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2012年7月31日 (火)

真の東洋平和を構築するために、維新を目指す者は、何をなすべきか。

アメリカ覇権主義、中華帝国主義の狭間に置かれ、且つ南北朝鮮・ロシアと対峙している日本は、文字通り内憂外患交々来ると言った状況である。

頭山満先生をはじめわが国の維新運動指導者は、ビハリ・ボース、孫文、金玉均を支援した。つまりインド、支那、朝鮮の真の独立と国家建設を支援した。大変な偉業である。支那辛亥革命に協力した。しかし今日の支那は、権力者が富と権力を独占し、まさに清朝時代に戻ったと言ってもいいと思う。

孫文は、一九二四年十二月二十八日、神戸高等女学校において神戸商業会議所外五団体におこなった講演で『貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります』と語った。

しかし、今日アジアで覇道精神を実践し、軍事的・政治的・経済的拡張と侵略を行っているのは共産支那である。さらに、五族共和どころか各民族を抑圧しているのは漢民族である。今日の共産支那には仁義も道徳もありはしない。

支那の独裁政権を打倒し、真の東洋平和を構築するために、真正保守に立場に立ち維新を目指す者は、何をなすべきか。それが問題である。

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千駄木庵日乗七月三十日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時半より、中野サンプラザにて、『三島由紀夫研究会例会』開催。玉川博己氏が挨拶。金子宗徳氏(里見日本文化学研究所主任研究員)が「三島由紀夫と國體論」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。大変興味深い講演であった。内容は後日報告します。

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金子宗徳氏

帰途、横浜から来られた古くからの同志と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年7月30日 (月)

軽佻浮薄な反米も親米も否定されるべし

共産支那・北朝鮮から日本を護るためには、このままアメリカの保護下でやっていくのが無難であり利巧な生き方なのか。米軍基地問題、TPP、貿易摩擦などで、反米感情が燃え上がる可能性もある。

日本がアメリカの隷属下にいるということは、現状のままということだ。しかし、共産支那の隷属下に入るということは、今の日本の繁栄・自由を喪失するということだ。そして何よりも、國體と伝統の破壊に直結する。

ただ日本は支那かアメリカかの二者択一しか道がないということはない。日本が主導権を握ればいいのだ。それにはどうするかが一番大切だと思う。対米自立は正しい。しかし、祖国が共産支那の支配下に置かれることは絶対にあってはならない。

第三の開国などと言われているが、第一の開国たる明治維新も、第二の開国という敗戦も、すべて外圧の結果である。第三の開国も外圧によって行われようとしている。実に以て困難な状況に立ち至っている。日本人の英知と行動力によって、この厄介な状況を正しく克服し、乗り切り、発展していかねばならない。

今こそ我々は、明治維新の歴史、そして大東亜戦争の歴史を学ばなければならない。日米戦争は、ソ連の謀略によるというのが定説になりつつある。

反米か親米かではなく、日本独自の道をゆくべきだ。それが真の自主独立である。その根幹は尊皇攘夷である。軽佻浮薄な反米も親米も否定されるべきである。

なかなか難しいことだが、今の日本国もそして我々自身もそうした課題を突き付けられていると思う。

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千駄木庵日乗七月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆・諸雑務。

午後五時半より、春日の文京区民センターにて『日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が主催者挨拶。「大東亜戦争と日米関係」をテーマにして、瀬戸弘幸氏及び小生が講演。活発な討論が行われた。

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瀬戸弘幸氏

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小生

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2012年7月29日 (日)

「天は自ら助くる者を助く」

明治維新の後、攘夷が開国となり、鹿鳴館時代を現出した。それは攘夷のための開国であった。即ちわが国は西欧列強の侵略を排除するために西洋科学技術・近代資本主義を取り入れて近代化を遂げた。日清・日露戦争に勝利し、大清帝国・ロシア帝国によるわが国に対する圧迫と属国化の危機を排除した。

しかしその後、アメリカは、わが国に対する敵対姿勢を明確にして、外交的・軍事的に圧迫し続けた。そして遂に大東亜戦争に突入し、わが国は敗北した。

大東亜戦争後、わが国は戦時中の「鬼畜米英」から大転換して「アメリカ万歳」となり、『憧れのハワイ航路』が大ヒットする国になった。変はり身が早い。これが良いことなのか。日本の柔軟性・強靭性なのか。ともかく戦後はアメリカの事実上の従属国になった。そして、「繁栄」と「平和」を謳歌して来た。

しかし、いつまでもアメリカの従属国のままでいいはずがないし、国際情勢はそれを許さなくなってゐる。その上、共産支那による軍事的脅威が高まってゐる。「天は自ら助くる者を助く」といふ言葉がある。グローバル時代における「第三の開国」といふ危機を克服し乗り切るためには、祖国日本の回復、日本の道統の回復、日本国家・日本民族の総合的力量の回復が断行されねばならない。

対米自立・対共産支那の圧迫の排除を実現するには軍事的には自衛隊を国軍とし、核武装するしかないと思ふ。

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千駄木庵日乗七月二十八日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、原稿執筆・脱稿・送付。資料の整理。明日の『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

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2012年7月28日 (土)

この頃詠みし歌

そのかみに青空の下で起こりたる大いなる義挙昨日のごとし

「古賀さんが中にゐる」と泣き顔で我に訴へし乙女よ何処

食すことなくなりしもの二つあり蝗の佃煮 田螺の塩茹で

沈黙は金なりと言へど黙し難きわが唇を如何にすべきか

医師と病院信じ難くもなりにけりこの数年の体験の末

いざとなると責任を他に転嫁する医師の言葉は許せざるなり

信じゐし弁護士に裏切られしより心悲しくなりにけるかも

炎天下飛鳥山にぞ来たりけり澁澤榮一の偉業を偲び(飛鳥山澁澤史料館参観)

近代日本建設の歴史そのままの道を歩みし青淵を偲ぶ()

空襲によりて建物漢籍が灰燼に帰すと聞きて悲しき()

部屋の中にわが聲響く 聞く人の心にはいかに響きゐるらむ

山門で人待ちをれば住職が位牌を抱へ帰り来たれり

花束を買ひ来て墓に供へればご先祖の御霊も華やぐ如し

色とりどりの花供へられ華やげる墓地に来たれり梅雨の晴れ間に

丘の上のみ寺の墓にわが父はみ祖(おや)らと共に永久に眠らむ

少子化で閉校する学校多しといふ すし詰め教室ははるかなる過去

のぼり行く坂道の上のわが母校今も変わらずあるが嬉しき

ニャオニャオと人を恐れず猫は行く巷の裏道炎天の下

青草が炎天の下に繁茂して命の強さを誇るが如し

小さき虫わが部屋の入り来て飛び廻るはかなき命を燃やす如くに

太りたる理髪師に髪を刈られつつ安堵の思ひに身は軽くなる

生きてゐる証しとぞ思ふ刈られたるわれの髪の毛足下に散り

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千駄木庵日乗七月二十七日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して原稿執筆など。

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2012年7月27日 (金)

第二十四回日本の心を学ぶ会のお知らせ

第二十四回日本の心を学ぶ会のお知らせ

 大東亜戦争終結から今年で六十七年目の年になります。毎年、夏を迎えますと、大東亜戦争といふ未曾有の戦いの事が深くそして重く我々国民の心に蘇ってまいります。私たちは、「終戦記念日」には靖国神社及び全国の護国神社に鎮まる数多の英霊に対し感謝と鎮魂の誠を捧げます。それは日本国民として当然のことであります。

さらに我々は、何故わが国は大東亜戦争を戦わねばならなかったのか、大東亜戦争の意義とは何かを正しく学び、理解しなければなりません。

大東亜戦争の敵国であったアメリカとの同盟によって、共産中国によるわが国への軍事的圧迫・北朝鮮暴発の危険などから日本の安全が保たれているという現実があります。

今月の「日本の心を学ぶ会」では、大東亜戦争及び今日の日米関係について皆様と一緒に考えてみたいと思います。戦前と同様に内憂外患交々来るという状況になっている今日、この事はとても大切であると存じます。

皆様お誘い合わせのうえ多数のご参加をお待ちしています。

【日 時】平成二十四年七月二十九日(日)午後五時より

【場 所】文京区民センター二B会議室

東京都文京区本郷 -十五-十四地下鉄 春日下車一分(大江戸線、三田線)、後楽園下車三分(丸の内線、南北線)、JR(水道橋)

【演 題】大東亜戦争と日米関係

【登壇者】講師 四宮正貴 四宮政治文化研究所 http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/

講師 瀬戸弘幸 せと弘幸Blogu 『日本よ何処へ』http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/

【参加費】資料代五百円 終了後、近隣で懇親会(三千円くらいの予定です)

