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2012年1月31日 (火)

日本人と仏教

日本人は、外国からの文化・文明を自由に受容してきた。古代における仏教の受容はその典型といえる。日本人は仏教受容以来今日まで、神と仏を自然な形で融合させ、信仰してきている。神と仏は日本人の生活の中で溶け合っている。それは理論理屈の世界ではなく、生活の中で文字通り自然な形で神仏が融合している。

稲作生活を基盤として生まれた日本の地域共同体には、自然を神と崇め祖霊を祭るという固有信仰が、太古以来今日までの脈々として生きてきている。日本人は「自然に宿る霊」と「祖先の霊」を、「八百万の神々」として尊崇した。

そういった日本の固有信仰に仏教が融合した。というよりも、日本人の仏教信仰の実態は日本人の固有信仰が仏教という表皮をまとって形を変えたものなのである。

日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次に、仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られている。各家庭の仏壇には、その家が檀家になっているお寺の宗派の本尊が安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られている。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られている家が多い。

 

つまり日本の家庭に安置されている仏壇の「仏」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といわれる所以である。また、結婚式などの慶事は神式で行い、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行っている。

日本人は仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さである。

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千駄木庵日乗一月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、父の逝去に伴う諸々の手続きなど。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事。そして資料の整理。

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2012年1月30日 (月)

成澤廣修文京区長への要望書

ご参考までに、最近提出した成澤廣修文京区長に対する小生の要望書を掲載します。

謹啓 貴職ますます職務にご精励の段、大慶至極に存じます。小生は、昭和二十二年にこの世に生を享けて以来、文京区に居住致して居るものであります。

さて、来る二月四日、文京区の主催により、文京区民センターにて、文京区民センター文化講演会『私の映画・私の映像』が開催されます。講演者は、篠田正浩氏であります。このことについて、貴職に対し要望及び質問を致したいと存じます。

篠田正浩氏は、昨年八月二十八日に両国の江戸東京博物館で行われた『東京新聞フォーラム よみがえる古代の大和 卑弥呼の実像』において、大要次のように語りました。「天皇の『人間宣言』によってそれまでの歴史教育は否定された。天皇は、戦後『人間宣言』をしたのだから、天皇陵を考古学研究のために発掘してもかまわない。そこから考古学が生まれる。総理大臣が四年間任期を全うせず、よく交代するのは、日本に民主主義が正しく根付いていないからだ。その原因は、古代の卑弥呼のような祭祀を行う君主がいるからだ」。

篠田正浩氏は、昭和天皇が『人間宣言』されたことにより、天皇御陵は人間の墓になったのだからどんどん発掘してもかまわない。発掘しない限り日本の考古学は生まれないと言っているのです。しかし、『昭和二十一年元旦の詔書』は決していわゆる「人間宣言」ではありません。昭和天皇は、『昭和二十一年元旦の詔書』を発せられた後も、「現御神」の御自覚を正しく継承されておられました。それは、御製を拝すれば明らかです。

また、普通一般の人の墓も、その尊厳性は保たれるべきです。考古学のためであろうと何であろうと、他人が自由に発掘して良いということはあり得ません。

まして、歴代天皇の御陵は、神聖なる日本天皇の御神霊が鎮まりましているのです。その尊厳性・不可侵性は厳しく保たれるべきです。それと考古学の発達とは無関係です。  

篠田正浩氏は、「日本天皇の神聖性」を正しく理解していないし、亡くなった方の御霊そして墓所の尊厳性も正しく理解していないからから、このような暴言を吐くのです。

また、日本の政治が混乱しているのは、最近の政治家が無能だからです。内閣制度発足以来、長期にわたって政権を保った総理は多数います。総理大臣が四年間任期を全うせずコロコロ変わるのは最近になってからです。それを、上に天皇がおわしますことが原因などと言うのは全く見当違いの発言です。

上に、天皇がおわしますからこそ、今日のように、いくら政治が混乱しても、国難に見舞われても、国家の統一と安定が基本的に保たれているのです。それはわが国の歴史を通観すれば火を見るよりも明らかです。天皇の御存在こそが、日本国永遠の隆昌の基です。

篠田正浩氏は、かつて、『スパイ・ゾルゲ』をという映画を製作しましたが、その映画では、謀略を用いて日本を戦争に追いこんだ旧ソ連のスパイ・ゾルゲと尾崎秀実を、「コミニズムを信奉し平和を願った進歩的文化人」であり「國際共産革命の理想に燃えてソ連のためにスパイ活動を行ない、『社会主義の祖國=ソ連』を守るために『侵略國家・日本』の「國家機密」をソ連に通牒し、遂に日本の官憲に逮捕され拷問され処刑された英雄のように描いていました。

大東亜戦争・第二次欧州大戦の結果も、最も利益を獲得したのはソ連でありました。アジアにおいてもヨーロッパにおいてもソ連は、その勢力範囲を飛躍的に拡大しました。そのための謀略をわが國において行なったのがリヒャルト・ゾルゲであり、尾崎秀實であります。

「ゾルゲと尾崎は反戦平和の英雄」といふの嘘八百、全くの虚構をテーマした映画を製作した人物が篠田正浩氏であります。

このような人物を、文京区が主催する講演会の講師に招いたことは全く理解に苦しみます。

そこで、貴職に対し、篠田正浩氏を何故講演者に選定したのか、その経緯と理由を明らかにしていただきたく存じます。

また、文京区主催の講演会の「講演者選定基準」はどのようなものであるのか明らかにしていただきたく存じます。

公務ご多忙の折、まことに恐縮でありますが、何卒宜しくご高配のほど、伏してお願い申し上げます。

                         謹白

平成二十四年一月二十五日

           四宮政治文化研究所代表・四宮正貴

文京区長・成澤廣修殿

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千駄木庵日乗一月二十九日

午前は、母のお世話。

午後二時より、新橋生涯学習センターにて、本年初めての『日本の心を学会』開催。瀬戸弘幸氏と小生が講演。活発に質疑応答。終了後は、懇親会。

帰宅後は、資料の整理など。

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講演する瀬戸弘幸氏

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2012年1月29日 (日)

第19回日本の心を学ぶ会のお知らせ

第19回日本の心を学ぶ会のお知らせ

北朝鮮の動向と我々の今後の活動方針について

新年初の勉強会を開催いたします。祖国日本は内外共に極めて厳しい状況に置かれています。 

国際テロ国家・ならず者国家の北朝鮮金王朝の三代目の専制独裁者が誕生しました。

また、本年は、台湾、フランンス、ロシア、アメリカ、エジプト等、様々な国で、指導者を決める大型選挙が待ち構えています。

このような世界情勢の渦中で、東アジアの軍事バランスはどうなるのでしょう。我々草莽の民は、祖国日本の独立・平和・自由・主権をいかにして守っていくかを真剣に考えなければならないと思います。

拉致事件、核開発、在日特権など、北朝鮮に纏わる諸問題について、これまでの活動について意見交換し、今後の我々の活動について討議いたしたいと思います。活発な前向きの議論をしたく皆様お誘い会わせの上ご参加頂ければと思います。

【日 時】平成24年1月29日() 午後1時45分会場午後2時開会

【場 所】新橋生涯学習センター ばるーん

東京都港区新橋3-16-3

JR新橋駅下車烏杜口徒歩3分地下鉄浅草線・銀座線・ゆりかもめ:新橋駅下車4分

【演 題】北朝鮮の動向と我々の今後の活動方針について

【登壇者】講師瀬戸弘幸 せと弘幸Blogu 『日本よ何処へ』 http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/

講師 四宮正貴 四宮正貴政治文化研究所 http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/

     司会者 渡邊昇 日本の心を学ぶ会 代表

【参加費】資料代5百円 終了後 近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】日本の心を学ぶ会事務局

埼玉県川口市安行藤八33-13

電話 090-8770-7395

 問い合わせは、新橋生涯学習センターではなく、日本の心を学ぶ会事務局までお願いします。

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この頃詠みし歌

やすらけき 世を祈ります 大君の みまつりの歌 尊とかりけり

現御神 すめらみことの みまつりに わが日の本は 永久に栄える

冬の夜の 下弦の月に 魅せられて しばし歩みを 止めて見上げる

怒りの炎 燃ゆるがままに 燃やしめよ 煩悩熾盛の わが身なりせば

やがて来る 別れの時を 思ひつつ 温かき父の 頬を撫ぜるも

意識あれば つらいよとのたまふ わが父に 為すすべもなき 我にしありけり

六十五年 共に生き来し わが父は 今やこの世を 去り行かむとす

激動の 昭和の御代を 生きて来し 父はこの世を 去り行かむとす

重篤の 父は薄目を 開きたり 孫とひ孫が 枕辺に立てば

可愛がられし 甥がさめざめ 泣きをれば 肩をさすりて なぐさめにけり

父上に 頬ずりをして とことはの 別れ告げたり 寒き夜更けに

逝きませる 父の亡骸は あはれにも 今看護師に 清められゐる

やすらぎの 時を迎へし 父上の み顔を見れば 胸迫り来る

夕刻まで 生きてゐませし わが父の 命はかなく なりて悲しき

まだ温かき 父の体に 手を当てて 永久の別れを 告げにけるかも

永久の眠りに つきたまひたる わが父の 胸に手を当てれば まだ温かし

つらいよと いふ言の葉を 幾たびか 聞きし切なさに 胸はりさける  

窓を開ければ 雪降りしきる 夜の更けに 逝きませし父を 偲び悲しむ

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千駄木庵日乗一月二十八日

朝、母のお世話。

午前十時より、町屋斎場にて、父の葬儀執行。

午後は、菩提寺にて、初七日法要、納骨。

この後、親族と会食。

夜は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

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2012年1月27日 (金)

