを真剣に考えながら、多くの国民大衆に共感を得ることが出来る運動の展開を目指してきました。これからも常にそうあるべきだと思います。

その根本には、活動展開の形態がどう変わろうとも、変えてはならないものがあります。それは、「日本の心」「日本伝統精神」であると思います。

愛国心、保守主義、ナショナリズム、国粋主義、国家主義という様々な言葉があります。「愛国心」「祖国愛」の対象は権力機構としての国家ではないことは言うまでもありません。我々の愛する国とは、「歴史と伝統の国日本」であり「天皇国日本」です。

我々の活動の源泉たる愛国心とは何か?我々は何の為に誰と戦うのか?参加者一同と活発な自由討論を行い、講師の所見を聞きたいと企画しています。
 尚、勉強会は今年これが最後です。来月11月末は忘年会を開催する予定ですので皆様お誘い合わせの上ご参加下さいますよう宜しくお願い致します。

【日 時】平成24年1028日(日)午後530分開場540分開会

【場 所】文京区民センター2B会議室

東京都文京区本郷 4-15-14 地下鉄 春日下車1分(大江戸線、三田線)、後楽園下車3分(丸の内線、南北線)、JR(水道橋)

【演 題】愛国運動と日本伝統精神

【登壇者】講師 四宮正貴氏 (四宮政治文化研究所代表) http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/

講師 瀬戸弘幸氏 せと弘幸Blogu 『日本よ何処へ』http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/

【参加費】資料代500円 終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】日本の心を学ぶ会事務局 埼玉県川口市安行藤八33-13

電話090-8770-7395

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日本における愛国心・ナショナリズムは尊皇精神・国体観念と一体である

「愛国心」とは個人が運命共同体として結集し拡大された鞏固なる歴史的存在意識であるといふ。「愛国心」といふ言葉が使はれ出したのはおそらく明治以降であらう。「愛国心」極言して「ナショナリズム」といふ言葉は、明治以後外国との交渉や競争が激しくなってきてから顕在化したと言へる。これはいふまでもなく「やまと言葉」ではない。また国を愛する心は日本国民のみが持ってゐるものではない。

日本民族の国を愛する心の特質は、「尊皇愛国」といふ言葉もあるやうに萬邦無比といはれる日本国体の精神即ち天皇尊崇の心と一体であるところにある。日本人における愛国心は、日本人一人一人が静かに抱き継承してきた天皇を尊崇しさらに麗しい日本の自然を愛するごく自然な心である。

日本人にとって愛する祖国とは本来的には『君が代』なのである。これが日本の愛国心の特質である。ゆえに『国歌・君が代』こそ最大の愛国歌といふことができる。

日本における愛国心とは「恋闕心」(「みかどべ」を恋ふる心)であり「麗しき山河即ち自然を慈しむ心」である。どちらも「愛」の極致である。

そして、防人が「大君の命かしこみ」と歌って以来、蒙古襲来の時は日本神国思想が勃興し、幕末において欧米諸国のアジア侵略を脅威と感じた時も『尊皇攘夷』が叫ばれ、明治以来大東亜戦争に至るまでの内外の危機に際して勃興したのも国体精神である。日本における愛国心・ナショナリズムは尊皇精神・国体観念と一体である。

大化改新・明治維新・大東亜戦争を見ても明らかなやうに、日本における変革や国難の打開は、必ず愛国心・尊皇心の興起と一体であった。

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千駄木庵日乗十月二十七日

午前は、諸雑務。

午前十一時より谷中の上聖寺にて『憂国烈士之碑追善供養の儀』執行。住職が導師となりて読経、焼香、拝礼。続いて墓所にある憂国烈士之碑拝礼。同志と懇談。

午後二時より、内幸町の日本プレイセンターにて『アジア問題懇話会』開催。池田維氏(交流協会顧問・元交流協会台北事務所長)が、「日台断交四〇周年と今後の展望」と題して講演。奥野誠亮元法相、小田村四郎元拓大総長などが質問を行い、活発な質疑応答が行われた。内容は後日報告します。

この後、病院に赴き母に付き添う。母が家に帰りたがるのがつらい。

帰宅後は、明日の『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

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2012年10月27日 (土)

日本主義および日本精神について

日本主義の基底を為す日本精神は、マルクスレーニン主義・毛沢東思想といふやうな個人が説いた思想・主義即ちイデオロギーではない。孔子やキリストやマホメットの説いたやうな教義・教条でもない。日本精神・日本伝統信仰は、日本民族の悠久の歴史と共に発展し継承されてきたものである。

日本伝統思想・日本精神は、日本民族の歴史と生活と信仰に根ざし、そこから生まれてきた「天皇仰慕・天神地祇崇拝(祖先と自然の霊を尊ぶ心)・父母兄弟を尊ぶ心」である。そこから明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一(すべてに神を観る心)・天皇仰慕の心・まつりの心などの倫理精神が生まれた。

日本精神は、日本として真に日本たらしめてゐるもの、これなくば日本及び日本人が、存立できないものであって、理論的・教条的に説明できない。日本精神とは、天皇を中心とする國體より発生し継承されてきた国民精神である。

さういふ精神を根幹として日本国をそして世界を変革しようとする行動的な思想が日本主義である。日本主義は、自然に祖先から継承され生活の中に息づいてゐる国を愛する心・郷土を思ふ心とは違って行動的である。

日本精神を実践し行動し実現する「主義」を日本主義といふ。一貫不変不動の日本精神を覚醒し、日本精神をその時代において実現せんとする主張であり政策であり主義である。日本主義とは、日本精神から噴出してきたところの現代日本を政治・経済・社会的に変革しようとする一つの行動原理と言い得る。そしてそれがより過激になれば、直接行動を伴ふ。

行動原理と言っても、秩序だった理論大系はもとより無いのである。しかし秩序だった理論体系が無いといふことは、見方を変えれは包容力があり柔軟だといふことである。良きものは受け容れ、悪しきものは捨てるのだ。さういふ意味で柔軟ではあるが強靭である。

明治維新も大化改新も外国から具体的改革策を取り入れてゐる。しかし根本には尊皇愛国・敬神崇祖・万民和楽の日本精神があった。それを基礎としての具体的改革であった。

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千駄木庵日乗十月二十六日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年10月26日 (金)

清水澄博士について

石川県護国神社神域には、『清水澄博士顕彰之碑』が建立されている。清水澄博士は、明治元年金沢市に生まれ、東京帝国大学法科を卒業後、学習院大学教授となり、明治三十八年法学博士の学位取得し、宮内省、東宮御学問所の御用掛を拝命された。大正天皇、昭和天皇に御進講され、行政裁判所長官、枢密院顧問官を経て、敗戦後、最後の枢密院議長に任ぜられた憲法学者である。

「碑文」には大要次のやうに記されてゐる。「憲法学者清水澄博士(金沢市東山三丁目御出身)は占領軍司令部が強制した日本国憲法施行の日、日本国の天皇制(原文のまま)の将来を憂慮され、幽界よりわが國體の護持と皇室の御安泰、今上陛下の御在位を祈願しようと自決を決意され、憂国の至誠極まる所、汨羅(べきら)の淵に身を投じた楚の国の忠臣屈原の故事に倣い、九月二十五日、熱海の錦ヶ浦の波涛に愛国赤心の躯幹を投ぜられた。敗戦日本の正気阻喪の惨状は正視するに耐え難いものが連続的に生起した。博士はわが國の伝統・文化の変革し行く姿を見、祖国の将来を憂慮され、ことに建国以来、国の生命、民族の中心として連綿と存在する皇室の上に思いをいたされ、身の置き処が無かったのである。東京の青山墓地に眠る博士の墓石に記された嗣子虎雄氏の碑文の中に『ケダシソノ生涯ハ君國ニ対スル忠誠ノ念ヲモッテ終始シ』とある如く、博士の衷情はただ一つ祖国の道義を万代に堅持せんがための至情以外の何ものでもなかった。新憲法下ここに三十年、博士の憂慮された如く、この間政治 経済 文化 その他あらゆる分野において、正統の道義は地に落ち、全て自己中心の個人主義の思想が瀰漫し、国の伝統と民族の歴史に背反すること夥しく、まさに祖国の危機と言わざるを得ない。この亡国的惨状打開の途は、国の歴史と伝統に基づく民族の正気の恢弘、維新以外にあり得ない。云々 昭和五十二年九月 林屋亀次郎」。