【連絡先】日本の心を学ぶ会事務局 埼玉県川口市安行藤八三十三ー十三

電話:〇九〇―八七七〇ー七三九五

※今回は港区生涯学習センターではありません。 

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但野正弘水戸史学会理事の講演内容

『先哲に学ぶ会』における但野正弘水戸史学会理事による「継承された水戸の心-第二代藩主德川光圀(義公)」と題する講演の内容。

「関ヶ原から二十八年。大坂夏の陣・冬の陣から十数年後の戦国の風潮が残っていた時代に德川光圀は生まれた。家老に次ぐ役職であった三木仁兵衛之次の屋敷で生まれた。六歳で世子に決まる。江戸に出る。九歳で元服。十五歳から十七歳の時期は自由奔放な行動をした。江戸の町を遊び歩く。『ろっぽう・かぶきもの』と言われる。浅草でうどん打ちに興味を持つ。打ち方・切り方を習った。

十八歳の時、司馬遷の『史記』の『伯夷伝』を讀んで感動し反省し、人としての道に目覚める。光圀は、殷の紂王を討った革命思想を伯夷・叔斉が否定した事に感動した。ここから生活行動が変わる。

寛文元年(一六六一)七月、初代藩主・頼房が五十九歳で死去。その後を承けて光圀が三十四歳で二代藩主になった。六十四歳で引退するまで三十年間近世大名として生活。

毎年春、江戸城で勅使が将軍と対面、御三家の屋敷に勅使が来邸、天皇からの太刀を御下賜。御三家は返礼として伝奏屋敷(勅使の宿舎)に家老を差し遣わすのを恒例としていた。光圀は自ら威儀を正して伝奏屋敷に参上お礼を言上した。寛文二年四月、後西天皇の勅使が小石川水戸藩邸に来臨の際のことを記した『義公遺事』に次のように記されている。『官位を拝任仕り候者、上京参内之れ無きは有るべき事にあらず。況や勅使私宅へ参られ、御太刀頂戴仕り候を、使者を以て、御礼申し上る儀は、甚だ以て不敬の至、言語に及ばす候。尾州・紀州は御同心これなく候とも、此段は大義に候間、御身は向後定格を御敗候とも、毎度御礼に御越成さるべしとて、毎年勅使の旅館へ御越遊ばされ候』と書かれている。『大義に候間』という言葉と確信と理想が水戸の心を醸成。

『大日本史』の編纂事業では学問の重要さと人物を知る事によって人生の生き方を学ぶことを重視した。日本には人物中心の『紀伝体』がないので、『大日本史』編纂は『紀伝体』で行われる。『大日本史』編纂事業を通じての学問的研鑽、日本の歴史の神髄を把握。日本は建国以来、歴史の栄枯盛衰、国家的危機はあったが、一貫して天皇が国の中心。一度も革命は起らず、異民族による国家の滅亡や交替もなかった。国家的危機に際し、国の命たる皇統を護持し、歴史伝統の断絶を回避してきた事実と人物が厳然として存在。先人の血と努力によって日本の歴史は支えられてきたことを光圀は強く感じた。

光圀はその至高の人物こと楠木正成と確信。元禄五年(一六九二)、神戸湊川に佐々木介三郎宗淳を派遣し、光圀自ら隷書で『嗚呼忠臣楠子之墓』と書いて石碑を建立。『子』とは孔子・孟子の『子』と同じで『先生』という意。幕末、神戸を行き来した志士たちはこの碑を仰いで自らの決意を固めた。

支那は伯夷・叔斉、孔子・孟子が出たのに革命の国。日本には革命なし。『天皇家』という言葉は使わない。『皇室』である。

水戸二代目光圀の家訓には『我が主君は天子也。今将軍はわが宗室也。(宗室とは親類頭也)あしく了簡仕、取違へ申まじき』(『桃源遺事』)とある。尾張徳川家四代吉通の家訓には「三家之者は、全く公方(註・将軍)の家来にてはなし。今日之位官は、朝廷より任じ下され、従三位中納言源朝臣と称するからは、これまったく朝廷の臣なり。されば水戸の西山殿(註・光圀)は、我らが主君は今上皇帝なり。公方は旗頭なりとの給ひし由」(『円覚院様御傳十五ヶ条』)とある。

元禄三年(一六九〇)六月、光圀が六十三歳で引退帰国の日、三代藩主粛公綱条(つなえだ)への遺訓の詩に「旦暮忠純を慮れ。『古に謂ふ、君以て君たらずと雖も、臣臣たらざるべからずと』(註・孔安国の古文『孝経』の一節)と書いた。この『君』とは天子であろう。私はそう思う。徳川氏は旗本を含め七百万石、朝廷は公卿を含め十万石。朝廷は経済が大変逼迫していた。『君以て君たらずと雖も、臣臣たらざるべからずと』とはこの意味であろう。幕府は陽尊陰抑策をとった。

光圀は、元禄十三年(一七〇〇)一二月六日、七三歳で逝去。諡名は義公。水戸学という言葉は水戸から言い出したのではなく、他藩から言い出された」。

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』の編集の仕事、諸雑務、原稿執筆など。

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2012年7月26日 (木)

鳩山・小野両氏の罪は深い

今日経済産業省の前を通ったら、経済産業省の敷地の中にテントが張られ、数人の人が座っていた。これは違法行為であろう。民族運動者がこのようなことをしたすぐに排除さる。否、官憲はテントなんか絶対に張らせない。どうしてこんなことが許されるのか。この運動を元総理や元鹿児島県警本部長が支持し参加しているからなのか。鳩山・小野両氏の罪は深い。

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公教育における「国歌斉唱」「国旗掲揚」について

公教育の場で、国歌を斉唱し、国旗を掲揚することに異議を唱へ、さらにそれを拒否し、妨害する行為が、教職員によって行はれてきた国は、日本以外にはないのではないか。少なくとも、私は聞いたことがない。日本は異常な國なのだ。

個人として、「国旗」「国歌」を受け入れ難いといふ思想を持つことは自由であらう。しかし、公教育・義務教育の場で、国歌を斉唱し、国旗を掲揚することは、「一般的に式典における慣例上の儀礼的な行為としての性質を持つ」のであり当然のことである。これに対して、「憲法違反だから慰謝料を払へ」などと訴訟を起こすことはまさに非常識であり異常である。

公教育の場で、国民としての最低限の良識・規範・紀律を守らせることが「強制」であるはずがない。教育の一環である。このやうな訴訟は、「漢字を強制的に覚えさせた」「掛け算の九九を強制的に覚えさせた」として訴訟を起こし、慰謝料を請求するのと同じ行為であり常軌を逸してゐる。馬鹿につける薬はない。 

国民としての儀礼・習慣を身につけさせることを目的の一つとする公教育の場においては、教師は率先して国民としての儀礼・習慣を実行して生徒に範を示さねばならない。それが与へられた職務であり使命である。

「多様性のある社会」とは、公教育の場で、儀礼として当然行はなければならない国歌斉唱を拒否する現象が多発する社会ではない。子供が教師の言ふことを聞かず、騒いだり、教室の中を動き回る現象を「学級崩壊」とは言っても、「多様性のある学級」とは言はないのと同じである。

この問題は、「思想、信条、表現、信教など精神的自由」とは全く無関係である。公教育・義務教育における紀律の問題である。「青信号で渡るのは嫌だから信号の色を赤に変えろ。無理に渡らせたから損害賠償を請求する」と主張するのと同じ理不尽な要求を規制するだけのことである。

日本国民としてごく普通の感覚を持った圧倒的多数が、異議を唱へず反対もしない事柄、当たり前の人たちが当たり前と思ふ行為を、否定し妨害することが間違ってゐるのである。

少数者の人権保護とは、少数者がどんな破壊活動・教育妨害行為をやっても規制も処罰しないことではない。そんなことが人権保護になるはずない。これまで「少数者の人権」とやらを守るために「多数者の人権」が無視され蹂躙されることが多くあった。これこそまさに民主政治を真っ向から否定する行為である。

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千駄木庵日乗七月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。知人と懇談。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団フォーラム・NATOの「新戦略概念」と日本の協力』開催。カール・マーラーズNATO議員会議議長らがパネラーとなって討論。内容は、後日報告します。

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帰宅後は、原稿執筆。『伝統と革新』編集の仕事。

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2012年7月25日 (水)

『国民の生活が第一』は党名に偽りあり

『国民の生活が第一』について原稿を依頼された。政党批判は、その政党の掲げる政策・綱領に対して行われなければならない。しかるに、『国民の生活が第一』という政党は、七月十一日に結成されて以来、十二日を経過しても、いまだに「政策・綱領」が発表されていない。原稿締め切りの関係もあり、はたと困ってしまった。

『国民生活が第一』という政党のホームページすらいまだにできていない。また所属する衆参両院議員のホームページにも党の政策は書かれてない。

政策・綱領は後回しにしているということは、要するにこの政党は、小沢一郎氏の政治権力の延命と、「小沢チルドレン」の次の選挙で生き残りを目的にして結成されたのである。

ゆえに、政党名は「小沢一郎の権力延命が第一」「小沢チルドレンの生き残りが第一」とすべきなのである。

「新しい政党『国民の生活が第一』の結党にあたって」という文章が発表されているが、今日我が国が直面している最大の国難であるところの共産支那・北朝鮮の軍事的脅威については一切語られていない。敵性国家の侵略こそが、「国民生活」を脅かす最大のものである。その事への言及無くして『国民生活が第一』などと称する資格は毛筋の横幅ほどもない。『国民の生活が第一』は党名に偽りあり、なのである。