日本民族の自然信仰

  日本の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり霊である。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかりではなく、時に災ひをもらたす。古代日本人は体験的にさう信じた。

『古事記』の「身禊」の条には、「悪(あら)ぶる神の音なひ、狭蠅(ばへ)なす皆満ち、萬の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記され、「天の岩戸」の条には、「高天の原皆暗く、葦原の中つ国悉に闇し。これに因りて、常夜往く。萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち、萬の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記されてゐる。

自然の中に精霊が生きてゐるといふ信仰である。日本民族には、自然を敬ひ、愛すると共に、自然を畏れる素直な心があった。「萬の神の声(おとなひ)は、さ蠅(ばへ)なす満ち」は、文学的には擬人的表現と言はれるが、古代日本人は、嵐の音も、草木の音も、海の音も、素直に「神の声」と信じたのである。

近代以後、科学技術の進歩発展によって、人間生活が快適になると共に、自然を神・仏・精霊として拝み、愛し、畏れる心が希薄になってしまった。自然を征服しようとか、自然を造り替えようなどといふ文字通り神をも恐れぬ考へ方を捨てて、自然を愛し、自然の中に神仏の命を見る心を回復しなければならない。つまり、神々を祭る心の回復が大切である。「草木がものをいふ」古代日本の信仰精神に回帰しなければならない。荒ぶる神も祭祀によって鎮めることができるのである。

日本民族は、自然に刃向ひ対決し、自然を破壊すると、自然から災ひを受けること体験から学んだ。自然を畏敬し、自然に順応して生活することが大切であることを知った。自然を畏敬し、自然に順応するといふことは、自然の神、自然の精霊たちを怖れるだけではなく、祭祀によって神や精霊たちを祓ひ清め鎮めたのである。

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千駄木庵日乗一月二十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、明日の葬儀の準備・『政治文化情報』編集の仕事などなど。

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外圧と変革

これまでの日本は外圧を排除するために変革を行ない、それが成功し、発展した。大化改新、明治維新はそうした変革であった。大化改新は、白村江の戦いがあっても、唐の文化や制度を取り入れ改革を行い、唐との対等関係を樹立した。明治維新は、攘夷が開国となり、鹿鳴館時代を現出した。それは攘夷のための開国であった。即ち西欧列強の侵略を排除するために、西欧文明を取り入れた。

明治維新の後、日本は西洋科学技術・近代資本主義を取り入れて近代化を遂げた。日清・日露戦争に勝利し、大清帝国・ロシア帝国によるわが国に対する圧迫と属国化の危機を排除した。

日本はアジアにおいて西欧列強の植民地支配下に置かれることなく、独立を維持した。それどころか、アジアにおいて影響力を強め、白色人種の支配と搾取に苦しむ有色人種の希望の星となった。

米英は、そうした日本を抑え込もうとした。そして日本を圧迫してきた。わが日本は、米英から取り入れた近代科学技術によって近代化を遂げたのだが、その科学技術で武装した英米が襲いかかってきたのが、日米戦争であった。そして日本は敗北した。

戦後は、戦時中の「鬼畜米英」が「アメリカ万歳」となり、アメリカの属国となった。変わり身が早い。これが良いことなのか。日本の柔軟性・強靭性なのか。ともかく戦後はアメリカの言いなりになり、事実上の属国になった。

支那・北朝鮮から日本を護るためには、このままアメリカの保護下でやっていくのが無難であり利巧な生き方なのか。米軍基地問題、TPP、貿易摩擦などで、反米感情が燃え上がる可能性もある。

日本がアメリカの隷属下にいるということは、現状のままということだ。しかし、共産支那の隷属下に入るということは、今の日本の繁栄・自由を喪失するということだ。そして何よりも、國體と伝統の破壊に直結する。ただ日本は支那かアメリカかの二者択一しか道がないということはない。日本が主導権を握ればいいのだ。それにはどうするかが一番大切だと思う。

第三の開国などと言われているが、第一の開国たる明治維新も、第二の開国という敗戦も、すべて外圧の結果である。第三の開国も外圧によって行われようとしている。実に以て困難な状況に立ち至っている。日本人の英知と行動力によって、この厄介な状況を正しく克服し、乗り切り、発展していかねばならない。

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千駄木庵日乗一月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

夜は、『伝統と革新』編集の仕事。

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2012年1月26日 (木)

『富田メモ』は信じられない

終戦直後、占領軍によるいわゆる『戦争犯罪人』の追及が始まった時、昭和天皇は、木戸幸一内大臣に対し、「戦争責任者を連合国に引き渡すのはまことに苦痛にして忍びがたきところなるが、自分が一人引き受けて退位でもして収めるわけにはいかないだろうか」と仰せになった。

東久邇稔彦総理は「日本人が戦争犯罪人を裁く」と提案した。昭和天皇はそれに対して、「敵側のいわゆる戦争犯罪人、殊にいわゆる責任者は、いずれもかつては、ひたすら忠誠をつくした人々なるに、これを天皇の名に於いて処断するのはしのびざるところなるゆえ、再考の余地なきや」とお答えになった。

こうした昭和天皇の御発言、御心を拝すれば、『富田メモ』を根拠にした「昭和天皇は、A級戦犯が合祀されたので靖国神社御参拝をお止めになった」という論議は肯定できない。

富田朝彦という人物は、国会における社会党などの反日議員の追及を避けるという自己の保身のために、昭和天皇に対し奉り、あることないこと吹き込んで「靖国神社御参拝ご中止」を迫ったのではないか。その可能性がきわめて高い。

わが国には、戦勝国によって行われた戦争行為・復讐である『極東国際軍事裁判』において「絞首刑」の「判決」なるものを受け、執行された人々は、まさに戦死者であり殉難者である。決して『戦争犯罪人』ではない。殉難者・戦死者が靖国神社に合祀されるのは、当然過ぎるほど当然である。わが国には殉難者はいても戦犯は一人もいないのである。

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千駄木庵日乗一月二十五日

午前は、母のお世話。

昼は、知人お二人と懇談。

午後四時より、東京都庁副知事室にて、猪瀬直樹副知事にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。今月は、父の逝去のことなどがあり、執筆が大幅に遅れている。読者の皆様には、今しばらくお待ち下さいますよう、伏してお願い申し上げます。

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2012年1月25日 (水)

アメリカとの戦いの歴史と対『中華帝国主義』問題

ミズーリ艦上に、ペリーの黒船に掲げられた星条旗が掲げられたのは、日本はアメリカに二度目の屈服をしたということを示すためであったのだろう。

わが国は明治維新によって黒船の圧迫に象徴される西欧列強からの侵略の危機を排除できたと考える。その理念は尊皇攘夷であった。そしてその後、日本は近代化・西欧化の道を歩み続け、西欧列強の侵略支配を撃退した。これを『夷を以て夷を攘う』と言う。日米戦争はその総決算だったと思うが、敗北した。欧米の科学技術を用いて欧米とりわけアメリカに対抗したが敗れた。

近代の歩みに対する反省は必要だが、日本だけが侵略者とする戦後の歴史観は訂正されねばならない。これがある限り、日本はまともな国になり得ない。支那とアメリカに対して対等な関係を構築できない。

日露戦争以後、日本は慢心したという説がある。全面否定できないが、日露戦争後、アメリカが日本を仮想敵国としたことは明白な事実である。ことごとに日本を圧迫した。それには有色人種への差別意識が根底にあった。アメリカは建国以来征服国家である。そして日本もアメリカに対抗せざるを得なくなった。これは避けることのできない歴史の流れだったのか。

支那は古代より中華思想というアジア制服支配を目指す国である。中華帝国主義による日本侵略支配の危機が迫っている。日本は何によって如何に対処すべきか。それが今日におけるもっとも重大な問題である。

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千駄木庵日乗一月二十四日

午前、母のお世話。

午後は、父の葬儀の準備など。

夜は、明日のインタビューの準備。

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2012年1月24日 (火)

現御神日本天皇

天皇は権力や武力で空間を制圧して國家を治められてゐるのではなく、天照大神(太陽の神)の御子としての神聖なる権威によって治められてゐる。そしてその根幹は天神地祇を祭られる<天皇の祭祀>である。