汨羅は支那湖南省北部を流れる湘江の支流。江西省修水県の西南を源とし、西流して湘水に入る。林屋亀次郎氏は、明治十九年金沢市生まれ。昭和五十五年逝去。昭和二十二年以来、参議院議員三期。

清水澄博士の『自決ノ辞』には次のやうに記されてゐる。

「新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ

元枢密院議長  八十翁 清水澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム

追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ」。

占領憲法施行以来六十五年を経過した今日、「碑文」に書かれた憂慮すべき状況は愈々益々深刻になってきてゐる。憲法改正が現実の問題として論じられて来てはゐるが、肝心要の國體については、欧米の権力国家観・契約国家論に基づく『国民主権』といふ日本國體に合致しない『原理』を踏襲するのでは、真の「憲法改正」でもないし「自主憲法制定」でもない。「現行占領憲法」には「天皇条項」は第一章であるのに、これを第二章に移し、第一章を「国民主権」にするなどといふのはまさに國體隠蔽であり憲法改悪である。

日本天皇は権力・武力を以って国家国民を支配される御存在ではない。また、天皇と国民は権力的対立関係にあるのではない。天皇と国民は精神的信仰的一体関係にある。これを君民一体の国柄といふ。主権が君主にあるとか国民にあるとかといふことは、わが國の國體には全く無関係なのである。したがって、「国民主権」などということを憲法に麗々しく憲法に記す必要はさらさらない。そのやうなことを記すことは天皇を権力者と仰ぎ奉ることになり、重大な國體破壊である。『現行憲法』は無効であるするという考え方が正しいと思う。

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「描き継ぐ日本美ー円山派の伝統と美」展拝観及び皇居東御苑

今日拝観した「描き継ぐ日本美ー円山派の伝統と美」展は、円山応挙(享保18- 寛政7)と円山派の流れを辿った展覧会である。円山応挙は、江戸中期の画家。丹波の農家の出身で、上京し狩野派系の石田幽汀に学ぶ。伝統的な情趣や装飾性も備えた平明な写生画風を確立し、京都画壇の中核となった。門人も多く、その門流は江戸後期京都画壇の最大流派を形成する。明治以後の日本画家の多くは、応挙の流れを汲むと言っていいだろう。大本教の出口王仁三郎は応挙の家系の人という。

「海辺図」(円山応挙)、「桜雉子図」(川端玉章)、「嵐山春景・淀川夏景・宇治秋景」(野村文拳)、「義士隠栖」(山元春拳)などを観る。特に「義士隠栖」の雪景色は見事であった。日本画の美しさを堪能した。日本画に描かれた自然美、山川草木・花鳥風月の美しさはやはり素晴らしい。日本人の自然を愛する心が凝縮されているようである。

そして東御苑を散策させていただいた。「二の丸雑木林」を歩き、しばしくつろぐ。この雑木林は、昭和天皇の御発意によって昭和五八年から六〇年にかけて造成された。この林の中を歩くと、昭和天皇の仁慈の大御心に包まれているような心地になる。有難き限りである。

写真は、皇居東御苑の風景です

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千駄木庵日乗十月二十五日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。看護師さんが親切なので感心する。

この後、皇居東御苑に赴き、三の丸尚蔵館にて開催中の「『描き継ぐ日本美ー円山派の伝統と美」拝観。そして、東御苑を暫し散策。

帰宅後は、資料の整理、本日が原稿締め切りの『伝統と革新』編集の仕事。

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2012年10月25日 (木)

今日の危機的状況を打開するために何をなすべきか

何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられた。古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの侵攻の危機下に行はれた。ロシア革命も日露戦争・第一次世界大戦の影響下に行はれた。辛亥革命は阿片戦争が影響した。アメリカ独立革命は言ふまでもなくイギリスとの戦ひであった。明治維新もまたしかりである。

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を有し高度な統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一体感・運命共同意識を回復して外敵に当たろうとしたのである。

國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を撃ち攘ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。

事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれることはなかった

共産支那や南北朝鮮の「傲慢無礼」なわが国領土に対する侵略策謀・反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されている今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。 

今日の危機的状況を打開するためには、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じやうに、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

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「イラン・エネルギーと中東の地政学」と題する講演会における登壇者の発言

笹川平和財団主催「イラン・エネルギーと中東の地政学」と題する講演会における登壇者の発言。

ケイハーン・バルゼギャール氏(イラン中東戦略研究所長)「アラブの春によってアラブの勢力均衡は複雑になった。ムスリム同胞団がエジプトの政治で新しい権力を握っている。

エジプトは、サウジアラビアやアメリカとの友好関係が必要。イラン・トルコとも良好な関係を必要としている。中露とも然り。エジプト大統領は忙しい。トルコは指導的役割を果たそうとしている。ソフトパワーで政治的立場を取ろうとしている。サウジアラビアはアラブの春がサウジの国内政治に介入してくることを阻止している。イランは地域での役割の強化を目指している。エジプトと新たな戦略的同盟関係を作ろうとしている。外国勢力の介入を恐れている。イスラエルは生き残りの問題。イスラエルの国家安保はアラブの春によって脅かされている。『キャンプデービットの合意』の中止をエジプトが行うのではないかと恐れている。アメリカは自らの影響力行使を望んでいる。ロシアは活発な役割を果たしている。アラブの春以前は、国家が中心的役割を果たしていたが、今は変化している。勢力の均衡が難しくなっている。イランは地域での役割を拡大しようとしている。イランとロシアは地政学的に新しい協力関係・同盟関係を構築して、アメリカに対抗し抑え込もうとしている。イスラエルによるイランの核施設攻撃の可能性は低い。国内の強硬派向けのもの。核問題がアメリカとイランが戦略的協議を開始するきっかけとなる。イランは原則を維持すべし。ウランの濃縮を止めることはできない。イランの国内政治の原則は変わらない。日本は優れたテクノロジーを持つ國。イランとアメリカの仲介の役割を果たしてもらいたい。アメリカはアフガンで失敗した。中東の平和のためにアメリカは慎重であらねばならない」。

アリー・ビニアーズ氏(イラン政治国際問題研究所国際経済エネルギー研究グループ長)「嵐のような状況になったら、何が何に対して何をやっているか分からなくなる。我々は心理によって影響を受ける。西南アジア(中東)はクロスロード(交差点・十字路)が複数ある。中東は取り残された地域と言われた。イランは西南アジアの中心に位置している。クロスロードにイランは位置している。多くの人がイランに期待している。イスラムは全ての栄光を神に仰ぐ。イスラムの人間のものの考え方に敵意を持つという事は存在しない。イスラムの側に敵意は無い。イランは近代国家になりたい。かつてイランのシャーが『イランも核兵器を持つ』と言ったら、フランスが断交した。アメリカもイランも寛容な国。攻撃などしない。イランの歴史を見よ。イスラエルはユダヤ国家。六十年間危機に対応してきた歴史を持つ。その中に虜になっている」。

宮田律氏(現代イスラム研究センター理事長)「イランがアメリカとの関係をどう構築するかが問題。アメリカとイスラエルのイランによる核兵器開発への疑念をどう晴らすかが問題。イデオロギー外交が現実的利益を奪っている。イランとアメリカの雪解けはあるのか。イランは反米とイスラエルの解体を唱えている。イランが反米を唱えると、アメリカは軍事力を強化する。経済制裁は相当効果があり、インフレになっている。アメリカとの融和が緊急の課題。イランの側が譲歩すべきではないか」。

中西久枝氏(同志社大学教授)「イデオロギーと地政学が錯綜している」。

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千駄木庵日乗十月二十四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、病院赴き、母に付き添う。母はやや落ち着いた状態になっている。

帰宅後は、資料の整理及び原稿執筆の準備など。

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2012年10月24日 (水)

國體の眞姿開顕こそ日本國の主體性確立の基

わが國の歴史が始まって以来、日本國家を統合する<核>が、上御一人日本天皇である。いかなる困難な状況であっても、わが國が祖先から受け継いだ伝統を守り、かつ変革を為し遂げた<核>が、天皇のご存在であった。わが國は、常に伝統を守り、統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その<核>が天皇であった。

事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれることはなかった。

わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は天皇を中心とするわが國體精神であった。日本人は優秀である。その優秀さは、勤勉性、高い道義心、協力と献身の精神の旺盛さ、謹厳実直さなどである。

