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2012年9月30日 (日)

日本が今日の国難を乗り切るためには、核武装は不可欠である

元航空幕僚長の田母神俊雄氏の『自衛隊風雲録』という著書を読んだ。次のような重大なことが書かれていた。

平成二十年八月、田母神氏が訪米して当時の米空軍参謀総長シュワルツ大将と会談した時、田母神氏が、「日中間に尖閣を巡って紛争が起きたら、アメリカは本気で日本を支援するか」と訊いたら、シュワルツ大将は「イエス」と答えた。田母神氏はさらに踏み込んで「その時、中国が『アメリカが日本を支援するならワシントンかどこかアメリカの都市に核ミサイルを撃ち込む』と恫喝して来たらどうなるか」とシュワルツは「そういう事態にならないようにしたい」と答えた。

この事実を記した後、田母神氏は次のように論じている。

「この言葉の本意を端的に説明するなら、日本のどこかの遠い小島が侵略されても、アメリカ本土が核の脅威に晒されるなら、アメリカ軍は出て行かないということである。この事は私が逆の立場であっても当然だと思う。いかなる同盟国であろうとも、他国の小さな島の紛争で、自国が核の脅威に晒されたり、自国の兵士が血を流すことを避けたいと考えるのは、軍のトップとして常識だ。」「シュワルツ大将の本音に従うならば、日本は本気で核兵器を持つことを追求しなければならないということになる。核兵器を持って、日本自身が『やるんだったら、やってみろ』という態勢を取らない限り、国の安全は守れない」。

さらに田母神氏は次のように論じている。

「『核を持てば日本は破滅の道を辿る!』と主張する人間は、反日的思想の持ち主か、知らずにそういう思想に毒されてしまった人たちだ。それが証拠にそういう人たちは、中国の核批判を声高にすることは決してしない。」「核を保有しない国はギリギリのところで、核保有国の意思に従属させられてしまう。従って私は、日本も核兵器を持つことを本気で追及すべきだと考えている」。

実際に国家防衛にたずさわっていた人の主張であるので説得力がある。「自主防衛体制確立」「対米自立」「共産支那の日本及びアジア侵略策謀の粉砕」のためは、核武装は不可欠だと思っていた私の考えは間違ってはいなかったと実感した。「外交は華麗に礼装した軍事である」「天は自ら助けるものを助ける」という言葉がある通り、日本が今日の国難を乗り切るためには、核武装は不可欠である。

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千駄木庵日乗九月二十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後二時より、靖国神社境内の靖国会館にて、「第三回先哲の学ぶ会」開催。永江太郎氏(元防衛研究所戦史部主任研究官)が挨拶。但野正弘氏(水戸史学会理事)が「継承された水戸の心」と題して講演。質疑応答。久しぶりに田久保忠衛氏とお会いする。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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2012年9月29日 (土)

この頃詠みし歌

病床でつらいよとのたまひし父の言葉わが耳朶にあり 父よ安かれ

魂は永遠といふを信じつつ生きませる父を偲ぶ日日

重き曲『ショスタコビッチ第五番』自由圧殺の響きとし聞く

根津権現の神輿練り歩く夜の街 近所の人らの笑顔輝く

秋来たり冷気感ずる夜の更けにさらさらと鳴るわがペンの音

ともかくも尖閣死守し侵略を打ち砕くほかすべなかるべし

岡田克也の父親の店が襲はれぬ 民主党政権の愚かさの果て

いよいよに日支対決の時来たる 大日の本よ負けるべからず

夜の更けに雷とどろきて一心にもの書きてゐる我を励ます

歌詠むと机に向かへば地が震ふ 国土安穏ただ祈りたり

暑さ寒さも彼岸までとぞ ようやくに涼しき風の吹き来る夕べ

安重根の見事なる書を眺めつつ日韓の悲しき歴史を偲ぶ

歯科医師も床屋も豆腐屋も皆共に幼馴染であるが楽しき

ふるさとは今我の住む千駄木の町にしあればうれしかりけり

雨降りて濡れし参道歩み行き花を捧げてみ墓拝ろがむ

ようやくに涼しくなりし彼岸の日父の眠れる墓を清むる

ゲリラ豪雨に一日に二回遭遇すこれでわが身も淸まるらむか

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千駄木庵日乗九月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、諸雑務。

午後六時より、ANAインターコンチネンタルホテル東京という長い名前のホテルにて、「衆議院議員平沢勝栄政経文化セミナー」開催。石原伸晃、野田毅、茂木敏充、山本一太、甘利明、松木謙公、浅香光代、岩部金吾、小林節、岩見隆夫の各氏らが祝辞を述べた。

平沢勝栄氏が挨拶し、「国民目線を失ったから自民党は敗れた。私は東京の小選挙区でただ一人勝たせていただいた。管直人氏、鳩山由紀夫氏などが私の選挙区に来て、『民主党が勝てば景気が良くなる。賃金が上がる。高速道路がタダになる。無駄を省けば金はある』などと演説した。そんな話を信じないで私を支持してくれた。葛飾・江戸川の人は民度が高い。自民党は新しい政治をつくる。日本は年寄りを差別しすぎる。アメリカには『年齢差別禁止法』がある。高齢化社会では高齢者の人脈・経験・知恵を生かさねばならない。領土問題の根柢には日本の国力の低下がある。私たちは一番を目指すべし。二番では駄目。そのために自民党が頑張らねばならない」と語った。

会場では多くの同志・知人・友人に会った。

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帰途、赤坂で、友人夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年9月28日 (金)

安倍晋三氏に切に望む

安倍晋三氏は、「戦後レジームからの脱却」を主張している。レジームとは体制の事だ。七〇年代、活発に展開された民族派学生運動の中心スローガンは、「戦後体制打倒」「ヤルタポツダム体制打倒」であった。安倍氏のブレーンには、民族派学生運動で活躍した人たちがいる。私は、安倍晋三氏は今の自民党政治家の中では最もまともなそして期待すべき政治家であると思う。

「真正保守」という言葉がある。本物の保守という意味であろう。偽物の保守とは現状維持・戦後体制維持勢力だ。真正保守とは一言で言えば「國體護持」である。それはあるべき日本の眞姿の回復と言い換えてもいい。そしてその日本の眞姿の回復はそのまま現状の革新なのである。「維新とは復古即革新である」と言われる所以である。「復古」の「古」とは時間的過去のことではない。日本のあるべき姿、天皇国日本の眞姿の事である。

今日、日本國體・日本の眞姿を隠蔽しているのが「戦後レジーム」「戦後体制」である。「戦後体制打倒」「戦後レジームからの脱却」とは、つまりは「維新」という事だ。

わが國は悠遠の歴史を有している。三千年に及ぶ歴史を貫いて来たわが日本の傳統精神、民族の精神的核に立ち返って、現状を正しく観察し、変革の方途を見出す精神が維新である。

我が國は過去において何回か國家的危機に際會し、見事に乗り越えて来た。外圧によって國家の独立が危殆に瀕した時、強烈な民族精神・尊皇精神が勃興し、変革を断行し、危機を打開して来た。

大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行はれた。元寇=蒙古襲来の時、日本國民は愛國心を燃え立たせ神國意識を強固なものとした。それは建武中興へとつながった。明治維新は欧米列強による侵略の危機があった時に行はれた。

今日においてもわが國の本来の姿に回帰することによって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。

民族の歴史と傳統の精神を基本原理とする日本の革新即ち維新は、それを志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって實現する。

わが日本國民が護るべき最高のものは傳統精神であり、変えるべきものは国家民族の真姿を隠蔽する全ての事象である。

安倍晋三氏は、かかる維新の精神を継承している政治家であると期待する。もう一人真正保守の政治家、維新を目指す政治家がいる。平沼赳夫氏である。私は、安倍氏は平沼氏にも大いに協力を求めるべきと思う。

自民党左派、民主党左派・朝日新聞をはじめとする偏向メディアなどの国内の亡国勢力、そして国外の反日勢力が、安倍氏に対して総攻撃を開始するであろう。これに打ち勝って自ら信ずる道を正々堂々ぶれずに突き進んでいってもらいたい。

安倍氏の郷土・長州の大先輩である吉田松陰先生はまさに維新の精神を生き、維新のために命を捧げ、そして維新実現の原動力になった方である。私は、安倍晋三氏に、吉田松蔭先生の精神を継承して祖国の再生のために獅子奮迅の戦いをしてもらいたいと切に望む。

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千駄木庵日乗九月二十七日

午前は、母のお世話。ケアマネージャーの方が来宅。今後の母の介護について相談。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事(インタビューの打ち合わせ・準備、原稿依頼の確認など)。そして原稿執筆。

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2012年9月27日 (木)

自民党総裁選挙に思う

安倍晋三氏が自民総総裁選に勝利した。まあ良かったと思う。一番心配なのは健康であるが、なかなか元気そうに、自己の信念と抱負を語っていた。今後の活躍に期待したい。

石破茂氏は、歴史観に大きな問題がある。しかし、今の自民党の中では、政策面でも、体力面でも突出している人ではないか。私のかなり前から彼の講演を聞いているが、歴史観は別としておおむね首肯できることを言っていた。

石原伸晃氏は、父上と比較するとどうしてもかなり見劣りがする。「巧言令色少なし仁」という言葉を思い起こす人物である。彼が憲法・国防・歴史観など国家基本問題で、はっきりしたことを言うのを聞いたことが無い。そこがオヤジと違うところだ。もっとも父上の慎太郎氏も、ナショナリストであることは確かだが、皇室・靖國神社昭和殉難者合祀についてはまことにおかしなことを言っている。

