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2012年6月16日 (土)

歌心と維新の志

 本日行はれた「一水会フォーラム」の後の懇親会において、「歌心」「詩心」ということが話題になった。私は、政治変革を志す者は、すべからく歌心を持つべきであると主張した。また歌を詠む者はすべからく維新の志を持つべきである。

 文藝特に和歌は、常に現状を変革し、よりよき状態を憧憬するものである。和歌は人間の情念と思想を表現し訴へる文学形式である。つまり、維新変革の志から生まれるのが和歌である。和歌を詠む者に維新変革への志があってこそ価値が和歌としての価値が生まれる。和歌が真に、命・言靈のあるものとなるのは、その和歌を詠む者に維新変革の意志があることによる。現状に満足し変化を望まないといふ意味での「平穏な暮らし」の中からは和歌は生まれない。

 「革命的ロマンチシズム」といふ言葉がある。現状を否定し永遠の理想を追求する、そのために命を懸けた戦ひをするといふ意味の言葉が「革命的ロマンチシズム」であらう。人間が命懸けになった時、素晴らしい歌が生まれる。それは明治維新の志士たちが大事を実行するに当たって決意を込めて詠んだ歌や、大東亜戦争の特攻隊員が和歌に自分の最後の思いを託して死地に赴ていったことを見ればわかる。だから詩歌は「命懸け」の精神と行動の美的表現なのである。

村上一郎氏は、文学および詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(『明治維新の精神過程』)と語ってゐる。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行ふことは、言葉の価値を最高に認めることである。

 いのちが枯渇し言靈が失はれた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。現代においても、和歌や俳句といふ日本傳統文藝は多くの人々によって継承され愛好されてゐる。しかし、命ある言葉・言霊は不足してゐるのではないだらうか。

歌とは、神への「訴へ」をその起源とするのである。和歌は、元初から神聖なるものとして尊ばれてきた。その神聖感は近世に至るまで生きてゐた。

 現代において、この魂の訴へとしての和歌を喪失しているのではないか。西洋の影響下に展開して来た近代文学全般が日本古来からの言霊信仰を無視した事のその原因がある。今こそ、魂のこもった和歌が多くの人々によって歌ひあげられなければならない。言霊の幸はふ國を回復しなければならない。

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