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2012年6月30日 (土)

クレイトン・ヤイター元米国商務長官の「TTPと日米関係」題する講演の内容

笹川平和財団主催『クレイトン・ヤイター氏講演会』におけるクレイトン・ヤイター元米国商務長官の「TTPと日米関係」題する講演の内容は次の通り。

             ○

「三十年前、アメリカ全土をカバーできる法律事務所を作ろうとした。今は無数にある。国際的事務所も多くなっている。大きな変化。貿易自由化を多国間ベースで出来ればいい。多くの人々が望んでいる。二国間ベースでは出来なかったことが出来るようになる。そこでTPPが登場する。日本は積極的に参加すべきである。日本にとって巨大なプラス。TPPを活用して経済刺激のきっかけにすべし。これが最も大きな理由。ナフタ(北米自由貿易協定)の記憶があるからである。対日貿易が五十%増えた。ナフタの功績。生産性が向上した。東西だけでなく南北の物の動きが拡大した。日本がTPPに加盟すればそれが実現する。時の経過とともに参加国が増える。それらの国々は日本よりも有利になる。

中国と韓国という二大ゴリラがTPPに参加するとどうなるか。韓国は日本が入っても入らなくてもTPPに入る。韓国は参加したいと明言。中国は将来的には参加するかもしれない。第一段階では入って来ない。しかし排他的になる事は無い。アメリカは中国をライバルとは思っていない。敵対関係にない。

日本はTPPに入るべし。経済便益は大きい。日本にとってアドバンテージ(前進や優位性という意味の英語)になる。TPPは、日本にとって改革の機会を与える。日本の農家が熱心ではないことは諒解した。TPP参加は日本の長期的国益にかなう。参加すると日本農業に大きな調整が必要になる。

TPPを世界のモデル協定にしようとしている。それがアメリカの交渉官の意図。全てのトピックについて進捗が見られている。世界にとってプラスになる。日本がアメリカの市場に入ることが出来るし、アメリカが日本の市場に入ることが出来る。経済規模が二倍になる。日本は誇りのある国であり、世界第三位の経済大国。日本に『第一段階で入れ』と言っている。TPPは日本経済と貿易のバランスの軸になり得る。日本は経済的にも地政学的にも良い位置にいる。

重要品目を交渉から除外できるだろうか。悪い前例を作るべきではない。除外することは認めない。日本の経済成長は二十年間低かった。日本の経済復活はもう無いと言われるが、そんなことは信じるな。アメリカもかつてそう言われたが、復活した。アメリカの経験の真似をして、日本もTPPを使って回復できる。大震災における日本の立派な態度に敬意を表する。

高失業率を貿易のせいにしたがる。貿易政策より技術政策の方が強い。輸入が増えると高失業率になるというのはどうか。分析は慎重にしなければならない。

中国は追加的メンバーになるとは言っていない。今のルールを受け入れて追加メンバーになるのではなく、その時本格的交渉が必要になる。自由貿易エリアは日本が参加しようがしまいが存在する。米中の貿易戦争は誰の利益にもならない。米中韓貿易が増えると関税問題が発生する。

食品の安全については過剰反応である。食品の安全についての交渉は既に進行中。WTO・SPS協定(衛生植物検疫措置の適用に関する協定)の中にある。TPP参加者は既存の規定よりもアップグレイドしたものにしたいとしている。食品衛星について合意を期待するが、主権国家日本はノーと言うべきことはノーと言えばいい。このようなテーマは交渉の場で解決すべし。食品衛生の問題があるからといって日本は傍観者であるべきではない。

私は八十年代に長期的展望で日本の国益にかなわぬことを日本に要求したことは無い。カナダに対しても然り。中国も例外なき参加になるが、遠い先のこと。現実的には第一段階で参加できるのは日本・メキシコ・カナダ。他は想定していない。中国は第二段階でも参加しないと思う」。

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。三島由紀夫氏やアルベール・カミュのことなどを語り合う。私はカミュの作品は「ペスト」しか読んでいない。もう一つ西洋の小説で読んだことがあるのはエミール・ゾラの「居酒屋」である。どちらも暗い物語であった。ドストエフスキーの「罪と罰」も持っているがまだ読んでいない。題名からして明るい小説であるはずがない。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事及び資料の整理。

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2012年6月29日 (金)

「新嘗祭」について

「新嘗祭」とは、新穀をまず神前に捧げてお祭りし感謝の報告をした上で、これを神よりの賜りものとして食する儀式である。一般には秋祭りとして行ふところが多いが、単なる収穫感謝ではなく、神のみたま・生命力を身に體して生命を養い強化する儀礼でありまつりである。やまとことばで、「にふなみ、にひなめ、にへなみ、にひあへ、にはなへ、にはなひ」といふ。宮中においては、大嘗祭を行ふ年を除いて、毎年陰暦十一月中の卯の日に行はれる。その年の新穀を諸神に供へ、天皇ご自身も食される。

『日本書紀』に「天照大御神(あまてらすおおみかみ)の新嘗きこしめす」とある。「新嘗きこしめす」とは、神から新穀を頂戴することである。神からいただいた新穀を、天皇様がいただかれる事によって、天皇は現御神としての御稜威を増強されるのである。さらにいへば、天皇が新穀を祖神と共食することによって、祖神と一體になるのである。

高天原の「斎庭の穂」には、皇祖=日の神=天照大御神の靈意が籠ってゐる。その稲穂をきこしめすことは、皇祖の靈威を身に體し、大御神とご一體になられ、御稜威・靈威の更新をはかられるのが新嘗祭である。天皇は、毎年新嘗祭を繰返されることによって、再生復活され新しい御稜威をおびられるのである。

昭和天皇も、今上陛下も「新嘗祭」を執行されている。『昭和二十一年元旦の詔書』において、昭和天皇は神格を否定されたといふ主張は全く事実に反する。

「新嘗祭」は、實証史學においては、水稲栽培が始まった弥生時代に、稲魂を祭った儀礼に遡るとされる。神話の世界では、『古事記』に天照大御神が神殿で大嘗きこしめしたと記されてゐるやうに、神代の昔が起源である。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、母のお世話。

医師の往診あり。母及び小生が診察を受ける。

続いて母の介護のケアマネージャー来宅。今後の介護について相談。

午後からは、在宅して『伝統と革新』編集の仕事及び資料の整理など。

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2012年6月28日 (木)

日本國體と『斎庭の穂の神勅』

天照大神は、皇孫・邇邇藝命に稲穂をお持たせになって天降らしめられた。しかもその稲穂は、天照大神が御自ら高天原で収穫された「斎庭の稲穂」である。天照大神の皇孫・邇邇藝命への最高のご命令は、「稲穂を實らせよ」といふことである。

天孫降臨の時に、天照大神は『天壤無窮の神勅』と共に『斎庭(ゆには)の穂(いなほ)の神勅』をお下しになり「吾が高天原に所御(きこしめ)す齋庭(ゆには)の穂(いなほ)を以て、亦吾が児(みこ)に御(まか)せまつるべし」(わが高天原につくってゐる神に捧げる稲を育てる田んぼの稲穂をわが子にまかせよう)と命令された。「斎庭」とは、神をまつるためにはらひ清めた所の意である。「きこしめす」とは、飲食するの尊敬語である。

『斎庭の穂の神勅』は、高天原で神々が行はれてゐた米作りをそのまま地上でも行ふべしといふ御命令である。天照大神から皇孫・邇邇藝命に「斎庭の穂(ゆにわのいなほ)」を授けられたのは、高天原の稲を地上に移し植えて日本國を「豊葦原の瑞穂の國」とすることが、天皇のご使命であり民族の使命であるといふことである。

古代日本人は、天上から傳へられた斎庭の穂を地上に稔らせることによって、地上と天上とが等しくなると信じた。これは、わが國の稲作(稲の種・水田・農耕技術)が天来のものであることを示してゐると共に、日本民族の生活の基本である稲作が、太陽の恵みと祖先から傳へられた農耕技術によって支へられてゐることを示してゐる。

稲の種子を傳へるといふことは、米作りの生活を傳へることである。『斎庭穂の神勅』は、「米作り」といふ「くらし」の傳承なのである。これは、日本文化は米作りを基盤とすることを証ししてゐる。

これは、神々の米作りの手振り・くらしを、地上に生きる人々が神習ふといふ信仰である。神々の理想を地上において實現することである。その中心者が天照大神の「生みの子」であらせられる天皇なのである。

つまり、天皇は神意現成の中心者であらせられ、「高天原を地上に」「今を神代に」がわが國の國家理想である。このやうに素晴らしい國は世界に日本しかない。これを萬邦無比の國體という。

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、母のお世話。

午後二時半ごろ、永田町の村上正邦事務所訪問。村上正邦元参院議員と懇談。午後三時より、同所にて『武田修三郎勉強会』開催。武田氏(日本産学フォーラム・ファウンディングディレクター)が「原子力の今後」と題して講演。質疑応答。

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講演する武田修三郎氏

この後、赤坂にて、知人と懇談。

帰宅後は、書状執筆・資料整理。

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2012年6月27日 (水)

日本人の他界観

まだ見たこともなく、また行ったこともない世界を憧れるのは人間の自然な心である。日本人は古くから、この世とは別の世界即ち「他界」への憧れ・ロマンを強く持っていた。日本人の他界へのロマン精神は、神話の世界からのものであり、外来思想の影響を受けながら発達し、日本人の生活と宗教の根本にあるものなのである。さらに、世の中の変革を求める心もまだ見ぬ世界即ち他界への憧れと言っていい。       

死後の世界は、まだ行ったこともなく見たこともないが、やがては必ず行くことになる「他界」である。従って人が死んだことを「他界した」というのである。それは平安時代の歌人・在原業平が

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」

(最後には行かなくてはならない死出の旅路だとは思っていたが、それが昨日今日と差し迫っているとは思わなかった、というほどの意)

と詠んでいる通りである。

死に直面した時の心を率直に表現しており、その際の驚きや悲しみを言うのに、これ以上素直な言葉はなかろうと思わせるように詠んでゐる。理性的な知識と体験的な現実との食い違いを経験する人間の「あはれ」は、時代を超えて訴えるものを持っている。業平は五十六歳で没した。

古来日本人は、死んだ人は草葉の蔭から生きている人を見守ったり祟ったりすると信じて来た。ということは、死後の世界と現世は遮断していないで交流し連動しているということである。それは『古事記』に記されている伊耶那岐命と伊耶那美命の黄泉国(よみのくに) の神話を拝すれば明らかである。

日本人は基本的に、肉体は死んでも魂はあの世で生き続けるという信仰を持っている。死後の世界は、次第に理想化・光明化されていき、神々の住みたもう世界と信じられるようになった。

古代日本人は生活全般が信仰心を基本としていた。天地万物に神や霊が宿っており、森羅万象は神や霊の為せるわざであると信じていた。だから「他界」にももちろん神や霊が生きていると信じた。しかし、反面、穢れた他界も想定された。そこには鬼や妖怪や魑魅魍魎が住んでいると信じられた。

すばらしい聖なる世界・清らかな他界は高天原と呼ばれ、穢れた他界・恐ろしき他界は夜見の国・根の国と呼ばれた。これが後に仏教の輪廻転生の倫理観と結合し、西方極楽浄土及び地獄の思想が多くの日本人に信じられるようになったのである。

