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2012年5月31日 (木)

この頃詠みし歌

大君は空飛びたまひイギリスの地に降り立たし御稜威輝く

イギリスへの大御幸寿ぐごとくにも皇都の空は晴れわたりたり

御手つなぎ歩みたまへる両陛下イギリスの地に健やかにおはす

いにしへの人の心はやまと歌のしらべとなりてわが胸を打つ

尊くも皆人のことを救ひたまふ 弥勒仏像 永久に美し(ボストン美術館展)

清らけき光を放つ剣太刀 邪悪断ち切る力みなぎる()

朝起きてカーテン開ければ夕暮れの如き暗さに驚きにけり(金環食)

日と月と地球が一直線に並びたるその瞬間を仰ぐ朝かな()

父上も今ご先祖と共にしてこの墓の下に眠りますなり

五月晴れの空の下にて線香を手向けまいらすご先祖の墓

時経てど なほひしひしとさみしさがつのり来るなり父逝きまして

日出づれば気温は上がり部屋中に光差し込み夏は来にけり

幾そ度歌ひてもなほ胸を打つ櫻井の別れ今日も歌へり(楠公祭)

この國の起死回生を祈らむと楠公のみまつりに友ら集へり()

生きておはせば百歳になりたまひたる大人の遺影のやさしき笑顔()

遠くより神の呼ぶ声聞こえ来る心に仰ぐ朝雲の空

地の神よ鎮まりませとひたすらに祈りたてまつるなゐ震ふ時

静かにも書を讀まむとて入り来し茶房のコーヒー喉にしみとほる

茶房にて煙草くゆらせもの思ふひとときにこそ安らぎはあり

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千駄木庵日乗五月三十日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して資料の整理など。

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2012年5月30日 (水)

共産支那駐日大使館員スパイ事件について

今回の事件は氷山の一角と考えるべきであろう。筒井信隆農水副大臣など民主党政治家の質が如何に低いかを証明する。国家意識というか日本人としての自覚に欠ける人が多いのである。韓国に行って日本民族を侮辱し、皇室を貶める発言をした人物即ち小沢一郎はその代表格である。

今回事件では、関わった政治家がもっといるのではないか、また当該支那大使館員と深く接触していた政治家は誰なのか明らかにすべきである。また、何故出国した後に報道が解禁されたのか。おかしな話だ。

スパイ防止法というか、国家機密保護法というようなものが必要になって来るのではないか。外国大使館員特に共産支那やロシア大使館といった敵性国家と言って悪ければ二国間で色々問題のある国の大使館員との接触は極力気を付けなければならない。

尖閣事件・薄熙来事件を見ても分かるように共産支那は、無法国家であることをよくよく認識してかからねばならない。

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「天之御中主神」について

 「言靈のさきはふ國」といはれるやうに古代日本人の言葉に対する信仰は深かった。神の名・人の名についての信仰はその最たるものであった。

 中西進氏は、「(『古事記』は)神々の誕生という主題のもとで、単に神々の名を連ねるという独自の神話的方法によっている…心理的文脈は神名の蔭にかくれている。」(古事記を読む)と論じてゐる。

 「天之御中主神」といふ神名には、古代日本人の壮大なる信仰精神が込められてゐる。大國主命・一言主命・事代主命・大物主命といふ神々がをられるやうに、古代日本人は森羅万象の中に何処かに「ぬし(主)」がゐると信じ、天地宇宙の中心にも「ぬし(主)」がゐると信じた。日本民族の叡智は、それを「天之御中主神」といふ神名で表現した。天之御中主神は、神々や人間や一切のもの生成の根源・宇宙の中心にゐます神である。

 影山正治氏は、「天(あめ)は全宇宙を意味し、御中(みなか)は眞中であり、主(ぬし)は主宰者を意味する。即全宇宙の根源の神であり、一切の可能性を内包された始發の神であり、宇宙そのものゝの神である。」(『古事記要講』)と論じてゐる。

 古代日本人は、宇宙の中心にまします無限定の神、無限に流動する神・神聖性の母胎を「天之御中主神」といふ神名で表現した。天之御中主神は、無限定にして特定の姿形なき天地宇宙の中心にまします神であり、一切を生み一切の存在の生成の根源の神である。現象世界の神ではなく目に見えぬ世界の神である。そのことを古代日本人は「独神に成りまして、身を隠したまひき」と表現した。

 「天之御中主神」といふ神名は、神話的な思考としてもっとも高次なものである。天之御中主神は、生命の根源・宇宙の中心の神であるが、他の神々と対立し他の神々の存在を一切認めない「唯一絶対神」ではない。多くの日本の神々の根源の神である。天之御中主神は、天地生成の根源神として日本民族の信仰生活といふ實際の経験の中で仰がれてきたのである。

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千駄木庵日乗五月二十九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して資料の整理など。

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2012年5月29日 (火)

神道と近代

明治維新当初は、祭政一致の古代国家再生が実行されようとしたが、それは文明開化路線とは相容れず、かつまた、仏教教団の反対にあって頓挫してしまった。明治以後神道が日本の国教になり他の宗教が圧迫されたというのは誤りである。神道はむしろ形骸化されたというべきである。

明治初期に「神仏分離令」が出され、廃仏毀釈が行なわれたのには理由がある。それは徳川幕藩体制下で、神道・神社が仏教から圧迫され制約を受けていたからである。その反動である。また、徳川幕府は仏教を尊崇したことが徳川幕府打倒の戦いであった維新の後に、仏教が一時的に排撃される要因となった。しかし、時を経ずして、廃仏毀釈・仏教排撃は行われなくなった。

当時の権力者伊藤博文・井上馨などほとんどは政教分離論者であったという。近代化が促進されるとともに、祭政一致の理想は軽視されるようになった。神社神道に対する国民的信仰はごく静かなものになった。明治維新から大東亜戦争終結まで神道だけが力を振い、他の宗教を圧迫したという事は無い。近代のいわゆる「国家神道」は形骸化した。

第二維新すなわち明治維新の理想貫徹をめざした人々=神風連は勿論西郷隆盛や江藤新平らは、大体神道を重んじ、キリスト教や仏教には批判的であったが、そういう勢力が抹殺されてしまった。昭和維新運動においてまた神道精神が勃興するのである。ただし、仏教が排撃されたということは全くない。昭和維新運動に仏教とりわけ日蓮主義は大きな影響を与えた。

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『セザンヌ-パリとプロヴァンス』展を参観して

今日参観した『セザンヌ-パリとプロヴァンス』展は、「近代絵画の父と称されるポール・セザンヌ(18391906年)の画業を、パリとプロヴァンスという2つの場所に注目して振り返る大規模な個展です。…セザンヌは、当時世に出た印象派の輝くような明るい色彩に大いに感化される一方、形態と空間の表現に創意を凝らしました。そして、伝統的なアカデミスム絵画とも同時代の印象派とも袂を分かつ、全く新しい絵画を確立したのです。…本展は、セザンヌの芸術的創造の軌跡を、南北の対比という新たな視座から捉えなおそうという画期的な試みです。」(案内書)という趣旨で開催された。

静物画・風景画・肖像画など数多くの作品が展示されていた。最近「自然にやさしい」という言葉がよく使われるが、セザンヌの風景画はその言葉が似合う。というよりも人間にやさしい自然が描かれている。

小生は、高校時代だったと思うが、我が家のトイレにセザンヌの風景画が描かれたカレンダーが一年間つるされていたことがある。つまり毎日毎日、一定時間セザンヌの風景画を見ていたという事である。「明るくてきれいな絵だなあ」と思った。小生は、西洋美術の展覧会には行かないのだが、セザンヌの展覧会はどうしても見てみたいと思ったのは、そういう体験があるからである。

中河与一・幹子ご夫妻と懇談した時、「四宮君は西洋の画家では誰が好きか」と質問された。ゴッホやピカソのことは知っていたが、その頃はまだこの二人の作品をゆっくり鑑賞したことはなかった。ゆえに、他に知っている画家と言えばセザンヌだけだったので「セザンヌです」と答えるしかなかった。ところが中河先生ご夫妻は感心されたようだった。何か照れくさい思いがした。

しかし、子供の頃、セザンヌの風景画がとてもきれいだなあと思ったのは事実であった。今日あらためて鑑賞すると、やはり美しかった。今日鑑賞した作品では「水の反映」という作品が一番良かったように思う。

会場に「緑はとても快活な色彩の一つで、目に最も良い色なのである」というセザンヌの言葉が掲示されていた。まことにその通りで、緑という色は人間の眼だけでなく、心にも安らぎを与える色だと思う。

しかし、全体的には、ゴッホや佐伯祐三のような迫力のある魂に訴えかけてくる作品は少なかったように思う。風景画は、ゴッホや日本の川合玉堂の方がまさっていると思うし、人物画は藤田嗣治の方がまさっていると思う。つまり率直に言って今日の展覧会は期待していたほどではなかったという事である。これは私の鑑賞眼がおかしいのであろうか。しかし、前述したように、心安らぐ作品が多かった。

大家と言われる画家・作家などの芸術家には、若き頃は貧窮に喘いだとか、病身であったという人が多い。ゴッホのように死後作品が高く評価された人もいる。ところがセザンヌは資産家の家に生まれた経済的には恵まれた生涯だった。

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千駄木庵日乗五月二十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。
午後は、六本木の国立新美術館にて開催中の『開館五周年・セザンヌ―パリとプロヴァンス』展参観。
千駄木に戻り、地元の友人ご夫妻と懇談。
帰宅後は、書状執筆・資料整理。

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2012年5月28日 (月)

「禁煙ファシズム」について

数日前、ある大学の学長が「禁煙ファシズム」という言葉を使っていた。私はこれまで迂闊なことに「禁煙ファシズム」という言葉があるのを全く知らなかった。ずいぶん前から使われているようである。

私は、戦後民主主義・自由主義というのはあまり好きではない。というよりも、批判的立場である。しかし、ファシズム・全体主義・独裁政治というのも大嫌いである。だから北朝鮮・共産支那を敵性国家として批判しているのである。

「禁煙ファシズム」というのは、煙草を吸うことを罪悪と断定し、自分のみならず、他人の喫煙をも規制する動きのことのようである。確かに煙草は健康に良くない。特に心臓病やがんの原因になるそうだ。しかし、百害あって一利なしかというとそうは言えない。精神安定・気分転換の役に立つ。私は一日十本くらい吸う。原稿を書いている時に煙草を吸うと気分転換になるし、精神が落ち着き、新たなる発想が生まれる。だが吸い過ぎないように注意している。

昔は、専売公社のテレビのコマーシャルや新聞雑誌の広告の謳い文句に「タバコは動くアクセサリー」というのがあった。これが評判になり煙草の売り上げが上がったという話を聞いたことがある。

また、衛星放送やCATVなどで放送される昔の映画では登場人物が煙草を吸うシーンが沢山ある。今はあまりそういうシーンは無くなったし、たばこ産業のコマーシャルも無くなった。それどころか、自分のところが売っている商品に「喫煙は脳卒中の危険性を高めます」「ニコチンにより喫煙への依存が生じます」などという「宣伝文句」()を書いている。

最近は、喫煙空間が非常に少なくなり、愛煙家は大変不自由な思いをしている。喫煙所という所に人が集まって煙草を吸っている姿を見ると、何となく気の毒に思う。勿論、私もその一人なのだが…。

最近の大阪市長の「入れ墨」に関する発言、福岡県知事の、県職員並びに警察官に対する一か月間自宅外禁酒令に違和感を覚えるのと同様に、「喫煙即ち悪」という風潮にも違和感を覚える。福岡県知事さんは福岡県の民謡『黒田節』は「酒は飲め飲め 飲むならば 日の本一のこの槍を 飲みとるほど飲むならば これぞまことの黒田武士」という歌詞であることを忘れてほしくない。

飲酒・喫煙がそんなに悪いのなら、法律で禁止すればいいのである。何にしても、飲みすぎは良くないし、他人に迷惑をかけるのは良くない。しかしそれと同様に、ファッシズムもやはり良くないのである。

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千駄木庵日乗五月二十七日

午前は、母のお世話。

午後一時より、千駄木の坂下会館(旧町名が駒込坂下町なので千駄木三丁目南部町会の集会場がこういう名称になっている)にて、小生の居住するマンションの管理組合総会開催。審議。

帰宅後は、資料の整理・原稿校正・執筆など。

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2012年5月27日 (日)

『楠公祭』における佐藤優氏の講演内容

『楠公祭』における佐藤優氏の講演内容は次の通りです。

「維新とは神話と歴史が交わること。神がかりにならねばならない。近代とは理屈で考えること。しかし理屈で説明できるのは森羅万象の一部。国会議員にエリートが増えたのに、なぜ国家がこんなにフニャフニャになったのか。それは合理主義に侵されたから。日本の官僚制度の本質とは、早く税務署長になる人を作らねばならないということ。そのためには記憶力の良い人をつくる。促成栽培のエリートが担う国家が限界になり、昭和維新運動はその中で起きた。

