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2012年3月 1日 (木)

「古筆手鑑―国宝『見努世友』と『藻塩草』展」参観

今日参観した「古筆手鑑―国宝『見努世友』と『藻塩草』展」は、「『古筆』とはおおよそ近世までに書写された写本類の総称です。書写内容には、経典や文書も含まれますが、古筆の大部分をしめるのは歌集等の仮名書の多い写本です。特に平安~鎌倉時代に書写された写本は仮名書や料紙が美しいことで知られています。

近世に入るころ、武士や町人という新興の鑑賞者層の増加と、美しい写本であれば、その一部分でも所有して鑑賞したいという願望にともなって、古筆は断簡に分割され始めます。この断簡を『古筆切(こひつぎれ)』といいます。江戸時代には古筆切を収納・鑑賞するためのアルバムとして、『古筆手鑑(こひつてかがみ)』が発達しました。手鑑の『手』は筆跡、『鑑』には手本・見本の意味があり、手鑑とはすなわち筆跡の見本帖です。

本展では、江戸時代に古筆の鑑定を専門職とした古筆家制作による、鑑定の規範ともいえる国宝の古筆手鑑、『見努世友(みぬよのとも)』(出光美術館蔵)と『藻塩草(もしおぐさ)』(京都国立博物館蔵)を初めて同時に展示いたします。…各時代の古筆を心ゆくまで味わっていただきたいと思います。」(案内書)との趣旨で開催された。

「国宝 古筆手鑑 『見努世友』」「国宝 古筆手鑑 『藻塩草』」「重要文化財 継色紙『むめのかの』 伝小野道風筆 平安時代 」「重要文化財 古筆手鑑『谷水帖』」「前田家旧蔵古筆手鑑『濱千鳥』」などを鑑賞。

『見努世友』には、聖武天皇・光明皇后・後深草天皇・後醍醐天皇・亀山天皇・伏見天皇・後鳥羽天皇などの宸筆、護良親王・藤原俊成・新田義貞・藤原定家・北条政子などの書が収められていた。『藻塩草』には、小野道風・源順・法然・西行・源実朝・寂蓮・鴨長明・藤原公任・源頼朝・源義経などの書が収められていた。『谷水帖』には、紀貫之・藤原佐理・源頼政・小野道風・西行などの書が収められていた。

上御一人と歴史に名をのこした人物が書いた「やまと歌」が殆どであった。ただし、すべてが「伝称筆者」とされるものである。詳しくは分からないが、筆の達人が、書写したものではないだろうか。天皇の宸筆や歴史上の人物の諸作品を細切れにして、一冊の本にまとめるなどという事が可能だったとは思われない。古筆鑑定家が、筆者不詳の古筆切に、その書様に相応しい筆者(伝称筆者)を宛て、古筆の名称を付け、それを極札(きわめふだ)という小さな札に記したという。あくまでも「伝称」という事であろう。しかし、真筆が全く無いとも言い切れない。

加賀前田家は、代々の当主が古筆や茶道を蒐集した。歴代の当主の中には、鑑定の専門職、古筆家も顔負けの鑑識眼で、手鑑を制作した当主もいたという。二代当主・前田利常の事を「小松黄門菅原利常卿」と記す文書が展示されていた。「黄門」とは中納言の別称である。前田利常は、小松城に住み、寛永三年(一六二六年)八月一九日、従三位権中納言に任じられた。「黄門様」は、德川光圀だけではなかったのである。前田藩は、德川幕藩体制において德川御三家に次ぐ家格を有していたと考えられる。なお初代藩主・前田利家は大納言、仙台藩主・伊達政宗は中納言であった。また前田氏は菅原道真の末裔とされる。

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会場で次のような歌を詠んだ。

王朝の貴族の書蹟を眺めつつこの国の美しき文化をしのぶ

雪の日に桜田門を眺めつつ万延元年の天誅を思ふ

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