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2012年6月12日 (火)

『アジア問題懇話会』における講演内容

六月二日に行われた『アジア問題懇話会』における浅野和生平成国際大学教授の講演内容は次の通り。

「日本は台湾以上に中国との経済関係が強まっている。馬英九は就任演説から躓きがあった。日本について発言は無かった。二〇〇六年に来日した時、台風が来たので急遽帰国した。二〇〇七年に再来日し、講演した。五月八日、『八田與一紀念パーク』開園式、烏山頭ダムマラソン大会に出席し顕彰発言をした。対日重視から総統任期を開始した。台湾船と日本の海保艦艇との衝突事故で、行政院長の強硬発言があり、日台関係が緊迫した。当時の日本交流協会池田維代表は心を痛め、許世楷台湾代表も後始末に追われた。

二〇〇九年五月一日午前、交流協会の齋藤正樹代表は、嘉義中正大学で開催された国際関係学会年次総会において『台湾の帰属未定論』発言を行った。台湾で大反響を起こした。日本側に馬英九は反日ではないかという見方がかなりあった。馬英九は一九七一年一月、大学生の時に初めて訪米した。『アジア太平洋地区学生リーダーフォーラム』に参加。二十以上のアメリカの大学を訪問。当時沖縄返還の話が進んでおり、尖閣問題が話題になっていた。中華民国の学生たちが全米で『保釣運動』を起こした。馬英九は自由な学生たちの意思表明を目の当たりにして羨望を感じた。デモ隊の最前列に立った。それが政治活動への最初の参加。博士号論文も尖閣問題にした。台北市長時代の二〇〇五年、『尖閣は中国領土』と発言。

その後沈静化して国家安全会議では、『私は知日派ではなく、友日派になりたい』と発言。日台は特別なパートナーシップを打ち出した。実務面では、航空便の増大で人の往来がしやすくなった。地方同士の交流も拡大。東日本大地震で巨額の義捐金が台湾から日本に贈られた。

二〇一二年五月二十日の総統就任演説では、日本に関わることに三回ふれている。日本の訪問団との接触の場を持った。馬政権は尖閣が焦点にならないことを願っている。

対中国経済関係は、民間企業の動きは当面深化拡大を続けていく。対中交流は拡大しても、台湾アイデンティティが急速に伸び、『我々は中国人ではなく、台湾人である』と言う人が増えている。馬英九は『八年以内にTPPに入りたい』と言っている。責任ある言い方ではない。対中一辺倒ではないスタンスをとってみたりしている」。

池田維氏(元交流協会台北事務所長)代表「日本は台湾を『サンフランシスコ条約』で放棄した。だから台湾が何処に所属するかは言えない。日中国交の時の、『中華人民共和国の主張を理解し、尊重する』というのはギリギリの政治的外交的表現であった。私がはっきり言えるのは、『日本は台湾が中国の一部とは認めたことはない』ということ。日本のみならずアメリカも『台湾が中国の一部とは認めていない』と言っている。台湾の将来は二千三百万の台湾人が決めるべし。台湾の将来を決めるのは軍事力を持っている中国でもアメリカでもない。日本は決して中国の言い分を認めてはいけない。薄熙来の事件は、中国の統治の正当性について疑問を持たせる事件。陳光誠の事件も然り。こういう事件で、台湾人は、『中国は異質である』と思い、台湾アイデンティティを強く持つようになる」。

出席者から次のような発言があった。「中華民国は『中国は一つ』『大陸反攻』のスローガンを言い続けて来た。そのために国連ポストを失った。台湾・中国の国連同時加盟は簡単にはできない。実現目標」「台湾人の多くはアイデンティティを深めている。『我々は中国人と同じではない、一緒にはやれない』と思っている。しかし、民主化・自由化している台湾人の国家意識は希薄になっている。日本に留学している学生たちの立ち振る舞いがここ数年変った。以前は台湾を背負っているという気概が感じられたが、今は日本の学生と同じようになっている。本を読んでものを考える学生は『根暗』と言われる。台湾で民主主義が制度として否定されない限り中国と一緒になる事は無い。少子化・国家意識の希薄化は日本より極端」。

千駄木庵主人曰く。池田維氏のような共産支那の言いなり、アメリカの言いなりではない外交官がいることは大変うれしい。私は国民党一党支配下の台湾には何回か行った。その後、李登輝政権下と陳水扁政権下の台湾に一回づつ行った。所謂民主化後の台湾は、国民党政権時代の戒厳令下の台湾ととは雰囲気が全く違った。戒厳令下では、街には警察官と共に白いヘルメットをかぶった憲兵が立っていた。町全体が緊張していた。ある意味秩序がありすっきりしていた。今の台北は東京と同じように自由であるが。しかしそれだけ緊張感が無く、だらけているように見える。子供たちが忠烈祠の衛兵をからかっていた。戒厳令下の台湾では考えられないことだ。二二八記念公園の記念モニュメントのところにホームレスがいた。戒厳令下では、蒋介石の銅像が多かったし、「光復大陸」「総統万歳」「筥にあるを忘れることなかれ」というスローガンがあったが今はまったく無い。それだけ自由になり、民主的になり、画一的な統制された国ではなくなったのであるが、いわゆる「国家意識」というものは希薄になっているようにも思える。しかし、台湾人としてのアイデンティティが高まっているというのは結構である。「国家意識」と「アイデンティティ」どこがどう違うのであろうか。陳水扁政権の時にも、『中華民国憲法』と中華民国の『国旗』『国歌』を廃止して、新しい憲法と「国旗国歌」を制定していれば、台湾としての国家意識が新しく生まれたと思うのであるが。それは無理だったのであろうか。心配なのは、国民党政権が長く続くと、一党独裁体制が復活し国民の自由が失われはしないかという事である。

今日の勉強会には、奥野誠亮先生も出席しておられた。百歳であられる。まことに驚異的なお元気さである。益々の長寿を祈ります。

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