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2012年6月25日 (月)

辻井喬氏(堤清二氏)の講演内容 その一

六月十五日に行われた『一水会フォーラム』における作家・詩人の辻井喬氏(堤清二氏)の講演内容は次の通り。

「自分がどういうものの考え方をしているか時に分からなくなる。左翼的思想を持っていると自分では思っている。今になっては左翼も右翼もないと思っている。会社に勤めている頃、ソ連のある筋から漁業に関するマネージメントのノウハウを教えてくれと言われた。協力しても日本にとって悪いことではないと思った。当時の大平正芳自民党幹事長に相談した。大平氏は『協力してやってくれ。政府には制約があってソ連とは自由に往来が出来ない。民間の細い線がつながっているのはいいことだ』と言われた。

共産党独裁国家では共産党の偉い人に会って話をしないと前に進まないと思った。対日政策を決めているコワレンコ中央委員候補に会うのが近道と分かった。美術文化交流でソ連文化省の招きロシアに行った。文化省の役人に『コワレンコと会うアレンジをしてくれ』と言った。国際親善協会の建物でコワレンコに会った。私はコワレンコに『日本に魚を獲らせないと日本全体を敵に回すことになる。日本が優れた技術力で再軍備したらあなたは責任をとれるのか』と言った。民間人だからそういうことを言う事が出来た。コワレンコは驚いた。コワレンコは突然怒り出し、ウイスキーのグラスをひっくり返った。威嚇して来た。そして『三年前、ベレンコ中尉が亡命した時の日本の態度をおぼえているか。日本は一ヶ月にわたってミグ機の欠陥やベレンコのことを書きたてた。他国の失敗を書けるだけ書いて、魚をただで獲らせろと言う日本の方が無理難題だ』と言った。漁業資源保護のために日本に魚を獲らせないというソ連の主張のは嘘で、ミグ機亡命事件の意趣返しだったのだ。『あなたの言ったことは重大だ。帰国したら発表する』と言ったら、コワレンコは『冗談だ』と言って軟化した。

私は、学生時代にソ連は労働者の天国と思っていた。しかし、最初にソ連に行った時に幻滅した。二度目に行った時は、威張ってはいるが中身は大したことは無いと思った。自分が勝ったことで、自分のユートピアが崩れた。その後漁業交渉で数回ソ連へ行った。『うっかりすると攻め込んでくる嫌な日本人』と思われた。私は一人では行かないようにした。十人くらいでロシアに行くと、真夜中に必ずドアをノックされる。女性の訪問者だった。しかし私のところだけはその訪問者は来なかった。私はコワレンコに『これは差別だ』と言ったら、コワレンコは『わが国の事情に詳しい人には差し向ける必要はない』と言った。

ソ連時代はまともなビジネスマンはソ連に行きたがらなかった。成果が無い。党政府関係を多少知っている私のような人間が行った方が良いと思った。私のその時の意識は右寄りだったのか、左寄りだったのか自分でもよく分からない。日本の為になったことは分かる。

国際的な関係も、国内の事も、もっと突っ込んだ議論をしなければ全てがいい加減になってしまう。東日本大震災の時の日本は、丁度、今迄の日本のやり方でいいのだろうかと迷い始めた時だった。GDPが大きくなれば日本は強くなり、国民は幸福になるという事を頭に置いて働いてきた。GDPは世界のトップクラスになった。日本国民は幸福になったと思っているかと言えば、そうではないらしい。富国だけでは国民は幸せになれないのではないとかという悩みが起き始めた時に大震災が起こった。

新しい日本を作るつもりで復興に取り組まねばならない。政治家・メディアは表面だけを見ている気がする。福島原発と大震災とは種類が違うと思っている。広島・長崎で百万人近い人が被害に遭った。これは大変に災い。先輩たちの体験があるのに、後の世代の我々が原発の良い所だけを継承していていいのだろうか。そのことを突っ込んで考えなければいけない。表面だけの議論はおかしい。

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