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2012年8月31日 (金)

小沢一郎の韓国に関する発言について

三〇日付の韓国紙、『東亜日報』は、「国民の生活が第一」の小沢一郎が平成二十一年(二〇〇九)十二月、民主党幹事長として訪韓した際、李明博大統領との会談で、自身が首相となれば竹島の領有権を放棄すると発言していたと報じた。会談に携わった外交筋の話としている。

報道によると小沢氏は李大統領に「日韓関係改善のためには韓国人の恨みを慰めなくてはいけない」として「(そのためには)竹島問題解決が最優先だ」と強調。そのうえで「日本が領有権主張を中断し、韓国の領有権を認めなければならない」との持論を展開。「(自身が)首相になればそうする」と明言したという。小沢本人と韓国大統領府はこの報道を否定した。しかし、過去の小沢の言動をみれば、彼がこうした発言を行ったことはあり得ると思う。

小沢一郎は、平成二十年七月十五日の記者会見で、竹島が日本の固有の領土であることを日本の教科書の明記することに関して、「(竹島について)日韓両国で考え方の違いがあり、しっかり話をすべきだ。それを避けておいて教科書に載せるとか載せないというたぐいは筋道が違う」と政府を批判した。竹島はわが国の領土なのだから、その事を教科書に記載するために、韓国と話し合いをする必要は全くない。にもかかわらず小沢がこのようなことを言ったのは、彼が「竹島は日本固有の領土ではない」と考えているからである。

さらに小沢一郎は、平成二十一年十二月、ソウルの国民大学で、「日本人の若者は漠然と他人に寄生し寄生虫として生きているとんでもない害虫だ」「もともと日本人の親達もどうかしている。日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない」「日本人はもともと民度が劣るから、君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」「(日本の古代歴史についても)韓半島南部の権力者が日本の国家を樹立したもの」「日本は騎馬民族に征服された」「天皇・皇室は騎馬民族の子孫だ」などと言った。まともな日本人なら、外国に行ってこんな発言は絶対にしない。

小沢一郎は、習近平来日の時にも、天皇陛下・皇室を蔑にする許し難い言動を行った。彼には祖国愛も尊皇精神もないと断じざるを得ない。小沢一郎が帰化した人だと言うわけではない。また、私は、帰化した人・在日韓国朝鮮人だからと言ってその人を差別したり頭から嫌ったりするべきではないと思う。しかし、帰化した人であろうとなかろうと、日本天皇及び日本国に忠誠心を持たないばかりか、冒瀆する人々は断じて許してはならないと考える。

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千駄木庵日乗八月三十日

午前は、母のお世話。ケアマネージャーの人が来宅。今後の母の介護について相談。

午後は、諸雑務。

この後、文京区役所に赴き、母の介護にかかわる書類提出。

帰途、湯島にて、知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆。

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2012年8月30日 (木)

丹羽宇一郎氏は先人の日本中心思想に学ぶべし

駐共産支那大使の丹羽宇一郎氏は、深田佑介氏に対して「将来は大中華圏の時代が到来する」「日本は中國の属國として生きて行けばいい」「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と言ったといふ。日本民族及び日本國家の尊厳性そして國益を守らねばならない特命全権大使が、支那の傳統的侵略思想である「中華思想」に毒されてゐることは重大である。

室町・戦国時代の神道家である吉田兼倶(かねとも)は、「吾が日本は種子を生じ、震旦(支那注)は林葉を現はし、天竺(注インド)は花実を開く。故に仏教は万法の花実たり、儒教は万法の枝葉たり、神道は万法の根本たり。彼の二教は皆是れ神道の分化なり。枝葉・花実を以て其の根源を顕はす。花落ちて根に帰るが故に今此の仏法東漸す。吾が国の、三国の根本たることを明さんが為めなり」(唯一神道名法要集)と論じでいる。日本の二大外来宗教・思想たる仏教と儒教が神道から分かれた枝葉・花実であるという日本を中心とする国粋思想である。儒教仏教を包摂した根底にこうした強靱な生命力があったのである。

徳川初期の儒学者・兵学者である山鹿素行は、日本の皇統の正統性と政治の理想が古代において実現されていたと論じた『中朝事実』という歴史書を著した。「中朝」とは世界の中心に位置する朝廷の意で、日本の事である。日本は神国であり天皇は神種であるとの意見が開陳されている。素行は、「中華・中国・中朝」は支那ではなく実に日本であるとして、書名を「中朝事実」としたのである。

 平田篤胤の門下にして勤皇の大義を説いた大国隆正は、「今の世の人は、学問とだにいへば儒学のことにこころえてあれど、儒学をのみ学ぶはこと狭し。『神代巻』を本書とし、支那、天竺、西洋よりわたり来れる書籍をすべて、わが神代巻の注釈書とおもひてみるべきなり。…わが門に入る人はたれもかくのごとくこゝろえて、ひろく学ぶべし。」(本学挙要)と論じでいる。

 日本の文化は、外来文化によって高められたということも事実であるが、外来文化もまた日本に伝来し日本に融合されることによって高度なものとなり洗練された。それは日本民族の文化感覚がもともと優れたものであったからにほかならない。丹羽宇一郎大使の乗っていた公用車が支那のバカどもに襲撃された。丹羽氏は、わが国先人たちの主張を篤と勉強し、支那にたいする卑屈なる姿勢を正すべきだ。

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千駄木庵日乗八月二十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは在宅して、諸雑務・資料整理・書状執筆など。

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2012年8月29日 (水)

藤本健二氏の講演で印象に残った話

本日行われた藤本健二氏の講演で、特に印象に残った話を記します。

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「私は、横田めぐみさん生存説を唱えている」

「中国は、北朝鮮に食糧援助をしているという理由で、掘削した地下資源の九〇%を中国に持って行く」

「金正恩は必ず改革開放を行なう」

「日本政府が北朝鮮に心から謝る姿勢が無いと話は進まない」

「拉致問題が解決すれば、日朝国交の道は開ける」

         〇

千駄木庵主人曰く。北朝鮮は共産支那と同盟関係にある。しかし、支那人は朝鮮人を嫌っているし、蔑視している。お互いに利用し合っているのだ。同盟関係とはそもそもそういうものだ。

北朝鮮は共産支那に依存しなければならない状況から脱却したいと望んでいると思う。そのために日本に協力を得たいのだ。日朝の政府間協議再開も、藤本健二氏の北朝鮮行きも、今回の竹島問題で北朝鮮が一切は発言しないもそうしたことが原因だと思われる。北朝鮮は、支那一辺倒から脱却したいのだ。

しかし、日本はそういう北朝鮮の戦略にやすやすと乗ってしまってはならない。第一、わが国が北朝鮮に謝罪することが日朝国交の前提だなどというのはとんでもないことである。「金日成政権」は、ソ連軍が朝鮮北部を軍事占領したことによってできたのである。本来、国家としての正統性は全くないのである。自分の國の国民を餓死させ、経済的に疲弊させ、独裁政治を行っている「金王朝」に何故日本が謝罪しなければならないのか。チャンチャラおかしい。

わが国は、支那や韓国にどれだけ経済協力をしただろうか、しかるに今日支那も韓国もわが国に牙を剥いて来ている。同じ轍を踏んではならない。

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千駄木庵日乗八月二十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。木村三浩代表が挨拶。藤本健二氏が「私があえて北朝鮮に行った理由」と題して講演。質疑応答。内容は後日報告します。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年8月28日 (火)

日暮高則氏(アジア問題ジャーナリスト)の講演内容

八月四日に開催された『アジア問題懇話会』における日暮高則氏(アジア問題ジャーナリスト・元時事通信社香港特派員)の「ますます中国化する香港」と題する講演内容

「香港ドルが衰退し人民元が闊歩。大陸の人がたくさん来ている。香港の人は人民元を欲しがる。しかしコンビニやタクシーではまだ使えない。一国二制度は可能だが、一国二通貨は難しいと言われる。

大陸の政治内幕本が多い。羊頭狗肉の本もある。薄熙来事件の内幕や、陳希同日記が売れている。大陸から来た人が買う。ブランドショップが多い。大陸の金持ちが香港に来る目的はブランド物を買うこと。不動産価格は一時下がったがその後盛り返してきた。九七年当時の不動産価格に戻った。普通語の普及が増している。

毎月九十万から百万の観光客が大陸から来る。香港人との軋轢あり。トイレを汚す。列に割り込む。禁止場所で喫煙する。大陸人のマナーが悪いので、香港人のマナーが良くなった。昔は香港人のマナーは良くなかった。逆効果が生まれた。

大陸から香港に出産に来る妊婦が激増。香港は医療と福祉がしっかりしている。香港は出生地主義。戸籍が香港になる。大陸に何かが起ったら、香港に来てここから外国に逃げようという事か。九・五万人の新生児の内、四・四万人が大陸人の子。産院が満員になり、香港人が子供を産むのが大変になり、デモが起った。『妊婦から特別税を採れ』『受け入れ制限をしろ』という意見が強まっている。

『香港経済は中国の繁栄で支えられている』などという大陸人による香港人への差別発言がある。今年一月下旬に、孔子の七十三代目の子孫を名乗る孔慶東北京大学教授が『香港人は中国人と思っていないようだが、彼らは植民地時代に英国人から犬扱いされて来たので、人間ではなく犬なのだろう』と語ったことで、香港人の怒りは頂点に達した。以前は、香港人は大陸人を馬鹿にしていた。経済的地位の逆転について香港人は忸怩たる思いがある。

八六・九%の人が、返還前と比べて報道の自由が後退していると答えた。政治的自由は縛られる方向。『港人治港』は確実に『党人治港』になった。

『大陸の香港化』は、『六・四天安門事件』の見直しが前提。習近平の父親の習仲勲元国務院副総理は、胡耀邦と滅茶苦茶に仲が良かった。胡耀邦失脚の時にかばった。習近平は胡耀邦を見直さざるを得ない。それが政治体制の変革になる可能性あり。それによって共産党が対内的に国民の支持を得る事は、日本にとっては危険。『六・四』の見直しによって共産党の求心力が高まることは危険」。

       

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千駄木庵日乗八月二十七日

午前は、母のお世話。

午後二時より、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者の方との最終的打ち合わせ。帰宅して最終校正。

この後、二人の知人来宅。懇談・打ち合わせ。

夜は、原稿執筆・校正など。

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2012年8月27日 (月)

三島由紀夫研究会例会における金子宗徳氏の講演内容

三島由紀夫研究会例会(七月三十日)における金子宗徳氏(里見日本文化学研究所主任研究員)の講演内容

「本日(七月三十日)は、明治天皇崩御から百年の命日。昨日、関西で有志により『明治天皇百年祭』が行われた。田中智学などが中心となって請願署名運動が行われ、昭和二年三月、十一月三日が『明治節』という祝祭日となった。戦後、十一月三日は、『日本国憲法』公布の日ということで、『文化の日』という祝日になった。これを正常化しようという運動が行われている。請願署名運動にご協力いただきたい。

昭和五十年に私は生まれた。私は右翼少年であった。小学校四年か五年の時、白髪の老人がテレビで『土井たか子を牢屋に入れろ』と絶叫していた。赤尾敏氏だった。それを聞いてはまってしまった。右翼に関心を持つようになった。父も保守的な考えの持ち主であった。