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千駄木庵日乗七月二十四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

午後四時、お茶の水にて『伝統と革新』編集実務担当者の方と打ち合わせ。

帰宅後は、諸雑務・原稿執筆の準備など。

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2012年7月24日 (火)

日本伝統信仰における「神」とは。

日本伝統信仰における「かみ」のカは接頭語である。ミとかムに意味がある。ミ・ムは霊的な力をいふといはれてゐる。ミは「身」であり「実」である。即ち存在の実質・中身のことである。強い霊力・霊威を持った存在のことをカミといふ。國語学上は上の方にゐるからカミといふといふ説は誤りであるといふ。

本居宣長は、「凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(ミタマ)を申し、また人はさらに云はず。鳥獣(トリケモノ)木草のたぐひ海山など、其餘何(ソノホカナニ)にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて。可畏(かしこ)き物を迦微(カミ)とは云なり、すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優(スグ)れたるのみを云に非ず、悪(アシ)きもの奇(アヤ)しきものなどをも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」と述べてゐる。この考へ方が今日の神道学の神観となってゐる。

神に掛る枕詞は「千早振る」である。「チ」は霊のことであり、「ハヤ」は激しいといふ意、「振る」はふるへる意。霊が激しく振ふことをいふ。

漢字の「神」は象形文字で、偏の「示(しめすへん)」は、神へ供へ物を献ずる台の形を表す。つくりの「申」は稲妻の形を表す。即ち「神」といふ漢字は、雷を神として祀る信仰から発したのである。即ち日本でも支那でも「雷」は神として仰がれ恐れられたのである。

古代人にとって、太陽のやうな有り難い神もをられるが、雷のやうな恐ろしい神もをられたのである。宣長の云ふ通り、「悪(アシ)きもの奇(アヤ)しきものなどをも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」なのである。

「カミナリ(雷)」といふ言葉は「神が鳴る」といふ意味である。歌舞伎にも「雲の鳴神上人」といふのが登場する。

日本の神々は、自然神と祖先神である。日本民族は自然と祖霊を神と崇める。天照大御神は、皇室の御祖先神あらせられるとともに、太陽神であらせられるのである。自然を尊び、祖先を敬うことが日本民族の信仰生活の基本であり倫理の根幹である。

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千駄木庵日乗七月二十三日

午前は、母のお世話。ケアマーネージャーの方来宅。今後の介護について相談。

午後二時半より、東京都議会議事堂にて、『週間ラジオやまと新聞・my日本チャンネル』という動画番組の録画。「萬葉の恋歌」と題して、やまと新聞社の坂口清香さんのインタビューを受ける。

千駄木に戻り、友人と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年7月23日 (月)

軍事問題の専門家から聞いた話

ある軍事問題の専門家から聞いた話を記します。

「海上自衛隊にはバックにアメリカがいるという意識が強い。陸上自衛隊は内局に支配されている。防衛庁内局とは『九条を守る会』の行政版。

高学歴になればなるほど日本人魂が失われる。江戸時代のエリートが朱子学にかぶれたように、戦前の知識人は共産主義の影響を受けた。戦前の軍中枢部にもコミンテルンの工作が浸透していた可能性あり。

自衛隊とは極端に肥大化した警察消防。自衛隊は政府の軍であり国軍ではない。統帥権は総理にある。極論すれば、内閣総理大臣の命令があれば皇居に弓を引くこともできる。「現行憲法」下においても日本国及び日本国民統合の象徴であらせられる天皇陛下に忠誠を誓うべきである。

皇居前メーデー事件の時、皇宮警察本部の護衛官は、下着を新しくし、決死の覚悟でデモ隊が二重橋を突破して来る事態に備えた。当時の警察予備隊が武装して皇居に入り、デモ隊突入に備えたという話もある。

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千駄木庵日乗七月二十二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、書状執筆、資料の整理、明日のインタビューの準備など。

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2012年7月22日 (日)

鳩山由紀夫・小野次郎両氏のデモについて

元総理大臣の国会議員、元鹿児島県警本部長の国会議員が、総理官邸にデモをかけた。前代未聞である。

辞書には、「パフォーマンス」について「人目を引くためにする行為」「マスコミに対する派手な言動を、揶揄の意味を含めてパフォーマンスと呼ぶ。スタンドプレーが類義語として挙げることが出来る」と書かれている。この二人の行動は、まさにパフォーマンスであり、スタンドプレーだ。

元総理・元警察官僚しかも現職の国会議員なら、総理大臣にものを申す方法・手段はいくらでもあるはずだ。何故デモをしなければならないのか。全く理解できない。

鳩山由紀夫氏は、「宇宙人」と言われている。奇想天外・常識はずれの行動をする人という事だろう。今回はその最たるものだ。あきれ果ててものが言えない。

しかも鳩山氏は総理在任中にも国防の根幹に関することで失政・失言を繰り返し、国防と安全保障を混乱に陥れた。その上彼は総理辞任後、政界を引退すると表明したにも関わらず。それを撤回した。ともかくどうしようもない人間だ。鳩山自身「私は愚かかもしれない」と言ったが、「かもしれない」ではなく愚かなのだ。

与謝野馨氏は鳩山氏を「平成の脱税王」と言った。七十歳近くになってもまだ母親から「子育て支援」を受けているようだが、デモをするヒマがあったら、財産を被災地に寄付すべきだ。

小野次郎氏は鹿児島県警本部長時代、西郷隆盛を裏切り、西郷暗殺部隊を鹿児島に送り込み西南戦争のきっかけを作ったとされる川路利良初代警視総監の銅像を鹿児島県警本部敷地内に建てた人物である。

日本は劣化していると言われるようになって久しい。政治家・官僚・教育関係者・警察・検察・医療関係者の劣化は目に余るものがある。その典型がこの二人であろう。

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國體護持について

大分以前、既に亡くなられた同志が「『國體を護持する』とか、『天皇陛下をお守りする』とか言うが、我々日本国民そして日本国が天皇陛下にお護り頂いて来たのだ」と言われたことがある。私はこの言葉を聞いた時、感動し、全くその通りだと思った。

我々國民が國體を護持して来たから日本國があるのではなく、その逆に天皇がおわしましたからこそ日本國があるのである。日本國はご歴代の天皇陛下によって護られてきたのである。ご歴代の天皇が、國の平安・国民の幸福を神に祈られ、國の平安と國民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本國および日本國民の今日があるのである。

また、靖國神社に祭られている護國の英靈によって、日本國および日本國民が護られてきたのである。「國體護持」「靖國神社國家護持」とはあくまでも感謝と報恩の國民の務めとしてそれを果たすということであると思う。

そういう意味でも、天皇陛下の国事行為に対し奉り内閣が「助言と承認」とやらを行なったり、権力機関や政治家が多数決で「皇室典範」を改定したりするのは國體破壊である。また、権力機関や政治家が、靖國神社の護國の英靈祭祀に介入する事は英靈への冒瀆である。

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千駄木庵日乗七月二十一日

午前は、母のお世話。

『政治文化情報』発送作業・完了・送付。購読者の皆様には、週明けにはお届けできると思います。

この後、明後日に行われる『萬葉集』に収められた「恋歌」についてのインタビューの準備。

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2012年7月21日 (土)

占領憲法による國體隠蔽

天皇及び皇室は、占領軍によって押し付けられた占領憲法の規定などに全く拘束される必要はない。三千年の伝統のある天皇中心の國體及び天皇・皇室を、アメリカから押し付けられた成文法の枠の中、もっといえば欧米から輸入された近代民主主義の中に閉じ込めてしまうことは間違いである。

そもそも成文法は、人間相互の不信の上に成り立つものである。人間同士が信じ合えないから、成文法を作ってお互いにそれを遵守することによって秩序を保つのである。

ところがわが國は天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体である。前述した通り、天皇と國民の関係は権力関係・法律関係ではなく、精神的・信仰的関係である。ゆえに、天皇は人間不信の上に作られた成文法の枠外の御存在であられる。

日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている占領憲法は麗しい伝統的な日本の國柄を隠蔽している。このことが國家の解体・家族の解体・道義の頽廃を招いている。現行占領憲法は一刻も早く破棄し、日本國の建國以来の國柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。

わが國日本及び日本國民が神聖君主・日本天皇にお護り頂いているのであるから、大日本帝國憲法の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という条文の精神は全く正しいのである。憲法において、天皇は日本國の統治者であらせられ、神聖不可侵の御存在であられることを明確に規定すべきである。

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千駄木庵日乗七月二〇日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

午後五時より、六本木の国際文化会館にて、渡部昇一氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後も、発送の準備など。

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2012年7月20日 (金)

支那から輸入された文化は日本においてより高度なものとなった

 日本は支那大陸から大きな影響を受けた。しかし、今日余りにそのことを強調したり、そのことによって支那大陸に負い目に感じたりすると、中華帝国主義国家=支那共産政権の思う壺である。日本に対して益々属國以下の冊封地として対応し、内政干渉や不当不法な領土要求をしてくる。