中村武彦先生はその著『維新は幻か』で、『新たにおこすべき維新運動はみそぎされたる一人一人の結集によって行われなければならぬ。民族主義を議論する前に民族の魂を明らかに磨き出せ。旧来『右翼』型の高慢、粗暴、あるいは二重人格的生活は残滓をととどめず掃い去れ。』『同志同胞に対する胸広き寛容と信義と、敵に対する仮借なき闘志、逆境に処する毅然たる信念、わが内より流れ出でて一切人に惜しみなく与える満々たる希望と愛情、これらのものは、革命と根本的に異なる維新、国づくりに欠くことはできない。かくて最も深く最も洗練された思想原理と最も広汎なる国民的基盤の上に立って、民族の理想と情熱を不断に燃焼させるように現実的具体的戦闘的に展開せられなければならぬ。それは、あくまでも名実相応する「維新陣営」の出発である。「右翼」抬頭とは似ても似つかぬものである。』と論じておられる。

フランス革命の時にできたのが『右翼』『左翼』という言葉。合理主義に基づいて理想的社会を作ろうというのが左翼。人間は理屈丈では割り切れない。一人一人は理性的であっても気づかぬ偏見がある。真理は複数ある。王様・教会が今まで続いているのは意味がある。女系天皇論を理論化しようとするが、神々の世界に人権を入れようとするのか。弓削道鏡との婚姻を認めることになる。神々の世界と本質においてなじまない。ある意味で問答無用の世界。

本当に重要なことは言葉では語れない。何故日本国は生き延びなければならないのか。それは理屈ではない。維新は復古思想。理想を未来に打ち立てるのとは本質的に異なる。

国柄は文化のこと。國體は武が含まれる。私は早く成文憲法が無くなれば良いと思っている。英国とイスラエルには成文憲法は無い。

維新という言葉が毎日テレビ新聞に出る。維新のインフレーション。一部のチンパンジーは言葉を話すが思想は持てない。思想は言葉無くしてあり得ない。思想を持つからこそ人間は悠久の大義を持つ事ができる。政治刷新の基準を過去に求めるのが維新。

プーチンは復古。帝政ロシアに戻る復古維新をしようとしている。スターリンによって爆破された教会の横を通って大統領就任式に行った。

橋下の維新は権力の再配分。生産の思想が無い。メカニズムは機械。システムは有機体。橋下の考えは合理主義であり左翼的。小泉の聖域なき構造改革と同じ。政治家が活動する時、理屈付けをする理論家がいなければならない。堺屋太一は日本をアトム的にバラバラの個人にして闘わせればいいという発想。しかし維新を期待する国民をうまく束ねれば実現する。

世界は帝国主義的になってきている。中国・アメリカ・ロシア・EUは権益の拡大に腐心している。こういう状況で日本は適切な対応をしなければならない。偽物の維新を批判するよりも、本物の維新が行われなければならない。本当の維新をどうして我々の側で組み立てられるかを考えねばならない。草の根の我々に高天原の神々が『お前さんたち、行きなさい』と指令した。神々の力が働いている。

東日本大震災の時、イギリス以外の白人は関西へ逃げた。東京で都市暴動が起こるのを恐れた。危機的状況では人種問題が起こるから。しかし、日本人は普通に働いた。『大日本は神の国』だから。

『不思議』とは、『思い量る事が出来ない事、人間の判断力ではわからないこと、想定外のこと、定義不能な事、言語で表せない事、そして我々に確実に及ぶ力』を言う。

『太平記』は南朝側の文章ではないことが最近分かった。明という大帝国の中華秩序とどう付き合うかという事が課題になった時、日本の中にグローバルスタンダードに頼った方が良いという考えが起きた。『愚管抄』では百代で王朝交代が起こると書いた。そうなると冊封体制・中華体制に日本は入るという事になる。わが日本は一日だけ、足利義満が冊封体制に入ったが、義満が『王』になる前に死んだ。恐らく毒殺であったろう。それとは別の考えが『大日本は神の国』という思想である」と語った。

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2012年5月26日 (土)

千駄木庵日乗五月二十六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、書状執筆・資料の整理・原稿執筆など。

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楠公精神について

久保田収氏は、「楠正成が、わが国史上の英雄として崇拝されて来たのは、その絶対尊皇の精神と行動にある。『太平記』四十巻の中で、近世の人々が最も感動深く読んだものは、正成の活動と忠誠とであった。正成が天皇の御召しを受けて参上し、力強く決意を申し上げたこと、千早の険に拠って、北条氏の大軍を向こうにまわして奮戦し、建武中興の糸口をつくったこと。『七生報国』の志を残して、湊川で戦死したことなど、正成が死生を超越し、一意至誠をもって天皇に捧げた純忠の精神は、読む人に深い感動を与え、正成への憧憬と、その志を受け継ごうとする決意とを生み出したのである。天和二年(一六八二)に亡くなった山崎闇斎の学問の流れを汲んだ若林強斎が、その書斎を望楠軒といって、楠公を崇拝する気持ちを明白にし、正成が『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』と申したということに感じて楠公崇拝の心をおこした、と伝えている。強斎は、このことばが『わが国士臣の目当』であると考え、正成を日本人の理想像として仰いだのである。」と論じている。(『建武中興』)

自分の意志や思想と一致する天皇を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なる行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従い奉るのが真の尊皇であり勤皇である。そのことは、日本武尊の御事績・楠正成の事績を見ればあまりにも明らかである。

楠公の『仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし』という精神こそ、わが国の臣民のあるべき態度である。天皇を現御神と仰ぎ絶対の信を寄せることが日本の臣道である。尊皇精神とは、日本国の祭祀主として神聖なる君主であられる天皇へのかしこみの心である。

天皇は現御神であらせられ絶対的に尊ぶべき御存在である。もしも、万が一、天皇の御心や御行動が、自分の考えや思想や理想と異なることがあっても、天皇陛下を批判する事は絶対にあってはならない。むしろ自らの祈りが足りないことを反省すべきである。楠正成が言われた如く「仮にも君を怨みたてまつる心おこらば、天照大神の御名を唱うべし」なのである。

日本民族の古代からの天皇尊崇の心・現御神信仰を回復し、人間獣化=聖なるものの喪失から脱却することなくして、日本の再生はあり得ない。 

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千駄木庵日乗五月二十五日

午前は、母のお世話。

お昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について語り合う。

午後は、諸雑務。

午後四時半より、赤坂の乃木会館にて、『楠公祭』執行。第一部記念講演は、佐藤優氏が「『不思議』の正成ーー國體と超越」と題して行った。第二部楠公祭は、祭詞奏上・祈願詞奏上・『桜井の決別』斉唱・玉串奉奠などが行われた。そして、犬塚博英氏が世話人挨拶を行った。この後、直会が行われた。小生も挨拶させていただいた。

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祈願詞を奏上する犬塚博英氏

帰途、久しぶりにお会いした同志と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2012年5月25日 (金)

最大最悪の侵略国家は共産支那である

共産支那は、わが国を「侵略国家だ」と非難するが、東アジアにおける最大の侵略国家は支那である。清帝国は、東トルキスタン(新疆ウイグル)、チベットなど周辺諸民族を侵略、征服、蹂躙した。

「中華人民共和国」=共産支那は、清帝国が侵略によって獲得した領土をそのまま継承するのみならず、さらに領土拡大とアジア支配を目論んでいる。共産支那建国以来、「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」・「中印戦争」・「チベット侵略」・「中ソ国境紛争」・「中越戦争」など十七回も対外戦争あるいは武力行使を行った。チベット・ウイグル・内モンゴルを植民地支配している。

過去数千年にわたりアジアを侵略しこれからも侵略しようとしている支那に、わが国を軍国主義国家・侵略国家呼ばわりする資格は毛筋の横幅ほどもないのである。「盗人猛々しい」とは共産支那の事である。わが国国民はこの事を先ずもって認識しなければならない。

共産支那は近年、軍拡を続けて来た。今日、支那を武力攻撃しようとしている国などは存在しないのに、何故軍拡を行う必要があるのか。日本及び台湾そしてアジア全域への侵略・覇権確立を目論んでいるからである。「反国家分裂法」「領海法」の制定そして反日破壊活動を見れば、それは火を見るよりも明らかである。

かつて共産支那は理不尽にも、「ベトナムは小覇権主義国家だから懲罰する」とか言って、武力侵攻を行った。それと同じように、状況が整えば、「台湾を取り戻す」「解放する」と言って台湾に、「歴史問題で反省謝罪が足りない日本を懲罰する」と言ってわが国に、軍事侵攻を行う危険性がある。

前述したように一九九二年には、「中華人民共和国領海法及び接続水域法」とやらを制定し、東シナ海の尖閣諸島から南シナ海の島々まですべて支那の領海だと勝手に決めてしまった。日本、韓国、台湾、アセアン諸国と係争中の東シナ海、南シナ海の大陸棚、西沙諸島、南沙諸島の領有を、一方的に宣言した。とりわけ許し難いのは、わが国固有の領土たる尖閣諸島の領有をも一方的に宣言したことだ。

また、共産支那は、「大躍進政策」の失敗で二千万以上の餓死者を出し、文化大革命では五千万以上の自国民を殺戮した。世界中で共産支那ほど軍国主義国家はないし専制独裁国家はない。

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千駄木庵日乗五月二十四日

午前は、母のお世話。

お昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後六時より、内幸町の日本記者クラブにて、『花岡信昭さんの思い出を語る会』開催。遠藤浩一氏が司会福田勝幸拓殖大学理事長、熊坂隆光産経新聞社長、頭山興助呉竹会会長、渡辺利夫拓殖大学学長、猪瀬直樹東京都副知事、田母神俊雄元航空幕僚長などが思い出話を語った。このほかにも小田村四郎・三宅久之・平沢勝栄・鈴木宗男・衛藤晟一の各氏などが参加していた。

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帰宅後は、原稿執筆。

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2012年5月24日 (木)

『世界ウイグル会議を支援し中国の覇権と闘うシンポジウム』における登壇者の発言・その二

ラビア・カーディルさん(世界ウイグル会議議長)「中国政府はわが民族を絶滅させるために我々をテロリスト・原理主義者として投獄している。十四歳から二十五歳の女性二十四万人を中国本土に強制連行。二〇〇九年の平和デモはそれに反対するデモ。わが民族の娘たちがひどい状況に陥れられたことに耐えられなかった。一万人の中国人が二百人のウイグル人を襲って殺した。親たちが娘を捜して本土に行くと暴行を受けたり殺された人もいる。娘たちは監視され、工場から一歩も出ることが出来ない状況。

我々は非暴力でわが民族を救う道を選んでいる。世界ウイグル会議はその道を歩んでいる。中国政府は我々が暴力に訴えることを望んでいるが、私たちはその道をとらない。中国のウイグル弾圧は限度を超えている。『世界は声を挙げよ』と呼びかけている。

ウイグルでは一つの家族の中の一人或いは全員が投獄されている。一九九七年には、母親の目の前で五人の息子を銃殺した。デモに参加したり、民族主義者をかくまったら逮捕される。逮捕に抵抗したという罪で銃殺される。こういう例は数えきれない。中国人は十四億、我々は二千万。中国が洗脳している。こういうことに耐えきれず、いくつかの事件が起きている。それを繰り返し取り上げ大々的に宣伝し、テロリストだと宣伝している。

中国のような独裁国家が世界の指導的地位に立ったら世界はどうなるのでしょう。カザフスタン、キルギスタンに対して影響力を及ぼしている。そこには一五〇万のウイグル人が住んでいる。我々の大会への参加予定者が中国政府の圧力で日本に来られなくなっている。日本政府はこういう問題を中国の対話の時に取り上げてもらいたい。国会で決議が行われることを望む。日本は強力な国である。日本はウイグル、チベット、モンゴル人を救うために力を出してもらいたい。独裁国家が平和友好を逆利用している」。

櫻井よしこさん「ウイグルの問題は日本にも共通する。中国は民主主義を押し潰し、法を無視し、民族を弾圧している。ウイグル民族を事実上消してしまおうとしている。ウイグルの若い女性を中国の沿岸部に連れて行き、工場で働かせ、中国語で話をさせ、漢民族の男と結婚させている。ウイグル人の血が薄まっていく。

野田首相は日中首脳会談でウイグル問題を取り上げ、『わが国は自由国家であり、法律を犯さない限りカーディルさんの入国を許可する』と言った。正しい主張を中国に突き付けた。中国は四六回の地上地下の核実験を行った。中国政府はウイグル人が集中して住んでいる地域のど真ん中で核実験をした。その時の中国政府の内部文書では七十万人が放射能を浴びて死んだことが明らかになった。それを公表した人を投獄した。

核実験によってウイグル人に癌が蔓延。今のウイグル人は背が低く骨が弱い。医療体制も全くない。平和を求めつつも、日本国は力を持たねばならない。米ソの熾烈な軍事力の戦いがあった。そしてソ連は崩壊した。日本はきちんとした軍事力を整備すべし」。

黄文雄氏「平和友好が日本の大きな価値になっている。果たして中国に対して平和友好で良いのか。中国人による虐殺は台湾でも何回も繰り返された。私は小学校四年生の時二・二八事件を体験した。中国と平和協定を結ぶと国を取られる。毛沢東と林彪は『親密なる戦友』と言っていた。中国では親密なる関係が一番危ない。パラドックス」。

