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2012年3月31日 (土)

一君万民・天皇帰一・承詔必謹がわが国の永遠に変らざる國體

支那の王道論・放伐説は、天と君主を分離させた論議である。これは、日本伝統精神とは全く異なる。日本天皇は現御神であられ、天皇その方が、「天」であり「神」であらせられる。日本天皇は、天照大御神の「生みの御子」であらせられる。民は、天皇を地上における神として拝し奉るのである。

封建君主とその臣下との関係は、人間と人間との忠誠関係である。しかし、日本天皇は、「天」そのものであり、地上における神の御代理であらせられ、民から拝すれは「生きたまふ神」であらせられる。人間と人間との関係ではない。

従って、天皇の発せられるお言葉は絶対的尊厳性を有する。天皇のお言葉は「宣命」「勅語」と申し上げる。やまと言葉で申せば「のりごと」である。

『十七条憲法』の第三条には、「詔を承りては必ず謹め、君をば則ち天とし、臣をば則ち地とす。天覆ひ地戴せて、四時順(めぐ)り行き、萬氣(よろずのき)通ふことを得。」と示され、第十二条には「國に二(ふたり)の君なく、民に両(ふたり)の主無し。率土(くにのうち)の兆民(おほみたから)、王(きみ)を以て主となす。」と示されている。

一君万民・天皇帰一・承詔必謹がわが国の永遠に変らざる國體である。

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千駄木庵日乗三月三十日

午前は、母のお世話。訪問介護のケアマネージャー(何故こういう外国語を使うのか私にはわかりません)来宅。今後の母の介護について相談。

午後からは、在宅して、資料整理、原稿執筆の準備など。

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2012年3月30日 (金)

「日本の神々と祭祀の心」への回帰が現代を救う

本日、明治神宮参拝を終えて帰宅すると、奈良新聞取締役の武智功氏より、武智氏の近著『記紀に見る日本の神々と祭祀の心』(奈良新聞社刊)が届いていた。まことに素晴らしいご本である。多くの方々とりわけ若い世代の人々に読んでもらいたいと思う。日本神話の精神、日本伝統信仰を学ぶためのテキストとしても最適である。

最近、『日本書紀』通読したが、天武天皇・持統天皇の御代に、非常に多く地震が発生したことが記されている。また、頻繁に「廣瀬・龍田の神を祭る」という記事が書かれている。水と風の神であるとのことであるが、五穀の豊穣と風水害を無きことを祈ったと記されている。

今日の日本人は、古代日本の「まつりの心」を回復しなければならない。武智氏の著書の書名である「日本の神々と祭祀の心」に回帰することが現代の日本を救う方途であると確信する。

武智氏は、「はじめに」において「混迷の時代には原点に帰れと言われている。今こそ私たちは『記』『紀』の神話や、その息吹が今も息づく各地の祭りなどに、日本の原点を学ばなければならない」と主張され、「むすび」において「万物に神が宿るという思いは、一神教に見られる人間が自然を支配するという考えとは異なり、地球環境問題を考える上で大切な思いである。自然を神と置き換えれば、現代人はまさに神をも恐れぬ存在になっている」と説いておられる。

全く同感である。まさに現代に生きる人々は、自然の中に生きたもう神々、そして祖霊への感謝と畏敬の念を回復すべきだと思う。東日本大震災を経験した日本人は、このことに目覚めなければならないと思う。

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千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、明治神宮参拝。よく晴れていてまことに清々しい気持ちになりました。明治天皇のご神霊に祖国日本へのご加護を祈念し奉りました。多くの若者や外国の人々が来ていました。

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夕刻、数寄屋橋にて、学生時代からの友人と懇談。

帰宅後は、資料の整理、書状執筆。

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2012年3月29日 (木)

最近寄贈していただいた書籍

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祭祀の現代的意義

宗教には、救済宗教と祭祀宗教の二つがあるといはれる。そしてキリスト教が救済宗教で、神道は祭祀宗教であるとする。しかし、祭祀は自己の罪穢れを祓ひ清め神と一體となる行事である。救済宗教の役目も持ってゐる。

「祭祀」および「直會」は、神と人との一體感を自覚する行事であると共に、それに参加する人々同士の一體感も實感する行事である。お互ひに神と一體となりお互ひが一體となる「まつりの精神」が世界に広まれば世界は平和になる。魂的信仰的一體感が、世界人類の交流と共存の基盤となる。まつりが世界で行なはれるやうになれば世界は平和になる。まつりの世界化が大切である。 

倉前盛通氏は、「世界の乾極の代表がヤダヤ人であり、湿極の代表が日本人である。しかも民族固有の神を今日に至るまで戴いてゐる民族はユダヤ人と日本人だけである。世界の乾極のアラビアにおいて最も厳しい一神教が成立し、湿極において最も寛容な多神教が成立した。一神教はバイブルやコーランそして神學教學を持ち、神道はバイブルに相当するするものや神學教學を持たない。一神教を敵に回してはならない。むしろ、乾極と湿極に生まれた対象的な性格を持つもの同士が長短相補う道を探るべきであろう。」「二十一世紀以後の世界は情報科學の進歩に見られる通り多様性の社會であり、それは一神教の世界ではなく多神教の世界である。日本的自然妻子、つまり八百萬の神々という言葉に表現されるように典型的な多神教風土と日本的寛容さと、バイブルのない宗教、教団組織のない宗教、そのようなものが今後の世界に最も大きな精神的影響を与えるようになるであろう。」

「今まではユダヤ教的な一神教的精神風土が世界に、大きな影響を与えてきたが、二十一世紀以後の世界をリードするものは、日本に代表される寛容な多神教的精神風土である。」(『新・悪の論理』)と述べてゐる。

今日、自然破壊が人間の心を荒廃せしめる大きな原因になってゐる。我が國の自然を大切にする心=自然保護の精神は、歴史的にも文化的にも『神社の森』『鎮守の森』がその原点である。我が民族の祖先は、古代から神々の鎮まる緑豊かな『神社の森』『鎮守の森』を大切に護って来た。

 それは鎮守の森には、神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来たからである。鎮守の森ばかりではない。ふるさとの山や海に神や精靈が生きてゐると信じてきたのである。秀麗な山にも神が天降り、神の靈が宿ってゐると信じて来た。 

わが國の傳統信仰における最も大切な行事は祭祀である。祭祀は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神の實践である。祭祀が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となると確信する。日本傳統精神の価値は今日まことに大切なものとなってゐる。

わが國の傳統精神は、一人の教祖が説いた教義・教条ではない。教条的で固定的な教義を絶対的なものと信じ、これを信じ込ませるといふのではない。日本傳統精神の本質は、自然を大切にし自然の中に神の命を拝む心である。そして祖先を尊ぶ心である。つまりきはめて自然で自由で大らかな精神なのである。自然は人間と対立するものではないといふ信仰即ち自然を神とおろがむ日本の傳統的信仰精神が自然破壊を防ぐ。祭祀が自然を破壊し人の命を軽んずる現代を救済する原理となる。

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千駄木庵日乗三月二十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは在宅して、書類作成、書状執筆、資料の整理など。

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2012年3月28日 (水)

日本的変革≒維新について

維新といい、日本的変革というも、要は日本国そして日本国民一人一人を新生せしめ、清浄化し、天皇国日本の本来の姿そして「み民われ」としての日本国民本来の姿を回復することによって現状の革新を行うということである。大化改新も明治維新も建武の中興もそういう精神に基づいて断行された。

 影山正治氏は「我々は神前に大祓の祝詞を至心に奏上することによって御國の罪・穢を祓ひ清めて神國の本来に還へらむ事を祈り、また我の罪・穢を祓ひ清めて神我の本領に還へらむことを祈るのである。…今こそ全日本人が朗々と大祓の祝詞を斉唱しつつ、皇國の維新、全世界の維新に當らねばならない」(『正続古事記要講』)と論じておられる。

 現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

この場合の「復古」とは単に時間的過去に逆戻りすることではない。古代の伝統精神の新たなる発見である。古代からの日本の伝統精神を復活せしめ硬直し腐敗した現代を一新する。これが維新である。古事記の編纂もかかる維新の精神の基づいて行われたのである。

太安萬侶(おおのやすまろ)は『古事記』の序文において「古を稽(かむがへ)て風猷を既に頽れたるに繩(ただ)したまひ、今を照して典教を絶えなむとするに補ひたまはずといふこと無かりき」(いつの時代にあっても、古いことを調べて、現代を指導し、これによって衰えた道徳を正し、絶えようとする徳教を補強しないということはありませんでした、というほどの意)と述べている。これが復古即革新の精神である。

大化改新も明治維新も、神武建国への回帰・神武建国の精神の復興がその原基であった。

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この頃詠みし歌

老老介護といふことになるか六十五歳となりたる我と母との生活

質素なる生活をせし父上の部屋に入りて一人さみしむ

父上の思ひ出の品を大切にしておくべしと部屋を整理す

乙女らが酒呑みはしゃぐカウンターに六十五歳のわれ一人坐す

やさしき心そのままあらはれし歌多き『赤彦歌集』を今宵読みをり

天つ日が光り輝き天地のなべてを照らすことのうれしさ

降り続く春雨に濡れ歩み行く 我は地上に生きてゐるゆゑ

生きてゐる人々がなべて入り行く墓といふものが並ぶ霊園

墓参りの人らが多く花持ちて街歩み行く彼岸の中日

苦しみの果てに逝きませし父のこと思へば悲し昨日も今日も

雨に濡れる孔夫子像を仰ぎたり支那の暴虐を思ひ起こしつつ

小雨降る湯島聖堂の大成殿 静かなりけり清らなりけり

激しき思ひ包み鎮めて穏やかに生きゆくことがよろしかりけり

春雨といふにはあまりに冷たくてコートをまとひ街歩み行く

知り人の名の刻まれし石碑(いしぶみ)を眺めてうれし湯島天神

満開の白梅の花を愛でにけり いまだ肌寒き湯島天神

湯島なる天満宮の白梅は今を盛りに咲き盛るなり

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千駄木庵日乗三月二十七日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。

午後は、諸雑務。

夕刻、地元にて京都から上京された方と懇談。

この後、本郷の展転社にて、『サヨナラ本郷、let’弥栄tonight』に参加。多くの同志が参集。全員で展転社創立三十年を期しての本社移転と今後の発展を祝す。小生は長編歌謡浪曲「俵星玄蕃」を熱唱。

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挨拶する展転社の新旧社員の方々

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年3月27日 (火)

日本伝統信仰と自然との共生

本年一月七日号の『日本経済新聞』で、梅原猛氏は、編集委員の小橋弘之氏の問いに答えて、「科学技術文明の発展は豊かで便利な社会を生みだした。だがデカルト哲学は自然支配を肯定したから、深刻な地球破壊ももたらした」と論じている。そして、小橋氏によると梅原氏は。近代文明と西洋哲学の打開の糸口は、「草木国土悉皆成仏」で表現されている天台本覚思想に見いだされると考えたという。

梅原氏はさらに言う。「ただ、天台本覚思想だけでは足りないと感じて、新しい哲学の構築に踏み出せずにいたところ、三年ほど前にエジプトに旅をしてヒントを得た。古代エジプトの宗教は太陽の神ラーと水の女神イシスを中心にしている。エジプトの神学を頭に置いて仏教の教義や体系に思索を重ねていると、天台本覚思想の根底にも太陽崇拝があることに思いついた。」「私の中で自然中心主義と太陽の思想が合わさったことは重要だった。」「科学技術文明の主なエネルギー源の化石燃料は、太陽の恩恵を受けた動植物の死骸の堆積物。環境問題の面から、化石燃料を介さずに太陽や自然の恵みをじかに承けるにこしたことはない。自然を支配するのではなく、自然と共生することで、人類は末永い繁栄を図れる」と。

天台本覚思想は、自然に仏の命を見る思想である。それは鎌倉時代以降の日本仏教の原点と言っていい。この思想は天地自然に神の命を見る日本伝統信仰たる神道の精神と共通している。しかも日本神道は、その最高神として太陽神であられ天照大御神を崇めている。

自然との共生というのは生易しいことではない。自然が無慈悲に人間に襲い掛かってくることを、我々日本人は昨年体験したばかりである。しかし、自然との共生なくして人間は生きていくことはできない。

太陽の神・大地の神・海の神・山の神・水の神など、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるものを、神と崇める日本伝統信仰に回帰することが今一番求められている。

真の意味で自然との共生を実践できる日本伝統信仰を根底に置いて生活することが、日本人が生き延びる道であると考える。

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千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、湯島天満宮参拝。境内を散策。満開の梅花を見る。

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湯島天満宮女坂

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神殿

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梅林

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泉鏡花筆塚

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新派の碑

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神殿横の梅花

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年3月26日 (月)