わが國の最高の地位にある人は上御一人日本天皇であり、天皇はもっとも清浄な人であり、人間の姿をした神である。天皇が政治・軍事・文化・宗教の最高権威者である。

天皇中心の國體の眞姿を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができるのである。

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千駄木庵日乗十月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、笹川平和財団主催「イラン・エネルギーと中東の地政学」と題する講演会開催。ケイハーン・バルゼギャール氏(イラン中東戦略研究所長)、アリー・ビニアーズ氏(イラン政治国際問題研究所国際経済エネルギー研究グループ長)、田中浩一郎氏(日本エネルギー経済研究所中東研究センター長)、中西久枝氏(同志社大学教授)、宮田律氏(現代イスラム研究センター理事長)が講演。質疑応答。内容は後日報告します。

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講演会風景

帰途、赤坂にて、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2012年10月23日 (火)

大西郷の精神

『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現です。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものです。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからです。

                     

 大西郷は、「國の凌辱せらるるに當りては、縱令國を以て斃るるとも、正道を踏み義を盡すは、政府の本務なり。」と言っています。この言葉こそ今日の我國政府が最も噛み締めなければならない言葉であります。我國は現在、歴史問題・領土問題などで支那・韓国・北朝鮮からなめられ、国家の尊厳性を喪失しています。

 大西郷は、「王を尊び民を憐れむは学問の本旨」「萬民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節儉を行ひ、職務に精勵して、人民の標準となり、下民をしてその勤労を感謝せしむるに至らざれば、政令は行はれ難し」と述べています。この言葉も今日の我國政治家が噛み締めなければならないと思います。

 また大西郷ののこした言葉以上に彼の歩んだ道、彼の行った偉業そのものにこそ、大西郷が今日の我々に語りかけている大きな教訓があると信じます。

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千駄木庵日乗十月二十二日

午前は、諸雑務。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

この後、病院に赴き、母に付き添う。看護師さんと今後のことについて相談。精密検査をすることとなった。

帰宅後は、書状執筆など。

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2012年10月22日 (月)

先人の志に学び未曾有の国難を打開しよう

『玄洋社』憲則三章には、

「第一条  皇室を敬戴すべし。

第二条  本国を愛重すべし。

第三条  人民の権利を固守すべし」

とある。

民権と国権は相対立するととらえる説があるが、決してそうではない。国権とは民権を圧迫する国家権力のことではなく、祖国の独立のことである。即ち「不平等条約」の破棄である。

維新討幕が緊急とされた具体的理由は、『安政条約』で半国家・半植民地と化した日本が、「完全な植民地」となることを食い止め、早急に国家独立の体制を確立することにあった。それが「尊皇攘夷」である。

天皇を中心とした日本国を欧米列強の侵略支配から祖国を守り、世界の中で完全独立国家として屹立させることが明治維新の理想であり尊皇攘夷の実現である。それを実現させるべく在野で運動したのが玄洋社をはじめとする愛国運動であった。

それは、欧米列強に屈従する政策を取る政府、欧化の風に侵された文化文明、この二つを粛正することを目指した戦いであった。

先人の志に学び、今日のわが日本が際会してゐる未曽有の国難を打開しなければならない。

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『古事記一三〇〇年出雲大社大遷宮特別展・出雲ー聖地の至宝ー』展を参観して

今日参観した『古事記一三〇〇年出雲大社大遷宮特別展・出雲ー聖地の至宝ー』展は、「神話の国、出雲。荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)、加茂岩倉遺跡(かもいわくらいせき)から、大量の青銅器群が発掘され、この地が古代の青銅器大国であったことが知られるようになりました。また2000年に出雲大社の境内から出土した宇豆柱(うづばしら)は、太い杉の丸太を3本束ねており、かつてそびえ建つ神殿が造られたことを物語っています。現在、出雲大社では60年ぶりに本殿の修復や檜皮葺(ひわだぶき)の屋根の葺き替えが進められています。この事業は20133月に完了し、5月には御祭神を仮殿から本殿に遷座する「平成の大遷宮」がおこなわれます。また、今年は出雲を舞台とした神話や出雲大社創建についても語られている『古事記』が編纂されて、ちょうど1300年の記念の年にあたります。これを機に出雲大社の宝物をはじめ、島根県を代表する文化財の展示をとおして、独特の文化を形作った聖地、出雲を紹介いたします」(案内書)との趣旨で開催された。

銅剣(国宝・弥生時代)・銅戈勾玉(重文・弥生時代)・『古事記』道果本(南北朝時代)・後醍醐天皇宸翰剣代綸旨(重文・鎌倉時代)・杵築大社造営遷宮勘例案(重文・鎌倉時代)・宇豆柱(重文・鎌倉時代)・摩多羅神坐像(鎌倉時代)・色々糸威胴丸(重文・室町時代)・観世音菩薩立像(重文・飛鳥時代)などを観る。

出雲大社には二十年ほど昔、参拝した。須佐神社・日御碕神社・熊野大社・神魂神社なども巡拝した。懐かしい思い出である。神々しい神秘的雰囲気の溢れる神社ばかりであった。確かに出雲は神話の国である。何となく懐かしい思いがした。やさしい神々が居られるような気がした。

展示品の「宇豆柱」とは、平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡から杉の大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱である。出雲大社の棟を支える棟持柱(むなもちばしら)である。境内地下を流れる豊富な地下水のおかげで奇跡的に当時の姿をとどめて出土したという。直径が最大で約6mもある柱穴には、人の頭の大きさかそれ以上の大きな石がぎっしりと積み込まれ、世界に例のない掘立柱の地下構造であるという。柱の配置や構造は、出雲大社宮司の千家国造家(こくそうけ)に伝わる巨大な本殿の設計図とされる「金輪御造営差図」(かなわのごぞうえいさしず)に描かれたものと類似している。まさに『宮柱太く立ち甍高くそびえたり』という言葉通りの神殿が造営されていたことが証明されたのである。神話は決して嘘でも偽りでもなく真実なのである。

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、諸雑務。

午後は、上野公園の東京国立博物館にて開催中の『古事記一三〇〇年出雲大社大遷宮特別展・出雲ー聖地の至宝ー』及び『帝室技芸員からの寄贈作品展』展参観。

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東京国立博物館本館

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表慶館

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日本の婦人像・ラグーザ作

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長門峡・松林桂月作

この後、病院に赴き母に付き添う。

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年10月21日 (日)

「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観の確立

<近代合理主義>を根底に置いた物質文明及び経済至上主義の行きづまりによる今日の混迷を打開するためには、正しき「宗教精神」への回帰が大切である。

しかし、「宗教精神」への回帰とは、安易にしていかがわしい神秘主義や狂信的な教団宗教へのよりかかりであってはならない。むしろそうしたものを厳しく否定しなければならない。教団宗教は、往々にして排他独善の姿勢に陥りやすい。世界の宗教史は宗教戦争の歴史といっても過言ではない原因はここにある。そして今日それが日本国内においても世界においてもますます激化してきている。

 

日本伝統信仰すなわち神道には教祖がいない。教典もない。ただ「神への祭り」を行い、「神の道」に随順して生きる事を大切にしている。これが、わが国の伝統的な信仰精神の基本である。つまり日本神道の本質は、特定の人物によって書かれた教条・教義の中には無いのである。文字通り「神」及び「道」のそのものの中にあるのである。我々日本人は、その「神」を祭り「神の道」を現実に生きることによって宗教的安穏を得るのである。

今日の日本人には、西洋精神の影響を受けて自然への畏敬の念を失ってしまった人が多いが、古来、日本人は自然を神として拝み尊んでいた。そうした日本民族が継承してきた伝統的な正しき信仰精神を正しく継承し現代において生かす事が必要なのである。

日本の古代から継承されてきた伝統精神を「神ながらの道」と称してきたのは、日本の伝統精神はある特定の人物によって説かれた「法」でもなければ「教義」でもないからである。人間の作り出した独善的教義や科学技術や人間が発見した<合理的法則>というものが全てを解決するという傲慢な考え方を持たない。

「神への回帰」「自然への畏敬」という精神性を重視した世界観・文明観を確立することが、これからの人類の生存のために不可欠である。であるがゆえに、神道(神ながらの道)という精神伝統を保持する日本が、新しい文明を切り開いていく可能性が非常に高いのである。