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後四時より、西荻のたちばな出版会議室にて、『伝統と革新』次号の編集会議開催。この後、出席者の方と懇談。談論風発。

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年6月26日 (火)

『日米同盟』は大切だが、アメリカの残虐性を忘却してはならない

先日参観した東京芸術大学美術館に『米墨戦争 記挿図』(カール・ネベル作)が展示されていた。これは、日本に開国を迫るためにペリーが持ってきた絵である。アメリカがメキシコを軍事的に屈服させたことを主題とする絵画で、メキシコがアメリカに降伏する場面か描かれていた。ペリーがアメリカの軍事力をわが国に示すためにこういう絵を幕府に贈ったのだ。「黒船来航」はまさに、日本を屈服させんとする砲艦外交だったのである。「日米修好」などと喜んでいい話ではない。

二〇〇一年九月十一日に、同時多発テロが起こった直後、当時のブッシュ大統領は「アメリカに攻撃を加えた國で殲滅されなかった國はない」という意味のことを言った。わが國を念頭に置いて言ったのであろう。わが國の真珠湾攻撃は軍事施設に限られていたし、多数の民間人を道連れにはしなかった。それでもアメリカは、「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉としてわが國へのすさまじい報復攻撃を開始した。広島・長崎に原爆を落とされ、全國主要都市が焼夷弾・爆弾攻撃にさらされて殆ど焦土と化し、無数の罪の無い一般國民が爆殺され焼き殺された。その残虐さ凄惨さと犠牲者の数はイスラム過激派のテロ攻撃の比ではない。

倉前盛通氏著『艶の発想』によれば、わが国に対する原爆投下の際、アメリカのトルーマン大統領は「早く投下しなければ、原子爆弾が都市住民にどんな被害を与えるか、テストする機会を逸する」と言ったという。これは米軍部の考えでもあったという。

アメリカは、わが国への原爆投下・無差別の焼夷弾・爆弾攻撃についての反省と謝罪は全くしていない。アメリカは、文明の国、自由と民主主義の国と言われるが、果たしてどうか。そもそも文明とは何か。自由と民主主義とは何か。反米感情を煽るわけではない。また、今日の情勢を考えると、日米同盟は大事である。しかし、アメリカの身勝手さ、独善性、残虐さは忘れてはならない。

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、『笹川平和財団主催・駐日イラク大使講演会』開催。ルクマン・フェーリ駐日イラク共和国特命全権大使が講演。出川展恒NHK解説委員がコメント。質疑応答。内容は、後日報告します。

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講演するルクマン・フェーリ駐日イラク大使

帰宅後は、資料の整理。

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2012年6月25日 (月)

辻井喬氏(堤清二氏)の講演内容 その二

三島由紀夫氏とはかなり親しかったと思っている。演出家で私の同級生の松浦竹夫君が三島氏の芝居を演出し、私が見に行った時に紹介された。話しているうちに三島氏は『このままで行くと日本はおかしくなる。何とかしなければいけない』と言った。私の勤めている会社で楯の会の制服を作る事になった。三島氏が『至急会いたい』と言って来た。銀座の料理屋で会った。なかなか話題が出て来ない。三島氏は一人で先に帰った。ガールフレンドに会うのかと思った。その晩に行動を共にした人々と『檄文』を決定している。それから二か月後、私の自宅に電話があったが、私は不在だった。その翌々日に彼は自衛隊に突撃した。

その頃、私は文化放送の番組審議委員をしていた。審議会に行くと、大騒ぎになっていた。緊急座談会が開かれ、藤原弘達・江藤淳氏などが出席した。『これで日本は野蛮国と言われる』と言う人がいた。私は我慢できなくなって、『三島氏に対する敬愛の念は変えない。三島氏は考えがあってやったことだ』と叫んだ。三島氏は先が見える人だ。このままでは日本はおかしくなる、という危機感があって、ああいう乱入になったと思っている。三島氏の危機感についての言論が余りないように思う。表面だけの報道が多すぎるという気がする。もう少し突っ込んだものを書かねばならないと思っている。

日本は独立国としての自信がものすごく薄くなっているような気がしてならない。全体として電力をふんだんに使えて楽しければそれでいいという感じがある。独立国としてのプライドを持たねばならない。世間がそのことに気が付かなくなっているのが怖い。幕末から明治維新の頃は独立国家になろうとして必死だった。途中であやふやになった。国際情勢に恵まれた。独立国家としてやりやすくなった。

日本が戦争に負けて、強兵でなくても富国であればいいと言う錯覚が重しのようになった。自立精神がないと軍があっても単なる暴力装置。憲法をどう理解して使うかによってそれが自立の枠組みになる。私は吉田健一氏と仲が良く、彼は『サンフランシスコ条約締結のために日本を離れる前の一週間くらいオヤジが憂鬱そうな顔をしているのを見たことが無い』と言っていた。吉田茂は『政治家の質が悪すぎるので総理になった時困った。だから官僚を政治家にしたと言っていたという。池田・佐藤は今の政治家に比べると優秀だった。

言論についてはアメリカの完全な勝利。アメリカが思わなかったほどいかれてしまった。軍を持つと独立の根性が出るとは思わない。独立国としての根性を持って軍を持つことが大事。商業新聞・商業放送の〈商業〉にウエイトがかかるようになっている。それを受け取る側の弱さもかなりある。読者・視聴者の相互批判が活発になった方が良い。

戦争が終わるまで短歌ばかり作っていた。五十年前に、私が歌を詠まないと決めた時の歌は『大君はさみしからずや 人の中 神の中にも 染まず漂ふ』である。私の母は歌人。『天皇が人間になったから歌を詠む必要が無い』と思って私は歌を詠むことに終止符を打った。岡井隆とは親友。彼が『歌会始』の選者になったので、五十年ぶりに歌を詠んだ。

今憲法を新しく作るとか、作り直す議論は出来ない。独立国としての意識を出来て憲法をつくるべし。『自民党改憲試案』の文章は悪い。レベルが低い、『現行憲法』は日本語としてきれいとは言えない。変えた方が良いと思うが、今変えたら良い憲法になるとは思えない。『前文』が日本語としてなっていない。

宗教は大事。自立を妨げないならば宗教心を持った方が良い。しかし、私は、宗教心は無い。

社会主義を否定するつもりはない。一種の理想主義としてあっていい。市場経済は批判する者がある時は効果がある。しかし、批判する者がいなくなると何をしてもいいという事になる。明治以後の思想家で、自分の頭で考えた人は、北一輝と大川周明。日本人の心情に根差した社会主義を考えた人はいない。みんな『マルクスレーニン主義』の自動販売機。

『暴排条例』は変。恣意的に言論を抑える。日本の消費者位権力に従順で我慢強い消費者はいない。消費鎖国が続いていた。外国の物を使って贅沢をするなという空気が圧倒的だった」。

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辻井喬氏(堤清二氏)の講演内容 その一

六月十五日に行われた『一水会フォーラム』における作家・詩人の辻井喬氏(堤清二氏)の講演内容は次の通り。

「自分がどういうものの考え方をしているか時に分からなくなる。左翼的思想を持っていると自分では思っている。今になっては左翼も右翼もないと思っている。会社に勤めている頃、ソ連のある筋から漁業に関するマネージメントのノウハウを教えてくれと言われた。協力しても日本にとって悪いことではないと思った。当時の大平正芳自民党幹事長に相談した。大平氏は『協力してやってくれ。政府には制約があってソ連とは自由に往来が出来ない。民間の細い線がつながっているのはいいことだ』と言われた。

共産党独裁国家では共産党の偉い人に会って話をしないと前に進まないと思った。対日政策を決めているコワレンコ中央委員候補に会うのが近道と分かった。美術文化交流でソ連文化省の招きロシアに行った。文化省の役人に『コワレンコと会うアレンジをしてくれ』と言った。国際親善協会の建物でコワレンコに会った。私はコワレンコに『日本に魚を獲らせないと日本全体を敵に回すことになる。日本が優れた技術力で再軍備したらあなたは責任をとれるのか』と言った。民間人だからそういうことを言う事が出来た。コワレンコは驚いた。コワレンコは突然怒り出し、ウイスキーのグラスをひっくり返った。威嚇して来た。そして『三年前、ベレンコ中尉が亡命した時の日本の態度をおぼえているか。日本は一ヶ月にわたってミグ機の欠陥やベレンコのことを書きたてた。他国の失敗を書けるだけ書いて、魚をただで獲らせろと言う日本の方が無理難題だ』と言った。漁業資源保護のために日本に魚を獲らせないというソ連の主張のは嘘で、ミグ機亡命事件の意趣返しだったのだ。『あなたの言ったことは重大だ。帰国したら発表する』と言ったら、コワレンコは『冗談だ』と言って軟化した。

私は、学生時代にソ連は労働者の天国と思っていた。しかし、最初にソ連に行った時に幻滅した。二度目に行った時は、威張ってはいるが中身は大したことは無いと思った。自分が勝ったことで、自分のユートピアが崩れた。その後漁業交渉で数回ソ連へ行った。『うっかりすると攻め込んでくる嫌な日本人』と思われた。私は一人では行かないようにした。十人くらいでロシアに行くと、真夜中に必ずドアをノックされる。女性の訪問者だった。しかし私のところだけはその訪問者は来なかった。私はコワレンコに『これは差別だ』と言ったら、コワレンコは『わが国の事情に詳しい人には差し向ける必要はない』と言った。

ソ連時代はまともなビジネスマンはソ連に行きたがらなかった。成果が無い。党政府関係を多少知っている私のような人間が行った方が良いと思った。私のその時の意識は右寄りだったのか、左寄りだったのか自分でもよく分からない。日本の為になったことは分かる。

国際的な関係も、国内の事も、もっと突っ込んだ議論をしなければ全てがいい加減になってしまう。東日本大震災の時の日本は、丁度、今迄の日本のやり方でいいのだろうかと迷い始めた時だった。GDPが大きくなれば日本は強くなり、国民は幸福になるという事を頭に置いて働いてきた。GDPは世界のトップクラスになった。日本国民は幸福になったと思っているかと言えば、そうではないらしい。富国だけでは国民は幸せになれないのではないとかという悩みが起き始めた時に大震災が起こった。

新しい日本を作るつもりで復興に取り組まねばならない。政治家・メディアは表面だけを見ている気がする。福島原発と大震災とは種類が違うと思っている。広島・長崎で百万人近い人が被害に遭った。これは大変に災い。先輩たちの体験があるのに、後の世代の我々が原発の良い所だけを継承していていいのだろうか。そのことを突っ込んで考えなければいけない。表面だけの議論はおかしい。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、母のお世話。

午後二時より、新橋生涯学習センターにて、『第二十三回日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が司会。小生が、「維新と和歌」と題して講演。質疑応答。そして、和歌の実作指導。

終了後、出席者の方々と懇談。談論風発。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年6月24日 (日)