深澤中斎氏の講演内容

深澤中斎中斎塾塾長「木内信胤氏は『分析が多すぎるが総合が大切。専門家が多いが総合的直観力が大事』と言っておられた。

欠伸をされると話すエネルギーが減退する。頷かれるとエネルギーが湧く。睡眠時間が短い人は欠伸が出るので自然現象だから仕方がない。

『論語』に『利によりて行えば、怨み多し』という言葉がある。『利』とは金のみではなく目先の利益のこと。いい女や一生食いっぱぐれない男と、急いで結婚すると後が大変。中国の古典を読む時は現代に置き換えて読むことをお勧めする。

通貨経済は終焉する。これからは知足経済の時代。お金に代る何ものかがこれからの世界の仕組みを作る。人類が淘汰される時代に入る。

ある人が厚生労働省から『二百万個のマスクを被災地に送ってくれ』と言われた。その後厚労省から何の連絡もないので、直接、南相馬市に届けた。政府はものを頼んでも後始末をしない。政治家も愚痴ばかり。『こういう法律があるから動けない』と言う。政治家・官僚は命を縮める動きしかしなかった。

覚悟を決めないと身動きが取れない。『覚』とは、知らない事がはっきり分かること。『悟』とは、心の迷いが開けて目が覚めたようになること。新たな道に進むためには、何ものかを捨てる覚悟をしなければならない。今あるもので心が十分に満たされていれば、次から次へとむやみに欲しがる気持ちは自然に消えていく。知足である。足るを知る心境である。

自分で自分の命を守るべし。実際に体験した人は、その体験したことが知恵になるから強い。言うことではなく。実際に何をやったかが問題。何かをなくしても良いと腹をくくって、大事なものを守る。

日本の国はデフォルト(債務不履行)が近い。日本の風前の灯。人類淘汰の時代に入った。自給自足・足るを知るを実行していきたい。明確に日本は周辺の国から狙われている。ぺマ・ギャルポさんは『中国は日本を属国にし、天皇陛下を処刑しようとしている』と語っていた。こういう時代を生き抜き生き残るように、自助努力をお願いしたい」。

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木内孝の講演内容

三月二十四日に行われた『中斎塾フォーラム・創立五周年記念式典』における登壇者の発言は次の通り。

石川忠久顧問(斯文会理事長・元二松学舎大学学長)「十年前の平成十四年、第一回藩校サミットが開かれた。百八十六あった藩のうち十六の藩が集まった。大名の子孫は伊達家・島津家など九人が出席した。今年二月に第十回目の藩校サミットが水戸で開かれた。七十藩が参加した。大名の子孫は三十七人参加した。江戸時代には積み重ねがあった。東日本大震災で日本人が粛然と対応したのはそういう基盤があったからである。日本の底力・厚みを示した。」

安岡正泰顧問(郷学研究所・安岡正篤記念館理事長)「今の日本人には、人の悪口ばかり言っている人が多い。全て他人のせいにしているような気がする。自分自身の足元を見るべし。怪しげな人物が右往左往している。人間として正しい道を歩む必要がある。古典を学び直すあり方が必要。」

木内孝㈱イースクエア代表取締役会長「あせる必要はないと言って来たが、最近はあせる必要ありと言うようになった。昔は想定外のことが、今は想定内のことになって来た。昔あり得ないことが、今は当たり前のことになった。そう言っているうちに三・一一が起こった。ローレンス・サマーズ元米国財務長官は、『日本は終わった』と言った。日本人の能力は低下している。退化と消費のロボットになっている。

幼稚とは、何が肝腎かが分からないこと。首都直下型地震が遠くない時期に起こることが必然視されている。猪瀬東京都副知事は『一か月は官僚に頼るな。ガス・水道・電気の供給はされないと思ってくれ』と言った。農業・漁業・林業が踏み台にされて日本の工業化が進められた。人間はあとどのくらい地球上に生きていられるのか。

スマトラ沖地震で三十万人が犠牲になった。かば・猿など大きな動物はほとんど逃げた。二〇〇四年のスマトラ沖地震では大津波が来たが、原住民は犠牲にならなかった。現代文明に汚染されていなかった人々は逃げられた。我々は生きる本能を失っている。

文化に裏打ちされた美しい日本を作る。瑞穂の国を作る。自然を敬い、命を大切にする。人間は自然の一部だから自然の掟を知って自分の判断をすべし。

今、我々に求められているのは、どうやってやがて来る大災害に打ち勝つかという事。強い国土を作る。一極集中を反省すべし。迅速な回復が可能になる分散型の国にすべし。

自分の納得のいく文化を作る。動物は即断即決。人間はものを決めるのに時間がかかる。自然は失敗しない。自然に手抜きはない。自然は人間のしたことに必ず反応する。循環サイクルの中に生きている。そういうシステムを壊すのが人間。人類は自然にとって天敵。私たちは自然の法則に従って生活しなければいけない。自然を使い尽くさない。食べ尽くさない。

地域について考え拠り所にする。地域とは人のこと。自給とは他人に繋がること。物にお金を使うのではなく、体験にお金を使おう。」

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千駄木庵日乗三月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、今夜行う講演の準備。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が司会。「人権救済設置法案に反対する国民意識」と題して、 瀬戸弘幸氏及び小生が講演。活発に質疑応答。終了後、懇親会。

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講演する瀬戸弘幸氏

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年3月25日 (日)

中井洽に出した要望書

以前、木村三浩一水会代表と共に、中井洽に出した文書を掲載する。元警部補の行動に敬意を表する。

             ◎

謹啓

十一月二十九日に、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、参議院本会議場で行われた「議会開設百二十年記念式典」において、貴下は、天皇、皇后両陛下のご来臨を起立して待っておられた秋篠宮同妃両殿下に対し奉り「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と野次を飛ばした。

このことは、桜内文城参議院議員が「ブログ」で、「ある民主党ベテラン議員は、秋篠宮殿下御夫妻が入場された後、天皇皇后両陛下の御入場をお待ちになる間、ずっと起立されていた(当初の式次第では着席されることとなっていた)のに対して、『早く座れよ。こっちも座れないじゃないか。』と野次を飛ばす始末。想像を絶するようなことが起こっていたのが実情です。」と書いたことによって判明した。桜内氏のみではなく、周囲にいた議員たちも貴下がそのような発言をしたことを認めている。

貴下は、十一月一日、報道陣に「野次ではない。(式典の)行程表にはお座りになると書いてあり、一同着席となっている。どうしたんだろう、宮様に伝えていないのかね、ということを(周囲の議員に)申し上げた」と釈明した。

しかし、秋篠宮・同妃両殿下が、両陛下をお迎えするために起立されていたのだから、臣下たる者黙って起立していればいいのである。ぐずぐず文句を言うこと自体、不敬千万である。断じて許されない。

また、貴下の「尊皇精神」「皇室への敬いの心」を云々する以前に、私語を慎まなければならない場で、私語を発すること自体許されない。人間・政治家としての常識が欠けている。

さらに「議会開設百二十年記念式典」において貴下は何と、天皇陛下が御着席になるや否や早々に着席した。その時、皇后陛下も秋篠宮同妃両殿下も御起立されたままであった。貴下は、皇后陛下が未だ御着席になっていないのを見て、再び立ち上がった。

貴下は、法務大臣・国家公安委員長を歴任し、長い間衆議院議員を務めてきた政治家である。貴下の言動は、いかに日本の政治家と称する者共の質が低下しているかを証明するものである。否、質の低下などという言葉で片付けられない。貴下は、日本国の君主であらせられる天皇陛下に対する尊崇の念・かしこみの心・皇室を敬う心が希薄なのだ。否、ないと言った方がいい。貴下は文字通り不逞の輩である。

菅直人総理は、「昭和天皇退位論者」であり、「国歌君が代斉唱」を拒否した。小沢一郎元代表は、畏れ多くも「皇室は騎馬民族の子孫だ。御陵を暴けばそれがわかる」「天皇は政府の言いなりになれ」などと言った。

今回の貴下の悪質さは、秋篠宮同妃両殿下の御前での言動であり、天皇皇后両陛下がご臨席あそばされる直前での言動であることである。

民主党政権の中枢に、菅・小沢両氏そして貴下のように尊皇精神・皇室への尊敬の念が欠けるばかりでなく、天皇の尊厳性を冒瀆し、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體を破壊するような人物いることは許し難い。

尊皇精神は日本の道義精神の根幹である。尊皇精神の薄い人ほど道義観念も薄い。貴下はその典型である。貴下は、これまで、道義的に政治家失格と思われる所業を行ったと指摘されている。国家公安委員長という重責にありながら、SPを外して三十歳以上年の離れた銀座のホステスと連日のようにデートを重ねただけでなく、そのホステスは、議員宿舎のカードキーを使ってたびたび赤坂議員宿舎に入っていた。さらに言えば、妻が自殺した人物が政治家を続けていること自体が常軌を逸しているのだ。  

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなおさず真の國家の危機である。

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と今日の日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考える。日本はまさに危機的状態に陥っている。日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。

天皇及び皇室の尊厳性を冒瀆した貴下の罪は重大であり、断じて許し難い。速やかに、衆議院議員を辞職することを強く要請する。

                   謹白

平成二十二年十二月六日

四宮政治文化研究所代表 四宮正貴

一水会代表 木村三浩

中井洽殿

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武士道精神への回帰

戦後日本は、「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値として押し戴いた。「平和と民主主義」は、國のために戦うという強者の思想を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たない、國家の独立・主権・領土・平和・歴史・傳統が侵略的意図を持った外國から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する弱者の思想である。

 國家を守ることは、國民の道義精神の要である。國防と道義は不離一體の関係にある。國を守る使命、言い換えれば、兵役の義務・國防の義務がない國民は、真の國民とはいえない。運命共同體であるところの國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念があってこそ、真の國民である。

 現代日本人の中には、崇高なる道義精神である「國家を生命を賭けて守る使命感・義務観念」を喪失し、利己主義・利益至上主義に陥り、自分さえよければ他人はどうなってもいいという考え方に陥ってい人がいる。

 外國人参政権付与も、國民としての義務に「兵役の義務」がきちんと憲法に書かれていないから起こる問題である。税金さえ納めていれば國民であるというまさに利益至上主義的考え方が、「定住外國人も税金を納めているから参政権を付与すべきだ」という考えを生むのである。

      

 われわれ神洲清潔の民は、言葉の真の意味における強者の立場をとらなければならない。「一人立つ」の精神がなければならない。眞の独立自尊の精神がなければならない。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、もののふの心・大和魂=日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。須佐之男命・日本武尊そして防人以来の武士道精神・もののふの心に回帰しなければならない。 

 李登輝氏は次の如くにいう。「まことに残念なことには、一九四五年(昭和二十年)以降の日本においては、……『大和魂』や『武士道』といった、日本・日本人特有の指導理念や道徳規範が、根底から否定され、足蹴にされ続けてきたのです。……いま日本を震撼させつつある學校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、…などこれからの國家の存亡にもかかわりかねないさまざまなネガティヴな現象も、『過去を否定する』日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、……『日本および日本人の醇風美俗』や『敷島の大和心』、もっと単刀直入に言えば『武士道』について声を大にして大覚醒を呼びかけ、この書を世に問わねばならなかったのです。」(『「武士道」解題』)と。

理論・理屈を好まない日本人らしい道徳律が武士道なのである。日本の傳統の根幹たる和歌も祭祀もそして武道も理論・理屈ではない。「道」であり「行い」である。そして一つの形式・「型」を大切にし「型」を學ぶことによって傳承される。學ぶとはまねぶである。理論理屈ではないが「道」(歌道・武道・茶道・華道)という。

武士道は、日本國民の善き理想となった。いかなる人間活動の道も、思想も、ある程度において武士道の刺激を受けた。。明治維新をはじめとしたわが國の変革を断行せしめ、日清・日露両戦争にわが国が勝利した重要なる原動力の一つに武士道があった。

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千駄木庵日乗三月二十四日

朝は、母のお世話。

午前、『政治文化情報』発送作業。

昼、湯島聖堂に赴く。大成殿参拝。孔子像を仰ぐ。

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湯島聖堂大成殿

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孔子像

午後一時より、講堂にて、『中斎塾フォーラム・創立五周年記念式典』開催。石川忠久顧問(斯文会理事長・元二松学舎大学学長)。安岡正泰顧問(郷学研究所・安岡正篤記念館理事長)が挨拶。この後、木内孝㈱イースクエア代表取締役会長、深澤中斎中斎塾塾長が講演。深澤氏は二松学舎大学で小生と同期。講演内容は、後日報告します。

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講演する深澤氏

帰宅後、『政治文化情報』発送作業完了・送付。購読者の皆様には、週明けにはお届けできると存じます。

この後、諸雑務。

本日『日本書記』全巻を読了しました。

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2012年3月24日 (土)

第21回日本の心を学ぶ会のお知らせ

21回日本の心を学ぶ会のお知らせ

 