今後は、共産支那・南北朝鮮・台湾親支那勢力との戦いに打ち勝つために、そして民主党亡国政権打倒のために安倍氏と石破氏とが結束してやっていくしかないであろう。

ただ当たり前のことであるが、私は昔から自民党という政党を全面的には信頼しないことにしている。

ともかく、非力の私がこんなことを言うのは不遜の誹りを免れないが、自民党に総裁に誰がなろうとも、我々は民主党政権と亡国メティアなどがもたらした祖国日本の窮状を打開するための戦いをより一層強めねばならない。

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千駄木庵日乗九月二十六日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。そして原稿執筆の準備など。

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2012年9月26日 (水)

「国難ここに見る 平成二十四年秋の頃」

尖閣諸島・魚釣島沖の領海内に、約四十隻の台湾漁船が相次いで侵入した。これには台湾の海岸巡防署(海上保安庁に相当)巡視船も同行し、わが国の巡視船と水をかけ合ったという。水でなく実弾だったら完全に戦闘状態に入ったであろう。

昔、蒋介石は『中国の中のソ連』という本を出した。今回の台湾船の領海侵犯は、『台湾の中の中国』勢力が引き起こしたものであろう。支那大陸で金儲けしている台湾企業が資金を出したという。しかし、巡視船が同行しわが国の海上保安庁の巡視船に水をかけたという事は、「中華民国政府」がわが国に敵対行動を起こしたという事である。

こうした事態そして国連での共産支那・韓国の動きなどを見ると、日本は、韓国・共産支那・台湾親支那政権という三つの敵に囲まれたという事である。わが国政府は冷静に対応というが、この事実は否定できない。まさに「国難ここに見る 平成二十四年秋の頃」である。

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渡邉允宮内庁参与(前侍従長)の講演内容

『第九回日本学協会講演会』における渡邉允宮内庁参与(前侍従長)の講演内容は次の通り。(小生のメモと記憶に基づいて書きました。言うまでもなく文責は小生にあります。)

            〇

「昭和六十二年、当時の皇太子殿下同妃両殿下が御訪米された時、外務省北米局長としてお供した。私としてはそれが、両陛下にお仕えした最初。外国御訪問のお世話をする仕事をする外務省儀典局長になった。平成六年、両陛下は二回外国に行かれた。初夏にアメリカ、秋にフランス・スペインに行かれた。儀典局長としてお供をし、両陛下にお仕えした。翌年の平成七年式部官長になった。阪神淡路大震災の時、侍従長拝命。十年半お仕えした。

両陛下のなさっていることは、報道されていることと、報道されていないことがあり、報道されていないことが圧倒的に多い。それを国民が知る事が出来ないことが心配。

両陛下は、お正月はお忙しい。元旦には午前四時半に神嘉殿の前庭で『四方拝』を行われる。伊勢の神宮をはじめとして四方の神々をお祭りされる。寒くてまだ真っ暗。神主の御装束を召される。『四方拝』の後、宮中三殿で『歳旦祭』が行われる。一月最初のお祭り。賢所・皇靈殿・神殿の宮中三殿は、陛下のお祈りの場。

いったん御所に戻られた後、祝賀を受けられる。一日中燕尾服に勲章をつけておられる。皇后陛下は勲章と冠をかぶられる。一日の夕方、皇族方が集まられて正月のお祝いをされる。二日は、皇居一般参賀が行われる。五十分に一回お出ましになり『お言葉』を述べられ、祝賀を受けられる。毎年必ず、これまでの一般参賀の時の『お言葉』をご覧になり、その年の『お言葉』をお決めになり仰せになる。陛下としては一語一語考えて仰せになる。

一般参賀の時、ブラジルの国旗を持った車椅子の人がいたら、『大丈夫か』とご心配になった。また、両陛下の御前で倒れられた人がいたら非常にご心配になり、『どうしたか』とご下問があり、『無事家に帰りました』と申し上げると、『大丈夫ですか』という伝言をするように仰せになった。

三日は、国と国民の繁栄を祈る『元始祭』が行われる。天皇陛下は毎日その日の初めに神を祭られてこられた。今日でも毎日侍従が宮中三殿にご代拝し拝礼が行われている。『新嘗祭』では二回にわたって二時間正座される。

陛下は東日本大震災の前から、環境問題と節約のためにクールビズを実行された。皇居内で自動車を運転される。制限速度を必ずお守りになる。ある時は、『免許証を忘れて来た』と仰せになり御所に戻って来られた。

昭和五十年の海洋博の時、屋良朝苗知事は、両陛下を心を尽くしてお迎えした。ひめゆりの塔でああいう事が起った。屋良知事は声涙倶に下るお見舞いの言葉を申し上げた。両陛下は『屋良さんこそ大丈夫ですか』と仰せになった。屋良さんが亡くなられた時、陛下は『花輪を贈りたい』と仰せになった。私は、『基準に当てはまらない』と申し上げたら、陛下は『それはおかしい』と仰せになった。陛下は穏やかな方で叱られたことはない。しかしその時だけは叱られた。仰せの通りにした」。

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千駄木庵日乗九月二十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、及び諸雑務。

夕方、地元の友人夫妻などと懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年9月25日 (火)

「むすびの神」について

天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。「ムス」は生き物が自然に生ずる意、「ビ」は靈力の意であるといふ。また、「生産」「生成」を表はす「ムス」と「神靈」もしくは「太陽」を表はす「ヒ」との合成であるといふ説もある。ともかく高御産巣日神、神産巣日神は、生命力の根源の神である。本居宣長は「凡てものを生成(な)すことの靈異(くしび)なる神靈(みたま)」としてゐる。高御産巣日神は男系の神であり、神産巣日神は女系の神であるとされる。

「むすび」は、生命の根源である。ゆへに「結び」を産靈とも書く。人間の生命は男と女がむすぶことによって発生する。「息子(むすこ)」「娘(むすめ)」の語源も「生す子」「生す女」である。男と女がむすぶ(和合する)ことによって新たに生まれた生命が「むすこ」「むすめ」である。

また、「むすび」は日本傳統信仰(神道)の根本原理の一つである。自然物を生み成し、結び合ふ靈性・靈力を「むすび」といふ。

「むすび」「むすぶ」といふ言葉は信仰的意義を離れても、「おむすび」「紐をむすぶ」といふ言葉がある通り、「離れてゐるものをからみ合はせたり、関係づけたりしてつなげる、まとまって形を成す」といふ意味で日常生活において使用される。

「庵をむすぶ」「巣をむすぶ」といふ言葉があるが、庵はいろいろな木材や草を寄せ集めむすぶことによって作られた。そのむすばれた庵や巣の中に人などの生きもの・靈的実在が生活する。つまり生きものの生活は「むすび」の力によって可能となる。

折口信夫氏は「むすびめしは、古代の人は靈的なものと考え、米そのものを神靈と考えている。神靈である米をにぎって、更に靈魂を入れておくと考えた。…それが人の身体へ入るともっと育つ。…水をむすぶのは、禊、復活の水を与えるとき、靈的水をあの形で人の中に入れたのだろう。靈魂のある水を掌のなかへ入れて、発達させておいて人の中に入れる。そして『むすび』の作用をさせる。」(『神道の靈魂思想』)と論じてをられる。

『國歌君が代』の『苔のむすまで』の「むす」、大伴家持の歌の「草むすかばね」の「むす」も、「生産する・生える・生ずる」といふ語と同根である。

西角川正慶氏は、「むすびなる語源は結びに外ならず、靈魂を肉体に来触せしめて、生命力を新たにすること、即ち神の持たるる靈威を宿らしめていることで…鎮魂にほかならぬ。…神話に於ても、天子の重大儀また危機に際しては、天神の御教へと共に、常にこの神の発動がある。」(『神道とはなんぞ』)と論じてをられる。

「むすび」といふことが可能なのは“本来一つ”であるからである。この“むすびの原理”(それは愛・和合・調和・合一と言ひ換へても良いと思ふ)といふものが天地宇宙生成の根源神=造化の三神の中に内包されてゐるのである。天之御中主神を中心とする造化の三神は具体的なお働きをされ、日本人の信仰生活の中心にましますに神であられる。

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千駄木庵日乗九月二十四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。歯科に赴く。医師は小学校の同級生のご子息なり。

午後六時より、永田町の憲政記念館にて、『呉竹会・アジアフォーラム』開催。頭山興助会長が挨拶。猪瀬直樹東京都副知事が講演。興味深い講演であった。内容は後日報告します。

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講演する猪瀬氏

帰宅後も、諸雑務。

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2012年9月24日 (月)

媚中政治家に問う

『日中友好の金の橋』とやらを築いたと大宣伝していた池田大作は今こそその影響力を行使して「日中関係」を改善すべきではないのか。しかし彼は何もしない。

大勢の子分どもを引き連れて共産支那に行き、胡錦濤と写真を撮り、支那のと関係の深さを得々とアッピールした小沢一郎は一体何をしているのか。

媚中政治家・野中広務・加藤紘一は何をしているのか。今こそその「影響力」を発揮すべき時ではないのか。

しかし彼らは何もしない。否、できないのだ。馬鹿な奴らである。野中と小沢は天敵だが、共に売国政治家だ。野中などは支那訪問を拒否されてしまった。相手にされていないのだ。

支那や韓国の媚を売ってもいざという時、なんの役に立たない。媚中政治家の責任は実に大きい。

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国難と大和魂

「大和魂」とは大らかな包容精神であって、「大和魂」といふ言葉に表現される精神は実に奥行きが深く幅が広い。「大和魂」即ち日本伝統精神とは、「清らけく明らけき心・素直な心・無私の精神・もののあはれを知る心」である。

「和魂洋才」とは、西洋列強の東亜侵略に対峙しこれを撃退するためにも、西洋列強の先進的部分は大いにこれを取り入れ学ぶべきとする態度である。こうした態度が日本を救ったのである。