この頃詠みし歌

雨の夜に筆を動かし歌を詠む このいとなみを喜びとする

スキー姿の寬仁親王のお写真を拝みまつれり豊島岡墓地

緑濃き豊島岡墓地にやすらけく眠りましませ寬仁親王

初夏の風爽やかに吹く梅雨の晴れ間 洗濯物干す朝(あした)なりけり

穴子天は栄養豊富と思ひつつビールと共に食すうれしさ

鯵の刺身食して今日は暮れてゆく生きてある身は楽しくあらな

今を盛りに咲く紫陽花を眺めをり谷中寺町に日が暮れる頃

老い母はさみしさに耐え難くして真夜中にわが部屋のチャイムを鳴らす

古き写真取り出し思ひ出を楽しげに語りゐるなりわが老い母は

関係者以外立ち入り禁止とする寺は衆生済度を拒否する如し

狭き車内に人等ひしめくラッシュアワー揉め事起らぬことこそ不思議

仕事終へ家路を急ぐ人々が詰め込まれたる小さき車輛

雨と風が強き夜なり我もまた鎮まり難き怒り持ちゐる

酔ひし若者ホームに寝ころびゐる姿 人々は無視して通り過ぎ行く

政治詠をあまり好まぬ我なれど憤りの思ひとどめ難くて

幾度も同じやうなこと繰り返す小沢一郎は愚かなりけり

小沢によりこの国の政治が乱れたること幾度ぞ憤ろしも

つひにして人間失格の烙印を妻より押されし政治家一人

安穏の境地といふには遠けれど心経誦すれば心やすらふ

寝不足で午後のひと時に眠りたり夢の中では寿司食しつつ

昼寝より目覚めて空腹を感ずれば饅頭などを食したく思ふ

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千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、原稿執筆、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

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2012年6月23日 (土)

言葉は神であり、霊である。

言葉・言語は、文化の基礎であり、文化は言葉によって成り立つ。言葉は文化そのものである。言葉は神であり霊なのである。人間生活は言葉によって成り立つと言っても過言ではない。

『聖書』の『ヨハネによる福音書』の冒頭に、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」と記されてゐる。

一切の最始原は言葉であり、神は言葉であり、萬物は言葉=神によって成ってゐる即ち言葉が事物の本質であるといふ宣言である。すべての存在は言語・言葉を通じて表現される。神も「神」といふ言葉がなければ存在が表現されない。

「言葉がすべての事物の本質である」といふ思想は、仏教においても説かれてゐる。弘法大師・空海は、「内外の風気(ふうき)わずかに発すれば、必ず響くを名づけて声というなり」「それ如来の説法は必ず文字による」「五大にみな響きあり。十界に言語を具す。六塵ことごとく文字なり。法身はこれ實相なり」(「『聲字即實相義』)と論じてゐる。声字即ち言葉が世界と存在者の實相そのものであるといふのである。

道元は、「いはゆる経巻は、盡十方界これなり。経巻にあらざる時処なし。」(『正法眼蔵』第二十四『仏経』)「峰の色溪の響きもみなながら我釈迦牟尼の声と姿と」(『傘松道詠』)と説いてゐる。森羅万象すべてが仏の言葉だといふのである。

『ヨハネによる福音書』の「言葉」も、空海のいふ「聲字」も、道元のいふ「経巻」「聲」も、人間の発する「音」や人間が書く「字」に限定されるのではなく、大宇宙の萬有一切をさしてゐる。大宇宙の萬有一切が神の言葉であり、仏の言葉であるとするのである。

日本の國は、「言霊の幸はふ國」といはれる。日本は、言葉の霊が栄える国であり、言葉の霊の力によって生命が豊かに栄える国である、といふ意味である。

日本民族は、言葉を神聖視し、萬物は言葉=神によって成ってゐると信じた。即ち言葉が事物の本質であるといふことを本然的に信じてゐた。

『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』は人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

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千駄木庵日乗六月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後六時半より、アルカディア市谷にて、『三島由紀夫研究会公開講座』開催。富岡幸一郎関東学院教授が「三島由紀夫は女系容認論者か」と題して講演。質疑応答。

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講演する富岡幸一郎氏

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2012年6月22日 (金)

第二三回日本の心を學ぶ會ご案内

第二三回日本の心を學ぶ會ご案内

演題 維新と和歌

 「日本の心を学ぶ會」では「天孫降臨・神武肇國の精神に回帰し今を変革するのが維新である」と学んできました。現状の変革の原点に「復古の心」「日本伝統精神への回帰の心」をしっかりと確立していなければならないと思います。和歌は、日本伝統精神を今日まで脈々と伝えてきた文藝であり、日本人のまごころが歌ひあげられてきた文藝であります。言葉には霊が宿っているという信仰があります。言霊信仰です。歴代天皇の大御歌に、我々國民はどれだけ勇気付けられ、心が清められたでしょうか。また維新の志士の辞世や靖國の杜に眠る英霊の和歌を詠んでどれだけ涙をしたでしょうか。今回の勉強會では、和歌と維新について学びたいと思います。

【日 時】 平成二四年六月二十四日(日)午後二時より

【場 所】新橋生涯学習センター ばるーん 東京都港区新橋三―一六―三

JR新橋駅下車烏杜口徒歩三分地下鉄浅草線・銀座線・ゆりかもめ:新橋駅下車四分

【講 師】四宮正貴

 司會  渡邊昇日本の心を学ぶ會 代表

【参加費】資料代五百円終了後近隣で懇親會(三千円位の予定です)

【連絡先】日本の心を学ぶ會事務局 埼玉県川口市安行藤八三三-十三 電話 〇九〇―八七七〇―七三九五

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ハーバード大学ケネディ行政大学院教授・スティーヴン・ウォルト氏の講演内容

六月十二日に行われた『第六回・中東イスラム政治変動講演会』におけるハーバード大学ケネディ行政大学院教授・スティーヴン・ウォルト氏の「アラブの春以後の米国中東政策とイスラエル・ロビー」と題する講演内容を報告します。

「アメリカのユダヤ人は六百万人。全人口の二%。団結力と資金力で圧力団体になっている。アメリカの中東政策はイスラエル寄り。しかしそれはアメリカの国益になっていない。イランと敵対関係を作っている。日本にとっても重大な問題。アメリカが馬鹿げた政策をとると、原油が上がる。テロ対策に時間を割かなければならない。もっと正常な関係になるべし。

イスラエルはアメリカから四十億ドルの軍事援助を受け取っている。外交的援助も受けている。アメリカは地域紛争でもイスラエルを支持。イスラエルが勝手なことをやってもアメリカから大規模なサポートを受けている。これが大きな問題を引き起こしている。反米テロが起こる一つの大きな原因になっている。

イスラエルがパレスチナを四十年間占領しているのはアメリカの価値観と違う。イスラエルロビーがアメリカの政治に大きな影響力を持っている。上院下院に色々な団体が色々な形で影響力を行使できる。選挙には金が必要。その金の面でイスラエルロビーが大きな影響力を持つ。無条件でアメリカがイスラエルを支持するよう働きかける。イスラエル支持のシンクタンクがある。アメリカの政治制度では小さな団体でも大きな影響力を持つ。

イスラエルロビーは同意する人々が選挙で選ばれ政府の主要な立場に立つことを働き掛ける。メディアをコントロールする。世論を味方に付ける。社説・記事をイスラエル寄りにする。イスラエルに批判的なことを言うとキャリアが傷つけられる。

アメリカは『リンドン・ジョンソン大統領以降、イスラエルの入植に反対して来た』と言っているが、本当に反対した人はいない。アメリカは『パレスチナ国家創設』を言っても、イスラエルへのサポートを止めたことは無かった。オバマ政権は、表向きはパレスチナ政権を支持しているように見せているが,二〇一一年、国連がパレスチナを認めることを妨害した。

イスラエルロビーは、対イランでアメリカ政府が強硬なるように働きかけた。アメリカはもっと幅広い議論をすべし。イスラエルと特殊な関係を持つべきではない。普遍的関係を持つべし。

イスラエルロビーは、イスラエルに批判的な人々を『反ユダヤ主義』と中傷する。イスラエルのやり方はパレスチナの中のキリスト教団体にとって害になっている。

イスラエルを弱い可哀そうな国と見ることはできなくなった。中東で一番強い国になった。イスラエルを犠牲者とは思えない。

『アラブの春』で先行きが不透明になった。重要な外交課題をロビイストの影響によってアメリカで自由に議論できないのは不幸。オープンな議論を押さえつけるのは良くない。ロビー活動が意見の違う人を追放しようとしているのは良くない。

イスラエルはユダヤ国家として存続するために『普通の国』になるべし。そうしないと存続できない。軍事力・経済力を持ったのだから『普通の国』になり得る。イランとの戦争をしたくないのは、イラクの経験があるから。イスラエルロビーの影響が重要な因子となってイラクを攻撃した。

同盟国が助け合うということは、相手国が相手国の為にならない馬鹿なことをしていると思ったらはっきり言うこと。特に日本のためにならない事ならなおさら。『旧約聖書』は外交には向かない。福音派・シオニストは共和党に大きな影響力を持っている」。

          ○

シオニズム・反ユダヤ主義・イスラム原理主義が中東紛争のみならず世界の宗教対立の大きな原因となっている。一神教同士の戦いである。キリスト教にも根深い反ユダヤ主義がある。だからキリスト教国家であるアメリカが、イスラエル・シオニズム支持一色ということはない。実に複雑である。

しかし、個人資産四十億ドル以上のアメリカの大富豪の三六%をユダヤ人が占めると言う。歴史的に共和党の政治資金のおよそ三割五分はユダヤ・エリートが提供して来たという。ユダヤ系がアメリカの政治において資金面で大きな力を持っていることは紛れもない事実である。

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、母のお世話。

午後一時過ぎ、上野公園内の茶房にて、先輩と懇談。内外の諸情勢及び歴史問題について意見交換。小雨が降っていても人出は多かった。

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年6月21日 (木)

永井荷風の文明批評は今日においてもその輝きを失ってゐない

現代日本に対する警告・批判となり得る永井荷風の文章を紹介したい。

「丸善明治屋三越白木屋などクリスマスの窓飾を壮麗にす子女またクリスマスとて互に物を贈りて賀すといふ近年人心夷狄の祭祀を重んじ我邦在來の豊かにめでたき行事を忘るゝことを歎ずべしといふ者あり。」(『毎月見聞録」大正五年十二月二十四日)

「若し直に國辱の何たるかを問はば獨り對外交渉のみに止まらず現代の世態人情悉く國辱となすに足る…試みに停車場に入りて掲示を見よ。蟇口を開いて貨幣を見よ。皆外國の文字あり。此の如きは欧米何處の國に至るも決して見る事能はざるものなり。…我邦人もしそれ博愛仁義の意を以て外夷の便宜を圖るものとなさば、世界外交文書の例に倣ひて須らく仏蘭西語を以てすべきなり。…全國停車場掲示の英語は屡々人をして神國六十餘州宛ら英米の植民地たるの思ひあらしむ。そもそも異郷人の異國に遊場むとするや先づその國の言語を習得するの用意なかるべからず。外客の便不便は元来その國人の深く問ふべき處にあらず。」(『麻布寿襍記』・大正十三年)

           ○

かかる傾向は、今日のわが國に於いてますますひどくなってゐる。いはゆる横文字の氾濫は、日本國が一体どこの國かと思はしめるやうな状況である。横文字とは英語のことであるが、最近はハングル文字・支那簡体字までもが其処此処に掲示されてゐる。