 支那から輸入した思想・宗教・文學・美術・建築・政治制度・法制度等々支那の文化文物は、日本においてより洗練され、高度なものとなった。

 つまり日本が支那の影響を受けたといってもそれは猿まねをしたのでもなければ、日本が支那文化圏に組み込まれたのでもないのである。支那から文化文明を取り入れ、日本独自の創意を発揮し、支那を超えてしまったのだ。

日本には東大寺・薬師寺・法隆寺といった空前絶後の偉大なる寺院建築やそこに安置されている仏像などの仏教美術が、今日も厳然として存在している。また儒教即ち孔孟の教え及び仏教信仰思想もより一層高められ深められた形で傳承されてきている。ところが支那においては儒教道徳も仏教も衰微している。美術や建築も然りだ。

唐詩などの支那文學・儒教などの支那思想の研究は、日本の方が本家本元の支那よりも深く進んだ研究を行っている。支那には「諸橋大漢和」を凌駕する漢字に関する辞典すら無い。

 蓮田善明氏は「儒・道教、或は仏教が日本に入って来て、直接に日本の神に會って、どのやうに高いものに達し得たか、どのやうに大きな光に現に透されたかを見る必要がある。…神ながらのまさ道を、まことに無窮の隆昌を保有してきた事実を知る必要がある。日本文化が異文化を包合することによって高まったとなすが如き思想は正しくない」(『神韻の文學』)と論じている。

 

日本は、支那などの外國の文化文明を受容したが、それによって日本文化文明が高められたのではなく、日本に本来的に高い文化感覚があったからこそ、支那など外國から来た文化文明をより高度なものより深いものに発展せしめたのである。

日本は、中華帝國主義國家・共産主義独裁政権と無原則な「友好親善」関係を結んではならない。況や、屈辱外交・土下座外交を行うべきではない。

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千駄木庵日乗七月十九日

午前は、母のお世話。

午後三時より、衆議院第二議員会館にて稲田朋美衆院議員にインタビュー。『伝統と革新』誌に掲載するためなり。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、資料の整理など。

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2012年7月19日 (木)

日本は内憂外患を打開することによって発展して来た

「前門の狼、後門の虎」という言葉がある。今の日本は、そんな生易しい状況ではない。「支那による沖縄・尖閣侵略の危機」に見舞われ、「ロシアによる北方領土占領支配」「韓国による竹島占領支配」が行われている。共産支那と北朝鮮はミサイルをわが国に向けている。しかも、同盟国・アメリカが果たして本当に日本と共に外敵と戦ってくれるのか心もとない。

こうした危機を打開しなければならないにもかかわらず、国内においては、様々な解決困難な問題が噴出している。まさに内憂外患交々来ると言った状況である。

しかし、わが國には、内憂外患の危機を毅然として乗り越えてきた歴史がある。危機に遭遇しそれを打開することによって発展して来たのがわが日本である。大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行なわれた。蒙古襲来は建武中興へとつながった。明治維新は欧米列強の侵略の危機・内憂外患を打開するために断行された。

今日の日本も、そうした歴史に学び、大変革を成し遂げて、危機を打開し新たなる勝利・発展を勝ち取らねばならない。

民族の歴史を我々一人一人の精神の中で甦らせることによって民族意識が形成される。民族主義・愛國心・ナショナリズムと歴史意識とは不離一体である。そして日本の民族精神の勃興は、天皇中心の國體の開顕と一体である。

明治維新の基本精神が神武建國への回帰であったように、ナショナリズムの基礎にはその國の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。わが国は対外的危機感が伝統精神の復活・回帰の熱望を呼び覚してきた。わが国は、内憂外患がきっかけとなって変革を成し遂げて来た。現代もそうした時期である。

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千駄木庵日乗七月十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、芝の駐健保会館において行われた大行社幹部会にてスピーチ。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』発送準備。

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2012年7月18日 (水)

大久保利通の尊皇精神

大久保利通は「尊皇精神」は希薄だったという説があ。しかしそれは誤りである。鳥羽・伏見の戦ひで錦旗が翻った時の状況を、大久保利通のその日記には次のやうに記してゐる。

「(注・慶應四年)八日巳の刻(午前十時)比(ころ)より八幡辺戦地御巡覧の為、宮(仁和寺宮)御出でにて、錦の御旗を飄(ひるがへ)され、威風凜烈、誠に言語に尽し難き心地にて、老若男女王帥(天皇の軍)を迎えて、有難々々といえる声、感涙に及び候。」。大久保利通の尊皇心が吐露されている文章である。また一般國民がいかに、現御神日本天皇の御稜威を畏(かしこ)んだかがこの日記によって分かる。

草莽の志士の決起も、徳川慶喜の恭順も、江戸城無血開城も、天皇の御稜威よる。徳川幕府を崩壊させ明治維新を成功せしめたのは、岩倉・西郷・大久保等の策謀でもなければ、薩摩・長州・土佐などの武力のみによるのでもない。明治維新の原基は、上御一人日本天皇の神聖権威であり、わが國民全体が古来より持っていた尊皇の心であったのである。

わが国の天皇及び皇室は、実に三千年の歴史を有する。明治維新前夜の国家的危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救はんとしたのである。

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千駄木庵日乗七月十七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。高野孟氏が「日本農耕文明に回帰せよ」と題して講演。質疑応答。講演内容は後日報告します。終了後懇親会。内容は八月二十日に報告。

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講演する高野孟氏

帰宅後は、明日のスピーチの準備。

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2012年7月17日 (火)

渋沢栄一史料館見学

本日参観した渋沢史料館は、「日本の近代経済社会の基礎を築き、生涯『道徳経済合一説』を唱え、実業界のみならず社会公共事業、国際交流の面においても指導的役割を果たした渋沢栄一[1840(天保11)1931(昭和6)]の全生涯にわたる資料が収蔵、展示」(案内書)されている。平成十年三月増設、開館された。

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渋沢栄一像(史料館内)

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渋沢栄一像(史料館玄関横)

まず史料館本館に隣接する旧渋沢庭園をめぐる。ここは渋沢栄一邸の一部で、渋沢栄一が明治十二年から亡くなる昭和六年まで、初めは別荘として、後に本邸として過ごした「曖依村荘(あいいそんそう)」とよばれる邸宅跡。往時は二万八千㎡の敷地に日本館と西洋館からなる本館をはじめ色々な建物が存在したが、その多くは昭和二十年の空襲で消失した。

庭園には国の「重要文化財」に指定された大正期の二つの建物、「晩香廬」と「青淵文庫」が庭園とともに当時のままの姿で残っていた。

「晩香廬」は、大正六年に落成した洋風茶室で、渋沢栄一の喜寿を祝って、現在の清水建設(株)が贈った。栄一自作の漢詩の一節「菊花晩節香」から命名された。内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用した。

青淵文庫(せいえんぶんこ)は、渋沢栄一の傘寿と、男爵から子爵に昇格したお祝いを兼ねて竜門社(当財団の前身)が贈呈した文庫で、大正十四年に竣工。建設中に関東大震災に遭い建物の一部は被害を受けた。また、書庫に収蔵する予定であった「論語」をはじめ多くの漢籍も保管先で焼失した。震災後、建物は震災の経験を生かし再工事が行われ、主に接客の場として使用された。

史料館は、「郷里にて」「幕臣となる」「維新政府の一員に」「実業界を築く」「民間外交を担う」「社会公共事業を推進」「栄一と家族たち」「手紙に見る幅広い交流」という項目に分けて、「尊皇攘夷運動」に挺身した若き日から、逝去までの数多くの資料が展示されていた。渋沢の一生は、明治維新という大変革と近代日本建設の歴史の歩み特に明治大正昭和のわが国産業経済の発展そのものと言っても過言ではない。

渋沢栄一が書いた『家訓』第一条には、「常に愛国忠君の意を厚くして、公に奉ずることを疎外すべからず」と記されている。徳川昭武の従って欧州に赴いた際、パリから出した妻への手紙には、「楠公の妻のことを見習って、たとえ自分が死んでも息子の教育を良く頼む」という意味の人が記されていた。渋沢栄一氏は、生涯、尊皇愛国の精神を貫いた方であった。

渋沢栄一氏は、幼少の頃より『論語』をはじめとした漢籍を学んだ。それが血となり肉となっていたと思われる。経済人・実業家としての基本姿勢は『論語』を拠り所にした「道徳と経済との合一」であった。

渋沢氏は、私の母校である二松学舎の舎長も務められた。明治十六年に、渋沢栄一氏は、亡くなられた千代子夫人の「碑文」を二松学舎の創立者・三島中洲先生に依頼されたことが縁となり、渋沢氏は中洲先生を尊敬するようになった。「義利合一説」「経済道徳節」「論語算盤説」は渋沢・三島両氏に共通する思想となった。二松学舎大学では、創立百周年を記念して渋沢栄一氏の『論語講義』を出版した。

さらに、私が高校時代書生をさせて頂いた野依秀市先生は、若き頃に渋沢栄一氏に気に入られ、色々指導を受けると共に多大の応援を受けた。野依先生が主宰していた『実業之世界』誌に連載した渋沢氏の論語講義を『處世の大道』と題して昭和三年に出版された。