徳川斉昭は、嘉永六年(一八五三)に幕府に提出した『十条五事建議書』において「外国の長ずるところをとりて御用被成候はゞ、却って神国の広大なる所に有之、既に五経博士(註・儒学で尊重する五部の経書(けいしょ)即ち易・書・詩・礼・春秋の文義に精通してゐる学者。漢の武帝が任じたのにはじまり、わが国には継体・欽明両天皇の頃に来朝した記録があるといふ)を始め種々の職人共、追々三韓(註・朝鮮古代の三つの国。高句麗、百済、新羅)より献上爲致候儀、古史に的例有之、聊かも苦しからざる儀と存じ候。一体夷狄は新工夫に長じ、扨右細工を見取り候て製造致し候事は、神国の長ずる所に候事は、蒸気船抔も追々彼に勝(まさり)候製造出来可申、第一委細に其製を明らめ居候得ば、彼を打破候心得にも相成り、一挙両得とも可申候。」と論じてゐる。

斉昭は、頑迷固陋な排外主義者のやうにいはれてゐるがさうではない。斉昭が「一体夷狄は新工夫に長じ、扨右細工を見取り候て製造致し候事は、神国の長ずる所に候」と論じてゐるのは、我が國の古代以来の誇るべき特性を言ひあててゐる。わが国は太古以来きはめて柔軟に外国文化文明を摂取し、吸収し、わがものとした上でさらにそれを洗練し向上させて来た。

日本は、外来文化文明を自由に柔軟に輸入し発展してきただけではない。太古以来の伝統を消滅させずにこれを現代に至るまで継承してきた。天皇を祭り主と仰ぐ國體はまさに今日に至るまで消滅する事はなかった。現代世界の所謂先進文明国家中でも太古以来の伝統を保持してゐる国は他に存在しない。

今日、日本は内憂外患の危機に瀕してゐる。かかる時にこそ、柔軟にして強靭なる「やまとごころ」「大和魂」を発揮すべき時であると信ずる。すなわち、日本伝統精神に回帰しそれを大いに興起せしめ、さらに外国の文化文明を日本化して国を強化し、我が國の独立と平和を守らねばならない。

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千駄木庵日乗九月二十三日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、神田学士会館にて、『第九回日本学協会講演会』開催。永江太郎氏が司会。市村真一氏が開会の挨拶。所功氏が講師紹介。渡邉允宮内庁参与(前侍従長)が「天皇皇后両陛下にお仕えして」と題して講演。質疑応答。内容は後日報告します。

帰宅後は、諸雑務。

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2012年9月23日 (日)

我々が愛する国家とは

「國家」といふ言葉は「漢語」であるが、「やまとことば」には「クニ」といふ言葉がある。この「クニ」といふ言葉は「懐かしい故郷」といふ意味で用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」「クニの父さん、母さん」と言ふ時は、故郷といふ意味である。英語でいふと「country」である。ところが「クニに税金を取られる」という時の「クニ」は、行政機構・権力組織のことである。英語でいふと「state」である。

「母國」とか「祖國」とかいふ言葉で表現される一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同體が、我々が懐かしく思ふ「國」である。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなはち「家」である。「國」と「家」は一體である。ゆゑに「國家」といふ言葉が生まれたのではなかろうか。

我々が愛する國とはやはり「懐かしい故郷」としての國家であり、権力機構としての國家ではない。税務署や警察署を懐かしく思ひ愛着を抱く人はそんなに多くはないだらう。そこを職場にしてゐる人以外は皆無に近いと思ふ。

権力機構としての國家を否定することは或いは可能かもしれない。例へば「腐敗堕落した官僚や政治家が好き勝手なことをしてゐるから税金なんか納めない」と主張し、それを實行することは可能である。(勿論それによって権力機構から制裁を加へられるだらうが…)しかし、「父祖の國」「母國」と表現されるところの「國」に生まれ育ち生きてゐる事實は否定できない。

わが國のやうに建國以来三千年の歴史を持つ國においては、無理に英語を用いて定義を分けなくても「國家とは悠久の歴史を持ち、日本國民が生まれ生活してきたところ」といふのが自然の観念である。

國家を否定し、國家を破壊する運動を展開してきたのが共産主義革命運動である。これは、マルクスの「我々が國家を持つのは資本主義においてのみである」「國家は少数者による多数者に對する支配と搾取の體制」「國家は人間疎外の装置」といふ思想による。

しかし、共産主義國家こそ、多数者による少数者の搾取を行ひ、人間疎外の装置として國民を圧迫し苦しめてきたことは、旧ソ連・共産支那・北朝鮮を見れば明らかである。権力無き社會の實現を目指して戦った共産主義勢力は、その結果として強大にして残虐無比な権力國家を作りあげた。

また、共産主義社會の實現を目指し反國家闘争を繰り返してきた日本國内の共産主義勢力は、仲間内で恐るべき闘争を繰り返し互ひに殺し合ってきた。

社民党や共産党など國家否定を目的とする左翼革命勢力こそ、権力國家の建設を目指し、外國の権力國家の侵略に協力してきた。戦後日本における「反國家・國家破壊の思想と行動」は惨禍しかもたらさなかったのである。

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千駄木庵日乗九月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓を掃苔。線香と花を供え、拝礼。ご加護とご冥福を祈る。帰途、親族と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。次号の原稿執筆依頼なり。

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2012年9月22日 (土)

愛國心について

わが國における愛國心とは、時代を無視した頑なな排外思想ではない。吉田松陰をはじめ多くの維新の先人たちは世界の状況・時代の趨勢を正しく把握しやうとしてゐた。松陰は敵たるアメリカを認識せんとしてアメリカ渡航を實行しやうとした。吉田松陰が安政三年三月二十七日夜、金子重輔と一緒に下田来泊のペリーの米艦にて米國に渡航せんとしたことは、攘夷とは排外・鎖國を専らとするのではなく、日本が外國の支配下に入ることを拒み、独立を維持するために、外國の進歩した文物を學ぶことを要するといふ開明的な考へ方であった。維新後の開國政策の下地はこの頃からあった。古来、わが國が外國文化・文明を柔軟に包摂して来たのは、日本民族の根底に強靭なる傳統信仰があったからである。

今日わが國は、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になってゐる。それは明治維新前夜よりも深刻な状況である。そして人々の心の中に不安と空虚感が広まっている。これを克服するためには、日本民族としての主體性・帰属意識を回復する以外に無い。今こそ愛国心が勃興すべき時である。

愛国心とは、将来へ向けて自國・自民族が独立を維持するための精神であって決して回顧的なものではない。また、決して不潔なものでも、手垢にまみれたものでも、危険なものでもない。これからの日本のために欠くべからざるものである。

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千駄木庵日乗九月二十一日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、『政治文化情報』発送準備など。

午後六時半より、新宿文化センター大ホールにて、深見東州総合芸術監督作品『オペラ・ドン・パスクワール』公演鑑賞。

帰宅後は、諸雑務。

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2012年9月21日 (金)

鈴木邦男さんの「愛国」論について

鈴木邦男氏は、生長の家活動をしていた頃からの先輩です。もう四十年以上のお付き合いです。色々お世話になりました。若き日の私にとって鈴木さんは見習うべき先輩であり、指標でもありました。我が儘でいろいろ失礼な言動の多い私の事も広く包容して下さいました。有り難いことでありました。今でも深く感謝しております。先日も「一水会四十周年」の会合をご一緒に実行委員を務めました。

『朝日新聞』九月十九日号の「オピニオン・耕論」という記事で、「愛国」と題して鈴木さんが語っておられます。色々考えされられるご意見でしたが、納得できない事、私とは意見が大きく異なることを語っておられます。お世話になった先輩を批判することは本来慎まねばならないのですが、今回ばかりは黙し難く、少し書かせていただきます。

「愛国」「排外主義」「自国愛」いう言葉についての鈴木さんの考え方は全面的に否定することはできません。しかし私は「愛国」という言葉が好きです。何しろ幼い時に深く共鳴し影響を受けた政党は『大日本愛国党』そして赤尾敏先生なのですから…。赤尾先生が「アカの手先はソ連へ行け。馬鹿野郎」と左翼のデモ隊を叱咤する姿に感動したことを昨日のように思い出します。

鈴木さんの今回の主張で最も気になったというか、私とは見解が全く違うと思ったのは次の言葉であります。

「日本はアジア諸国に対し、弁解のしようのない失敗を犯してきた」「愛国を訴える政治家は多くいます。…愛国を訴えて、立派な政治家と思われたいのでしょう。あまりにも不純、卑劣な態度です。国民生活を豊かにできない自らの無能を隠すために愛国を利用する卑怯者です」「多様性・敵対性もすべて含めて抱きしめる心。それが、日の丸掲揚や靖国参拝の回数では、はかれない真の愛国だと思います」。

日本がアジア諸国に対して犯した弁解のしようのない失敗とは具体的にはどのようなことを指すのでしょうか。私には全く分かりません。間違った歴史観を批判することが「心の痛みを伴わない愛国心」とは決して思いません。

「愛国」を訴える政治家は多くはいません。鈴木さんは、石原慎太郎・安倍晋三の両氏を念頭に置いてこういうことを言ったのでしょうか。私は石原・安倍両氏が不純・卑劣・無能とは決して思いません。

日の丸を仰ぐと、私は清々しい広い心になります。太陽のような温かい心を持たねばならないと実感します。靖国神社に参拝すると、英霊に対する感謝の心が自然に湧いてきます。厳粛な心になります。靖国神社に参拝して、敵対心や排外主義が湧いて来たなどという事は一度もありません。

日本という国はもともと敵対する人々や国家を広く包容していく心を持っています。鈴木さんはその事を言いたかったのかもしれませんが、やはり納得できないことが多く語られていました。いずれ詳しく論じさせていただきたく存じます。

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千駄木庵日乗九月二十日

朝食を済ませ、同志と懇談した後、宿舎を出発。新幹線で東京に戻る。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