天皇は國民を統率して、國民を代表して、神様に祈り、神を祭り、神の御命令を民に傳へる役目を果たされる。ゆへに、民から仰ぎ拝すれば、天皇は地上における神の御代理即ち現御神であらせられる。      

日の神の御子として國家を統治されるといふ御自覚は、御歴代の天皇に一貫してゐる。聖徳太子は隋の煬帝に出した國書(國の元首が、その國の名をもって出す外交文書)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」と記し、「日本天皇は日の神の御子である」といふ信仰を高らかにうたひあげた。

当時の先進國・隋に対して、このやうな堂々とした國書を提出したのである。支那共産政権に対して土下座外交を繰り返す今日のわが國の政治家は宜しく聖徳太子を見習ふべきである。

この聖徳太子の偉大なる御事績を拝して明らかな如く、「天皇は日の神の御子である」といふ思想は七世紀中頃、即ち大化改新以後につくりあげられたといふ説は、大きな誤りである。   

また、第一一六代・桃園天皇(江戸中期)におかせられては、

もろおみの朕(われ)をあふぐも天てらす皇御神(すめらみかみ)の光とぞ思ふ

といふ御製を詠ませられてゐる。 

昭和天皇おかせられては、昭和三十四年、『皇太子の結婚』と題されて、

あなうれし神のみ前に日の御子のいもせの契りむすぶこの朝

と詠ませられてゐる。「日の御子」とは「日の神すなはち天照大御神の御子」といふ意味である。「日嗣(ひつぎ)の御子」とも申し上げる。昭和天皇におかせられては、「天皇及び皇太子は天照大御神の生みの御子=現御神である」といふ御自覚はいささかも揺らいでをられなかったことは、この御製を拝すればあまりにも明白である。

 昭和天皇は、現御神として君臨あそばされてゐるといふ御自覚は決して失ってをられなかったのである。『昭和二十一年元旦の詔書』において昭和天皇は「人間宣言」をされたなどといふことは全くの絵空事である。

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千駄木庵日乗一月二十三日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について懇談。

午後は、父の葬儀の準備など。

夜は、原稿執筆。

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2012年1月23日 (月)

日本傳統精神が世界を救う

 現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となっている。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行うようになった文明のことであるが、それは、産業革命以来機械技術の発達と資本主義そしてそれに反発するものとしての共産主義の発展を促し、経済至上・物質的豊かさ至上の社会を作り出した。

 そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかっている。現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本傳統文化へと回帰しなければならない。

 自然の生命の循環と全ての生きるものの相互扶助の不思議な原理を生活の中で體験する農耕民族たる日本民族の信仰精神が、世界の真の平和を作り出すであろう。

 日本傳統信仰は、大自然を尊ぶ。それは、大自然から、人生を学び、生き方を学び、國の平和と人の幸福の道を学ぶ心である。山・川・海・風・樹木・石等々全ての自然に神の命が宿ると信じる。また、人の命は神の命であると信じる。一人一人が「命(みこと)」なのである。一人一人が「日子(ひこ・日の神の御子)」であり「日女(日の神の姫御子)」なのである。

 日本人は、森羅萬象ことごとく神ならざるものはないと考えた。人も國土も神から生まれた、神が生みたもうたと考える日本民族の信仰は、神が人間と自然を造ったと考える西洋一神教の創造説とは全く異なる。神と人間と自然とは対立し矛盾した存在ではなく、調和し、融和し、一體の存在であると考える。こうした精神は排他独善の精神ではない。あらゆるものから学ぶべきものは学ぶのである。だからわが國は古来外来の文化を大らかに包容摂取してきた。

 闘争戦争と自然破壊を繰り返す現代世界においてこそこの日本伝統精神が大きな役割を果たすと考える。一切の自然や人に神が宿るという大らかにして健全なる信仰精神たる日本傳統精神が、世界を救い、統合し融和して調和するのである。

 自由自在にして大らかなる日本傳統精神は、教条的で固定的な西洋思想・文化・文明に訂正と活性化を与える。

 

 日本という國家には日本の長き歴史の中から生まれてきた立國の精神というものがある。日本國體精神・日本の道統に反する一切の事象を撃滅し、粉砕すべき事は緊急の課題である。真に日本を改革するためには、今こそ、天皇を変革の中核する「維新」即ち日本傳統精神・國體精神を勃興せしめ、それに基づく変革が断行されなければならない。

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千駄木庵日乗一月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、父の葬儀の準備。菩提寺・葬儀社などと相談。

夜は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年1月22日 (日)

父の逝去に思ふ

私は、「肉体は滅びても生命は永遠である」「霊魂不滅」といふことを、固く信じて来た。神仏を信じ、神仏にご加護を祈ってきた。父はつひ昨日まで生きてゐた。昨日の午後、病院に行った時は、安らかに眠ってゐた。そもちろん、体は暖かく、ごく普通の顔色をしてゐた。頬ずりをして父がまだ生きてゐることを実感した。

深夜十二時頃、病院から呼ばれて駆けつけてみると、すでに父は亡くなっていた。胸に手を当てたらまだ体は暖かかった。しかし、昼間の顔色とは全く違って白みを帯びていた。父の肉体から生命が去ったと実感した。私を産み育ててくれたたった一人の父がこの世を去ったと実感した。

つひにして父はこの世を去りたまふ とことはの別れとなりにけるかも

未だ温き父の体に手を当てて永久の別れを告げにけるかも

永久の眠りにつきたまひたるわが父の胸に手を当てればいまだ暖かし

苦しみし日々は去りたり 父は今 天津国へと天翔ります

父君は天に昇りて 遺されしうからを永久に 守りますなり

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千駄木庵日乗一月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、家族と共に、父の遺体安置所に赴く。拝礼。葬儀社の方と相談。

帰宅後は、葬儀の準備など。

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2012年1月21日 (土)

千駄木庵日乗一月二十日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時より、北青山の大東会館にて、『有志懇談会』開催。

帰宅後、病院より電話あり、病院に赴く。

二十一日午前一時過ぎ、父が九十二歳で逝去致しました。

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2012年1月20日 (金)

台湾総統選挙に思う

台湾の総統選挙における民進党の敗因は多々あると思いますが、基本的には共産支那の恫喝と懐柔(経済工作)に台湾人の多くが乗せられたということだと思います。それだけ共産支那の台湾工作が巧みなのです。

それと共に、わが国とアメリカが、台湾独立という正義に目をつぶっていることも大きな問題です。共産支那からは恫喝され、日米からは冷たくされては台湾人の立つ瀬がありません。馬英九に投票した人々は、台独の正義よりも安全と経済的利益を優先させたのでしょう。

台湾の運命は台湾人が決めるのであります。しかし、共産支那を最も嫌っている民族たる台湾人が、共産支那に屈服せざるを得ない状況を作り出している原因の一つに、わが国とアメリカの台湾独立への対応の冷たさがあるのであります。

台湾人は、その歴史的経過から、実に「現実的」な民族になっていると思います。台湾はこれまで日本やアメリカや支那を相手に巧みな対処をしてきたと思います。日本統治時代・蒋介石独裁時代の経験が、彼等にそうした「現実的対応」を行わしめる能力を植え付けたのだと思います。

しかし、この「現実的対応」は、プラス面だけではないと思います。台湾が何時までたっても自立できず、国家のアイデンティティを確立できない原因は、現実を変えるという意思が希薄になった台湾人の「現実的対応」にあると思います。

台湾の国民党は今日、共産支那と手を組もうとしています。これは「第三次国共合作」です。国民党は共産党と手を組んだ後、必ずひどい目に遭っています。その歴史を忘却したのでしょうか。台湾侵略に利用されているだけです。必ず墓穴を掘ると思います。

また、国民党があれほど敵対していた共産支那と手を結ぶというのは、「光復大陸国土・堅守民主陣容・実践三民主義・復興民族文化」という蒋介石の遺言を踏み躙る行為です。

共産支那は、領土拡大、覇権確立が最大の目的なのであります。これはわが国の安全・平和・独立に直結する問題であります。親日国家台湾が共産支那の属国あるいは一省になるかどうか、今が正念場であります。台湾独立を支援しなければなりません。日本の南に強力なる「親支那・反日」の国家ができる危険を何としても防がねばなりません。

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千駄木庵日乗一月十九日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。副院長の話によると、いくらか血圧は上がったが、まだ予断を許さないという。

夕刻、湯島にて、長年の同志お二方と懇談。まことに有意義な語らいであった。

帰宅後も、原稿執筆。

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2012年1月19日 (木)

宮内庁について

天皇・皇室の様々の憂へるべき事象の原因の一つは、宮内庁の権威の失墜と弱体化である。

『大日本帝国憲法』下においては、天皇御自ら主宰される皇族会議があった。枢密院といふ、天皇の最高諮問機関があった。また、常時、天皇を輔弼し奉る内大臣がゐた。そして宮内省があった。さらに、「元老」「重臣」が輔弼の臣として天皇をお助けし、宮中顧問官・侍従武官長もゐた。

戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格あるいはそれ以上の人物が就任した。これらの人々は、政治家に顎で使はれるなどといふことはなかった。だからこそ、皇室の藩屏の役目を果たすことができた。藩屏はお護りする役目を果たすとともに、時には諫言し奉る役目も果たした。このやうに戦前は、天皇及び皇室を輔弼しお守りする体制が整へられてゐたので、政治権力者によって利用されるなどといふことはまづなかったのである。

佐藤栄作元総理が、退任後、侍従長職に就きたいと願ったといふ話を聞いたことがある。佐藤氏が侍従長に就任しても決しておかしくはなかったと思ふ。

戦前の宮内省は「大宝律令」以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立ってゐた。即ち、時の政府から独立した存在であった。

戦後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めた。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げである。「現行占領憲法」のもと、宮内庁は内閣総理大臣の管理下の機関となり、総理府の外局にすぎなくなった。(現在は内閣府に置かれてゐる)。これに伴って職員も大幅に削減され,六千人以上の職員がゐた職員も千人程度になった。

「宮内庁法」(昭和二十二年四月十八日法律第七十号・最終改正:平成一三年四月一八日法律第三二号)には、「第一条 内閣府に、内閣総理大臣の管理に属する機関として、宮内庁を置く。2 宮内庁は、皇室関係の国家事務及び政令で定める天皇の国事に関する行為に係る事務をつかさどり、御璽国璽を保管する。」と規定されてゐる。

さらに、元老、重臣、内大臣、宮内大臣、宮中顧問官、侍従武官長は廃止され、枢密院、近衛師団などもすべて廃止された。天皇陛下の輔弼の任にあたる人々も極端に少なくなった。これが政治家による、皇室の政治利用や政治的圧迫を十分に防ぎきれてゐない大きな原因であるのみならず、天皇を君主と仰ぐ日本国の國體を隠蔽する原因の一つであると考へる。一刻も早く是正されなければならない。

三権の長の経験者やそれに匹敵する人々(政治家・官僚に限らず)が、陛下の御側にゐて、お守りする体制を確立しなければならない。宮内庁を一日も早く省に格上げすると共に、政治権力とは別の位置に置くべきである。大変畏れ多い事であるが、天皇陛下及び皇室の政治利用を防ぐ爲にもこのことはまことに重要である考へる。

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千駄木庵日乗一月十八日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、芝の駐健保会館にて、大行社幹部会開催。顧問の一人としてスピーチ。

病院の医師より携帯に電話があり、病院に赴く。血圧も下がり、心肺が大分弱っている。妹の家族と共にしばらく付き添う。

帰宅後は、原稿執筆。

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2012年1月18日 (水)

宮内庁長官と後藤田正晴

高橋紘一氏はかつて次のやうに論じた。「(注・天皇は宇佐美毅宮内庁長官を)『律儀者』と評したという。しかし彼の頑迷さは皇室を『政治外』に置くことに効があった。宇佐美が退いて一〇年、最近、皇室が政治に巻き込まれる例が目立つ。皇太子訪米が外務大臣と米大統領の会見で出たり、皇太子訪韓を故意にマスコミにリークし、〝自然承認〟させたりする。『在位六〇年式典』の日取りを、中曽根首相の政治日程に合わせるなど、論外である。…政治家の皇室利用に対して宮内庁幹部は厳然たる態度をとらねばならない。」と論じた。(「人間天皇演出者の系譜」・「法学セミナー増刊・天皇制の現在」昭和六一年五月発行)

中曽根内閣当時の内閣官房長官は後藤田正晴氏であり、宮内庁長官は富田朝彦氏であった。富田氏は、宮内庁長官時代、カミソリとはいれた元の上司・後藤田正晴官房長官に対等にものが言へるといふ立場ではなかったであらう。部下同然に対応されたのではないか。

戦後の官僚の最高位に昇りつめた故後藤田正晴氏は、「国務大臣などの政治家は天皇の臣下ではない」といふ意識の持ち主であった。後藤田氏は平成十二年十二月五日号の「日本経済新聞」で、中央省庁の再編に関するインタビューに答へて、「まず大臣といふ名前を変へたらどうか。誰の臣下ですか?。行政の長なんだから『長官』でいい」と述べた。

これは、天皇を君主と仰ぐ建国以来のわが国國體を否定し、現行占領憲法体制下においてもわが国は立憲君主制であるといふ自明の理を否定する許し難い発言である。社民党・共産党・極左分子がこのやうな発言をするのならまだしも、警察庁長官・内閣官房長官・自治大臣・内閣副総理を歴任し、官僚・政治家の頂点、即ち政治権力の頂点に立ったと言っていい人物が、このやうな発言をするのは許し難い。

後藤田正晴氏は、町村金吾氏亡き後、警察官僚のボス的存在であった。宮内庁は、長官・総務課長という中枢が旧内務省系官庁(厚生労働省・警察庁など)からの出向である。宮内庁首脳の人事などへの後藤田氏の影響力は強かった。國體否定とは言はないまでも國體に対する正しい理解を欠いてゐた人物が宮内庁に大きな影響力を持ってゐたのである。かうしたことが、「天皇の祭祀」の軽視、政治家による皇室の政治利用など、近年の皇室に関はる様々の憂へるべき事象の大きな原因の一つであると考へる。

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千駄木庵日乗一月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。中野剛志京都大学大学院准教授が「TTP亡国論」と題して講演。内容は後日報告します。

帰宅後は、原稿執筆。

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講演する中野剛志氏

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2012年1月17日 (火)

再び富田朝彦について

『選択』平成十七年六月号掲載の『藩屏(注・守り防ぐための垣根。皇室を守護するもの)不在』といふ記事に次のやうな重大なことが書かれていた。「政府に遠慮しなかった宇佐美(注・毅氏。二十五年間にわたって宮内庁長官を務め、昭和天皇のお仕へした人)に閉口して、官邸がコントロールしやすいやうに、宇佐美の後の宮内庁長官を官僚の一ポストに過ぎなくした…入江(注・相政氏。半世紀にわたって昭和天皇にお仕へした人)の実力に政治家も手が出せなかった。…宇佐美の後任、警察官僚の富田朝彦は次長四年、長官を十年勤めたが決断が鈍く、『小型』官僚の典型であった。…誰がどのようにして皇室を支へるのか。『馬齢官僚』は願い下げだが、適材なら定年など無視して構わない。学者や民間人の起用も選択肢の一つである。」と書いてゐる。

この富田朝彦の「メモ」が大きな問題を起こしたのである。また、昨日書いたように富田朝彦は、掌典職であった永田忠興氏に「私は無神論者だ」などと公言して、「宮中祭祀」軽視の姿勢を明確にした。

さらに、昭和五十年十一月二十日の参議院内閣委員会において、社会党の野田哲・矢田部理・秦豊の三人が、天皇陛下の靖国神社ご親拝についての悪辣にして執拗な「追及」に恐れをなした無神論者・富田朝彦は、先帝陛下に色々な情報を申し上げて、先帝陛下の靖国神社行幸をお止め申し上げたと思はれる。それを糊塗するために「A級戦犯云々」を『日記』に書いたと推測する。少なくともあの『富田メモ』なるものには富田の創作・富田の考へが混入されていることは確かであらう。『富田メモ』に書かれてゐることはあくまでも、富田氏の聞き書きであり、先帝陛下のお心を誤りなく伝へているとは決して言へない。

現行体制下の宮内庁長官は、政治権力者と対等にものを言へる立場ではない。それが皇室の政治利用が行はれる原因である。そして国会で国賊議員からとっちめられれば、天皇陛下の靖国神社御親拝も行はれなくなる。天皇陛下の側近中の側近が政治家に顎で使はれたり、国会議員に恫喝されるやうでは、天皇・皇室を政治権力からお護りする事は出来ない。メディアなどの皇室冒瀆に対処するためだけではなく、政治権力によるいはゆる「皇室の政治利用」「皇室への圧迫と干渉」を防ぐために、天皇の輔弼体制の強化がなりより大切である。『現行憲法』下においてもも宮内庁長官は認証官であり、政治権力者の部下ではない。

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千駄木庵日乗一月十六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、郵便局に赴き、父の入院保険について相談。係員の怠慢と不誠実な対応を厳しく注意。民営化した後、郵便局がおかしくなっていることは確かである。

この後、病院に赴き、父に付き添う。厳しい状況となった父の病状について医師の話を聞く。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年1月16日 (月)

この頃詠みし歌

怒りの念立ち来る時は一心に般若心経誦して鎮めむ

騒がしきこの人の世に我もまた生きて行くなり迷ふことなかれ

自らを叱咤するべし新たなる年を迎へ生き行かむ時

大つごもり 心のどかに夕暮れの根津権現に参り来たれり

新しき年の初めにつつしみて大祓の詞唱へまつれり

生きて来し六十五年に悔いはなし未来への道開く心に

新年の挨拶交はす妹も 今年還暦を過ぎにけるかな

大皇居(おほみかど)の庭に民草満ち満ちて聖壽萬歳唱へまつれり(皇居参賀)

