« 千駄木庵日乗七月六日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月七日 »

2012年7月 7日 (土)

剣太刀について

剣太刀 その清らけき 光をば 見つめてをれは 心鎮まる

清らけき 光を放つ 剣太刀 人の世の穢れを 討ち祓ふべく

古き館に 並ぶ剣は 命ある ごとき光を 放ちゐるなり

生命の 輝きをこそ 願ひゐる わが眼前に 剣の光

 

 昨日詠んだ拙歌である。日本刀は実に清らかである。罪穢れを祓ひ清める神器であるとさへ思へる。殺傷の武器であり、「人斬り包丁」とまで言はれるが、決してそのやうな段階にとどまるものではない。武器が美しいといふのも不思議なことであるが、實に美しい。

しかし昨日も書いたが、日本刀は単なる美術品でもない。最初から神器なのだ。だから、日本刀はその制作過程から神道形式の信仰儀式によって始まるのである。

剣は単なる殺傷のための武器ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から神道の禊の儀式によって心身を清め、斎戒沐浴して仕事(これも仕へまつるということ)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。刀鍛冶は、技術を磨き、科学的知識を養成する。しかし、その根底にあるものは、信仰的儀式・祭祀の精神なのである。

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作る神事なのである。わが國においては、刀剣といふ武器は「忠義と名誉、克己心」といふ倫理精神の象徴であるばかりでなく、神社の御神体即ち祭祀と礼拝と祈りの対象となってゐる。「刀は」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

日本民族の生業の最も大切なものあり基本である「稲作」と同じである。常に神を祭り、神に祈りつつ仕事をするのである。稻に穀霊が籠るのと同じく、剣太刀にも魂が籠るのである。

日本刀には気高さがあり、気品があり、神秘性があるのは、霊が籠ってゐるからである。

|

« 千駄木庵日乗七月六日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月七日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/55136872

この記事へのトラックバック一覧です: 剣太刀について:

« 千駄木庵日乗七月六日 | トップページ | 千駄木庵日乗七月七日 »