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2012年6月 2日 (土)

土佐藩士・中岡慎太郎の攘夷精神

真の攘夷精神を端的に示しているのが土佐藩士・中岡慎太郎が慶應二年(一八六六)に書いた次の文章である。

「それ攘夷と云ふは、皇國の私言にあらず。その止むを得ざるに至っては、宇内(注・世界中)各國、皆これを行ふものなり。米利堅(注・アメリカ)かつて英國の属國なり。時に英吉利(注・イギリス)王、利を貪る日々に多く、米民ますます苦しむ。因って華盛頓(注・ワシントン)なる者、民の辛苦を訴へ、是に於て華盛頓、米地十三邦の民を帥(ひき)ゐ、英人を拒絶し鎖國攘夷を行ふ。此より英米連戦七年英ついに不勝を知りて和を乞ひ、米利堅是に於て英属を免れ独立し、十三地同盟、合衆國と号し一強國となる……皇國当今、和親開港の如きは、幕吏彼の兵威に怖れ、上天子の勅意に違ひ、義理の当否、國の利害を計らず、……往々彼(注・外國)の命ずる所のまま(注・関税権を奪われたこと)にて、萬民殆ど途端に苦しむ。……是故に萬々願くば天下の士民、……薪に座し胆を嘗むるの思を為し、……吉田松陰の攘夷の志によって海外に渡り、彼の長を取らんと企てしことなどを思ひ、その心を心とし、上下一致學術に励み、兵力を養ひ、早く攘夷の大典を立て、諸港の条約を一新し(注・不平等条約を改正すること)……會稽の恥(注・外國から受けたひどい辱めのこと)を雪(そそ)がざれば、死するとも止まずと決心する…」(『愚論ひそかに知人に示す』)。

 この文書は、攘夷とは外國の侵略から祖國を守るために戦うことであり、徳川幕府それを実行できなかったのであり、日本中の人々は上下一致して、耐え難きを耐えて努力し、外國の長所を取り入れてみずからの國を強國にして、外國からの辱めを晴らして名誉を挽回しなければならないと論じているのである。真の攘夷のためには海外の接触し「彼の長を取る」事も必要であるというのである。これが明治維新を目指した人々の「攘夷」であった。

 だからこそ、徳川幕藩體制が崩壊し、明治維新が断行された後の日本では、外國との交際を一切行わないという頑なな攘夷論は姿を消し、外國の侵略を撃退し日本の自主独立を守るために西欧の文物を學ばなければならないという強い意志を持った。これを「開國攘夷」という。ここに日本民族の柔軟性・優秀性があると言える。今こそ、我々日本國民はこの中岡慎太郎の精神に回帰し、國家の危機を救うために立ち上がらねばならない。

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