夕刻、改装のためしばらくの間店を休むという馴染みの酒房に赴く。ご夫婦と息子さんで切り盛りしている安くて美味しい良き店である。地元出身で、息子さんは小生と同じ千駄木小学校、御主人は隣の汐見小学校出身。この店のもつ焼きと煮込みは絶品です。刺身もうまい。値段は安い。言うことなし。

夜も、発送準備。

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2012年9月20日 (木)

満州事変は侵略ではない

満洲は支那・中國ではないし満洲は独立主権國家ではなかった。満洲は諸民族が混在する無主の地であった。したがって、満洲事変は日本による「中國侵略」ではない。もともと満洲は満洲民族など北方民族の住む土地であった。『後漢書東夷伝』に「九夷」ということが書かれているが、朝鮮・満洲・日本がその中に入っている。満洲は支那にとっては朝鮮・日本と同じく「東夷」であり「中華」ではないのである。清朝時代に完成した大百科『四庫全書』には、支那の黄帝開國以来、清は支那歴代王朝と並存する國家だったと書かれている。萬里の長城の内と外とは有史以来、敵対する世界であり、共存できない摩擦と衝突が繰り返されてきた。萬里の長城の外は歴史的に支那・中國ではない。したがって、日本がいかなる手段・方法によって満洲に軍事的に進出しても支那・中國を侵略したことにはならない。            

   

 満洲人は一七世紀初頭、萬里の長城を越えて支那大陸を征服した。清朝は支那大陸(萬里の長城の内側)への征服王朝である。「明」が満洲族によって滅亡の運命に瀕していることに同情した徳川光圀は、日本に援助を乞いに来朝した儒者・朱舜水を師として厚く遇した。近松門左衛門は明朝遺臣・鄭成功の反清復明を旗印にした大陸反抗を『國姓爺合戦』の劇に仕組んで、大阪町人が喝采を博した。清朝時代の支那は、清によって征服された植民地だったのである。

 一九○五年八月二十日、孫文が東京で結成した『中國革命同盟會』の綱領には「韃虜(北方の異民族満洲人に対する蔑称)を追い払い、中華を回復し、民國を創立し、地権を平均しよう」とある。孫文などの革命党は、強烈な民族主義を主張し、満洲王朝の打倒を主張した。そして満洲人を異民族と断じた。満洲を外地・外國と考えていた。孫文は日本人に対しては「大いに満洲に進出したら良い」と言った。

 孫文はまた、「余は人民自ら己を治むるを以て政治の極則なるを信ず。故に政治の精神に於ては共和主義を執る。…況や清虜(満洲人への蔑称)政柄を執る茲に三百年。人民を愚にするを以て治世の第一義となし、その膏血を絞るを以て官人の能事となす。…試みに清虜の悪政に浴せざる僻地荒村に到り見よ。彼等は現に自ら治むるの民たるなり」と論じた。(宮崎滔天の『三十三年之夢』)

 明治四四年(一九一一)の辛亥革命は「反清復明」(清朝に反対して明朝を復元する)「滅満興漢」(支那大陸を征服し漢民族を支配していた満洲族を滅ぼして漢民族を復興する)を合言葉にして行われた。辛亥革命後の中華民國にとっても、満洲は異民族の地であった。

孫文が、革命の資金援助交渉で、満洲を日本に売却する交渉をしたのも、孫文が満洲を自國領と考えていなかったからである。明治四○年(一九○七)一月、日本に亡命していた孫文は、東京で「革命の目的は『滅満興漢』である。日本がもし支那革命を援助してくれるというのなら成功の暁には満蒙を謝礼として日本に譲ってもよい」と演説した。自國の領土を外國に売り渡す「革命家」「愛國者」がいるだろうか。

従って、日本がいかなる手段・方法によって満洲に軍事的に進出しても、わが國が支那・中國を侵略したことにはならないのである。

 わが國軍民は満洲事変が起こる以前から『ポーツマス条約』に基づいて合法的に満洲に在留していたのだし、満洲事変によって満洲の土地・財物を不当不法に奪取していないのだからそれは当然である。それどころか日本軍によって満洲の治安が回復したのである。

 また、満洲事変は自存自衛のための作戦行動である。満洲事変の結果、五族協和・王道楽土の理想國家が建國され、満洲に住む人々に平和と繁榮をもたらし、かつ、ソ連の南下・侵略を食い止めた。まさに、自存・自衛の戦略に基づいて、満洲の独立・建國を日本が主導して実現させたのが満洲事変である。

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千駄木庵日乗九月十九日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田の駐健保会館にて、「大行社」幹部会開催。顧問の一人としてスピーチ。

午後六時より、熱海の古屋にて『日本を糺す会』開催。杉山清一氏が司会。荒井清壽氏が主催者挨拶。当面する諸課題に関し討議。この後、二つの分科会に分かれて討論。

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2012年9月19日 (水)

支那海軍が尖閣に攻撃を加えてきたら徹底的に殲滅せよ!

「満州事変の引き金となった昭和六(一九三一)年の柳条湖事件から八一年の十八日、北京や上海、遼寧省瀋陽など少なくとも一〇〇都市で反日デモが行われた」と報道された。とんでもないことだ。満州は支那ではない。満州族の地である。わが日本は、満洲に五族協和の理想国家を建設するために努力したのである。それは、支那にたいする侵略では決してない。満州は支那ではないのだから当たり前のことである。支那人の土地ではない内モンゴル・チベット・満洲を侵略支配しているのは支那である。

アメリカのパネッタ国防長官は「尖閣諸島についてのアメリカの政策は明確で、当然のことながら、われわれの条約に基づいた義務を遂行する」と述べ、尖閣諸島は日米安全保障条約の適用範囲内だという認識を明確に示した。これは共産支那が尖閣に軍事攻撃を仕掛けてきたらアメリカは日米安保を発動するという意思表示である。「日米安保即時破棄」の主張は危険であり、全く誤りであることを日本国民は正しく認識すべきだ。

その一方でパネッタ国防長官は、「尖閣の紛争についてアメリカは日本と中国のどちらにも肩入れしない」と語った。これは外交上、共産支那の顔を少し立てたという事であろう。

わが国はこの際、尖閣に対して支那が軍事攻撃をして来たら、「日米軍事同盟」を発動し、米軍と共に、あるいは米軍の支援を受けつつ、支那海軍を徹底的に叩き潰せばいいだけのことである。自衛隊高官によると自衛隊独自の力でも支那海軍を殲滅とすることが出来るという。何ら恐れることはない。

日系企業のデパートや自動車工場が襲われたが、日本の国益よりも自社の利益のために支那の経済進出し、金儲けをしてきた日本企業にはいい薬になったと思う。ただし、日本人が襲われたり殺されたりする事態になったら話は別である。これまた徹底的に報復するしかない。

ともかく支那がこれ以上理不尽なことを繰り返し、暴虐を行うなら、「暴支膺懲」の戦いを開始せねばならない。支那に対しては警戒を強め防衛態勢と反撃態勢を強固にするべきだが、必要以上に支那を恐れてはならない。それは支那の思う壺である。

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千駄木庵日乗九月十八日

午前は、母のお世話。

午後三時より、中野のやまと新聞社にて、『萬葉集』恋愛歌についてテレビ番組録画。

帰途、御茶ノ水にて、同志と懇談。

帰宅後は、「政治文化情報」発送準備、明日のスピーチの準備など。

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2012年9月18日 (火)

わが國及び日本国民は相当の覚悟をもって支那に対峙すべし

共産支那は、最初は大量の漁船を派遣して領海を侵犯させ、日本が正当防衛権を行使すると、それを口実に軍が宣戦を布告し軍事侵略を開始するという筋書きを描いているのではないか。したがって、支那の軍事侵略はそう遠くないと思う。わが国は少なくともそういう危機感を持っていなければならない。支那の膨張体質・侵略体質を甘く見てはいけない。

民族運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。そして共産支那に対する土下座外交・謝罪外交を糾弾してきた。愛国運動・民族運動の訴えて来たことがいかに正しかったかが証明された。

今回のデモ参加者及び日本企業や在支那日本人を襲撃した支那人、そしてわが国の領海を侵犯したり、わが国に不法入国して凶悪な犯罪を起している支那人たちの心理には、反日教育によって植え付けられた「侵略国家日本」「自分たちの祖先を苦しめた日本人」に対する報復感情がある。もしも、支那にいる日本人に対する暴行や迫害が激化したら、日本にいる支那人への報復が行われる可能性がある。

わが國及び日本国民は相当の覚悟をもって臨まねばならない。我々が、「中国脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論した。こうした論議が全く間違っていたことが、明白に証明された。

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、自主防衛体制確立に努力すると共に、自主防衛体制が確立されるまでは、日米軍事同盟を堅持し強化する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立ては無い。我が国の防衛力の弱体化を策している『九条の会』と称する者どもは、共産支那の手先と断じて間違いない。

野田政権は、東京都による尖閣購入を妨害した。それによって、支那が軟化するとか考えたのだろう。つまり、支那と摩擦を起こしたくないという領土問題に対する軟弱の姿勢が全く逆の結果を招いたのである。その責任は大きい。

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千駄木庵日乗九月十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して書状執筆・原稿執筆・『伝統と革新』編集の仕事など。

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2012年9月17日 (月)

尖閣国有化を支持した「朝日新聞」社説

七月八日の『朝日新聞』の「社説」は、「尖閣の国有化―緊張を和らげる一歩に」と題し「何かにつけて中国へ敵意をむき出しにする石原慎太郎知事だ。都が購入すれば。中国との間で緊張が高まる懸念があった」「(尖閣諸島を)国有化すれば、中国などの反発は必至だ。しかし、長い目で見れば、政府の管理下、いらぬ挑発行為を抑え、不測の事態を避けるのが目的だ。中国には静かな対応を望みたい」「これを機に争いがあることを認め、双方が虚心坦懐に向き合うことを望む」と論じた。