 『人権救済設置法案』が何時の時点で国会に提出されるか予断が出来ません。逆差別を生む人権法案は百害あって一利なしです。我が日本は『まことむすびの道義国家』『信仰共同体』であります。そもそも現在叫ばれている『人権思想』の根底には、革命思想をもたらす欧米の「社会契約説」があります。欧米の歴史や思想哲学に基づいているものです。

『フリー』『リバティー』を仏教用語の『自由』と語訳をし『ライト』を『人権』と語訳した誤りから脱却できずに、戦後において日教組などの革命勢力・國體破壊勢力が履き違えた人権思想を日本に植え付けました。

「和を以()って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」という『一七条憲法』のご精神に立ちかえることが急務ではないでしょうか。

 どうぞ皆様ふるってご参加いただけますよう宜しくお願い申し上げます。

 

 

【日 時】平成24年3月25() 開場午後5時45分 開会午後6時

【場 所】文京区民センター2B会議室 東京都文京区本郷 4-15 -14 地下鉄 春日下車1分(大江戸線、三田線)、後楽園下車3分(丸の内線、南北線)、JR(水道橋)

※今回は港区生涯学習センターではありません。

【演 題】人権救済設置法案に反対する国民意識

【登壇者】

講 師 四宮正貴

四宮政治文化研究所http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/

講 師 瀬戸弘幸

せと弘幸Blogu 『日本よ何処へ』http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/

司会者 渡邊昇

日本の心を学ぶ会http://nihonokokoro.blog21.fc2.com/

【参加費】資料代5百円 終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】日本の心を学ぶ会事務局

埼玉県川口市安行藤八33-13

電話:090-8770-7395

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武士道精神と人権

人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになるのは、今日の我が國を見れば明らかである。教育荒廃・家庭崩壊・凶悪犯罪の増加の根本原因は、「自分さえよければ他人はどうなっても構わない」という観念が蔓延しているところにある。これは「個の尊重」「人権尊重」を絶対視して、共同体・家族・家庭と個人との共生を軽視してきた結果である。

 我が國は「基本的人権の尊重」という美名のもとに、自己の欲望と他者の欲望とのぶつかり合いの世の中となりつつある。人々は、快と不快だけで生き、目に見える至近の距離の世界のみで生きるようになる。「欲望こそ全て」と考える。そして教育荒廃・家庭崩壊が起こり、悪平等が花開き、凶悪犯罪が増加している。

人権重視・人命尊重が声高に叫ばれ、武道は封建道徳・軍国主義といわれて排除されて続け六十五年以上を経過した今日の日本は、軍国主義時代だったといわれる戦前の日本ではとても考えられないような凶悪なる青少年犯罪が日常茶飯事になっている。これは武の精神・武士道を否定した戦後日本が如何に間違った道を歩んだかを証明している。

 武士道は、忠誠・名誉・尚武・勇気などを重んずる。武士の倫理観は、忠孝、廉恥(心が清らかで、名を惜しみ恥を知る心がつよいこと)、義勇、侠(一身を顧みずに弱い者を助けること)、自己の責務を果たすこと、といわれている。

 今日の日本に一番欠けているのが、このような武士道精神である。わが国はグローバルスタンダードなどと言っていたずらに外国の真似をして外国と同じになるのではなく、日本人としての倫理観に磨きをかけるべきである。

 

特に政治家と官僚と財界人と教育者とマスコミ人にそれが求められる。武の精神をなくした政治家はしっかりとした判断を下せなくなっている。確固とした人生観・見識・倫理観を持たない悪しき民主主義即ち『皆がやっているからそれでいいという』という精神・習慣を改めなければならない。わが国の伝統的倫理精神たる武士道を今に生かさなければならない。

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千駄木庵日乗三月二十三日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について語り合う。

午後は、ある公的機関に赴き書類提出。

帰宅後は、書状執筆・原稿執筆など。

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2012年3月23日 (金)

千葉県警の不祥事について

慰安旅行に行くから被害届の提出を遅らせたり、その不祥事を隠ぺいするというのは言語道断。しかも警察庁から来たキャリア官僚に報告しなかったというのだからひどいものだ。こういうことは千葉県警だけでなく、色々なところで行われているのではないか。つまりは、氷山の一角である。川路利良は「警察は国家平常の治療なり」といった。警察がおかしくなると国家全体もおかしくなる。

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石原発言は正しい。わが日本こそ「中国」である。

石原慎太郎都知事が、二十一日の首都大学東京の卒業終了式で、卒業生らに向けて「言っとくけど、諸君ね、中国の事を『シナ』って言わなきゃだめだよ」と発言したことに対して、『朝日新聞』などの偏向新聞が愚図愚図文句を言っている。

支那という地名はあるが、「中國」という名称の國家は地上に存在しないし歴史的にもこれまで存在したことはない。「中國」とか「中華」は、正式な國名でも民族名でも地名でもなく、文化概念である。

ゆえに支那大陸に存在する政権のみが「中國」とか「中華」を名乗る資格があるのでは断じてない。現在、支那大陸に存在しているのは「中華人民共和國」と称する共産主義独裁政権である。

 

 わが國もまた「葦原中國(あしはらなかつくに)」即ち「中國」なのである。山鹿素行の『中朝事實』という著書がある。これは徳川時代初期に著されたもので、「日本は神國なり、天皇は神聖なり」という思想が根幹にあり、後世のいわゆる日本主義思想に大きな影響を与えた。

 平泉澄氏は次のように論じている。「山鹿素行先生は…日本こそ他國にすぐれたる國であり、正しく中華といひ、中國といひ、中朝といふべき國であるとして、ここに日本の歴史を述べて、これに題して中朝事實といはれたのであります。…中朝事實こそは、長く外國の學問に耽り、外國の思想に惑ひたる後に、一朝目覺めて日本を發見し、日本の偉大に驚歎し、ここに眞の學問として日本學を樹立組織せんとしたる先哲の偉大なる足跡といふべきであります」(『日本學叢書 中朝事實』解説)と。

 山鹿素行は我が日本こそ文化概念としての「中國」であって、支那は「中國」にあらずとの前提に立っている。『中朝事實』には「皇祖高皇産霊尊、遂に皇孫天津彦彦火瓊瓊杵命を立てて、葦原中國の主(きみ)と爲さんと欲(おぼ)す。…是れ、本朝を以て、中國と爲すの謂(いひ)なり」「本朝の 神代、既に 天御中主尊有り、二神(ふたはしらのおほんかみ)國の中の柱(みはしら)を建つれば、則ち、本朝の中國たるや、天地自然の勢なり」と記されている。 

 

わが日本こそ、「中国」なのである。支那は支那であり、中国などと呼ぶ必要はさらさらない。

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千駄木庵日乗三月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、文京区役所に赴き、書類提出。

帰宅後は、諸雑務。原稿執筆の準備など。

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2012年3月22日 (木)

北朝鮮と共産支那にいかに対処すべきか

先日、元韓国空軍大佐・韓国空軍士官学校名誉教授の崔三然氏より、『金正日死後の北朝鮮と日米韓の戦略』題する御論考をお送りいただいた。それには次のようなことが書かれていた。

「北朝鮮は彼らの生き残りの為の最後の手段として核を持つに至った…問題の核心は北朝鮮という緩衝地帯を手放す意思のない中国にあると同時に、一握りの北朝鮮の権力中枢幹部などの舵取り如何にある」「日米韓は北朝鮮を事実上支えている中国と、北朝鮮に対し、強力なメッセージを送るべきなのである」。

まことにその通りと思う。今回の北朝鮮のミサイル発射予告に対しても、共産支那は何らの非難を行っていない。自制を求めてもいない。金王朝が生き延びて、北朝鮮民衆を迫害し、日本・韓国に軍事的恫喝を加えていることを、共産支那は黙認するどころか支援しているのだ。それは共産支那が北朝鮮という緩衝地帯が無くなるのを恐れているからであると共に、否、それ以上に、北朝鮮を利用し、手先にして、アジアにおける軍事的覇権確立を実現しようとしているからなのだ。支那と北朝鮮に対して、日本・アメリカ・韓国は、軍事的に断固とした対処をするべきである。

さらに崔三然氏は「極東アジアの現代史は朝鮮半島が常に台風の目になったのが歴史的経験則である。半島の不安定には、清・露いずれかの介入が慣わしであった。日本が安全保障の為には朝鮮半島の安定こそが要であると悟り、大陸に介入を始めたのは決して侵略とは言えない。むしろ先達の国に捧げた尊い犠牲と貢献に顕彰と尊敬を払うべきではないか」と論じておられる。

正しい歴史観である。近現代ばかりではなく、古代から今日まで、支那と朝鮮半島は、わが国の安全と独立を脅かしてきた。白村江の戦い、元寇の歴史を見ればそれは明らかである。わが日本は常に、朝鮮半島と支那大陸に対して警戒を怠ってはならない。我が国は軍事力をもっともっと強化すべきである。それが日本と東アジアの平和を築く唯一の道である。『やられたらやり返す態勢』、否、『やられる前にやっつける態勢』を確立せよ。

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千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の末席を汚している小生もスピーチさせていただいた。

いったん帰宅。

午後六時より、上野にて、長い間の同志の都議会議員及びある新聞の編集長と懇談。談論風発。

帰宅後は、書状執筆・書類作成など。

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2012年3月21日 (水)

大久保利通の「非義の勅命は勅命に非ず」という論について

慶応元年(一八六五)九月二十一日、孝明天皇は、德川幕府に長州追討(第二次長州征伐)の勅許を与えた。大久保一蔵(後の大久保利通)は、同年九月二十三日の西郷吉之助(後の西郷隆盛)に会うてた書状に、「もし朝廷これを許し給ひ候はば、非義の勅命にて、朝廷の大事を思ひ、列藩一人も奉じ候はず、至当の筋を得、天下万民御尤もと存じ奉り候てこそ、勅命と申すべく候へば、非義の勅命は勅命に非ず候ゆゑ、奉ずべからざる所以に御座候」と書いた。

非義即ち正義にあらざる「勅命」、天下万民が御尤もと存じ奉らない「勅命」は「勅命」ではないというのである。これは臣下として正しい態度であろうか。「勅命」が正義であるか否かは誰がいかなる基準で判断するのか。「勅命」よりも天下万民の意志を尊重するのか。実に以て重大な問題である。

大久保の考え方は、「天命に背いた皇帝は退位させるのが正しい」とする支那の「易姓革命思想」と相通ずる思想である。かかる考え方が、それこそ天下万民が持つようになったら、天皇を君主と仰ぐ日本国家は崩壊する。

自分の意志や思想と一致する天皇を尊ぶことなら誰にでもできる。しかし、自分の意志や思想と異なる行動をされた天皇に対しても忠義を尽くし従い奉るのが真の尊皇であり勤皇である。それが楠公精神である。

『十七条憲法』の第三条には、「詔(みことのり)を承りては必ず謹(つつし)め。君をば則ち天とし、臣をば則ち地とす。天覆ひ地載せて、四時順行し、萬氣通うふことを得。地、天を覆はむと欲するときは、則ち壞(やぶ)るることを致さむのみ。是を以て、君言(のたま)ふときは臣承り、上行へば下靡く。故に、詔を承けては必ず愼(つつし)め。謹(つつし)まずんば自ら敗れむ。」(天皇の詔を承ったならば、必ず謹んでそれに従ひなさい。君主は天であり、臣下は地である。天が地を覆ひ、地が天を載せて、四季が正しく循環し、万物の気が通ふ。逆に、地が天を覆はむとすれば、摂理が破壊されてしまふ。そのやうなわけで、君主が仰せになった時は臣下は承り、上が行へば下は靡く。故に天皇の詔を承ったならば、必ず慎みなさい。謹まなければ自滅してゆくことであらう)と示されてゐる。

『十七条憲法』には、天皇の神聖なる権威が、政治や国民生活を安定させるといふ理想が説かれてゐる。それは、権力国家の強化とか、国家支配体制の安定化を目的としてゐるのではない。道義的理想国家の実現を目的としてゐる。道義・道徳を国家存立の基盤とすることが何よりも大切だと説かれてゐるのである。そしてその中核精神は、「承詔必謹」なのである。大久保利通の思想は、日本の道義精神の根幹たる「承詔必謹」の精神に相反するといわなければならない。

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千駄木庵日乗三月二十日

朝は、母のお世話。

午前十一時より、品川のザ グランド ホールにて、『深見東州作品展』開幕式開催。深見東州氏が挨拶。鳩山邦夫衆院議員が祝辞。テープカットが行われた。この後、作品を参観。

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挨拶する深見東州氏

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祝辞を述べる鳩山邦夫氏

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2012年3月20日 (火)