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千駄木庵日乗十月二十日

午前は、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には週明けにお届けできると思います。

この後、病院に赴く。昨日、医師から「そろそろ退院してもよろしい」と言われたので、そのつもりで病院に行ったのだが、もう少し様子を見ようということになった。やはり母は昨日よりも少し元気がなかった。

帰宅後は、たまりにたまった資料の整理など。

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2012年10月20日 (土)

わが国には戦争犯罪人は日本には一人もいない

わが国には戦争犯罪人は日本には一人もいない。「戦争責任」と「戦争犯罪」とは全く異なる。東條英機氏らを裁いた「極東軍事裁判」はその名の示す通り「軍事裁判」なのであり、日本人自身による公正な裁判では決してなく戦争行為の継続であり、敵国の復讐であったのである。そこにおいて絞首刑の「判決」を受け執行されたということは文字通り戦死であり殉難である。日本には戦勝国の復讐の犠牲者・殉難者は存在しても、唯の一人も「戦犯」は存在しない。したがって、「極東軍事裁判」なるものの「判決」により処刑された方々を殉難者・戦死者として靖国神社にお祭りするのは当然なのである。

我々日本人が「A級戦犯」という呼称を使うことは絶対にやめるべきである。「A級戰犯」といわれる人々は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した「東京國際軍事裁判」、つまり、裁判とは名ばかりの非常に野蛮で公平性を全く喪失した戰勝國による一方的な報復の場=復讐劇において、「有罪」と断罪され、「絞首刑」に処せられた人々である。わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。

「平和と人道に対する罪=侵略戰争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」という罪名を勝手に作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した「東京國際軍事裁判」は、法の真理に照らして完全に間違ったものであった。 さらにいえば、日本に原爆を落し東京大空襲を行ったアメリカの指導者・マッカーサーやトルーマンも戦争犯罪人として処罰されるべきだったのである。

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千駄木庵日乗十月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、病院に赴き、母に付き添う。担当の医師の方のお話を伺う。行き届いた治療とリハビリが行われるように思う。あまり規模が大きくない病院だからであろうか。看護師や介護士の方も親切である。

帰宅後は、資料の整理。

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2012年10月19日 (金)

和歌と言霊

村上一郎氏は、文学および詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(『明治維新の精神過程』)と語ってゐる。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行ふことは、言葉の価値を最高に認めることである。

いのちが枯渇し言靈が失はれた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。現代においても、和歌や俳句といふ日本傳統文藝は多くの人々によって継承され愛好されてゐる。しかし、命ある言葉・言霊は不足してゐるのではないだらうか。

歌とは、神への「訴へ」をその起源とするのである。和歌は、元初から神聖なるものとして尊ばれてきた。その神聖感は近世に至るまで生きてゐた。『古今和歌集序』の「天地をも動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」といふことは、決して誇張ではなく真実にさう信じられてゐたのである。

近代とりわけ戦後になって、この魂の訴へとしての和歌を喪失したのではないか。西洋の影響下に展開して来た近代文学全般が日本古来からの言霊信仰を無視した事のその原因がある。今こそ、魂のこもった和歌が多くの人々によって歌ひあげられなければならない。言霊の幸はふ國を回復しなければならない。

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千駄木庵日乗十月十八日

午前は、諸雑務。

午前十一時より、谷中のたんぴょう亭にて、『呉竹会幹事会及び評議員会』開催。広瀬義道氏が司会。頭山興助会長が挨拶。討議。そして『勉強会』が行われ、小生が「明治第二維新運動について」と題して話をさせていただいた。この後、谷中霊園の、来島恒喜氏の墓所に参拝。

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来島恒喜氏墓所。題字は、頭山満氏。

この後、病因に赴き、母に付き添う。看護師の方からお話を伺う。

帰宅後は、『政治文化情報』の発送準備。

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2012年10月18日 (木)

何故、天皇は神聖なる御存在であらせらるのか

何故、天皇は神聖なる御存在であらせられるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はないのである。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。

 したがって『現行占領憲法』第一章の「天皇の地位は日本國民の総意に基づく」という条項は天皇の御本質を正しく表現していない。

 「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。「神話」において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。それは、天地自然・生きとし生けるもの一切の中に、神の命を見るという信仰精神である。

 そうした「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。

 しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られているのである。「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。

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千駄木庵日乗十月十七日

午前は、諸雑務。

午後二時より、衆議院第一議員会館にて、平沢勝栄衆議院議員にインタビュー。『伝統と革新』誌掲載のためなり。色々と興味深いお話を伺った。

病院に赴き、母に付き添う。看護師さんにお話を伺う。小規模な病院だが、なかなかよくやってくれているようである。

帰宅後は、明日行われる『呉竹会勉強会』における講演の準備など。明治第二維新運動について語らせていただく。

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2012年10月17日 (水)

言霊信仰と日本文藝の起源

日本民族は、言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

日本の國は、「言霊の幸はふ國」といはれる。日本は、言葉の霊が栄える国であり、言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉には生命を持ち、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じた。

『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ、歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

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千駄木庵日乗十月十六日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、母に付き添う。体と手を拘束されている。私がいる間だけは解除してもらう。何とか早く退院させたい。

帰宅後は、明日のインタビューの準備・『政治文化情報』発送準備など。

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2012年10月16日 (火)

明治時代における尊皇攘夷運動

幕末に於いて、維新討幕が緊急とされた具体的理由は、『安政条約』で半国家・半植民地と化した日本が、「完全な植民地」となることを食い止め、早急に国家独立の体制を確立することにあった。

天皇を中心とした日本国を欧米列強の侵略支配から祖国を守り、世界の中で完全独立国家として屹立させることが明治維新の理想であった。それが尊皇攘夷の精神である。しかし、明治維新後に於いても、「不平等条約」が存続し、日本は西欧列強と対等の立場に立っているわけではなかった。それとどころか、文明開化に美名のもと、日本は欧化の風に侵された。

明治維新の理想を実現させるべく在野で運動したのが玄洋社をはじめとする愛国運動であった。そしてそれは、欧米列強に屈従する政策を取る政府、欧化の風に侵された文化文明、この二つを粛正することを目指した戦いであった。

民権と国権は相対立するととらえる説があるが、決してそうではない。国権とは民権を圧迫する国家権力のことではなく、祖国の独立のことである。

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千駄木庵日乗十月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化滋養法』発送準備など。

この後、病院に赴き、母に付き添う。医師と看護師に病状について説明を聞く。母は「仕事があるのだから帰っていいよ」と言ってくれる。しかし、いざ帰ろうとするともさみしそうな顔をする。つらい。

帰宅後は、木曜日に行われる『呉竹会』における講演準備。

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2012年10月15日 (月)

明治維新における「神武創業への回帰」について

明治維新における「神武創業への回帰」といふ雄大にして宏遠なる精神は、近代日本の出発において、傳統を重んじつつ柔軟にして自由な変革を實現せしめる原基となった。

大原康男氏は、「(神武創業への回帰は・注)『歴史的拘束性』を否定して近代化への推進力となったが、同時にそれは急進的な欧化への歯止めともなっていた。従って復古即革新といふスローガンがいい意味でプラグマチックに活用されたことは否めないが、それも神武天皇の再臨としての明治新帝が担う傳統的な権威へのコンセンサスがあってのことだ。『古代的原理への回帰を下敷きにした近代國家の確立』というユニークなテーゼは非欧米諸國で近代化に成功した唯一の國日本の謎を解く鍵でもある」(『國體論と兵權思想』・「神道學」昭和五十五年五月号所収)と論じてゐる。

明治維新が力強く生き生きとして創造性に富む変革となった原因は「諸事神武創業ノ始ニ原カム」とする御精神と「我國未曽有ノ変革」といふ御自覚である。しかもこの二つの精神は、明治天皇の大御心として全國民に示された。復古の精神を基本に置きつつ自由大胆なる変革が断行できた。

この自由な発想の「生みの親」は實に、洋學者でもなければお雇ひ外國人でもない。實に國學者・玉松操であった。『岩倉公實記』には次のやうに書かれてゐる。「具視王政復古ノ基礎ヲ玉松操ニ諮問スル事、…具視以謂ク建武中興ノ制度ハ以テ模範トスルニ足ラズト。之ヲ操ニ諮問ス。操曰ク、王政復古ハ務メテ度量ヲ宏クシ、規模ヲ大ニセンコトヲ要ス。故ニ官職制度ヲ建定センニハ当ニ神武帝ノ肇基ニ原キ寰宇ノ統一ヲ図リ、萬機ノ維新ニ従フヲ規準ト為スベシ。」