以前、当時の駐日韓國大使と懇談する機會があり、小生が「ソウルに行くとハングル文字ばかりで漢字が使はれてゐないので、何にもわからない。道路標識などには感じも使ったらどうですか」と言ったら、大使に「日本人に分かってもらふために書かれてゐるのではない」と反駁されたことがある。

日本が支那や南北朝鮮に対して軟弱な外交姿勢をとるに比例してわが国内に支那簡体字やハングル文字の標識や案内板が増えたやうである。

『日本國憲法』といふ名の占領憲法は、昭和二十二年五月三日に施行された。この日の永井荷風の日記『断腸亭日乗』には、「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふべし。」と記されてゐる。

永井荷風の文明批評は、今日においてもその輝きを失ってゐない。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、三田にて『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、書状執筆・諸雑務。

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2012年6月20日 (水)

『占領典範・憲法無効決議を東京都議会に求める請願集会』における登壇者の発言

六月八日に開催された『占領典範・憲法無効決議を東京都議会に求める請願集会』(司会・南出喜久治氏)における登壇者の発言は次の通り。

西田昌司氏「戦後の価値観の優等生・集大成が民主党。国を愛するという価値観なし。みんなが『現行憲法は無効』と思えば無効」。

土屋敬之氏「私の本籍地は沖ノ鳥島。きちっとした使命感があれば誰が何と言おうと石原都知事の発言に賛同するのは当たり前。自主憲法制定は国際法に違反して作られた『現行憲法』を認めることになる。野坂参三は『自衛戦争は正しい』と言った。今の共産党は『九条の会』を作った。また『憲法を守る』と言っても、天皇条項は守らない。国を守るのは権利。知は力。知で勝つのが新しい愛国心」。

野田数氏「朝鮮学校補助金廃止質問を一番妨害したのは都議会自民党。執行部が私を取り囲むようにして質問を止めろと言った。石原都知事に直接話したら、石原都知事は『やろうじゃないか』と言った。私は都議会自民党を辞めることを決心した。『江戸から東京へ』という必修教材の昨年度版は『五箇条の御誓文』ではなく『誓文』と書かれていた。竹島問題の記載が不十分だった。都議会も国政も保守派の不作為が国をおかしくしてきた。尖閣を東京都が買う事にも賛成するなと執行部に言われた。既成政党は、憲法無効は実現できないと言っている。憲法破棄のために全力を尽くしていきたい。『日本国憲法』無効を東京から発信したい」。

中松義郎氏「帝国海軍将校として終戦を迎えた。終戦の時、日本は全く負けていなかった。決戦用の一万機の戦闘機があった。食糧もあった。戦争を止めていなければ日本はアメリカに勝っていた。日本は負けていないという基本に帰らねばならない。私は東京帝大法学部の最後の卒業生。法理論的に現憲法は無効。私はこのことを四十年前から言っている。戦後教育を受けた人が憲法を改正すればろくな改正はできない。違法である『現行憲法』が正当化されてしまう。戦前の東京帝大の正門には菊の御紋があった。今は剥がされている。戦前と戦後では全く質が違う。今の東大は占領軍が作った。無効の憲法は無効にすべし。それが無効論の実践」。

西村眞悟氏「『現行憲法』と称する文書は、戦争行動中に敵の軍司令官の恫喝によって作られた文書である。マッカーサーが日本に来て第一にやったのは復讐。山下奉文と本間雅晴への復讐を開始した。パターン半島総攻撃によってマッカーサーはオーストラリアに逃げた。『現行憲法』と称する文書は昭和二十二年五月三日、東京裁判審理開始一周年の日に施行された。『現行憲法』と称する文書は、東京裁判判決文を補強する文書。日本断罪の効果を発揮した。『日本国憲法』を憲法として子供たちに教えるのは、子供たちに嘘を教えることになる。占領軍の検閲指針は、①占領軍司令官への批判禁止、②東京裁判批判禁止、③『日本国憲法』を総司令部が作ったことへの批判の禁止、の三つ。国家の根本規範を外国人が書いたのに、日本人が書いたように言う国に未来は無い。中国は尖閣という『点』だけを取りに来ているのではない。『面』を採りに来ている」。

三宅博氏「憲法に『日本は悪い国だ』と書いてある。だから日教組は悪い国だとする偏向教育をしている。公教育で反日教育を行っているのは、憲法前文に日本は悪い国だと書いてあるからだ。原爆を落としたアメリカ、一億人の自国民を殺した中国、自国民を餓死させている北朝鮮が、『平和を愛する諸国』だと書いてある」。

             ○

小生も次のようなスピーチを行った。

「憲法学者・政治家の多くには、『現行憲法無効』『現行憲法破棄』は不可能とする意見が多い。それでは『現行憲法改正』は可能なのであろうか。今まで施行以来六十五年間、一字一句改正されなかった。また『改正』は、『現行憲法』が正当であるという事を認めてしまう。今日、色々なところから出されている『改憲試案』は、その多くが『現行占領憲法』の三原理を継承している。日本國體を破壊する『国民主権論』、戦勝国支配を恒久化する『似非平和主義』、欲望民主主義を野放しにする『基本的人権の尊重』を踏襲するのでは全く改正にはならない」。

付け加えますと、「人権」という言葉は国家・民族を否定する言葉である。「民権」即ち天皇国日本の国民としての権利でなければならない。日本国という共同体を否定したら個人は生きていけない。

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して書状執筆・原稿執筆。

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2012年6月19日 (火)

和歌が復興した時代こそが維新の時代である

 幕末期の日本的ナショナリズムは、萬葉の時代・建武中興の時代の尊皇精神への憧憬の心と結びついてゐた。つまり、萬葉の精神と楠公精神である。

 

江戸時代前・中期において『萬葉集』は學問の対象ではあったが、和歌創作の規範とはならなかった。しかし幕末期の國學者たちが『萬葉集』の精神を復興せしめた。その「文藝復興」が明治維新の精神的原動力の一つとなった。

 

民族の歴史と伝統の精神を変革の原理とする日本の維新は、維新を志す者が、自らの精神と行動に、憧憬すべき時代の先人たちと同じ決意と歓喜と行動の源泉を甦らしめることによって実現する。これを復古即革新即ち維新といふのである。

 そのために日本民族の持つ清潔な精神的血統と道統を継承する文藝である和歌を學び、和歌を詠むことが大切になるのである。なぜなら、いにしへから伝へられた「五・七・五・七・七」といふ形式を保持しつつ、その形式によって新しき精神を表白するところの和歌が、「復古即革新」の文藝だからである。 

 今日の日本も幕末期と同様に、内憂外患交々来たるといった状況である。かうした状況の中にあって、我々の維新の情念を伝統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が必要なのである。

  現代日本において短歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとしての「やまと歌」を詠む人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ実感すべきである。

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千駄木庵日乗六月十八日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、諸雑務。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルにて、笹川平和財団主催『クレイトン・ヤイター氏講演会』開催。クレイトン・ヤイター元米国商務長官が「TTPと日米関係」と題して講演。質疑応答。後日報告します。

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帰宅後は、諸雑務。

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2012年6月18日 (月)

所功京都産業大学法学部教授の講演内容

六月六日に行われた「國體文化講演会」における所功京都産業大学法学部教授の講演内容は次の通り。

「皇室が末永く続いて行かれますように、国民としてどういうことを考え、どういうことをさせて頂けるか。

寬仁親王殿下に数年前直接お目にかかった。それが御縁で私共の大学に来ていただいてお話をしていただいた。

私は、昭和十六年に岐阜県に生まれ育った。父は戦死した。母から影響を受けた。家には両陛下の御真影があった。昭和三十年、中学三年の時、日本遺族会のお世話で靖国神社遺児参拝に参加し、初めて東京に来た。その時初めて、皇居を拝した。

高校に入り、平泉澄先生の最後の直弟子で、中世史研究家であられ大変な敬神尊皇家の先生に日本史・世界史を教わり、日本史と神道に目覚めた。

昭和三十五年第一次安保の時、大学は全学連が支配。左翼学生運動の巣窟だった。皇室のことを口にすると反動呼ばわりされた。菅原道真公をテーマにして、九から十世紀の平安時代の学者政治家の働きを研究し始めた。

田中卓先生からお誘いがあって、皇學館に行った。皇學館大學は、明治十五年四月に神宮祭主久邇宮朝彦親王の令達により、林崎文庫内に皇學館が創設された。明治三三年二月、神宮祭主本館総裁賀陽宮邦憲王より令旨を賜った。皇學館は、神宮・皇室を仰ぐ大学。歴史を学べば学ぶほど皇室の重要性が分かるようになった。伊勢の神宮は、天皇のお祭りごとをお預かりしている。天皇の御聴許・御裁可を経て、祭祀を行っている。

昭和五十年から、村尾次郎先生の後任として教科書調査官になった。国会に呼び出されて吊るし上げに遭いかけた時、当時の文部省の事務次官・審議官が矢面に立ってくれた。『指導要領』に、天皇・皇室の事を教えることになっている。しかし、教科書に、天皇目皇室の事が書いていない。書いていても否定的に書いている。そのことを論文にしたら、日本共産党に攻撃された。彼らは、皇室の存在意義を認めているから問題にすると分かり、謹慎期間中、皇室のことを勉強した。江戸時代、天皇無くして将軍はあり得なかった」。

            ○

「皇室典範」「皇位継承」についてもお話があったが、極めて重大な事柄であり、小生のメモと記憶によって報告することは遠慮する。

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『近代洋画の開拓者・高橋由一』展参観

今日参観した『近代洋画の開拓者・高橋由一』展は、「《鮭》や《花魁おいらん》(いずれも重要文化財)、あるいは《豆腐》《山形市街図》を描いた画家として知られている、明治時代を代表する洋画家、高橋由一の全貌を紹介する展覧会です。

明治維新後に丁髷(ちょんまげ)を落とし『由一』を名乗るところから、近代洋画の父と呼ばれる高橋由一の活躍がはじまります。…洋画を日本に普及するのが自分の果たすべき使命だという強い自負にあふれていました。…本場の西洋画を知らずに写実に挑んだ男が生み出した油絵だからこそ、黒田清輝以降の日本洋画の流れとは一線を画す『和製油画』として日本的な写実を感じさせるのです」「本展では、由一の代表作を網羅し、初期から晩年までの作品を一堂に紹介…『近代洋画の開拓者』高橋由一の魅力を探ります」との趣旨(解説文)で開かれた。

肖像画は、「丁髷姿の自画像」「藤田東湖像」「武田耕雲斎像」「岩倉具視像」「大久保甲東像」「日本武尊像」「花魁」(重要文化財)が印象に残った。表情が生きている。

風景画では「不忍池」「根津権現」「月下隅田川」「墨堤桜花」などが良かった。不忍池と根津権現は私がよく行く場所である。明治初年代の様子が描かれている。私は根津権現の氏子である。当時は鬱蒼とした森があったようである。

静物画では「甲冑図」「鮭」などが印象に残った。「鮭」は教科書などに載っていることが多い。明治初期の絵とは思っていなかった。それだけ新しい命を持ち続けている絵だと思う。

