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2012年3月15日 (木)

承詔必謹の精神と防人の歌

私心なく天皇につかへまつる「道」そのものが日本の道義精神である。それが「承詔必謹」の精神である。

日本人の「承詔必謹」の精神は、『萬葉集』の「防人」(さきもり)の歌に端的に歌はれてゐる。飛鳥時代、新羅が唐を背景としてわが国を侵略する危険があったのに対して、わが国は、太宰府を置いて、九州と壱岐・対馬二島を管理せしめ侵略軍を防がんとした。このために東国諸国の国民から選抜し、筑紫・壱岐・対馬で守備の任にあたらせた国土防衛の兵士が「防人」である。

「今日よりは顧(かへり)みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」          (四三七三)

これは防人の代表的な歌である。火長今奉部與曾布(くわちやういままつりべのよそふ)の歌。下野(栃木)の防人。「火長」とは『養老令』に「およそ兵士十人を以て一火となす」とあり、兵士十人の長のこと。帝國陸軍でいへば伍長が軍曹の位といふ。練達の下士官。「今日よりは」の「今日」は門出・出征の日を指す。「顧みなくて」は自分自身の私事は一切顧慮しないといふ意。

「醜」は、醜悪の意であるが、自らへりくだって言ってゐる。数ならぬ、ふつつかながらといふ意。「御楯」は、國の守りの任のことを具体的に表現した言葉。シコは、しこるといふ意味から、固く強きことを言ひ、転じて頑ななどといふ意味になる。良い意味にも悪い意味にも使はれ、自ら頑固といふ人には、信条一貫してゐる人が多い。

楯は、矢・鉾・槍から身を護る武具。それから転じて、大君を守護し奉り、大君のしろしめしたまふ国土を者即ち兵士の意となる。大君に仕へまつる兵士なので「御」を付けた。「大君の醜の御楯」で「天皇陛下の兵士」といふ意味になる。

通釈は、「防人としての任務につく今日からは、最早我が身のことは一切顧みないで、ふつつかながら大君にお仕へ申し上げる兵士として私は出発致します」といふほどの意。

與曾布には大君の醜の御楯としての光栄・自負心・矜持・歓喜がある。故に父母・妻・子を顧みないのである。この歌は千古万古に国民の胸に躍る決意の響きがある。極めて明快で謙虚で確固とした心が歌はれてゐる。庶民の歌としてまことに高貴な昇華を遂げてゐる。生死を超えた爽やかさがある。歌の響きは、さやかで清潔で静かに深く澄んでゐる。深くしみ入るやうに響きを持ってゐる。東国の一兵士がこのやうな志を身に着けていたことは驚嘆に値する。天皇を大君と仰ぐ祭祀共同体国家日本の民としての自覚があったのである。

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