筑波大付属駒場高校に入った。前身は東京教育大学であった。社会科の先生はみな家永三郎の弟子のような人。『神武天皇はいなかった』というところから授業が始まった。戦後民主主義のエリート養成学校だった。国立の学校なのに入学式に国旗・国歌なし。生徒会役員選挙に立候補し、国旗を掲げ国歌を歌うことを公約した。

中学時代に冷戦が終わった。六本木のマハラジャヤというディスコでわけのわからない踊りをやっているのを見て、ろくな時代ではないと思った。当時の社会に生理的に違和感を持った。『資本主義の勝利だ』と言っていた人もいた。マルクス主義と資本主義は対立しているように見える。しかし、インターナショナリズム、国際化、資本が国境を越えて行く、という事において、資本主義もマルクス主義も大して変わらないと思った。浅田彰の『逃走論』は左の側から同じことを論じていた。右も左も全く闇ではないかと思った。

一番はまったのは三島由紀夫の『英霊の声』だった。『天翔けるものは翼を折られ 不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う』という一節がある通り、本質的なものが崩されていることを文学的に表現されている。私の心性にぴったりとはまった。高校時代『英霊の声』を一日何回も読んだ。三島先生特に『英霊の声』を心の支えにしてきた。

高校三年の時、三つものに関心を持った。①新右翼。②保田與重郎。③近代の超克論争。近代の超克論争は『冨山房新書』で讀んだ。片言隻句が面白いと思った。京都学派を生んだ京都大学に行こうと思った。しかし京都大学も大衆化していた。まだ高校の方がましだと思った。日本の文化を学ぶため『能』のサークルに入った。『第三回読売論壇新人賞』に応募した。松本健一が審査員をしていた。『国家としての「日本」-その危機と打開への処方箋』という論文で優秀賞を受賞した。最優秀賞は長島昭久だった。

里見岸雄は明治三七年に生まれ、昭和四九年に亡くなった。田中智学の三男。中学を退学。その後独学。大学入学資格を取り、早稲田大学文学部を首席卒業。欧州に遊学して、帰国後、里見文化研究所設立。マルクス主義的社会科学ではない國體科学を樹立するという野心的な試みを展開。これは科学的國體論とも言った。その延長線上に日本國體学会がある。田中智学は日本國體学を以前から提唱していた。田中智学は僧侶から還俗して宗教改革を志した。浄土真宗教学の近代化に尽くした島地黙雷は思想史に登場する。しかし、田中智学は『軍国主義的スローガン』を作ったという予断があるため黙殺された。

里見の著書『天皇とプロレタリア』(昭和四年)や『國體に対する疑惑』(昭和三年)がベストセラーになった。大正十四年に制定された『治安維持法』は國體と私有財産制を同列視するものとして昭和三年に批判している。神聖なる國體がブルジョアの自己防衛に利用されたとした。日本國體を私有財産制と同一視すべきではないと論じた。里見は『天皇機関説』も『天皇主体説』もどちらも中途半端であるとして批判。『國體法の研究』(昭和十三年)により立命館大学から法学博士号を授与された。佐々木惣一は里見の学問を高く評価した。

里見岸雄は三島由紀夫とは一面識もなく、作品も読んだこともなかった。三島氏の自決の後、『三島由紀夫と飯守重任』(

(「國體文化」・昭和四十六年三月号)において、『文学がどうの美学がどうのなどという問題とは何の関係もない彼の国士的生涯の終幕であったのである。』『三島の割腹は、まさに憲法改正という国民的悲願の成就の為めに、その身命を国家に供養したものと解すべきであって、彼の愛国精神の燃焼した最高の姿であったにちがいない』と論じた。

鈴木邦男さんは『三島の「文化防衛論」は里見の天皇論を下敷きにしていると思う』と書いているが、資料の裏付けはない。三島氏は『文化防衛論』で、『私見によれば、言論の自由の見地からも、天皇統治の「無私」の本来的性格からも、もっとも恐るべき理論的変質がはじまったのは、大正十四年の「治安維持法」以来だと考へるからである。すなはち、その第一条の、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ……」といふ並列的な規定は、正にこの瞬間、天皇の国家の国体を、私有財産制度ならびに資本主義そのものと同義語にしてしまつたからである。この条文に不審を抱かない人間は、経済外要因としての天皇制機能を認めないところの、唯物論者だけであつた筈であるが、その実、この条文の「不敬」に気付いた者はなかつた』と書いている。

里見は『治安維持法』について國體を冒瀆する罪と言っている。不敬に気づいていた。三島は里見の本を讀んでいないと言えるのではないか。三島氏は『昭和の天皇制は二二六のみやびを理解する力を失っていた』と論じた。里見は二二六を『みやび』だとは思っていなかった。里見は憲法秩序を乱すことを良く思っていなかった。三島の『文化概念の天皇』と里見の感性とは違う。

里見は女系天皇を完全排除する議論ではない。臣籍降下した人の皇籍復帰は望ましくないと述べている。皇位継承は、勅裁を以て決するべきだとしている。私は、女系継承即國體破壊とはならいないと思う。男系男子主義を尊重する見地から旧皇族系一般国民男子の皇籍復帰可能性についても検討することは必要だと思う。その際には、『皇族身位令』など旧法の精神を斟酌すべきであろう。国民の議論を尽くし、最後は、陛下のご聖断を仰ぐのが正しい。そういう仕組みを作るのが大事」。

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申すまでもありませんが、この講演録は小生のメモによるものですので、文責は一切小生にあります。

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千駄木庵日乗八月二十六日

午前は、母のお世話。

新橋生涯学習センターにて、「日本の心を学ぶ会」開催。渡邊昇氏が主催者挨拶。小生が、『大和心と歌心』と題して講演。活発な質疑応答が行われた。終了後、懇親会。

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帰宅後は、原稿執筆。

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2012年8月26日 (日)

国会決議に反対した政党を糾弾する

国会決議に反対した共産党、社民党、新党大地・真民主の各党は、国家主権・領土そして何よりも、天皇皇室の尊厳性を否定あるいは無視する政党である。

社民共産は反日政党であり、國體破壊を目指す国賊政党である。鈴木宗男氏の率いる『新党大地・真民主』が反対したのは一体どういう事か。色々理屈をつけているようだが、やはり賛成すべきだったろう。

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この頃詠みし歌

水を替へし花瓶を供へ手を合はす父の遺影の笑み懐かしき

逝きし父の写真の笑顔に真向かひて「お父さん」と声かけるかな

大陸に戦ひ祖国に帰り来て戦後を生き抜きし父をし偲ぶ

酔ひし身で団子坂をば下り来ればスカイツリーが彼方に見ゆる

歌詠むを一日の終りの習ひとし筆を執るなり心鎮めて

クリスタルといふ言葉を好み見上げれば今にも崩れ来る如き高楼

猫が三匹茶房の椅子に寝そべりて客入り来ても動かざりけり

夏の光りギラギラ射し来る交差点 信号を待つ時の苛立ち

切歯扼腕するしかすべなき悔しさよ韓国人の暴虐を見ても

大君を辱める言葉吐きにける韓国大統領の顔の貧しさ

隣国といふ言葉すら使ひたくなき思ひ 大韓民国よ竹島を返せ

日本を恨み憎むしか生きる道なき國なるか大韓民国

仕事終へ眠らむとする夜の更けに静かに誦する般若心経

日日を為すべきことを為しにつつ生きて行きなば悔いなかるべし

活断層が文京区の真下を通るといふ 嗚呼神ながら魂幸(ちは)へませ

この頃はトンボを見ることなくなりぬ蜻蛉島大和の国の千駄木の町

玄関に塩を供へて邪気祓ふ祈りと共に柏手を打つ

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千駄木庵日乗八月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送作業・発送完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

この後、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。『やまと心と歌心』と題して講演します。

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2012年8月25日 (土)

二十五回日本の心を学ぶ会のお知らせ

二十五回日本の心を学ぶ会のお知らせ

上御一人日本天皇から下万民に至るまで日本人は和歌を詠み親しんできました。その伝統は、今日の行なわれている「宮中歌会始」に継承されています。和歌は、日本天皇の国家統治の根幹であります。また、日本民族の魂の表白でもあります。明治維新の志士の方々をはじめ維新変革運動を志された諸先輩方も多くの和歌をのこされました。さらに、国のために命を捧げられた護国の英霊も、多くの辞世の歌を残されています。

今日、祖国日本は内憂外患交々来ると言った国家的危機に立たされています。このような時こそ、大和魂を奮い立たせるべく、「やまと歌」の心に回帰すべきではないでしょうか。大和心と歌心と現代日本の変革・国難打開について語り合いたいと思います。多くの方々のご参加をお待ち申し上げます。

【日 時】 平成24826日(日)午後2時より

【場 所】新橋生涯学習センター ばるーん 204号室 東京都港区新橋3163
     JR新橋駅下車烏杜口徒歩3分地下鉄浅草線・銀座線・ゆりかもめ:新橋駅下車4
【演 題】『大和心と歌心』
【講 師】四宮正貴 四宮正貴政治文化研究
     
【司会者】渡邊昇日本の心を学ぶ会 代表
【参加費】資料代5百円終了後近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】日本の心を学ぶ会事務局 埼玉県川口市安行藤八33-13 電話 090-8770-7395

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支那という国の体質について

支那は易姓革命が繰り返された国である。日本のように建国以来一系の天子が国を統治してきた国ではない。しかも支那における「革命」とは、西欧の「革命」とは全くその性格を異にする。体制の根本的変革ではなく、王朝が交代しただけである。だから、何回革命を行なっても、革命前の体制に戻ってしまう。というよりも基本的に何も変わらないのである。しかも今日に至るまで「国政選挙」「国民の代表者を国民全体が自由選挙によって選ぶ」という事を経験したことがない。

最近亡くなった邱永漢氏は、「中国国家の本質は、秦の始皇帝以来、何千年にもわたる官僚専制国家というところにある」と言っていたという。近代になって孫文が主導した辛亥革命、毛沢東が主導した共産革命が行われたが、結局革命後何年か経つと元の木阿弥になってしまった。圧倒的多数の国民は貧困にあえぎ、政治的自由を獲得することはできない。そして、混乱が繰り返される。

共産革命や文化大革命は、万人平等の世の中にするという事が目的だったはずだか、そんなことはどこかへ吹っ飛んでしまっている。そして一部の権力者・官僚による権力にものを言わせた不正蓄財が行われている。彼らは汚職と私腹を肥やすことに何の罪の意識を感じない。

孫文は「天下もって公と為す」と言った。国民党政権下の台湾では役所や国民党の機関にこの標語が掲げられていた。毛沢東は「人民のために服務せよ」と言った。この標語も共産支那の役所や共産党の機関に掲げられている。中南海の入り口にも大きく書かれている。しかし実際には、この標語と全く逆の事が行われているのが支那という国なのである。標語が掲げられるという事は、その標語が実行されていないからである。

薄熙来の父親・薄一波は革命第一世代で、共産革命後権力を握ると実権派として官僚支配の一翼を担い特権階級となった。その息子・薄熙来は、太子党として権力を利用して金を貯め込み王侯貴族の生活をした。支那共産党の官僚はみんな同じようなことをしているのだ。薄熙来は権力闘争の負けただけの事である。