この二冊は、学者の論語講義ではなく、実際に実業の世界で活躍した方による論語講義である。所謂『活學、』即ち机上の空論ではなく生きた学問である。

今日初めて渋沢資料館を見学した。色々書きたいこともあるが、機会をあらためて書かしていただきたいと思う。

青淵文庫

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晩香廬

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千駄木庵日乗七月十六日

午前は、母のお世話。熱中症にならないように注意しなければならない。

午後、北区西ヶ原にある渋沢史料館参観。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。原稿執筆の準備など。

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2012年7月16日 (月)

武田修三郎氏の講演内容

武田修三郎氏(日本産学フォーラム・ファウンディングディレクター)の講演内容は次の通り。

「一九七四年に三木内閣で『拡防条約』が批准された。社会党は核兵器生産中の中国に遠慮して批准に反対した。自民党タカ派は『核のフリーハンドを放棄する』として反対した。私は、『国際政治はきれいごとではない。核技術を高めるためには早く批准して核技術を高めておいた方が良い』と確信していた。一九七六年にカーター大統領は東海村の動燃、動力炉・核燃料開発事業団が建設していた再処理工場の中止を求めて来た。国民的高まりでアメリカに対してノーと言った。日米再処理交渉でモンデール副大統領のところに言って議論した。総合エネルギー調査会原子力部会委員を二十年間やった。原子力ムラの奴らとはかなり軋轢があり委員から外された。

私の若い頃の七〇年代には、土光敏男・平岩外四・有沢広巳三氏が中心の原子力ムラがあった。それは畏敬すべきものだった。原子力の怖さを充分知っていた。九十年代から御用学者・官僚・マスコミ・電力会社が送り込んだ政治家は、傷をなめ合う連中。自己中心。菅直人は今の原子力ムラを関東軍に譬えた。しかし関東軍には『満州は満州人の物』と言うような石原莞爾がいたが、今の原子力ムラには石原のような人物はいない。原子力を無責任な人が扱うから危ない。

エネルギー予算はアメリカより多い。そのうちの九十%は原子力のために使っている。しかし良い研究成果が出ない。産・官・学連携フォーラムを作るべし。日本で一番不足しているのは、次の時代に通用する人を作ること。若者が英語を話せない。

チェンジの時には色々な言葉が作られる。今使っている『科学・連携・教育』といった言葉も明治へのチャレンジの時に作られた。

ソーラパネルエネルギーについても消費税についても本質をついて議論していない。ニューエコノミーが必要。それを支えるエネルギーが必要。グリーンエネルギー・再生エネルギーが次のエネルギーと断定したのは間違い。土光・平岩・木川田が作ったものを忘れた。石炭はあと千年分ある。石油は三百年分ある。アンモニアは新しいエネルギー。シェルガスをアンモニアに換えて持って来れば良い。エネルギーにはプラスもマイナスもある。太陽光も大規模に使えばソラーパネルの下の土地は荒れてしまう。ソラ―パネルの寿命はせいぜい二十年。そのうえ、屋外の施設であるだけに思わぬ故障が多発する。石油は薪よりもはるかにきれい。

石油を使うために必要な科学は十七世紀のニュートン力学で、原子力を使うために必要な科学は二十世紀に出た量子力学。量子力学的知性とはマネージメントする人や組織の骨格や関係やプロセスを大事にし、情報を共有し、組織の透明性を最善とするキチンとした責任を果たす人々である」。

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千駄木庵日乗七月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓を掃苔。拝礼し、ご冥福を祈る。親族と共なり。住職夫人及び副住職にご挨拶。

帰途、御徒町に出る。

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年7月15日 (日)

ルクマン・フェーリ駐日イラク共和国特命全権大使の講演内容

『笹川平和財団主催・駐日イラク大使講演会』におけるルクマン・フェーリ駐日イラク共和国特命全権大使の講演内容は次の通り。

「二〇一〇年以降、中東に大きな変動が起きている。チュニジアで労働者での焼身自殺から革命が起きた。国民が権力を取り戻すことが起きている。しかし体制が変わったら全て良くなるとは言えない。人々の希望やニーズが満たされなかった。アラブ諸国全体が新しいテクノロジーによって通信が早くなった。一人の人に富があっても国民全体が享受できない。開発発展の遅れもあった。アラブの春の前から石油はあった。勤勉に働いてお金を得る必要が無い。イラクでは労働人口の一%しか石油産業に従事していない。

グローバライゼーションのお蔭で誰が何処で稼いでいるかが分かってしまう。人口増加についても情報が入る。イラクは毎年百万人人口が増えている。若年層が多い。イスラエルとの膠着状態は希望を失っている。軍事支出にお金を費やしたのにまだ弱体。ムスリム政党が台頭。自然の帰結であってクーデターではない。『自分は反ムスリム』と言う人はいない。

政権移譲について明確ではない。エジプトに比べると他の國はもっと混乱している。政権移譲の方法が難しい。民主的プロセスではない。短期的目標が強調される。公務員が十万人増えている。現実には緊縮財政が必要。

イランの核問題は大きい。お互いに信頼していない。対話していかねばならない。以前はエジプトがリーダー。その代りは何処が務めるのか。強い指導者が必要だという事が言われる。人権が尊重されない国でそれは何を意味するのか。ヨーロッバで勉強した人を選んでも解決しない。政治体制が機能していない。国家の機能が機能していない。大統領や首相を変えれば物事が解決するわけではない。独裁は社会の構造を悪くする。それを是正するのに長い時間がかかる。人々の社会参加を促進して国家に頼りすぎないようにすべきだ。イラクでは九年経っても根源的な問題が残っている。アラブには民主主義的地域ではないので時間がかかる。

歴史に対して責任を果たしていかねばならない。二〇〇三年以降、数多の選挙が行われてきた。六三%の投票率。政治的安定には時間がかかる。暴力は文化の問題になっている。暴力が日常になっている。国民の決意・自制心が無いと解決できない。国民の決意は民主主義を実現したいという事。

テロの問題は容易に解決できない。しかし事件に外国企業が巻き込まれることは無い。日本人への尊敬は高い。シリアには文化的・部族的リーダーがいない。アサドの後はどうなるのか。民主主義というプロセスをとるなら、そのコストもある。イスラエルによるイラン攻撃のためにイラク領空・領土を使う事は反対。イランとイラクには共通項があり、国境を越えて同じ民族も住んでいる。同じシーア派も多い。対話こそ唯一であり大事。全ての人が会話していかねばならい」。

コメンテーターの出川展恒NHK解説委員は次のように語った。

「治安機関はシーア派が独占。シーア派民兵がそのままスンニ派への暗殺部隊になっていた。暴力の連鎖から脱却したのか。イラクでは毎日十人の人がテロで亡くなっている。一か月で三百人がテロの犠牲になっている。日本企業の社員を常駐させられない」。

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千駄木庵日乗七月十四日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、原稿執筆・資料の整理など。

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2012年7月14日 (土)

『三島由紀夫研究会公開講座』における富岡幸一郎関東学院教授の講演内容・その二

宮中歌会始で天皇御製と国民の歌が讀みあげられることは大きな意味を持つ。菅さんは被災者に『もう帰るんですか』と言われた。天皇陛下が来られた時と全然違う。大島に行かれた時、初めて膝をつかれて被災者と語られた。昭和天皇にはなかったこと。民の前で膝をつくのは今の陛下が初めて。感動があった。

自民党の改憲案は、自衛隊を国防軍として最高指揮官は総理大臣にする。しかし、天皇と国防軍のあり方をもう少し突っ込んで考えるべし。天皇が軍に対して栄誉を与えることはできるはずだと三島は言っている。国事行為の七番目に『栄典を授与すること』と書かれている。文化勲章だけではなく、国防軍に対して栄誉を与えるようにすべきである。国のために命を賭けて尽すというパブリックマインド持つ国軍に対し天皇が栄典を授与するのは非常に大事。天皇から国防軍が栄誉を受けるのは本当に大事。シビリアンコントロールの中で、天皇は軍への栄誉大権を持つべし。そういう輪郭を表わすべき文言を憲法に入れるべし。

昭和四十一年は三島にとって大変な転機。死への疾走を開始する。『英霊の声』には、神であらせられるべき時に神ではなかったことへの呪詛の意味がある。磯部浅一に非常に関心を持つ。三島の天皇観は、多神教・汎神論的風土の日本で極めて一神教的天皇観である。日本の神観は一神教的な超越者としての神ではない。三島の神観・天皇観は極めて独自で異質。

三島はサルバドール・ダリの磔刑のキリストを高く評価。古代ギリシアの美が大好き。キリスト教がギリシアの美を突き崩してしまった」。

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『三島由紀夫研究会公開講座』における富岡幸一郎関東学院教授の講演内容・その一

