« 千駄木庵日乗五月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月十七日 »

2012年5月17日 (木)

橋下大阪府知事・入れ墨・正義について

若気の至りで入れ墨をしたが、その後まじめに働き、公務員になった人もいるだろう。入れ墨を入れているからと言って、配置転換とか、公務員になってはならないというのかおかしい。まじめに働いている人を追い詰めるのはあまり使いたくない言葉だか、それこそ人権問題だ。

今に人相が悪い人は配置転換・不適格ということになるかもしれない。国権の最高機関を構成する公務員たる国会議員には相当人相が悪い人がいる。その代表格は私が大嫌いな小沢一郎氏そして輿石氏。この二人も不適格だからどこかに配置転換という事になるのだろうか。

江戸時代は、今日の都知事兼警視総監と言っていい江戸町奉行が入れ墨をしていた。ご存知桜判官・遠山金四郎である。

時代が違うと言ってしまえばそれまでだし、「遠山の金さん」が入れ墨を見せて啖呵をきるというはフィクションだろう。

私は下町育ちなので、小さい頃、銭湯に行けば必ず一人や二人入れ墨を入れた人が来ていた。ヤクザや鳶職の人だった。それは普通日常の光景であり格別怖がることもなかった。

入れ墨をしている人を余り追いつめるのは如何なものであろうか。銭湯にも来るな、温泉にも来るな、プールや海水浴場にも来るなと言われている。そして今度は、職について働いている人に対しても、「配置転換だ」とか「公務員は入れ墨を消せ」と言うのは、行き過ぎではないのか。入れ墨は茶髪と違って簡単に消すことはできないのだ。橋下さんは、あまり正義感ぶってもらいたくない。

オスカー・ワイルド(一八五四~一九〇〇。イギリスの劇作家・小説家。世紀末文学の代表的作家で、芸術至上主義者。代表作に戯曲『サロメ』がある)に、「もっとも害を与える人は、もっとも善いことをしようと努めている人だ」という言葉がある。「自分の行っていることが正義だ」と信じ込み実行する勢力や個人、とりわけ権力者が、殺戮を行い、世の中を暗黒にし、独裁政治を生み、國民から自由と繁栄を奪うという意味であろう。

自由で幸福な世の中とは、公正(フェア)な世の中ではあっても、ある人の唱える「正義」を絶対のものとして民衆に押しつける世の中ではない。独裁者は必ず「正義」を旗印として独裁政権を手に入れる。レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、カストロなどは皆そうだった。

真に正義を尊重し正義の実現を目指す人は、そしてそれが権力を持つ人であればなおさら、自由で柔軟で大らかな精神を持っていなければならない。正義や人間の幸福は法律や権力のみによって実現されるものではない。法律や権力のみによって実現された正義の世の中とはロボットが動く世の中と同じである。

「正義」の呪文を唱えながら、自由を否定する狂気は暗黒と専制の世の中をもたらす。それが一七八九年革命直後のロベスピエール独裁下のフランスであり、革命後の旧ソ連であり、共産支那であり、南北分断後の北朝鮮である。行き過ぎた教条に支配されることなく、自然に國民を正しき道を歩ましめることが必要である。

|

« 千駄木庵日乗五月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月十七日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/54728894

この記事へのトラックバック一覧です: 橋下大阪府知事・入れ墨・正義について:

« 千駄木庵日乗五月十六日 | トップページ | 千駄木庵日乗五月十七日 »