この予測と期待は全く外れた。国有化したらから一層緊張が高まった。共産支那の反発は極度に高まった。不測の事態が起こり、支那は静かな対応どころが、デモが頻発している。日系企業の工場や小売業が襲撃されている。

政府は、「尖閣を平穏かつ安定的に維持管理する」と言って来た。そしてそのために、猪瀬直樹氏の説によると札束で頬をたたいて地権者から尖閣を購入し、国有化を実行した。ところが、全くその逆の結果を生んだのだ。日本と支那の関係は平穏でも安定的でもなくなった。野田政権の責任は大きい。

日本共産党機関紙『赤旗日曜版』七月十五日号に、「日本共産党創立九〇周年おめでとうございます」などという記事が載っており、愛川欣也(タレント)、嵐圭史(役者)、海老名香葉子(林家三平の未亡人)、中江要介(元駐支那大使)などがメッセージを寄せていた。襲名の際のご祝儀を自宅地下室に隠すような脱税行為をする家のゴッドマーザーと言われる人が共産党支持とは驚きである。

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『一水会結成四十年大会』における登壇者の発言

『一水会結成四十年大会』における登壇者の発言。ただし小生がメモを取ることが出来た発言のみです。もっと多数の方々が登壇し、祝辞を述べました。

          〇

木村三浩代表「日本恢復のための新たな連帯と前進を期して運動していきたい」。

西部邁氏「近代主義の権化がアメリカ。近代主義が座礁しようとしている。日本人がその事に気が付いていないことが危機の真相」。

田原総一朗氏「イラクに木村氏と一緒に行った。木村氏は世界の反体制派にパイプがあって素晴らしい。天皇陛下を二千年護って来ている國は日本以外に他にない。私はその事を今『中央公論』に書いている。やっと木村さんたちの言葉が世論になって来た。木村さんたちの運動の成果」。

猪瀬直樹氏「尖閣の地主との交渉の下働きをしてくれたのは木村さん。官邸は札束で頬をたたいて横取りした。功労者は木村君」。

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千駄木庵日乗九月十六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、資料整理・原稿執筆など。

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2012年9月16日 (日)

日本と共産支那は激突の時代に入った。政治家は権力闘争をしている時ではない

かつてわが国は、一九八九年の「天安門事件」によって国際的非難を浴びていた共産支那の国際舞台への復活の道をつけた。それを主導したのは当時の自民党政権である。天安門事件によって欧米を中心とした世界中の国々が共産支那に制裁を発動し、わが国もそれに倣い対支那ODA(政府開発援助)を中止した。しかるに、当時の官房長官・加藤紘一は「世界中から批判を受けている中国に今日本が恩を売っておけば、中国は日本に感謝してくれる」として制裁解除に尽力した。

ところが結果は全く逆で、共産支那はわが國に感謝するとごろか、日本からの援助によって国力をつけ軍事力・経済力を急激に発展させたにもかかわらず、却って増長して、我国に対して靖国神社・教科書問題などで内政干渉、領土および主権侵害を繰り返すようになった。そしてわが国をはじめとした周辺諸国に対して軍事的恫喝を加えるようになった。

親支那勢力による窮極の「天皇の政治利用」は、平成四年の「天皇御訪中」である。そして、宮沢総理・渡辺美智雄外相・加藤紘一官房長官が積極的に「天皇御訪中」を推進した。

その時、「御訪中」推進派は、「天皇陛下による対中謝罪によって過去の不幸な歴史にけじめをつける」と主張した。これは「朝貢と謝罪」の外交に、天皇陛下を利用し奉る不忠の考えであった。

以前、ある支那人と会話する機会があった。彼は、「この前の戦争は、中国が日本に勝ったといはれているが、そうではない。実際にはアメリカが原爆を落し、ソ連が参戦したから日本が降伏したのだ。支那人は、何時か自分たちの手で日本をやっつけてやろうと思っている」と語った。

支那人の全てがそういう考えを持っているわけではないであろうが、反日教育を受けた世代にはそう思っている人が多いのではないか。

今日の日本は、わが國に敵意を持ち、軍事力を増強している国に対峙しているのである。

今、支那で反日デモが起こっている。支那にいる日本人が襲われたら、日本にいる支那人が襲われるだろう。民主党野田政権は、「国有化すれば反中国の石原知事は尖閣に手を出せない」と言って共産支那の軟化を画策したのだろう。しかしそれは裏目に出た。東京都が購入していれば、こんな事態にはならなかったに違いない。自民党政権下でも民主党政権下でも、対支那外交はやることなすこと失敗ばかりである。そして国難を招いている。

日本と共産支那は激突の時代に入ったと思える。自民・民主の政治家は、総裁選・代表選という名の権力闘争をしている時ではない。

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千駄木庵日乗九月十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、火曜日に行われる『万葉恋歌』講義録画の準備。そして書状執筆など。

今日から根津神社祭礼が始まった。

神輿渡御の光景です。

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2012年9月15日 (土)

『一水会結成四十年」における来賓祝辞の光景

『一水会結成四十年・レコンキスタ創刊四百号・フォーラム開催五百回記念大会ー日本恢復のための新たな連帯と前進をー』における来賓祝辞の光景(ただし小生が撮影できた方々のみ)

鈴木宗男氏

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村上正邦氏

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小林節氏

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頭山興助氏

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猪瀬直樹氏

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田原総一朗氏

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西部邁氏

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挨拶する木村三浩一水会代表

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開会に先立っての「浄めの演武」明治神宮武道館荒谷館長

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千駄木庵日乗九月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後六時半より、市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷にて、『一水会結成四十年・レコンキスタ創刊四百号・フォーラム開催五百回記念大会ー日本恢復のための新たな連帯と前進をー』開催。小生も実行委員の一人であったが、まことに盛大な催しであった。来賓挨拶も大変盛り上がった。多くの方々と懇談。後日報告します。

帰宅後は、諸雑務。

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2012年9月14日 (金)

この頃詠みし歌

戦後日本の虚妄が崩れる音すなり尖閣竹島北方領土

明るき声の老婦人と挨拶を交はしたりのどかなるかな下町の夏

水を撒く老婦人と挨拶交はしつつ坂道のぼる真夏日の下

ちちのみの父の笑顔の写し絵を見てはやすらふ朝に夕べに

顧みる人類の歴史 殺し合ひ憎しみ合ひが続き来たれる

天づたふ日の照りつける夏の街歩み行くなり暑し暑しと

母も我も生まれ育ちし千駄木の大給坂下は親しかりけり

急な坂のぼり行きなば知り人が無愛想な顔してすれ違ひたり

何処へか飛び行くならむ見上げたる夜空に光が明滅しゐる

追憶の船上の旅うるはしき乙女はすでにこの世を去りぬ

とことはの平和を祈り空仰ぐ 月光は今宵やさしかりけり

幼児(をさなご)が道走り行く 不安など持つことのなき明るさのまま

一生涯妻をめとらず生き行くか あはれなるかなわれ六十五

観音堂に拝礼をする父の姿 今も眼裏(まなうら)に浮かび来るなり

道に出て煙草吸ひゐる人のゐて家の中にて吸へぬ悲しさ

新しき希望を寿ぐ心にて今日の日の出を拝ろがみにけり

輝ける太陽を神と仰ぎつつ大日の本の國は栄える

太陽は燦々として輝けり大日の本の空の眞中に

明るくもよく話す母をいとしみて日本茶を共に呑む昼の部屋 

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千駄木庵日乗九月十三日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿、書状執筆など。

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2012年9月13日 (木)

「媚中政治家」どもの『訪中拒否』について

所謂「媚中政治家」ども三十人が「日中国交正常化40周年の記念行事」とやらに出席するため訪中しようとしてゐたところ、共産支那から訪問を断られた。

おかしな話だ。支那に媚びを売り、「日中友好」を叫び、しなくてもいい謝罪をして、支那に媚態を示してきた政治家こそ、こういう事態になったら、支那政府側と話し合って事態の鎮静化を図るべきであろう。しかるに支那側は彼らの入国すら拒否した。

つまりいざ支那との決定的対立が起ったら、媚中政治家は何の役にも立たないという事だ。かえって支那が馬鹿にされ相手にされないのである。支那にいくら土下座外交をしても日本の国益にならないことがますます明らかになった。

野中広務は「もう少し尖閣について慎重な取り扱いと、中国側との慎重な打ち合わせ、信頼関係の構築が必要だったのではないか」とわが国政府を批判したという。自分たちが支那から訪問を拒否されたら、支那を批判しないで自分の国の政府を批判するという野中は骨の髄から売国政治家である。

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今こそ傳統的民族意識が勃興すべき時である

吉田松陰は、安政六年四月七日付の北山安世宛書状で、「独立不羈(ふき・束縛されないこと)三千年来の大日本、一朝人の覇縛(きばく・つなぎしばること)を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや」と書いた。

質の高い統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こる。天皇中心の國體を明らかにして強力な統一國家を建設し外圧を撥ね除けようとしたのが明治維新である。

今日わが國は、外圧の危機が顕著になってゐる。その上、未曽有の自然災害・原発事故災害・政治の混乱・経済の停滞・道義の低下に瀕してゐる。明治維新前夜よりも深刻な状況である。これを克服するためには、日本民族としての主體性・帰属意識そして自信を回復する以外に無い。今こそ傳統的民族意識が勃興すべき時である。

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千駄木庵日乗九月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆、諸雑務。

午後六時半より、豊島区立駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、柿本人麻呂の歌を講義。質疑応答。帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2012年9月12日 (水)

今こそ『元寇』を歌いましょう!

