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2011年12月10日 (土)

天皇の国家統治について

天皇の国家統治の御事を「しらす」「しろしめす」と申し上げる。「しる」の尊敬語である。「しる」は単にものごとを知識として知るといふのではなくもっと深く「領知する(領有して支配すること)」の意である。「知る」とは「関係する」「司る」といふ意味である。今日でも「そんなことは知りません」といふのは、単に知識として知らないといふ意味以上に、「私には関係がない」といふ意味も含まれる。

 天皇の國家統治のことを「しろしめす」と申し上げるのは、天皇が天の下の全てを認識され、全てに関係されることである。それは、天皇が鏡の如く「無私」の御存在であるから可能になのである。天皇が鏡の如く全てを映し出す「無私の御存在」であればこそ、全てを領知され認識され司られることができるのである。

 天皇國家統治の「みしるし」である三種の神器の一つが「鏡」であるのはそのことをあらはしてゐる。天皇は自己を鏡となして一切のものごとを映し出される御存在である。

 

近代日本の哲學者・西田幾太郎は、「知と愛とは同じである」と言ったといふ。知ることと愛することは一体である。愛とは捨身無我である。自分を相手のために捧げるのが愛の極致である。自分を無にしなければ本当に相手を知ることは出来ないし、愛することもできないのである。天皇陛下の國家統治もご自分を無にされて天下萬民を愛されることなのである。

この場合の「愛」とはやまとことばの「むすび」に近い。「むすび」といふのはわが國傳統信仰上とても重要である。漢字では「産靈」と書く。生命の誕生・万物の生成のことである。「むすび」とは命が発生し長らへることである。天皇がしろしめされる日本国は永遠に栄えるのである。

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