宮脇淳子さん(東京外語大・国士舘大講師)の講演内容

三月十七日に行われた『戦略・情報研究会』における宮脇淳子さん(東京外語大・国士舘大講師)の講演内容。

           ◎

『中国』という名は十九世紀末までは無かった。それは中国という枠組みがないことを意味する。支那とチャイナは同じ語源。『中国五千年』というのはナショナリズムが出来て以後の話。辛亥革命の時、革命派が『黄帝即位紀元四六〇六年』としたのが『中国五千年』のの出所。BC二二一年以前は都市国家が多くあって統一がとれていなかった。中原を統一した秦の始皇帝の『秦』が支那の語源。司馬遷が『歴史始まって以来同じ天下』と言ったので、それ以前も組み込まれてしまった。そこから後は、支配する者も支配する土地も大きく違った。日本という国号は変わらない。日本が立派であることが分かる。十九世紀末、日本に対抗して『中国』という漢字を使うようになった。中国人は自分たちでは全然まとまっていない。『反日』の時だけ中国人という考え方になる。辛亥革命以前は、宣統帝何年という言い方をしていた。国民国家を作る時に日本を真似た。

韓国には反日ナショナリズムはあるが、愛国ナショナリズムはない。韓国のエリートはアメリカに行く。中国も同じ。一%の中国人が四割の富を持っている。国民国家とは国境に囲まれ同じ言語を使う人々の住むところのこと。国民国家が出来て戦争の時代になる。国民が兵隊になる。ECは駄目になる。ヨーロッパは植民地を失った時生活水準を下げるべきだった。それをしないで金融でお金を回してきた。

日本は海という天然の要害がある。日本皇室と中国の帝室とは一度も婚姻関係を結ばなかった。大陸は動乱を繰り返した。日本は国民国家の理想に一番ぴったりな国。日本が隣の国と如何に違うかを日本人が分かったら多くの問題は解決する。

中国は清朝打倒で出来た国だから、清は中国ではない。天照大御神の子孫の日本人が成功したので、中国も黄帝の子孫と言い出した。モンゴル人もチベット人も漢字を使っていない。チベット語は大蔵経を訳すために使ったサンスクリット語から来ている。ウイグルはアラビア文字を使っている。モンゴルもイエス・キリストの時代からの文字を使っている。満州人はチンギスハンの子孫の筋。モンゴル文字を使って満州語を書くようになった。本來の満州語は中国の地方語ではない。アルタイ系の語でテニヲハがある。清朝は満州人・モンゴル人・漢人・チベット人・イスラム教徒の五大種族の国家連合。中国こそ言葉を奪う植民地支配をしている。

日本は国民国家だが、中国は国民国家ではない。日本は天照大御神の子孫であり、共通語があり、一体となってものを考える。中国は農民籍の人には保険と年金なし。子供は学校に入学できない。農民に土地所有権はない。毛沢東は『地主階級は悪い』と言って土地を取り上げた。農民から土地を取り上げた地方幹部が企業などに土地を売って儲ける。

アヘン戦争で中国の近代が始まったというのは嘘。アヘン戦争で清朝は倒れなかった。イギリスのことを『英夷』と言い、野蛮人は金をやれば帰ると思っていた。国民意識もまだ生まれていない。日清戦争の原因は、フランスにベトナムを奪われた清が朝鮮を併合しようとしたから。日清戦争によって、本当の変化が起こった。日清戦争に負けた清に西洋が襲いかかった。

中国の秩序では『王』は『皇帝』より一段下。李氏朝鮮時代五百年間、一割も満たない両班と呼ばれる特権階級が他の九割を支配していた。階級の移動なし。染料を買う金がないので白い服しか着なかった。

孫文は華僑。ハワイで英語教育を受けて知識を身に着け医師になった。日本人が孫文を持ち上げなければならない理由はない。孫文と宋家の娘との仲人をしたのは日本人。張作霖は満州人ではなく、食い詰めて万里の長城を越えて満洲に逃れて来た。日露戦争で日本に協力。中華民国の長になろうという野心を持った。張作霖爆殺はコミンテルンの指令。コミンテルンが世界の将来と思った人は多い。列車の中はサロンになっていて張作霖は社内を移動できた。列車の外からの爆殺ではない。車内に爆弾が仕掛けられた。

中国の土地の六割は少数民族のもの。政府は少数民族を絶滅して国民国家にしようとしている。アメリカがインディアンを絶滅したことを二世紀後の今日、やろうとしている。北京語のみにしようとしている。六割の土地にあった歴史を無視。一%の特権階級が九九パーセントを無視して何が国民国家か。それは革命前の姿。漢民族とは漢字を使う民族と思っている。我々日本人と同じナショナリズムは漢民族にはない。話し言葉は全く違う。中国の脅しに乗るな。脅されたら跳ね返せ。『名古屋に来たくなければ来るな』と言え。譲歩するな。中国大嫌いの運動を起こせ。」

            ◎

千駄木庵主人曰く。今日の支那大陸は、辛亥革命以前に戻っている。共産党幹部という特権階級が、人民を支配し酷使している。これでは国民革命も共産革命も、一体何のために行われたのかという事だ。

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千駄木庵日乗三月十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、北区にある菩提寺に赴き、四宮家の墓所を掃苔。祖先のご加護に感謝し、亡き父のご冥福を祈る。ご住職ご夫妻にご挨拶。

帰途、谷中にて、親子二代にわたって親しくさせていただいている方と懇談。その方も最近父上を亡くされた。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備及び原稿執筆。

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2012年3月19日 (月)

萬邦無比の日本國體

日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神にあり、日本という國家は天皇を祭祀主とする信仰共同體なのである。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 天皇が現御神であられるということは、「今生きておられる神」「この地上に実在する神」「人にして同時に神なる方」「天神地祇・稲穂の神靈の體現者」ということである。天皇が一神教の神・全知全能の唯一絶対神であられるのではない。

 

そしてわが國には太古以来の信仰が祭祀という行事と共に今もわが國民の日常生活に生きている。また、天皇の祭祀は今日唯今も生きた姿で伝承されている。

 伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

 

このように日本民族は古代信仰を今日唯今も生きた形において継承している。言い換えると日本民族は古代信仰を今日唯今も生活の中に生かしているのである。そして古代信仰の祭祀主を君主として仰いでいるのである。これが日本國の素晴らしさである。

 初代の神武天皇から数えて第百二十五代の御子孫であらせられると共に、現御神として邇邇藝命・神武天皇そして御歴代の天皇と全く同じご資格で國家を御統治される今上陛下を、『現行憲法』においては「日本國の象徴」「國民統合の象徴」と規定している。しかし実體的には日本國の君主・國家元首として君臨あそばされている。これは世界史の奇跡であり、他の國家・民族には見られない事実である。まさに「万邦無比の國體」である。我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進しなければならない。

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千駄木庵日乗三月十八日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、諸雑務及び資料の整理など。

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2012年3月18日 (日)

ビル・トッテン氏の講演内容

三月十三日に行われた『一水会フォーラム』におけるビル・トッテン氏の講演内容は次の通り。

「私は日本にいるから幸せな生活をしている。日本人には『君が代』『日の丸』に感謝していない人が多い。私は京都に住んでいるが、祝日に国旗を題している家は私の家だけ。私は四十数年間日本に住んでいるが、携帯電話の呼び出し音を『君が代』にしている。

民主党も自民党も同じ。国中に米軍基地をばらまきなさい。沖縄の人たちが犠牲になっている。『米軍は必要だが自分の近所にはほしくない』と言う日本人は沖縄の人をなめている。負担は平等に受け取るべし。

一九七八年に、靖国神社に『戦犯』が祀られた。日本の政府が『戦犯』の存在を否認すれば、他の国は文句を言わない。私は『戦犯』とは思っていない。たまたま戦争に負けただけ。東京裁判の結果を否認する。東京大空襲・広島長崎への原爆投下を行なったアメリカの方が余程悪いことをした。

アメリカは腐っている。TPPに私は反対。坂本竜馬と勝海舟は嫌い。あの人たちは自給自足の鎖国時代を壊して、独立性のない日本を作った。わざわざ日本文化をなくした。白人の真似の服を着ている。蒸し暑い国で喉と腕を閉じて空気が入らないようにしている。和服は蒸し暑い国に合っている。海舟や竜馬は日本を裏切った。

江戸時代の身分制度の士農工商では、お金を持っている人は一番身分が低い。ユダヤ人は差別され土地を買えない。ヨーロッパのユダヤ人と江戸時代の商人は同じ立場。大企業がアメリカ政府を買収している。アメリカの大企業は政府にTPPをやってほしい。

ものを作るには、土地・金・人・資源が必要。日本には人間は溢れている。三百万人が失業。日本は土地が足りない。欧州の十一倍の人口密度。長い目で見ると有機栽培が、生産性が高い。

夏になると電力が足りなくなると宣伝して原発を推進しようとしている。今生きているわれわれが左団扇になるために、子孫にゴミ処分が苦労させようとしている。平成元年から一昨年までのデータでは、わが国の使う電力量は三分の一増えた。人口は横ばい。贅沢になっている。エネルギーを多く使う生活になっている。

働くほど税金が増えるのは良くない。法人税・消費税をゼロにして、地価税を増やせ。土地の値打ちは自分の腕ではなく、運が良いから土地の値段が上がる。いくら頑張っても自分の力で土地の価格を上げることはできない。新規発行以外の株売買の税をとるべし。新聞・テレビの広告税をとるべし。エネルギーに税金を増やすと我々は倹約する。働いている人、貢献している人よりも贅沢している人から税をとるべし。累進消費税にすべし。

江戸時代の考え方を取り戻すべし。働かないからお金を払うという失業保険はあほらしい。失業者は政府が雇うべし。小規模農業をやらせるべし。失業保険が怠け者を増やす。アヘン戦争以前のアジアは仲良くやっていた。」

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千駄木庵日乗三月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理など。

午後六時より、春日の文京シビックホールにて、『戦略・情報研究会』開催。久野潤氏がコーディネーターを務め、宮脇淳子さん(東京外語大・国士舘大講師)が講演。質疑応答。内容は後日報告します。

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帰宅後は、原稿執筆。

               ◎

小生は本日、満六十五歳になりました。 

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2012年3月17日 (土)

薄熙来解任に思う

共産支那重慶市トップの薄熙来(はくきらい)が党委書記を解任された。支那では今秋の共産党大会を機に発足する最高指導部人事を巡って激しい権力闘争が繰り広げられているという。薄熙来の腹心で汚職摘発とやらを進めていた王立軍副市長(前公安局長)が米国大使館に「命を狙われている」とか言って駆け込んだことの責任を取らされたということだが、もっと複雑怪奇な背景があるに決まっている。太子党と共産主義青年団出身者との権力闘争だという。

共産支那の権力闘争は凄まじい。権力闘争に負けた人間は、監獄にぶち込まれか、殺される。陳希同という以前の北京市長も、江沢民との権力闘争に敗れて監獄にぶち込まれた。今回と同じような形である。その前の北京市長の彭真も毛沢東によって粛清され、後ろ手に縛り上げられて、市中を引き回され、監獄にぶち込まれた。

北朝鮮や共産支那の外交がしたたかだとか言われるが、この二つの国の外交官は、外交交渉に失敗したら、粛清されるのだ。だから彼らは命懸けなのである。

それに比べると、日本の政治家の権力闘争は可愛いものだ。昭和二十年代は、吉田茂と鳩山一郎、三十年代は、佐藤栄作と河野一郎の熾烈な権力闘争があった。しかし、どちらが勝っても、片方が監獄にぶち込まれたり、殺されたりはしなかった。

ただし、佐藤・河野の権力闘争では、佐藤は検察権力を掌握し、河野は警察権力を掌握していたといわれる。河野の影響下にあった警察官僚数人が警察庁から当時河野の牙城だった建設省に移った。二つの官庁は旧内務省系列ではあるが、何とも異様な人事であった。ところが、警察庁から建設省に移った官僚が、すぐ後、選挙違反で検察に検挙される事件が起こった。これは佐藤と河野の権力闘争だと噂された。私の父の旧制中学の先輩がこの事件の当事者の一人だったのでよく覚えている。権力闘争に巻き込まれた形で気の毒であった。三木武夫と田中角栄の権力闘争でも、嘘か本当か知らないが、三木は田中を逮捕させるべく、検察にハッパをかけたと言われている。

日本の権力闘争はこの程度だが、共産国家はもっと凄まじい。北朝鮮も、旧ソ連も、その他の共産主義独裁国家も、権力闘争に負けたり、独裁者を批判したら、粛清される。この粛清とは良くて入獄、普通は死を意味する。裁判にかけられ死刑になるのはまだいい方で、さんざん肉体的に痛めつけられ、拷問されたうえで嬲り殺しにされることもある。毛沢東は、劉少奇・賀龍・彭徳懐といった革命の同志を残忍な方法でなぶり殺しにした。金日成もスターリンも同じことをした。戦前の日本の特高警察も、共産党や大本教幹部に対して同じようなことをした。『治安維持法』で死刑らなった人はいないというが、警察の拷問で殺された人は何人もいる。しかしこれも共産国家の秘密警察の暴虐ぶり残虐さとは比較にならないくらい少ない。ともかく共産主義国家及び共産主義集団の人命と人権の軽視というか無視は尋常ではない。日共や極左勢力のリンチ殺人・テロを見ればそれは明らかだ。

