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2012年9月10日 (月)

『日王』などと呼ぶこと自体、神聖君主日本天皇に対する一大不敬である

日本天皇の御事を『日王』などと呼ぶこと自体が、神聖君主日本天皇に対する一大不敬であり、侮辱である。

「王」とは、武力・政治力・経済力などによって政治権力を行使する者のことを言う。力によってその地位につき、力によって国を支配するのが「王」である。わが国においては、「足利将軍」「徳川将軍」である。彼らは、外交交渉に当たって自ら「日本国王」と称したこともある。

また「王」とは、儒教などの道義感覚=君徳を身に付けた覇者のことである。従って、道義精神・君徳を失うと「王」たるの資格をも喪失する。つまり「易姓革命」が行われるのである。

日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」としての神聖権威によって日本国を統治される至高の御存在であり、「現御神」「天子」であらせられる。天皇その方が地上における天の神の御代理であらせられ、天皇の御心が天意なのである。全くその御本質が「王」とは異なるのである。

皇道大本の「お筆先」に「王天下はなごうは続かんぞよ」とあった。これを当時の官憲は「天皇の御代が長く続かない」という意味と解釈した。しかし、天皇は」「王」ではない。「皇道大本」は、「王道」ではなく「皇道」を絶対としていた。「権力者による政治は長くは続かない」という意味であった。

韓国の大統領と称する権力者は、まさに長くは続かないばかりでなく、辞めた後、囹圄の身になるか、外国へ逃亡するか、自殺するのを通例とするのである。それが嫌で、李明博は「反日の英雄」になるべく、竹島に上陸し、「今上陛下誹謗発言」を行ったのである。

野田総理は李明博と握手などするべきではなかった。

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