『三島由紀夫研究会公開講座』における富岡幸一郎関東学院教授の講演内容は次の通り。

「三島由紀夫氏自決の時、私は中学一年生であった。教員室で教員が総立ちになってテレビを見ていた。この事件が無ければ自分が文学を志したかどうかわからない。高校時代に『憂国忌』で『太陽と鉄』について話した。自分にとって決定的なことであった。今年八十七歳で吉本隆明が亡くなった。吉本は三島の自決の時、『三島の自決は長い時間を経てその意味が大変大きな意味を持つであろう』と書いた。吉本は三島の死がはらむ衝撃力がよくわかっていた。

三島は『女帝容認論』を書いていない。三島は文学とはたおやめぶりだと言っている。文学とは徹底してなよなよしたものであり、そこに日本文学の本質があると言った。仮名文字を発明し、仮名文学が日本文学の源流であると言っていた。三島は『女帝容認論』ではないと思う。

『文化防衛論』に三島の天皇論がまとめられている。文化概念としての天皇を強く言っている。文化の自由な想像力を包含するものとしての天皇を、『文化概念としての天皇』と言っている。ギリシアにはオリジナルな文化はすでにない。伊勢神宮の御造営に見られるように新しく作られて今あるものがオリジナルになる。歌道の本歌取りも同じ。天皇の本質は日本文化の本質であると言い当てている。

天皇は元首以上の存在である。連続性・文化性・祭祀性は元首という言葉では覆い尽くせない。その意味で象徴という言葉は意味を持つ。天皇の祭祀性・宗教性を包含する言葉が象徴。憲法に象徴という言葉を積極的な意味で記すべきだ。千年を貫く歴史・伝統・祭祀という意味を込めた象徴という言葉は占領憲法に使われた意味をはるかに超えた意味を持つ。

震災の後、天皇という存在の主体性・連続性をお示しになった。『自衛隊,警察,消防,海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々,諸外国から救援のために来日した人々,国内の様々な救援組織に属する人々が,余震の続く危険な状況の中で,日夜救援活動を進めている努力に感謝し,その労を深くねぎらいたく思います』との『お言葉』に深い感銘を受けた。

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千駄木庵日乗七月十三日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後、『政治文化情報』の原稿脱稿。・送付。

この後、『伝統と革新』の編集の仕事。原稿執筆。

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2012年7月13日 (金)

西村真悟氏の出版記念会における登壇者の発言

西村真悟氏の出版記念会における登壇者の発言

平沼赳夫衆院議員「全篇烈々たる愛国の情が溢れている。アメリカは戦後検閲とパージをやった。日本を破壊した。西村氏はこの著書で『戦後から脱却しなければならない』と訴えている。西村氏に政界に戻っていただいて活動してもらいたい」。

金美齢さん「十五年前、西村氏が尖閣に上陸した時バッシングを受けた。隔世の感がある。パイオニアは昔から火あぶりにされた。拉致問題でも一番最初に国会で質問したのは西村さん。西村さんはブレない人。先覚者」。

飯塚繁雄拉致被害者家族会代表「西村氏には強力なバックアップをしてもらった。今の国会では拉致のラの字もない状況は残念。問題提起をした西村先生に最後の決着をつけていただきたい」。

皿木喜久産経新聞論説委員「京都大学の学生寮に西村君が入寮した時、私が面接した。寮時代の西村君は無茶苦茶だった。ガマガエルを突きつけられた。日本で一番信念を持って行動する政治家は西村しかいない」。

西村真悟氏「東京都から尖閣を買い取る時の内閣は平沼内閣。中国が尖閣を占領すればあそこにミサイルを置く。三月十一日の東日本大震災における天皇陛下のお言葉は統治者として述べられた。明治天皇は『敷島の大和心の雄々しさは事ある時にあらわれにける』と詠ませられた。日本民族は本来の真の姿を持って使命を全うする」。

この後、小田村四郎氏の発声で乾杯を行い清宴に移った。宴会では、写真家の宮嶋茂樹氏、野田数都議会議員が祝辞を述べた。

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千駄木庵日乗七月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後七時より、九段のホテルグランドパレスにて『西村真悟君の出版を祝う会』開催。

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祝辞を述べる平沼赳夫氏と西村真悟氏夫妻(右)

帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

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2012年7月12日 (木)

非国民に「国民生活」を語る資格なし

鳩山由紀夫が「百年に一度出るかでないかの大政治家」と褒めちぎった小沢一郎の新党結成総会は、国旗も掲揚されていなければ、国歌の斉唱しなかった。つまり彼らは、非国民の集まりなのである。非国民に「国民生活」を云々する資格はない。私は、「野田か、小沢か」の二者択一を迫られたらの断然野田を選ぶ。

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日本において「統治」のご権能を有されるお方は、天皇陛下唯お一人である

日本の『統治者』は、上御一人日本天皇以外におられない。 鳩山由紀夫氏は、今日の会合で、「党を統治できないなかで国を統治できるのか」と野田政権を厳しく批判したという。これは日本國體を正しく認識していないも妄論であり、厳しく言えば不敬の言辞である。

 天皇が日本国を統治されるということは、決して権力によって支配されることではない。三潴信吾氏は「帝国憲法第一条の『統治ス』は、政治に限らず、国家・国民の活動の一切にわたっての根源者、総親たらせ給ふの意で、ここでいふ「統治」は権力作用たる『統治権』のことではない。日本古来の伝統的『やまとことば』で云ふ『しろしめす』のことである。」(日本憲法要論)と論じておられる。

 「やまとことば」の「しろしめす」とは「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代』と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

文武天皇の『宣命』には「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。また『萬葉集』巻十八所収の大伴家持の長歌に「葦原の 瑞穂の國を 天降り しらしめしける 天皇の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と しらし来る 君の御代御代…」とある。

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。

 天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 大日本帝国憲法において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。ゆえに、「統治」のご権能を有されるお方は、天皇陛下唯お一人である。

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千駄木庵日乗七月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、平河町の先輩事務所訪問。懇談。

この後、平河天満宮参拝。

いったん帰宅。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、柿本人麻呂の長歌を講義。質疑応答。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』原稿執筆。

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2012年7月11日 (水)

神話と祭祀

 神話とは太古の「神聖な歴史の物語」といふ定義がある。日本民族の「始まりの時」における神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事をつづった物語が神話である。言ひ換へると、神話とは、日本民族の「始まりの時」を説明し、生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが、どのようにして生まれ存在し始めたかを語る。

 神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事など日本民族の始まりの時の出来事は、日本人一人一人およびその共同體としての國家の生き方・在り方(文化・信仰・文學・政治・教育・芸術など一切)の模範を示す。つまり、神話は日本民族そして日本國家を根源的なものを表現するものであり、日本民族の在り方・生き方に決定的な役割を持ってゐる。

 「始まりの時」に帰ることによって現状を変革するといふ希望はあらゆる生命體が持っている。一人の人間として、新年を迎へた時や、春四月を迎へた時には、心機一転「初心」(始まりの時の心)に帰り新たなる気分になって仕事や勉學などに励もうとする。それと同じやうに、共同體としての國家は、つねに「始まりの時」=「神話の世界」への回帰によって現状を革新しやうといふ希望を持つ。明治維新といふ國家的大変革も、「神武創業への回帰」(神武天皇が即位された時への回帰)がその理想であった。

 そして神話の世界は、『古事記』『日本書紀』といった記録・文献として語り傳へられると共に、儀礼・祭祀といふ生きた現實として継承されてゐる。神話といふ「文献」と「祭祀」といふ「現實に生きた儀礼」は一體である。

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千駄木庵日乗七月十日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、明日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2012年7月10日 (火)

復古即革新と明治維新

大化改新・建武中興・明治維新などわが国の変革の基本理念は〈復古即革新〉である。現状を一新し変革することと〈元初のあるべき姿への回帰〉が相互に作用し一体となる。明治維新においては、近代的諸制度の形成といふ「御一新」と神武創業への回帰といふ「復古」は一体であった。復古即革新である。具体的にいへば、徳川幕藩体制打倒は天皇中心の國體明徴化であった。

明治維新後初めての御遷宮は、明治二年度の御遷宮である。その前段階として幕末の御蔭参りの国民的盛行があった。

御蔭参りとは、御蔭年に伊勢神宮に参拝することで、特に、江戸時代以降、間欠的におこった大群衆の伊勢参りをいふ。御蔭(恩恵)のいただけるありがたい年としてのお蔭年の観念が発生し、約六十年を周期として顕著にあらはれた。季節は三月ごろが多かった。

明治二年三月の御遷宮は、まさに明治維新と呼応するものとなった。そしてこの年、明治天皇は、神宮を御親拝された。天皇の神宮御親拝は史上例のないことであり、旧来の陋習を改めて、皇祖神への御崇敬のまことを御自ら捧げられることとなった。

そしてこの年の六月に、諸侯の土地人民を天皇に奉還する「版籍奉還」が行はれ、各藩主が、その土地(版)と人民(籍)とを朝廷に奉還し、改めて知藩事に任命され、廃藩置県の前提となった。七月二は、「職員令」による新国家体制が発足した。

和辻哲郎氏は、「明治維新は尊皇攘夷という形に現わされた国民的自覚によって行われたが、この国民的自覚は日本を神国とする神話の精神の復興にもとづき、この復興は氏神の氏神たる伊勢神宮の崇拝に根ざしている。原始社会における宗教的な全体性把捉が高度文化の時代になお社会変革の動力となり得たというような現象は、実際、世界に類がないのである。」(『風土』)と論じてゐる。