共産支那・北朝鮮という国はわが国など外国に対しても、同じように、常軌を逸した、国際常識を無視した暴虐行為を繰り返している。わが国は心して対峙しなければならない。生半可な対応では,してやられる事は必定である。また、北朝鮮や共産支那と同根の日本国内の左翼勢力に対しても警戒を緩めてはならない。

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千駄木庵日乗三月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿脱稿・送付。

午後五時より、神田にて、たちばな出版の方と『伝統と革新』実務打ち合わせ。

帰宅後は、資料の整理。

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2012年3月16日 (金)

大野俊康先生御著書『特攻魂のままに』を拝受して

先日靖国神社第七代宮司・大野俊康先生より、御著書『特攻魂のままに』(展転社刊)を拝受した。愛国尊皇敬神の篤きお志に満ち溢れた素晴らしいご本である。

とりわけ感動したのは、吉田松陰先生が、「安政の大獄」で処刑される直前、同囚の堀江克之助に与えた書状の中で「天照の神勅に、『日嗣の隆えまさむこと、天壌と窮りなかるべし』と之あり候所、神勅相違なければ日本は未だ亡びず、日本未だ亡びざれば正気重ねて発生の時は必ずあるなり。唯今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり」と記された御文を引用され、

「日本は今、本当に乱れております。…しかし、天皇陛下は…天照大御神様の御神勅のまにまに万世一系の皇位を践んでおられます。そして宮中祭祀、伊勢の神宮祭祀、お祭りを立派になされておられます。…何という素晴らしい国ではありませんか。神勅はまさに今に生きておるわけでございます。お互いに心からこの御神勅を仰ぎ、この混迷せる日本の国を更に立派に立て直していかなくてはなりません。…『神勅を疑ふの罪軽からざるなり』。この日(紀元節)にあたり、お互いに改めて御神勅を仰ぎ、真の日本人と目覚め、お互い手をつないで祖国再建のために頑張ろうではございませんか」と論じられた文である。

処刑の直前といふ絶望的状況にあっても、なほ、日本國體に対する絶対的信を保持せられた松陰先生に対し無上の尊敬の念を抱く。松陰先生のその書状には、

「皇神の誓ひおきたる國なれば正しき道のいかで絶ゆべき」という歌も記されている。

祖国日本は今日、累卵の危機にあると申しても過言ではない。

大野先生の御教示を体し、松蔭先生の強き信念に学び、今後とも、言論活動に邁進していく覚悟である。

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千駄木庵日乗三月十五日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年3月15日 (木)

承詔必謹の精神と防人の歌

私心なく天皇につかへまつる「道」そのものが日本の道義精神である。それが「承詔必謹」の精神である。

日本人の「承詔必謹」の精神は、『萬葉集』の「防人」(さきもり)の歌に端的に歌はれてゐる。飛鳥時代、新羅が唐を背景としてわが国を侵略する危険があったのに対して、わが国は、太宰府を置いて、九州と壱岐・対馬二島を管理せしめ侵略軍を防がんとした。このために東国諸国の国民から選抜し、筑紫・壱岐・対馬で守備の任にあたらせた国土防衛の兵士が「防人」である。

「今日よりは顧(かへり)みなくて大君の醜(しこ)の御楯(みたて)と出で立つ吾は」          (四三七三)

これは防人の代表的な歌である。火長今奉部與曾布(くわちやういままつりべのよそふ)の歌。下野(栃木)の防人。「火長」とは『養老令』に「およそ兵士十人を以て一火となす」とあり、兵士十人の長のこと。帝國陸軍でいへば伍長が軍曹の位といふ。練達の下士官。「今日よりは」の「今日」は門出・出征の日を指す。「顧みなくて」は自分自身の私事は一切顧慮しないといふ意。

「醜」は、醜悪の意であるが、自らへりくだって言ってゐる。数ならぬ、ふつつかながらといふ意。「御楯」は、國の守りの任のことを具体的に表現した言葉。シコは、しこるといふ意味から、固く強きことを言ひ、転じて頑ななどといふ意味になる。良い意味にも悪い意味にも使はれ、自ら頑固といふ人には、信条一貫してゐる人が多い。

楯は、矢・鉾・槍から身を護る武具。それから転じて、大君を守護し奉り、大君のしろしめしたまふ国土を者即ち兵士の意となる。大君に仕へまつる兵士なので「御」を付けた。「大君の醜の御楯」で「天皇陛下の兵士」といふ意味になる。

通釈は、「防人としての任務につく今日からは、最早我が身のことは一切顧みないで、ふつつかながら大君にお仕へ申し上げる兵士として私は出発致します」といふほどの意。

與曾布には大君の醜の御楯としての光栄・自負心・矜持・歓喜がある。故に父母・妻・子を顧みないのである。この歌は千古万古に国民の胸に躍る決意の響きがある。極めて明快で謙虚で確固とした心が歌はれてゐる。庶民の歌としてまことに高貴な昇華を遂げてゐる。生死を超えた爽やかさがある。歌の響きは、さやかで清潔で静かに深く澄んでゐる。深くしみ入るやうに響きを持ってゐる。東国の一兵士がこのやうな志を身に着けていたことは驚嘆に値する。天皇を大君と仰ぐ祭祀共同体国家日本の民としての自覚があったのである。

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千駄木庵日乗三月十四日

午前は、母のお世話

午後は、今夜の『萬葉集』講義の準備など。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、天智天皇・天武天皇御製などを講義。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年3月14日 (水)

石原慎太郎氏の講演記録

三月十一日に行われた石原慎太郎氏の講演記録は次の通り。

            ◎

「祈ることは誰にでもできる。行動しなければ駄目。哲学が説かれた聖典は仏教にしかない。哲学とは存在と時間を考えること。時間が物事の存在の形をどんどん変えていく。渡辺美智雄氏は『色即是空・空即是色』を『カラーイズスカイ・スカイイズカラー』と訳した。全ての存在=色は空である、全ての物事は変化するということ。変化するということが存在の証明。時間とは存在の写す影。

宇宙の大きさは想像を絶している。ペルーの高原に展望台がある。世界で一番空気が乾燥しているので、宇宙を観察するのに適している。あの高原に寝転がっていると、宇宙と自分が接していると実感する。そこの高原から銀河が見える。天の河のガスまで見える。存在の無限性を体感した。

私は坊主・神主・神父が大嫌い。伊勢神宮に参拝した時、神官に『もっと神道の教えを説くべきだ』と言ったら、神官は自分が神様でもないのに『神は言挙げしない』と言った。お寺に墓石を新しく建てたいと言ったら、その寺の指定する墓石屋でなければ駄目と言われた。高かった。よその墓石屋の五倍も取られた。『独禁法で取り締まれ』と言ったら、全政党が反対した。京都の坊主はいやらしい。拝観料で儲けて酒を呑んでいる。こんな風俗は外国にはない。

中国とは広島や岡山のこと。支那は支那。支那と呼んだのは孫文。ドイツもアメリカも支那と呼んでいる。私と渡部昇一氏がテレビの対談で支那という言葉を使ったら、その番組は没になった。

地球の温暖化はバカにできない。ホーキング氏は『宇宙には地球程度の文化がある惑星は二百万くらいある』と言っていた。あと十年で北極海の氷は完全に溶ける。赤道に水が集まる。

ノルウェーとギリシアとでは全く価値観が違うから、ヨーロッパとして一緒にすることはできない。陰湿なヨーロッパが世界を支配していたが、イスラムの報復が始まった。キリスト教国は勝てない。イラクからアメリカが撤退したら元の木阿弥。イラクが可哀想。イランが核を持つことに何故戦々恐々するのか。

日本は核兵器を装備すべし。そこまでいかなくても核兵器保持のシミレーションを発表すべし。三つの恫喝的国家に国境を接している日本は、じっとしているだけ。核を持たなければ世界で相手にされない。

自民党も民主党も駄目。オリンピックを完全に支配しているのは白人。その手先になっているのはかつての植民地。日本は一番大事なところか腐って来た。

体を動かさなければ駄目。桜井よしこから『輿石を落とすために山梨に応援に行ってくれ』と二回も言われたので山梨に行った。ところが当人は来なかった。象は自分の肉親の葬式をする。日本人は親が死んでもそれを隠して年金を詐取する。テレビ番組は温泉と食べ物のことばかり。政治家は保身しかない。

消費税は上げるべし。五%なんていう国は世界にない。政治家はバカでも日本人は利巧だから消費税は上げてもいいと言う。我欲をどうやって捨てさせるか。

憲法は改正では時間がかかる。破棄すべし。占領中に作られた憲法を六十年以上も持っている国は日本のみ。破棄は簡単にできる。手続きがいらない。前文は間違いだらけの日本語。

官僚はごまかす仕組みを作っている。日本国にバランスシートはない。財務諸表なし。複式簿記でなければ会社は運営できない。」

             ◎

千駄木庵主人曰く。特に憲法破棄問題、既成宗教の腐敗、地球温暖化、核武装などなどきわめて重要な問題が語られた。神道は祭祀宗教とされ、救済宗教ではないので、神官はあまり布教活動をしないという説がある。ただし、教祖・教典のある教派神道は布教活動を行う。大きな寺院は経済的に豊かだが、小さい寺院は大変なようである。

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千駄木庵日乗三月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後七時より、『一水会フォーラム』開催。ビル・トッテン氏が講演。質疑応答。

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講演するビル・トッテン氏

帰宅後は、明日の『萬葉集』講義の準備。

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2012年3月13日 (火)

萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

  日時 三月十四日 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方はテキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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島田晴雄千葉商科大学教授の講演内容

三月十一日に行われた『三月十一日 日本人の原点「祈りの日」式典』(世話人代表・村上正邦氏)における島田晴雄千葉商科大学教授の講演内容。

           ○

「大震災発生直後に大型バンで石巻と女川に言った。石巻は町の半分が抉り取られていた。女川は町の全てが抉り取られていた。地上から四十メートルのところに瓦礫がぶら下がってゐ。その高さまで津波が来たという事。女川の人々は自然の神の怒りを従容として受け止めた。

海外のメディアは、日本人は忍耐強いと讃えた。サプライチェーンマネジメント(注・供給者から消費者までの流れを管理すること)がズタズタにされた。しかし二、三か月で復旧した。仙台塩釜間の電柱はみな倒れたが、四十九日間で復旧した。

一四〇カ国からの援助があった。同盟国のアメリカから十八万の将兵が東北復興に参加した。仙台空港の復旧が早かったのはアメリカのお蔭。アメリカは『日本は最大限の核攻撃を食らった』として太平洋艦隊の出動を命じた。強襲揚陸艦でトラックを揚げた。

それに比べと日本政府の動きは鈍かった。時の首相は部下の官僚を信頼できない。政治家も信頼できない。自分で全てやろうとした。しかし首相にやってくれない方が良かったことが多かった。善意で一生懸命やったのだろうが、全てが遅れてしまった。日本にとって不幸だった。十一月にやっと本予算が組まれ、十二月にやっと復興庁が出来た。

原発には安全神話があった。安全神話を信じ込まされたので、予備電源を海岸に付けた。誰も事故に関する訓練をしなかった。そんな訓練をしたら原発は安全ではないと世界に示すようなものだとして訓練しなかった。ロボットを使うことも『安全ではないということになるから止めろ』という命令が出た。

国民に情報開示せよ。国民に嘘を言うな。人事を尽くし安全の限りを尽くすべし。原発は必要だが、国民の理解を得なければ駄目。

人類未踏の核戦争なのだから、与野党は政策・政権の違いは置いておいて、救済・復旧について一日も早く実行するために、戦時協力をすべきだった。

太陽経済都市圏を被災地につくるべし。原発で国土が汚れる。太陽経済エネルギーにすべし。ドイツは二十五%が太陽エネルギー。第四次産業革命。太陽経済の技術の先鞭をつけたのは日本。原子力マフィアが『原子力が良い』と言っている間に太陽光が遅れてしまった。

東北の人々に元気を貰いながらこの国を立て直す。第二次大戦で日本の都市は廃墟になった。世界に広がっていた利権をなくし、三百十万人が亡くなった。しかし敗戦二十年後にアメリカに次ぐ経済大国と言われるようになった。日本を戦争に追いやった仕組みを解体した。世界のどの共産主義国よりも平等で、世界のどの資本主義国よりも競争的な国が出来た。弱体化のための占領政策を逆手にとって、一億国民が打って一丸となって頑張った。しかしその時作った仕組みで止まってしまった。若者に未来を託すような仕組みになっていない。国民が国の将来を信ずることができない。

