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2012年7月 2日 (月)

「維新」について

明治維新そして昭和維新運動において、日本人同士が相戦ひ、維新のために命を捧げた人々は数多い。その人々のことを思へば、「維新」といふ言葉を安易に用いてはならないと思ふ。今日盛んに言はれてゐる「維新」は、わが国の維新変革の歴史の根本にあるものを忘却してゐるのではないか。

維新」といふ言葉の出典は、『詩経』(支那最古の詩集。代に作られた。儒教の基本経典・五経の一つ)の「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」であるといふ。「周という国は、古い国であるが、新しき天命を受けてゐる」といふほどの意味であろらう。

古くから続く国が、革新を繰り返し、新生するといふ意味である。日本民族が、天皇を祭祀主・君主と仰ぐ國體を護持しつつ、常に革新・改革を繰り返してきた歴史に合致した言葉が「維新」である。

明治維新は、有史以来未曽有の変革であった。そしてそれは日本國體の眞姿を回復することによって、大変革を成し遂げたのである。即ち、「復古即革新」である。

明治維新が「尊皇攘夷」を基本理念にして戦はれたやうに、現代維新においても、「尊皇攘夷」の精神を根底に置いて戦はれなければならない。

「尊皇」とは萬世一系の天皇を中核とする國民的統一・道義心の高揚を図る事であり、「攘夷」とは國家民族の自主独立を回復することである。内憂外患交々来るといった状況にある今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時である。

天地自然に神の命が生きているといふ信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。國體護持の心も、尊皇精神も伝統を大切にする心もなく人に維新を語る資格は無いと思ふ。

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