頭山興助氏「今までの日本人の愛国心が如何に甘かったかを知ってもらいたい。無駄なODAを配って何になったのか。私の祖父は中国革命を援助した。しかし、清朝は打倒されたが、『連ソ容共』に持って行かれた。そして中国全体が共産化した。台湾に逃げて来た国民党は二・二八をやった。蒋経国は李登輝に政権を譲った。私は、福田内閣の時、『日中条約』調印のブレーンとして訪中した。しかし漢民族は大嫌い。何時でも裏切る。カーディルさんたちは、明日は日本がウイグルのようになる事を教えてくれるために日本に来た。我々は戦うことを自覚すべし。『ウイグルの人たちは可哀想』と思うのは不遜です。『有難う』と言いましょう」。

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『世界ウイグル会議を支援し中国の覇権と闘うシンポジウム』における登壇者の発言・その一

五月十八日に行われた『世界ウイグル会議を支援し中国の覇権と闘うシンポジウム』における登壇者の発言。

平沼赳夫氏「中国大使から『集会に参加するな』という内政干渉にわたる手紙が来た。その手紙には人権侵害について一切書いていない。皆さん、怒っていただきたい。彼らが『核心的利益』とする尖閣を買いに来ているというのは大矛盾。中国はおかしな国。ウイグルはもっとひどい目に遭っている。自由民主を守る国はウイグルに温かい手を差し伸べることが必要。」

山谷えり子さん「十年前、ウイグルを訪問した。美しい国。文化・宗教を大切にしなければならない。中国大使の手紙は『日本の安全にも害がある』という脅迫のような文書。主権侵害。侮辱である。百人以上の議員に届いている。程永華大使に内容証明で抗議文を送った。ウイグルにおける投獄・処刑の歴史を解明すべし。美しいウイグル人の心を守っていきたい」。

ぺマ・ギャルポ氏「ウイグル議連が出来たこと、この大会が開かれたことをお祝いしたい。日本は世界に対して独立国家として重大な決意をした。ダライ・ラマ法王も靖国神社に参拝した。中国の六三%はチベットの領土である。八〇%以上の日本人が中国に好感を持っていない。中国の正体を知った。東日本大震災の時、中国はお見舞いをすべきなのに日本の領空・領海を侵犯した。中国は何時崩壊してもおかしくない。内部の不満をそらすために外にちょっかいを出している」。

ラビア・カーディルさん(世界ウイグル会議議長)「中国は欲しい地域を『全て昔から自分の領土だった』と言う。近代になって我が領土はロシアと中国の二大帝国に占領された。わが民族は文明が発達した民族。トルコ人は我々を父なるトルコ、母なるトルコと呼んでいる。私たちの言葉・食事・美しい文化は独自のもの。数千年の歴史を持つ。中国人がわが領土に入って来た時、我々の文化に驚き、尊敬した。『人民日報』で、『ウイグル民族は美しい』と宣伝した。しかし、今日、『未開野蛮な人々に文明を教えている』と宣伝している。

中国共産党がやって来た時、『帝国主義から解放するために来た』と言っていた。四九年から五九年までに二五万人のわが民族が虐殺された。王震がやった。彼らが虐殺したのは①豊かな人々②知識人③社会的地位のある人④宗教指導者。これらの人々を虐殺した後、民衆から土地を奪い、中国人移民に渡した。

中国人が狡猾なのは、人々を貧しい状況に追い込み、人間性を失わしめること。五四年から六一年に三つの家庭に一つの石鹸を配った。自宅に風呂がある人は『資本主義的である』として破壊され、川で入浴させるようにした。飢餓と恐れの状況に陥れられた。わが民族は家畜以下の生活を強いられている。中国人は我々が飼っていた鳥や犬を我々の目の前で虐殺した。こんな残虐なファシストを見たことはない。雀を殺し、その足を十羽分提出しなければならない時期があった。二十人が一つの部屋で生活することを強要した。

ウイグル人の宗教に対しても攻撃して来た。文化の基本を壊されている。母国語も禁止。抵抗した人数万人を投獄し虐殺した。北京の会議ではウイグル人を保護し、貧困から救ったと嘘を言っている。我々に文明を教えたと言っているが、我々は文明を持っている。豊かに生きて来た。中国で一番資源を持っている。移住してきた中国人は豊かになり、ウイグル人は貧しくなっている。中国は我々の歴史遺産を潰した。私たちの文化を保護し、豊かにしたのなら、何故、私は国外に逃亡してここで話をしなければならないのか。

九・一一テロ戦争が始まったら中国政府は喜んで『自分たちはテロの被害者だ』と宣伝した。ムスリムである我々にテロリストというレッテルを貼った。

民族の言葉を話せなくなる教育をしている。ウイグル人をあちらこちらに散らばせる政策をとっている。若い女性を中国本土に移し、貧しい中国人農民をウイグルに入れている。ウイグルの農業技術は中国で一番。園芸技術は素晴らしい。ウイグル人の八六%は農民。

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千駄木庵日乗五月二十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

昼、北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓所を掃苔、線香をあげ花を供え、拝礼。ご冥福とご守護を祈る。

午後一時より、『お施餓鬼法要』執行。読経・焼香。そしてお塔婆を墓所に供える。

帰途、御徒町で友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2012年5月23日 (水)

「君子危うきに近寄らず」か、「義を見てせざるは勇無きなり」か。

地下鉄渋谷駅で男性が刃物で刺されて重傷を負った事件が起きた。利用客同志の揉め事なのかどうかわからないが、刃物で刺されるというのは尋常ではない。また、こうした事件は他人事ではない。電車の中や駅の構内で利用客同士が揉めるというのはよくあることである。私自身も何回か経験している。

私は、足を組んで座っていたり、お年寄りが立っているのに席を譲らない若者がいると、無性に腹が立つ。怒りを抑えられない。つい大声で注意してしまうことがある。幸い今迄は相手が暴力を振るってくることなかったので無事で済んでいる。しかし、こういう事件が起こるとやはり自重すべきだつくづく思う。そもそも私は腕力が全く弱いのだ。声の大きさと気力で勝っているだけの話なのだ。まして相手が刃物で向って来たらどうしようもない。

「君子危うきに近寄らず」という言葉がある。「徳と教養がある者は、自分の行動を慎しみ、危険なところには近づかない」という意味だそうである。「君子」という言葉は「高位高官の人」という意味もある。

これは『論語』にある言葉ではない。孔子が書いたと伝えられる歴史書『春秋』の注釈書である『春秋公羊伝』にある「君子は刑人に近寄らず」がという言葉が元になっているという。

ところが、孔子の『論語』為政篇には義を見てせざるは勇無きなり」(人として行うべき正義と知りながらそれをしないことは、勇気が無いのと同じことである、という意)という言葉もある

支那の道徳思想には、このように全く正反対のことが説かれている。支那人は時と場合によって使い分けるという事であろうか。

「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」(自分がいやだと思うようなことを人にしてはいけない、という意)という言葉もある。これは、『論語』で最も人口に膾炙した言葉であり、『論語』の「顔淵篇」と「衛霊公篇」の二か所に出て来る。

この言葉を一口で『恕』(思いやり)という。これは人間にとって最高の徳とされる。自分から善行を行う前に、その基本としてまず自分の行動を慎まねばならないという事である。

この言葉で思い出すのは、小泉総理(当時)の靖国神社参拝に対して、当時の駐日支那大使・王毅が「東洋人は他人が嫌がることをしないものだ」と言って批判したことがある。私はそれを聞いて思わず吹き出してしまった。アジア、否、全世界で他国が嫌がる事ばかりしているのは、ほかならぬ共産支那自身ではないか。まさに「よく言うよ」である。共産支那こそ「己の欲せざる所は、人に施す勿れ」を実行すべき国なのだ。

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千駄木庵日乗五月二十二日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、諸雑務、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理。

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2012年5月22日 (火)

あくびのこと

大変遅ればせながら最近、三島由紀夫氏の『葉隠入門』を拝読した。それには次のようなことが書かれてゐる。

「常朝は日常生活のこまかなことについても、役に立つ、さまざまなヒントを與へてゐる。『人中にて欠伸仕り候こと、不嗜(ふたしなみ)なる事にて候。不圖(はからずも)欠伸出候時は、額を撫で上げ候へば止み申し候。さなくば舌にて唇をねぶり口を開かず、又襟の内袖をかけ、手を當てなどして、知れぬ様に仕るべき事に候。…』…あくびを止めることはけふにも實行できることである。わたしは戰爭中からこれを讀んで、あくびが出さうになると上唇をなめてあくびをがまんした。」

ある講演会で、講師の話を聞いてゐた時、前日の睡眠時間が短かったため、ついあくびをしてしまった。講演内容は極めて興味深く、勉強になったのだが、不覚にもあくびをしてしまったのである。運悪くその時、講師が私の方を向いてゐた。大変気分を害され、「あくびをされると話しに力が入らなくなる」といふ意味のことを何回か繰り返された。まことに申し訳ないことをしてしまったと反省した。もう少し早く、三島氏の『葉隠入門』を読んでおけば良かった。

共産支那の文化大革命で、毛沢東によって粛清され、さんざん迫害された彭真といふ元北京市長(毛沢東の死後、復活して全人代常務委員長になった)は、会議の席で毛沢東が話をしてゐる時に大あくびをしたことが失脚の原因の一つになったという事を聞いたことがある。あくびは本当に気を付けなければならない。

『葉隠』には次のやうにことも書かれてゐる。

「大酒にて後れを取りたる人數多(あまた)なり。別して殘念な事なり。先づ我が丈け分(ぶん)をよく覺え、その上は飲まぬ様にありたきなり。」

私はある程度の量になると体が受け付けなくなるので、飲みすぎるといふことはないが、酒を飲んで饒舌になり、相手の気分を害することはあるので気を付けなければならない。

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千駄木庵日乗五月二十一日

午前は、母のお世話。訪問看護の方と共なり。

午後からは在宅して、資料の整理。

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2012年5月21日 (月)

『ボストン美術館 日本美術の至宝』展参観

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今日参観した『ボストン美術館 日本美術の至宝』展は、「アメリカのボストン美術館は、"東洋美術の殿堂"と称されます。100年以上にわたる日本美術の収集は、アーネスト・フェノロサや岡倉天心に始まり、今や10万点を超えます。海外にある日本美術コレクションとしては、世界随一の規模と質の高さを誇ります。本展は、その中から厳選された仏像・仏画に絵巻、中世水墨画から近世絵画まで、約90点を紹介します。…海外に渡った日本美術を蘇らせ日本文化の理解を深めることは、友好関係の一層の発展をうながすものとなるでしょう。」(案内書)との趣旨で開催された。

日本初公開の曽我蕭白(そがしょうはく)の『雲龍図』、法華堂根本曼荼羅図(奈良時代)、如意輪観世音菩薩像(平安時代)、弥勒菩薩立像(快慶作)、吉備大臣入唐絵巻(平安時代)、平治物語絵巻・三条殿夜討巻(鎌倉時代)、龍虎図屏風(長谷川等伯筆)、松島図屏風(尾形光琳筆)、十雪図屏風(狩野山雪筆)鸚鵡図(伊藤若冲筆)、短刀・尻懸則長(尻懸則長作)など海を渡ってボストン美術館に収蔵された美術品を見る。

国宝級のものが多いと言う。日本刀も多く展示されていたが、剣というものは有体に言って人を斬る道具つまり武器である。近年は知らず、昔は美術品として製作されたものではない。しかし、日本刀を鑑賞すると放つ光も姿形も実に美しい。まさに最高の美術品になっている。日本人の美感覚の素晴らしさであろう。日本人は何でも美しくしてしまう。日本人にとって最高の価値は、清らかさであり美しさである。

『吉備大臣入唐絵巻』という絵巻物はユーモアのセンスあふれるものであった。遣唐使として唐に渡った吉備大臣という人物が空を飛んだりする超能力で唐の役人をどんどん打ち負かし、ついに、囲碁と『詩経』を日本に持ち帰るという物語である。

何故このように多くの優れた美術品がアメリカに渡ったのか。明治維新後の廃仏毀釈によって仏像仏画が軽んじられこと、没落した大名家が先祖伝来の美術品を売りにだしたこと、さらに最も大きな原因は「文明開化」「西欧化」の波が押し寄せた明治初期の日本が極端に伝統文化を軽視したことがある。アメリカ人がそれを買い求め母国に運んだ。大東亜戦争直後にも、多くの美術品が売りに出され、海外に流出したと聞いている。

しかし、日本の美術品が海外に流出したことにより、日本の文化文明が非常に優れたものであり、日本美術が如何に高度なものであるかを海外の人々に認識させた。怪我の功名という事であろうか。

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千駄木庵日乗五月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京国立博物館平成館にて開催中の『ボストン美術館・日本美術の至宝』展参観。

帰宅後は、資料の整理。

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2012年5月20日 (日)

石田収筑波学院大学教授の講演内容

五月十二日に行われた『アジア問題懇話会』における石田収筑波学院大学教授の「激しさ増す中国の権力闘争」と題する講演内容は次の通り。

「重慶市は直轄市。省並み。薄熙来は三月十五日に重慶市党書記を解任され、四月十日に政治局員を解任された。中共の権力闘争は路線闘争でもある。過去に陳希同北京市党委書記、陳良宇上海市党委書記の二人が逮捕された例がある。全ての人が叩けば埃が出るのに、二人だけがどうしてやられたのか。今回も同じ。太子党有力メンバーを解任した。金にまつわる事から胡錦濤の逆鱗に触れた。胡錦濤派の攻勢に江沢民派が乗った。