「度量ヲ宏クシ、規模ヲ大ニ」した大変革が行はれる精神的素地は、實に「神武創業」への回帰といふ復古精神であった。

要するに、明治維新とは、「諸事神武創業の始に原く」=天皇の國家統治・祭政一致・一君萬民のわが國本来の姿=國體の開顕によって「未曽有の変革」を断行することだった。そしてそれは成功した。

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千駄木庵日乗十月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。書きたいこともありますが控えます。一日も早い回復を神仏に祈っています。

帰宅後は、水曜日に行われる『伝統と革新』誌掲載のためのインタビューの準備。そして木曜日に行われる『呉竹会』における講演の準備。

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2012年10月14日 (日)

明治第二維新運動について

近代日本というか明治新政府は、「脱亜入欧」「文明開化」「富國強兵・殖産興業」の道を突き進んだ。つまり、欧米の文化・文明を取り入れて日本を近代化し、國を富ませ、軍事力を強固にし、生産を増やし産業を発展させることを目指したのである。

 明治初期に岩倉使節団に参加して欧米を視察した政府高官たちの基本的観念には、第一に、欧米の文明に対する高い評価があり、第二に、アジアに対する蔑視とは言わないまでも欧米に比較してアジアは未開であるという認識があり、第三に日本の発展は、アジアから脱して欧米に入ることによって達成されるという考え方である。そして大久保・岩倉などは、その能力がわが日本にはあると確信した。これはまた、『五箇条の御誓文』の「知識を世界に求め大に皇基を振起すべし」という大御心に沿うものであると考えたのであろう。

 

大久保利通は、明治七年に書いた『殖産興業に関する建議書』には、「必ずしも英國の事業に拘泥して、之を模倣す可きにあらずと雖も、君民一致し、其國天然の利に基き、財用を盛大にして國家の根抵を固(かと)ふするの偉績に至りては、我國今日大有為の秋に際して宜しく規範と為すべきなり、況や我邦の地形及天然の利は、英國と相類似するものにあるに於ておや、……」と記している。わが國と國柄および天然自然条件が類似する英國を規範として殖産興業につとめるべきであるという主張である。 

東洋の伝統を否定あるいは軽視して西洋型の帝國としての日本帝國を建設せんするこの大久保路線は、反対者によって『西洋覇道路線』とも名付けられる。そしてこの路線は、大久保の死後、伊藤博文・大隈重信・山県有朋らによって継承される。

さらに「脱亜入欧」「文明開化」の論理は、体制側・権力側の基本姿勢であっただけでなく、反体制運動にも踏襲されその思考の型となった。マルクス主義などの西洋革命思想による日本の変革運動がそれである。

こういった近代日本の体制側・反体制側に共通する「脱亜入欧」「文明開化」の論理に対抗したのが、明治初期においては西郷隆盛に象徴される伝統護持派である。明治第二維新運動では、西郷隆盛、江藤新平、島田一郎などが命を捧げたが、未完に終わった。

その精神と行動を継承する在野の國民の側即ち草莽の士の愛國維新運動である玄洋社は、明治十四年二月、福岡に創設された。「皇室を敬体戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」の三箇条を憲則に掲げた。

明治二十一年に三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛らによって結成された國粋主義文化団体・政教社(雑誌『日本人』を刊行)であり、そしてそれに続く大正維新運動・昭和維新運動なのである。    

そして、「脱亜入欧」「文明開化」の論理の克服は、大東亜戦争の敗北とその結果としての現代日本の様々な矛盾の根本的原因にも関わる今日的課題なのである。

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千駄木庵日乗十月十三日

午前は、母のお世話。母の具合があまり良くないので、診療所の看護師に来ていただく。入院した方がいいということになり、救急車で病院に赴く。入院を許可するかどうかの検査に、五時間近くも時間がかかった。やっと入院許可となる。

帰宅後は、十八日に行われる『呉竹会』の勉強会おける講演準備など。

医療問題についてはいろいろ感想や意見もあるが、今は書くことを差し控えたい。

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2012年10月13日 (土)

渡辺淳一の「君が代」論批判

資料の整理をしていたら、『週刊新潮』本年八月十六日号で、作家の渡辺淳一氏が「国家・君が代」について次のように論じている記事を見つけた。

「天皇が統治する時代など、とうに、第二次世界大戦で終わったはず、それから七十年近くたっているのに、いまだに『君が代』などと歌わせること自体、疑問である」。

言い古された議論である。

天皇が日本国の統治者であらせられるという日本國體は、今日においても全く変わっていない。天皇の国家統治とは、天皇が日本国を統べ治めたまふといふことである。天皇のご使命・ご資格は日本建国以来、統治者であり、君主であられる。

戦後=『占領憲法』下においては、天皇は統治者・君主ではないとすることは全く誤りだ。『占領憲法』において「天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴」と規定されている。過去から現在そして将来へと永遠に続く日本國と日本國民の生きた姿が、日本國の君主であられる天皇御一身によって体現されるといふ事である。天皇が日本國の統治者・君主であらせられるからこそ「日本國及び日本國民統合の象徴」といふお役目を果たされるのである。

天皇は日本国民を統合される統治者・君主であらせられるから、「天皇の御代が永遠であれ」と祈る歌は即ち「日本国民が永遠であれ」と祈る歌なのである。それが国歌『君が代』である。

さらに渡辺淳一氏は、「『さざれ石の巌となりて』とあるが、大きな巌が長い年月で、波に触れるうちに細かい石つぶになるので、科学的には逆だとも言われてゐる」などと言っている。

日本伝統信仰を全く知らない自分の無知をさらけ出した妄論である。石が成長して大きくなり巌となるというのは日本人の古来からの信仰的真実である。古代日本人は、石が成長すると信じた。『君が代』の歌の根底にはこの信仰がある。単なる比喩ではない。これは石や岩という自然物が生きているという自然神秘思想から来ている。 

石と岩の違いは、石が成長した岩には魂が籠っているということである。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないして霊力を賦活させ神聖化することである。全てを命あるものとして見る自然信仰は、祖霊信仰とともに日本伝統信仰の大きな柱である。

日本をおかしくしてきた「戦後日本」を肯定し、科学万能の自然破壊思想を正しいとする人物が、渡部淳一氏なのである。

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千駄木庵日乗十月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿・印刷所に送付。

この後、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理など。

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2012年10月12日 (金)

この頃詠みし歌

雨降りて濡れし参道歩み行き花を捧げてみ墓拝ろがむ

ようやくに涼しくなりし彼岸の日父の眠れる墓を清むる

動かざる雲を眺めて母上は不思議なるかなと申したまへり

手を合はせ父の遺影を拝ろがめば笑顔はやさしく吾を見そなはす

苦しみし父はこの世を去り給ふ のこされし子の悲しみ深し

母上は父の遺影に手を合はせ安らかなれと今日も祈りゐる

ふるさとは今我の住む千駄木の町にしあればうれしかりけり

わが町に銭湯は一つも無くなりて煙突といふもの消えゆきにけり

遠くにはスカイツリーが見ゆれども煙突はついに姿消したり

のんびりと猫は寝そべる路地の端 平和といふはかくなることか

筆持ちてノートに向かへば歌心湧きて来るかな嵐吹く夜

高光る日を仰ぎつつ深呼吸すればわが身に力みなぎる

幼き日蚊帳の中にて友どちと騒ぎ遊びし臨海学校

安房の國岩井の海辺に友どちと遊びし思ひ出なつかしきかな

ニコライの鐘を聞きつつ友を待つ時の間の心妙に静けし

午前二時日記付けをればマンションの廊下に靴の音響きたり

窓開けて大きくしゃみを放ちたり千駄木の街に響き渡れと

またしても救急車に乗りて病院へ行くこととなりぬ母病みたまひ

救急車は母と我とを運びゆく受け入れる病院をやっと見つけて

母の手を引きつつ信号を渡りたり病院での診療終へし夕暮

何時ものやうに元気な姿でゐてくれと切に祈れりわが母の事

母上が明るき言葉でタクシーの運転手と話すことを喜ぶ

百歳とならむとする人わが前に滔々と語る秋の午後かな

美味きもの食してうれしきこの夕べ古き洋食店のコンソメスープ

展望台より四方の景色をむれば緑少なき東京の町

眼下(まなした)に小石川後楽園の庭が見ゆほっと安らぐ緑なりけり

祖父のこと軽んずる人が法燈の継承者とはおこがましきかな(谷口雅宣氏)