高橋由一の作品は、リアルな質感描写が高く評価されているが、単なる写実の域を超えた迫力のある絵が多かった。

高橋由一は、下谷・入谷で長く住まいを持ち、東日暮里で死去した。私宅の近くなので親近感を覚えた。

高橋由一が西洋画に関心を持つきっかけになった「米墨戦争

記挿図」(カール・ネベル)が展示されていた。これは、日本に開国を迫るためにペリーが持ってきた絵である。アメリカがメキシコを軍事的に屈服させたことを主題とする絵画で、ペリーがアメリカの軍事力をわが国に示すため幕府に贈った。黒船来航はまさに、日本を屈服させんとする砲艦外交だったのである。

続いて参観した『芸大コレクション展・春の名品展』は「当館のコレクションは、開学以来一二〇年を超える収集活動によって形作られたもので、古美術から日本画、洋画、彫刻、工芸、歴代教員・学生による作品など多種多様な内容を誇り、その数は重要文化財二二件を含む二万八千五百件を越えています。…今年は、古美術、近代美術の各分野の中から、多くのお客様にご好評いただいている作品を精選して展示いたします」との趣旨(案内書)で開かれた。

「浄瑠璃寺吉祥天厨子絵」、白滝幾之助「稽古」、高村光雲「観音像木型」「絵因果経」(天平時代)、浅井正「収穫」などを観る。

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京芸術大学美術館で開催中の『近代洋画の開拓者・高橋由一』展及び『芸大コレクション展・春の名品展』参観。

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芸大構内の老木

この後、谷中寺町を散策。

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谷中寺町の紫陽花

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年6月17日 (日)

言論と羞恥心

今、三島由紀夫氏の「若きサムラヒのための精神講話」(『全集』第三十三巻所収)を読んでゐる。その文章で三島氏は次のやうなことを書いてをられる。

「日本の男性ほど羞恥心に満ちた男はなかった。…私は、日本では戰後女性の羞恥心が失はれた以上に、男性の羞恥心が失はれたことを痛感する。」「言論の自由に名のもとに、人々が自分の未熟な、ばからしい言論を大聲で主張する世の中は、自分の言論に對するつつしみ深さといふものが忘れられた世の中でもある。人々は、自分の意見――政治的意見ですらも何ら羞恥心を持たずに發言する。…われわれの若い時代には、言ふにいはれぬ羞恥心があって、自分の若い未熟な言論を大人の前でさらすことが恥ずかしく、またためらはれたからであった。そこには、自己顯揚の感情と、また同時に自己嫌惡の感情とがまざり合ひ、高い誇りと同時に、自分を正確に評價しようとするやみ難い欲求とが戰ってゐた。」「羞恥心は單に肉體の部位にかかはるものではなく、文化全體の問題であり、また精神の問題である。」

日本文化は恥の文化と言はれる。「恥を知る」といふのは日本人の強い感性といふか、道義心であらう。

今日、ホームページとか、ブログとか、ツイッターとかが発達して来たので、文章を書きそれを多くの人々に発表するといふことが実に容易にできるようになってゐる。それだけに、文章を書きそして他人に読んで頂くといふことについてのつつしみ深さが希薄になってゐるのかもしれない。

私も毎日毎日、文章を書き続け、発表してゐる。三島氏のこの文章を読んで、大いに反省させられた。実行できるかどうかは分からないが、つつしみ深く、恥をかくことのないような文章を書きたいと思ふ。

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千駄木庵日乗六月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送作業。発送完了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると思います。

夕刻、古くからの友人と懇談。

帰宅後は、書状執筆。

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2012年6月16日 (土)

歌心と維新の志

 本日行はれた「一水会フォーラム」の後の懇親会において、「歌心」「詩心」ということが話題になった。私は、政治変革を志す者は、すべからく歌心を持つべきであると主張した。また歌を詠む者はすべからく維新の志を持つべきである。

 文藝特に和歌は、常に現状を変革し、よりよき状態を憧憬するものである。和歌は人間の情念と思想を表現し訴へる文学形式である。つまり、維新変革の志から生まれるのが和歌である。和歌を詠む者に維新変革への志があってこそ価値が和歌としての価値が生まれる。和歌が真に、命・言靈のあるものとなるのは、その和歌を詠む者に維新変革の意志があることによる。現状に満足し変化を望まないといふ意味での「平穏な暮らし」の中からは和歌は生まれない。

 「革命的ロマンチシズム」といふ言葉がある。現状を否定し永遠の理想を追求する、そのために命を懸けた戦ひをするといふ意味の言葉が「革命的ロマンチシズム」であらう。人間が命懸けになった時、素晴らしい歌が生まれる。それは明治維新の志士たちが大事を実行するに当たって決意を込めて詠んだ歌や、大東亜戦争の特攻隊員が和歌に自分の最後の思いを託して死地に赴ていったことを見ればわかる。だから詩歌は「命懸け」の精神と行動の美的表現なのである。

村上一郎氏は、文学および詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(『明治維新の精神過程』)と語ってゐる。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行ふことは、言葉の価値を最高に認めることである。

 いのちが枯渇し言靈が失はれた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。現代においても、和歌や俳句といふ日本傳統文藝は多くの人々によって継承され愛好されてゐる。しかし、命ある言葉・言霊は不足してゐるのではないだらうか。

歌とは、神への「訴へ」をその起源とするのである。和歌は、元初から神聖なるものとして尊ばれてきた。その神聖感は近世に至るまで生きてゐた。

 現代において、この魂の訴へとしての和歌を喪失しているのではないか。西洋の影響下に展開して来た近代文学全般が日本古来からの言霊信仰を無視した事のその原因がある。今こそ、魂のこもった和歌が多くの人々によって歌ひあげられなければならない。言霊の幸はふ國を回復しなければならない。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。作家・詩人の辻井喬氏(堤清二氏)が講演。活発な質疑応答が行われた。終了後、懇親会。後日報告します。

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講演する辻井喬氏

帰宅後は、諸雑務。

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2012年6月15日 (金)

『週刊文春』の「小沢一郎妻からの離縁状」という記事を読んで思う

今週の『週刊文春』に「小沢一郎妻からの離縁状」という大変興味深い記事が掲載されている。小沢一郎氏が家庭内においてもいかにひどい人物であるかが赤裸々に書かれている。この記事に書かれていること、小沢和子夫人の手紙の内容がすべて真実であるとするなら、小沢という人物は政治家失格である以前に、人間失格である。長年連れ添ってきた妻、しかも政治活動・選挙運動で大変な苦労をかけた妻に対するむごい仕打ちには何とも言いようがないくらいに怒りを覚える。

私は、昨年の東日本大震災の直後から暫くの間、小沢一郎氏の動静が全く伝えられないことを不思議に思っていた。と言うよりも、故郷であり選挙区である岩手、そして東北が被災地であるにもかかわらず、政治家として何の活動もしていないことに腹立たしい思いをしていた。

和子夫人の手紙によると、なんと小沢氏は放射能が怖くて、被災地に行かないばかりでなく、東京からも逃げ出そうとしていたというのだ。小沢氏は最低最悪の政治家と言わねばならない。否、前述したように小沢氏は政治家失格・人間失格なのである。

私は以前から、「小沢一郎を政界から追放することこそ日本一新であり政治改革だ」と言って来た。私は、小沢氏が鈴木俊一氏を都知事から引きずりおろそうとした時から、小沢氏の事が嫌いになった。その後、経世会の実権を握れなくなった途端、自民党を飛び出して、当時の野党と手を握り、『政治改革』などときれいごとを言って政権を奪取した。この時、小沢という男は、政治家としても人間としても許すべからざる男であると確信し、今日に至っている。

最も問題なのは、小沢氏が、天皇・皇室、歴史観、靖国神社、対共産支那外交に関して許すべからざる姿勢・考え方を持っていることである。今回の記事そして韓国における演説を見て明らかなように、小沢氏には、家族愛も、愛郷心も、愛国心も、そして尊皇精神もないのである。

今度の『週刊文春』の記事を読んで、尊皇精神が希薄な人は倫理精神・道徳心も希薄であるいうことは真実であると益々実感した。

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千駄木庵日乗六月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、豊島岡墓地にて行われた「故寬仁親王殿下葬場一般拝礼」にうかがう。ご遺影に向かい拝礼、ご冥福をお祈り申し上げる。

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帰宅後は、諸雑務。

午後六時より、神田明神近くにて、『伝統と革新』編集実務担当者の打ち合わせ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2012年6月14日 (木)

やまと歌について

「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。それが祝詞となった。祝詞も声調・調べが整ってゐる。

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、特定の言葉を唱へることが基本的行事である。すべて言葉を唱へる行事である。祈りとは、経典や聖書、祈りの言葉そして題目や念仏も同じである。

歌をはじめとした日本文藝の起源は、神への訴へかけである。和歌は神聖な文藝であると考へられていた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源なのである。

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

 

紀貫之が執筆した『古今和歌集』の「仮名序」は、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献である。

「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)と書かれている。

明治天皇は、

「鬼神も泣かするものは世の中の人のこころのまことなりけり」

「まごころを歌ひあげたる言の葉はひとたび聞けば忘れざりけり」

と詠ませられてゐる。

「鬼神の」の御製は、歌の力の偉大さを論じた『古今和歌集』の「仮名序」を踏まへられてゐると拝する。この御製で大事なのは、「人の心のまことなりけり」と示されてゐることである。

和歌は「人のこころのまこと」を歌はねばならない。自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころを歌はねばならない。それが「五・七・五・七・七」と形式で表白され、読んだ人・聞いた人の魂を動かすといふのがやまとうたの本質である。

「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ」といふのは決して誇張ではなく、古代・中古においては本当にそう信じられてゐたのである。

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千駄木庵日乗六月十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

昼は、知人と懇談。

午後は、諸雑務。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、弓削皇子の御歌などを講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2012年6月13日 (水)

この頃詠みし歌

銀杏若葉 日に照り映えて新しき命を誇るごとくに見ゆる

雨音の静かに聴こゆる夜の更けに日記書きゐるひそやかさかな

本物の黒き髪かと問はれたり 六十五歳のわれの喜び

久しくも読むことのなき書物あり懐かしきかな「ヨハネ福音書」

卓上の灰皿に吸殻増えゆきて もうこの辺で吸ふまいと思ふ

何時ものやうに笑顔で迎へる店主あり 今宵の酒はまた美味きかな

窓ガラス拭き清めゐる時にしも爽やかな初夏の風吹き来たる 

常世への入り口といふ山の姿今に忘れず都会に暮らす(二上山を偲び)

原稿を書き終へし後のやすらぎは 一杯のコーヒー 一本の煙草

逝きませし父を偲びて手を合はす遺影の笑みは常に新し

父上の遺影の笑顔に真向へば 今此處にまだ生きます如し

鎮まり難き怒りのあればなほさらに如意輪観世音の慈悲にすがらむ

青山の緑濃き墓地に雨降れば御霊も永久に鎮まるごとし(、『無名烈士墓前法要』)

雨の中 墓前に集ふ初夏の午後 粛々として御霊拝ろがむ()

青山の墓地の緑の美しさ梅雨入りの日に来て眺めをり()

憎しみの心湧き来れば一人して心鎮めに歌を詠むなり

苦しみて逝きませし父のことを思ひ悔しさつのる日々にしありけり

箒といふ物を持つこともなくなりぬ マンション生活も三十年を経て

マンション住まひも三十年となりにけり 地に足がつくといふ言葉を思ふ

酒場にてよく会ふ夫婦 今日もまた楽しげに見ゆ うらやましきかな 

知り人が閣僚となりて答弁す わが町にポリスボックスが立ち

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、『第六回・中東イスラム政治変動講演会』開催。ハーバード大学ケネディ行政大学院教授・スティーヴン・ウォルト氏が講演。質疑応答。後日報告します。