これまでの十年間は、胡錦濤がああしたい、こうしたいと思っても出来なかった。『人民日報』一面コラムに『中国は法治国家、権力は人民から与えられたもの』というステレオタイプな考え方を述べた。八回あらわれて突然消えた。それだけ党中央は動揺している。『解放軍法』は、『部隊はいかなる時、いかなる状況下でも党中央と中央軍事委、胡錦濤主席の指示に従わねばならない』と書いた。

太子党への批判が強い。習近平の力が低下。胡錦濤の力が増す。混乱するので習近平の総書記就任は変わらない。しかし飾り物になりかねない。実権は胡錦濤葉が握る。政治改革は総書記が音頭を取らないと動かない。政治局常務委員の力は大きい。六十八歳以上は引退する。

太子党は改革左派。軍も同じ。江沢民の健康問題が重大。どこまで影響力を発揮できるか。

中国の工業は、六割を外資系企業が担っている。社会福祉・医療が遅れている。太子党に不満が出るのは当然。中国の社会主義体制は根幹から揺らぎ始めている。

胡錦濤派の李克強が上がってくる可能性あり。この人がとういう考え方を持っているかが重要。中間層が増えて生活水準が上がっている。中国共産党の民主主義とは、上から下を引っ張り上げること。

習金平の十年間は、政治改革は何もしない。本格的改革はそのあと。中国の政治改革は民主化ではない。

中国が抱えている矛盾は①権力の極度の集中。②巨大な格差。③汚職・腐敗。④失業。⑤社会主義優位性の崩壊。経済発展が弱まれば、失業が増え、社会不安が増大し、党支配への不満が高まる。十三億人の意志をどう党中央に反映するのか。

毛沢東は建国。鄧小平は開放改革。江沢民は安定団結。胡錦濤は、政治改革・民主化に本格的に着手したら、歴史に名を残す。これからが本当の胡錦濤時代だという言い方もある。自分の子飼いを指導者にするには習近平は邪魔。

ジャスミン革命が微妙に影響。改革右派に有利。同じようなことが中国で起きかねない。二千年に党中央組織部が数万人を対象に行った無記名アンケートによると党員の七割が共産主義を信じていない。

万博も五倫も終わり国民を団結させる目標がない。一つは台湾問題。馬英九時代に足掛かりをつけたい。あと十数年で石油が採れなくなるので、海洋経済の発展によって二十一世紀を生き延びたい。アメリカとぶつかる。その中間に日本がいる。あと一億人人口が増えると、大陸は満杯状態。

中国が共産主義を放棄すると中華人民共和国は解体する。混乱を乗り越えてソフトランディングできれば『中国の時代』の始まり。とめどない混乱が起こる可能性もある。政治的にはデッドロック。行き詰まり状態だが、今のところ中国が共産主義を放棄する兆しはない」。

司会の澤英武氏は「ロシアは。ヨーロッパの一部と思っている。ヨーロッパは、ロシア人はチンギスカント混血したからそれを認めたがらない。しかし、ロシア貴族はヨーロッパの生活をしていたから、ある程度民主主義はあった。中国の政治改革は相当の流血が起こる可能性あり」と述べた。

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千駄木庵日乗五月十九日

午前は、母のお世話。

この後、『政治文化情報』発送作業・完了。購読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

この後、書状及び原稿執筆など。

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2012年5月19日 (土)

黄文雄氏の講演内容

黄文雄氏の講演内容

五月四日に行われた『台湾研究フォーラム』における黄文雄氏の講演内容は次の通り。

「日本に来て四十九年、日本はずいぶん変わった。一九七〇年代は、日本の文化人は尖閣問題で、『日本帝国主義が中国から奪った』と主張して、日本政府に抗議した。私のように台湾独立運動にたずさわってきた人間にとってあの時代は苦しかった。二千年代になったら、尖閣防衛の街頭デモの人数も多くなった。文化人も変わって来た。しかし、ものの見方が短絡的なのは変わっていない。中国に対しても目先のところしか見ない。政治・経済・軍事が中心で、文化・文明を見ない。中国は経済発展するにつれて民主化するという考え方が強い。

日本の中国学者の見解は正確ではない。江戸時代の朱子学者も中国を正確にとらえていない。聖人の国・道徳の国というとらえ方は正確ではない。文革までは『中国には蠅も蚊も泥棒もいない』と伝えられていた。戦後のみならず江戸時代からそういう中国に対してそういった理想的イメージを抱いて来た。

中国人が口にすること、活字にすることは全て嘘と考えればいい。中国のマスメディアの報道は逆に見れば正しい。

乾隆皇帝に謁見したイギリス国王の使節は『わが朝には何でもある。欲しいものがあれば恵んでやる』と言われて通商を断られた。

中国の思想レベルは低い。儒教を教える人がいない。『孔子学院』で教えているのは『南京虐殺』のことだけ。

西洋人は中国を次のように見た。マカートニ―「反野蛮人」。J・F・デビス「半文明中国」。J・レッグ《野蛮への回帰》。H・N・レイ「アジアの野蛮人」。マルクス「生きた化石」。

空海の代表的著述『十住心論』(じゅうじゅうしんろん)は、人間の心を十段階に分け、それぞれに当時の代表的な思想を配置することによって体系を築いている。空海から見た孔子の思想はレベルが低い。野蛮から一段階上のところが儒教思想。その上が老荘思想。

儒教では『義たれ』『仁たれ』と教えるが、義とは何か、仁とは何かと聞いても誰も解釈できない。偽善者と独善者しか生まれて来ない。

日本人は美を求め、中国人は善を求めると言われる。古代ギリシアでは美と善は同じ。善についても定義できない。何が善であるかと言っても人によって概念が違う。

ローマ帝国は共和制が王制に進行した。中国は、党・政・軍の三権を牛耳らないと安定しない国。中国では民主化は不可能。中国は独裁で発展してきたのだから民主化することはない。

『戊戌の変法』という康有為の改革は明治維新の真似をして皇帝制を残した。辛亥革命は中国の政治制度を全て投げ捨てた。改革開放はもっと激しい文明の自殺。

中国が今直面するのは経済環境問題。経済成長を抑えると社会問題が起こる。精神異常が一億人を超える。あと二十年で四億人を超える。精神科医が少ない。

中国の長い歴史の中で軍は特別の存在。軍を抑えることができる指導者はいない。

中華文明には具体的なものは無い。清朝の土地で行われた文化はすべて自分のものとしているが、文明の系統として説明できない。中国人の持っている文明とは何かを答えることが出来ない。日本は二千六百年の文化と歴史の形を説明できる。自分の形がある。中国には自分たちの思想や基準がない。声が大きいものが勝つというのが彼らの基準。日本人はそれを心にかけなくてはいけない。

中国人はこれからもっと日本に入って来るから、日本人は危機感を持って対応すべし。支那と手を結んでアメリカに対峙するという考えが国を滅ぼす。漢籍で育ち、反米ナショナリズムを持ち、中国への贖罪意識を持つ人、消費市場としての中国に幻想を持っている人が多い。

海洋ナショナリズムが正しい。インド人が多く住んでいる東京の葛西で反インド感情が起らず、支那人が多い池袋で反支那感情が多い。文明は普遍的なもの、文化とは特殊なもの。ハードが文明、ソフトが文化」。

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千駄木庵日乗五月十八日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。小生も母と共に診察を受ける。

午後は、『伝統と革新』の原稿執筆・脱稿・送付。

午後六時半より、内幸町の日本プレスセンターにて、『世界ウイグル会議を支援し中国の覇権と闘うシンポジウム』開催。世界ウイグル会議議長・ラビア・カーデルさんなどが講演。詳細は後日報告します。

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平沼赳夫衆院議員とラビア・カーデルさん

帰途、同志と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

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2012年5月18日 (金)

この頃詠みし歌

朝の雲しばし眺めて今日もまた ただひたすらに生きんとぞ思ふ

咲き盛る路地の花々 その名をば知らぬ我にも美しきかな

いしにゑを生きたる人を今日もまた偲ぶ心に霊園を歩む

飴なめて疲れを癒す時の間に幼き頃を思ひ出しをり

老人がフルスピードで自転車を操り行くを見て危ぶみぬ

線香に火をつけて手を合はすなり 紫煙たなびく父の霊前

頭上げ晴れたる空を眺むれば爽やかにこそ初夏の風吹く

満月の照り輝ける下にしてスカイツリーの灯り美し

淡路島で獲れし小魚食しつつ原稿を書く静かなる夜

子の親にも人の夫にもならずしてあはれ齢は六十路半ばに

根津嘉一郎の屋敷の跡の庭園を経巡りて新緑の光り楽しむ(根津美術館)

深山に入り来たりし思ひにて歩み行く庭の緑瑞々し()

美しき面の佛に真向ひて与謝野晶子の歌思ひ出す()

青山の道を歩みてこれの地が焼き盡されし空襲を思ふ  

谷中寺町狭き路地裏歩み行く夕暮時に題目の声

雨に濡れ歩み行くなる男一人 生きてゆかねばならぬ思ひで

またしても降りだしし雨に濡れつつも忙しなく街を歩み行きたり 

火鉢とか炬燵といふものなくなりて電気に頼る生活(たつき)なりけり

ワイシャツを買はむとすれど押しつける如き物言ひに腹立ちにけり

無理矢理に売りつけむとする店員を厭ふ心に店を出で来ぬ

窓の外に新緑燃ゆる部屋にゐて恋歌のことを語る真昼間

洗ひ終りし衣類をベランダに干しにけり明るく晴れし五月の朝(あした)

初夏の光り新緑をなほ際立たせ若き命が甦りたり

日出づれば五月の空は明るくて心すがしくなりにけるかも

かがまりて床拭きをればわが顔より汗流れ落ち夏は来にけり

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千駄木庵日乗五月十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備、原稿執筆。

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2012年5月17日 (木)

橋下大阪府知事・入れ墨・正義について

若気の至りで入れ墨をしたが、その後まじめに働き、公務員になった人もいるだろう。入れ墨を入れているからと言って、配置転換とか、公務員になってはならないというのかおかしい。まじめに働いている人を追い詰めるのはあまり使いたくない言葉だか、それこそ人権問題だ。

今に人相が悪い人は配置転換・不適格ということになるかもしれない。国権の最高機関を構成する公務員たる国会議員には相当人相が悪い人がいる。その代表格は私が大嫌いな小沢一郎氏そして輿石氏。この二人も不適格だからどこかに配置転換という事になるのだろうか。

江戸時代は、今日の都知事兼警視総監と言っていい江戸町奉行が入れ墨をしていた。ご存知桜判官・遠山金四郎である。

時代が違うと言ってしまえばそれまでだし、「遠山の金さん」が入れ墨を見せて啖呵をきるというはフィクションだろう。

私は下町育ちなので、小さい頃、銭湯に行けば必ず一人や二人入れ墨を入れた人が来ていた。ヤクザや鳶職の人だった。それは普通日常の光景であり格別怖がることもなかった。

入れ墨をしている人を余り追いつめるのは如何なものであろうか。銭湯にも来るな、温泉にも来るな、プールや海水浴場にも来るなと言われている。そして今度は、職について働いている人に対しても、「配置転換だ」とか「公務員は入れ墨を消せ」と言うのは、行き過ぎではないのか。入れ墨は茶髪と違って簡単に消すことはできないのだ。橋下さんは、あまり正義感ぶってもらいたくない。

オスカー・ワイルド(一八五四~一九〇〇。イギリスの劇作家・小説家。世紀末文学の代表的作家で、芸術至上主義者。代表作に戯曲『サロメ』がある)に、「もっとも害を与える人は、もっとも善いことをしようと努めている人だ」という言葉がある。「自分の行っていることが正義だ」と信じ込み実行する勢力や個人、とりわけ権力者が、殺戮を行い、世の中を暗黒にし、独裁政治を生み、國民から自由と繁栄を奪うという意味であろう。

自由で幸福な世の中とは、公正(フェア)な世の中ではあっても、ある人の唱える「正義」を絶対のものとして民衆に押しつける世の中ではない。独裁者は必ず「正義」を旗印として独裁政権を手に入れる。レーニン、スターリン、ヒトラー、毛沢東、カストロなどは皆そうだった。

真に正義を尊重し正義の実現を目指す人は、そしてそれが権力を持つ人であればなおさら、自由で柔軟で大らかな精神を持っていなければならない。正義や人間の幸福は法律や権力のみによって実現されるものではない。法律や権力のみによって実現された正義の世の中とはロボットが動く世の中と同じである。

「正義」の呪文を唱えながら、自由を否定する狂気は暗黒と専制の世の中をもたらす。それが一七八九年革命直後のロベスピエール独裁下のフランスであり、革命後の旧ソ連であり、共産支那であり、南北分断後の北朝鮮である。行き過ぎた教条に支配されることなく、自然に國民を正しき道を歩ましめることが必要である。

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千駄木庵日乗五月十六日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問を仰せつかっている小生もスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、『伝統と革新』の原稿執筆など。