またしてもゲリラ豪雨に遭ひにけり借りたる傘をさして濡れ行く

とんかつを食してうれしき秋の昼 高層階の食堂の窓辺

揺るがざる確信といふを保ちつつ生きて行くべしこの乱世を      

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千駄木庵日乗十月十一日

午前は、母のお世話。

この後、母に付き添い診療所に赴く。医師の診察を受け、いろいろ注意事項を聞く。何とか今迄通り元気でいてほしい。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年10月11日 (木)

大嘗祭は「天孫降臨」の繰り返しである

天皇が御即位された後初めて行われる新嘗祭を大嘗祭といふ。大嘗祭は、全國各地から集めたお米を天照大神にお供へをして、五穀の豊饒を感謝すると共に、天皇がお供へしたお米を神と共に食される。そして天皇・神・穀物の霊が一体となる行事である。このみ祭りによって、天皇は、現御神(地上に現れた神」としての神聖性を保持されると承る。

大嘗祭は、天孫降臨の繰り返しの行事である。そもそも「まつり」とは元初(ものごとの一番始め)の行事の繰り返しである。天照大神は邇邇藝命に稲穂をお授けになって「このお米を地上にたくさん実らせ、豊葦原瑞穂の國を統治しなさい」と御命令になる。邇邇藝命は、その稲穂を奉持して、真床追衾(まとこおふふすま)に包(くる)まれて地上の高千穂の峰に天降られる。真床追衾とは、床を覆ふ夜具で、おくるみ(赤ん坊を抱く時、衣服の上からくるむもの)のやうなものである。

日継の皇子の御魂と天照大神と神霊と稲穂の霊と一体となり、日継の皇子が日の御子(現御神)としての神聖性を開顕されるまつりである大嘗祭においても、天皇は真床追衾に包まれるといふ。

大嘗祭によって新しい天皇が、先の天皇と同じやうに神と一体となられるのである。つまり御歴代の天皇は、御肉体は変られても、「やすみししわが大君 高照らす日の御子」といふ神聖なる本質・神格は全く同じなのである。これを「歴聖一如」と申し上げる。

大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事実の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一体になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。大嘗祭は、この歌が歌はれた持統天皇の御代から行はれるやうになったと承る。

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千駄木庵日乗十月十日

朝、母のお世話。

文京区役所に赴き、母の医療及び介護についての手続き。区役所の展望台に行き、四方の景色を眺める。一階ホールでは「文京区スポーツ功労表彰式・メダル獲得報告会」が行われており、成澤廣修文京区長が挨拶していた。ボクシングの村田諒太選手、ゴールボールの若杉遥選手が檀上にいた。少し立ち止まって区長の話を聞く。

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文京区役所展望室よりの眺め。彼方にスカイツリー。

午後は、医師の往診あり。二日前から母が少し弱っているので心配である。こういう時に限って仕事が忙しい。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。倭太后(天智天皇の皇后様)の御歌などを講義。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆。

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2012年10月10日 (水)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 十月十日午後六時半より
會場 豊島区立駒込地域文化創造館 東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分


會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。(初参加の方はテキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です)

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現御神信仰を表白した柿本人麻呂の歌

伝統的な現御神信仰を表白した歌が、柿本人麻呂の次の歌である。

 大君は 神にしませば  天雲の雷の上に いほら せるかも

 「大君は神であられるので、天雲の雷の上に仮の廬を結んでおられることだ」というほどの意。持統天皇が雷の丘にお出ましになった時に、人麻呂が現御神信仰を高らかにうたいあげた歌。

 「雷の丘」は奈良県高市郡明日香村にある雷神が祭られている丘。雷神が住んでいたという伝説のある神の山・聖なる山である。

「いかづち」とは「厳槌」の義で、雷鳴は神が巨大な槌を転ばす音であると信じられた。「いほらせるかも」とは、直訳すれば「仮の庵を結ぶ」意であるが、この歌の場合は、天皇が祭り主として聖なる神の山・雷の丘で國見をされ祭事を齋行されることをいう。つまり、「いほり」とは「齋」(いつき・斎戒<心身を清めて言行・飲食などの行為をつつしむこと>して神をまつること)の意味である。

 「國見」とは、単に國土を望見されるというのではなく、天皇が國土を眺望され國土の繁栄と五穀の豊饒を祈る祭祀儀礼であり、天皇が國見をされることにより國土は新生する。古代人にとって「見る」とは魂の結合を意味した。

 この歌は、「聖なる山の上でまつりごとをされる天皇は、この世における神であられ、あらゆる神霊を従えたもう御稜威(神聖なる霊的威力)輝く御存在である」といふ現御神信仰即ち天皇信仰を歌っている。この信仰は人麻呂個人のものではなく、萬葉人即ち古代日本人に共通する信仰であった。神を祭られる天皇はこの世における神であるというのが日本人の現御神信仰である。

 また、自然を神として拝んだ古代日本人は「雷」も神として仰いだ。それが後世の天神(菅原道真の御霊を祭った神社)信仰につながる。

「神」という漢字は、祭りの対象の意味を表す「示」(神への捧げ物を置く台の象形文字)と、音を表す「申」(稲光の象形文字)とからなる形声字である。つまり、古代支那においても、雷を天の神と考えたのである。

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千駄木庵日乗十月九日

午前は、母のお世話。

午後二時より、広尾にて、奥野誠亮元法相にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。大変貴重なお話を伺った。奥野先生は九十九歳であられる。まことに驚異的なお元気さである。健康法は、ゴルフと麻雀だとのこと。

帰途、銀座で知人と懇談。

帰宅後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年10月 9日 (火)

天皇の国家統治について

 天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されるということではない。統治とは、日本古来の伝統的『やまとことば』では「しろしめす」という。「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。

『續日本紀』に収められている文武天皇の『宣命』には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代」と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。

この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

 「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて信仰的な意義がある。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

それは、天皇が鏡の如く「無私」の御存在であるから可能になるのである。天皇が鏡の如く全てを映し出す「無私の御存在」であればこそ、全てを認識されることができるのである。天皇國家統治の「みしるし」である三種の神器の一つが「鏡」であるのはそのことをあらはしてゐる。天皇は自己を鏡となして一切のものごとを映し出される御存在である。

 近代日本の哲學者・西田幾太郎は、「知と愛とは同じである」と言った。知ることと愛することは一体である。愛とは捨身無我である。自分を相手のために捧げるのが愛の極致である。自分を無にしなければ本当に相手を知ることは出来ないし、愛することもできないのである。天皇陛下の國家統治もご自分を無にされて天下萬民を愛されることなのである。

 先帝昭和天皇陛下が、よく「あっそう」というお言葉をお発しになられたのは、まさに無私と慈愛の心で相手の言う事をお聞きになられお知りになったということである。有難き限りである。

 『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。

明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の國體を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげた。『大日本帝国憲法』は決してドイツから輸入した翻訳憲法ではなかった。『大日本帝国憲法』は、明治維新の輝かしい歴史の所産であり、日本国民の政治的良識の結晶であった。

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千駄木庵日乗十月八日

午前は、母のお世話。母が、気分が悪く、食欲もないので、救急車で病院に赴き、診察を受ける。特に異常は見つからなかった。タクシーで帰宅。母も九十二歳になるので、十分に気をつけなければならない。

帰宅後は、水曜日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備、『政治文化情報』の原稿執筆、明日のインタビューの準備など。

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2012年10月 8日 (月)

現御神信仰・現人神信仰について

天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるということである。

「天津」は高天原からの天津神から継承されている神聖なという意で、「日嗣」は天照大神から伝えられた「日霊」を継承するという意である。 

天皇は、大嘗祭・新嘗祭を通して日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在となられ、天照大神の「生みの御子」すなわち「現御神」として君臨されることとなるのである。

 

天皇は血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するのであるが、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まっている。

 

この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(新論)と言った。日蓮も「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(高橋入道殿御返事)と言っている。現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではないのである。   

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千駄木庵日乗十月七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2012年10月 7日 (日)