帰宅後は、明日行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備。

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2012年6月12日 (火)

六月十三日の萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 六月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方はテキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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『アジア問題懇話会』における講演内容

六月二日に行われた『アジア問題懇話会』における浅野和生平成国際大学教授の講演内容は次の通り。

「日本は台湾以上に中国との経済関係が強まっている。馬英九は就任演説から躓きがあった。日本について発言は無かった。二〇〇六年に来日した時、台風が来たので急遽帰国した。二〇〇七年に再来日し、講演した。五月八日、『八田與一紀念パーク』開園式、烏山頭ダムマラソン大会に出席し顕彰発言をした。対日重視から総統任期を開始した。台湾船と日本の海保艦艇との衝突事故で、行政院長の強硬発言があり、日台関係が緊迫した。当時の日本交流協会池田維代表は心を痛め、許世楷台湾代表も後始末に追われた。

二〇〇九年五月一日午前、交流協会の齋藤正樹代表は、嘉義中正大学で開催された国際関係学会年次総会において『台湾の帰属未定論』発言を行った。台湾で大反響を起こした。日本側に馬英九は反日ではないかという見方がかなりあった。馬英九は一九七一年一月、大学生の時に初めて訪米した。『アジア太平洋地区学生リーダーフォーラム』に参加。二十以上のアメリカの大学を訪問。当時沖縄返還の話が進んでおり、尖閣問題が話題になっていた。中華民国の学生たちが全米で『保釣運動』を起こした。馬英九は自由な学生たちの意思表明を目の当たりにして羨望を感じた。デモ隊の最前列に立った。それが政治活動への最初の参加。博士号論文も尖閣問題にした。台北市長時代の二〇〇五年、『尖閣は中国領土』と発言。

その後沈静化して国家安全会議では、『私は知日派ではなく、友日派になりたい』と発言。日台は特別なパートナーシップを打ち出した。実務面では、航空便の増大で人の往来がしやすくなった。地方同士の交流も拡大。東日本大地震で巨額の義捐金が台湾から日本に贈られた。

二〇一二年五月二十日の総統就任演説では、日本に関わることに三回ふれている。日本の訪問団との接触の場を持った。馬政権は尖閣が焦点にならないことを願っている。

対中国経済関係は、民間企業の動きは当面深化拡大を続けていく。対中交流は拡大しても、台湾アイデンティティが急速に伸び、『我々は中国人ではなく、台湾人である』と言う人が増えている。馬英九は『八年以内にTPPに入りたい』と言っている。責任ある言い方ではない。対中一辺倒ではないスタンスをとってみたりしている」。

池田維氏(元交流協会台北事務所長)代表「日本は台湾を『サンフランシスコ条約』で放棄した。だから台湾が何処に所属するかは言えない。日中国交の時の、『中華人民共和国の主張を理解し、尊重する』というのはギリギリの政治的外交的表現であった。私がはっきり言えるのは、『日本は台湾が中国の一部とは認めたことはない』ということ。日本のみならずアメリカも『台湾が中国の一部とは認めていない』と言っている。台湾の将来は二千三百万の台湾人が決めるべし。台湾の将来を決めるのは軍事力を持っている中国でもアメリカでもない。日本は決して中国の言い分を認めてはいけない。薄熙来の事件は、中国の統治の正当性について疑問を持たせる事件。陳光誠の事件も然り。こういう事件で、台湾人は、『中国は異質である』と思い、台湾アイデンティティを強く持つようになる」。

出席者から次のような発言があった。「中華民国は『中国は一つ』『大陸反攻』のスローガンを言い続けて来た。そのために国連ポストを失った。台湾・中国の国連同時加盟は簡単にはできない。実現目標」「台湾人の多くはアイデンティティを深めている。『我々は中国人と同じではない、一緒にはやれない』と思っている。しかし、民主化・自由化している台湾人の国家意識は希薄になっている。日本に留学している学生たちの立ち振る舞いがここ数年変った。以前は台湾を背負っているという気概が感じられたが、今は日本の学生と同じようになっている。本を読んでものを考える学生は『根暗』と言われる。台湾で民主主義が制度として否定されない限り中国と一緒になる事は無い。少子化・国家意識の希薄化は日本より極端」。

千駄木庵主人曰く。池田維氏のような共産支那の言いなり、アメリカの言いなりではない外交官がいることは大変うれしい。私は国民党一党支配下の台湾には何回か行った。その後、李登輝政権下と陳水扁政権下の台湾に一回づつ行った。所謂民主化後の台湾は、国民党政権時代の戒厳令下の台湾ととは雰囲気が全く違った。戒厳令下では、街には警察官と共に白いヘルメットをかぶった憲兵が立っていた。町全体が緊張していた。ある意味秩序がありすっきりしていた。今の台北は東京と同じように自由であるが。しかしそれだけ緊張感が無く、だらけているように見える。子供たちが忠烈祠の衛兵をからかっていた。戒厳令下の台湾では考えられないことだ。二二八記念公園の記念モニュメントのところにホームレスがいた。戒厳令下では、蒋介石の銅像が多かったし、「光復大陸」「総統万歳」「筥にあるを忘れることなかれ」というスローガンがあったが今はまったく無い。それだけ自由になり、民主的になり、画一的な統制された国ではなくなったのであるが、いわゆる「国家意識」というものは希薄になっているようにも思える。しかし、台湾人としてのアイデンティティが高まっているというのは結構である。「国家意識」と「アイデンティティ」どこがどう違うのであろうか。陳水扁政権の時にも、『中華民国憲法』と中華民国の『国旗』『国歌』を廃止して、新しい憲法と「国旗国歌」を制定していれば、台湾としての国家意識が新しく生まれたと思うのであるが。それは無理だったのであろうか。心配なのは、国民党政権が長く続くと、一党独裁体制が復活し国民の自由が失われはしないかという事である。

今日の勉強会には、奥野誠亮先生も出席しておられた。百歳であられる。まことに驚異的なお元気さである。益々の長寿を祈ります。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

この後は、在宅して原稿執筆。

夕刻、地元のご夫婦と懇談。

帰宅後は、水曜日の『萬葉古代史研究会』の講義準備など。

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2012年6月11日 (月)

『中東イスラム政治変動講演会第五回・アラブの春以後のイランの国内政治と核問題』における登壇者の発言

六月一日に行われた『笹川平和財団主催・中東イスラム政治変動講演会第五回・アラブの春以後のイランの国内政治と核問題』における登壇者の発言は次の通り。

アブムハンマド・アスガルハーニー氏(テヘラン大学国際関係学センター長)「国内の制度・機構は外国からの影響なくして発展することはできない。『アラブの春・革命』は、世界の動きをある意味で反映している。ギリシア・スペイン・イタリア・フランス・シアトルで起こった動きと関係ないわけではない。世界的レベルで発生した近代社会の病と言える。

中東ではキリスト教は失敗した。そこにイスラム教が入り込んだ。イスラムの価値が顕在化した。イランにおけるイスラム革命は様々の国に影響を及ぼした。アラブ世界の革命はイラン革命のコピーではない。しかし、共通項はある。外国勢力の介入を防ぐ。イスラム的価値が顕在化したフラストレーションが起きた。その不満があるが故に攻撃に出る。それは地方特有もの、グローバルなガバナンスと、国内の要因が加わる。

中東諸国は国家に関わる様々な問題を抱えている。国家が強いのではなく社会が強いのだ。国家における社会に様々な勢力圏が混在している。これに政府が対応することが出来なかった。イスラム社会の国内問題の顕在化が一番大きい。その中核にあるのは政治の問題。イランにおける核開発は政治の問題。それが経済の形に転換されただけ。

核の問題はアメリカとイラクの問題、アメリカと北朝鮮の問題でもある。テーマが問題なのではなく、誰と誰との間で起こっているかが問題。アメリカは北朝鮮に対しては対話をし、事を起こしていない。

アメリカとイランとは紛争関係と言われる。実はそうではない。革命後のイランは法の支配に貢献している。イランとアメリカの双方は中東の平和のために協力して来た。グローバルな制裁措置によって屈服した国はこれまで一国もない。IAEA(国際原子力機関)は今の段階ではイランが核兵器を作っていると実証できないでいる。

イランには様々な派閥がある。しかし制裁が国内政治に脅威になると理解すると一致団結して対処する。イランとアメリカは様々なプロセスで紛争と協力を繰り返してきた。

日本国民はフレンドリーで率直。広島の広島平和記念資料館を見学したが、ハンマーを持っている人間ではなく、ハンマーのみを攻撃している。ハンマーを持っている人間のことを非難しない。

日本の外交には孤立主義的色彩を感じる。日本は経済大国の役割を果たさなければならない。日本は自分の能力を国際舞台で行使することを躊躇している。中東への協力はあったが、西洋的価値観に則ったものだった。

イランは革命後なので、アラブの春の影響はない。イランは他国と比べて物価が安い。経済は堅調。政府は貧困層に給付を提供している。制裁直後は色々問題があったが、その後は落ち着いている。欧州諸国より良い状況にある。

日本には真珠湾攻撃をする力があった。イランは一九四一年当時そんな力は持っていなかった。アメリカはイスラエルを自国の利益のために利用して来た」。

須藤隆也氏(元駐イラン大使)「イラン革命は、米英の価値観、国際秩序は正しくないとし、イランの独立を達成し、イラン国内の『ソーシャル・ジャスティス』(社会的公正の実現)を達成するために行われた。しかし、国内は人権問題などやり残したことがある。核・人権は、アメリカがイランにレジームチェンジ(武力行使や非軍事的手段によって、他国の指導者や政権を交代させること)し、内政干渉するための口実だ。米中関係と同様に、イランとアメリカもギブアンドテイクの関係は作れないのか問いたい。イスラム教の精神的影響力は大きくなる」。

中西久枝さん(同社大学教授)「これまで核問題に関して過去十年間の推移しか語られていない。メキシコ革命以来のアメリカの制裁文化が現在まで影響している」。

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千駄木庵日乗六月十日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆など。

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2012年6月10日 (日)

『大日本帝国憲法』の國體精神

『大日本帝國憲法』には「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と規定されている。これこそまさに日本國體精神に立脚した精神である。日本國體精神とは、日本天皇は神聖なる祭祀主=現御神であられるという信仰である。日本國の憲法には、天皇は神聖不可侵の御存在である事を正しく規定されるべきである。

信仰共同體・祭祀國家日本の祭祀主であられる天皇は、その本質が神聖なる御存在である。これを<現御神信仰>という。この信仰は、日本伝統信仰即ち日本國體精神の中核である。わが國日本及び日本國民が神聖君主・日本天皇にお護り頂いているのであるから、大日本帝國憲法の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という条文の精神は全く正しいのである。

天皇は常に無私の心で統治されるのである。無私の心とは神の御心のままといふことである。さらに御歴代の天皇の踏み行はれた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま國民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