今、原発をなくしたら経済は成り立たない。自動車と同じ。自動車は危険だからやめるとは言えない。情報を公開し国民を信じそして死力を尽くして、十年二十年かけてでも太陽経済への移り変わりを実現したい。

野菜・果物・畜産は自給できる。TPPに入ってこそ日本の農産物が世界で売れる。七百ある大学のうち二百の大学が破綻する。私語が多くて大学の授業が成り立たない。授業崩壊。大学に来なくていい若者が集まっている。世の中を知らない大学教授が作った試験を受けて合格する。

異文化の海外で活躍するには自分の人間力で相手を信じ込ませることが必要。我々の務めは子供を残すこと。子供の活躍の場を残すこと。祖国を愛すること。我々の命は天照大御神につながっている。民族国家が祖国である。日本列島の地震発生率は世界の一七〇倍」。

            ○

わが国には古代から地震が多い。最近『日本書紀』を通読しているのだが、地震の記事が数多く出て来る。何回も書くようだか、わが国は国難を契機にして変革を断行し、発展してきた国である。今の国難も、これを逆手にとって、一層の発展を遂げると確信する。そうしなければならないのである。

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千駄木庵日乗三月十二日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、来客と懇談。

この後は、在宅して原稿執筆など。

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2012年3月12日 (月)

この頃詠みし歌

父上の遺影に線香を供へるが朝の習ひとなりにけるかな

静かなる丘のみ寺にうから集ひ父の眠れる墓を拝ろがむ

父上の四十九日の法要をつつがなく終へて心やすらふ

大いなる仏の光に包まれてわが父よ安らかに眠りたまへよ

若き日の父に連れられ見に行きしディズニー映画の懐かしきかな

王朝の貴族の書蹟を眺めつつこの国の美しき文化をしのぶ (「古筆手鑑―国宝『見努世友』と『藻塩草』展」参観

)

聖武天皇御宸筆と言ふ墨跡を拝しつつひろらけき御心をしのぶ(

)

雪の日に桜田門を眺めつつ万延元年の天誅を思ふ(出光美術館にて)

大江戸と称する地下鉄の狭き車内 我は窮屈に座りゐるなり

日日(にちにち)のつとめを果たし生きてゆく我を守らせ天地の神

女性闘士と言ふにはあまりにしとやかな台独連盟委員長に会ふ(王明理台湾独立建国聯盟日本本府委員長の講演を聞きて)

父上の意志受け継ぎて台湾の独立目指すことの尊さ()

帰宅出来ぬ人等を締め出し自らの保身計りしJR幹部

春の雨降り続く日に霊園に来たりて経讀む声を聴きをり

新しき墓石並ぶ霊園に春の雨降れば永久の安らぎ

つひにして六十五歳となりにけり年金支給は喜びや否や

雪の朝 道を歩めばおぼつかなし たった五センチの積雪なれど

町の中で雪遊びする子供なし わが幼き日はすでに幻

大いなる禍(まが)に斃れし人々の御霊鎮めの題目の声(大東亜戦争東京大空襲第六十八回忌・東日本大震災第一周忌逮夜法要)

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千駄木庵日乗三月十一日

午前は、母のお世話。

午後二時より、元赤坂の明治記念館にて、『三月十一日 日本人の原点「祈りの日」式典』(世話人代表・村上正邦氏)開催。国歌斉唱・黙祷・献花・お神楽・祈りの詩朗読などが行われた後、島田晴雄千葉商科大学教授・石原慎太郎東京都知事が講演した。講演内容は後日報告します。多くの同志・友人・知人にお会いした

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2012年3月11日 (日)

清水馨八郎千葉大学名誉教授)の講演内容

本日行われた『大東亜戦争東京大空襲第六十八回忌・東日本大震災第一周忌逮夜法要』における清水馨八郎氏(千葉大学名誉教授)の講演内容は次の通り。

「私が土浦航空隊予科練の教官から江田島の海軍兵学校の教官に転任する日に東京大空襲があった。大東亜戦争は、産業革命・フランス革命に次ぐ大革命。大東亜戦争によって植民地が無くなった。肌の色で人間を差別しない世界にした。黒人がアメリカ大統領になった。人類を幸せにした。オバマ大統領は天皇の御前で九十度のお辞儀をした。オバマ氏には広島と長崎でもお辞儀をしてほしい。

日本は太平洋を越えてアメリカを侵略しようとしたのではないから、太平洋戦争ではない。大東亜戦争は植民地を解放した。明治天皇は明治維新を行なった。昭和天皇と昭和の民は、世界維新を行なった。昭和は素晴らしい時代。世界に誇るべき時代。日本がなかったら今日の世界はない。

日本は太陽の下の国。他の国は星の下の国。日本は昼の国。他国は夜の国。夜が好きなのは泥棒。日本は東洋でも西洋でもない。日本は日本。英語はアルファベット二十六文字。日本語は五十音。日本では漢字を小学校で千字、中学校で二千字、高校で三千字教える。学問とは新しい概念を作ること。日本語はどんどん四字熟語を作る。新しい概念がどんどん作られる。

戦前の童謡『すずめの学校』の歌詞は『すずめの 学校の 先生は ムチを 振り振り チイパッパ』戦後の童謡『めだかの学校』の歌詞は『めだかの 学校の めだかたち だれが 生徒か 先生か だれが 生徒か 先生か みんなで 元気に 遊んでる』。戦前の学校は、先生が教壇に立って鞭を振って教育した。戦後の学校は先生と生徒の区別がつかない。

戦後は『教育勅語』を否定した。『教育勅語』に示された『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ』とは大和魂のこと。平和の時は本居宣長の『しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花』、戦争の時は村田清風の『しきしまの大和心を人問はば蒙古のつかひ斬りし時宗』」。

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千駄木庵日乗三月十日

午前は、母のお世話。

午後二時より、江東区東砂の江東メモリアル(法華堂江東別院)にて、『大東亜戦争東京大空襲第六十八回忌・東日本大震災第一周忌逮夜法要』執行。続いて、若山和子氏が宮沢賢治童話「よだかの星」「雨ニモマケズ」朗読が行われた。そして、清水馨八郎千葉大学名誉教授が講演を行った。

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講演する清水馨八郎氏

帰宅後は、資料の整理と検索、原稿執筆。

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2012年3月10日 (土)

天皇の国家統治について

『大日本帝国憲法』第一条の『統治ス』は、権力によって支配されるということではない。『やまとことば』で言う『しろしめす』のことである。

「しろしめす」は「知る」の尊敬語である「知らす」にさらに「めす」という敬意を添える語を付けた言葉である。『續日本紀』に収められている文武天皇の宣命には「現御神と大八島國知ろしめす天皇」とある。また『萬葉集』では「御宇天皇代』と書いて「あめのしたしらしめししすめらみことのみよ」と読んでいる。

この場合の「知る」とは単に知識を持っているという意ではない。もっと深い精神的意義を持つ。天下の一切のことを認識し把握するというほどの意であろう。

文武天皇の『宣命』に「天津神の御子ながらも、天に坐す神の依さし奉りし随(まにま)に、聞こし看し(め)し来る此の天津日嗣高御座の業と現御神と大八島國知ろしめす倭根子天皇命の授け賜ひ負せ賜ふ…」と示されている。

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになる(お治めになる)という、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いたのである。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

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千駄木庵日乗三月九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して原稿執筆など。

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2012年3月 9日 (金)

台湾独立運動と私

李登輝氏は「台湾民主化の父」である。そして王育徳氏は「台湾独立運動の父」である。しかしまことに残念ながら、台湾独立はいまだ達成されていない。

私が王育徳先生にお会いしたのは、昭和四十七、八年頃と記憶する。私が初めて台湾を訪問した直後だった。台湾初訪問の前に、私の文藝上の師である中河与一先生から、台湾独立運動のことを聞いていた。王育徳先生は、若い頃文藝に関心を持っておられ、中河与一先生の主宰していた同人雑誌『ラマンチャ』に参加していたという。私も後年その雑誌に参加した。

また、当時私が勤務していた二松学舎大学では宇野精一先生が教授をしておられた。宇野先生は私に『こういう運動もあるのだよ』と言われて『台湾青年』を下さった。それが『台湾青年』を読んだ最初であった。そして、王育徳先生の著書『台湾―苦悶するその歴史』を購入して拝読した。それまで私が全く知らなかったことが書かれてあり勉強になると共に感激した。

そういう言わば予備知識を得て台湾を初訪問したのである。その頃、国民党政権は「自由中国」「フリーチャイナ」という事を盛んに宣伝していた。しかし、実際は全くその逆で、国民党一党独裁国家で、台湾人に自由はなかった。また、台湾人が支那人に対して大きな反感を持っていることを実感した。ある人は支那人を日本語で「奴ら」と言った。またある人は「チャンコロ」と言った。酒場で隣に席にいた台湾人の人が話しかけてきて、「あなた方は日本人ですか。私は元日本陸軍上等兵ですよ。日本語はお国に返しましたが、大和魂はまだ持っていますよ。台湾に女を買いに来る今の日本人より私の方が、大和魂がありますよ」と言われた。これには本当に感激した。台湾神社があったところにも宋美齢が円山大飯店を建てたことにも怒りを覚えた。

台湾初訪問で私はますます台湾独立が正義であることを確信した。そしてその後、当時新宿の厚生年金会館で開かれていた「二・二八革命記念集会」に参加するようになった。初めて参加した時、受付の横に立っておられた周英明氏に「あなたが王育徳先生ですか」と聞いたら「王先生はあの人です」と言って紹介して下さった。その時が王育徳先生との初対面であった。

何時の集会かは忘れたが、王育徳先生がスピーチで「白い豚も黒い豚も、台湾独立に反対する豚は皆悪い豚だ」と言われたのが昨日のことのように思い出される。これは、日本が台湾を去った後、国民党が台湾を占拠したことを、台湾人が、「犬去りて豚来たる」と言ったことをもじったのである。また鄧小平が「白い猫であれ黒い猫であれ、鼠を捕るのが良い猫だ」と言ったのをもじったのである。

昭和五十年代前半、私が編集を担当していた新聞の印刷を銀座にあった住宅印刷とうところでしていたので、校正にその印刷所によく行った。その印刷所では台湾共和国臨時政府の機関紙『台湾民報』の印刷もしていたので、当時の林台元大統領にもよくお会いした。たった一人で校正をしておられた。『台湾人元日本兵の補償問題を考える会』の会報の印刷もその印刷所でしていたので、王育徳先生にもお会いした。王先生もたった一人で校正をしておられた。字数が多くて原稿が紙面に入りきらず困っておられることもあった。王育徳先生は『この運動は本来日本人がやるべき運動だよ』と言われた。そういうお二人の姿を見て本当に胸迫るものがあった。まだ当時は、台湾の「民主化」も実現しておらず、台湾独立運動も絶望的な戦いであった。

今日講演された王明理さんは王育徳先生の令嬢である。何時の集会かは忘れたが、まだ女学生だった王明理さんが父上に花束を贈呈したのを憶えている。

王育徳先生をはじめ台湾独立運動に挺身された多くの方々が祖国の土を踏むことなく、この世を去られた。心より哀悼の意を表する。

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王明理台湾独立建国聯盟日本本部委員長の講演記録

七日に行われた『台湾研究フォーラム』における登壇者の発言は次の通り。

永山英樹会長「文科省の検定が、教科書の地図で台湾を中国領にしている。中国への配慮。中国を喜ばせる。台湾併呑のために日本の世論を誘導している。教科書は三百万人の子供たちが使う。台湾は中国の一部という事に違和感を持たなくなるのは困ったこと。台湾による東日本大地震の被災地支援に日本人は感謝している。国民党政権になったから、民放やNHKが台湾を取り上げることに中国は反対しない。国民党政権は、台湾は中国の一部と言っている。中共は国民党を操っている。」

王明理台湾独立建国聯盟日本本部委員長「一九五五年、国民党政権に対するシャドーキャビネットとして台湾共和国臨時政府樹立。父も誘われて集会に行った。大統領・閣僚・国会議員はいたが、具体的活動無し。砂上の楼閣。在日台湾人・台湾留学生に人気無し。父は参加を見送った。父は密入国して東大に再入学していた。保証人の倉石武四郎氏から『卒業するまでは政治運動はするな』と言われていた。一九六五年、台湾共和国臨時政府の廖文毅大統領は国民党政権に投降した。国民党政権は台湾独立運動の壊滅を宣伝。台湾独立運動は信用を無くしマイナスエネルギーが働いた。しかし、臨時政府のようなやり方はしないという反面教師になった。