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千駄木庵日乗八月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。その後、区役所の出張所に書類提出に赴く。隣接する森鷗外記念本郷図書館で調べもの。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2012年8月24日 (金)

「日本の心を学ぶ会」における瀬戸弘幸氏の講演内容

「日本の心を学ぶ会」における瀬戸弘幸氏の講演内容

「東アジアの覇権がどうなるか。アメリカは東アジア覇権を守る戦略。支那と手を結んでアメリカを追い出すという動きあり。自民党の中にもある。田中角栄以来の動き。尖閣を棚上げしてきた。日米同盟に敵対する形になる。前原は民主党で一番最初に中国脅威論を発言した。

左翼は三・一一以後反原発運動を組織。日米関係に対する危機的内容を作り出す要素あり。日本の国連常任理事国入りに反対したのが中国とロシア。日本はアメリカに従属しているというのは間違い。日本はロシア・中国・韓国の新たな『三国干渉』を受けている。

中国の核実験で六十倍以上の放射能を浴びた。しかし、何の害もなく日本人は生活して来た。反原発が反米に進んでいくことに国民は鈍感。アメリカを敵に回したら日本はやっていけない。アメリカが親日国家であることは今回の震災で証明された。アメリカは日本にとって大切な国であることを今とは違った形で宣伝する」。

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千駄木庵日乗八月二十三日

午前は、母のお世話。

午後、日本橋室町の三井記念美術館にて開催中の「日本美術デザイン大辞展」を参観。

この展覧会は、「古美術の用語を実際の美術品を見ながら学ぶ試み」として開かれた。「誰が袖」「色絵」「鱗文」「雲英摺」「饕餮文」「染織品」など様々な用語に関連する作品が展示されていた。「唐獅子牡丹蒔絵硯箱」「大津絵 鬼の念仏」「瑞芝焼登龍門図花生」「誰が袖屏風」「唐物肩衝茶入」「雲龍図」「酒呑童子絵巻」「郭子儀祝賀図」などを観る。

「大津絵 鬼の念仏」には「善悪不二 本来一如 不二之性 鬼神即佛」という本覚思想に基づく禅語が書かれていた。本覚思想とは、日本伝統信仰に融合した仏教思想で、天地自然に仏が宿っている、というよりも天地自然は佛の命そのものであるという信仰である。

「誰が袖屏風」とは、衣桁(いこう)に掛けた豪華な贅を尽くした美しい小袖を、金屏風に描いたもの。

「古今和歌集」巻一の「色よりも 香こそあはれと おもほゆれ 誰が袖ふれし 宿の梅ぞも」(我が家の庭の花は色よりも香りこそいいなあと思われる。誰の着物の袖がふれてその移り香がこの梅の花にのこしたのだろう、という意)とい詠み人知らずの歌がその由来とされている。

平安時代から、着物に香を焚きしめる風習があった。時代が下がると小さな匂い袋を懐中にしのばせるようになった。その匂い袋のことを「誰が袖」と呼んだという。

日本美術のみやび、繊細さ、制作技術の精巧さ、そして美しさを実感した。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆など。

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2012年8月23日 (木)

日本伝統精神の復興による危機の打開

橘曙覧(幕末の歌人・國学者。越前国(福井県)の人。王政復古を希求。萬葉調の気品ある歌を詠んだ)は次のやうに歌った。

利(くぼさ)のみむさぼる國に正しかる日嗣(ひつぎ)のゆゑをしめしたらなむ

この歌について折口信夫氏は、「彼の夷狄らは利を貪り、利を營むことにのみ汲々としてゐるが、其故にこそ、王者の興亡が常ならぬのである。正しい皇統の連綿としておはす故を、彼らにしらしめてやるがよいと言ふ…夷狄の、利に敏いことを聞いて、又人に諭したのだ。さう言ふ外国人などとの通交に、わが国が不利益な立場にばかり立ってゐた事を知ってゐたのである。」(『橘曙覧評傳』)と論じてゐる。

支那は今や曙覧が言ふ「利のみ貪る國」になり果ててしまった。鄧小平以後の支那共産党政権の基本路線である「社会主義市場經濟」「改革開放」とは、「利を貪る路線」である。環境破壊や貧富の格差を顧みず外資に依存したこの路線はやがて破綻すると見る人が多い。自然の荒廃は人心の荒廃につながるし貧富の差の拡大もまた民衆の心を荒廃せしめる。

支那は日本から利を貪らうとして過去の歴史問題を持ち出し、あれこれと内政干渉を繰り返してゐる。それだけではなく、わが国に対して領土的野心をむき出しにしてきた。これに対しては、毅然として対処し、あらゆる手段を用いて撃退しなければならない。

わが國の歴史を回顧すると、國家的危機の時こそ、尊皇精神・愛國心が勃興し、その危機を乗り切ってきた。白村江の戦ひに敗れ、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機に見舞はれた時には、大化改新を断行し、天皇中心の國家體制を明徴化した。壬申の乱の後には、皇室祭祀および伊勢の神宮祭祀の制度が確立し『記紀』及び『萬葉集』が編纂され天皇中心の國家思想が正しく確立された。元寇の時には、それこそ全國民的に神國思想が勃興し國難を乗り切った。幕末の外患の危機に際しては、尊皇攘夷をスローガンとする明治維新が断行され、日本の独立を維持し近代國家として出発した。

今日の日本の危機的状況も、ナショナリズムの興起・日本傳統精神の復興により必ず打開し乗り切ることができると確信する。

それと共に、橘曙覧が歌った通り、「無私の精神」の体現者であらせられる天津日嗣日本天皇を君主と仰ぐ祭祀国家・信仰共同体日本の素晴らしい姿を支那にしろしめすことが大切である。

祭祀とは、自己を無にして神に合一する行事である。自然と祖靈を神として崇める古代祭祀国家の信仰を祭祀といふ生きた行事で今日においても継承してゐるわが國こそ、荒廃した「支那」を救済する原理を有してゐる。「祭りの精神」が、アジアそして世界に広がれば世界の真の平和が実現すると信ずる。

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千駄木庵日乗八月二十三日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の発送準備・諸雑務など。

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2012年8月22日 (水)

『共通の価値観』『大人の対応』とは?

「共通の価値観」という言葉がよく使われる。「自由と民主主義」「議会政治」という事なのだろうか。欧米と日本は確かにそういう面では共通の価値観を持っているのだろう。しかし、文化・宗教・伝統・歴史では相当異なる価値観を持っているのではないか。

わが国と近年の韓国とは「自由と民主主義」「議会政治」それに加えて「東洋道徳」という共通の価値観を持っているから、協力し友好関係を保たねばならないという意見もあった。ところが歴史問題と領土問題で韓国はわが国に対して不当不法な攻撃と侵略行なってきている。しかもその上に、わが国の最も神聖にして至高の御存在であらせられる天皇陛下に対し奉り大統領自身が許し難い冒瀆発言を行った。そしてデモ隊は天皇陛下のご真影に対し奉り言語の絶する侮辱を加えた。こんな国と協力関係・友好関係を結ぶことは絶対にできない。

外交関係における「大人の対応」とは、国家元首がどんなに侮辱されても、固有の領土を侵略支配されても、毅然とした対応をしないことがなどという事は絶対にあり得ない。断固たる姿勢で反撃し領土を奪還することが真の「大人の対応」である。

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『東京財団フォーラム・NATOの「新戦略概念」と日本の協力』における登壇者の発言

『東京財団フォーラム・NATOの「新戦略概念」と日本の協力』における登壇者の発言は次の通り。

カール・マーラーズNATO議員会議議長「日本には『旅は道連れ世は情け』という言葉があるが、日本とNATOとの関係をよく示している。アフガン復興支援およびNATOにとって日本は非常に重要。共通の価値観を持つパートナーシップが不可欠。祖の強化を望んでいる。日本とNATOは同じ安保危機に直面したので、知識を共有しお互いに学ぶことが出来る。ドイツはもっと安全保障に貢献したいがお金が足りない。金融危機で軍にお金をかけることに国民の人気が無い。他の方法を考えねばならない。日本と私たちとは同じ価値観を持ち同じ課題を抱えている。『安保が無ければ自由は無い』とフンボルトは言っている。協力を強化しましょう」。

カール・ハインツ・カンプNATO国防大学研究部長「金融危機は従来とは違う。規模が大きい。大きな国々もかなりの形で影響を受けた。終わりが見えてこない。多くの国々の財政が均衡するまで二、三十年かかる。NATO各国で予算が削減されている。NATOの軍隊は今にも増して介入に制約が出来る。アメリカは戦略的視点をアジアに移していこうとしている。NATOはヨーロッパ中心主義を維持すべきか、アジアにシフトすべきか。『アラブの春』を私たちは歓迎する。NATOはメンバー国の領土と人民と死活的利益の三つを守る。中国からこの三つに対する攻撃が来るとは思わない。福島の後、災害への合同演習を行っている。日本の専門家が来て説明してくれたし議論もしている。サイバー防衛を構築する上での経験の共有と規範が大事」。

ミヒャエル・リューレNATO新規安全保障課題局エネルギー安全保障課長「NATOの行動はグローバルに行っている。しかしNATOはまだ本当の意味の思考回路はまだ来ていない。アフガン徹底後はヨーロッパに戻るべしという意見あり。金融危機で防衛予算が削減されている。しかしNATOはグローバルな思考を持たねばならない。テロ・サーバー攻撃に国境なし。これがグローバル化の暗い側面。シリアで化学兵器が使われている。NATOは情報共有システムを持っている。これを利用して大量破壊兵器のディフェンスが出来る。パートナーとの協力を強化している。日本の信頼できるパートナー国。ミサイル防衛に投資を増やしている。自分で自分を守らねばならない。核の抑止が重要。不拡散をどうやって維持できるかを討論している。アジアに目を向けている」。

鶴岡路人防衛研究所主任研究官「ヨーロッパにとってアジアの安全保障は関係ないと思う人が多い。しかしヨーロッパではアジアの安保がヨーロッパに影響を与えるという関心が高まっている。イラクで日本の自衛隊とヨーロッパの軍との接触があり協力がある。シブチに自衛隊の哨戒機を置いている。隣はEUの軍隊がいる」。

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千駄木庵日乗八月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルで、笹川平和財団主催「ランドール・シュライバー氏(プロジェクト2049研究所所長)講演会・日米のパートナーシップ強化に向けて・アーミテージ・ナイ報告書2012から』という長い名前の会合に出席。

帰途、赤坂にて、友人夫妻と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年8月21日 (火)

韓国の反日感情について

最近は、父の長期間の入院、母の介護のことなどがあり、海外旅行はできなくなっておりますが、十年位前までは、時々海外に行きました。韓国にも十回以上行ったと思います。そしてただの一回の反日感情をぶつけられたことはないのです。私が接触した韓国の人々は、親日的な人ばかりだったのでしょうが、それにしても不思議でした。

二十年くらい前の事ですが、何かの問題で、韓国で反日運動が起っていた時に訪韓しました。事前に「日本人はタクシーに乗せてもらえない」とか「食堂や喫茶店に入れてもらえない」などと言われました。ところが実際にソウルに着いたらまったくそんなことはありませんでした。それどころか私が泊まっているホテルの玄関で、タクシー運転手が日本人客を取り合って大声で喧嘩をしていました。

