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2012年3月 3日 (土)

祖霊信仰について

父が亡くなってから一か月以上を経過した。父の遺影と位牌に毎朝毎晩拝礼している。父の笑顔を見ると、私をやさしく見守ってくれていると感じられて、心が安らぐ。

父の位牌と遺影を安置したその日から、父が遺された母と私を見守って下さっているとひしひしと感じている。これはまことに不思議な実感である。そして毎日、父の御霊に対して感謝の祈りを捧げると共に「どうか私たち家族をお守りください」と祈っている。

柳田國男氏は、「日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まってさう遠くへは行ってしまはないといふ信仰が、恐らく世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられて居る。…顕幽二界の交流が繁く、単に春秋の定期の祭だけでなしに、何れか一方のみの心ざしによって、招き招かるゝことがさまで困難でないうに思って居た」(『先祖の話』)と論じている。

確かに、私もそう実感する。「亡くなった人が草葉の陰から見守って下さっている」という言葉がある通りである。

仏教特に浄土教では、「人は死んだら西方十万億土の彼方にある極楽浄土に行く」と教えるが、一方で、お盆やお彼岸には遺族の住んでいる家に帰って来るという観念が強く伝承され、祖霊に対する供養が仏教寺院で行われる。どんな唯物論者・無神論者でも、亡くなった方の霊に対しては敬意を表し、慰霊行事には参加する。

理屈はともかく、亡くなった方の霊が、天国・天上界・霊界・極楽浄土に行かれても、常にこの世にいる我々を見守って下さっているという信仰は根強いものがある。だからこそ、前述したとおり、祖霊への慰霊行事が絶えることなく盛んに行われているのである。

私は、青年時代、「既成仏教は葬式仏教になっている。現実に生きている人々を救うことはできない」などと批判していたこともある。しかし、今はその考えが浅はかであったことを思い知っている。亡くなった人々に対する慰霊・供養こそ、自然崇拝と共に、日本伝統信仰の大きな柱であると知ったからである。

父が地上から去り給うたことの悲しみは深い。しかし、父の御霊は常に私たち遺族のそばに居られることを実感している。そして、感謝の祈りを捧げる毎日である。

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