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2012年6月25日 (月)

辻井喬氏(堤清二氏)の講演内容 その二

三島由紀夫氏とはかなり親しかったと思っている。演出家で私の同級生の松浦竹夫君が三島氏の芝居を演出し、私が見に行った時に紹介された。話しているうちに三島氏は『このままで行くと日本はおかしくなる。何とかしなければいけない』と言った。私の勤めている会社で楯の会の制服を作る事になった。三島氏が『至急会いたい』と言って来た。銀座の料理屋で会った。なかなか話題が出て来ない。三島氏は一人で先に帰った。ガールフレンドに会うのかと思った。その晩に行動を共にした人々と『檄文』を決定している。それから二か月後、私の自宅に電話があったが、私は不在だった。その翌々日に彼は自衛隊に突撃した。

その頃、私は文化放送の番組審議委員をしていた。審議会に行くと、大騒ぎになっていた。緊急座談会が開かれ、藤原弘達・江藤淳氏などが出席した。『これで日本は野蛮国と言われる』と言う人がいた。私は我慢できなくなって、『三島氏に対する敬愛の念は変えない。三島氏は考えがあってやったことだ』と叫んだ。三島氏は先が見える人だ。このままでは日本はおかしくなる、という危機感があって、ああいう乱入になったと思っている。三島氏の危機感についての言論が余りないように思う。表面だけの報道が多すぎるという気がする。もう少し突っ込んだものを書かねばならないと思っている。

日本は独立国としての自信がものすごく薄くなっているような気がしてならない。全体として電力をふんだんに使えて楽しければそれでいいという感じがある。独立国としてのプライドを持たねばならない。世間がそのことに気が付かなくなっているのが怖い。幕末から明治維新の頃は独立国家になろうとして必死だった。途中であやふやになった。国際情勢に恵まれた。独立国家としてやりやすくなった。

日本が戦争に負けて、強兵でなくても富国であればいいと言う錯覚が重しのようになった。自立精神がないと軍があっても単なる暴力装置。憲法をどう理解して使うかによってそれが自立の枠組みになる。私は吉田健一氏と仲が良く、彼は『サンフランシスコ条約締結のために日本を離れる前の一週間くらいオヤジが憂鬱そうな顔をしているのを見たことが無い』と言っていた。吉田茂は『政治家の質が悪すぎるので総理になった時困った。だから官僚を政治家にしたと言っていたという。池田・佐藤は今の政治家に比べると優秀だった。

言論についてはアメリカの完全な勝利。アメリカが思わなかったほどいかれてしまった。軍を持つと独立の根性が出るとは思わない。独立国としての根性を持って軍を持つことが大事。商業新聞・商業放送の〈商業〉にウエイトがかかるようになっている。それを受け取る側の弱さもかなりある。読者・視聴者の相互批判が活発になった方が良い。

戦争が終わるまで短歌ばかり作っていた。五十年前に、私が歌を詠まないと決めた時の歌は『大君はさみしからずや 人の中 神の中にも 染まず漂ふ』である。私の母は歌人。『天皇が人間になったから歌を詠む必要が無い』と思って私は歌を詠むことに終止符を打った。岡井隆とは親友。彼が『歌会始』の選者になったので、五十年ぶりに歌を詠んだ。

今憲法を新しく作るとか、作り直す議論は出来ない。独立国としての意識を出来て憲法をつくるべし。『自民党改憲試案』の文章は悪い。レベルが低い、『現行憲法』は日本語としてきれいとは言えない。変えた方が良いと思うが、今変えたら良い憲法になるとは思えない。『前文』が日本語としてなっていない。

宗教は大事。自立を妨げないならば宗教心を持った方が良い。しかし、私は、宗教心は無い。

社会主義を否定するつもりはない。一種の理想主義としてあっていい。市場経済は批判する者がある時は効果がある。しかし、批判する者がいなくなると何をしてもいいという事になる。明治以後の思想家で、自分の頭で考えた人は、北一輝と大川周明。日本人の心情に根差した社会主義を考えた人はいない。みんな『マルクスレーニン主義』の自動販売機。

『暴排条例』は変。恣意的に言論を抑える。日本の消費者位権力に従順で我慢強い消費者はいない。消費鎖国が続いていた。外国の物を使って贅沢をするなという空気が圧倒的だった」。

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