今は亡き名越二荒之助先生が団長となられた日韓関係の史跡巡りの旅行団に参加して訪韓した時には次のようなことがありました。

ソウルのパゴダ公園に行きました。この公園は三・一独立運動の発祥地で、ここで独立宣言書が読み上げられたという所です。東京で言えば日比谷公園のようなところで、日本軍が独立運動を鎮圧している場面が描かれたレリーフがありました。その前のベンチで多くの老人たちが日向ぼっこをしていました。私たちは日本から来た訪問団であることを明示した横断幕をつけた観光バスでパコダ公園に行ったのです。その老人たちは、我々が公園に入って行くと、みんなニコニコ笑いながら近づいてきた握手を求め、「日本の方たちですか。よく来てくれました」と言ったのです。私は石でもぶつけられるかと思っていただけに、これには驚きました。

食堂に行っても、民族独立記念館とかいう反日の展示ばかりの博物館に行っても、あるいは李舜臣という豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に戦った将軍を祀る廟に行っても、多くの韓国の人々が来ていましたが、我々が日本人だと分かっても、罵声一つ浴びせるわけでもなく、むしろ好意的に目を向けていました。独立記念館の売店で、図録を購入しようとしたら、売店の女の子か「これは日本人の方は買わない方が良いです」とか言って売ってくれませんでした。

その他、韓国の学者・評論家の人々との勉強会や会食などでも、我々に朝鮮統治時代のことを責め立てる人はいませんでした。朝鮮戦争で戦った将軍の人は、日本の士官学校で学んだことを誇らしげに語っていました。勿論日本語もペラペラでした。

このような経験があったものですから、韓国の反日運動や排日姿勢は、それほど深刻なものではないのではないかと思っていました。しかし、今回の李明博の畏れ多くも 天皇陛下に対する許し難い侮辱発言、さらに、反日デモ隊が 天皇陛下の人形を路上で焼く光景を見て、私の認識は間違っていたと実感しました。この事で、「日韓友好」などという事は金輪際あり得ないと思いました。

姜尚中氏や呉善花さんなど日本にいて色々評論活動をしている韓国の人が今回の事でどういう発言をするか注目しています。荒木和博氏や西岡力氏など朝鮮半島問題の専門家の方々のお考えも聞きたいと思っています。

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千駄木庵日乗八月二十日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、資料の整理など。

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2012年8月20日 (月)

支那・朝鮮になめられたらいけない。徹底的に強気で行くべし。

あまり書きたくはなかったのだが、事実だから仕方がない。戦前戦中「俺たちは大日本帝国臣民だ。日本人だ」と言ってアジア諸国民に威張り散らしたのが朝鮮人。戦後は、「俺たちは戦勝国民だ」と言って日本人に威張り散らしたのも朝鮮人る。どこの国に行っても一番嫌われているのが朝鮮人。その次が支那人。支那人の朝鮮人への差別意識は尋常ではない。完全に属国と思っている。朝鮮人の強い方につくという事大主義は全く変わっていない。支那人もそんなところがある。とにかく日本は支那・朝鮮になめられたらいけない。徹底的に強気で行くべし。

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無法国家・侵略者から祖国を守るにはどうすればいいか

真正保守運動・愛国運動は、戦後一貫して共産支那批判を行って来た。そして共産支那や南北朝鮮に対する土下座外交・謝罪外交・弱腰外交を糾弾してきた。愛国運動・民族運動の訴へて来たことがいかに正しかったかが、証明された。

政府は、「毅然と対応していく」と言うが、わが國政府が行うべき「毅然とした対応」とは、直ちに尖閣諸島に陸海空の自衛隊基地を建設することにより、実効支配を確実なものにして日本領土であることを示すべきである。そして侵略者に対して決然とした対応を取ることである。李明博による「天皇陛下侮辱発言」に対する謝罪がないかぎり韓国との一切の交流を断絶すべきである。

我々が、「共産支那脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論した。こうした論議が全く間違っていたことが、今日明白に証明された。

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

南北朝鮮や共産支那に経済協力をすることは即ちわが国及びわが国民の安全を脅かすことなのである。また軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、自主防衛体制確立に努力すると共に、自主防衛体制が確立されるまでは、日米軍事同盟を堅持し強化する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立ては無い。

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高野孟氏の「日本農耕文明に回帰せよ」と題する講演内容

一水会フォーラムにおける高野孟氏の「日本農耕文明に回帰せよ」と題する講演内容。

        〇

「社稷の社は五穀の神。稷は土地の神。周の時代から天子が壇を立て国の繁栄を祈った。転じて社稷とは国家の意となった。

福島原発事故で、使用済み核燃料プールが爆発を起こさなかったのは全くの偶然。『神風が吹いた』とアメリカの専門家は言った。全電源喪失で水素爆発を予想し首都圏三千萬人の退避を覚悟した。しかし危機的状況は去っているわけではない。

一九五四年が日本の原発元年。アメリカの押しつけによる原発導入。その先頭に立ったのが正力。使い走りが中曽根。翌年、科学技術庁が出来、初代長官に正力が就任。読売がキャンペーンを張った。一九四五年から六七年間、広島・長崎・ビキニ・スリーマイル・チェルノブイリ・福島という六大核大惨事。そのうち四つが日本。核なき世界への先導者は日本以外にない。西洋技術文明・近代化、金で買える幸せを追い求めてきた。その延長線上で考えては駄目。

七一〇年、律令国家が出来た。天皇制国家の皇祖神は天照大御神。読売は、『ついに太陽に手が届いた』と書いた。日本の太陽神は縄文にさかのぼる。古代の人類の太陽への思いに於いて世界へつながる。中国は天と地の垂直思考。日本は縄文以来水平思考。伊勢神宮をはじめとした神社の配置は、朝日を見ている。東から出て西に沈む。水平的な太陽への親しみ方が日本の特徴。『萬葉集』に『高天原』が出てきた。天照大神は垂直と水平の折衷。縄文以来の太陽信仰が律令国家・『記紀』の成立と前後して、ニューバージョンになった。

縄文以来一万三千年。太陽の恵みを生かして農耕生活を充実させていくことが始まった。稲が中心となる日本農耕文明はそれだけの歴史を持つ。太陽こそ命の源、太陽が神であるという事をもう一度かみしめなければならない。太陽こそが地球の生命の循環を司っている。

日本列島は南北三千キロ。きわめて高い生産力を持っている。豊かな風土。日本人は上手に使いこなしてきた。蝦夷・大和・琉球の三次元が日本の歴史構造の基礎。竹田恒康氏は『原発は神の土地を放射能で汚した』と言った。その通り。土地の表面は私の物。土地の中は祖先や村の皆の物。その下は神様の物。これが日本人の土地感覚。それを一瞬して何万年も使えなくするのは放射能。

江戸時代初期から中期に世界最高レベルの農耕技術に発展。土地生産力を引き出す革命を江戸中期に行った。その力が日本近代化を準備した。大阪で初めて米の先物取引所が出来た。

日本は稲作漁撈文明。西洋は麦作牧畜文明。西洋は怒りと力の文明。日本は安らぎと慈悲の文明。西洋は経営規模拡大。日本は家族労働。西洋は森林伐採。日本は森林保全。森を切ってしまうのか大事にするのかに違いがある。自然を畏れ敬う事が日本人の基本。自然に寄り添わなければ生きていけないという考え方が美しい農耕社会を作ってきた。福島県飯館村は日本で一番美しい村と言われて来たのに、今は鉄柵を作って入れなくしている。

日本人にとっての根源的な自然観・人間観・宗教観に戻らなければこれから生き残るすべはない。二十一世紀は、土に根ざした可能な限り自給的な生活をしていかなければならない。

日本の生活形態の象徴としての天皇。修学院離宮を思い浮かべる。延々とした棚田の真ん中に修学院離宮はある。日本で一番美しい棚田。新しい文明を目に見えるものとして作り出す。日本の再生は、本当に自然と一緒になって生きて行くこと。自然を畏れつつ生きる新しい文明の在り方を世界に提示する。

原子力ムラの死に物狂いの反撃で再稼働が始まった。電力不足という脅迫は嘘。火力の増強で乗り切って自然エネルギーを開発する。CO2問題も克服可能。石炭ガス化の最高の技術を日本は持つ。それをやられたら原子力村が終わってしまうという危機感がある。

金か命かの話。具体的には江戸時代をモデルにする。ヨーロッパ型の発展モデルを日本に押し付けたノー天気な歴史観が江戸イメージに覆りつつある。明治以来突っ走ってきた近代の行き詰まりから江戸時代に舞い戻る。ヨーロッパに戻るよりも江戸に戻る」。

          〇

高野氏の文明観には基本的に賛成である。ただ、江戸時代に回帰することは果たして可能であろうか。我々は精神において、もの考える基本・生活していく基本において、古代から継承されてきている日本人の自然観に回帰することが大事である。「自然に神が宿ると信じ、祭祀を行う」という信仰精神を基本にして生きと行くことが大事であると思う。その祭祀を行って来られた方が、日本国の祭祀主であらせられる日本天皇である。

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千駄木庵日乗八月十九日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、書状執筆・資料の整理・原稿執筆など。

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2012年8月19日 (日)

「憲法懇話会」における出席者の発言

本日の「憲法懇話会」における出席者の発言で印象に残ったことを記します。

「憲法の役割は、権力の制限規範・契約手段ではなく、一心同体の規律・國體を表現する役割を持つ」。

「国家と立国法と天皇は、存在自体に前後はない」。

「永続する国、ネーションとしての国を表現するお方が天皇」。

「日本国らしさとは、祭政一致・天皇統治・君民一体」。

「政体は國體を表現する手段」。

「天皇の権威が権力に正当性を帯びさせる」。

「天皇の地位が象徴なのではなく、天皇の属性が象徴である。天皇の地位は国家元首である」。

「國體を法規範の中にどう規定するかが問題。法律とは命令と禁止の規範」。

            〇

小生は次のように述べた。

「国務と政務とはどう違うのか。国務大臣の『国務』とは何か、政務官との『政務』とは何か」。

「鎌倉幕府以来の武家政治の最高権力者にも、天子に対する畏敬の念はあった。天皇の尊厳性の根源は祭祀と血統にある。即ち現御神としての神聖権威にある。一人一人の天皇の君徳によるのではない。(勿論君徳も含まれるが)」。

「日本人の天皇への畏敬の念は法による強制ではない。歴史と伝統に基づく」。

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千駄木庵日乗八月十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。訪問介護の方と共なり。

午後は、資料の整理。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学副学長が座長。高乗智之高岡法科大学准教授、慶野義雄平成国際大学教授が研究発表。全員で討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年8月18日 (土)

『中東イスラム政治変動講演会』における登壇者の発言内容

『笹川平和財団主催・中東イスラム政治変動講演会』における登壇者の発言内容は次の通り。

宮家邦彦キャノングローバル戦略研究所研究主幹「①内政・二国間関係②地域情勢③国際情勢、の三つを同心円で見るべしと先輩から教えられた。ユーラシア大陸を全体としてどう見るか。地図をひっくり返して見る。日本と中国のシーレーンが重なっている。キリスト教圏とイスラム教圏とが攻防を繰り返して来た。イスラム教圏=中東の力が盛り返すかという時代になっている。