古代ギリシアやローマは、恒久的な神殿を建設しやうと考へたが、結局は廃墟をのこすのみとなった。日本民族は、神殿を定期的に作りかへることによって、神及び神殿を再生し続けて来た。日本の神と神殿は、永久不変であると共に永遠に新しいのである。

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千駄木庵日乗七月九日

午前は、母のお世話。

昼は、親族と懇談。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事と、『政治文化情報』の原稿執筆。二つが重なっているのでかなり忙しい。

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2012年7月 9日 (月)

「武士道精神・もののふの心」の回復

 武を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳としされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

 三島由紀夫氏は、昭和四十五年十一月二十五日、市ヶ谷台状で自決された際の『檄文』で、「生命の尊重のみで、魂が死んでもよいのか」と訴えられた。まさに、現代日本は「生命尊重」のみで魂が死んでしまい、頽廃と残虐の時代になってしまった。

 魂の腐敗と國家の欺瞞は、軍國主義國家であったという戦前の日本にはあり得なかったような、人命軽視という言葉すら空しくなるような、残虐なる殺人が日常茶飯事になった現代社會を現出させた 

 國家を守ることこそ、國民の道義精神の要である。軍と國家、國防と道義は不離一体の関係にある。國を守る使命、言い換えれば、兵役の義務・國防の義務がない國民は、國民とはいえない。國民は運命共同体であるところの國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念があってこそ、國民である。

 現代日本の青少年の多くは、崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考え方に陥っている。

 外國人参政権付与も、國民としての義務に「兵役の義務」がきちんと憲法に書かれていないから起こる問題である。税金さえ納めていれば國民であるというまさに利益至上主義的考え方が、「定住外國人も税金を納めているから参政権を付与すべきだ」という考えを生むのである。 

日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。須佐之男命・日本武尊そして防人以来の武士道精神・もののふの心を回復しなければならない。

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千駄木庵日乗七月八日

午前は、母のお世話。

お昼は、日暮里にて親族と会食。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2012年7月 8日 (日)

この頃詠みし歌

夢の世界と現実世界がまざり合ふ母の話を冷静に聞く

郵便局の可愛い乙女に簡保への加入勧められ心惑ひぬ

愛らしき幼児が乳母車で進み行く何の恐れもなき顔をして

あどけなき表情をしてすれ違ふ乳幼児を見れば心安らぐ

観音堂の植え木の蔭に猫がゐて我を見つめる愛らしさかな

スカイツリーの灯り眺めて見返れば半輪の月夜空を照らす

人の命何とはかなき テレビにて散歩してゐし俳優は逝く

六十五となりたる我は明日よりの生を寿ぎカンツォーネ歌ふ

声の限りオーソレミオを歌ひたりまだまだ強く生き行ゆかむとて

ハッピ姿の天理教徒に出会ひたり 懐かしき大和への旅思ひ出す

露地に咲くあじさいの花は萎れたり季節(とき)の移ろひは容赦なきもの

禍々しき政治家のあがき またしても小沢一郎がその主役なり

母のため蛤を買ひて帰り来ぬ 雨に濡れたる傘をさしつつ

焦る心持ちて暫く夜を過ごし 冷蔵庫の音耳朶に響けり

剣太刀その清らけき光をば見つめてをれは心鎮まる(「日本刀─悠久の美をみつめて」展)

清らけき光を放つ剣太刀人の世の穢れを討ち祓ふべく(同)

古き館に並ぶ剣は命あるごとき光を放ちゐるなり(同)

生命の輝きをこそ願ひゐるわが眼前に剣の光(同)

草花の植えられし露地も何時しかは消えてなくなりビルが建つらむ

建設工事の音かまびすしき日々にして千駄木の街も変り行くなり

雨降ればなほ落ち着いて酒を酌む明るい灯影の下のひと時

ぬる燗のうまき酒呑み友どちと語り合ひたる夜は楽しき

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千駄木庵日乗七月七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後、靖国神社に参拝。

午後二時より、靖国神社境内の靖国会館にて、『先哲に学ぶ会』開催。永江太郎元防衛研究所戦史部主任研究官が司会。但野正弘水戸史学会理事が「継承された水戸の心」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。内容は後日報告します。

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講演する但野正弘氏

帰途、湯島にて、古くからの友人と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、及び『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年7月 7日 (土)

剣太刀について

剣太刀 その清らけき 光をば 見つめてをれは 心鎮まる

清らけき 光を放つ 剣太刀 人の世の穢れを 討ち祓ふべく

古き館に 並ぶ剣は 命ある ごとき光を 放ちゐるなり

生命の 輝きをこそ 願ひゐる わが眼前に 剣の光

 

 昨日詠んだ拙歌である。日本刀は実に清らかである。罪穢れを祓ひ清める神器であるとさへ思へる。殺傷の武器であり、「人斬り包丁」とまで言はれるが、決してそのやうな段階にとどまるものではない。武器が美しいといふのも不思議なことであるが、實に美しい。

しかし昨日も書いたが、日本刀は単なる美術品でもない。最初から神器なのだ。だから、日本刀はその制作過程から神道形式の信仰儀式によって始まるのである。

剣は単なる殺傷のための武器ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から神道の禊の儀式によって心身を清め、斎戒沐浴して仕事(これも仕へまつるということ)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。刀鍛冶は、技術を磨き、科学的知識を養成する。しかし、その根底にあるものは、信仰的儀式・祭祀の精神なのである。

 剣の製作は、神の魂が籠るものを作る神事なのである。わが國においては、刀剣といふ武器は「忠義と名誉、克己心」といふ倫理精神の象徴であるばかりでなく、神社の御神体即ち祭祀と礼拝と祈りの対象となってゐる。「刀は」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はかうした信仰にある。

日本民族の生業の最も大切なものあり基本である「稲作」と同じである。常に神を祭り、神に祈りつつ仕事をするのである。稻に穀霊が籠るのと同じく、剣太刀にも魂が籠るのである。

日本刀には気高さがあり、気品があり、神秘性があるのは、霊が籠ってゐるからである。

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千駄木庵日乗七月六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、及び『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年7月 6日 (金)

「日本刀─悠久の美をみつめて」展を参観して思ふ

本日参観した「日本刀─悠久の美をみつめて」展は、「日本刀文化について多くの方々に理解を深めてもらう事を主軸とすると同時に、その伝統技術の継承を担う現代刀職者を支援することも大きな目的としております。公募作品コンクールにおいて行われた、厳正な審査の結果を基に『作刀』『研磨』『外装』各部門の受賞作品を中心に展示いたします」(案内書)との趣旨で開かれた。

最近作られた剣、最近研磨された鎌倉期から今日までの剣が数多く展示されてゐた。それぞれ眩しいくらいの光を発してゐた。また形も美しい。鐔・柄巻・白鞘なども展示されてゐた。刀剣は武器であると共にまさに美術品である。剣を見ると身も心も引き締まる思ひがする。武器であって単なる武器ではなく、美術品であって単なる美術品ではないのである。

美しくそして清らかに研がれた剣を見て、大伴家持の歌である「剣太刀 いよよ研ぐべし 古(いにしへ)ゆ 清(さや)けく負ひて 来にしその名ぞ」(武門の象徴である剣太刀を愈々研ぐべきだ。昔から清く背負ってきた大伴といふ氏の名であるぞ、といふ意)を想起した。

日本の「武」はまさに剣と共にある。それは素戔嗚尊・神武天皇・日本武尊から発するわが国の伝統である。そして剣は、『神器』として敬はれた。

日本武尊は、「孃女(おとめ)の 床の辺(へ)に 吾置きし つるぎの大刀 その大刀はや」(孃女の床のほとりに、私の置いて来た大刀、あの大刀よ、といふ意)と歌はれた。

天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、御歴代の天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。鏡(八咫鏡・やたのかがみ)は祭祀、剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)は軍事、玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)は農業、をそれぞれ表象してゐる。祭祀・軍事・農業を司りたまふ天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されてゐる。

 剣は武勇、そして克己の精神を象徴してゐる。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎して筑紫の県主五十迹手が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されてゐる。剣は天下を平らげる武力を表してゐるのである。

また常設展示品である「国宝・普賢菩薩騎象像」なども拝観した。

さらに、屋外展示品も参観した。「大蔵鶴彦翁之略伝碑」(大倉喜八郎氏の略伝を記した石碑)があった。これは東宮大儒・勲二等・文学博士三島毅撰、日下部鳴鶴書である。三島毅(号・中洲)は、私の母校二松学舎の創立者である。明治初期の漢学者で、重野安繹、川田甕江と共に明治三大漢学者と言はれた。大審院判事、大審院検事長、宮中顧問官、東宮侍講(大正天皇に漢学・漢詩を進講申し上げた)などを歴任した。

