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2012年1月14日 (土)

「やまとうた」の本質

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋な最も固有な文藝である。『古今和歌集』の「仮名序」には、

「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)とある。

『古今和歌集』の「仮名序」は、紀貫之が執筆し、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献である。紀貫之は、平安前期の歌人、歌學者、三十六歌仙の一人。仮名文日記文學の先駆とされる『土佐日記』の作者。醍醐天皇の勅命による『古今和歌集』撰進の中心となった。

和歌は人のまごころを表白した歌が抒情詩である。和歌は日本民族のまごころのしらべである。人知のさかしらを超えて自然に生まれてくる『素直な心』(まごころ・もののあはれ)の表白であり、それが自然にある声調を生み、五七五七七の定型詩=和歌を生み出した。

歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思ひ・魂の叫びを三十一文字にして固め成して鎮める働きをする。

明治天皇御製

「鬼神も泣かするものは世の中の人のこころのまことなりけり」

「まごころを歌ひあげたる言の葉はひとたび聞けば忘れざりけり」

「鬼神の」の御製は、歌の力の偉大さを論じた『古今和歌集』の「仮名序」を踏まへられてゐると拝する。この御製で大事なのは、「人の心のまことなりけり」と示されてゐることである。単なる文藝作品なら虚構が許されるのかもしれないが、歌はそうではない。「人のこころのまこと」を歌はねばならない。自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころを歌はねばならない。

「自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころ」は、わが國文學の基本的情緒とされる「もののあはれを知る心」と同意義と思ふ。見るものにつけて聞くものにつけて自分の心が感動することを「もののあはれ」といふ。それが「五・七・五・七・七」といふ形式で表白され、人の魂を動かすといふのが「やまとうた」である。

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