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2012年5月16日 (水)

日本國體精神恢弘による世界の真の平和実現

 現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことである。

 そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本傳統文化へと回帰しなければならない。

 自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で體験する農耕民族たる日本民族の信仰精神が、世界の真の平和を作り出すであろう。

 日本傳統信仰は、大自然を尊ぶ。それは、大自然から、人生を学び、生き方を学び、國の平和と人の幸福の道を学ぶ心である。山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ・日の神の御子)」であり「日女(日の神の姫御子)」なのである。

 日本人は、森羅萬象ことごとく神ならざるものはないと考えた。人も國土も神から生まれた、神が生みたもうたと考える日本民族の信仰は、神が人間と自然を造ったと考える西洋一神教の創造説とは全く異なる。神と人間と自然とは対立し矛盾した存在ではなく、調和し、融和し、一體の存在であると考える。こうした精神は排他独善の精神ではない。あらゆるものから学ぶべきものは学ぶのである。だからわが國は古来外来の文化を大らかに包容摂取してきた。

 闘争戦争と自然破壊を繰り返す現代世界においてこそこの日本建國の精神が大きな役割を果たすと考える。一切の自然や人に神が宿るという大らかにして健全なる信仰精神たる日本傳統精神が、世界を救い、統合し融和して調和するのである。

 西洋精神は、キリスト教もイスラム教もマルクスレーニン主義も、一人の教祖の説いた教義・一つの書物に書かれた教義を絶対的なものと信ずる。一神教的ものの考え方が、いかに世界に闘争を持ち来たしたかは、ロシアや支那や朝鮮やカンボジアなどにおける共産主義思想による殺戮、アイルランドやアラブや旧ユーゴなどにおける宗教戦争、そして去年の『九・一一同時多発テロ』とそれに対するアメリカの報復を見れば明らかである。

 自由自在にして大らかなる日本傳統精神は、教条的で固定的な西洋思想・文化・文明に訂正と活性化を与える。日本という國家には日本の長き歴史の中から生まれてきた立國の精神というものがある。日本國體精神・日本の道統に反する一切の事象を撃滅し、粉砕すべき事は緊急の課題である。真に日本を改革するためには、今こそ、天皇を変革の中核する「維新」即ち日本傳統精神・國體精神を勃興せしめ、それに基づく変革が断行されなければならない。

 天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。 

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千駄木庵日乗五月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集作業。及び小生担当の原稿執筆。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルにて、『マイケル・アマコスト元駐日アメリカ大使講演会』開催。モデレーターは、田中均日本総合研究所国際戦略研究所理事長。内容は後日報告します。やはり共産支那の台頭のことが大きな話題となった。各国大公使や外務省関係の人々が多く出席していた。

帰途、湯島にて先輩と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

帰宅後は、原稿執筆・脱稿・送付。そして明日のスピーチの準備など。

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2012年5月15日 (火)

記紀・萬葉の世界では、「武」「歌」「戀」の三つは一体であった

和歌において相聞歌が実に大きな位置を占める。我が国土は、伊邪那岐命・伊邪那美命の「むすび」によって生成された。恋も歌もまさに神代の昔からのものなのである。

和歌が戀愛において大きな位置を占めるのは、和歌といふ言葉の芸術が、戀愛の心を伝達し交換する媒介だからである。また、戀とは「魂乞ひ」であるから、やまと歌にある言霊の力によって相手の魂と自分の魂を引き寄せ合ったのである。歌の起源は戀愛である。

『古事記』神代の巻の歌十一首中実に九首までが戀歌(相聞歌)である。また、「記紀歌謡」百数十首中その大部分が戀歌である。『萬葉集』も戀歌が圧倒的に多い。『百人一首』も恋歌が圧倒的に多い。「やまと歌」の主流は戀歌である。自然を詠んだ歌も、死者を弔ふ歌も、自然や死者への「戀歌」と言って良いと思ふ。

祖國愛も戀人への愛も家族への愛も、「愛するもののために自分を無にすること」が「愛」の窮極の姿である。これを「捨身無我」といふ。「捨身無我の愛」こそが日本民族にとって「最高の美」であった。

古代の「ますらを」は大いに戀愛し戀歌を歌った。神話時代や古代日本において、須佐之男命や日本武尊は、「戦ひの歌」「ますらをぶり」の歌と共に、戀愛の歌を歌はれた。須佐之男命が妻を娶られた時の喜びの歌である

「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」(多くの雲が湧く。出で立つ雲の幾重もの垣。妻ぐるみ中に籠めるやうに幾重もの垣を作る。ああその八重垣よ、といふほどの意)

は、和歌の発祥とされてゐる。天智天皇・天武天皇そして藤原鎌足も戀歌を歌はれた。記紀・萬葉の世界では、「武」「歌」「戀」の三つは一体であった。

わが國においては、やまと歌をはじめとした文芸も生活そのものもそして戦争ですら「美」を最高の価値とした。わが國の偉大なる武人・戦闘者と申して過言ではない日本武尊の物語において、最も美しい戀愛があり、そして最も高貴なる相聞歌が歌はれてゐることをわれわれ日本人は誇りとすべきである。

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千駄木庵日乗五月十四日

午前は、母のお世話。

午後一時より、西新宿の東京都議会にて、『古事記』『萬葉集』に収められた「恋歌」四首について「やまと新聞」の坂口清香記者にインタビューを受ける。テレビ放送収録のためなり。

この後、土屋たかゆき都議と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2012年5月14日 (月)

國體及び憲法問題に関する故三潴信吾先生の重要な指摘

以前、『憲法懇話會』で憲法学者の故三潴信吾先生が次のように語られました。

「憲法改正より自主憲法制定が正しい。吉田茂首相は自主憲法制定の意志があった。昭和二十八年の主権回復と共に、自由党として自主憲法制定をするとはっきり言って、自主憲法制定の組織を作るように岸信介氏に命じた。吉田茂は憲法に手を付ける意図がなかったというのは真っ赤な嘘。高柳委員會以前に自由党の憲法調査會があった。

日本の「祭政一致」が外國人にはよく分からなかったので、『祭祀は皇室の私的行事であり、國家公共機関がやってはならない』ということになった。皇祖皇宗へのお祭りは決して私事ではない。國家の行事としての祭祀である。明治のはじめに立憲政体になった時、神祇官を太政官の下に置いたのが間違い。マッカーサーからステート(國家権力機関)神道では駄目だと言われた。

憲法は祖宗の皇統・國體に基づく政体規定。天皇条項は『祖宗の皇統としての天皇』を明確にすべし。美濃部達吉氏は『天皇は政体においては一つの機関だ』と言った。國體の天皇を機関だと言ったのではない。美濃部氏は戦後『帝國憲法の第一条・第二条は変えるべきはではない』と言った。

憲法はステート(國家権力機関)の基礎法。ステートと憲法の拠って立つ基本が國體。宮中に内大臣府があり、天皇の大御心を基として質的柱が立っていた。

國會は内閣が招集し、最高裁に違憲立法審査権があるのだから、國會が國権の最高機関というのはおかしい。

エンペラーの語源は最高権力者であるから天皇をエンペラーと訳してはならない。

『現行憲法』の「上諭」において、昭和天皇は、『帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる』と示されているにもかかわらず、『前文』には『日本國民は…主権が國民にあることを宣言し、この憲法を確定する』と書かれているように、天皇が公布せしめたのに國民が確定したという嘘が最初から書いてある」と語られた。

國體及び憲法問題に関する極めて重要な指摘であります。天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體に立脚した「成文憲法」を正しく開顕すべきであります。『大日本帝国憲法』の「國體条項」は理想に近いものであったと思います。

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千駄木庵日乗五月十三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『萬葉集』講義原稿執筆・脱稿・送付。そして、明日行う『萬葉集』講義の準備など。

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2012年5月13日 (日)

やまとうたの本質

『うた』の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

高崎正秀氏は、「歌は空(ウツ)・現(ウツツ)・うつろ・うつけなどと同義で、神憑りの夢幻的な半狂乱の恍惚状態を指すことから出た語であり、同時にまた、裏・占・心(ウラ)訴(ウタ)ふなどとも同系語で、心の中の欲求を神に愁訴するものであった。」(『伊勢物語の意義』)と論じてをられる。

わが國の文藝の起源は神への祭祀における舞ひ踊りと共に歌はれた「歌」であることは、出土してきてゐる土偶によって分かるといふ。

ことばを大切にし、ことばに不可思議にして靈的な力があると信じたがゆへに、「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、歌は何よりも大切な神への捧げものとされたのである。それが祝詞となったのである。祝詞も声調・調べが整ってゐる。

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、特定の言葉を唱へることが基本的行事である。すべて言葉を唱へる行事である。祈りとは、経典や聖書、祈りの言葉そして題目や念仏も同じである。

歌をはじめとした日本文藝の起源は、神への訴へかけである。和歌は神聖な文藝であると考へられていた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源なのである。

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

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千駄木庵日乗五月十二日

午前は、母のお世話。

午後二時より、日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。石田収筑波学院大学教授が「激しさ増す中国の権力闘争」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。後日報告します。

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講演する石田収氏

帰宅後は、『大吼』誌連載中の「萬葉集」講義原稿執筆など。

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2012年5月12日 (土)

「神皇正統記」について

『神皇正統記』の中核思想は尊皇である。建武中興の思想的背景を正しく論じた書で、神話の精神に回帰して日本國が神國である事が説かれてゐる。それは冒頭に、「大日本者神國也。天祖ハジメテ基ヲヒラキ、日神ナガク統ヲ傳給フ。我國ノミ此事アリ。異朝ニハ其タグヒナシ。此故ニ神國ト云也」と示されてゐる通りである。

『神皇正統記』は、正直・慈悲・智慧といふ倫理と神話時代からのわが國の道統とを合一して國史を論じた書物である。北畠親房公は、三種の神器は正直・慈悲・智慧の三つの根本徳目を表現してゐると説かれた。

親房公は、「よそ政道と云事は…正直慈悲を本として決断の力有べきなり。これ天照太神のあきらかなる御をしへなり」と論じてゐる。

わが國の尊皇の精神と維新の道統すなはち國體精神はわが國独自の精神である。外来思想はわが國國體精神に合致する思想のみが受容された。そして、わが國體精神を説明し確認するために儒教・佛教が用いられた。「和魂漢才」とはかうしたことをいふのであらう。

親房公の目的は神話時代の精神と道統を回復し國體を明らかにすることであったが、親房公が儒教の影響も強く受けた事は確かである。徳富蘇峰氏は次の如くに論じてゐる。「『神皇正統記』を一読してもさえも、いかに彼(注・北畠親房公)が宋學の大なる感化を蒙りたるかを知ることができる。…およそ宋人ほど大義名分について、深く研究したる者はない。王覇の弁、正閏の別、すべて宋人の論議を尽して余蘊なきものである。…三種の神器論を持ち出し、南朝の正統であること宣揚したる所以のものは、宋人の論理そのものを使用したといわずんば、少なくとも宋人の精神、もしくは思索の傾向の感化を受けたることを看過することはできぬ。日本主義の宗師が支那の感化によって、その論陣を張ったということはいささか意外であるが、しかも事実はまったくその通りである。」(明治三傑)

一方、津田左右吉氏は次のやうに論じてゐる。「日本人の道徳に関する知識は概ね儒教によって指導せられて来たのである。しかし、日本人の道徳生活そのものは、古今を通じて、かういふ知識とは関係の甚だ浅いものであり、直接には殆ど影響を受けてゐない」(役行者傳説考)「我皇室が國民の血族上の宗家とする思想は、儒教の天子の観念とは全く相容れないものであるが、当時の人々は全く平気で儒教風の文字を連ねてゐた。これらは畢竟、儒教が文字上の教としてのみ取り扱はれてゐたことを示す。」(文學に現はれたる我が國民思想の研究)

親房公は、儒教思想を借用して國體を論じたのである。それだけ親房公のみならず日本人は包容力があるといふことである。儒教は學問・知識として受け容れられ、借用もされたが、儒教を宗教として受容しなかったことは、我國に孔子廟の数が、神社仏閣の数とは比較にならないほど少ない事を見ても明らかである。

日本人はまた、儒教の普遍的な倫理思想は受け容れたが、「有徳王君主思想」とそれに由来する「革命思想」は受け容れることはなかった。むしろ厳しく排斥した。日本人は包容力があったとはいへ、國體の根幹を破壊する思想はこれを受け容れなかったのである。

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千駄木庵日乗五月十一日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後からは在宅して原稿執筆・脱稿・送付。

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2012年5月11日 (金)

伴林光平の歌と維新の精神

度會(わたらひ)の宮路(みやぢ) に立てる五百枝杉(いほえすぎ) かげ踏むほどは神代 なりけり

伴林光平の歌である。伊勢参宮の時の実感を詠んだ歌である。伊勢の神宮は度會郡に鎮まりましますゆえに伊勢の参道のことを「度會の宮路」と申し上げる。「五百枝杉」とは、枝葉の茂る杉のこと。「伊勢の神宮に茂る杉の木陰を踏み行くと今がまさしく神代であると思われ、自分自身も神代の人のように思われる」というほどの意である。