七十年代に中東でアメリカが関与し始めた。イギリスは撤退した。イギリスとフランスが中東を仕切っていたが、スエズ戦争以後アメリカが関与して来た。湾岸地域はサウジ、イラン、イラクのパワーバランスが崩れる時色々な動きが出る。イスラエルの安全保障、石油の自由な流れの二つがアメリカの中東政策の中心。ブッシュの時代は最悪。

中東は力が空白になり、誰かがその空白を埋めることの繰り返し。イランのシャーが台頭し、シャーが倒れ、ソ連がアフガンに侵攻した。サダム・フセインがイランに戦争を仕掛けた。ソ連がアフガンから撤退し、アルカイダ、タリバーンが介入。一時的にタリバーン、アルカイダが退場し、アメリカがイランとアフガンで戦って、得るものはないまま撤退。

イラクは核を持たなかったからアメリカにやられ、北朝鮮は核を持ったからアメリカにやられない。イランは核兵器を持とうとしている可能性は高い。イランはホルムズ海峡を支配したい。ペルシア帝国の版図にイラクは入っている。この十年以内に矛盾は沸騰点に達する。

アメリカが中東で余計な戦争をしている間にアジアで中国が台頭した。アメリカはアジアと中東で二正面作戦が出来るから日本は安全でいられたが、そういう時代は終わるのではないか。

抑止が破れるから戦争が起こる。イランの暴発は可能性あり。今のイランの指導者は合理的。しかし十年、二十年後は分からない。アメリカはずるいのでイランを追い詰める。イランは昭和十六年の日本の同じ立場。ソフトパワーはハードパワーがあって力を発揮できる」。

大野元裕参院議員「イランは日本にとって重要なインパクトを与えられる國。シャーの時代に原発を二十基作ろうとした。イラン革命で核兵器開発中止。ホメイニ師が核兵器を受け入れないと宣言。一九八四年のイライラ戦争で原子力研究を再開。IAEAはイランに厳しい。

オバマ政権のエネルギー政策は成功しつつある。インドとパキスタンの対立は核抑止が効いた。イランが核を持つと他の国も持つ。鳩山政権の日本は対米政策の過ちがわが国の中東への影響力低下の原因。イスラエルは域内に於いて他国が核保有することを許さない」。

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千駄木庵日乗八月十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して資料の整理、原稿の校正・執筆など。

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2012年8月17日 (金)

『東京国立博物館一四〇年特集陳列・生誕一五〇年森鷗外』参観

今日参観した。『東京国立博物館一四〇年特集陳列・生誕一五〇年森鷗外』は、「鷗外森林太郎は大正6年(1917)、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)に任命され、同11年に在職のまま死去しました。この時期は、世界的にはロシア革命、第一次大戦の終結、社会主義・民族主義の台頭、国内では、デモクラシーの発展、米騒動、政党内閣の成立など大きな時代の変わり目でした。鷗外は、4年余りの在任中誠実にその職務を務め、創設から 50年近くを経た博物館を、時代の要請に応じた姿に改める役割を担いました。決裁を待つ書類に目を通しつつ、展示の改革、来館者の拡大、調査研究成果の公開に取り組み、当時博物館の管轄下にあった正倉院宝物の管理や上野公園の運営の改善などにも意を用いました。また、自ら館蔵の古典籍をひもとき、厖大(ぼうだい)な解題を書き残しました。鷗外自身はこの時期の業績についてほとんど語ることなく亡くなりましたが、現在まで残された公文書等からは、その精励ぶりをうかがうことができます」(案内書)との趣旨で開催された。

「緒方洪庵追賁之碑拓本」(森林太郎撰、日下部東作書)、「山房礼記」(森林太郎著)「正倉院の栞」(森林太郎序、小野善太郎著)、「上野公園ノ法律上ノ性質」(館史資料)などを観る。

鷗外森林太郎は、団子坂上(当時の本郷区駒込千駄木町、今の文京区千駄木二丁目。小生の住む町の隣町)に長く住んでいた。軍医総監・陸軍省医務局長を退任した後、帝室博物館館長・宮内省図書頭に任じられた。大正六年から亡くなる大正十一年までその任にあった。鷗外は作家・軍医・考証学者・行政官として、それぞれ一流の業績を遺した人である。余り他人を褒めない永井荷風も、生涯鷗外を尊敬していた。

鷗外は、団子坂上の自宅から、馬に乗って上野公園の帝室博物館まで通ったという。当時の上野公園の敷地は帝室林野管理局管轄下にあり、いわば皇室の財産であった。しかし、現実には庶民の公園として親しまれていた。公園内で色々な催しが行われた。ある時『空中文明博覧会』というのが開催され、公園及び博物館の静謐さが保たれなくなる事態となった。そこで鷗外は、開催を許可した上野警察に抗議文を送った。さらに、上野公園を帝室林野管理局管轄下から除外することにも反対した。その時、鷗外自身が執筆した文章が「上野公園ノ法律上ノ性質」である。

小生は、森鷗外のお孫さん(森類氏のお嬢さん)と小学校の同級生であった。母は森鷗外のお嬢さんの小堀杏奴さんと親しくお付き合いいただいていた。また、二松学舎大学で漢学を教わった青洲・濱隆一郎先生は、鷗外が帝室博物館館長であった時、その部下であられた。

           ◎

そして常設展で、「菩薩立像 飛鳥時代」、「国宝 医心方 巻三十 証類部」「高野切本古今和歌集(巻第十八断簡)」「一休宗純筆・教外別伝不立文字」「高村光雲・老猿」「重文 太刀一文字」「重文 真如苑大日如来像」「重文 光得寺大日如来像」「国宝 刀・相州正宗」「蒙古襲来図 菊池容斉」「横山大観 潚湘八景」「重文 薬師寺十一面観音立像」などを観た。

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「高村光雲・老猿」

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庭園

「重文 太刀一文字」

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「国宝 刀・相州正宗」

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千駄木庵日乗八月十六日

午前は、母のお世話。

『政治文化情報』の原稿を印刷所に送付。

午後は、上野公園の東京国立博物館本館参観。『東京国立博物館一四〇年特集陳列・生誕一五〇年森鴎外」などを参観。

帰途、根津で、古くからの友人と懇談。喫茶店で待ち合わせたのだが、猫が三匹も日の当たらない座席でのんびりと寝ている。お客が入ってきても動かない。喫茶店のご主人も猫をどかさないので、仕方なく、西日の当たる暑い席でご主人から猫とコーヒーの自慢話を聞きながら友を待った。

帰宅後は、資料の整理。

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2012年8月16日 (木)

李明博の常軌を逸した反日姿勢について

李明博が、常軌を逸した反日姿勢を急に示し出したのは、政権末期の求心力低下を挽回するためだと言われている。しかしそれだけではないと考える。

李明博の実兄・李相得(イ・サンドゥク)前国会議員が貯蓄銀行からの斡旋収賄容疑などで逮捕された。また最側近である前放送通信委員長や前知識経済部次官が相次いで検察の捜査を受けている。不正に授受された金銭の一部が大統領選の資金に充てられた疑いがあるという。

李明博は大統領を辞任したら逮捕される可能性が高いのだ。韓国大統領は辞任した後、逮捕投獄・自殺・外國逃亡の三つの道を歩むことが多い。李明博はたとえ逮捕されなくとも、その政治生命も権威も全く失い、社会的に葬り去られる恐れがある。

それを何とか回避するため、自分を「反日の英雄」に仕立て上げようとしているのだ。たとえ日韓関係がどんなに悪化しても、自分が刑務所行きになるよりはましだと考えたのであろう。こういう男が国家元首になる韓国という国は本当に何時まで経っても駄目な国である。

そこで三首。

「李明博のたわ言聞きてしかと思ふ 大韓民国はみっともなき国」

「日本を憎み恨むしか生きる道なき國か大韓民国」

「隣国といふ言葉すら使ひたくなしと思ふ大韓民国」

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千駄木庵日乗八月十五日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆・脱稿。

この後、資料の整理など。

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2012年8月15日 (水)

天皇陛下の尊厳性・国家の名誉を護らない者は臣下たるの資格なし

松原仁国家公安委員長は、靖國神社に参拝した。氏は参拝後、「臣 松原仁」と記帳したことを明らかにした。拍手を送りたい。吉田茂元総理を見習ったのであろう。

 一方、野田佳彦首相は靖國神社に参拝せず、東京・三番町の千鳥ケ淵戦没者墓苑で献花するという。私には順序を間違えており、本末転倒のように思える。まず第一に靖国神社に参拝すべきである。

 野田総理も、官房長官も、玄葉外相も、昨日の韓国の李明博による、上御一人・日本天皇に対する不敬発言・侮辱発言に対して何の抗議も批判を行なわない。天皇陛下の尊厳性・国家の名誉を護らない者は臣下たるの資格なし。臣下としての自覚に欠け責務を果たさない野田総理は即刻辞任せよ。

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この頃詠みし歌

炎天下ベランダに出て拭き掃除 汗はだくだく心は晴れる

猛暑来て汗拭き出づる拭き掃除

真夏日がじりじりと照らす下にして老夫婦が歩む姿が見ゆる

健やかに生きゐるわれを寿ぎて仰ぎ見るかな夏の半月

手を振りて去り行く若き友どちの幸せ祈る夏の真昼間

三井ビル三信ビルも姿消し昭和も遠くなりにけるかな

人間は仮面をつけて生きゐるとあらためて思ふ能楽を見て(東京大薪能)

高層のビルそそり立つ下にして能の舞台は華やけきかな()

工事の音かまびすしくも響き来て母と二人の朝餉を邪魔す

地を掘りてやがてマンションが建たむとす 千駄木の街は変はり行くなり

怠惰とか疲れとかいふものと闘ひて自らの命強く生き行かむ

八月の青空仰ぎ平和なる日の本の国を祈りゐるなり

年老いし白猫が薄目を開けにつつわが姿をば見つめて動かず

塀の上に老いたる猫が乗りてゐる人を恐れる気配も無くて

髪の毛は黒々として禿げもせず常若の人生を歩み行くかな

常若などと思ひてをれど老眼鏡拭へば老いを感ぜざるべからず

電車内で書を讀みをれば小さき字かすみて見えぬことに苛立つ

老眼鏡かけねば活字が見えにくくなりにけるかな何時からともなく

スカイツリーの横に浮かべる満月を遠く眺めてゐにしへを恋ふ

萬葉の月を詠みし歌にわが心安らぎにけり満月の夜

夏の夕べ空に浮かべる横雲は日に照らされて束の間の光り

蝉が鳴く朝(あした)の森は緑濃し 今年の夏も過ぎて行くなり

パール博士の石碑の写し絵目に浮かぶ靖國の宮より帰り来し後

楼上に友ら集ひて宴するこの夏の夜は楽しかりけり(富岡八幡本祭り直会・納涼一献会)

高らかにわが歌声は響きたり夏の夜空の下の宴で()

夏の夜空広がれる下 朗々とわが歌声は響きわたれり()

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千駄木庵日乗八月十四日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年8月14日 (火)

『現行憲法』の欺瞞的な平和主義を是正しなければわが国の安全と独立を守ることはできない

『現行憲法』は、日本だけが悪い国で、他の国々はみんな良い国であるという前提で成り立っている。実際には、日本だけが良い国で、他の国々みんな悪い国なのだ。

『現行憲法』の「平和主義」とは、有り体に言えば「日本は軍隊や武力を持たせるとなにをするかわからない」という観念が根底にある。そして「わが國以外の國はすべて公正と信義を持っているのだから、日本を侵略しようなどという國は何処にも存在しない」という虚構が作られた。その虚構の上にわが國の國防という基本國策が立てられているのだ。