(注・王育徳氏)は自宅を事務所にして台湾独立運動を始めた。一九六〇年、父は、黄昭堂先生などと共に台湾青年社を結成した。『中華民国体制打倒・台湾人による民主国家建設』を目標にした。『台湾青年』発行が一番の活動。台湾独立のコンセンサス作り、留学生に台湾人意識そして日本人に台湾独立を理解させるのが目的。二間しかなかった家の奥が父の書斎兼寝室。『台湾青年』の発送が終わらないとご飯も食べられなかった。父は楽しそうだった。資金が大変だった。父は明治大学の非常勤講師だった。父は一人で募金に歩いた。横浜・新宿・池袋の台僑の人々のところを回った。十中八九は断られた。父は『啓蒙活動になる』と言っていた。

当時はパソコン・FAXもなかった。電話もなかった。効率が悪かった。原稿は日本語で書いていた。父が校正をした。ちゃんとした日本語で書くのは大変だった。許世楷・黄昭堂・周英明氏などは、日本語で博士論文を書いた。そして大学教授になった。台湾人・朝鮮人・中国人がたどたどしい日本語を使うと日本人にバカにされる。また、台湾に帰ることが出来ない。日本に腰を据えて生きるために日本語を身に着けようとした。

『台湾青年』は第十号から隔月刊から月刊になった。宗像隆幸さんが編集部に入った。その後四十二年間携わって下さった。一九九六年に中文版も発行。アメリカにいる台湾人留学生にも読ませた。アメリカでの台独運動に火が付いた。留学生名簿・台僑名簿で手当たり次第に『台湾青年』を送った。『台湾青年』を購読していると『反乱罪』になるので怖がる人がいた。中華民国駐日大使館にわざわざ持って行って『私は関係ない』と言った人もいる。秘密聯盟員も増えた。

一九六三年に台湾青年社を台湾青年会と改称し、中央委員会を設置。黄昭堂氏が委員長に就任。事務所も父の家から外に構えた。宗像隆幸氏が管理した。六四年から五年間、父は第一線から退いた。父は、日本社会にもっと理解を得てから実際運動をしようと考えていた。過激な運動は望まなかった。世代間の違い。組織が大きくなった。しかし発展の中で足元をすくわれる出来事があった。一九六四年、父は『台湾―苦悶するその歴史』を出版した。歴史学・民族学・地理学から書いた。この本は独立運動の拠り所となった。台湾語の研究により博士論文が完成し、博士号を取った。台湾語は中国語とは違うという事を主張。

一九六四年に『陳純真スパイ事件』が起こり、黄昭堂氏など七名が逮捕された。スパイであることを白状させた時、軽いけがをさせた。それを陳純真が警察に訴えた。六七年、連盟幹部の林啓旭・張栄魁両氏が強制退去令で入管に収容され、ハンガーストライキを行った。宮崎繁樹明治大学教授が『張・林両君を守る会』を結成、街頭演説などを行った。大宅壮一氏などが賛同した。東京地裁が強制退去の執行停止を命令した。一九六八年に、入管の仕返しで『柳文卿強制送還事件』が起こった。黄昭堂氏など十人が羽田空港で逮捕された。柳文卿は送還されたが、国際世論の喚起により、極刑を免れ監視軟禁下に置かれた。この後、台湾からの日本への留学生が少なくなった。黄昭堂氏は昨年最後にお会いした時、私に『柳文卿強制送還の時、台湾に送還すれば死刑になると分かっていて送還させた日本政府のやり方は、私たち台湾人の心の傷になっている』と語った。

一九七〇年一月一日、台湾青年独立聯盟は結成十年にして世界組織となり、台湾独立聯盟が成立した。アメリカに本部が置かれた。七〇年一月三日、日本本部の宗像隆幸氏の救出作戦により、彭明敏博士が台湾を脱出した。七〇年五月、日本本部の小林正成氏が、台北市で台湾民主化を訴えるビラをまき逮捕され、警備総司令部に四か月間収監された。釈放の際、獄中の政治犯からのメッセージを聯盟に持ち帰った。これにより数名の政治犯の命が救われた。小林氏は台湾人の命の恩人。

一九七三年、政治色のない台湾人団体を作る目的で、台湾同郷会を設立した。裏方は独立聯盟の人たちだった。一九七五年『台湾人元日本兵の補償問題を考える会』(代表=宮崎繁樹氏。事務局長=王育徳氏)結成。この前年に台湾人元日本兵・中村輝夫さんがインドネシア・モロタイ島で発見された。三十年間ジャングルで戦った。中村輝夫さんは、三十年間、身を清めて毎朝皇居に拝礼した。畑を耕して芋を作り食料にした。銃を毎日手入れしていて使える状態だった。それなのに日本政府から六万円支払われただけで台湾に返され、お払い箱にされたことに父は唖然とし憤った。中村さんの背後に二十万人の台湾兵の悲哀があった。戦死者は三万、戦傷者はそれ以上。日本からも国民党政権からも相手にされない。補償されない。台湾社会では片隅に追いやられていた。補償を日本政府に訴えた。恩給法・障害保険に国籍条項の壁があり、日本人ではないということで一切の補償なし。台湾と外交関係がないという壁もあった。父は、台湾人の人権のために戦うのだから台湾独立運動の一環と考えた。しかし、国民党の妨害を考えて黒子に徹した。聯盟本部でプラカード作り、署名板作りなどを行った。この運動は成功した。父が走り回って議員懇談会を作った。マスコミが取り上げた。一九八七年に有馬元治(父の台北高校の先輩)・永末英一氏など十五名が議員立法をおこなった。弔慰金が一人二百万円支払われた。

一九八六年、米国議員が『台湾民主化促進委員会』を作った。台湾民衆には国民党の洗脳を受けている人が多かった。私は去年九月に聯盟の日本本部委員長になった。聯盟の人は自分の信念に忠実。そういう人がいたから日本人の理解者が増えた。台湾が本当の独立国家にならなければも亡くなった人たちの魂は救われない。」

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千駄木庵日乗三月八日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、原稿執筆。

夕刻、所用で上野に出る。

帰宅後も原稿執筆。

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2012年3月 8日 (木)

日本國體について

日本といふ國家には日本の長き歴史の中から生まれてきた日本独自の<立國の精神>がある。それは、日本列島の豊かな自然環境と共に生きる生活・風土の中から生成して来た。

日本民族の生活の基本は稲作であり、日本人の主食は米である。古代から現代に至るまで、稲作を中心とした農事を営む人々が、五穀の豊饒を神に祈り、豊作を神に感謝する祭祀を行って来た。

祭祀を中核とする共同體の統率者・祭り主は信仰的権威を担った。古代における祭り主を中心とする信仰的な血族関係即ち共通の祭祀と文化を持つ村落共同體が、民族共同體へと自然に発展し生成してきた國家が、日本國である。つまり、稲作文化が祭祀を生み、その祭祀の祭り主を中心とした共同體の生成が、日本國家の成立である。

天照大神をはじめとする天津神、そして大地の神である國津神、水の神、および稲穂の霊などをお祭りされ、國民の幸福と五穀の豊饒を祈られる祭り主は、天照大神の御子即ち「日の御子」として國民から崇められた。

天照大神は、太陽の神であるのみならず、天皇の御祖先神と信じられた。そして天地の神々の祭り主たる天皇を、古代日本共同體の統一と連帯の中心者と仰いだ。

これがわが「日本國體」である。わが國肇國以来の國體は、「日本は天皇を祭祀主・君主と仰ぐ祭祀國家・信仰共同体である」といふことである。これは永遠に変はらざるわが國體のである。この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義なのである。

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千駄木庵日乗三月七日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後六時十五分より、春日の文京シビックセンターにて、『台湾研究フォーラム』開催。永山英樹会長が挨拶。王明理さん(詩人・翻訳家・台湾独立建国連盟日本本部委員長)講演。質疑応答。内容は後日報告します。

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講演する王明理さん

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年3月 7日 (水)

國體と憲法

本日の『憲法勉強会』にて、小生は次のようなことを話させていただいた。

           ○

法律とは共同生活を営む人間同士の契約文書である。ということは、人間同士が本当に信頼し合って生きていく世の中であれば法律などは本来不必要だとも言える。要するに法律は人間性悪説に立脚していると言っても過言ではない。

西洋の成文憲法の淵源とされる『マグナカルタ』(一二一五年、イギリスの封建諸侯が國王ジョンに迫り、王権の制限と諸侯の権利を確認させた文書。國王の専制から國民の権利・自由を守るための典拠としてイギリスの立憲制の支柱とされる)は、専制君主と國民との間の不信感に発して作られた契約文書にほかならない。

したがって、信仰共同體たる「天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家日本」には成文憲法は本来不必要なのである。しかし、現実には明治以来、近代國家が建設され、國家権力機構も巨大化し、西洋文化・文明も輸入されてきたため、成文憲法を否定してしまうことは出来なくなった。西洋法思想をとり入れた成文憲法が必要であるということになった。そこで制定されたのが『大日本帝國憲法』である。

明治天皇は『大日本帝國憲法及び皇室典範制定の御告文』(明治二十二年二月十一日)に、「顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ、人文ノ発達ニ随ヒ、宜ク皇祖 皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ、典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ、内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ、外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ、益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ、八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ、茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス、惟フニ此レ皆皇祖皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス」と示されている。

「洪範」とは天下を統治する大法という意味、「紹述」とは先人の事業や精神を受け継いで、それにしたがって行なう意味である。

『大日本帝國憲法』と『皇室典範』は、天照大神の御命令によって高天原より瑞穂の國に天降られた天孫邇邇藝命以来御歴代の天皇の日本國御統治の大法を実行することを記した成文法なのである。日本國の憲法は本来かかる本質を持っているのである。

日本國體(國柄)は、憲法に基づいて確立されるのではない。日本國體(國柄)に基づいて憲法の國體に関する条項が成文化されなければならない。憲法は國の基本法であるけれども、「憲法にこう書かれているから、皇室はこうあらねばならない」とか「天皇はこういうことをされてはならない」と主張するのは本末転倒なのである。日本國の憲法は天皇の國家統治の道統に即して制定されなければならないのである。「憲法があって國家がある」のではなく、「國家があって憲法がある」のである。

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千駄木庵日乗三月六日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後六時半より、新九段下沙龍にて、「憲法勉強会」開催。憲法の『天皇条項』について討論。

この後、運動の先輩である山口申氏の誕生祝を兼ねた激励会開催。近藤勢一氏の音頭で乾杯。談論風発。杉山清一氏の久しぶりの「ここは日本だ」との雄叫びに感動。

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2012年3月 6日 (火)

天皇の仰せ事が絶対の法である

天皇の神聖なる権威を御稜威と申し上げる。祭祀共同体日本の根底に、天皇の御稜威がある。天皇の御稜威に帰一することが、日本国家存立の基本である。

日本における道義精神即ち「道」とは、天皇の神聖権威に従い奉ることである。道義にかなうから天皇の神聖権威に従い奉るのではない。天皇の御稜威に従い奉ることが即「道義」なのである。

これは権力の強制に依るのではない。日本人の「清明心」即ち清らけく・明らけき心そのものなのである。私心なく天皇につかえまつる道そのものが日本の道義精神なのである。

萬葉人・防人は、この精神を「大君の 命かしこみ 磯に触り 海原を渡る 父母を置きて」(助丁丈部造人麿)と歌った。

日本は道義の中心は、清明心の根源、無私の精神の体現者であらせられる現御神・日本天皇の神聖権威である。日本国民は、古代より、天皇の神聖に権威を通じて正義・道義を自覚した。

従って、日本国の最高権威は天皇以外に存在しない。天皇の仰せ事が絶対の「のり()」なのである。

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千駄木庵日乗三月五日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、諸雑務。

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2012年3月 5日 (月)

馬田啓一杏林大学総合政策部教授の講演内容

三月三日に行われた『アジア問題懇話会』における馬田啓一杏林大学総合政策部教授の講演内容。

「TPP交渉を主導しているのはアメリカ。アメリカの産業界や議会の意向を反映している。オバマ政権は、昨年十一月のホノルルでのエイペック会合でのTPB交渉の最終合意のシナリオを描いていたが、扱いが難しくて話がまとまらず、大枠で合意した。二0一二年末までに妥結するということになっている。今年は米大統領選挙がある。今年年末の合意は難しいと言われる。中国も指導者交代があり、重要な意思決定が出来ない。途中参加の日本にとっては都合が良い。チャンスがあるという考え方もできる。

日本では農水族議員が一番反対している。野田首相は去年十一月に関係国との協議に入ると発表。手ごわいのはアメリカとの事前交渉。

日本のTPP参加表明で一番あわてたのは中国。焦りが出てきている。カナダ・メキシコも参加するとなると、アジア太平洋から中国が締め出される懸念を感じている。米中の確執が激しくなった。日本はそれなりの役割を果たす必要あり。日本が米中のはざまに埋もれてしまうことが厳しく指摘されている。日本のプレゼンスを高めるべし。米中の調整役を果たす正念場に差し掛かっている。

