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2012年6月17日 (日)

言論と羞恥心

今、三島由紀夫氏の「若きサムラヒのための精神講話」(『全集』第三十三巻所収)を読んでゐる。その文章で三島氏は次のやうなことを書いてをられる。

「日本の男性ほど羞恥心に満ちた男はなかった。…私は、日本では戰後女性の羞恥心が失はれた以上に、男性の羞恥心が失はれたことを痛感する。」「言論の自由に名のもとに、人々が自分の未熟な、ばからしい言論を大聲で主張する世の中は、自分の言論に對するつつしみ深さといふものが忘れられた世の中でもある。人々は、自分の意見――政治的意見ですらも何ら羞恥心を持たずに發言する。…われわれの若い時代には、言ふにいはれぬ羞恥心があって、自分の若い未熟な言論を大人の前でさらすことが恥ずかしく、またためらはれたからであった。そこには、自己顯揚の感情と、また同時に自己嫌惡の感情とがまざり合ひ、高い誇りと同時に、自分を正確に評價しようとするやみ難い欲求とが戰ってゐた。」「羞恥心は單に肉體の部位にかかはるものではなく、文化全體の問題であり、また精神の問題である。」

日本文化は恥の文化と言はれる。「恥を知る」といふのは日本人の強い感性といふか、道義心であらう。

今日、ホームページとか、ブログとか、ツイッターとかが発達して来たので、文章を書きそれを多くの人々に発表するといふことが実に容易にできるようになってゐる。それだけに、文章を書きそして他人に読んで頂くといふことについてのつつしみ深さが希薄になってゐるのかもしれない。

私も毎日毎日、文章を書き続け、発表してゐる。三島氏のこの文章を読んで、大いに反省させられた。実行できるかどうかは分からないが、つつしみ深く、恥をかくことのないような文章を書きたいと思ふ。

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