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2012年1月19日 (木)

宮内庁について

天皇・皇室の様々の憂へるべき事象の原因の一つは、宮内庁の権威の失墜と弱体化である。

『大日本帝国憲法』下においては、天皇御自ら主宰される皇族会議があった。枢密院といふ、天皇の最高諮問機関があった。また、常時、天皇を輔弼し奉る内大臣がゐた。そして宮内省があった。さらに、「元老」「重臣」が輔弼の臣として天皇をお助けし、宮中顧問官・侍従武官長もゐた。

戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格あるいはそれ以上の人物が就任した。これらの人々は、政治家に顎で使はれるなどといふことはなかった。だからこそ、皇室の藩屏の役目を果たすことができた。藩屏はお護りする役目を果たすとともに、時には諫言し奉る役目も果たした。このやうに戦前は、天皇及び皇室を輔弼しお守りする体制が整へられてゐたので、政治権力者によって利用されるなどといふことはまづなかったのである。

佐藤栄作元総理が、退任後、侍従長職に就きたいと願ったといふ話を聞いたことがある。佐藤氏が侍従長に就任しても決しておかしくはなかったと思ふ。

戦前の宮内省は「大宝律令」以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立ってゐた。即ち、時の政府から独立した存在であった。

戦後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めた。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げである。「現行占領憲法」のもと、宮内庁は内閣総理大臣の管理下の機関となり、総理府の外局にすぎなくなった。(現在は内閣府に置かれてゐる)。これに伴って職員も大幅に削減され,六千人以上の職員がゐた職員も千人程度になった。

「宮内庁法」(昭和二十二年四月十八日法律第七十号・最終改正:平成一三年四月一八日法律第三二号)には、「第一条 内閣府に、内閣総理大臣の管理に属する機関として、宮内庁を置く。2 宮内庁は、皇室関係の国家事務及び政令で定める天皇の国事に関する行為に係る事務をつかさどり、御璽国璽を保管する。」と規定されてゐる。

さらに、元老、重臣、内大臣、宮内大臣、宮中顧問官、侍従武官長は廃止され、枢密院、近衛師団などもすべて廃止された。天皇陛下の輔弼の任にあたる人々も極端に少なくなった。これが政治家による、皇室の政治利用や政治的圧迫を十分に防ぎきれてゐない大きな原因であるのみならず、天皇を君主と仰ぐ日本国の國體を隠蔽する原因の一つであると考へる。一刻も早く是正されなければならない。

三権の長の経験者やそれに匹敵する人々(政治家・官僚に限らず)が、陛下の御側にゐて、お守りする体制を確立しなければならない。宮内庁を一日も早く省に格上げすると共に、政治権力とは別の位置に置くべきである。大変畏れ多い事であるが、天皇陛下及び皇室の政治利用を防ぐ爲にもこのことはまことに重要である考へる。

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