新たなる年を迎へてすめろぎの尊きみ姿拝しまつれり()

御手振りて我らの歓呼にこたへたまふ大き帝を拝ろがみまつる()

玉の御聲朗々として清々しすめらみことはすこやかにをはす()

力ある玉の御聲は広庭に響きわたれり正月二日()

近代の短歌といふものみな暗く悩み苦しみを詠む歌多し

大らかに明るき歌を歌ふべしと筆を握りてノートに向かふ

光明の照り輝ける朝にして心ひろらかに歌詠まむかな

生命の躍動おぼゆるこの朝(あした)天津日の神照り輝けり

生き生きと人々の暮らしが描かれし広重の絵を驚きつつ見る(ミッドタウン「サントリー美術館」)

広重の描きし富士の高嶺には雪は降りつつ清らなるかも()

わが父が通ひ来たりし檜町防衛庁跡地の高きビル仰ぐ()

幼き日親しみにける幻燈もガリ版もメンコも消え果にけり

うまき煮込みともつ焼きのシロを食しつつ新玉の年の夕べを過ごす

新妻が夫を助けて商ひに励みゐるなり新春の酒房

若き夫婦共に働きゐる姿見て好ましき新春の酒房

着古したる上着を捨てて思ひ出す藤山一郎の高き歌声

古き上着捨ててしまひし夜にして『青い山脈』の歌詞思ひ出す

床屋にて無駄口きかず座しをればその店の主人は所在無げなり

月夜良し友良し酒良しつまみ良し年の初めの大江戸の街

まんまる月 夜空に浮かぶすがしさよ 今日のこの日も無事に終はらむ

女々しくも恋ふる心の鎮まらず 逢ふこと難き人なればこそ

人を恋ひ人を慕ひて生きて来し我に妻なきことの悲しさ

お年寄りが前に立ちゐても女子高生が席譲らざればいきどほろしも

外出をすれば腹立つこと多しわが性(さが)ゆゑか 世が悪いのか

寒き風吹き荒ぶ夜は友達と鍋を囲めば楽しくもあるか

乙女たりし人と逢ひたりお互ひに六十五歳と言ひて笑へり

苦しめる父上の胸をさすりつつ神に祈るよりほかにすべなし

胸さすり神に祈れば父上はやすらぎの顔となりたまひたり

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千駄木庵日乗一月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。主任看護師の方より、父の病状について話を聞く。父が今の病院に転院して以来約二年を経過したが、深刻になっているという。熱が下がらないし、今日は全く意識がなかった。息子の私には、祈る以外にすべはない。頬擦りをする。苦しみだけは軽くあってほしい。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2012年1月15日 (日)

富田朝彦はやはり君側の奸だった

『文藝春秋』今月号の永田忠興氏へのインタビュー記事には、「『天皇の祭祀』の改変・簡略化の原因は、他の省庁のキャリア官僚が宮内庁に集まるようになり、それまでの伝統を重んじる宮内庁ではなくなったことにある。特に、昭和四十九年十一月に内閣調査室長から宮内庁次長となり、同五十三年に長官になった富田朝彦氏がその元凶である」という意味の大変重要なことが語られている。

富田朝彦氏は、宮内庁次長の頃、宮内庁病院で当時掌典職であった永田忠興氏に話しかけてきて、「僕は、無神論者なんですよ」と言ったという。そして、富田氏は長官になった後、陛下の側近中の側近でありながら、宮中最大の重儀である新嘗祭をはじめとする大祭に、皇族方や三権の長が参列するにもかかわらず、参加しないことが多かったという。

神々を祭る宮中祭祀に奉仕する役目の「掌典職」にわざわざ「私は無神論者だ」などと言うのは、富田氏は単に無神論者であるというだけでなく、天皇の最も大切なご使命であり日本國體の根幹である「宮中祭祀」を簡略化することが正しいと信じていたとしか考えられない。

このような人物が宮内庁長官になったことは誠に遺憾なことであった。後藤田正晴が警察庁長官の時、富田氏は警備局長だった。富田氏の宮内庁入りは直属の上司だった後藤田正晴の人事であることは間違いない。富田氏が警備局長の時、「あさま山荘事件」が起こった。解決にあたった佐々淳行氏は、富田氏のことを「不決断の警備局長」と断じて批判した。

富田氏はまた、昭和天皇が宮内庁長官であった富田氏に語られた『お言葉』をメモに取り、自宅に秘匿した。そして富田氏の遺族はそれを『日経』に売った。

無神論者・富田朝彦は文字通り「神を恐れぬ人物」であり、且つ、稀代の君側の奸、不忠の臣であることが明白となった。

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千駄木庵日乗一月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。苦しそうな顔をして眠っていたが、小生が額に手を当てるといくらかやすらいだ顔になった。

帰宅後は、資料の整理など。

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2012年1月14日 (土)

「やまとうた」の本質

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋な最も固有な文藝である。『古今和歌集』の「仮名序」には、

「力も入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をも和(やは)らげ、猛(たけ)き武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」(力を入れないで天地を動かし、目に見えない鬼神をも感動させ、男女の間をも和ませ、猛々しい武士の心をも慰めるのが歌である)とある。

『古今和歌集』の「仮名序」は、紀貫之が執筆し、和歌とはいかなるものであるかが説かれた基本的な文献である。紀貫之は、平安前期の歌人、歌學者、三十六歌仙の一人。仮名文日記文學の先駆とされる『土佐日記』の作者。醍醐天皇の勅命による『古今和歌集』撰進の中心となった。

和歌は人のまごころを表白した歌が抒情詩である。和歌は日本民族のまごころのしらべである。人知のさかしらを超えて自然に生まれてくる『素直な心』(まごころ・もののあはれ)の表白であり、それが自然にある声調を生み、五七五七七の定型詩=和歌を生み出した。

歌を詠むのは、魂鎮め・鎮魂の行事である。和歌は、ふつふつと湧きあがってくる素直なる心・色々な思ひ・魂の叫びを三十一文字にして固め成して鎮める働きをする。

明治天皇御製

「鬼神も泣かするものは世の中の人のこころのまことなりけり」

「まごころを歌ひあげたる言の葉はひとたび聞けば忘れざりけり」

「鬼神の」の御製は、歌の力の偉大さを論じた『古今和歌集』の「仮名序」を踏まへられてゐると拝する。この御製で大事なのは、「人の心のまことなりけり」と示されてゐることである。単なる文藝作品なら虚構が許されるのかもしれないが、歌はそうではない。「人のこころのまこと」を歌はねばならない。自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころを歌はねばならない。

「自分の本当の心・素直な心・そのままのこころ・まごころ」は、わが國文學の基本的情緒とされる「もののあはれを知る心」と同意義と思ふ。見るものにつけて聞くものにつけて自分の心が感動することを「もののあはれ」といふ。それが「五・七・五・七・七」といふ形式で表白され、人の魂を動かすといふのが「やまとうた」である。

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千駄木庵日乗一月十三日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後六時より、団子坂にて、友人同志と懇談・打ち合わせ。

帰宅後は、資料の整理。

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2012年1月13日 (金)

支那を「中国」と呼ぶべきではない

私が尊敬していた渡辺はま子さんは、最大のヒット曲「支那の夜」をテレビで歌うことは出来なかった。テレビ局が支那からの抗議を恐れていたからである。支那人自身が自分の国を「中国」と呼称するのは自由である。それと同様日本人が支那を「支那」と呼称するのは日本人の自由である。わが国に対してのみ「支那と呼ばずに中国と呼べ」と強要するのはおかしいし、それに唯々諾々と従う日本人もおかしい。

「中国という言葉はすでに定着しているのだから、中国を刺激してまで無理に支那と呼称することはない」という意見があるが大間違いである。世界の先進国では支那を「中国」と呼んでいる国は日本以外にない。日本以外の国は『チャイナ』即ち支那と呼んでいる。これはわが国の尊厳性・文化の独自性の保持、突き詰めればわが国の独立に関わる問題なのである。

支那大陸に盤踞する「共産支那」は近年とみに軍事力を強化し、アジアにおける覇権確立を狙っている。そしてわが国固有の領土・尖閣諸島侵略の機を窺い、わが国を政治的・軍事的・経済的・文化的に隷属させようとしている。わが日本は支那共産政権のこうした野望を打ち砕きわが国の独立と自由を守らねばならない。支那の強要によってわが国が支那のことを「中国」などと呼称する自体、わが国にとってこれほどの屈辱はないし、「日本は中国の属国であり冊封国だ」と認めることになり、わが国がとてつもない差別思想である「中華思想」を容認することとなり、「中華帝国主義」に侵略され併呑される原因となる。わが国及びわが国民が支那を「中国」と呼ぶことは、極論すればわが国及びわが国民が支那の支配下に日本が入ることである。

 「中華人民共和国」という名の支那共産政府は、日本を「侵略国家」と非難攻撃し謝罪と賠償を要求し続けているが、支那漢民族こそアジア最大の侵略者であることは古今変わらぬ歴史的事実である。

