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2012年7月18日 (水)

大久保利通の尊皇精神

大久保利通は「尊皇精神」は希薄だったという説があ。しかしそれは誤りである。鳥羽・伏見の戦ひで錦旗が翻った時の状況を、大久保利通のその日記には次のやうに記してゐる。

「(注・慶應四年)八日巳の刻(午前十時)比(ころ)より八幡辺戦地御巡覧の為、宮(仁和寺宮)御出でにて、錦の御旗を飄(ひるがへ)され、威風凜烈、誠に言語に尽し難き心地にて、老若男女王帥(天皇の軍)を迎えて、有難々々といえる声、感涙に及び候。」。大久保利通の尊皇心が吐露されている文章である。また一般國民がいかに、現御神日本天皇の御稜威を畏(かしこ)んだかがこの日記によって分かる。

草莽の志士の決起も、徳川慶喜の恭順も、江戸城無血開城も、天皇の御稜威よる。徳川幕府を崩壊させ明治維新を成功せしめたのは、岩倉・西郷・大久保等の策謀でもなければ、薩摩・長州・土佐などの武力のみによるのでもない。明治維新の原基は、上御一人日本天皇の神聖権威であり、わが國民全体が古来より持っていた尊皇の心であったのである。

わが国の天皇及び皇室は、実に三千年の歴史を有する。明治維新前夜の国家的危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救はんとしたのである。

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