つまり『現行憲法』の「平和主義」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は、武力戦力國軍を持たないし武力の行使はしないし戦争はしない」という思想である。

『現行占領憲法』は、日本國および日本國民は戦勝國に手向かった悪者であり、戦勝國は公正の信義の國であるという文字通りの嘘八百を基本精神にしているのだ。

わが國固有の領土南樺太・全千島を占拠したままのロシア、そしてチベット・東トルキスタンを侵略支配し台湾及び尖閣諸島・沖縄などのわが國固有の領土・領海を侵略せんとしている共産支那、わが国固有の領土竹島を不当占拠し大統領が上陸するような韓国、そしてわが国国民を拉致し、自国民を大量に餓死させるような北朝鮮のどこに「公正と信義」という立派なものがあるというのか。

 わが国が、平和を愛さない国々、公正さも信義もない国々から主権を侵され、領土を侵され、テロ攻撃を受けても、何の反撃も報復も出来ないのは、『現行憲法』の欺瞞的な平和主義にある。これを根本的に是正しなければならない。

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韓国による竹島不当占拠について

竹島が韓国に不当占拠され続けているのは、『現行占領憲法』とわが國政府の戦後一貫した韓國に対する軟弱なる外交姿勢に原因がある。

北東アジアにおいては、今日ただ今も十九世紀的な砲艦外交がまかり通っているのだ。竹島問題を見れば、かまびすしく言われきた「東アジア共同体」なるものがいかに実現不可能なたわごとであり危険であるかが明らかになった。また定住外國人への地方参政権付与が危険であるかも明らかになった。

竹島や尖閣でわが國と韓國・支那との間で軍事紛争が起こったら、在日韓國人・支那人は祖國に対して忠誠心を発揮するであろう。わが国内に於いて武力闘争を起こす危険がある。領土問題という國家の独立と主権の根本問題で決定的に対立する可能性のある定住外國人を日本の政治に参加させることは絶対にできない。これはわが國の安全と独立と主権に関わる。

國家にとって固有の領土を守ることは、國家主権の大前提である。韓國が不当不法な竹島占拠を続けるなら、日韓両國関係が仮令途絶してでもわが國の正義の立場を貫くべきである。

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千駄木庵日乗八月十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆。『伝統と革新』次号の編集の最終段階の仕事と重なり一週間遅れています。ただ、印刷所がお盆休みなのでちょうどよかったと思います。

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2012年8月13日 (月)

『元禄名槍譜・俵星玄蕃』『ああモンテンルパの夜は更けて』について

今日の会合で歌わせていただいた『元禄名槍譜・俵星玄蕃』『ああモンテンルパの夜は更けて』について書かせていただきたい。

『元禄名槍譜・俵星玄蕃』は、三波春夫氏が歌った長編歌謡浪曲である。高校時代にレコードを購入して憶えて以来、今日まで家の中で、あるいは色々な会合で歌い続けている小生の愛唱歌である。

赤穂浪士の吉良邸討ち入りを助けた槍の名人・俵星玄蕃を主人公にした歌謡浪曲で、歌い切るには約十五分くらいかかる。忠臣蔵のテーマである「主君のために尽くすまごころ」「忠義の心」は、日本人の心情の中でも最も大切なものであり、多くの人々が共感する。

「かかる折りしも一人の浪士が雪をけたてて サク、サク、サク、サク、サク、サク、 『先生』『おうッ、そば屋か』

いや、いや、いや、いや、襟に書かれた名前こそ、 まことは杉野の十兵次殿、わしが教えたあの極意、 命惜しむな名おこそ惜しめ、立派な働き祈りますぞよ、 さらばさらばと右左」というところがクライマックスで、歌っている本人もしびれる。

『ああモンテンルパの夜は更けて』は、渡辺はま子さんが歌った。フィリッピンの捕虜収容所に収容されていた日本人捕虜の方が作詞・作曲した歌である。渡辺はま子さんのところに送られてきて、それをレコード化し大ヒットした。

渡辺はま子さんは、苦労してフイリッビンに赴き、捕虜収容所を慰問し、この歌や「支那の夜」などの数多くのヒット曲を歌った。そして当時のキリノ大統領と面会し、この歌のオルゴールを聞いてもらった。キリノ大統領は感激した。そしてその後『戦犯釈放運動』が行われ、「戦犯」と言われた人々は、帰国することが出来た。

渡辺さんは、「帰国したと言っても三つの帰り方があった。一つは、遺骨になって帰国、一つはそのまま巣鴨プリズンに収容、もう一つはそのまま自由の身でした」と語っていた。

私は、故野村秋介氏にフィリッピンに連れて行っていただいた時に、モンテンルパ刑務所を見学し、実際に死刑が執行された処刑台のそばでこの歌を歌わせていただいた。涙があふれてとどまらなかった。

私には、渡辺はま子さんと三波春夫氏は、好きな歌手というよりも、尊敬する歌手である。渡辺さんは、戦時中は戦地に行って多くの皇軍兵士を慰問し、戦後は、いわゆる戦犯釈放運動に活躍された。文字通り渡辺先生の大ヒット曲の名の通りの「愛国の花」であられた。

三波春夫氏は、日本人の心情・日本の伝統精神をテーマにした多くの歌を歌われた。また、歴史に関する著書も書かれた。

今日は多くの同志の方々の前、そして夏の夜空の下で、この二曲を気持ちよく歌わせていただいた。主催者であられる犬塚博英・山口申両氏をはじめとした民族革新会議の方々、そして出席された多くの同志の方々に感謝する。

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千駄木庵日乗八月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時より、江東区東陽の平成ヴィジョン屋上にて、「深川・富岡八幡本祭り直会・納涼一献会」開催。山口申・犬塚博英両氏が挨拶。阿形充規氏の発声で乾杯を行った。多くの同志が参集し、談論風発・痛飲。小生は、『元禄名槍譜・俵星玄蕃』『ああモンテンルパの夜は更けて』を熱唱。わが歌声が夏の夜空に高く響いた。久しぶりお会いした同志・友人も多く、楽しいひと時を過ごした。

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2012年8月12日 (日)

「不可能な議論」と「危険な議論」

「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」国、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。国の交戦権は、これを認めない」国であるわが日本が、領土を毅然たる態度で奪還することは不可能である。

「対米自立が出来ないから『日米安保』を破棄すべしとか、米軍基地をなくすべし」「わが国の防衛装備の国産化を阻み対米自立を妨げるからオスプレイ配備に反対する」という議論は本末転倒でありはなはだ危険だ。

日本が対米自立し、防衛装備を国産化し、自主防衛体制を確立してから、「日米安保」に反対し、「オスプレイ配備」に反対すべきである。そうでなければ、北朝鮮・共産支那の軍事侵略を利してしまう危険がある。

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永江太郎氏の講演

今日行われた永江太郎氏の講演で印象に残った話を記させて頂きます。 

            〇

アメリカは真珠湾攻撃があり得ることは十分研究していた。昭和十六年四月七日のアメリカ軍の『統合陸海軍基本戦争計画』には「日本との戦争は真珠湾攻撃を以て開始される」と記されている。真珠湾攻撃が行われるという認識は一致していた。日本海軍の基本計画は、「米国より来襲する敵艦隊を日本近海で迎撃して撃滅する」というものだった。真珠湾攻撃は山本五十六大将の個人的発想。山本連合艦隊司令長官は航空機重視。当時の海軍は大艦巨砲主義で、航空機中心主義に頭の切り替えが出来なかった。制海権より制空権への端緒を開いたのが真珠湾攻撃。真珠湾攻撃では、敵の主力艦隊を撃滅したが、機動部隊を討ち漏らした。これがミッドウェー海戦へとつながる。ミッドウェー海戦では海軍の攻撃能力を失った。パイロットを失ったことがミッドウェー海戦の最大の失敗。それは敵の三隻の空母を討ち漏らしたことが原因。このことが「一年から二年暴れまわる」という構想が実現できなかった。ルーズベルトは真珠湾攻撃で大義名分を持つことができた。歴史は時間が解決する。真珠湾攻撃でアメリカ国民の戦意を阻喪させることが出来なかった。アメリカ国民の士気を失わせることが出来なかった。かえってアメリカ国民の戦意を高揚させたのは失敗だった。永野修身は「戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう」と言った。『ハルノート』の『日本軍の支那大陸からの撤退』に満州が含まれるのかどうか確認すべきだった。歴史は資料を以て語らしめるべし。推論は飽く迄も推論」。

        ◎

相手に先に殴らせておいて、自国民の戦意を高揚させ、徹底的に相手をやっつけるというのがアメリカの常套手段である。メキシコとの戦争というよりもメキシコ侵略でも、先にアラモ砦をメキシコの攻撃させておいて「リメンバー・アラモ」を合言葉にして戦った。真珠湾攻撃もそれと同じだ。アメリカは「リメンバ・パールハーバー」を合言葉に日本と戦った。しかも真珠湾攻撃でわが軍は軍事施設しか攻撃しなかったのに、アメリカはわが国全国主要都市を爆撃し、広島・長崎の原爆二発を投下して無辜のわが国民を殺戮した。

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千駄木庵日乗八月十一日

午前は、母のお世話。

午後二時より、靖国神社境内の靖国会館にて『日本近現代史に学ぶ会』開催。永江太郎氏(元防衛研究所戦史部主任研究官)が「真珠湾攻撃の発想と功罪」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。

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講演する永江太郎氏

帰途、永年の同志と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年8月11日 (土)

森本発言によってますます日本はなめられる

 森本防衛相は十日午前の閣議後の記者会見で、韓国の李明博大統領による竹島訪問について、「韓国の内政からくる要請によるものだ。他の国の内政に、他の国がとやかくコメントするのは控えるべきだ」と述べたと報道された。森本氏は十日午後、防衛省内で記者団に「(大統領の竹島訪問は)決して受け入れられない。竹島問題が韓国の内政問題だと言った覚えはない」と釈明した。

テレビニュースを見た限りでは、森本氏は「他の国がとやかくコメントするのは控えるべきだ」と言ったことは確かである。韓国という国は、時の政権の求心力が低下すると、決まって日本批判を行なう。歴代の大統領がそうして来た。森本氏はその事を言いたかったのかもしれないが、韓国の国内問題だから日本側がとやかく言うべきではないというのは全く間違っている。反日・領土問題というよりも日本領土の不当占拠を政権維持に利用する李明博の姿勢を厳しく非難すべきであった。

玄葉光一郎外相は「毅然(きぜん)と対応しなければならない」と言って、駐日韓国大使を外務省に呼んで抗議し、武藤正敏・駐韓日本大使を一時帰国させた。

「毅然とした対応」と言ってもどういう事をするのか。国交断絶して、竹島を自衛隊が武力を行使して奪還するというのが毅然とした対応であろう。一度武力で奪われた領土は武力でしか奪還することはできないという意見が強い。歴史を回顧しても、今日の国際情勢を見てもその考え方は正しいと思われる。ただアメリカによる沖縄返還があったので、日本には外交交渉・話し合いで領土を返してもらうことは可能だと考える人もいる。しかし、反日が国民的団結の唯一の要素である韓国に対してそれは不可能なのではないか、