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千駄木庵日乗一月十二日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。内外情勢について語り合う。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後は、書状執筆。

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2012年1月12日 (木)

中華帝国主義について

 日本に入り込んだ支那人が、靖国神社神門に放火した。その男は、韓国に渡り日本大使館に対してもテロ行為を行った。また、共産支那政府及び国民による理不尽極まりわが國への恫喝・内政干渉・破壊活動が繰り返され益々ひどくなってきている。支那人のわが国大使館に対する破壊活動を事実上黙認した韓国も、「小中華」を自称し、支那の属国である。支那・韓国の日本に対する敵対意識の根本原因は、支那人および支那の政治権力特有の「中華思想」に拠る。支那・韓国の日本に対する侮蔑・差別観念は「中華思想」から来ている。

 「中華思想」を簡単に定義すれば、「支那は天下の中心・世界の真ん中にあって文化が華のように咲き誇っている國」という思想であると言っていいと思う。支那人は、支那は世界帝國であり、支那の皇帝に朝貢(皇帝に貢物を差し上げること)する属國の形式でしか外國の存在を認めず、支那以外の世界各地域は支那に朝貢しなければならないと考えて来た。世界各地の支配者はシナの皇帝の冊封(天子の命で官・位を授ける書きつけである『冊』により諸侯に封禄・爵位を授けること)によってその地位と権力を認められるとして来た。こうした「中華思想」には対等な外交関係はあり得ない。

 それだけではなく、「中華思想」は、周辺諸民族を東夷・西戎・南蛮・北狄と獣や虫けらのように呼んでこれを蔑視し侮った。「東夷」とは弓を射るのがうまい民族・東方の野蛮人のことで、日本・満州・朝鮮などの民族を指した。「西戎」とは槍術のうまい民族・西方の野蛮人のことで、チベットやトルコ系の諸民族を指した。「南蛮」とは蛮は虫扁がつく南方の野蛮人のことで、インドシナなど南海諸地方の民族を指した。「北狄」とは犬扁のつく北方の野蛮人のことで、匈奴(きょうど)・ウイグル・韃靼(だつたん)等の遊牧民族を指した。いずれも野蛮な民族ということである。これほどの他民族差別思想・侵略思想・大國主義はない。支那はこの論理によってこれ迄の長い歴史において周辺諸國を侵略して来た。秦始皇帝・漢武帝・隋煬帝・唐太宗のように内乱の後に大統一帝國が成立した後には、強力な國外侵略を行っている。

 「中華人民共和國」という名の支那共産政府は、日本を「侵略國家」と非難攻撃し謝罪を要求し続けているが、支那漢民族こそアジア最大の侵略者であることは古今変わらぬ歴史的事實である。わが國の政治家もメディアも、「わが國はかつて中國を侵略した悪い國である」という先入観を持っている。しかし、共産中國こそ、今日アジア最大の軍事大國であり、覇権國家であり、侵略國家である。   

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千駄木庵日乗一月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が元明天皇御製などを講義。質疑応答。む

帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2012年1月11日 (水)

神話について

神話とは太古の「神聖な歴史の物語」といふ定義がある。日本神話は日本民族の「始まりの時」における神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事をつづった物語である。言ひ換へると、神話とは、日本民族の「始まりの時」を説明し、生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが、どのようにして生まれ存在し始めたかを語る。わが國においては、神話と祭祀は分かち難く一體である。

神や聖なる存在の誕生、國土の生成などの出来事など日本民族の始まりの時の出来事は、日本人一人一人およびその共同體としての國家の生き方・在り方(文化・信仰・文學・政治・教育・芸術など一切)の模範を示す。つまり、神話は日本民族そして日本國家を根源的なものを表現するものであり、日本民族の在り方・生き方に決定的な役割を持ってゐる。

「始まりの時」に帰ることによって現状を変革するといふ希望はあらゆる生命體が持っている。一人の人間として、新年を迎へた時や、春四月を迎へた時には、心機一転「初心」(始まりの時の心)に帰り新たなる気分になって仕事や勉學などに励もうとする。それと同じやうに、日本人一人一人およびその共同體としての國家は、つねに「始まりの時」=「神話の世界」への回帰によって現状を革新しやうといふ希望を持つ。明治維新といふ國家的大変革も、「神武創業への回帰」(神武天皇が即位された時への回帰)がそのスローガンであった。

大林太良氏は「(神話と儀礼は)分かちがたくたがいに結びついている。儀礼は神話によってその意味が明らかにされねば効力を失い、神話は儀礼によって描きだされねば不毛である」(「神話學入門」)と述べておられる。

神話の世界は、『古事記』『日本書紀』といった記録・文献として語り傳へられると共に、儀礼・祭祀といふ生きた現實として継承される。太古の神聖な物語を「文献」と「行事」によって今日まで傳へてゐるといふ意味で、神話といふ「文献」と祭祀といふ「現實に生きた儀礼」は一體である。

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千駄木庵日乗一月十日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後二時より、六本木の国際文化会館にて、『伝統と革新』誌掲載のため田原総一朗氏にインタビュー。

午後七時より、九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。『皇室典範』改正について討論。この後、懇親会。

帰宅後は、原稿の校正。

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2012年1月10日 (火)

『神祭り』は明るい行事

「まつり」とは厳粛なる行事ではあるが、堅苦しい苦行ではない。明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で、神々が歌い踊って喜ぶ場面の掛け声である。『古語拾遺』(平安時代の神道資料)に記されている。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができる信じ続けてきてゐるのである。

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。面白く楽しく清らかいふのが「まつり」なのである。

ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。「難行苦行を経なければ神の許しを得ることはできない。そして神は常に人間に対して罪を犯したら裁く、神に背いたら報復すると脅し続ける」といふ恐怖の信仰ではない。

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千駄木庵日乗一月九日

午前は、母のお世話。訪問看護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。明日行う初めてのインタビュー記事の準備など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。まだ熱が下がらない。

帰宅後は、水曜日の『萬葉集』講義の準備。

今月も相当忙しい日々が続きそうです。

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2012年1月 9日 (月)

明治維新の精神への回帰

戦後日本はアメリカの支配下にあったが、これからもそれでいいはすがない。「吉田ドクトリン」はやむを得ぬ面があったが、これからはそうはいかない。では、具体的に日本はどうすればいいのか。何をすればいいのか。

欧米別けてもアメリカの科学技術による人間生活の進歩と発展を至上命題としてきた戦後日本、もっと言えば近代日本への反省が必要ということ。具体的にどうしたら良いのか。それには、自然の中に神を見る日本伝統信仰に回帰する以外にない。

東日本大震災・津波・原発事故によって、科学技術がいかに人間にとって万能ではなく、また人間を守りきることは出来ず、寧ろ人間に危害を加える危険があることが体験された。これをどうするか。

ただし、アメリカにも大きな精神文明があった。それはキリスト教である。とくに、ウイリアム・ジェイムズの思想、ニューソートという新宗教がアメリカの発展に寄与した。禁欲を説いたカルヴァン主義への反発として一九世紀に生まれた運動で、新しいキリスト教である。原罪を否定し、人間は神の子であることを強調する。フィニアス・クインビーという心理療法家の治療方法が元になっている。ラルフ・ウォルドー・トライン、ウィリアム・ジェームズ、ラルフ・ワルド・エマーソン、ジョセフ・マーフィー、アーネスト・ホームズなどがいた。この思想を日本に持ち来した人が、生長の家の谷口雅春先生である。今日殷賑を極めているいわゆる「成功哲学」や「自己啓発」のルーツの一つとされている

田原総一朗氏は『ブログ』で「TPPはアメリカのアジア戦略である。アメリカがアジアの国々を取り込んで、中国を孤立化させる戦略である。だから日本の交渉参加に、中国は慌てふためいた。中国は、必死になって日本と組もうとしている。日本は今後、大きな選択を迫られることになるだろう」

と論じている。「TPP」に、中国を牽制する意味があるのなら、賛成しなければならない。果たしてどうか。

孫文は、日本に対して「東洋王道路線と西洋覇道路線のどちらを行くか」と呼びかけた。しかし、今日唯今は、アジアにおける最大のそして最悪の覇道国家は共産支那である。この現実にどうやって対処するのか。

アメリカ覇権主義そして共産支那の中華帝國主義さらには北朝鮮の暴虐の渦中にあって、わが日本は、祖国の独立と安全を守るために必死になって戦わなければならない。にもかかわらず、残念ながら、国民の多くは日本の傳統精神、國體精神を忘却し、内部から破壊されつつある。

歴史は繰り返す。日本は、「尊皇攘夷」「神武創業への回帰」という明治維新の理想に回帰すべきである。

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千駄木庵日乗一月八日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆の準備など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。また少し熱が出ている。額に手を当てて快癒を祈る。

帰宅後は、水曜日の『萬葉集』講義の準備など。

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2012年1月 8日 (日)

