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2012年6月23日 (土)

言葉は神であり、霊である。

言葉・言語は、文化の基礎であり、文化は言葉によって成り立つ。言葉は文化そのものである。言葉は神であり霊なのである。人間生活は言葉によって成り立つと言っても過言ではない。

『聖書』の『ヨハネによる福音書』の冒頭に、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と記されてゐる。

一切の最始原は言葉であり、神は言葉であり、萬物は言葉=神によって成ってゐる即ち言葉が事物の本質であるといふ宣言である。すべての存在は言語・言葉を通じて表現される。神も「神」といふ言葉がなければ存在が表現されない。

「言葉がすべての事物の本質である」といふ思想は、仏教においても説かれてゐる。弘法大師・空海は、「内外の風気(ふうき)わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声というなり」「それ如来の説法は必ず文字による」「五大にみな響きあり。十界に言語を具す。六塵ことごとく文字なり。法身はこれ實相なり」(「『聲字即實相義』)と論じてゐる。声字即ち言葉が世界と存在者の實相そのものであるといふのである。

道元は、「いはゆる経巻は、盡十方界これなり。経巻にあらざる時処なし。」(『正法眼蔵』第二十四『仏経』)「峰の色溪の響きもみなながら我釈迦牟尼の声と姿と」(『傘松道詠』)と説いてゐる。森羅万象すべてが仏の言葉だといふのである。

『ヨハネによる福音書』の「言葉」も、空海のいふ「聲字」も、道元のいふ「経巻」「聲」も、人間の発する「音」や人間が書く「字」に限定されるのではなく、大宇宙の萬有一切をさしてゐる。大宇宙の萬有一切が神の言葉であり、仏の言葉であるとするのである。

日本の國は、「言霊の幸はふ國」といはれる。日本は、言葉の霊が栄える国であり、言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。

日本民族は、言葉を神聖視し、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』は人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

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