尖閣はわが国が実効支配しているが、竹島と北方領土は奪われたままだ。このままでいいはずがない。少なくとも、韓国に対して甘い顔をしているわけにはいかない。そういう意味でも、国防を担当する閣僚である森本敏氏があのような発言をしたのはまことに困ったことだ。これでは益々韓国・ロシア・支那になめられるばかりだ。

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千駄木庵日乗八月十日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して書状執筆・資料整理。原稿執筆など。

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2012年8月10日 (金)

『承詔必謹』が日本国民の道義精神の根幹

「詔書」は、やまと言葉で「みことのり」と申し上げる。「のり」の「のる」の名詞形であり、「天皇の御命令」をおごそかに宣言されるといふ意である。「詔勅・詔書」は、天皇国日本における最高の公文書である。

「渙発」とは、四方に水の散る如く広められるといふ意である。大君が四方に宣言されたお言葉が「みことのり」である。そしてその「のり」は「憲」「則」「矩」「規」「法」である。わが國における「法(のり)」の原義は、「天皇が宣せられた御命令」である。

『承詔必謹』が日本国民の道義精神の根幹である。「天皇の大御心・みことのりを謹んで承る」が、天皇国日本の臣下国民のあるべき姿であり、道義精神の基本である。

「臣(をみ)」の語源は「忌み」である。「忌み」とは、心身を清浄に保ち、けがれを避け慎むことである。斎戒ともいふ。神への祭祀を執行する時、厳重なる「物忌み」をする。「大臣」とは「大忌み」であり、神事に奉仕する大事や役目を担ふ人といふ意である。日本国は「祭政一致」の国柄であり、宮廷の公の仕事は神への「まつりごと」なのである。

「まつり」とは、自己を無にして神に仕へるといふ意である。臣下・大臣たる者、現御神であり祭祀主であらせられる上御一人の「みことのり」を承った時には、自己を無にして必ず謹んで承らなければならない。

天皇國日本の存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の「御稜威」と國民の「尊皇精神」である。神聖君主・日本天皇の大御心に臣下國民が「清らけき心」「明けき心」で随順し奉ることが、日本國永遠の隆昌の基礎であり、日本國民の倫理精神の基礎である。

まごごろをつくし、清らかにして明るい心で、大君に仕へまつる精神が古来からのわが國の尊皇精神である。わが國の道義精神の中核は、日本國の祭祀主であられ、最高の神聖なる御存在であられる天皇に對し奉り清らけく明らけく仕へまつる心=清明心である。

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千駄木庵日乗八月九日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。小生も診察を受ける。

午後は、西荻のたちばな出版にて、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合せ・編集作業。

帰宅後は、『月刊日本』に連載中の「萬葉集に歌はれた日本の心」の原稿執筆・脱稿・送付。

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2012年8月 9日 (木)

島村宜伸君の旭日大綬章受章を祝う会

『島村宜伸君の旭日大綬章受章を祝う会』における登壇者の発言は次の通り。

中曽根康弘元総理大臣(テレビメッセージ)「島村宜伸先生は、私の補佐官を務めた無二の親友。今後も国家のために活躍してもらいたい。謙虚で他人の言う事を良く聞く人。島村君の悪口を言う人はいない。四十年間の友情があり、頼みにしている」。

麻生太郎元総理大臣「義理と人情と痩せ我慢が島村宜伸の真骨頂。学習院大学の先輩であり、全く勝つ見込みのなかった総裁選の推薦人になっていただいた」。

安倍晋三元総理「小選挙区制導入の時、守旧派のレッテルを貼られながらも頑張られた。その頃、よく議員会館の事務所伺って色々お話しをうかがった。先生の事務所に行くと元気になった。おいしいキャンディを頂いた」。

島村宜伸氏「江戸川区葛飾区は私が政治家になる前は、下水道の普及率は十%だった。汲み取りだった。今は百%になっている。中曽根先生には師匠として仕えてきた。先生は世界の宝物」。

三宅久之氏、佐久間良子さん、茂木友三郎キッコーマン()名誉会長等多数が祝辞を述べたが、立食形式だったのでメモを取ることが出来なかった。

         ○

島村宜伸氏と初めてお会いしたのは、もう四十年近く前になると思う。小生の学生時代の同氏であり友人であった樺山卓司氏(前都議・故人)が初めて葛飾区から区議選に出る直前、樺山氏の母上が経営する料理学校で島村氏を招いた勉強会が開催された時である。オウム真理教の地下鉄サリン事件の時、島村氏が文部大臣を務めていた。小生は宗教法人法の改正について書状でいろいろ意見を述べさせていただいた。また、島村氏が、創価学会から執拗な攻撃を浴びた時も、激励のお手紙を差し上げた。島村氏自身から鄭重なご返事を頂いた。

私がいろいろ勉強させていただいている久保田信之学習院女子大学元教授と島村氏とが懇意なので、久保氏の勉強会でご一緒した。

そのようなことがあり、私は島村氏に親近感を持っているし、その政治姿勢を評価している。

私が若い頃から活躍していた政治家が次第に引退したり、亡くなったりしているのは大変さみしいことである。浜田幸一氏も亡くなった。「朝生」のパーティなどでお会いしたが、なかなか愛嬌のある人であった。

しかし、島村宜伸氏や、今日もパーティでお会いした奥野誠亮先生はまだまだお元気なのは嬉しいことである。一層のご活躍を祈る。

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千駄木庵日乗八月八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。インタビュー記事の校正なり。

午後六時より、紀尾井町のホテルニューオータニにて、『島村宜伸君の旭日大綬章受章を祝う会』開催。

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帰途、知人と懇談。

帰宅後も、編集の仕事。

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2012年8月 8日 (水)

言霊信仰と文藝の起源

日本民族は、言葉を神聖視してきた。日本人は、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

日本の國は、「言霊の幸はふ國」といはれる。日本は、言葉の霊が栄える国であり、言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉には生命を持ち、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じた。

『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教は、神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、題目や称名念仏など特定の言葉を唱へることが基本的行事である。

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる霊力・魂というものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、祝詞や歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。やまとうた・和歌は神聖な文藝であると考へられてゐた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

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千駄木庵日乗八月七日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時より、西新宿の東京都庁舎都民広場にて、『第十四回東京大薪能』開催。半田晴久氏が「入門能楽鑑賞講座」と題して講演。この後、『能・玉井』『狂言・樋の酒』『能・羽衣』の公演が行われた。

帰途、同志と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

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2012年8月 7日 (火)

日本は決して支那の属国になってはならない

駐共産支那日本大使の丹羽宇一郎氏は、深田佑介氏に対して「将来は大中華圏の時代が到来する」「日本は中国の属国として生きて行けばいい」「それが日本が幸福かつ安全に生きる道です」と言ったといふ。

中華思想の毒素に侵された人物が、日本の国益を守ることを第一の使命とする特命全権大使をしてゐることはまさに国家的危機である。

「共産支那帝国」の「皇帝」であった毛沢東は、どれだけの人を殺したか分からない。即位する前の内戦、即位した後の文革などで数千万の人を殺した。毛沢東は、ロシア共産革命後の独裁者であり殺戮者であるスターリンを評価し、スターリン批判を行ったフルシチョフと対立した。

そして、毛沢東は、劉少奇・彭徳懐・賀龍をはじめとする多数の「革命の同志」をなぶり殺しにした。毛沢東は支那最初の統一者であり殺戮者であった秦の始皇帝を最も偉大な政治家として評価した。

外部に漏れた支那共産党の内部文献によると、毛沢東による共産支那帝国建国以来文革までの殺戮数は二千六百万人であったといふ。また、アメリカ上院安全委員会が一九七一年に出した調査報告書では、「毛沢東は共産主義政権を樹立して最初の十年間で三千万人の大衆を殺害し、大躍進から文化大革命直前までの十年間に二千万人、合計五千万人を殺害し、これに文化大革命の犠牲者数二千万人を加えれば、途方もない大虐殺数になる。

小生が初めて台湾に行ったのは、まだ蒋介石が存命中の昭和四十年代の後半であった。ホテルで国民党機関紙『中央日報』を読んでびっくりした。毛沢東や葉剣英といふ中共指導者の名前の姓と名の間に『匪』という字を入れて「毛匪沢東」「葉匪剣英」と書いてゐたのである。毛沢東・葉剣英は集団で人殺し・略奪などを行ふ匪賊扱ひである。また南京国民政府主席だった汪兆銘のことは「汪逆精衛」と書いてゐるである。精衛は、蒋介石と袂を分かち南京国民政府をつくり対日和平路線をとった人なので、逆族だといふことである。支那は言葉の国だとは言はれるが、相当の怨念体質を持ってゐる国だと思った。

わが国では、蘇我入鹿や足利尊氏を批判する歴史書でも、戦時中の日本でも、「蘇我逆入鹿」「足利逆高氏」とは書かなかった。

日本と支那とはこれほどに文化感覚が異なるのである。「東アジア共同体」などが出来るはずはないし、日本は決して支那の属国になってはならないのである。

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千駄木庵日乗八月六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して原稿執筆・『伝統と革新』編集の仕事など。

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2012年8月 6日 (月)

憲法について

西洋法思想・欧米國家観に貫かれた『現行占領憲法』の「(天皇の地位は仼)國民の総意に基づく」という規定は、日本天皇の御本質を正しく表現していない。そればかりではない。この規定は天皇及び皇室の尊厳性・神聖性を冒瀆し隠蔽する元凶となっている。

西洋諸國の外國の國家観・君主観・権力論を基本にした『現行占領憲法』は、祭祀國家・信仰共同体日本の國柄の精神を正しく表現していない。

『現行憲法』は、天皇の國家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、國家は個人の暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び國家は「個人の敵」であるという考え方に立って制定された憲法である。

そして、「民主化」「個人の幸福」「日本の健全な発展」のためには、天皇の「地位」を低め「権能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想である「國民主権論」が採用されている。

成文法は本来、人間相互の不信の上に成り立つものである。人間同士が信じ合えないから、成文法を作ってお互いにそれを遵守することによって秩序を保つのである。ところがわが國は天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体である。天皇と國民の関係は権力関係・法律関係ではなく、精神的・信仰的関係である。ゆえに、天皇は人間不信の上に作られた成文法の枠外の御存在であられる。

 

『現行憲法』による建國以来の國柄の隠蔽が、國家の解体・家族の解体・道義の頽廃を招いている。日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている『現行憲法』が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。

わが國日本及び日本國民が神聖君主・日本天皇にお護り頂いているのであるから、『大日本帝國憲法』の「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という条文の精神が全く正しいのである。

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千駄木庵日乗八月五日

午前は、母のお世話。

午後二時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会会員・会友物故同志合同慰霊祭』執行。祝詞奏上・祭文奏上・玉串奉奠などが行われた。この後、直会が行われた。同志多数と談論風発。

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帰宅後は、『伝統と革新』の編集の仕事・資料の整理など。

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2012年8月 5日 (日)

和歌とは

和歌・やまとうたは、上御一人・日本天皇の御製から下万民の歌に及ぶのである。上天皇から下万民までが歌ひ、神代より現代に至るまで創作し詠まれ続けてきた文藝である。即ちわが日本の時間と空間を無限に充たす文藝である。それは天皇の国家御統治と一体である。