アジア共同体は危険である

今日の日本は、「第三の開国」を迫られているという。しかし第一の開国であるという幕末の「開国」は、日本が主体的に開国したのではない。外圧によってやむなく開国したのである。敗戦後に第二の「開国」が行われたと言うが、それは言葉のまやかしだ。屈辱的な戦勝国支配体制に入ったのだ。

アメリカとの関係、支那との関係をどうするか、日本の対米自立は実現可能か、共産支那の我が国に対する圧迫にどう対処すべきか、これが今後の日本にとって極めて重大である。

そうした状況下にあって、「アジア共同体」を構築すべきだという意見がある。「共同体」とは一体どういうことか。その定義、その具体的形を明示しなければならない。EUはキリスト教文化が共通項としてある。だから、トルコはなかなか入ることが出来ない。イスラムへの反感と敵意は大きい。

アジアは、宗教的・政治的・文化的共通項は欧州と比較して極端に少ない。それで共同体が形成できるのか。早い話が、日本をはじめとしたアジア各国が共産支那や北朝鮮と共同体を形成できるとは思えない。台湾と支那、ベトナムと支那、チベットと支那とすら共同体とになっていない。むしろ支那との対立は深い。

日本は「アジア共同体」という発想に立たずとも、アジア各国との経済関係を今より以上に活発化することは出来る。

「共同体」は不可能だ。特に支那と朝鮮を含んだ「共同体」は危険だ。

日本が安心して参加できる「アジア共同体」でなければならない。それには支那は排除すべきである。アジア各国との経済関係を活発化することと「共同体」の形成とは全く異なる。支那大陸や朝鮮半島には深入りせず、経済関係を慎重に保つべきである。これまでの日本による経済協力によって支那は経済発展したが、恩を仇で返す如く経済力・軍事力を誇示して日本に圧迫を加えてきている。とても「共同体」を形成できる関係ではない。

アメリカからの自立と共産支那の排除が必要である。その前提は、戦後体制の打倒である。対米自立・対共産支那の圧迫の排除とは「日本の核武装」だと思う。しかし、それは可能か。アメリカが容認するか。民主党政権だろうと自民党政権だろうと、それが実行できるのか。

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千駄木庵日乗一月七日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、原稿執筆の準備など。

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2012年1月 7日 (土)

神勅に示された日本民族の理想

 天照大神から皇孫・邇邇藝命に授けられた『斎庭の稲穂の神勅』には、

「吾が高天原(たかあまはら)の所御(きこしめす)す斎庭(ゆにわ)の稲穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつる」(わが高天原につくっている神に捧げる稲を育てる田んぼの稲穂をわが子にまかせようという意)

と示されている。

『斎庭の稲穂の神勅』は、高天原で神々が行われていた米作りをそのまま地上でも行うべしという御命令である。稲の種子を伝えるということは、米作りの生活を伝えることである。『斎庭の稲穂の神勅』は、「米作り」という「くらし」の伝承なのである。これは、米作りを基盤とする文化が日本文化であることを証ししている。

天照大神から皇孫・邇邇藝命に「斎庭の稲穂の神勅」を授けられたのは、高天原の稲を地上に移し植えて日本國を「豊葦原の瑞穂の國」とするのが、天皇のご使命であり民族の使命であるということを示している。天上から伝えられた斎庭の穂を地上に稔らせることによって、地上と天上とが等しくなると信じた。

これは、神々の米作りの手振り・くらしを、地上に生きる人々が神習うという信仰である。神々の理想を地上において実現することである。その中心者が天照大神の「生みの子」であらせられる天皇なのである。つまり、天皇は神意現成の中心者である。「高天原を地上に」「今を神代に」というのがわが國の國家理想である。こんなすばらしい國は世界に日本しかない。これを萬邦無比の國體という。

つまり、『斎庭の穂の神勅』は、民族生活の様式が水田耕作の上に立っている史実を物語る。そして、天皇の日本國御統治・國土経営の理想を示している。

邇邇藝命は正しくは、「天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命」(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)と申し上げる。この御名は、「天地に賑々しく實っている太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」というほどの意である。邇邇藝命とは、太陽神の御子であるとともに稲穂の神の神格化である。

穀物を稔らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命が、地上に天降り、天上の斎庭の神聖なる稲穂を地上に稔らせるという「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る國を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを物語っている。「天孫降臨神話」は、まさに日本人の「米作りのくらし」の中から生まれてきたのである。

言い換えると、皇祖神・天照大神は、稲穂を邇邇藝命に伝持させ、その稲穂を地上において栄えさせるという使命を歴代の天皇に与えたことを示している。それがわが日本の始まりであり、わが日本民族の基本的性格であり、日本という國家と民族の理想である。

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千駄木庵日乗一月六日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

この後、病院に赴き、父に付き添う。また少し熱が出ている。

千駄木に戻り、近所の方々と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2012年1月 6日 (金)

「現御神信仰」について

歴代の天皇は、御肉體は変られても、『記紀・萬葉集』に示されている「やすみししわが大君 高光る日の御子」(四方八方をやすらけく御統治あそばされるわが大君、高く光る日の神の御子、というほどの意)といふ神聖なる本質・神格は全く同じである。歴代の天皇は、天照大神の御子としての無上の神格を持たれる。これを「現御神信仰」と申し上げる。

 即位の大典と大嘗祭は、天孫降臨といふ元初の事實の繰り返しであり、御歴代の天皇が天照大神の御神霊と一體になられるおまつりであり、天皇の神としての御資格の再生であり復活のみ祭りである。

 天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるということである。「天津」は「高天原からの天津神から継承されている神聖な」という意で、「日嗣」は「天照大神から伝えられた『日霊』を継承する」という意である。 

天皇は、日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在であらせられ、天照大神の「生みの御子」すなわち「現御神」として君臨されるのである。

 天皇は、血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承されると共に、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まりまします。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。

 

この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(新論)と言った。日蓮も「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(高橋入道殿御返事)と言っている。現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではない。   

 

 昭和天皇は、昭和三十五年に、

さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさ むぞ わがねがひなる

と歌われている。

同三十四年には

あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契 り 結ぶこの朝

と詠ませられている。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるという御自覚を歌われているのである。

 これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていわゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどという説が大きな誤りであることが分かる。

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千駄木庵日乗一月五日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父はよく寝ていた。

帰途、湯島にて知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2012年1月 5日 (木)

『殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次』展参観

今日参観した『殿様も犬も旅した 広重・東海道五拾三次

―保永堂版・隷書版を中心に―』展は、「歌川広重の代表作である保永堂版(ほえいどうばん)「東海道五拾三次之内」は、江戸を出発し、53の宿駅を経て京都へいたるまでの道のりをたどった55枚の大判錦絵シリーズです。天保4年(1833)に版元の保永堂(竹之内孫八(たけのうちまごはち))と僊鶴堂(せんかくどう)(鶴屋喜右衛門(つるやきえもん))から共同出版され…名所絵の名手としての地位を不動のものとした広重は、生涯で20種以上の東海道物を製作しています。…本展では那珂川町馬頭(なかがわまちばとう)広重美術館所蔵の保永堂版「東海道五拾三次之内」と、サントリー美術館所蔵の隷書版「東海道」を一挙に公開いたします。」(案内書)との趣旨で開催された。

単に景色を描いたのではなく、旅人、住人、農作業などの労働をしている人、遊女、大名行列など多くの人物や生活の実態が生き生きとリアルに描かれている。天保年間に描かれた絵である。時代区分で言うと、封建時代であり、德川幕藩体制下である。しかし、人々の生活の基本は現代とそんなに違いはない。宿屋や遊郭の呼び込みや客引きはいるし、人々はみな商売や労働にいそしんでいる。そういう姿が生き生きと描かれている。

江戸の日本橋から京都の三条大橋までの五十三次が描かれている。当時の日本人は基本的には幸福だったのではないかと思われる。しかし、津波の被害によって地形が変わってしまったという浜名湖の景色も描かれていた。

富士山が背景に描かれている絵が多かった。東海道を行く旅人にとって富士山は大きな存在だったのである。現代の我々も新幹線に乗った時、富士山を眺めることか楽しみの一つである。

また、大名行列も描かれていた。幕府による各藩に対する締め付け策であったのだが、反面、江戸と地方との文化交流には役立ったと思われる。

「日本橋 朝之景」「原 朝之冨士」「丸子 名物茶店」「夜の雪 神原」「箱根 湖水図」「京師 三条大橋」「赤阪旅舎招婦の図」などを見た。

歌川広重は、『名所江戸百景』という作品も遺している。これも素晴らしい作品で、以前、東京芸術大学美術館で開催された展覧会で鑑賞した。

我が家近くの「千駄木団子坂花屋敷」「日暮里諏訪の台」「日暮里寺院の林泉」が描かれている。団子坂の絵には、実際私が昇ったことのある石段が描かれている。その石段はマンション建設によってなくなってしまった。また私がよく行く「下谷広小路」「上野清水堂不忍池」「湯島天神坂上」「昌平橋聖堂神田川」などが描かれている。一本の筋で描かれた雨の描写がとてもいい。