『憲法懇話会』の討論内容

本日の『憲法懇話会』の討論内容の一部を報告する。

         〇

「軍の統帥権の源は元首である。軍旗は全て元首が兵に授ける。帝国憲法十一条の「天皇は陸海軍を統帥す」は統帥の源泉を述べたもの。軍・兵力の移動撤収の決定権は、行政府の最高責任者(わが国では内閣総理大臣)にある。兵力発動が決定された後、作戦・用兵の指揮命令は軍事専門家即ち参謀本部もしくは軍令部が行う」。

「統帥権は天皇にあり、内閣総理大臣は天皇の統帥権のうち、監督に関する権限を委任されて代行する。従って、内閣総理大臣は国防軍を指揮監督する際には必ず天皇の御名に於いて行う。実際の指揮監督や国防軍の運用に当たっては、自衛隊法に代わる法律を制定する」。

「元首の本質は最高権力を有することにあるのではなく、国家の人格を全一として表現する自主的表現人格たる点にある。『裁可』『任命』『認証』などの諸権能により、一定の国家行為に権威を付与する『元首としての政治的機能』を有する」。

              〇

憲法に関する小生の考えの一端を記す。

『現行占領憲法』は最も大切な『大日本帝國憲法』の第一条から第三条に成文化された國體条項を抹消した。さらに、『占領憲法』は、『大日本帝國憲法』には無かった西洋国家観に基づく「國民主権論」を明示した上「天皇の神聖性」の規定を削除した。

ゆえに、『現行占領憲法』は、『大日本帝國憲法』の改正限界を大きく超えて國體の基本を隠蔽してしまったのである。その上、日本の國體に全く合致しない西洋の悪しき普遍主義に毒されている。

『現行占領憲法』に貫かれている國家を権力支配組織とする西洋法思想は、日本の國柄とは相容れない。なぜなら日本國は権力國家(統治権力組織)でも利益國家でもなく天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家であるからである。

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千駄木庵日乗十月六日

午前は、母のお世話。

午後三時より、新宿区霞ヶ丘町の日本青年館にて、『青年思想研究会・亡き友を偲ぶ会』開催。緒方孝明議長が主催者挨拶。山口申・阿形充規・犬塚博英・鈴木邦男・山浦嘉久・杉山清一・蜷川正大・長谷川光良の各氏などそして小生が来賓挨拶を行った。

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挨拶する緒方議長

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学副学長が座長。慶野義雄・阿部秀人・田尾憲男の各氏そして小生などが討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年10月 6日 (土)

「皇室典範」及び「女性宮家創設に関する論点整理」について

政府は五日、「女性宮家創設に関する論点整理」を公表した。天皇・皇室は、神聖不可侵の御存在である。天皇・皇室の御事に関して国民や権力機構が、「皇族の身分を与える」とか「与えない」とかを議論したり、決定することは、天皇・皇室への重大な冒瀆であり、國體破壊である。

また、来年の通常国会に「皇室典範改正案」の提出を目指すという事だが、『皇室典範』は、天皇の勅定であるべきであって、議会や権力機構や臣下国民が容喙することがあってはならない。

それもこれも『現行占領憲法』の「(天皇の)地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」などという日本國體を全く否定した規定が根本原因である。

明治二十一年五月二十五日から六月十五日にかけて、枢密院で『皇室典範』について審議が行はれ、井上毅(法制局長官・枢密院書記官長)「皇室典範を以て国会の議に附するときは、人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」と述べた。

今日の状況はまさに井上毅の言った通り「人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」ではないだろうか。

戦後、『皇室典範』が『占領憲法』の下位法になり、皇位継承といふ皇室の重大事が権力機構である衆参両院で多数決によって決められてしまうようになったのは、重大なる傳統破壊・國體隠蔽であり、厳密・厳格に言へば「國體破壊」への道を切り開くものである。

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日本は天皇を祭祀主と仰ぐ人倫国家である

祭祀は「神人合一」の行事であり、無我になって神にまつろひたてまつる行事である。その最高の祭祀主が、天皇であらせられる。即ち、天皇はわが国において最高の無我のご存在であり、清らけく明けきご存在なのである。

天皇の神聖権威(御稜威)と、天皇にまつろひたてまつる国民の尊皇精神・忠誠心が、日本国家存立の原基である。日本国は権力・武力による専制支配によって成立してゐる國ではない。日本が人倫国家である所以である。しかもそれは、神話時代から継承されてきた傳統である。

信仰共同体・祭祀国家の祭祀主たる天皇は、道義の中心であり体現者である。そして、道義の要としての天皇に對し奉り、絶対的忠誠を捧げるのは国民としての「道」であり最高の「道義」である。

新渡戸稲造氏は、「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身をもちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』・矢内原忠雄訳)と論じてゐる。

倫理(人のふみ行ふべき道。人間関係や秩序を保持する道徳)は共同体国家において確立される。共同体の中で生きてゐるからこそ、人間に倫理が必要となる。言ひ換へれば人間が獣ではなく、まさに「人」として多くの人々共に生活するには、倫理が必要なのである。倫理を人倫と言ふのも、人にとって倫理が不可欠だからであらう。

わが国が素晴らしい特質は、倫理・信仰・文化が天皇皇室を中心として継承されてきたところにある。わが國の国柄・國體が万邦無比といはれる所以である。

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千駄木庵日乗十月五日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

午後六時より、日本橋にて、台湾問題の専門家の方と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年10月 5日 (金)

『政治文化情報』平成24年10月号(のお知らせ

『政治文化情報』平成2410月号(平成24920日発行)の内容は下記の通りです。見本誌希望の方はメールにてお申込み下さい。m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

〈皇都の一隅より〉

日韓関係について考へる

李明博の常軌を逸した許し難い発言

韓國の反日感情について

李氏朝鮮は独立國家の体を成してゐなかった

日清、日露戦争は清・露の侵略から日本と韓國の独立を守るために戦はれた

安重根について

日韓併合は決して植民地支配ではなかったし領土拡張でもなかった

李氏朝鮮が真の独立國であったら日本は韓國を併合する必要はなかった

日本統治時代のわが國の努力によって韓國は急速に近代化した

わが國をことさら悪者に仕立て上げ非難攻撃してゐる國と友好関係は結べない

今こそ傳統的民族意識が勃興すべき時である

千駄木庵日乗

ハーバード大學ケネディ行政大學院教授・スティーヴン・ウォルト氏「イスラエルを弱い可哀そうな國と見ることはできなくなった。中東で一番強い國になった。イスラエルを犠牲者とは思えない」

辻井喬氏(堤清二氏)「日本は独立國としてのプライドを持たねばならない。世間がそのことに気が付かなくなっているのが怖い」

この頃詠みし歌

以上のような内容になっております。見本誌ご希望の方はメールにてお申し込み下さい。

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伴林光平の辞世について

文久三年(一八六三)八月に起こった「天誅組の変」に参加し、義挙失敗の後、捕へられ、翌年二月、京都で斬首処刑されたで処刑された國学者・伴林光平は、

君が代は いはほと共に 動かねば くだけてかへれ 沖つしら浪

といふ歌を遺した。この歌は光平が生駒山中で捕らへられ、夜中、奈良奉行所に送られる途中での詠である。まさに絶望的状況の中で、絶対的なる國體への信を歌ったのである。今日において維新を目指す者も、如何なる國難の状況にならうとも、國體は盤石であるとの信念で戦ひ続けなければならない。

民族の歴史と傳統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

今日も、國體の真姿に開顕する事によって危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。わが日本國民が護るべき最高のものは國體であり、変えるべきものは國體の真姿を隠蔽する全ての事象である。

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千駄木庵日乗十月六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『月刊日本』連載中の「萬葉集に歌はれた日本の心」の原稿執筆・脱稿・送付。そして資料の整理、書状の執筆など。

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2012年10月 4日 (木)

占領憲法を破棄と自主防衛体制の構築

『現行占領憲法』の「前文」には「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し…」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの生存と安全を保持しようと決意した」と書かれている。これは「東条内閣の行為によって行われた侵略戦争は二度と致しません。日本国および日本国民が安全を守るのも生存していくのもアメリカ様・ソ連様・中国様というような公正と信義のある国に一切委ねます」という意味である。これは「詫び証文」である。

『現行占領憲法』の「平和主義」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は、武力・戦力・國軍は持たないし武力の行使はしないし戦争はしない」という思想である。