「大人の対応」「理性的」などと言っている状況ではない。侵略者に対しては断固たる対処をすべきである。支那や韓国に対して軍事的に日本が劣っているという事は無い。自衛隊高官は「鎧袖一触であり支那の空母など一発で沈めることが出来る」と言っていた。

『元寇』は、明治二十五年に発表された軍歌です。作詞・作曲共に永井建子(男性)。文永十一年に続き、弘安四年に九州北部に来襲した元軍を日本がよく防ぎ、「神風」の助けによってこれを撃滅した故事を歌った作品であります。日清戦争の折、戦意高揚のために盛んに歌われたそうです。

一、(鎌倉男児)
四百余州(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る /十万余騎の敵 /国難ここに見る /弘安四年夏の頃 /なんぞ怖れんわれに /鎌倉男子あり /正義武断の名/一喝して世に示す

二、(多々良浜)
多々良浜辺の戎夷(えみし) /そは何 蒙古勢 /傲慢無礼もの /倶(とも)に天を戴かず /いでや進みて忠義に /鍛えし我が腕(かいな) /ここぞ国のため/日本刀を試しみん

三、(筑紫の海)
こころ筑紫の海に /浪おしわけてゆく /ますら猛夫(たけお)の身 /仇(あだ)を討ち帰らずば /死して護国の鬼と /誓いし箱崎の /神ぞ知ろし召す/大和魂(やまとだま)いさぎよし

四、(玄海灘)
天は怒りて海は /逆巻く大浪に /国に仇をなす /十余万の蒙古勢は /底の藻屑と消えて /残るは唯三人(ただみたり) /いつしか雲はれて /玄界灘月清し

今こそみんなでこの歌を歌いましょう。

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朝鮮併合について

日本による韓国併合は、当時の日本にとって万止むを得ざる選択であったと共に、当時の韓国政府との正式な交渉のもとに行はれたことである。しかも、併合後韓国は、近代化を遂げ、あらゆる面で併合以前よりも発展し、国民は豊かになった。わが國は、韓国・朝鮮を侵略し支配したのではない。従って韓国に対してわが国政府が謝罪する必要は全くない。

朝鮮半島の歴史は、「中華帝国」への隷属の歴史であった。文化的にも政治的にも軍事的にも支那の属国であり続けた。しかし、日清戦争の後の「下関条約」(明治二十八年)で、「清国は、朝鮮が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)」事となった。すなはち、朝鮮は日本のお陰で支那からの独立を獲得したのだ。

ところが、日本が「三国干渉」に屈服したため、「日本弱し」と見た李氏朝鮮政府は、今度はロシアに接近しその属国となった。

こうした朝鮮の体質を「事大主義」(『以小事大』(小を以て大に事〈つか〉へる)といふ。強い者を背景に弱い者をいじめるといふ体質である。「事大主義」は、李氏朝鮮建国以来の国策であった。国王の高宗はロシア大使館で政務を執るといふ状況であった。

このやうに、日本に併合される以前の韓国は、ある時はロシアの属国となり、またある時は支那の属国になるといふ体たらくで、とても独立国と言へる状況ではなかった。また国内の改革・近代化も全く進まず、経済的に破綻に近い状態にあり、権力者は腐敗し、政争を繰り返してゐた。そして国民は疲弊し李氏朝鮮の圧政に苦しんでゐた。  

このままの状況で推移すれば、朝鮮半島は、支那かロシアの支配下に置かれることは明らかであった。これはわが国にとって重大な脅威である。そこで、日露戦争に勝利した日本は、事実上ロシアの属国であった朝鮮を併合したのである。併合は当時の国際感覚では当然の成り行きであり、文字通り致し方の無い選択であった。

日本は朝鮮統治時代に韓国から搾取したのではない。韓国に投資し、あらゆる面で建設を行い、朝鮮の発展に大いに寄与したのである。

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千駄木庵日乗九月十一日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、歯科医院で治療を受ける。続いて区役所の出張所に書類提出。

帰宅後は、明日の『萬葉古代史研究会』における広講義の準備、原稿執筆など。

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2012年9月11日 (火)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會 

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

講師 四宮正貴(四宮政治文化研究所代表)

日時 九月十二日(第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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今こそ挙国一致で中華帝国主義に立ち向かう時である

今日世界最大の帝国主義国家、軍事大国、侵略国家は何処か。それは「中華人民共和国」である。チベット・満州・東トルキスタンなど「中華人民共和国」の面積の三分の二は、支那民族が他の民族の居住地を侵略し収奪し併合したものである。

今日唯今、中華人民共和国は軍事力強化に狂奔している。『海洋強国』を国家戦略に掲げて海洋権益の拡大を進めている。

わが國は戦後六十年間支那に対して敵対的行動をとったことはない。むしろ、蒋介石政権に対しても毛沢東政権に対してもきわめて友好的に相対して来た。

田中角栄内閣によるいわゆる『日中復交』後は、ODAをはじめ天文学的数字の経済援助を行って来た。しかるに、共産支那政府は、近年愈々益々反日的姿勢を強めるだけでなく、わが国固有の領土・領海そして資源に対して軍事的圧迫を加えてきている。

支那に対して敵対感情を煽るべきではないとか、感情的なナショナリズムに結び付けて相互の反発を拡大さいさせるべきではない、冷静な対応をすべきだなどという意見がある。

しかし、国家的規模でわが國に対して敵対感情・感情的なナショナリズムを煽っているのは、共産支那である。このままでいくと、日本と支那は軍事的対立に間で突き進む危険すらある。わが日本および日本国民はこれにどう対処すれば良いのか。わが國はそれに対する対策をおさおさ怠りなくする必要がある。

戦時中、挙国一致という言葉があった。今こそ、挙国一致の体制で共産支那・中華帝国主義に立ち向かう時である。政治家は、醜い権力闘争をしている時ではない。共産支那・韓国・ロシアのわが国に対する侵略行為にはまさに半歩も譲ることなくこれを撃退しなければならない。

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千駄木庵日乗九月十日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時より、西荻のたちばな出版にて、『伝統と革新』編集会議。終了後、出席者と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年9月10日 (月)

『日王』などと呼ぶこと自体、神聖君主日本天皇に対する一大不敬である

日本天皇の御事を『日王』などと呼ぶこと自体が、神聖君主日本天皇に対する一大不敬であり、侮辱である。

「王」とは、武力・政治力・経済力などによって政治権力を行使する者のことを言う。力によってその地位につき、力によって国を支配するのが「王」である。わが国においては、「足利将軍」「徳川将軍」である。彼らは、外交交渉に当たって自ら「日本国王」と称したこともある。

また「王」とは、儒教などの道義感覚=君徳を身に付けた覇者のことである。従って、道義精神・君徳を失うと「王」たるの資格をも喪失する。つまり「易姓革命」が行われるのである。

日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」としての神聖権威によって日本国を統治される至高の御存在であり、「現御神」「天子」であらせられる。天皇その方が地上における天の神の御代理であらせられ、天皇の御心が天意なのである。全くその御本質が「王」とは異なるのである。

皇道大本の「お筆先」に「王天下はなごうは続かんぞよ」とあった。これを当時の官憲は「天皇の御代が長く続かない」という意味と解釈した。しかし、天皇は」「王」ではない。「皇道大本」は、「王道」ではなく「皇道」を絶対としていた。「権力者による政治は長くは続かない」という意味であった。

韓国の大統領と称する権力者は、まさに長くは続かないばかりでなく、辞めた後、囹圄の身になるか、外国へ逃亡するか、自殺するのを通例とするのである。それが嫌で、李明博は「反日の英雄」になるべく、竹島に上陸し、「今上陛下誹謗発言」を行ったのである。

野田総理は李明博と握手などするべきではなかった。

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千駄木庵日乗九月九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2012年9月 9日 (日)

野田氏は日本国の内閣総理大臣たるの資格を喪失した

野田総理は、李明博に会ったにもかかはらず、天皇陛下に対する不敬発言に対して何の抗議も行わず、謝罪も求めなかった。それどころか、にこにこ笑いながら握手した。野田氏は日本国の内閣総理大臣たるの資格を喪失したと言はざるを得ない。

内閣総理大臣は言ふまでもなく、天皇陛下の臣下である。また『現行占領憲法』においても、天皇陛下は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」とされてゐる。天皇陛下への侮辱・不敬は日本国及び日本国民に対する侮辱だ。

「人臣たる者は、君憂うれば臣労し、君辱めらるれば、臣死す」

といふ言葉を、野田氏をはじめとしたわが国の政治家は深く胸に刻むべきである。

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下條正男拓殖大学教授の講演内容

下條正男拓殖大学教授『竹島問題から見た日本外交の問題点』と題する講演内容。

「先週末、韓国から帰国した。明日また韓国に行く。今回は家族と共に韓国に行ったが、税関で厳しく調べられた。個室で荷物検査された。今何をしておかねばならないかという事を『WILL』十月号に書いた。

外務省の人は勉強していない。領土問題に関する研究機関もない。韓国には年間十億円も使って研究する『東南アジア歴史財団』がある。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長が国連で反日活動をしている。

石原伸晃が総理になると多分うまくいかない。平成二三年八月一日、自民党の新藤義孝、稲田朋美、佐藤正久の四人の自民党議員が自民党の『領土に関する特命委員会』として訪韓し、鬱陵島を視察する予定であったのに、韓国のロビー活動により個人の資格となった。山崎拓・森喜朗からの圧力。石原伸晃幹事長はコントロールしやすい。国威の発揚、領土問題で日本の政治家は動いてきたのか。

竹島問題は、李承晩が李承晩ラインを引いたのが発端。昭和二十七年一月一八日、韓国政府は、『サンフランシスコ平和条約』の発効三ヶ月前に、突如としてマッカーサー・ラインに代わる李承晩ラインの宣言を行った。日本が国際社会に復帰する前に竹島を取ってしまおうというのが李承晩の目的。日本が韓国に残した資産を日本に返したくなかった。日本の漁船員が二千四百人韓国に拿捕された。解放を求める日本に対して在日の法的地位を認めさせ、朝鮮半島にある日本の財産請求権を放棄させた。日本人を拉致した北朝鮮と韓国は同じ。

