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2012年1月15日 (日)

富田朝彦はやはり君側の奸だった

『文藝春秋』今月号の永田忠興氏へのインタビュー記事には、「『天皇の祭祀』の改変・簡略化の原因は、他の省庁のキャリア官僚が宮内庁に集まるようになり、それまでの伝統を重んじる宮内庁ではなくなったことにある。特に、昭和四十九年十一月に内閣調査室長から宮内庁次長となり、同五十三年に長官になった富田朝彦氏がその元凶である」という意味の大変重要なことが語られている。

富田朝彦氏は、宮内庁次長の頃、宮内庁病院で当時掌典職であった永田忠興氏に話しかけてきて、「僕は、無神論者なんですよ」と言ったという。そして、富田氏は長官になった後、陛下の側近中の側近でありながら、宮中最大の重儀である新嘗祭をはじめとする大祭に、皇族方や三権の長が参列するにもかかわらず、参加しないことが多かったという。

神々を祭る宮中祭祀に奉仕する役目の「掌典職」にわざわざ「私は無神論者だ」などと言うのは、富田氏は単に無神論者であるというだけでなく、天皇の最も大切なご使命であり日本國體の根幹である「宮中祭祀」を簡略化することが正しいと信じていたとしか考えられない。

このような人物が宮内庁長官になったことは誠に遺憾なことであった。後藤田正晴が警察庁長官の時、富田氏は警備局長だった。富田氏の宮内庁入りは直属の上司だった後藤田正晴の人事であることは間違いない。富田氏が警備局長の時、「あさま山荘事件」が起こった。解決にあたった佐々淳行氏は、富田氏のことを「不決断の警備局長」と断じて批判した。

富田氏はまた、昭和天皇が宮内庁長官であった富田氏に語られた『お言葉』をメモに取り、自宅に秘匿した。そして富田氏の遺族はそれを『日経』に売った。

無神論者・富田朝彦は文字通り「神を恐れぬ人物」であり、且つ、稀代の君側の奸、不忠の臣であることが明白となった。

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