憲法において、天皇は日本國の統治者であらせられ、神聖不可侵の御存在であられることを明確に規定すべきである。

わが国においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、国民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族国家の中心であると考へてゐる。

 

実際の政治活動及び権力の行使には、闘争・謀略もあり駆け引きもありさらに腐敗もある。しかし、政治家や官僚に「天皇の臣下である」という自覚と慎みの心があれば、腐敗や闘争はかなりの程度これを抑止することができる。

天皇の神聖なる権威のもとに國会も行政府もあるという體制を整え、政治家も官僚も天皇の神聖権威に慎みかしこむことが、闘争や謀略や駆け引きの中で政治の理想を失った現代日本の政治の頽廃・堕落を反省せしめることとなる。

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、母のお世話。

午後十二時より、青山墓地にて、『無名烈士墓前法要』執行。読経・焼香・呼掛け人代表挨拶の後、頭山興助氏が施主挨拶を行った。この後、近くの蕎麦屋にて直会開催。同志多数が談論風発。

夕刻、地元の飲食店で古くからの友人と懇談。今日の直会で、ある人が「黒龍という日本酒は北朝鮮に買い占められている」という面白い説を語っておられたが、その「黒龍」をいただく。なかなか美味しい。特に高価ではなかった。福井県にはうまい酒がある。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2012年6月 9日 (土)

現行憲法無効宣言の意義

本日行われた『占領憲法・典範無効決議を都議会に求める請願集会』において小生は次のようなことを語らせていただきました。

「憲法学者や政治家の多くは、『憲法無効・大日本帝国憲法復元』は不可能である、と言う。では『現行憲法』改正が可能なのであろうか。昭和二十一年十一月三日に公布され、昭和二十二年五月三日に施行されてから現在まで一言半句改正されていない。今日改正論議が起きているが前途遼遠である。

しかも、本来正当性のない『現行憲法』を改正するということは、『現行憲法』の正当性を認めるという事になる。自民党や読売新聞から出されている「改憲試案」は、今日の日本を混迷に陥れてゐる根本原因である『現行占領憲法』の「国民主権」という國體破壊思想、「恒久平和主義」といふ名の侵略誘発の敗北思想、「基本的人権の尊重」といふ欲望民主主義・利己思想といふ三原理を継承している。

『日本国憲法』の無効を宣言し、『大日本帝国憲法』に立ち返り、それを正しく改正するという事が、現実的であるし、日本国の眞姿を回復することになる。」

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千駄木庵日乗六月八日

午前は、母のお世話。

『政治文化情報』原稿脱稿・印刷所に送付。

午後二時より、西新宿の東京都議会会議室にて、『占領憲法・典範無効決議を都議会に求める請願集会』開催。南出喜久治氏が司会。西田昌司・西村真悟・土屋たかゆき・野田数・ドクター中松の各氏などそして小生がスピーチ。詳細は後日報告します。

帰途、新宿にて、知人と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

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2012年6月 8日 (金)

維新変革と和歌

文藝特に和歌は、常に現状を変革しよりよき状態を憧憬するものである。和歌は、和歌を詠む者に、変革への意志と戦いがあってこそ高い価値が生まれる。和歌が真に、命・言靈のあるものとなるのは、その和歌を詠む者に維新変革の意志があることによる。

命が枯渇し言靈が失われた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。

維新変革には悲劇と挫折を伴う。而して詩歌とは悲願と悲劇と挫折とを謳いあげることによってその精神的・美的価値を高からしめる。

維新とは懸命なる戦いであるが、単なる破壊でも暴力でもない。「あはれ」で悲しいものであるが、半面、美しいものである。また歓喜に溢れたものでもある。

和歌はそれを美しい日本の調べによって表現するのである。

和歌の歴史に於いて、最も偉大なる時代は、國家の変革期である。変革期においてこそ偉大なる和歌が生まれる。日本最高最大の歌集『萬葉集』は大化改新・壬申の乱・奈良遷都という大変革を背景として生まれた。

在原業平に象徴される平安朝の和歌は、藤原氏の専横への抵抗から生まれて来たと言える。後鳥羽院の覇者・北條氏の武家政治に対する戦いの時代には『新古今和歌集』が生まれた。

幕末維新の時代には、尊皇攘夷を目指した志士たちの詩歌は永遠不滅の光彩を放っている。さらに東洋の解放を目指した大いなる戦いであった大東亜戦争に殉じた将兵たちの辞世の歌は、万人をして慟哭せしめる不滅の価値を持つ。このように國家変革即ち維新と和歌は不可分である。

それらの歌は、なべて日本國の精神を包み込んで表白し、それぞれの時代性と変革の状況において個性を以て表現されているのである。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆。明日までには書き上げねばならない。「大久保利通論」を書きました。批判の多い人物ですが、今回色々勉強して、なかなかの人物であることがわかりました。当たり前のことかもしれませんが…。

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2012年6月 7日 (木)

『民間人』が防衛大臣になってはいけないという理由がわからない

 森本敏氏が防衛大臣に起用されたことに対して、自民党議員から「選挙で選ばれた国民の代表ではない民間人が防衛大臣を務めるということは、シビリアンコントロール(文民統制)の原則を逸脱している。政治家でもないのに、どうやって責任を取れるのか」という批判が起こっている。

「民間人」というのはどういう意味なのかというと、なんと選挙で選ばれていない人の事らしい。そうすると、宮内庁長官も、検事総長も、警察庁長官も、国税庁長官も、林野庁長官も「民間人」ということになる。

「何とか人」という言葉いくつかある。「文化人」「知識人」「読書人」「国際人」「野蛮人」「黒人」「白人」という言葉はよく使われる。この中には、定義がはっきりしない言葉もある。私などは「変人」と言われることがある。

「文化人」「知識人」という言葉は、何か人を差別しているような気がしてあまり好きではない。「非文化人」「無知識人」という人々がいることになる。ついでに言えば、「有識者」という言葉も嫌いだ。

選挙に選ばれていない人が防衛大臣になるのがどうして「シビリアンコントロール」に原則に違反するのか、私には分からない。「シビリアン」とは民間人という意味ではないのか。

政治家でなければとることが出来ない「防衛大臣としての責任」とは何なのか。それも分からない。そもそも政治家とは何か。選挙で選ばれた人は全て政治家なのか。

森本敏氏は民間人であり、知識人であり、文化人であり、読書人であると思うから、知識もなく、文化的ではなく、読書もあまりしないで、ただ選挙だけは当選するという「政治家」よりはずっと防衛大臣に適していると思う。私の考えは間違っているでしょうか。

私は亡くなった父が防衛庁に勤務していたので、防衛庁出身者が非難攻撃されると無性に腹が立つのであります。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

午後六時半より、中野サンプラザにて、「國體文化講演会」開催。所功京都産業大学法学部教授が講演。

帰宅後も、原稿執筆。

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2012年6月 6日 (水)

森本氏の防衛大臣任命への批判は間違っている

森本敏氏が防衛大臣に任命されたことに対して、民主党内、野党自民党、そしてメディアから批判が起こっている。

民主党に人材がいないことに対する批判は大いにやるべきだが、変な政治家が防衛大臣になるより森本氏の方がずっといい。防衛と外交は政争の具にしてはならない。

森本氏を民間人とは言えない。長く政府部内にあって、防衛・外交問題に携わってきた人である。選挙で選ばれた人に見識があるとは限らないことは田中直紀氏を見れば火を見るよりも明らかだ。姫井何とかという参院議員にどんな見識があるのか。田中直紀氏は政治家だが、民間人よりも見識がなかった。そもそも「民間人」の定義は何か。

鳩山由紀夫元総理まで今回の人事を批判していたが、宇宙人やペテン師が総理大臣になるより、専門家が防衛大臣になる方が比較にならないくらいましだろう。鳩山氏に今回の人事を批判する資格なし。

鳩山氏は総理を辞めた直後、「自分は愚かかもしれない」と言った。「かも知れない」のではない愚かなのだ。

今回の人事に対して防衛省内にも批判があるという事だが、自分たちが操縦できない人、言いなりにならない人が大臣になるのが嫌な連中が批判しているのだろう。

「核のボタンを押し、武力を行使する責任者が選挙の洗礼を受けた政治家でないのはおかしい」という意見がある。それなら、人を検挙し、身柄を拘束する権力を有し、且つまた、武力を行使する権力を有する「警察」という官庁のトップに、選挙の洗礼を受けていない人がなるのはおかしいということになる。警察庁長官は、大臣並みの権力を有している。検事総長も然り。

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千駄木庵日乗六月五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆。

午後七時より、新九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。終了後、懇親会。談論風発。

帰宅後も、原稿執筆。

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2012年6月 5日 (火)

井上毅は、皇祖は天照大神であることを否定した

新田均氏は、「井上(註・毅)が国家の基本的な枠組みの根拠とその成果とを、神武建国以降の『国史の成跡』に見出している…つまり、井上は、天皇統治の根拠を形而下的なもの(『歴史』的なもの)の上に設定することによって、天皇をめぐって、宗教や哲学といった形而上学的な論争が発生したり、それに天皇や政府が巻き込まれたりすることを避けようとしたのだと考えられる。」(「『現人神』『国家神道』という幻想」)と論じてゐる。

新田氏によれば、『教育勅語』発布後、文部省は解説書を井上哲次郎に依頼したが、井上哲次郎の草案では、勅語の『皇祖』は『天照大御神』、『皇宗』は『神武天皇』であると説明してゐた。井上毅はこれに異を唱へて『皇祖は神武天皇、皇宗は歴代天皇』とするよう求めたといふ。新井氏は、「君臣関係の力点を、神話よりも、神武建国以降の『歴史』に置こうとしたのだと言えよう。」(同書)と述べてゐる。

皇祖は、天照大御神・邇邇藝命であり、皇宗は、神武天皇以来御歴代の天皇である。これはわが國體の根本である。神話を無視して日本國體を論ずることは出来ない。

明治天皇が、「我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ」と示されたのは、天地生成・天孫降臨以来の事を示されたのである。日本國體は神話を基礎とする。「天壌無窮の神勅」が天皇・皇室の尊厳性の基本である。

昭和十二年三月の『國體の本義』は、冒頭で、「我が肇国は、皇祖天照大神が神勅を皇孫瓊瓊杵の尊に授け給うて、豊葦原の瑞穂の国に降臨せしめ給うたときに存する」として、日本の肇国は神武天皇の御即位ではなく、天孫降臨であることを明記した。

