« 千駄木庵日乗八月二十四日 | トップページ | 二十五回日本の心を学ぶ会のお知らせ »

2012年8月25日 (土)

支那という国の体質について

支那は易姓革命が繰り返された国である。日本のように建国以来一系の天子が国を統治してきた国ではない。しかも支那における「革命」とは、西欧の「革命」とは全くその性格を異にする。体制の根本的変革ではなく、王朝が交代しただけである。だから、何回革命を行なっても、革命前の体制に戻ってしまう。というよりも基本的に何も変わらないのである。しかも今日に至るまで「国政選挙」「国民の代表者を国民全体が自由選挙によって選ぶ」という事を経験したことがない。

最近亡くなった邱永漢氏は、「中国国家の本質は、秦の始皇帝以来、何千年にもわたる官僚専制国家というところにある」と言っていたという。近代になって孫文が主導した辛亥革命、毛沢東が主導した共産革命が行われたが、結局革命後何年か経つと元の木阿弥になってしまった。圧倒的多数の国民は貧困にあえぎ、政治的自由を獲得することはできない。そして、混乱が繰り返される。

共産革命や文化大革命は、万人平等の世の中にするという事が目的だったはずだか、そんなことはどこかへ吹っ飛んでしまっている。そして一部の権力者・官僚による権力にものを言わせた不正蓄財が行われている。彼らは汚職と私腹を肥やすことに何の罪の意識を感じない。

孫文は「天下もって公と為す」と言った。国民党政権下の台湾では役所や国民党の機関にこの標語が掲げられていた。毛沢東は「人民のために服務せよ」と言った。この標語も共産支那の役所や共産党の機関に掲げられている。中南海の入り口にも大きく書かれている。しかし実際には、この標語と全く逆の事が行われているのが支那という国なのである。標語が掲げられるという事は、その標語が実行されていないからである。

薄熙来の父親・薄一波は革命第一世代で、共産革命後権力を握ると実権派として官僚支配の一翼を担い特権階級となった。その息子・薄熙来は、太子党として権力を利用して金を貯め込み王侯貴族の生活をした。支那共産党の官僚はみんな同じようなことをしているのだ。薄熙来は権力闘争の負けただけの事である。

|

« 千駄木庵日乗八月二十四日 | トップページ | 二十五回日本の心を学ぶ会のお知らせ »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/55500474

この記事へのトラックバック一覧です: 支那という国の体質について:

« 千駄木庵日乗八月二十四日 | トップページ | 二十五回日本の心を学ぶ会のお知らせ »