「今即神代」が日本伝統信仰の根本である。伊勢の神宮に行くと今日においても誰でもこの思いを抱く。近代歌人のこれと同じ思いを歌に詠んでいる。若き日に社会主義革命思想に傾斜した土岐善麿も伊勢の神宮において「おのづから神にかよへるいにしへの人の心をまのあたり見む」と詠んでいるし、窪田空穂は「遠き世にありける我の今ここにありしと思ふ宮路を行けば」と詠んでいる。

今を神代へ帰したいという祈り即ち「いにしえを恋うる心」がそのまま現状への変革を志向するのである。しかも光平のこの歌は、それを理論理屈ではなく、日本人の美的感覚と文芸の情緒に訴えているのだ。だからこそ多くの人々に日本の道統への回帰を生き生きと自然に神ながらに促すのである。

光平は「いにしえを恋うる歌」を詠み、そうした絶対的な信念に根ざしつつ現実の変革への行動を起こした。それが文久三年(一八六三)の天誅組の義挙への参加である。同年八月十三日攘夷祈願のため大和に行幸され畝傍の神武天皇山陵に親拝される旨の勅が下った。これを好機として一部の公家や勤皇の志士たちは倒幕を決行せんとし、「天誅組」を名乗って決起した。ところが八月十八日に政変が起こって朝議が一変し、大和行幸は中止となった。決起した志士たちは逆境に陥り、壊滅させられてしまった。伴林光平は天誅組に記録方兼軍義方として参加したが、捕らえられ、元治元年二月十六日京都にて斬罪に処せられた。光平の歌でもっとも人口に膾炙している歌は、

 

君が代はいはほと共に動かねばくだけてかへれ沖つしら浪

である。京都にて斬刑に処せられる際の辞世の歌と伝えられる。死への恐怖などというものは微塵もないこれほど堂々としたこれほど盤石な精神の満ちたこれほど力強い辞世の歌は他にあるまい。

「君が代はいはほと共に動かぬ」という信念は光平の「神代即今」「今即神代」という深い信仰が基盤になっているのである。草莽の志士たる光平をはじめとした天誅組の烈士たちの熱い祈りと行動が、王政復古そして維新の原動力となったのである。

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千駄木庵日乗五月十日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。若松孝二氏(映画監督)が講演。鈴木邦男氏とトーク。質疑応答。

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帰宅後も、原稿執筆。

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2012年5月10日 (木)

日本神国思想について

日本が神国であるといふことが文献上最も早く記されているのは、『日本書紀』巻九「神功皇后の条」である。そこには、「吾聞く。東に神国有り。日本と謂ふ。亦聖王有り。天皇と謂ふ。必ず其の国の神兵也」と記されている。

次に鎌倉時代に現わされた『神道五部書(しんとうごうぶしょ)』(伊勢神道・度会神道の根本経典)一つである『倭姫命世記』(伊勢外宮の神官の渡会行忠(わたらいゆきただ)の撰。天地開闢から、皇大神宮の各地御還幸、雄略天皇の代の外宮鎮座に至る詳細を記す)に「吾聞く。大日本は神国なり。神明の加護に依りて、国家の安全を得る。」と書かれている。

こうした神国思想は、その後、文永・弘安の元寇という一大国家危機によって全国民的に燃え盛った。

そして北畠親房公の『神皇正統記』に巻頭に「大日本(おほやまと)者(は)神国(かみのくに)他。天祖(あまつみおや)はじめて基(もとゐ)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統(とう)を伝(つた)へ給ふ。我(わが)国のみ此事あり。異朝(いてう)には其たぐひなし。此故に神国(かみのくに)と云(い)ふ也。神代(かみよ)には豊葦原千五百秋瑞穂(とよあしはらのちいほのあきのみづほの)国と云(い)ふ。天地開闢(てんちかいびやく)の初(はじめ)より此名(な)あり。天祖(あまつみおや)国常立尊(くにのとこたちのみこと)、陽神陰神(をがみめがみ)にさづけ給し勅(みことのり)にきこえたり。」と記されている。

北畠親房は『古事記』及び『日本書紀』冒頭の天地生成の神話まで遡って日本国が神国であることを論じた。また、日本が神国であるということは、日本国は神が護り給う国であるという事だけではなく、天つ神の生みの御子・現御神であらせられる日本天皇が統治したもう国であるということを明確に記している。

日本国は国家的危機に陥った時に、「神国思想」が燃え上がり、危機を打開して来た。そして神国思想は長く日本の道統として今日に至るまで伝えられてきている。従って、わが国の憲法には、日本国は神国であり、天皇の統治される国であるということが明確に書かれていなければならない。

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千駄木庵日乗五月九日

午前は、母のお世話。

午後三時より、衆議院第一議員会館にて、安倍晋三元総理にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、「萬葉古代史研究会」開催。額田王の歌などを講義。質疑応答。

帰途、参加者の方と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。『伝統と革新』編集の仕事。

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2012年5月 9日 (水)

「萬葉古代史研究會」のお知らせ

萬葉古代史研究會 

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。
 

日時 五月九日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)下巻。

初参加の方はテキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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中河与一氏の文明論の先見性

中河与一氏は、「我々は一日も早く新しい生命をとりかえさなければならない。そのためには古典を回復し、それが教えている道統によって近代文明を批判しつつ、新しい文明を築かねばならない。…東洋人としての汎神論的思考方法、合理主義以上のものの存在を自覚することによって、ヨーロッパの二の舞を味わってはならない。日本人は八百万の神々と言った。すべてのものの中に神を見る精神を失って、ただ人間中心の思いあがった思想に生き、自然を破壊していると、人間は必ずその復讐を自然から受けねばならない」と論じた。

これは昭和四十七年刊行の『森林公園』という著書の中の文章である。今から約四十年前の文章である。大変な先見の明と言わねばならない。

最近は、異常な自然現象が起こり、人間生活が脅かされ続けている。自然を作り替え、利用し、破壊してきた人間が、自然から復讐を受けているように思われてならない。『古事記』『萬葉集』『日本書紀』という日本の古典に示されている自然を神として拜ろがむ精神の回復が今日の危機を打開する。科学技術文明至上主義・西洋合理主義を反省することと、神話の世界への回帰こそが、今、一番大切である。

荒ぶる自然の神々を鎮魂し、言向けや和すには、神話の精神・祭祀の心を復興することが第一である。神話と現実を切り離して考えることは間違いである。今即神代、「高天原を地上へを」実現すべきである。

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千駄木庵日乗五月八日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、明日のインタビュー及び『萬葉古代史研究会』における講義の準備、原稿執筆など。

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2012年5月 8日 (火)

『国家』について

かなり前から「國民」という言葉を使わず「市民」という言葉がよく使われるようになった。「市民」という言葉の根底には、國家と國民とが対立する関係にあるという思想がある。そういう思想を抱いている人は、「國民」という言葉は読んで字の如く「國の民」という意味であり國家の束縛を受けるように感じられるから使いたくないのであろう。

國家の束縛を嫌い、國家と國民とは対立すると考えている人の言う「國家」とは權力機構・支配機構のことである。國家の中には階級対立があり、國家主權と國民の人權及び自由とは矛盾し合い、國家權力と國民とは対立し戦わねばならないとする。そしてできるだけ國家權力は制限すべきであるとする。

こうした國家觀の延長線上に、マルクス・レーニン主義・共産主義の國家觀がある。共産主義者は、「權力國家」はいずれ死滅し、やがて自由で平等な理想社会を作るなどと主張した。しかし、現実には、かつてのソ連や現在の共産中國を見ても分かるように、共産主義者が國家權力を掌握した國家ほど國家權力が不断に増大し強大になり、國民の權利を蹂躙し自由を束縛している。それどころか、旧ソ連でも共産中國でも何千万という人々が共産党國家權力によって殺戮された。

人民の權利を主張し國家を敵視する共産主義思想が、かえって國家權力の暴虐を招いたのである。さらに面白いことにもソ連という専制国家が消滅した後、同じ地域に数多くの国家が出現した。国歌は死滅するなどというは空想なのだ。歴史の皮肉というほかはない。なぜそういうことになったのか。それは西洋的な國家觀・國民觀に誤りがあるからである。とりわけ、國家を國民と対立する權力機構としてとらえ、國家が死滅することによって人間の自由・平等・幸福が実現するなどという思想は空理空論であり、根本的に誤っている。

人間は、よほど特殊の場合を除いて、たった一人では生きるなどということはあり得ないし、不可能である。人間は、多くの人々が助け合い、いたわり合ってこそ生きて行ける。つまり人は、人間関係の中にあってこそ、人として生きて行けるのである。

多くの人々が助け合って生きている場を共同體という。そうした有機的生命體としての共同體が成長発展したものが國家である。國家があってこそ人間は生きて行けるのである。人間がこの世に生きている以上共同體國家はなくてはならない存在である。

個人の自由や幸福はできるだけ実現されなければならないが、人間は、道義を重んじ、他者を愛しいたわり、他者と協力する心があると共に、道義を忘れ、他者を憎み迫害し、他者と競争する心があるので、しばしば他人の自由や幸福と衝突する。その場合各自の自由や權利そして幸福の追求を調整しなければならない。その役目を果たすのが國家なのである。

 

國家は、國民の道義心を基本として、國民同士の愛と信頼と協力を促進せしめる役割を果たすと共に、國民の道義心の忘却による、憎悪と不信と闘争を抑止する役割を担う。個の尊重とか人間の權利とか自由というものも、共同體國家の中においてこそ守られるのである。

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千駄木庵日乗五月七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、原稿執筆。

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2012年5月 7日 (月)

日本こそ「強盛国家」にならねばならない

笹川洋平氏が氏の『ブログ』で「アメリカ外交の基本姿勢は自由・平等・人権・民主主義を掲げ、強きを挫き弱きを助けるのが基本であった。しかし近年のアメリカ外交は、強きを助け弱きを挫く外交になっているのではと、外交半可通の筆者には思えてならない。隣の大国やロシアに対しての人権外交は全く影を秘め、ミャンマーやスリランカのような貧しい途上国には猛々しい。」と書いてゐる。

まことにその通りである。ロシアに対してばかりではなく、支那や北朝鮮に対しても弱腰である。北朝鮮に対して早い段階で「北爆」をしていればよかったのである。

日本は「豊かな先進国」なのであろうが、「弱国」となっているではないか。北朝鮮ではないが日本こそ『強盛国家』にならねばならない。

ベトナム・イスラエル・北朝鮮は大国ではないが、それなりの力を持ち、支那やロシアやアメリカの言いなりにならない。日本はこの点は見習わねばならない。支那・ロシア・アメリカの言いなりにならない国にならねばならない。

付け加えて言えば、アメリカという国は、先住民や黒人奴隷の人権どころか人命の犠牲の上に成り立った国なのである。何が先進民主主義国家だ。チャンチャラおかしい。こんなことを書くと、共産支那を利することになるのだろうか?。

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わが国も「中国」であり、支那は支那である

マスコミ・出版界では支那という呼称は禁句であるそうだ。ところが、なぜ支那が蔑称となるのか納得のいく説明はない。というよりもできないのだ。支那が蔑称であるのなら、支那ソバ・東シナ海・インドシナ半島という呼称も蔑称になる。

 支那という呼称をわが国およびわが国民が用いたとて支那及び支那人を蔑視したことにはならない。そもそも何処の国もそして国連などの国際機関も支那のことを支那(China)と呼称している。

 支那とは、秦帝国(始皇帝が周および六国を滅ぼして天下を統一した王朝)の「秦(シン)」の音変化に由来し、サンスクリット語の仏典を漢訳した時から漢字では支那と書くようになった。以来、支那人自身が用いてきた言葉である。だから諸外国も支那と呼称するようになり、英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などでも支那と呼んでいる。英語ではChina(チャイナ)と呼称した。支那は歴史的名称であり、わが国も支那と呼称するようになったのである。何故にわが国民が支那を支那と呼称すると差別・蔑視になるのか。

 わが国は古代より「日本」が国号である。ところが、支那は「五千年の伝統」などと威張ってはいるが、革命が繰り返されて、一つの王朝が継続してこなかった。したがって一つの国号が続かなかった。すぐ思い浮かぶだけでも隋・唐・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国と実に多く国名が変わった。こんなに国名が変化しているのにわが国に対して「中国と呼ばなければ駄目だ」などと指図する資格はない。

 わが国には「葦原中国(あしはらなかつくに)」という国号がある。またわが国の朝廷の御事を「中朝」と申し上げる。江戸前期の儒学者・山鹿素行が赤穂配流中に著した國史書は『中朝事実』という。「中朝」とはわが日本のことである。つまり、わが日本国も「中国」なのである。

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根津美術館の『KORIN展』参観も庭園散策

今日参観した『KORIN展』は、「根津美術館の国宝『燕子花図屏風』と、ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵される『八橋図屏風』は、尾形光琳が同じテーマを、同じ六曲一双屏風に、10数年の時をおいて描いた作品です。本展では、いまは遠く海をへだてた2点の作品を、およそ100年ぶりに一堂に展観。光琳画の軌跡を目の当たりにできる待望の展覧会です。あわせて、最初期の作品から、酒井抱一編『光琳百図』所載作品まで、光琳画の諸相をご覧いただきます」(案内書)との趣旨で開催された。