伝統と創造が渾然一体となってゐるのが和歌である。皇位継承・伊勢の神宮御遷宮と相似である。さらに現代と古代とを直結するものである。そして上御一人から下万民を直結するものである。即ち日本民族を縦軸と横軸、時間と空間において一つにする文藝なのである。

伝統の継承と創造とは一体である。日本人は伝統の継承から創造を学んだ。和歌はその典型である。まごころを歌ひあげるものである。

和歌は、まごころを表白した歌が抒情詩である。日本民族のまごころの調べである。人知のさかしらを超えて自然に生まれてくる『素直な心』(まごころ・もののあはれ)の表白であり、それが自然にある声調を生み、五七五七七の定型を生み出したのである。

何ゆへ定型・韻律に則って歌はれるのか。それは日本人の生活が常にある一定の規則・リズムに則ってゐるからであらう。日本の四季は規則正しく変化する。したがって農業を基本としてきた我が国民の生活も規則正しいものとなってゐる。わが国においては四季の変化と農耕生活とが調和してをり、毎年一定の「型」が繰り返されてゐるといへる。規則正しい四季の変化と農耕を基本とする生活定型詩である和歌が生んだといふことができる。

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千駄木庵日乗八月四日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。日暮高則氏が「ますます中国化する香港」と題して講演。質疑応答。内容は後日報告します。今日も、ご高齢の奥野誠亮・小田村四郎両氏がお元気に出席しておられた。

帰途、日比谷にて古くからの友人と懇談。三信ビルも三井ビルも取り壊され、日比谷も変貌していく。三信ビル地下の本屋さんや喫茶店にはよく行った。

帰宅後は、書状執筆・原稿執筆。

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2012年8月 4日 (土)

三島由紀夫氏の美感覚について

三島由紀夫氏は『機能と美』と題するエッセイ(昭和四十三年九月発表)で次のように書いてゐる。「人體は美しい。女が美しければ、男も美しい。しかしその美しさの性質がちがふのは、ひとへに機能がちがふからである。飛行機の美しさは飛行といふ機能にすべてが集中してゐるからであり自動車もさうである。しかし、人體が美しくなくなったのは、男女の人體が自然の與へた機能を逸脱し、あるひは文明の進歩によって、さういふ機能を必要としなくなったからである。男には闘爭といふ機能がある。女には妊娠や育兒といふ機能がある。この自然の與へた機能に不忠實なものが美である筈がない。男の體は、闘爭や勞働のための、運動能力とスピード感と筋肉によって美しく、女の體は妊娠や育兒のための豊かな腰や乳房やこれを包む皮下脂肪のなだらかな線によって美しい。」

私は美術展などで、美人画を見るのが好きだが、上村松園などの美人画は必ずしも「豊かな腰や乳房やこれを包む皮下脂肪のなだらかな線」が描かれてゐるわけではない。もっとも、上村松園や鏑木清方や伊東深水などの美人画は、服を着た女性の美しさを描いてゐて、肉体美を描いてゐない。しかし女性美は表現されてゐる。

不思議なことに、日本の絵画や彫刻などには、「美人画」はあっても「美男画」といふのはあまりない。「美男画」といふ言葉すらない。ギリシアなど欧米の美術には、男女を問はず人間の肉体美を描いたものが多いが、日本の美術には男性の肉体美を描いてゐる作品にお目にかかったことはない。

日本の伝統的美感覚には「肉体美」を鑑賞するといふ感覚は殆どなかったのだと思ふ。日本の彫刻は、江戸期以前は、そのほとんどが仏像である。与謝野晶子は「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」といふ歌をのこしてゐる。

私は恥ずかしながら、若い頃から闘争とか肉體労働といふものにあまり縁がなかった。労働は、少しはしたが、肉体のぶつかり合ひの戦ひ・闘争はしたことがまったくない。だから三島氏の言はれる通り、私の肉體は、ギリシア彫刻の男性像のやうな美しさは微塵も無い。かと言って、私はその事を恥じる気持ちはあまり無い。致し方のないことだと思ってゐる。

三島由紀夫氏は同じ文章で、「男の裸がグロテスクだなどといふ石原慎太郎氏の意見は、いかにも文明に毒された低級な俗見である。」と書いてゐる。石原氏がそのやうなことを言ったとしてもそれは石原氏の感覚であって、「文明に毒された」と断言して良いであらうか。石原氏も若い頃から今日まで私から見れば相当男らしい戦い・闘争の人生を歩んできたと思ふ。

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千駄木庵日乗八月三日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時、ある事務所に忘れ物を取りに行く。

この後、日本橋にて、台湾問題の専門家の方と意見交換。

帰宅後は、資料の整理、

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2012年8月 3日 (金)

歴史は進歩し発展するのか

共産革命が進歩であり、人民の人民による人民のための政治の実現などというのは大嘘である。

「歴史は進歩し、前に進む。その先には自由と民主主義の世界・人民の人民による人民のための世界が待っている」というのがいわゆる「進歩史観」という仮面をつけたマルクス・レーニン主義の歴史観である。そして「進歩主義者」「マルクス・レーニン主義者」は「歴史的必然」「科学的法則」という言葉を使う。ロシア革命も支那共産革命も科学的法則の基づく歴史的必然であり、進歩であるというのだ。今も多くの人々がそれを心の中で信じている人がいる。

共産革命後のロシアや支那がそれ以前のロシア・支那より進歩しているだろうか。一体「進歩」とは何か。確かに科学技術は進歩するだろう。しかし、各国家の政治体制や経済体制、それよりなにより国民の生活が科学技術と同じように進歩し発展しているのか。

今日の支那は、言論集会結社の自由は無く、人権は全くと言っていいほど尊重されていない。民主的政治体制とはかけ離れている。議会政治は行われていない。日本では、明治維新によって実現した事すら、支那ではまだ実現していないのである。

支那の民衆は、辛亥革命によっても、共産革命によっても、文化大革命によっても、全く「進歩した生活」を営むことかできなかったのである。それは経済格差、圧倒的多数の国民の困窮、治安の乱れ、権力闘争などを見れば明白である。

今日の支那もロシアも革命以前のロシア帝国・支那帝国に回帰したのである。そして対外侵略の牙をむいているのだ。その手先が北朝鮮である。

キューバ、北朝鮮、カンボジアは、共産主義革命なるものが如何に間違っているかを証明している。二十世紀はまさに共産主義という怪獣が多くの人類を殺戮し、自由を奪い、地獄に突き落とした世紀だったのである。

日本国内にいまだに「似非進歩主義者」「マルクス・レーニン主義者の呪縛から脱出できていない者たち」が残存する。そういう人々の国家転覆を目指した活動に厳しい目を光らせなければならない。ロシア・共産支那は、日本への軍事的圧迫を強めている。その手先となって動くのが、こうした連中である。

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千駄木庵日乗八月二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理など。

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2012年8月 2日 (木)

玄洋社の基本精神について

今日お会いした頭山興助氏によると、筑前勤王党そしてそれに続く玄洋社の基本精神は、

皇御国(すめらみくに)の武士(もののふ)は  いかなる事をか勤むべし ただ身に持てる真心を 君と親とに 尽くすまで

であるとのことである。このことは今日初めて知った。日本民族の基本的倫理精神である「君に忠・親に孝」が歌われている。そして忠義も孝行もまごころを尽くすことである。このことが筑前勤王党そして玄洋社の基本精神であるということは実に以て素晴らしいことである。

今は『黒田節』の一節として人口に膾炙しているが、本来、この歌は、旧福岡藩領で愛唱された「筑前今様」の一節である。「今様」は平安時代中期から流行した歌謡。七五調四句からなる。宮中の節会にも歌われた。

この一節は、筑前勤王党の一員として幕末に活躍した福岡藩家老・加藤司書(かとう ししょ、文政一三年三月五日(一八三〇年三月二八日) - 慶応元年十月二十五日(一八六五年十二月十二日))の作である。

昭和になって、「黒田節」と名を替えて福岡の代表民謡となった。昭和初期に人気芸者歌手である赤坂小梅によってレコード化された。赤坂小梅さんは。頭山満先生が贔屓にされた。私は晩年の赤坂小梅さんにはお会いしたことがある。

東京十二チャンネルと「懐かしの歌声」という番組で赤坂小梅さんが『黒田節』歌った時、ディレクターから「この一節は歌わないでくれ」と言われたが拒否したという話を聞いた。

我が家にある録画ビデオでは赤坂小梅さんは、堂々と「皇御国の武士は…」と歌っておられる。

今日はこの歌が書かれた書幅を拝見した。

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千駄木庵日乗八月一日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後二時より、平河町の頭山興助氏事務所訪問。頭山氏にインタビュー。『伝統と革新』誌に掲載のためなり。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。

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2012年8月 1日 (水)

『國見』の意義

 「國見」とはただ単に景色を眺めるのではなく、天皇が國を見渡して五穀の豊饒と民の幸福をお祈りし祝福する行事である。

 「目は口ほどにものを言ひ」といふ言葉もあるごとく「見る」といふのは対象物を認識する上で大切な行為である。天皇統治の事を「みそなはす」(「御覧になる」・「見る」の尊敬語)といふ。荒木博之氏は、「上代人にとって<見る>とは『対象物の神性に感応し、その対象物を飽かず見ることによって、その神性をその清浄さをおのれが本性にとりこむこと」(日本人の心情論理)と論じた。この論を引用して大原康男氏は「<見る>は…単に空間とかかわる視覚に尽きるものではなく、そこには鎮魂儀礼の要素が含まれている…」と論じられてゐる。(現御神考試論)

 天皇が「國見」をされることは、天皇が行はれる國土讃嘆の農耕儀礼・祭祀である。祭祀主であり現御神である天皇が「國見」をされ祝福されることによって、國魂・國土が新たなる靈力を発揮し吹き返し新生する。國土が國が始まった時の若々しい命の姿に復元し新生し豊かな稔りが約束される。

 つまり、「國見」は大嘗祭と同一の意義があり、天の神の地上における御代理即ち現御神(あきつみかみ)たる天皇が、國土に稲穂を豊かに實らせるといふ天の神から命じられた最大の御使命を實現するといふ天皇の統治にとって重大意味を持つ祭祀なのである。  

         

 昭和五十四年十二月四日、先帝昭和天皇は奈良県に御行幸あらせられた。翌四日、萬葉學者・犬養孝氏の御案内で、高市郡明日香村の甘橿丘にお登りになり、大和盆地を双眼鏡で一望された。この時、犬養氏は、この舒明天皇の御製など五首を朗詠した。犬養氏の「昭和の國見ですね」とふ言葉に、先帝陛下は声を立ててお笑ひになったと承る。そして、次のやうな御製を詠ませられた。

「丘に立ち 歌をききつつ 遠つおやの しろしめしたる 世をししのびぬ」

 昭和五十九年十二月、再び奈良県に御行幸になり、翌昭和六十年の新年歌會始に「旅」といふ御題で賜った御歌が、

「遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」

である。

祭祀は、天皇の重要な御使命である。日本においては宗教と政治、祭祀と政治は一体であるべきである。これを<祭政一致>といふ。

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千駄木庵日乗七月三十一日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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