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2012年6月27日 (水)

日本人の他界観

まだ見たこともなく、また行ったこともない世界を憧れるのは人間の自然な心である。日本人は古くから、この世とは別の世界即ち「他界」への憧れ・ロマンを強く持っていた。日本人の他界へのロマン精神は、神話の世界からのものであり、外来思想の影響を受けながら発達し、日本人の生活と宗教の根本にあるものなのである。さらに、世の中の変革を求める心もまだ見ぬ世界即ち他界への憧れと言っていい。       

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」というのである。それは平安時代の歌人・在原業平が

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」

(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫っているとは思わなかった、というほどの意)

と詠んでいる通りである。

死に直面した時の心を率直に表現しており、その際の驚きや悲しみを言うのに、これ以上素直な言葉はなかろうと思わせるように詠んでゐる。理性的な知識と体験的な現実との食い違いを経験する人間の「あはれ」は、時代を超えて訴えるものを持っている。業平は五十六歳で没した。

古来日本人は、死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりすると信じて来た。ということは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動しているということである。それは『古事記』に記されている伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国(よみのくに) の神話を拝すれば明らかである。

日本人は基本的に、肉体は死んでも魂はあの世で生き続けるという信仰を持っている。死後の世界は、次第に理想化・光明化されていき、神々の住みたもう世界と信じられるようになった。

古代日本人は生活全般が信仰心を基本としていた。天地万物に神や霊が宿っており、森羅万象は神や霊の為せるわざであると信じていた。だから「他界」にももちろん神や霊が生きていると信じた。しかし、反面、穢れた他界も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでいると信じられた。

すばらしい聖なる世界・清らかな他界は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき他界は夜見の国・根の国と呼ばれた。これが後に仏教の輪廻転生の倫理観と結合し、西方極楽浄土及び地獄の思想が多くの日本人に信じられるようになったのである。

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