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2012年6月 1日 (金)

神道と近代の悲劇

葦津珍彦氏は次のように論じている。

「『神社は宗教に非ず』との政府の公式見解は、古来の日本人の神道信仰心理を抹消しようとした。…内務省の公式見解は、議会、とくに衆議院の建議者たちとは異なって、非宗教といふことを、きはめて世俗の常識合理主義の意味での国家精神(国民道徳)以上のなにものでもないとの意味に解することになった。その解釈を要約すると、神社とは、日本帝国の天皇、皇族または、国家社会に特に功績のあった人格者に対して、伝統的な礼法をもって表敬すべき場所であるといふことである。神主は、国家的記念堂(メモリアル・ホール)の儀礼的執行者であり管理人であって、特殊格別の宗教信仰心や思想を持つものではない。忠良な臣民としては、仏教、儒教、キリスト者と同一の国民精神を持つべきで、神道といふ特殊の宗教や思想の対立的独自の立場があるべきではないといふのである。」(『国家神道とは何だったのか』P一六三)

明治政府の官僚が作り出した『神社は宗教に非ず』という政策は、神代の否定・造化の三神の否定であった。言い換えると日本伝統信仰の否定である。これが明治以後の正しい歩みをおかしくした原因と言える。

明治末期に内務官僚主導で行なはれた「地方改良運動」で、「由緒ナキ矮小ノ村社無格社」の排除と合併といふ神社統合事業が行なはれた。三重県や和歌山県では、人事数の八割から九割が削減統合される「整理」が行なはれた。ところが民心の動揺をひき起こし、各地で民衆の抵抗に遭った。地方の民衆たちの氏神信仰・信仰共同体生活の破壊に直結したからである。

明治期において、国家権力による神道精神の破壊があったのである。これが近代日本の過誤の根本的原因であったと考へる。近代日本の政府官僚の日本傳統信仰に対する無理解と無知いふ大きな欠陥が表れてゐる。

神を忘れ信仰共同体から遊離し支配機構の為のイデオロギーとしての「国家神道」が国民の正しい宗教精神を養成を阻んだ。

宗教対立・宗教戦争が繰り返され、宗教裁判・魔女狩り・聖戦といふ名のテロが行はれてきている外国とりわけ一神教の世界では、まったく考へられないことだが、神社神道・日本伝統信仰は、仏教あるいはキリスト教ですら共存させる寛容さ、柔軟さそして強靭さを持ってゐる。それが日本人の当たり前の宗教感覚であり、信仰文化であった。

しかし、神を忘却し、政治権力の支配イデオロギー化した国家神道は、排他的な国教となったと言い得る。

日清戦争、日露戦争の勝利は、脱亜入欧路線の勝利ではない。日本精神を保持して西洋伝来の武器を使用して戦い勝利したのである。つまり、「和魂洋才」の勝利だったのである。ところがその後の日本は、「和魂」を忘却し、上滑りな「洋才国家」の道を歩むこととなった。これは近代日本の悲劇であった。

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