« 千駄木庵日乗一月五日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月六日 »

2012年1月 6日 (金)

「現御神信仰」について

歴代の天皇は、御肉體は変られても、『記紀・萬葉集』に示されている「やすみししわが大君 高光る日の御子」(四方八方をやすらけく御統治あそばされるわが大君、高く光る日の神の御子、というほどの意)といふ神聖なる本質・神格は全く同じである。歴代の天皇は、天照大神の御子としての無上の神格を持たれる。これを「現御神信仰」と申し上げる。

 即位の大典と大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。

 天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるということである。「天津」は「高天原からの天津神から継承されている神聖な」という意で、「日嗣」は「天照大神から伝えられた『日霊』を継承する」という意である。 

天皇は、日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在であらせられ、天照大神の「生みの御子」すなわち「現御神」として君臨されるのである。

 天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承されると共に、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まりまします。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。

 

この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(新論)と言った。日蓮も「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(高橋入道殿御返事)と言っている。現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではない。   

 

 昭和天皇は、昭和三十五年に、

さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさ むぞ わがねがひなる

と歌われている。

同三十四年には

あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契 り 結ぶこの朝

と詠ませられている。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるという御自覚を歌われているのである。

 これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていわゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどという説が大きな誤りであることが分かる。

|

« 千駄木庵日乗一月五日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月六日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/53666577

この記事へのトラックバック一覧です: 「現御神信仰」について:

« 千駄木庵日乗一月五日 | トップページ | 千駄木庵日乗一月六日 »