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2012年2月10日 (金)

鈴木宗男氏の講演 その一

二月六日に行われた『月刊日本』特別講演会における鈴木宗男氏の講演を報告します。

「阿形さんは毎月一回手紙と一万円送って下さった。四十年前の南丘喜八郎さんはものすごくお元気だった。中川一郎先生も南丘さんも愛国者だった。二人の姿を見て、私は二十三、四歳の若者として興奮を覚えた。四十年以上も一緒に生き、男同士が付き合っている理由は、お互いが正直だから。

『宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える』という言葉を大事にしている。松永安左エ門翁は次の三つうちの一つを体験すれば男になると言った。私は三つとも体験した。第一は、『大病を患うこと』。私は、四三七日という衆院議員としては最長の拘留生活を送った。『胃がんが転移している』と言われた。人生は終わったと思った。一年三か月の拘留の間で蝕まれた。逮捕前人間ドックに行く余裕はなかった。癌センターで手術して胃を開いたら転移はなかった。一昨年最高裁で棄却となり収監に応じる前に、食道癌だと言われた。小さいと言われ安心して手術をした。第二は、『浪人生活を送ること』。二年間浪人生活を送った。第三は、『捕まること』。最高裁終了まで十年戦争だと思った。それも八年で終わった。弁護士は、村木事件も鈴木事件も同じで、『初めに検察の筋書きありきだ』と言った。

勤続二十五年の表彰を受けた。外務委員会の委員長になった。刑事被告人で公職に就いたのは私一人。最高裁判事に元外務次官がいた。司法試験に受かっていない人が最高判事になるのはおかしい。

三六五日間の刑務所生活で三つの悟り、総括をした。①絶対に負けない。私が気弱くなったら家族・事務所・講演会が持たない。②一人では生きていけない。家族・友人・後援者の力が大事。家内は気丈でビクともしなかった。刑務所にいる私への家族・事務所から手紙は五百通、佐藤優さんから手紙は四〇二通いただいた。③目に見えぬ力によって生きていることを知った。ご先祖様と亡き両親の加護。おふくろは平成十六年四月六日に亡くなった。母は『宗男、母ちゃんは悪いことをする子供を産んでいない。自信を持って国会に行け』と言った。葬儀委員長は松山千春がしてくれた。平成十七年の衆院選で新党大地は国会に出た。親父とおふくろの目に見えない力があった。昭和四十四年、親父は農耕馬を二十五万円で売ってくれた。その金を持って私は東京に出た。馬は利口で、売られていく説きに目に涙をためている。そのお金で授業料を払い、残ったお金で下宿を探した。馬の支えもあった。

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