韓国は竹島を奪ってから理屈をつけた。北朝鮮と同じ。韓国の言う竹島に関する歴史的根拠は出鱈目。韓国は現代から歴史を解釈している。文献から歴史を解釈しているのではない。鬱陵島にある竹島博物館には竹島が韓国領であることを示す史料は一つもない。

一九九四年『国連海洋法条約』が発効した。この時韓国は竹島に接岸施設を作った。日本は十二海里内に入れない。韓国の漁船は稚魚まで獲ってしまう。

島根県が『竹島の日』を制定した時、細田博之がファックスで圧力をかけた。外務省も『そんなものを作っても効果なし』と圧力をかけた。島根の国会議員は『竹島の日』に反対。敵は本能寺にありだ。一番大事なのは韓国をいかにして封印するか。元寇の原因を作ったのは韓国。高麗の提案で元は日本に攻め寄せた。

韓国の中には、『竹島は日本の物』『日本統治のお蔭で今日の韓国がある』という意見がある。東洋協会専門学校(拓殖大学の前身)京城分校の後身が現在の経営大学。韓国近代化論の牙城。今日の韓国は日本で言えば中世。『土一揆』の頃。

韓国・朝鮮人のものの考え方は演繹法。帰納法ではない。合理的発想無し。

民主党政権は多くが在日の人。在日の権益を守っている。それが、天皇陛下に対する李明博の不敬発言につながっている。アメリカの政治にユダヤ人が大きな影響力を持っているのと同じ。

韓国で反日運動をしているのは、北朝鮮の影響を受けている人が多い。金大中・盧武鉉時代の学生・官僚。反日デモをしている人は日当をもらっている老人が多い。葬儀の時の泣き女と似ている。一般人は関心なし。

韓国・朝鮮人はこちらが低く出ると高く出る。韓国人には毅然として対応すべし。竹島は韓国によって実効支配されているのではない。不当占拠されているのだ。

和田春樹は、『日韓併合百年に際し植民地支配反省の表現として、日本は竹島を韓国領土として認めるべし』と言った。外務省などの官僚は、対中・対韓ビジネスを行っている企業などに天下りできなくなるので現役の時に韓国・中国批判をしない。北方領土も『南樺太・全千島を返還せよ』と主張しなければ四島は帰って来ない」。

          〇

司会者の澤英武氏は、「日本は『サンフランシスコ講和条約』で千島と樺太を放棄したが、帰属先は決まっていない。天皇陛下への謝罪をしない限り韓国との関係を絶つべし。昭和三十五年の『長崎国旗事件』で中国は二年半にわたって日本との貿易を中止した。日本もそれと同じことをすべきだ」。

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千駄木庵日乗九月八日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。澤英武氏が司会。下條正男拓殖大学教授が講演。質疑応答。終了後、講師を囲んで懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2012年9月 8日 (土)

国境線は民族の盛衰に比例して拡大し縮小する

わが国のような海洋国家にとって島嶼は国境線となる。この国境線を定めるのは民族の伝統的生活空間である。ということは、国境線は民族の盛衰(生活力・生命力の強弱)に比例して拡大、縮小するということだ。加えて国境は政治的、軍事的な力量によって大きく変動し、場合によっては他国から侵略され併合される危険もある。したがって平和外交によって領土問題を解決するなどと呑気なことを言っていられなく場合が大いにあるのである。

「国境は前進する」と言われる。これは一面の真理であり、国境の向こう側即ち日本から見るとロシア・韓国・共産支那・台湾の国境線がわが国に向かって前進して来ているのだ。

寸土をおろそかにすれば、それは他の領土の喪失につながる。相手の弱みの付け込み、足元を見て、次々に領土権主張を拡大してくるのが、国際社会の常識だ。韓国や共産支那のこれまでのやり方はまさにそれだ。

共産支那に断固たる処置をとり得ないわが国政府を我々は厳しく追及しなければならない。

わが国政府は第一に、尖閣・竹島・北方領土(南樺太全千島)の領有権擁護について国民に日本の主張の正当性を周知徹底せしめること。第二に日本政府と国民が、尖閣・竹島・北方領土(南樺太全千島)領有権擁護について確固たる信念を示し、国際世論にそれを周知せしめること。第三に、領有権擁護のため経済制度、自衛権発動を含む対応措置を策定することである。それによりはじめて領土の保全を確保し得るのである。

「彼の強大さに萎縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親かえって破れ、ついに彼の制御を受けるに至らん」との西郷隆盛の『遺訓』は、現在でも外交の基本指針であるべきである。

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千駄木庵日乗九月七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備、原稿の校正など。

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2012年9月 7日 (金)

韓国併合について

日韓併合に対して、韓国側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、日韓併合の精神は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。

そのことは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と仰せられ、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と宣せられたところに示されている。

従って、朝鮮、台湾、樺太を外地と呼ぶことはあったが、植民地と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、刑法を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近くやって来た。その上毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。日本の方が朝鮮の植民地になったと言っても過言ではない。

 日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

もちろん、韓国人の独立運動も国内外において続けられたが、一般の民衆から孤立し、限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。こうした事実を否定することはできないし、否定することはかえって韓国人の誇りを傷つけることとなる。

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千駄木庵日乗九月六日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。母と小生が診察を受ける。心電図をとっていただく。特に問題はないが太りすぎを是正すべしとのこと。

午後三時より、中野にて、『やまと新聞』萬葉集恋愛歌についてテレビ録画。

帰宅後は、諸雑務・原稿執筆の準備。

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2012年9月 6日 (木)

国難の時期に宰相にならんとする人に望む

わが国は、外圧がきっかけとなって変革を成し遂げて来た。大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行なわれた。蒙古襲来は建武中興へとつながった。明治維新は欧米列強の侵略の危機があった時に行なわれた。今日もまた外圧の危機に晒されている。今こそ、大変革を成し遂げなければならない。

自民党総裁・民主党代表にならんとする人は、まさに国難の時にあたり、決死の覚悟を持たねばならない。西郷隆盛・大久保利通の如く、最後は非業の死を遂げることもあり得る。そのくらいの覚悟無くして、国難の時期に宰相になろうとするべきではない。

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ランドールG.シュライバープロジェクト2049研究所所長の講演記録

笹川平和財団主催「ランドール・シュライバー氏(プロジェクト2049研究所所長)講演会・日米のパートナーシップ強化に向けて・アーミテージ・ナイ報告書2012から」におけるランドールG.シュライバー氏(プロジェクト2049研究所所長)の講演記録。

「大震災によって日本の人々が苦しまれた中で、友達作戦の効果があり日米同盟が高まった。日米両国の政治環境として政治的リーダーシップの問題がある。日米同盟が強固であることは日米にとって重要。日米同盟にとってエネルギーは重要。日米は資源同盟にすべし。今日の需要ばかりでなく将来のことを考えるべし。日米間三国は核不拡散で共通の動きをしている。

米国が歴史問題でああだこうだ言うべきではない。私は共和党員。今失業中。しかしオバマがアジアに軸足を移したのは賛成。しかし中東で何か起こった時も変わらないのか心配。

日米は本当の意味の対等にはならない。色々な分野での貢献度は対等ではない。しかし同盟の優先順位を決めるのは対等。方向性が一致していれば良い。日米印や日米豪でやっていくのも良い。日米韓三カ国関係には障害がある。台湾海峡の状況はかつてよりは良くなっている。台湾海峡の平和と台湾の民主国家としての存続が必要。

サイバーセキュリティは重要。キャパシティー構築はどういう通路を使っていくべきか。官民協力をどう位置付けるか。中国の脅威もある。

貿易の自由化のプロセスに日本が参加することを支持する。TPPに日本は参加すべし。二国間のFTAもTPPによって変わってくる。野心的であるべし。

中国は国内問題の解決がすべての背景にある。日米同盟の重要な背景に中国がある。中国は尖閣・南シナ海で強い態度に出ている。中国の行動と意思決定によって変わる。中国の全てのシナリオが日米同盟にとって重要。

エネルギーの運搬手段、安全の確立が重要。日米はエネルギー戦略と防衛産業でも協力すべし。戦後日本は平和国家として発展してきた。しかし再検討しなければならないことはあろう。世界的市民国家としての価値を日本は持っている。日本は依然として大きな能力とグローバルなブランドを持っている。大震災の後、日本人の心が傷ついたことは理解する。我々は日本を信じている。ロシアがこの地域に関心を持っている。米ロの関係は複雑。国連の対シリアの行動を阻んでいるのは中国とロシア。」

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千駄木庵日乗九月五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、明日行う『週刊やまと新聞・萬葉恋歌解説』録画の準備。その後、原稿執筆の準備など。

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2012年9月 5日 (水)

國體と憲法

わが日本國は崇高なる理想を持った「天皇を中心とした神の國」なのである。権力機構としての國家は、天孫降臨の神話以来続いてきている<天皇を中心とした祭祀國家・信仰共同體>の上に成立しているのである。日本を立て直し國家を正しく保つためには、信仰共同體の祭祀主たる天皇の神聖権威を正しく回復しなければならない。

憲法とは「基本となるきまり。特に、國家の統治體制の基礎を定める法。國家の根本法。」である。であるならば、『天壤無窮の御神勅』こそ、日本國の最高の憲法であり憲法中の憲法である。

『天壤無窮の御神勅』には次のように示されている。

「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」。

この御神勅の精神を隠蔽する一切の憲法・法律は破棄されなければならない。

「皇位繼承」および「皇室典範改定問題」は、日本國體の根幹に関はる問題である。権力機構としての國家ではなく、信仰共同體・祭祀國家日本の根本問題である。神聖にして萬邦無比の「天皇國日本」といふ天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同體・祭祀國家の根幹に関はる重大問題である。