尾形光琳の『燕子花図屏風』『八橋図屏風』『十二ヶ月歌意図屏風』『伊勢物語八橋図』『白楽天図屏風』、そして酒井抱一編『光琳百図後編(部分)』などを参観。 

メトロポリタン美術館に所蔵される『八橋図屏風』の方が、根津美術館に所蔵される『燕子花図屏風』よりも明るく生き生きとしているように感じた。『白楽天図屏風』は、謡曲「白楽天」を題材にした絵で、唐の詩人白楽天が日本海上で一人の老漁夫(実は和歌の神、住吉明神)と遭遇し和歌と漢詩とどちらが勝るかという競争をする。住吉明神は神風を起こして、白楽天の船を唐土に吹き帰してしまうという筋だそうで、

この絵は海上における論争の最中を描いたもの。この謡曲が何時つくられたのか分からないが、日本人の支那に対する対抗意識というか、支那文化を学んでも、支那に呑みこまれないぞという気概を感じさせる。

同時に開催されていた『仏教彫刻の魅力』『古代中国の青銅器』『きらめく螺鈾』展を参観。

この後、庭園を散策。新緑が実に美しかった。都心の青山に広大に土地に鬱蒼と茂る森、池、そして茶室などを経巡る。東武鉄道創業者・根津嘉一郎氏の邸宅跡である。美術館根収蔵品も、根津氏のコレクションが柱になっている。最近は、母の世話などがあり、泊りがけの旅行が出来ないので、都内の美術館などの参観、庭園の散策を楽しんでいる。

庭園の写真です

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千駄木庵日乗五月六日

午前は、母のお世話。

午後は、南青山の根津美術館で開催中の『KORIN展』参観。そして庭園を散策。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

今、河野司氏著『天皇と二・二六事件』を読んでいます。ずいぶん前に購入したのですか、今日まで読むことができませんでした。決起した青年将校とその家族の心情を思い、久しぶりに本を読んで涙が出るという経験をしました。

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2012年5月 6日 (日)

維新とは、神代への回帰である

維新とは、霊の復活である。神代への回帰である。明治維新が神武創業への回帰であった。現代維新は神代の回帰であるべきである。天孫降臨に回帰しなければならない。それは「神勅」の実現であり、神の復活であり、神話の再興である。今即神代の実現であり、高天原を地上への実現である。

神代への回帰こそ最高の理想である。天津日嗣日本天皇の実相顕現であり、神国日本・神の子人間の実相顕現である。天の岩戸開きである。

かかる考へ方は、神がかりであり、情緒的であり、観念的であるとの批判もあらうが、体制変革の根本に神への回帰が無ければ、砂上の楼閣である。いくら国家機構を変革し法律や権力機構を更新しても、様々な悪しき事象が無くならないことは現実と歴史が証明している。『大日本帝国憲法』といふ國體精神に則った理想的な憲法があっても、維新変革が必要だったのである。法律や制度を整えへるだけでは真の維新は成就しない。

他国は知らず。わが国においては、国家変革即ち維新と信仰精神・神話の精神は不離一体である。大化の改新、建武中興、明治維新において、神国思想・國體信仰がその中核にあった。昭和維新運動も然りである。政治制度の変革の根底に信仰精神が無ければならない。それは、日本伝統信仰である。そしてその祭祀主が天皇であらせられる。

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千駄木庵日乗五月五日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年5月 5日 (土)

『新しい憲法をつくる国民大会』における登壇者の発言

『第四三回・新しい憲法をつくる国民大会』における登壇者の発言。

清原淳平新しい憲法をつくる国民会議会長「現行憲法には改正すべき点が多々ある。形式的にもおかしい。法律用語の誤りが二十八か所ある。当国民会議の『日本憲法第三次案』では、『①天皇は、日本国の元首である。②天皇は、対外的に日本国及び日本国民を代表するとともに、日本国の伝統、文化、及び国民統合の象徴である』『皇位の継承に際しては元号を定める』とした。また、天皇の『国事行為』は、内閣の助言を受けることとし承認は外した。『天皇の準国事行為』を定めた。私的行為には国の予算は使えない。権利と義務は楯の両面。『義務』という言葉はお上から押し付けられるというイメージを持つ。個人が積極的に働きかける心を込めて『責務』という言葉にした。当国民会議は一院制を主張した最初の団体。」

高乗正臣平成国際大学教授「当国民会議の『第三次案』は国柄を明確に規定している。自分の手で憲法をつくることを明示。一院制と憲法裁判所を明示。国家緊急権と自衛権を明示。独立、自存、家族尊重、地球環境保全を格調高く明示。公益を重視しないかぎり現代国家は発展しない。わが国柄の本質に立脚し、いかなる憲法が必要であるかを静かに考えるべし。その意味で、『第三次憲法案』は高く評価できる」。

桜内文城参院議員「現行憲法は国際法上有効性を問われる。『前文』は詫び証文。我が国を取り巻く対外環境は『前文』に書かれているような状況ではない。統治システムの在り方を見直すべし。『人権』という言葉が独り歩きしている。誤った『人権』を主張する人がいる。『人権』とは国家からの自由権。自由を守るために国家を縛るのが人権。受託者責任を政府が負う。憲法改正手続きを簡略化すべし。政党交付金がどう使われているか分からない。政党が解散するとその金が何処へ行ったか分からない。『首相公選制』『道州制』を取り入れ、国防軍を設置し、集団的自衛権を含めて自衛権を明記する。竹島が占拠されているのに自衛権を行使しないのでは意味がない。自主・自衛の国家をつくるのが我々の使命」。

中川雅治参院議員「昭和二十年九月二日から昭和二十七年四月二十八日まで占領軍の統治下にあった。現憲法は『一国平和主義』『行き過ぎた個人主義』など様々な問題がある。国際環境、時代の要請にこたえていない。昨年十月衆参両院に憲法審査会が設置された。現憲法の『前文』は他力本願。自民党の『新憲法草案』には、天皇を『日本国の元首』と規定、国旗・国歌への尊重義務を設け、九条に総理大臣を最高指揮官とする『国防軍』を持つと明記し、家族尊重の規定を入れた。『一院制は政府がやりたい放題になる。チェック機能が必要』という意見が参議院には多い。国家緊急権に関する規定を設けた」。

中津川博郷衆院議員「保守が政党を超えて一つになり憲法を改正すべし。主権が無かった時、主権の発動たる憲法制定が出来るのか。現憲法の『前文』には異様さを感じる。北朝鮮や中国に『公正と信義』があるのか。信頼できるわけがない。恥ずかしい文言。『前文』には日本らしさを前面に出すべし。皇紀二六七二年の歴史・伝統・文化・倫理観を『前文』に書くべきだ。また自然と調和して暮らす心、家庭を整え、国を大切にする心、『十七条憲法』の精神を『前文』に書くべし。現憲法を『平和憲法』と言うのは全く嘘。『九条の会』は時代遅れ。トンチンカン。北朝鮮の拉致問題を誘発した考え。護憲を唱える政党は拉致をでっち上げと言った。拉致はテロだ。日本はテロに遭ったのである。口先だけで平和を唱える政党が日本を危険にさらす。田中美知太郎は『憲法に平和と書けば平和になると言うのは、台風は来るなと憲法に書けば台風が来ないと言うのと同じ』と言った。日本は軍を持つべし。國という字は、口は国民、一は国土、戈は軍事力、囗は国境。軍事力は平和を守るもの。現行憲法には非常事態規定がない。東日本大震災では、台湾から二五〇憶円の義捐金が来た。アメリカは二〇〇億円。中国は三億、韓国は一億。台湾は親日国家。平時に非常時に備えるのが政治。私のような考えの議員は、民主党内の百人はいる。しかし、執行部には入れない」。

下村博文衆院議員「ほぼ対等な二院制は日本とアメリカのみ。決められない政治はシステムに問題あり。民主党政権が倒れても、自民党が確実に政権に復帰するとは言えない。ねじれ現象は簡単には解消できない。一年ごとに首相が交代し、法案も通らない。日本はますます衰退する。私と中津川氏は考え方が同じなのに別の政党。議員数を三割削減し、中大選挙区制にして、多様性のある議会にして政界再編する。そうすれば一院制でも全体主義にはならない。『天皇は元首』と憲法に明記すべし。三・一一以後、国民意識が醸成された。緊急事態規定を加憲する。これ一点を以て改憲する。三分の二条項も変えて二分の一にする。その上で、本当の独立国家として自分の憲法をつくる」。

平沢勝栄衆院議員「私が岡山県警本部長の時、国際連合平和維持活動(PKO)の一環として、カンボジアへ派遣された高田晴行・岡山県警警部補がポルポト派に殺された。彼らは何の武器も装備も持たずに配置された。オランダ軍に守ってもらっていた。ポルポト派が襲ってきたらオランダ軍は逃げた。襲われた高田警部補は炎天下、一時間放置されたため死亡した。高田君は憲法が障害になって防弾チョッキを着て行けなかった。中国の李鵬は、『日本は家族を思う心、地域を思う心、国を思う心が無くなっているので、二十年経ったら日本という国は亡くなっている』と言った。緊急事態になったら国民の私権制限があるのは当たり前。菅のようなトンチンカンが人災を拡大した。そのことを検証して責任を追及すべし。国歌国旗に反対する連中は、『国家があるから戦争が起こる。国家は無い方が良い』と言う。国家が無くなったら世界は一つになり平和になるのか。ソ連が崩壊したら多くの国が出来た」。

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千駄木庵日乗五月四日

午前は、母のお世話。

午後一時より、春日の文京区民センターにて、『台湾研究フォーラム』開催。黄文雄氏が講演。120504_131701

講演する黄文雄氏

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理。

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2012年5月 4日 (金)

永井荷風の皇室及び憲法論

五月三日は『憲法記念日』である。小生はとてもこの日を祝日として心からお祝ひする気にはなれない。亡國の日・屈辱の日と認識し、一日も早く自主憲法を制定しなければならないと決意を新たにする。『日本國憲法』といふ名の占領憲法は、昭和二十二年五月三日に施行された。この日の永井荷風の日記『断腸亭日乗』には、「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふべし。」と記されてゐる。

大正十五年十二月十四日の『斷腸亭日乗』には「夜銀座に徃くに號外賣頻に街上を走るを見る。聖上崩御の時近きを報ずるものなるべし。頃日新聞紙朝夕陛下の病况を報道すること精細を極む。日々飲食物の分量及排泄物の如何を記述して毫も憚る所なし。是明治天皇崩御の時より始まりし事なり。當時國内の新聞紙は其筋の許可を得て、明治帝は尿毒症に冒されたまひ、龍顔變して紫黒色となれりといひ、又シャイネストック云々の如き醫學上の專門語を交へて絶命の狀を記したりき。世人は此等の記事を讀みて徒に其の報道の精細なるを喜びしものゝ如し。然れども余をして言はしむれば、是國家の一大事にして、我國古來の傳説は此時全く破棄せられしものなり。我國の天子は生ける時より神の如く尊崇せられしものなりしに、尿毒に冒されて死するか如き事實を公表するは、君主に對する詩的妄想の美感を傷ること甚しきものと謂ふべし。古來支那人が偉人英雄の死を記録するや、仙人と化して其の行く處を知らずとなせしもの寔に故ありと謂ふべきなり。今の世に於て我國天子の崩御を國民に知らしむるに當つて、飲食糞尿の如何を公表するの必要ありや。車夫下女の輩號外を購ひ來って喋喋喃喃、天子の病狀を口にするに至っては冒瀆の罪之より大なるはなし。」(『断腸亭日乗』大正十五年・十二月十三日)

昭和聖帝陛下御不例の時も、医事法違反とも思はれる「御病状報道」をマスコミが繰り返した。マスコミが「知る権利」などと称して、聖上陛下の御病状を事細かに毎日毎日報道したことは、天皇の尊厳性に対する重大なる冒瀆であり、神聖性破壊の策謀であったとさへ思へるのである。

また「皇位継承」といふ神聖にして侵すべからざることについて、西洋伝来の生物学の「染色体論」や「種・畑論」で喋喋喃喃することはまさに「天皇の神聖性」への冒瀆ではあるまいか。

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千駄木庵日乗五月三日

午前は、母のお世話。

午後一時より、四谷区民ホールにて、『第四三回・新しい憲法をつくる国民大会』開催。内容は後日報告します。

帰途、日本橋にて、知人と懇談。

帰宅後は、『月刊日本』連載中の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。

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2012年5月 3日 (木)

日本國體と成文憲法

憲法を論じるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範」ということである。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』といふ法治主義を確立した、とされる。「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」という考え方である。これが西洋成文憲法の根底にある思想である。

しかし、日本天皇の国家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

日本国は信仰共同体であり国民が契約を結んで人工的に作った国ではない。そして祭祀主である天皇は国民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。これが日本肇国以来の国柄であり國體である。

近代日本の成文憲法即ち『大日本帝国憲法』は肇国以来の日本の国柄即ち日本國體を成文化したものである。

西洋憲法思想では、前述したように、憲法は権力に対する制限規範であるされ、権力は放っておくと濫用されるので為政者の手を縛る必要から成文憲法が必要であるとされる。このような性格を持つ成文憲法に、神話時代に発生したといふ悠久の歴史を有する日本国体を規定すること自体不自然なことなのである。