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千駄木庵日乗一月四日

午前は、母のお世話。訪問看護の方と共なり。

午後は、六本木のサントリー美術館で開催中の「殿様も犬も旅したー広重・東海道五拾三次』展参観。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理。

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2012年1月 4日 (水)

日本人の神観念と世界の救済

日本傳統信仰・神ながらの道は、〈神と人との合一〉〈罪の意識の浄化〉を最高形態としてゐる信仰である。全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は、日本傳統信仰への回歸である。日本傳統信仰を世界に恢弘することが私たち日本民族の使命である。

日本の自然環境は、自然の中に神を観る信仰を生んだ。日本民族は、天地自然を神として拝む。神は到る処に充ち満ちてゐます。自然は神の命の顕現である。

日本人の神観念には、「神はこんな形だ」といふ一定の相形(すがたかたち)はない。神は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相たり得るのである。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。さうした神々の根源神として「造化の三神」がましますのである。日本の神は「多即一・一即多」のお姿をあらはされる。

 

『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)になりまして、身を隠したまひき」と示され、「天地の生成の本源神」たる天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されてゐる。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

「造化の三神」が「天地初發の時、高天原になりませる神」(天地宇宙の生成と共になりませる神)と仰がれてゐるのは、「造化の三神」が天地宇宙開闢以来天地宇宙と共に存在する神、天地宇宙の中心にまします根源神であるといふことである。一神教の神のやうな被造物(つくられたもの)とは全然範疇の異なる存在・被造物と対立する存在たる「天地創造神」ではないのである。

天地・國の生成は、絶対神のうちに内在する“むすびの原理”の展開としてあらはれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて“一”をもって“創造の本源”とし、そこから無限の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが生成するのである。そこに、多神にして一神、一神にして多神であり、多即一・一即多・中心歸一といふ大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根元が見出されるのである。

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきたのである。

 闘爭戰爭絶え間なき現代において、日本的思惟である<中心歸一の原理><結びの原理>そして<多即一・一即多の原理>によって、分割する精神=神と人・神と被造物は絶対的に隔絶された関係にあり、人間などの被造物は神の支配され神に裁かれ神に復讐される存在であるといふ二元論を克服し、さらに唯一絶対神の排他独善性からも解放し、永遠の闘爭から人類を救済すべきである。

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千駄木庵日乗一月三日

午前は、母のお世話。

午後は、『月刊日本』連載中の『萬葉集』講義原稿執筆・脱稿・送付。

この後、病院に赴き父に付き添う。熱が下がっていたので安心する。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2012年1月 3日 (火)

和歌に歌われた『大和心』

新年に際しまして、和歌に歌われた『大和心』について書かせていただきます。 

○                          

 日本の伝統的精神のことを『大和心』という。その『大和心』を短歌形式で表白した歌が次の歌である。

敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山桜花

 近世の国学者・本居宣長の歌である。「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山桜だと答えよう」というほどの意である。

 「朝日ににほふ山桜花」は何とも美しい。それが大和心なのだと宣長は言う。神の生みたまいし美しい国に生まれた日本人は美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」が日本人の心なのである。それは、理智・理屈・理論ではない。純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。大和心即ち日本伝統精神は、誰かによって作られた思想体系や理論体系ではないのである。

 しかしながら、日本人はただ単に感覚的に美しいものを好むのではない。もっと深い。日本人の「真心」は一種厳粛な神々しさを伴う。「朝日ににほふ山桜花」の美しさは神々しさの典型である。日の神の神々しさを讃えている。

 さらに「夕日」ではなく「朝日」であるところに日本人が清々しさ・清浄さ・潔さ・明るさを好むことをも表現している。

 清らかで明るい心を「清明心」という。この清明心は、天智天皇の御製に次のように歌われている。

わたつみの 豐旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 清明(あきらけ)くこそ

 「大海原のはるかの大空に、大きく豊かな旗のように棚引く雲に入り日がさしている。今宵の月はきっと清らかで明るいであろう」という意。

 何とも大らかで豊かな御歌である。この天智天皇の大御心こそが日本人の本来的に持っている精神、即ち「大和心」なのである。そして、「清明」という漢字が用いられている。日本人は清らかで明るい心を好むのである。 

 さらに言えば、「三日見ぬ間の桜かな」という言葉があるように、美しい桜の花は他の花々よりも咲いている時間が非常に短い。と言うよりも雨や風に当たればすぐに散ってしまう。日本人はそういう桜花の「潔さ」をとりわけ好むのである。これを「散華の美」という。

 保田與重郎氏は「しきしまの大和心を人問はばと歌はれたやうに、花の美のいのちは、朝日のさしそめる瞬間に、その永遠に豊かな瞬間に、終わるものといふ。日本の心をそれに例へたのは、さすがに千古の名歌を、永く国民のすべてに吟唱される所以であった」(昭和十四年・『河原操子』)と論じておられる。

 しかし、桜の花の命は、はかなくそして見事に散ってしまえば、それで消滅してしまうのではない。また来年の春に甦るのである。滅亡の奥に永遠の命がある。そう日本人は信じた。それが楠正成公の「七生報国」の御精神である。

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千駄木庵日乗一月二日

午前は、母のお世話。

坂下観音堂に初詣。そして、東都北鎮・根津神社に初詣。

皇居参賀。木村三浩一水会代表・憲法勉強会の平山芳仁氏と共なり。

天皇陛下からお言葉を賜る。陛下におかれては大変お元気そうに拝し奉った。玉の御声もとても力強く拝聴した。聖壽萬歳を謹唱し奉る。

この後、病院に赴き、父に付き添う。微熱が出ていたが意識ははっきりしていた。

帰宅後は、『月刊日本』連載の『萬葉集』講義原稿執筆など。

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皇居伏見櫓と参賀の列

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根津神社初詣風景

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根津神社境内の猿回しの実演風景

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2012年1月 2日 (月)

新しき年を迎えて

新しき年を迎えました。本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

日本の西洋覇道精神・欧化路線即ち近代日本の負の部分に対する反省が昭和維新運動であった。昭和維新運動とは日本傳統精神の復興による「近代の超克」を目指す運動であった。近代とは欧米的近代主義である。近代日本が猛烈に勢いで輸入した「欧米近代」なるものへの痛烈な反省である。それは、明治維新の真精神即ち神武創業の精神・日本の傳統信仰の復興であった。しかし、昭和維新は未完に終わった。

神への回帰こそが、近代日本において必要だった。近代の超克・西欧模倣からの脱却は、日本に神々への回帰、日本傳統信仰の復興によって行はれなければならなかった。

大東亜戦争はアメリカの科学技術と物量に負けたという面は勿論ある。しかしそれと共に、日本自身の精神的頽廃=神の喪失・傳統精神隠蔽が大東亜戦争だけでなく近代日本の歴史に大きな影響を与えたことは事実である。

近代日本の矛盾の克服は、現代においても喫緊の課題である。近代の超克・西欧模倣からの脱却は今日においてこそ行われなければならない。わが日本は、西洋覇道精神を清算し日本傳統精神を復興し日本の神々に回帰しなければならない。

西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神たる日本伝統精神がある。天皇がその祭祀主であられ体現者であられる日本伝統精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。日本伝統精神は、現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして地球の救済の力となり得る。

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千駄木庵日乗一月一日

午前は、母のお世話。

この後、家族と新年を祝う。

午後は、資料の整理。

この後、病院に赴き、父に付き添う。

帰宅後も、資料の整理。

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2012年1月 1日 (日)

今年も終わりました

今年も終わりました。

先ず私事から申し述べますと、九十歳を超えた両親の健康が一番心配です。父は病院生活を送っております。三日に二日は病院に行って父に付き添うことにしております。私が行くと喜んでくれますし、病院の方々とも色々お話しすることが出来るからであります。母は、家に居ります。九十二歳ですが元気です。ただそれほどひどくはないのですが、老人特有の症状が出てきております。来年はそれが進行しないように祈っております。病院の方々、介護の方々に深く感謝しております。

私自身は、原稿を書くということが与えられた使命と思い、頑張りました。来年もそうしたいと思っております。月刊の『政治文化情報』の執筆、季刊の『伝統と革新』の執筆と編集など、結構忙しく過ごしております。

日本国は、大変な危機に遭遇していると思います。来年も、色々なことが起こるでありましょう。心を引き締めていかねばならないと思います。右往左往せず、慌てふためかず、腹を据えていくべきと思います。

「神州は不滅である」と固く信じてまいりたいと思います。

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千駄木庵日乗十二月三十一日

午前は、母のお世話。

午後は、年越しの準備。清掃・買い物など。

この後、東都北鎮・根津神社参拝。お札納め。

この後、病院に赴き、父に付き添う。父はよく寝ている。寝言で母と小生の名を呼ぶ。

帰途、御徒町に出て「吉池」で買い物。まだ大変な賑わい。吉池ビルは、来年二月いっぱいで建て替えとなるという。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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夕暮の根津神社

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夕暮の根津神社

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