日本天皇の皇位繼承のあり方は、他國の王位繼承方法や元首の選び方=「権力者交代のシステムづくり」とは全くその本質を異にする。皇位繼承など御皇室に関はる重大事は、天つ神の御意志・神代以来の肇國以来の傳統に基くべきである。そして、天つ神の御意志・肇國以来の傳統の體現者は、上御一人日本天皇であらせられる。天つ神の地上におけるご代理=現御神であらせられ、神代以来の傳統の繼承者・體現者であらせられる天皇陛下の大御心すなわち肇国以来の道統に帰一すべきである。神聖なる御位=「天津日嗣の高御座」の繼承のあり方を、権力國家の行政機関や立法機関で決定しては絶対にならない。

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千駄木庵日乗九月四日

午前は、母のお世話。

午後三時より、永田町の参議院議員会館にて、『時局戦略懇話会』開催。藤本隆之展転社社長が司会。当面する諸課題について討議。

午後七時より、新九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。「大日本帝国憲法」について逐条的に討議。「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」と「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ」すなわち「國體条項」と「政体条項」についてなどを話させていただいた。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2012年9月 4日 (火)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 九月十二日(第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)下巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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『現行占領憲法』こそ戦争と侵略の導火線である

『現行憲法』の「前文」と「第九条」は、独立国家としての要件を否定している。自衛権の行使とは交戦権の行使である。自衛隊は立派な国軍である。憲法にはその通り規定すべし。「法治」とは、どんな悪法でもこれを絶対に守らねばならないというのではなく、法によって国と国民を守ることである。国と国民を守ることが出来ない法即ち『現行憲法』は否定すべきである。

吉田茂総理(当時)は、昭和二十一年六月に國會で「第九条第二項において、一切の軍備と國の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」と述べている。これが『現行占領憲法』の正しい解釈である。

 

したがって、『現行憲法』がある限り、自衛隊は軍として認知されず、何時までも「違憲合法」などという絶対矛盾の存在であり続けなければならないのである。國防に関してはわが國は法治國家ではない。

 

『現行憲法』は「戦勝國による日本占領基本文書」であり、二度と再びわが國が米英支ソに対して立ち向かうことのないようにすることを目的として押しつけられたのだから、「交戦権」も「戦力」も「陸海空軍」も持つことを許されなかったのである。

 しかし、現実にわが國に存在する自衛隊は、戦争をするための組織であり、國際紛争を解決するために武力による威嚇や行使を行う組織であり、陸海空軍であり、戦力も交戦権も持っている。

 そして、この自衛隊という名前の陸海空軍によって、わが國の安全・独立・治安が守られている。『現行占領憲法』が如何に現実を無視しており、空文となっているかは火を見るよりも明らかである。

ともかく欺瞞的な『現行占領憲法』がある限り、平和を愛さず、公正も信義も全く持たず、自国のことのみに専念して他国を無視する共産支那・南北朝鮮・ロシアによる我が国に対する侵略・主権侵害を防ぐことはできないのである。『九条の会』は敵性国家の手先と断じて良い。『現行占領憲法』こそ戦争と侵略の導火線である。

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千駄木庵日乗九月三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、原稿校正。

この後、文京区役所に赴き、書類提出。

帰途、お茶の水にて、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理など。

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2012年9月 3日 (月)

明治維新の精神と国難打開

わが国は今未曽有の危機にある。民主党代表、自民党総裁になろうとする政治家は、国難打開のためにいかなる方策を持っているのか、全国民に明示すべきだ。

我が國は過去において何回か國家的危機に際會し、見事に乗り越えて来た。外圧によって國家の独立が危殆に瀕した時、強烈な民族精神・尊皇精神が勃興し、変革を断行し、危機を打開して来た。

大化改新・建武中興・明治維新は単なる権力闘争ではなかった。それこそ命懸けの人々によって断行され、建國以来の日本の理想を實現せんとする壮絶なる戦いであった。現代日本に維新変革が必要なのは当然である。それは、戦後体制の解体である。それは明治維新をもう一度やろうということだ。

明治維新の基本精神は、「尊皇攘夷」である。「尊皇攘夷」とは、萬世一系の日本天皇を中心として國民的団結と統一を図り、祖國の自主独立を達成する精神である。今日の日本においては、『占領憲法』をはじめとした戦勝國から押し付けられた様々な事象を祓い清め、天皇中心の國體を明らかにして、日本の自主独立を回復することである。

我が國國民の心の底にある國體精神を蘇らしめ、それを核として強大な統合力を生み出し、混迷せる状況に対して革新の行動を起こすことが今求められている。

わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。「神話の精神の復活」によって精神の救済を図ることである。

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千駄木庵日乗九月二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『月刊日本』連載中の「萬葉集に歌はれた日本の心」の原稿執筆・脱稿・送付。

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2012年9月 2日 (日)

中華帝国主義について

支那には天下という観念は発達したが、國家という観念は無かった。そうした國家観念の希薄さが、「中華思想」という侵略主義・大國主義を生んだ。

津田右左吉氏は次のように論じている。「彼ら(註・支那人)は自分の國を我々が思ふやうな、又近代的意義での、國家とは思ってゐなかったのである。彼らは自分等を中華とし、自分等で無いものを夷狄として、中華は夷狄を支配するべきものと考へ、天の代表者である自分等の天子は、すべての夷狄、即ち全世界・全天下に君臨してゐるものだと考へてゐた。」(『文学に現はれたる我が國民思想の研究』)。

支那人に國家観念が無かったということは、自分の國も無いけれどもよその國も無いということなのである。外國の存在そのものを認めていないのだ。世界・天下の中心の支那があり、世界・天下の人民も國土も全て支那の皇帝のものだとするのである。しかして、世界各地域の王たちは支那皇帝によって冊封(さくほう・天子の命で官・位を授ける書きつけである『冊』により諸侯に封禄・爵位を授けること。言い換えると支那皇帝の勅書によって爵位や領土を定められること)されることによって初めてその地位と権力を認められ正統な王となり得るという考え方なのである。 

こうした支那の身勝手な文字通り帝國主義的論理をつきつめれば、支那と対等な関係の國は存在しないということになる。支那人にとって天下即ち全世界が支那の皇帝のものなのである。支那の皇帝に朝貢するという形式でしか外交というものはあり得ないのである。これを「中華帝國主義」という。その根底にあるのが「中華思想」である。

こうした「中華帝国主義」が、近代の國家観念・ナショナリズムと結びついたのが今の共産支那の膨張政策である。支那共産帝國は、國内的には残虐にして強固な独裁體制を確立し、國外的には侵略思想・差別思想を持ち続け、周辺諸國の領土を掠め取るのは当たり前だし、気に入らない國に対しては武力で恫喝し制裁を加えた。

共産支那は、朝鮮戦争・中印戦争・中越戦争・チベット侵略・中ソ武力衝突など数々の戦争を起こし、チベット・内蒙古・満洲・東トルキスタン(新疆ウイグル)に対して侵略支配を行なっている。そして近年対外膨脹策を一層強め、台湾・尖閣諸島・南沙諸島などへの武力侵攻を企て、アジアにおける覇権を確立せんとしているのである。

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千駄木庵日乗九月一日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、資料整理・原稿執筆など。

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2012年9月 1日 (土)

福沢諭吉の『脱亜論』に思う

福沢諭吉は、その『脱亜論』に於いて次のような論じた。

「支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり」。

私は、この文章はあまり好きではなかった。特に、「西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ」との一節は、西欧列強がアジアアフリカなどを侵略支配したように、わが国も支那朝鮮に対して侵略支配すべしという考え方なのかと思い反感を覚えた。しかし、今日の支那・朝鮮による我が国に対する悪行を見ると、福沢のこの激語・考え方も分かるような気がするのである。

支那・朝鮮がわが国の隣国であるからとて、何をされても、ニコニコ笑って「大人の対応」をするべきではない。「悪友」の侵略・不法行為から、わが国の尊厳性・独立・主権・安全を守るために、わが国の尊皇攘夷精神を発揮して「處分す可きのみ」である。

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「入門能楽鑑賞講座」と題する半田晴久氏の講演

『第十四回東京大薪能』における「入門能楽鑑賞講座」と題する半田晴久氏の講演内容は次の通り。

「能は、省略の芸術。序破急で出来ている。能は一人の能楽師が面を付け替えるだけで色々な人物になる。松は御神木。神に捧げる芸術。能面(オモテ)の最小限の動きで、悲しさ・喜びを表す。それだけ難しい。最小限の省略で最大の中身を伝える。シテにすべてが集中する。一点豪華主義。『シテ買い』は能から来た言葉。

室町時代にできたものだから老荘思想の影響あり。世阿弥の『花伝書』に『秘すれば花』とある。表そうとすれば隠れ、隠そうとすれば現れる。奥ゆかしい。谷崎潤一郎は『陰影の美学』と言った。露出しない。茶道・禅に結びついている。『金閣寺はオペラ、銀閣寺は能』と言われる。日本人の文化意識が表れている。『無為にして為さざるは無し』が一番大事。人為的計らいが無いと何でも出来る。能は省略するが、為さざるは無い。内面的ポイントは全て備わって来る。イメージが広がる。近代的ビルに中でぴったりはまる。偉大なる芸術に日本人は誇りを持つべし。動く彫刻とも言われる。

『謡』の言葉の中にも序破急がある。歩くのも、回転も序破急がある。どう序破急をつけて行くかが能楽師のセンス。野口兼資が演じると、肉体の声は同じでも、その役になりきる。肉体の声より心の声を尊重する。能面をつけることによって色々なキャラクターを演ずるが声は同じ。しかし、天女の声に聞こえてくる。見ていて感動する。能楽師には得意な演目があっては駄目。真言密教の境地。時間の流れが遅い」。

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千駄木庵日乗八月三十一日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。知人は、石原慎太郎氏に総理になってもらいたいという意見であった。

午後からは在宅して、諸雑務、資料の整理など。

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