つまり、日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れないのである。

わが日本は国家の本質と君主たる天皇の御本質が建国以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律論的に言えば、不文法によって定まっているということである。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立国の基本)に反する規定をしてはならない。西洋から輸入した近代法思想に基づく成文憲法によって立国の基本即ち日本國體を覆したり破壊してはならない。

 換言すると、天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國體は、成文憲法などの世俗的な法律を超越しており、成文憲法などの権力機関で制定された法律は、國體及び皇室にかかわることに干渉することはできないのである。

日本天皇が日本国の君主・統治者であらせられるのは、日本の伝統信仰・歴史的な国体観念に基づくのであって、憲法に規定されているから天皇が君主であらせられるのではない。

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この頃詠みし歌

閉ざされし門前に立つ夕つ方 枝垂桜は散り果てにけり

花びらを踏みつつ歩む夕つ方 春の季節は早く去り行く

風雨去りし後の川面に散り行きし桜の花びら流れて止まず

八百萬の神々ゐます日の本の明るき天地に生くる喜び

天つ神国つ神にぞ祈りつつわが人生を歩み行かむか

故郷は遠くにはなし今生きる千駄木の地こそわが故郷ぞ

顔を上げれば高速道路が見ゆるなり都会の無機質厭ふ夕暮

春の雨に濡れつつ歩む夕つ方悔恨のこころ身に秘めにつつ

テレビを見つつ無邪気に喜ぶわが母よ永久に生きませと切に祈るも

上野山南洲像を仰ぎつつ国難打開の祈り捧げむ(西郷南洲像清洗式)

春の雨降り来りける上野山南洲像を仰ぎ見るかな()

義を尽くし正道を踏めとの大西郷遺訓よみがへる国難の時()

辞書を引くこともあまりなくなりてパソコンの便利さに頼る日日(にちにち)

道端に一羽の鳩がヒョコヒョコと歩きゐるなり命尊し

工事中の噴水の横を通りたり世の中は常に変はり行くなり

父逝きしさみしさは消すすべもなし病院通ひの日々懐かしき

新緑の銀杏並木は瑞々し靖國の宮の春は過ぎ行く

新しき石鹸で顔を洗ひたり一人居の部屋の夜は静けし

色とりどりの傘をさしつつ幼らが列をつくりて学び舎に向ふ

生あるうちにやりたきことは数多(あまた)あり あと四十年は生きねばならぬ

川の音の聞こえ来る部屋に友どちと語り合ひたる旅懐かしき

雪深き村より仰ぎし岩木山 昨日の如くに目に浮かび来る

夕闇の迫り来るなる九段坂 大鳥居は静かに屹立しゐる

亡き人のひたすらの文章読みにつつその温顔を思ひ出しをり(長谷川幸男先生の遺稿を拝読して)

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千駄木庵日乗五月二日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、ある公共機関に赴き、諸手続。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2012年5月 2日 (水)

天皇がしろしめしたまふ日本國は永遠に不滅である

天皇の統治大権とは、権力や武力による支配ではなく、祭祀と一體のものであり、天皇が神聖な信仰的権威によって統率し統一することである。

日本國の素晴らしさは、古代に生成した天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家が今日に至るまで解體したり断絶したりすることなく今日まで連綿として続いていることである。わが國は神話の時代のままに、高天原から天降られた天照大御神の「生みの御子」の使命を現身の形でそのまま受け継がれる天皇を現實に日本國の元首・君主と仰いでいることである。 

 日本を立て直し國家を正しく保つためには、信仰共同體の祭祀主たる天皇の神聖権威を正しく回復しなければならない。

 吉田松陰先生は、「安政の大獄」で処刑される直前、同囚の堀江克之助に与へた手紙の中で「天照の神勅に、『日嗣の隆えまさむこと、天壌と窮りなかるべし』と之あり候所、神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずあるなり。唯今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と書かれた。

 処刑の直前といふ絶望的状況にあっても、なほ、日本國體に対する絶対的信を保持せられた松陰先生に対し無上の尊敬の念を抱く。

 今日、日本はまさに危機に瀕してゐる。しかし、神は必ず日本國と日本皇室を守り給ふ。『天壌無窮の神勅』に示されてゐるやうに、天照大御神の「生みの御子」であらせられる日本天皇がしろしめすわが日本國は永遠に不滅である。されば、現御神日本天皇の大御心を体し、日本伝統精神に回帰することによって、いかなる危機もこれを乗り切り、神國日本の真姿が回復すると確信する。

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『毛利家の至宝-大名文化の精粋』参観記

四月三十日に参観した『毛利家の至宝-大名文化の精粋』(サントリー美術館)は、「毛利家ゆかりの宝物の中から、毛利家の基本史料である文書類や、肖像画、甲冑武具、調度類、華麗な能装束、茶道具を中心に、かつて毛利家に伝来した貴重な作品も併せて、絵画・工芸の名品を一堂に展示します。…毛利元就(1497-1571)や毛利輝元(1553-1625)に代表される毛利家の歴史を辿りつつ、そのゆかりの美術作品を通して、江戸時代の大名がはぐくんだ文化の精粋をご堪能いただければ幸いです」との趣旨で開催された。

毛利元就が用いたと伝えられる刀剣、鎧、法螺貝、元就や毛利輝元などの書状・甲冑武具・肖像画・毛利家文書、国宝『四季山水図(山水長巻)』(雪舟等楊筆)、国宝『古今和歌集 巻八(高野切)』、能面、能衣装、茶道具、雛道具、『江戸麻布邸遠望図』(谷文二筆)などが展示されていた。

戦国武将の雄として名を馳せた毛利元就の事績はあまり知らなかったが、中国地方の殆どを制圧し、瀬戸内海の水軍を支配下に置き、大きな力を有していたことが分かった。関ヶ原の合戦で西軍の総大将という立場に立ったため、領地を大幅に減らされた時の『徳川家康起請文』『井伊直政・本田忠勝連署の起請文』(神仏への誓いを記した文書)には、沢山の神様の名が書き連ねられ、天地神明に誓って領地を安堵すると書かれていた。豊臣政権下ではほぼ同格であった德川氏に領地を奪われたことはさぞ悔しかったであろう。

毛利家に限らず大名・武家階級は、皇室のみやびの伝統に対する憧れが強かった。平和な時代になると、和歌・能・茶道などをたしなむようになり、雛人形を飾った。そして次第に貴族化していくようである。それは徳川氏も前田氏も同じである。

サントリー美術館のある「東京ミッドタウン」建設地は、旧防衛庁跡地であるが、江戸時代は、長州藩毛利家の下屋敷があった所であることが分かった。幕末の長州征伐の時に、幕府によって没収された。しかし、明治維新で、薩摩と長州が大きな貢献をしたので、維新後は薩長藩閥政治と言われるまでに大きな力を持った。考えてみれば、戊辰戦争は、関ヶ原の合戦の報復という見方も出来なくはない。

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千駄木庵日乗五月一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後七時より、新九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。統帥権のことなどを討論。

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たそがれ時の靖国神社大鳥居

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年5月 1日 (火)

『先哲に学ぶ会』における但野正弘氏の講演内容・その二

島原の乱の時、鍋島勝茂が島原城制圧で軍律に違反したとして処分されようとした時、頼房は徳川家光に『法を盾にして処分したら命をかけて幕府を守るものがいなくなる』と苦言を呈した。家光は処分をしなかった。

頼房は敬神尊皇の心を持っていた。乳母(めのと)だった武佐(後陽成天皇の女御中和門院前子の女官)の影響がある。また、頼房は四回上洛し、禁裏への敬慕意識を醸成した。寛永三年には長期間京に滞在。後水尾天皇の二条城行幸に砌、和歌の詠進が行われ、頼房が詠んだ『いく千代を かさねても 猶呉竹の かはらぬ風を 誰かたのまん』が一等の御撰となった。

寛永五年頃から水戸那珂川の初鮭一番鮭を禁裏に献上した。これは昭和の初めまで続けられた。頼房は京都吉田家の萩原兼従から唯一神道の伝授を受けた。幕府との関係意識においては、水戸家は徳川将軍家の親戚であって、将軍の家来ではないとの意識があった。

頼房は、自分の病状が重態になった時、世子・徳川光圀に殉死を止めるよう遺言した。このことを見習って四代将軍・徳川家綱は殉死禁止令を出した。

徳川光圀には二人の兄がいた。光圀は若い頃、青年の自由奔放な行動をした。正保二年、十八歳の時、『史記・伯夷伝』を読み、感動・反省そして実践。水戸の心が育まれる。歴史の価値・学問の重要さを認識し、『大日本史』の編纂を行なう」。

           ○

徳川家康・秀次・家光の三人は、朝廷尊崇の心はそれほど強くなかったと思われる。徳川将軍家の権威づけと德川幕府の全国支配の正当化のために、天皇・朝廷の権威を利用したが、天皇・朝廷を京都に事実上軟禁状態に置き奉った。また『禁中並びに公家諸法度』を作るなど、様々な手段を用いて、天皇・朝廷を圧迫し奉った。戦国時代を終焉させ、長い平和の時代を作った功績は認めるとしても、こうしたことは許すべからざることである。

そういう德川一門それも御三家たる水戸藩に尊皇思想が生まれ、継承され、やがて明治維新の基本思想となったことは不思議な事実である。もっとも、水戸藩に限らず、尾張藩の尊皇の伝統を継承しているし、幕閣の中にも徳川綱吉や松平定信など尊皇精神の篤い人もいた。

ともかく、水戸学が明治維新の大きな原動力の一つであったことは確かである。その水戸藩が幕末において凄惨な内部紛争が起こり、維新後の新体制に参画できなかったことは悲劇であった。

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『先哲に学ぶ会』における但野正弘氏の講演内容・その一

『第一回・先哲に学ぶ会』(

日本学協会主催)の「開会の辞」で永江太郎同協会常務理事は「現在をどうするかを考える場合、明治維新を学ばねばならない。そのためには水戸学とは何かを知らねばならない」と語った。

但野正弘植草学園短期大学名誉教授(水戸史学会理事)

「継承された水戸の心」と題して次のように語った。

「水戸藩は幕末において大変な混乱に陥った。安政の大獄、桜田門外の変、坂下門外の変、筑波山の挙兵があった。武田耕雲斎は徳川慶喜に志を訴えるべく大子を出発、京に向った。幕府討伐軍軍艦田沼玄番頭意尊により三百五十二名が斬首された。また、弘道館戦争などもあった。維新後中央に登用されたものは少ない。水戸自身うちひしがれた。維新に恨みはあっても喜びは無く、水戸人は自信を失った。

十代藩主・徳川慶篤は明治元年に死去。慶喜の命で、パリ万博に行っていた徳川昭武が呼び戻され、第十一代藩主となる。その時お伴をしたのが渋沢栄一。

水戸に心を痛められた明治天皇は、明治八年、水戸藩下屋敷の小梅邸(言問橋の東・現在は隅田公園になっている)に行幸された。福羽美静・大久保利通も随行した。明治天皇は、花見を楽しまれ、お昼を召し上がった。その時、開けたことがない手文庫を開けられた。中から徳川斉昭が老中に宛てた手紙があった。それは、『外国と貿易をするのなら、出貿易にせよ。私を欧米に派遣してほしい』という文書だった。これは堀田正睦が拒否した。斉昭や藤田東湖が欧米に行っていたら歴史は変わった。斉昭は、『攘夷の主張を変えることは出来ぬが、開国は必要』と松平春嶽に話している。

明治天皇は感銘を深くされ、五月十五日、『花くはし櫻はあれと此やとの世々のこゝろを我はとひけり』という御製と、『朕親臨シテ光圀斉昭等ノ遺書ヲ観テ其功業ヲ思フ 汝昭武遺志ヲ継キ其能ク益勉励セヨ』との勅語を賜った。

御製に示された『世々のこゝろを』を尋ねることが水戸学の根本。水戸学は『大日本史』編纂によって究明され、幕末の危機によって深められた学問。

初代藩主・德川頼房公は、関ヶ原の合戦の三年後に徳川家康の十一番目の男子として生まれた。七歳で水戸城主となった。水戸は東北ではなく、東海道の一番北の外れに位置する。その北には東北雄藩があり、水戸は江戸を守るために重要なところだった。

それまでは常陸五十四万五千八百石は佐竹氏の領地だったが、関ヶ原の合戦では、会津攻略を命ぜられたが、石田三成と密約があったので動かなかった。そのため秋田に国替えとなった。そして家康は七歳の末子・頼房に二十八万石を与えた。

頼房は武将として豪快な性格であった。駿府城で家康から肝試しをされ、『天守閣から飛び降りるものはいないか』と言われ、『鶴千代(頼房の幼名)が飛びます。ただしご褒美として天下を下さい』と言った。家康が『飛び降りたら死ぬぞ』と言ったら、頼房は『死んでも天下を取ったという記録は残ります』と答えた。家康は德川秀忠に『頼房を大事にして守り刀と思え。ただし抜くな。抜くと自分が斬られる恐れがある』と言った。

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千駄木庵日乗四月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、赤坂のサントリー美術館で開催中の『毛利家の至宝ー大名文化の精粋』参観。後日報告します。

帰宅後は、原稿執筆など。

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