つまり、『現行占領憲法』は、日本國および日本國民は戦勝國に手向かった悪者であり、戦勝國は公正の信義の國であるという文字通りの嘘八百を基本精神にしているのだ。

わが國固有の領土南樺太・全千島を七十年近くも占拠したままのロシア、そしてチベット・東トルキスタン・満洲・蒙古などを侵略支配し台湾及び尖閣諸島などのわが國固有の領土・領海を侵略せんとしている共産支那のどこに「公正と信義」という立派なものがあるというのか。

『現占領行憲法』の「平和主義」とは、有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という戦勝国側の考え方が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。これを一刻も早く廃棄しない限り、わが国は自分自身の手で祖国を守ることはできないのである。

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千駄木庵日乗十月三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは在宅して、諸雑務。原稿執筆。

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2012年10月 3日 (水)

核武装を論ず

「対米自立」は大切である。二國間の「対等な関係」を確立するには、まず以て、軍事的に対等な関係を確立されなければならない。それが冷厳な現實である。軍事面で「対米自立」「日米対等」を實現するには、日本は核武装するしかない。日本民族はその覚悟を持たねばならない。その覚悟がなくして、「対米自立」「日米対等」などと言うのは無責任であるし、実現不可能である。共産支那や北朝鮮からの侵略や軍事的恫喝を防ぐためにも、日本は核武装を推進すべきである。

日本及び日本国民は、中華帝国主義国家・軍事大国支那を政治的・軍事的・経済的に包囲し、アジアにおける支那の覇権確立・侵略支配を防がねばならない。そのためにわが国が主導的立場に立って、海洋国家と協力体制を構築することが大切である。

日本と共産支那とは「戦略的互恵関係」と言われていた。本質的に軍国主義国家であり、一党独裁体制国家であり、軍事的拡張を行っている国と、「互恵関係」など構築できるわけがない。おまけに「戦略的」とは一体どういうことなのか。全く価値観の異なる国と「戦略」が一致するわけがない。こんな言葉の遊びは甚だ危険である。

支那に対する怒りが抑え難い。それと共に、わが国内で反基地・反米闘争、反核運動を行っている者共は、共産支那の侵略策・領海侵犯・核兵器に対しては何の抗議も反対運動も行わない事にも無性に腹が立つ。

共産支那に如何に対処し対峙するかが、わが日本の独立・安全を維持するために最大の課題である。そのためにも核武装は不可欠である。

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千駄木庵日乗十月二日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後七時より、新九段下沙龍にて『憲法勉強会』開催。『大日本帝国憲法』を逐条的に勉強した。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年10月 2日 (火)

猪瀬直樹東京都副知事の講演内容

九月二十四日に行われた『呉竹会・アジアフォーラム』における猪瀬直樹東京都副知事の講演内容は次の通り。

「南鳥島・小笠原・沖ノ鳥島・硫黄島は全て東京都。環境調査のノウハウを東京都は持っている。中国から見ると、日本列島に出口を塞がれている。我々から見ると津波を防いでやっている。

昭和十六年、若手官僚や軍人が集まり模擬内閣を作って日米戦のシュミレイションを行った。三、四年で日本が負ける、ソ連の参戦も想定。『デイリーテレグラフ』の記者が『太平洋大戦争』という本を書いた。緻密で正確な本。

自衛隊の駐在武官は自衛隊に直接報告できない。諜報活動をしてせっかく見つけた情報を外務省に送る。

一八八六年長崎事件が起こった。当時世界最新鋭艦と言われた清国の『定遠』に乗り組んでいた清国の海軍兵士が長崎市に上陸して大暴れした。一八九四年に日清戦争が起った。一八九八年の米西戦争の結果、フィリッピンをアメリカが領有。

一八一一年(文化八)に国後島で捕らえられ、北海道松前で二年余にわたって拘禁生活を送ったロシア提督ゴロウニンが記した手記『日本幽囚記』には『日本人忍耐強く、世界で最も聡明な民族であり、勤勉で万事に長けた国民』であると書いた。

トロイアの遺跡を発掘したシュリーマンは、慶応元年(一八六五年)に日本を訪れた。彼は自著に『清国では船頭に船賃を四倍取られたが、日本の船頭は規定通りしか受け取らなかった』と書いた。中国人はイオンを襲撃、略奪した。民度の問題。

清国は『定遠』という立派な船を持っていても操り方を知らなければ勝てない。日本は勝った。日本は賠償金でましな軍艦を買った。フィリッピンの基地を奇襲されたらアメリカは手も足も出ない。日本脅威論が起った。日本も次の脅威はアメリカだと思うようになった。

中国は海の戦争をしたことがない。戦後日本は歴史や戦争の勉強をして来なかった。外国は日常的に戦争史を学んでいる。

第一次大戦は四年間毎日殺し合いをした。毒ガス、飛行機などが使われた。二千万人が死んだ。殺戮の四年間。要するに地獄。EUが生まれたのもこういう流れがある。日本は総力戦を体験しなかった。海軍はグローバルスタンダード。過去の歴史は戦争の歴史。黒船以来の百五十年は太平洋の覇権を誰が握るかの歴史だった。自衛隊は中国より戦力が上。

管さんは総理就任後一か月経っても三軍の長に会っていないことが石破さんの質問で分かった。敵から見れば民主党内閣は弱いと分かった。田中真紀子の旦那を防衛大臣にした。敵は今がチャンスと思った。玄葉外相は媚を売っているだけ。国有化は中国では言語の響き方が異なる。その結果がイオンが襲撃されるような事態。

中国人は反日教育を受け、日本人の若者は歴史を知らな過ぎる。東京都は江戸から現代までの歴史を必修にした。

国有化したらこういう反発がある、それにはこういう対処をするという戦略が立っていない。官邸の威光が無い。役所が言う事を聞かない。米中韓が政権交代する前に総選挙をして新政権を作るべし」。

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千駄木庵日乗十月一日

午前は、母のお世話。

午後一時より、六本木の国際文化会館にて、田母神俊雄元航空幕僚長にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2012年10月 1日 (月)

国難を契機として、祖国の大変革を断行すべきである

自然災害、原発問題、朝鮮・共産支那・ロシアによる我が国固有の領土への侵略行為など今日の日本はまさに国難に遭遇している。

しかしこの国難を契機として、国防・安保に関して万全の態勢を確立しなければならない。『現行占領憲法』の「前文」に書かれているいわゆる「平和主義」は現実無視の危険千万な思想であることが明白になった。

国防の基本に祖国に対する誇りがなければならない。東京裁判史観・自虐史観・大東亜戦争侵略論によるマインドコントロール・呪縛から脱却しなければならない。

専守防衛・非核三原則も根本から見直すべきだ。わが国も弾道ミサイル導入すべきだ。

沖縄へのオスプレイの配備も必要性だ。絶対に落ちない飛行機やヘリコプターなど存在しない。自動車は事故が起こるかに乗るなというのと同じような無茶苦茶に理屈は否定すべきだ。

沖縄でオスプレイの配備に反対している人たちは、もともと米軍反対、自衛隊反対の親支那的な人たちが圧倒的に多いという。「オスプレイ反対動」は支那の謀略と考えるべきだ。

「集団的自衛権」とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力を持って阻止する権利」とされる。国連憲章51条は、国家が「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を有すると定める。政府解釈では、国連憲章の上からは、日本も主権国家であることから「当然集団的自衛権を持っている」とし、ただ、日本の自衛権は憲法上の制限に従って行われ、自衛権の行使は必要最小限度の範囲にとどまるべきものであるため、「集団的自衛権を行使することは…憲法上許されない」とする。こんなことが許されるのか。日米安保があり日本にアメリカの軍事基地があること自体、集団的自衛権の行使ではないのか。『現行憲法』など無視あるいは解釈改憲して、集団的自衛権を行使を認めるべきだ。

わが国は国難が起こる度に、それを乗り越え変革を実行し一層の発展をしてきた歴史を持つ。大化改新・元寇・明治維新の歴史を見ればそれは明白である。決して共産支那・ロシア・韓国に負けてはならない。また負けることはあり得ない。

今日の国難を契機として、祖国の大変革を断行すべきである。

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千駄木庵日乗九月三十日

午前は、母のお世話。

午後三時より、新橋生涯学習センターにて、『第二十六回日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が司会。瀬戸弘幸氏と小生が講義。活発な質疑応答が行われた。台風接近のため懇親会は行われず解散。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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