WTOは失速気味。アメリカはアジア重視に転換しつつある。アメリカのアジアにおける権益が失われる恐れが出て来た。アジア太平洋のFTAを構築しようとしている。TPPを梃子にFTAAPの実現を目指す。米主導のTPP拡大を懸念する中国は、非TPPの枠組みとして東アジア経済統合の実現を急ぐ。米中による陣取り合戦の様相。そうした中で日本はどういう対応をすべきか。広域FTAの重層的な取り組みで、アジア太平洋の成長に取り組む基本的な戦略が必要。日本経済の再生のためにアジア太平洋の経済力を取り込む。地政学的優位性を利用すべし。

TPPに関して九カ国の枠組みでとらえるのは間違い。アメリカはアジアの地域主義を警戒する。中国が東アジアを政治経済軍事で支配するのをアメリカは非常に恐れている。TPPによるアジア太平洋地域への輸出拡大が、アメリカの成長と拡大が繋がることを期待。米主導で高度で包括的な二十一世紀型のFTAを目指している。

米産業界は、TPP交渉はビジネス環境を改善させる絶好の機会と思って居る。原則例外なき自由化。貿易の簡素化・透明性を高める。ハイレベルな知的財産権保護の導入、投資家保護規定を採用すべし。公正な競争の促進、国有企業と民間企業を対等に促進する。そこにアメリカが入り込む。米政府は産業界と議会の意志を反映した交渉に臨まねばならない。アメリカと参加国との交渉が行き詰まる心配が出て来た。

日本のTPP参加のメリットは、成長するアジア太平洋地域の需要を取り込むこと。USTR(アメリカ合衆国通商代表部)の外国貿易障害報告書で取り上げられた優先度の高い対日要求項目を日本参加条件にからめたいのがアメリカの本音。

日本はTPPを契機に抜本的な農業改革をすべし。農業保護の手段を関税から直接支払(所得保障)に段階的に移行。減反政策廃止。現行の戸別所得補償制度の見直し。ばらまき型から選択・集中型に転換。農協の改革。経営力のある農業の担い手の確保。農地を集積した大規模化と生産性向上を通じて農業の競争力を強化。六次産業化(生産、加工、流通の一体化)。農産物の高付加価値化。輸出促進による農業の成長産業化。農業はどの程度まで自由化の例外が認められるか読めない。コメは例外扱いしない方が日本のためになる。砂糖・畜産物は保護の対象になる。日本の将来を考え、したたかな経済外交を展開すべし。」

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千駄木庵日乗三月四日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、帰宅にある菩提寺にて、父の『四十九日法要』執行。読経・焼香・光明真言奉誦。四宮家墓所掃苔・拝礼。

この後、千駄木にて親族と会食。

帰宅後は、資料整理など。

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2012年3月 4日 (日)

神国思想と国難

元寇=蒙古襲来は中世における一大国家的危機であった。蒙古は文永十一年(一二七四)と弘安四年(一二八一)の二回にわたって来襲したが、いづれも日本軍の奮戦と暴風雨(これを人々は「神風」と信じた)によって撃退した。これにより日本国民はナショナリズムを燃え立たせ神国意識を益々強固ものとした。

久保田収氏は、「中世において、末法思想が蔓延し、悲観絶望に陥っていた日本国民の考え方が一転回して、歴史の底流にあった神国思想が表面に打ち出されるようになった。そして、次第に力強く、自信を持った考え方に変わって来た。…外からの圧力を受け、かえって国民の気持が奮い立ってきたのである。」(『建武中興』)と論じている。

日本が蒙古軍を撃退したことによって、神国思想・神州不滅の信が回復し、末法思想という宿命論を克服したのであるる。

「西の海 寄せくる波も 心せよ 神の守れる やまと島根ぞ」

(春日若宮社の神職・中臣祐春の歌。『異国のこと聞こえ侍るに神国たのもしくて』との詞書がある。日本国が神国であるとの信念を吐露した歌である。)

「勅として 祈るしるしの 神風に 寄せ来る浪ぞ かつくだけつる」

(藤原定家の孫・藤原為氏が、亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵国降伏を祈願するためにお参りした時の歌)

「末の世の 末の末まで 我国は よろづの国に すぐれたる国」

(禅の僧侶・宏覚が蒙古襲来という国難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行いその祈願文の最後には記した歌)

こうした愛国心・神国思想の勃興がやがて建武中興へとつながっていくのである。このように日本民族は古代から平安朝そして中世と脈々と愛国心及びそれと一体のものとしての尊皇心・神国思想を継承してきているのである。国難に際会している今日においても、終末論や宿命論に陥らず、『今即神代』『高天原を地上へ』の精神すなわち伝統的な神国思想を興起せしめねばならない。。

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千駄木庵日乗三月三日

午前は、母のお世話。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。馬田啓一杏林大学総合政策部教授が「TPP参加交渉とアジア情勢」と題して講演。講演内容は後日報告します。奥野誠亮先生がお元気に出席されていました。大正二年生まれであられるから、今年九十九歳になられるが矍鑠としておられる。。まことに以て驚異的である。私の尊敬する政治家である。

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講演する馬田啓一氏

帰途、日比谷にて本当に久しぶりにお会いした先輩と懇談。

帰宅後は、明日執行される亡き父の『四十九日法要』の準備など。

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2012年3月 3日 (土)

祖霊信仰について

父が亡くなってから一か月以上を経過した。父の遺影と位牌に毎朝毎晩拝礼している。父の笑顔を見ると、私をやさしく見守ってくれていると感じられて、心が安らぐ。

父の位牌と遺影を安置したその日から、父が遺された母と私を見守って下さっているとひしひしと感じている。これはまことに不思議な実感である。そして毎日、父の御霊に対して感謝の祈りを捧げると共に「どうか私たち家族をお守りください」と祈っている。

柳田國男氏は、「日本人の死後の観念、即ち霊は永久にこの国土のうちに留まってさう遠くへは行ってしまはないといふ信仰が、恐らく世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられて居る。…顕幽二界の交流が繁く、単に春秋の定期の祭だけでなしに、何れか一方のみの心ざしによって、招き招かるゝことがさまで困難でないうに思って居た」(『先祖の話』)と論じている。

確かに、私もそう実感する。「亡くなった人が草葉の陰から見守って下さっている」という言葉がある通りである。

仏教特に浄土教では、「人は死んだら西方十万億土の彼方にある極楽浄土に行く」と教えるが、一方で、お盆やお彼岸には遺族の住んでいる家に帰って来るという観念が強く伝承され、祖霊に対する供養が仏教寺院で行われる。どんな唯物論者・無神論者でも、亡くなった方の霊に対しては敬意を表し、慰霊行事には参加する。

理屈はともかく、亡くなった方の霊が、天国・天上界・霊界・極楽浄土に行かれても、常にこの世にいる我々を見守って下さっているという信仰は根強いものがある。だからこそ、前述したとおり、祖霊への慰霊行事が絶えることなく盛んに行われているのである。

私は、青年時代、「既成仏教は葬式仏教になっている。現実に生きている人々を救うことはできない」などと批判していたこともある。しかし、今はその考えが浅はかであったことを思い知っている。亡くなった人々に対する慰霊・供養こそ、自然崇拝と共に、日本伝統信仰の大きな柱であると知ったからである。

父が地上から去り給うたことの悲しみは深い。しかし、父の御霊は常に私たち遺族のそばに居られることを実感している。そして、感謝の祈りを捧げる毎日である。

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千駄木庵日乗三月二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『月刊日本』に連載中の『萬葉集』講義の原稿執筆・資料の整理など。

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2012年3月 2日 (金)

日本國體は万邦無比である

私は、世界各地の神話のことはよく知らない。しかし『創世記』は読んだので、ユダヤ教・キリスト教の神話はある程度知っている。創造の神は、天地と人間そして天地の万物を創造したとされる。神と人間と自然は隔絶した関係にある。神は国家を創造しない。国家は人間が作るものである。また、人間は自分の都合の良いように自然を支配し造りかえる事が許される。

日本神話においては、神は、人と国土そして生きとし生けるものをお生みになるのである。「造る」のと「生む」のとでは文字通り天地の開きがある。太古の日本人は、神と人と国土は本来分かち難く一体であると信じた。

日本神話は、伊耶那岐命と伊耶那岐命との「むすび」よって大八洲即ち日本国土と、統治者即ち天照大御神と、国民即ち八百万の神々をお生みになった。これが「国生み神話」である。

日本神話においては君主・国土・国民は神において一体なのである。しかもこの神話の精神が、今日唯今に至るまで継承されてきている。日本は、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体国家である。わが国の國體が万邦無比と言われる所以である。

日本国の君主であらせられる天皇は、権力・武力を以て国土と国民を支配されるのではなく、神々の祭祀主としての神聖権威によって日本国を統合され統治されている。そして、全国各地に神を祀る神社があり、祭祀が行われている。「日本は天皇を祭祀主と仰ぐ神の国」なのである。

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千駄木庵日乗三月一日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、資料の整理など。

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2012年3月 1日 (木)

「古筆手鑑―国宝『見努世友』と『藻塩草』展」参観

今日参観した「古筆手鑑―国宝『見努世友』と『藻塩草』展」は、「『古筆』とはおおよそ近世までに書写された写本類の総称です。書写内容には、経典や文書も含まれますが、古筆の大部分をしめるのは歌集等の仮名書の多い写本です。特に平安~鎌倉時代に書写された写本は仮名書や料紙が美しいことで知られています。

近世に入るころ、武士や町人という新興の鑑賞者層の増加と、美しい写本であれば、その一部分でも所有して鑑賞したいという願望にともなって、古筆は断簡に分割され始めます。この断簡を『古筆切(こひつぎれ)』といいます。江戸時代には古筆切を収納・鑑賞するためのアルバムとして、『古筆手鑑(こひつてかがみ)』が発達しました。手鑑の『手』は筆跡、『鑑』には手本・見本の意味があり、手鑑とはすなわち筆跡の見本帖です。

本展では、江戸時代に古筆の鑑定を専門職とした古筆家制作による、鑑定の規範ともいえる国宝の古筆手鑑、『見努世友(みぬよのとも)』(出光美術館蔵)と『藻塩草(もしおぐさ)』(京都国立博物館蔵)を初めて同時に展示いたします。…各時代の古筆を心ゆくまで味わっていただきたいと思います。」(案内書)との趣旨で開催された。

「国宝 古筆手鑑 『見努世友』」「国宝 古筆手鑑 『藻塩草』」「重要文化財 継色紙『むめのかの』 伝小野道風筆 平安時代 」「重要文化財 古筆手鑑『谷水帖』」「前田家旧蔵古筆手鑑『濱千鳥』」などを鑑賞。

『見努世友』には、聖武天皇・光明皇后・後深草天皇・後醍醐天皇・亀山天皇・伏見天皇・後鳥羽天皇などの宸筆、護良親王・藤原俊成・新田義貞・藤原定家・北条政子などの書が収められていた。『藻塩草』には、小野道風・源順・法然・西行・源実朝・寂蓮・鴨長明・藤原公任・源頼朝・源義経などの書が収められていた。『谷水帖』には、紀貫之・藤原佐理・源頼政・小野道風・西行などの書が収められていた。

上御一人と歴史に名をのこした人物が書いた「やまと歌」が殆どであった。ただし、すべてが「伝称筆者」とされるものである。詳しくは分からないが、筆の達人が、書写したものではないだろうか。天皇の宸筆や歴史上の人物の諸作品を細切れにして、一冊の本にまとめるなどという事が可能だったとは思われない。古筆鑑定家が、筆者不詳の古筆切に、その書様に相応しい筆者(伝称筆者)を宛て、古筆の名称を付け、それを極札(きわめふだ)という小さな札に記したという。あくまでも「伝称」という事であろう。しかし、真筆が全く無いとも言い切れない。

加賀前田家は、代々の当主が古筆や茶道を蒐集した。歴代の当主の中には、鑑定の専門職、古筆家も顔負けの鑑識眼で、手鑑を制作した当主もいたという。二代当主・前田利常の事を「小松黄門菅原利常卿」と記す文書が展示されていた。「黄門」とは中納言の別称である。前田利常は、小松城に住み、寛永三年(一六二六年)八月一九日、従三位権中納言に任じられた。「黄門様」は、德川光圀だけではなかったのである。前田藩は、德川幕藩体制において德川御三家に次ぐ家格を有していたと考えられる。なお初代藩主・前田利家は大納言、仙台藩主・伊達政宗は中納言であった。また前田氏は菅原道真の末裔とされる。

            ○

会場で次のような歌を詠んだ。

王朝の貴族の書蹟を眺めつつこの国の美しき文化をしのぶ

雪の日に桜田門を眺めつつ万延元年の天誅を思ふ

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千駄木庵日乗二月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、お茶の水にて、『伝統と革新』編集実務担当者と次号の最終的打ち合わせ。校了となる。

この後、丸の内の出光美術館で開催中の「古筆手鑑ー国宝『見努世友』と『藻塩草』展」参観。

帰宅後は、資料の整理など。

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