井上毅が「神話」を無視した事が、後の内務省官僚の神社政策に影響を及ぼしたのではなからうか。

葦津珍彦氏は、「(『教育勅語』の「皇祖皇宗」の道とか「祖先」の遺風といふ言葉を・註)神宮神社の『神霊』と結びつけることには『神道を国教化するもの』としての強い反抗の底流があった。その反抗の強力なことを知ってをればこそ、井上毅は、とくに厳重な前提条件として尊神とか敬神とか『神霊』を意味する語を絶対に避けねばならないとし、神霊存否の論は、各人の解釈に任せて、勅語そのものの関知せざるところとした。この明治的合理主義官僚が、神社局の思想となる時には、『神霊については当局は関知せず』として、神道独自の精神を放棄して、一切の合法的宗教、哲学との妥協にのみ神経を労して、神宮神社をもって、歴史的偉人の記念堂(モニュメント)と同視して、神道精神を空白化することになる。」「井上は…『神道ヲ以テ宗教トスルハ、實ニ近世一二国学者ノ主導スル所ニ始マル、而シテ之ヲ祖宗ノ遺訓ニ考フルニ、並に徴拠スヘキコトナシ、蓋宗廟ヲ崇敬スルハ、皇家追遠厚本ノ重典、即チ朝憲ニ属シテ教憲ニ属セズ』と述べ、内務省社寺局の神社・神道非宗教論を踏襲してゐる。(『井上毅伝』資料篇第六)」「『神社は宗教に非ず』との政府の公式見解は、古来の日本人の神道信仰心理を抹消しようとした。…内務省の公式見解は、議会、とくに衆議院の建議者たちとは異なって、非宗教といふことを、きはめて世俗の常識合理主義の意味での国家精神(国民道徳)以上のなにものでもないとの意味に解することになった。その解釈を要約すると、神社とは、日本帝国の天皇、皇族または、国家社会に特に功績のあった人格者に対して、伝統的な礼法をもって表敬すべき場所であるといふことである。神主は、国家的記念堂(メモリアル・ホール)の儀礼的執行者であり管理人であって、特殊格別の宗教信仰心や思想を持つものではない。忠良な臣民としては、仏教、儒教、キリスト者と同一の国民精神を持つべきで、神道といふ特殊の宗教や思想の対立的独自の立場があるべきではないといふのである。」(『国家神道とは何だったのか』)と論じている。

神霊への信即ち造化の三神への信を無視した國體精神は、日本国生成の根本を無視することとなり真の国体精神ではない。「憲法」や「勅語」において日本傳統信仰の神霊への信を無視する必要はさらさらない。むしろ神霊への信仰の無視が祭祀国家の本姿をくらませて日本を西洋覇道精神が横溢する原因になった考へる。造化の三神・天地開闢神話を無視することは、日本伝統信仰の根源にあるものの否定である。

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千駄木庵日乗六月四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年6月 4日 (月)

「復古即革新」について

日本民族は、「復古即革新」「保守と革新の合一」といふ観念と行動様式を持ってゐる。日本民族は、根底にある伝統をあくまでも守りつつ、常に革新を行ってきた。

近代日本も、多くの矛盾や問題はあったが、伝統国家は破壊されることはなく、西洋文化・文明を取り入れつつ進歩発展を遂げた。この中核にある純粋文化伝統は、太古以来の祭祀を中心とする日本民族の傳統信仰である。そしてその傳統信仰の祭祀主が、ご歴代の天皇であらせられる。

肉身の天皇は変られても、天照大御神以来の靈統は万古不易に継承されるといふ「皇位継承」は、まさに「復古即革新」といふ日本の純粋なる伝統的文化様式の典型である。

天皇・皇室は伝統の体現者であらせられ、継承者であらせられると共に、革新と発展と外来文化文明包容摂取の中心者であらせられるのである。

幕末以来、日本は貪欲なくらいに近代科学技術・西洋文明を包容摂取した。文明開化・富国強兵・殖産興業とは、「西洋文化文明摂取包容」の別名である。「尊皇攘夷」を唱へてゐても、柔軟にして革新的な意思と態度を持ってゐた。そしてそれが伝統ある日本國を守り発展させることになると信じたのである。

それは頑迷固陋な保守主義ではなく、まさに明治天皇が御製に示された「よきをとり あしきをすてて 外国に おとらぬ国と なすよしもがな」の大精神である。

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千駄木庵日乗六月三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して原稿執筆。

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2012年6月 3日 (日)

国柄とはいかなる意味か

「国柄」という言葉は、『萬葉集』の代表歌人・柿本人麿が文武天皇の大御世(西暦七〇七年頃)に「讃岐の狹岑(さみね)の島に石の中の死(みまか)れる人を視て」詠んだ長歌に使われている。

 それには、「玉藻よし 讃岐の國は 國からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 滿(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 繼ぎ來(きた)る……」と歌われている。

「(玉藻よし)讃岐の國は國柄のせいか、見ても飽きることがなく、神のみ心によってか、かくも貴い。天地と日と月と共に完全円満である神の御顔として、太古から傳えてきた……」というほどの意である。

 これはわが國の傳統的な自然観に基づく國土讃歌である。「國からか」は國そのものの性格のせいかという意。「から」は人柄の「柄」と同意義である。「神からか」は、日本の國土は伊耶那岐命と伊耶那美命がお生みになったという神話に基づいた表現で、神の御性格のままにという意である。

 「神の御面」は、神のお生みになった日本の國土は神のお顔だということ。この表現は、「四國は体は一つ、顔は四つ」という日本神話の傳承に基づく。『古事記』國生み神話の、「次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の國を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の國を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟の國を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左の國を建依別(たけよりわけ)といふ」という傳承を歌っている。

 この歌には、自然を神として拝ろがむ人麿の神話意識が表白されている。日本人にとって『神代』は遠く遥かな過去の時代のことではなく『今』なのである。

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千駄木庵日乗六月二日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。浅野和生平成国際大学教授が講演。質疑応答。

帰途、日比谷にて知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年6月 2日 (土)

土佐藩士・中岡慎太郎の攘夷精神

真の攘夷精神を端的に示しているのが土佐藩士・中岡慎太郎が慶應二年(一八六六)に書いた次の文章である。

「それ攘夷と云ふは、皇國の私言にあらず。その止むを得ざるに至っては、宇内(注・世界中)各國、皆これを行ふものなり。米利堅(注・アメリカ)かつて英國の属國なり。時に英吉利(注・イギリス)王、利を貪る日々に多く、米民ますます苦しむ。因って華盛頓(注・ワシントン)なる者、民の辛苦を訴へ、是に於て華盛頓、米地十三邦の民を帥(ひき)ゐ、英人を拒絶し鎖國攘夷を行ふ。此より英米連戦七年英ついに不勝を知りて和を乞ひ、米利堅是に於て英属を免れ独立し、十三地同盟、合衆國と号し一強國となる……皇國当今、和親開港の如きは、幕吏彼の兵威に怖れ、上天子の勅意に違ひ、義理の当否、國の利害を計らず、……往々彼(注・外國)の命ずる所のまま(注・関税権を奪われたこと)にて、萬民殆ど途端に苦しむ。……是故に萬々願くば天下の士民、……薪に座し胆を嘗むるの思を為し、……吉田松陰の攘夷の志によって海外に渡り、彼の長を取らんと企てしことなどを思ひ、その心を心とし、上下一致學術に励み、兵力を養ひ、早く攘夷の大典を立て、諸港の条約を一新し(注・不平等条約を改正すること)……會稽の恥(注・外國から受けたひどい辱めのこと)を雪(そそ)がざれば、死するとも止まずと決心する…」(『愚論ひそかに知人に示す』)。

 この文書は、攘夷とは外國の侵略から祖國を守るために戦うことであり、徳川幕府それを実行できなかったのであり、日本中の人々は上下一致して、耐え難きを耐えて努力し、外國の長所を取り入れてみずからの國を強國にして、外國からの辱めを晴らして名誉を挽回しなければならないと論じているのである。真の攘夷のためには海外の接触し「彼の長を取る」事も必要であるというのである。これが明治維新を目指した人々の「攘夷」であった。

 だからこそ、徳川幕藩體制が崩壊し、明治維新が断行された後の日本では、外國との交際を一切行わないという頑なな攘夷論は姿を消し、外國の侵略を撃退し日本の自主独立を守るために西欧の文物を學ばなければならないという強い意志を持った。これを「開國攘夷」という。ここに日本民族の柔軟性・優秀性があると言える。今こそ、我々日本國民はこの中岡慎太郎の精神に回帰し、國家の危機を救うために立ち上がらねばならない。

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千駄木庵日乗六月一日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。小生も診察を受ける。

午後は、諸雑務。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、『笹川平和財団主催・中東イスラム政治変動講演会第五回・アラブの春以後のイランの国内政治と核問題』開催。アブムハンマド・アスガルハーニー氏(テヘラン大学国際関係学センター長)が講演。須藤隆也氏(元駐イラン大使)、中西久枝さん(同社大学教授)がコメンテーターを務めた。内容は後日報告します。アスガルハーニー氏は日本の真珠湾攻撃を評価しているようでした。

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講演するアブムハンマド・アスガルハーニー氏

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2012年6月 1日 (金)

神道と近代の悲劇

葦津珍彦氏は次のように論じている。

「『神社は宗教に非ず』との政府の公式見解は、古来の日本人の神道信仰心理を抹消しようとした。…内務省の公式見解は、議会、とくに衆議院の建議者たちとは異なって、非宗教といふことを、きはめて世俗の常識合理主義の意味での国家精神(国民道徳)以上のなにものでもないとの意味に解することになった。その解釈を要約すると、神社とは、日本帝国の天皇、皇族または、国家社会に特に功績のあった人格者に対して、伝統的な礼法をもって表敬すべき場所であるといふことである。神主は、国家的記念堂(メモリアル・ホール)の儀礼的執行者であり管理人であって、特殊格別の宗教信仰心や思想を持つものではない。忠良な臣民としては、仏教、儒教、キリスト者と同一の国民精神を持つべきで、神道といふ特殊の宗教や思想の対立的独自の立場があるべきではないといふのである。」(『国家神道とは何だったのか』P一六三)

明治政府の官僚が作り出した『神社は宗教に非ず』という政策は、神代の否定・造化の三神の否定であった。言い換えると日本伝統信仰の否定である。これが明治以後の正しい歩みをおかしくした原因と言える。

明治末期に内務官僚主導で行なはれた「地方改良運動」で、「由緒ナキ矮小ノ村社無格社」の排除と合併といふ神社統合事業が行なはれた。三重県や和歌山県では、人事数の八割から九割が削減統合される「整理」が行なはれた。ところが民心の動揺をひき起こし、各地で民衆の抵抗に遭った。地方の民衆たちの氏神信仰・信仰共同体生活の破壊に直結したからである。

明治期において、国家権力による神道精神の破壊があったのである。これが近代日本の過誤の根本的原因であったと考へる。近代日本の政府官僚の日本傳統信仰に対する無理解と無知いふ大きな欠陥が表れてゐる。

神を忘れ信仰共同体から遊離し支配機構の為のイデオロギーとしての「国家神道」が国民の正しい宗教精神を養成を阻んだ。

宗教対立・宗教戦争が繰り返され、宗教裁判・魔女狩り・聖戦といふ名のテロが行はれてきている外国とりわけ一神教の世界では、まったく考へられないことだが、神社神道・日本伝統信仰は、仏教あるいはキリスト教ですら共存させる寛容さ、柔軟さそして強靭さを持ってゐる。それが日本人の当たり前の宗教感覚であり、信仰文化であった。

しかし、神を忘却し、政治権力の支配イデオロギー化した国家神道は、排他的な国教となったと言い得る。

日清戦争、日露戦争の勝利は、脱亜入欧路線の勝利ではない。日本精神を保持して西洋伝来の武器を使用して戦い勝利したのである。つまり、「和魂洋才」の勝利だったのである。ところがその後の日本は、「和魂」を忘却し、上滑りな「洋才国家」の道を歩むこととなった。これは近代日本の悲劇であった。

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千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『月刊日本』連載の『萬葉集』講義原稿執筆・脱稿送付。

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