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2012年5月 2日 (水)

『毛利家の至宝-大名文化の精粋』参観記

四月三十日に参観した『毛利家の至宝-大名文化の精粋』(サントリー美術館)は、「毛利家ゆかりの宝物の中から、毛利家の基本史料である文書類や、肖像画、甲冑武具、調度類、華麗な能装束、茶道具を中心に、かつて毛利家に伝来した貴重な作品も併せて、絵画・工芸の名品を一堂に展示します。…毛利元就(1497-1571)や毛利輝元(1553-1625)に代表される毛利家の歴史を辿りつつ、そのゆかりの美術作品を通して、江戸時代の大名がはぐくんだ文化の精粋をご堪能いただければ幸いです」との趣旨で開催された。

毛利元就が用いたと伝えられる刀剣、鎧、法螺貝、元就や毛利輝元などの書状・甲冑武具・肖像画・毛利家文書、国宝『四季山水図(山水長巻)』(雪舟等楊筆)、国宝『古今和歌集 巻八(高野切)』、能面、能衣装、茶道具、雛道具、『江戸麻布邸遠望図』(谷文二筆)などが展示されていた。

戦国武将の雄として名を馳せた毛利元就の事績はあまり知らなかったが、中国地方の殆どを制圧し、瀬戸内海の水軍を支配下に置き、大きな力を有していたことが分かった。関ヶ原の合戦で西軍の総大将という立場に立ったため、領地を大幅に減らされた時の『徳川家康起請文』『井伊直政・本田忠勝連署の起請文』(神仏への誓いを記した文書)には、沢山の神様の名が書き連ねられ、天地神明に誓って領地を安堵すると書かれていた。豊臣政権下ではほぼ同格であった德川氏に領地を奪われたことはさぞ悔しかったであろう。

毛利家に限らず大名・武家階級は、皇室のみやびの伝統に対する憧れが強かった。平和な時代になると、和歌・能・茶道などをたしなむようになり、雛人形を飾った。そして次第に貴族化していくようである。それは徳川氏も前田氏も同じである。

サントリー美術館のある「東京ミッドタウン」建設地は、旧防衛庁跡地であるが、江戸時代は、長州藩毛利家の下屋敷があった所であることが分かった。幕末の長州征伐の時に、幕府によって没収された。しかし、明治維新で、薩摩と長州が大きな貢献をしたので、維新後は薩長藩閥政治と言われるまでに大きな力を持った。考えてみれば、戊辰戦争は、関ヶ原の合戦の報復という見方も出来なくはない。

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