日下部鳴鶴は、近代書家の最高峰と言はれる人。近代書道の確立者の一人である。二松学舎大学の書道教授であられた石橋犀水先生はこの方の門人。

大倉喜八郎墓碑銘も展示されてゐたが、これも三島毅篆額、日下部鳴鶴書であった。

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千駄木庵日乗七月五日

午前は、母のお世話。

午後は、虎ノ門の大倉集古館で開催中の『日本刀─悠久の美を見つめて』参観。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆など。

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2012年7月 5日 (木)

祭祀の現代的意義

宗教には、救済宗教と祭祀宗教の二つがあるといはれる。そしてキリスト教が救済宗教で、神道は祭祀宗教であるといふ。しかし、祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事である。救済宗教の性格も持ってゐる。

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同志の一體感も實感する行事である。お互ひに神と一體となりお互ひが一體となる「まつりの精神」が世界に広まれば世界は平和になる。魂的信仰的一體感が、世界人類の交流と共存の基盤となる。「まつり」が世界で行なはれるやうになれば世界は平和になる。「まつり」の世界化が大切である。

 

倉前盛通氏は、「二十一世紀以後の世界は情報科學の進歩に見られる通り多様性の社會であり、それは一神教の世界ではなく多神教の世界である。日本的自然祭祀、つまり八百萬の神々という言葉に表現されるように典型的な多神教風土と日本的寛容さと、バイブルのない宗教、教団組織のない宗教、そのようなものが今後の世界に最も大きな精神的影響を与えるようになるであろう。」「今まではユダヤ教的な一神教的精神風土が世界に、大きな影響を与えてきたが、二十一世紀以後の世界をリードするものは、日本に代表される寛容な多神教的精神風土である。」(『新・悪の論理』)と述べてゐる。

自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神とおろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる。

わが國の麗しい山河、かけがへのない道統を重んじ、日本の傳統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。我が國は神話時代(神代)以来の傳統精神がある。それに回帰することによって現代の混迷を打開すべきである。

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千駄木庵日乗七月四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは在宅して、『月刊日本』連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。

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2012年7月 4日 (水)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

講師 四宮正貴

日時 七月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方はテキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

 

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「憲法勉強会」で小生が話したこと、考えたこと

本日の「憲法勉強会」で小生が話したこと、考えたことは次の通りです。

            ○

わが国には、成文法以前に、國體法・立国法が厳然としてある。『現行占領憲法』はそれを隠蔽している。國體法・立国法に基づく正統なる成文憲法を開顕すべきである。

本来成文憲法は、政体に関する規定であり法律である。國體に関する条項は必要ないのであるが、近代成文権法として制定された『大日本帝国憲法』に國體条項が定められている。また、『占領憲法』にも「天皇条項」がある。今後正統憲法が開顕されるにあたっても、成文の形で「國體条項」が定められることとなるであろう。

しかしながら、成文憲法によって規定されていることによって、天皇が日本の君主であらせられるのではない。天皇を君主と仰ぐ日本國體は、成文法以前に厳然として永遠に続いているのである。憲法を論じるに当たっては、その前提としてこのことをしっかりし確立しなければならない。

国民主権論・主権在民論は、欧米権力国家の思想であり、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体国家日本には全くなじまない思想である。

『徴兵制』という言葉よりも『国民皆兵制』という言葉の方が良い。国を守るのは全国民の役目であり使命であり、政府から徴用されて行う事ではないからである。

若者が、一定期間規律ある団体生活を送り、軍事訓練を行うとともに、精神教育を受けることは実に大切である。

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千駄木庵日乗七月三日

午前は、母のお世話。

午後は、書状の執筆、『伝統と革新』編集の仕事。

午後七時より、新九段下沙龍にて、『憲法研究会』開催。小生が「國體法」「政体法」についてスピーチ。全員で討論。

帰宅後は、諸雑務。

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2012年7月 3日 (火)

『祭祀』について

神道の基本行事は、神を祭ること即ち「祭祀」である。「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。「まつろふ」とは、神のご命令に従ひ奉仕しさらに實現しその結果をご報告するといふ意味である。祭祀は、神人合一の行事である。

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。

「祭祀・まつり」は、「元初の時」すなはち日本神話冒頭の「天地初発之時」への回帰である。天地生成の神聖なる時間を今に再生することが「祭り」である。「祭祀」は毎年周期的に元初のままに現實の歴史を超越して無関係に永遠に繰返される。

「祭祀・まつり」といふ行事によって實感される天地初発・原初への回帰とは、罪穢れを祓ひ清めることである。それが現實生活の倫理的精神的な秩序維持となる。現實生活の中における精神・魂そして生活の新生となる。

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千駄木庵日乗七月二日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、『笹川平和財団主催・中東イスラム政治変動講演会』開催。宮家邦彦キャノングローバル戦略研究所研究主幹・大野元裕参院議員が講演。質疑応答。八月十七日に講演記録あり。

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講演する宮家邦彦氏

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講演する大野元裕氏

帰宅後は、書状執筆。

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2012年7月 2日 (月)

「維新」について

明治維新そして昭和維新運動において、日本人同士が相戦ひ、維新のために命を捧げた人々は数多い。その人々のことを思へば、「維新」といふ言葉を安易に用いてはならないと思ふ。今日盛んに言はれてゐる「維新」は、わが国の維新変革の歴史の根本にあるものを忘却してゐるのではないか。

維新」といふ言葉の出典は、『詩経』(支那最古の詩集。代に作られた。儒教の基本経典・五経の一つ)の「大雅・文王篇」の一節である「周雖旧邦其命維新(周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり)」であるといふ。「周という国は、古い国であるが、新しき天命を受けてゐる」といふほどの意味であろらう。

古くから続く国が、革新を繰り返し、新生するといふ意味である。日本民族が、天皇を祭祀主・君主と仰ぐ國體を護持しつつ、常に革新・改革を繰り返してきた歴史に合致した言葉が「維新」である。

明治維新は、有史以来未曽有の変革であった。そしてそれは日本國體の眞姿を回復することによって、大変革を成し遂げたのである。即ち、「復古即革新」である。

明治維新が「尊皇攘夷」を基本理念にして戦はれたやうに、現代維新においても、「尊皇攘夷」の精神を根底に置いて戦はれなければならない。

「尊皇」とは萬世一系の天皇を中核とする國民的統一・道義心の高揚を図る事であり、「攘夷」とは國家民族の自主独立を回復することである。内憂外患交々来るといった状況にある今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時である。

天地自然に神の命が生きているといふ信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。國體護持の心も、尊皇精神も伝統を大切にする心もなく人に維新を語る資格は無いと思ふ。

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千駄木庵日乗七月一日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して『伝統と革新』編集の仕事。

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2012年7月 1日 (日)

日本人の倫理道徳の根本は「清明心」

日本人の倫理道徳の根本は、「清明心」「正直」「まこと」「無私」にある。そして、祭り主日本天皇は、「清明心」「無私」の體現者であらせられる。

天照大神が天の岩戸からお出ましになり、その御光が天下に輝きわたった時、八百萬神が一斉に「天晴れ、あな面白、あな楽し、あな清明(さや)け、おけ」と唱へて、高天原みな笑ったと、『古語拾遺』に記されてゐる。

日本國民は古来、「清らけく明らけく」(清明心)を最高の価値として来たのである。清々しく明るい日本民族精神は、天皇の神聖性を讃嘆し、その大御心に従ひ奉る精神なのである。

「清明心(清く明らかなこと・きよらけくあきらけき心)」は、神話時代以来わが國の基本的な道徳観念である。日本人は、「あいつは悪い奴だ」といはれるよりも、「あいつは汚い奴だ」といはれる方を厭ふ。わが國においては善悪よりも清いか汚いかが道徳基準となる。

天智天皇は

「渡津海の豐旗雲に入り日さし今夜の月夜清明(あきらけく)こそ」

(海空に、豊かに旗の如くたな引く雲、それに入り日がさしてゐる。今夜の月夜は明らかなことであらう。)

と詠ませられてゐる。

「清明心(汚れなく・清く・くもりなく・明らけき心)」にあこがれ「くらき心」「きたなき心」を嫌った心が日本人の心である。神道が禊祓を大切な行事とするのもこの精神によるのである。

「清明心」は「まごころ」といはれる精神であり、中世神道においては「正直」と称せられるものである。偽善や嘘を嫌ふ心である。無私の心であり我執なき無我の心である。

西洋精神が自我を拡張し、自我を確立することを根本とするのとは對照的にわが國は「無我」を根本とするのである。無我・無私となられて神を祭られる天皇は、「清明心」の根源者であらせられ、体現者であらせられるのである。ゆへに「現御神・現人神」と仰がれるのである。そして現御神日本天皇に對し奉り無私となって仕へまつる國民の精神と行動も「清明心」なのである。

明治天皇は

「さしのぼる朝日のごとくさはやかにもたまほしきは心なりけり」

「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」

と詠ませられてゐる。

この御製の大御心こそ清明心であると拝する。「清明心」「清き心」の傳統は、日本の倫理思想の中に力強く生きてゐる。そしてそれは、絶對尊皇精神と一体の倫理観であった。

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千駄木庵日乗六月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

午後六時より、神田学士会館にて『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学教授座長。憲法の國體条項について討論。

帰宅後は、諸雑務。

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