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2012年3月31日 (土)

一君万民・天皇帰一・承詔必謹がわが国の永遠に変らざる國體

支那の王道論・放伐説は、天と君主を分離させた論議である。これは、日本伝統精神とは全く異なる。日本天皇は現御神であられ、天皇その方が、「天」であり「神」であらせられる。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」であらせられる。民は、天皇を地上における神として拝し奉るのである。

封建君主とその臣下との関係は、人間と人間との忠誠関係である。しかし、日本天皇は、「天」そのものであり、地上における神の御代理であらせられ、民から拝すれは「生きたまふ神」であらせられる。人間と人間との関係ではない。

従って、天皇の発せられるお言葉は絶対的尊厳性を有する。天皇のお言葉は「宣命」「勅語」と申し上げる。やまと言葉で申せば「のりごと」である。

『十七条憲法』の第三条には、「詔を承りては必ず謹め、君をば則ち天とし、臣をば則ち地とす。天覆ひ地戴せて、四時順(めぐ)り行き、萬氣(よろずのき)通ふことを得。」と示され、第十二条には「國に二(ふたり)の君なく、民に両(ふたり)の主無し。率土(くにのうち)の兆民(おほみたから)、王(きみ)を以て主となす。」と示されている。

一君万民・天皇帰一・承詔必謹がわが国の永遠に変らざる國體である。

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