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2012年8月27日 (月)

三島由紀夫研究会例会における金子宗徳氏の講演内容

三島由紀夫研究会例会(七月三十日)における金子宗徳氏(里見日本文化学研究所主任研究員)の講演内容

「本日(七月三十日)は、明治天皇崩御から百年の命日。昨日、関西で有志により『明治天皇百年祭』が行われた。田中智学などが中心となって請願署名運動が行われ、昭和二年三月、十一月三日が『明治節』という祝祭日となった。戦後、十一月三日は、『日本国憲法』公布の日ということで、『文化の日』という祝日になった。これを正常化しようという運動が行われている。請願署名運動にご協力いただきたい。

昭和五十年に私は生まれた。私は右翼少年であった。小学校四年か五年の時、白髪の老人がテレビで『土井たか子を牢屋に入れろ』と絶叫していた。赤尾敏氏だった。それを聞いてはまってしまった。右翼に関心を持つようになった。父も保守的な考えの持ち主であった。

筑波大付属駒場高校に入った。前身は東京教育大学であった。社会科の先生はみな家永三郎の弟子のような人。『神武天皇はいなかった』というところから授業が始まった。戦後民主主義のエリート養成学校だった。国立の学校なのに入学式に国旗・国歌なし。生徒会役員選挙に立候補し、国旗を掲げ国歌を歌うことを公約した。

中学時代に冷戦が終わった。六本木のマハラジャヤというディスコでわけのわからない踊りをやっているのを見て、ろくな時代ではないと思った。当時の社会に生理的に違和感を持った。『資本主義の勝利だ』と言っていた人もいた。マルクス主義と資本主義は対立しているように見える。しかし、インターナショナリズム、国際化、資本が国境を越えて行く、という事において、資本主義もマルクス主義も大して変わらないと思った。浅田彰の『逃走論』は左の側から同じことを論じていた。右も左も全く闇ではないかと思った。

一番はまったのは三島由紀夫の『英霊の声』だった。『天翔けるものは翼を折られ 不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う』という一節がある通り、本質的なものが崩されていることを文学的に表現されている。私の心性にぴったりとはまった。高校時代『英霊の声』を一日何回も読んだ。三島先生特に『英霊の声』を心の支えにしてきた。

高校三年の時、三つものに関心を持った。①新右翼。②保田與重郎。③近代の超克論争。近代の超克論争は『冨山房新書』で讀んだ。片言隻句が面白いと思った。京都学派を生んだ京都大学に行こうと思った。しかし京都大学も大衆化していた。まだ高校の方がましだと思った。日本の文化を学ぶため『能』のサークルに入った。『第三回読売論壇新人賞』に応募した。松本健一が審査員をしていた。『国家としての「日本」-その危機と打開への処方箋』という論文で優秀賞を受賞した。最優秀賞は長島昭久だった。

里見岸雄は明治三七年に生まれ、昭和四九年に亡くなった。田中智学の三男。中学を退学。その後独学。大学入学資格を取り、早稲田大学文学部を首席卒業。欧州に遊学して、帰国後、里見文化研究所設立。マルクス主義的社会科学ではない國體科学を樹立するという野心的な試みを展開。これは科学的國體論とも言った。その延長線上に日本國體学会がある。田中智学は日本國體学を以前から提唱していた。田中智学は僧侶から還俗して宗教改革を志した。浄土真宗教学の近代化に尽くした島地黙雷は思想史に登場する。しかし、田中智学は『軍国主義的スローガン』を作ったという予断があるため黙殺された。

里見の著書『天皇とプロレタリア』(昭和四年)や『國體に対する疑惑』(昭和三年)がベストセラーになった。大正十四年に制定された『治安維持法』は國體と私有財産制を同列視するものとして昭和三年に批判している。神聖なる國體がブルジョアの自己防衛に利用されたとした。日本國體を私有財産制と同一視すべきではないと論じた。里見は『天皇機関説』も『天皇主体説』もどちらも中途半端であるとして批判。『國體法の研究』(昭和十三年)により立命館大学から法学博士号を授与された。佐々木惣一は里見の学問を高く評価した。

里見岸雄は三島由紀夫とは一面識もなく、作品も読んだこともなかった。三島氏の自決の後、『三島由紀夫と飯守重任』(

(「國體文化」・昭和四十六年三月号)において、『文学がどうの美学がどうのなどという問題とは何の関係もない彼の国士的生涯の終幕であったのである。』『三島の割腹は、まさに憲法改正という国民的悲願の成就の為めに、その身命を国家に供養したものと解すべきであって、彼の愛国精神の燃焼した最高の姿であったにちがいない』と論じた。

鈴木邦男さんは『三島の「文化防衛論」は里見の天皇論を下敷きにしていると思う』と書いているが、資料の裏付けはない。三島氏は『文化防衛論』で、『私見によれば、言論の自由の見地からも、天皇統治の「無私」の本来的性格からも、もっとも恐るべき理論的変質がはじまったのは、大正十四年の「治安維持法」以来だと考へるからである。すなはち、その第一条の、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ……」といふ並列的な規定は、正にこの瞬間、天皇の国家の国体を、私有財産制度ならびに資本主義そのものと同義語にしてしまつたからである。この条文に不審を抱かない人間は、経済外要因としての天皇制機能を認めないところの、唯物論者だけであつた筈であるが、その実、この条文の「不敬」に気付いた者はなかつた』と書いている。

里見は『治安維持法』について國體を冒瀆する罪と言っている。不敬に気づいていた。三島は里見の本を讀んでいないと言えるのではないか。三島氏は『昭和の天皇制は二二六のみやびを理解する力を失っていた』と論じた。里見は二二六を『みやび』だとは思っていなかった。里見は憲法秩序を乱すことを良く思っていなかった。三島の『文化概念の天皇』と里見の感性とは違う。

里見は女系天皇を完全排除する議論ではない。臣籍降下した人の皇籍復帰は望ましくないと述べている。皇位継承は、勅裁を以て決するべきだとしている。私は、女系継承即國體破壊とはならいないと思う。男系男子主義を尊重する見地から旧皇族系一般国民男子の皇籍復帰可能性についても検討することは必要だと思う。その際には、『皇族身位令』など旧法の精神を斟酌すべきであろう。国民の議論を尽くし、最後は、陛下のご聖断を仰ぐのが正しい。そういう仕組みを作るのが大事」。

          〇

申すまでもありませんが、この講演録は小生のメモによるものですので、文責は一切小生にあります。

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